『N98 星空までは何マイル?』は、(株)遊演体の著作物です。 掲載したリアクションは、(株)遊演体に著作権があります。 (株)遊演体の定めた規則により、二次使用を固く禁じます。 ============================= ■No.07111「猛り立つ炎の底で」 GM:星空めてお 担当マスター:茗荷屋甚六 このリアクションは選択肢100、110を選ん だ人の内、一部の方に送られています。 ─────────────────────── 《あらすじ》 グワイヒアは、圧倒的な性能を誇る最新鋭反物質 宇宙船。だがクルーは新米ばかり。艦長代理・坂堂 巽の指揮のもと、地球へと赴いた。 軌道上での機構軍との激戦をくぐり抜け、ヴァン ダーベッケンから打ち上げられた難民シャトルを救 出。リプフェルト監督と撮影隊もなんとか拾い上げ に成功。艦内での映画撮影で発生したフェイドラの 不調は、吉兆か、それとも? グワイヒアの次なる任務は、太陽への突入である。 観測船イカロスを伴い、大黒斑の内側へ踏み込むの だ。灼熱のフレアに包まれたトンネルの奥に、なに が待つのか? 迫るデーモン・ラウルの大艦隊を前 に、グワイヒアは、どう立ち向かうというのか? エルマー級エンツィオ号はステーション・バルカ ン外周に増設された港湾区画に停泊している。コク ピットからは、ドッキング状態のイカロスとグワイ ヒアがしずしずと出港するのがよく見えた。 『始まるようだな』朱砂葵の声が届いた。 「そのようだ」とコムニーにささやき返して、ジャ ンニ・アスカリ・菅原は、両船を眼で追う。 両船はバルカンからやや離れた場所に停止。少し 間があった。ジャンニは身じろぎし、ヘルメットの シェードを上げて汗を拭おうとした。 光が閃いたのはその時だ。 イカロスの銀の船体が膨らんだ。と見えた直後、 魂が抜け出すように立ち上がった透きとおるものが ある。風をはらんでひるがえるような動きのそれは ふたつ、みっつと数を増し、やがて寄り添いあって ひとつになった。瞬時、巨大なエングラムの結晶と なり、すぐに曲線的なフォルムに変わる。イカロス とグワイヒアをすっぽりと包み込んだ。 『アーモンドの粒みたいな形だ』葵の声はかすかに うわずっていた。『いや、なんとかいうスポーツの ……そう、ラグビー。あれのボールにも似てる。す ごいな、ペルセウス・ミラーというのは。俺たちの 船も包んでくれそうじゃないか』 「どうかな。よく見ろ。安定してないぞ」 震えている。同期の調子が悪い3次元映像のよう にびりびりと細かく振動している。不意にひと筋の 亀裂が走った。結び合わされていた3枚のペルセウ ス・ミラーはたちまち分解して消えた。 「展開実験は失敗だな」 @ @ @ 「もう一度だ」ヴォーチャが言った。「今度はお互 いのエングラムを接触させてみようじゃないか」 「ではレイディ、お手を」カイ・ブラットフォード がヴォーチャの機械の手を取った。「きみも」 小柄な北綾瀬きずなは無言でうなずき、ちいさな 手を重ねた。結び合わされたみっつの手、その上へ さらに、エングラムの輝く手が重ねられた。 太陽観測船イカロスの狭い船内に溢れた光は、ど こか異様な印象を伴っている。影がないのだ。エン グラムの輝きは既知の物理法則を超えている。写真 にもビデオにも鏡にさえも写らない。その奇妙な光 を迸らせて、ペルセウス・ミラーは発動した。 「焦るな」ヴォーチャがささやく。「まだ実体化さ せんじゃないよ。クリアな……ニュートラルな状態 のまま……広げて……もっと大きく……」 半透明のエングラム結晶のかたちからさまざまに 変形しつつ、ペルセウス・ミラーは膨らみ、広く大 きくなって壁を抜け、見守る人々をつるりと通り過 ぎて(このときエングラムを励起していた者は接触 に伴う音と感触をおぼえたが、別段どうということ もなかった)、イカロスの外へ展開された。 腕組みをしていた狩野舞がふと眉を動かした。 @ @ @ グワイヒア、ブリッジ。場違いな通信士席にいた トモカ・オオアライが、はっと顔を上げた。エング ラムが反応している。舞だ。問いかけている。 「ペルセウス・ミラー展開実験チーム、状況の報告 を求めてる。どんどん言って。伝えるから」 「通信はだめです」バルデマス・ジロンゴ管制官が 素早く答えた。「電磁波は通りません」 「イカロスさえ応答がないのは妙だな」レイ・イン ダーソン・カミア通信士が引き取って「考えられる のは、電波が吸収されているか、それとも……」 「可視光線は透過しています」リンダ・イフェア監 視員がホロディスプレイを見上げる。バルカンも水 星も問題なく映し出されていた。 「マルチウェブへのアクセス不能」クレア・ヴァヴ ナー管制官が告げた。「バルカンとのレーザー通信 が阻害されているようです」 「何かに介入されているんですかっ!?」 気負ったように尋ねたシェーン・メオラ通信士に、 ラナ・フレデリカ管制官が冷静に応じた。 「アクセスポイントとの連絡がつかなくなっている だけでしょう。メオラ通信士、介入とは?」 「え、あのう……わたしたちを呼んだ声は、マリア 役のフェイドラを通して届いたでしょう?」 「ハッキングされたと言いたいのね」愛美・ユニシ オール管制官がシェーンを見た。「でも、それをし た存在が、わたしたちを害するとは思えない。彼女 は───すべての娘たち、と呼んでたわ」 「フェイドラのことですか」バルデマスは顔をそむ けた。「うんざりだなあ。インターフェイスに少女 のイメージを与えるなんて俗悪じゃないですか」 ええっ、と声をあげたのは最上ちはや管制官。 「じゃあジロンゴさんはオヤジ型がいいと?」 「誰もそんなことは言ってない……」 坂堂巽がトモカに顔を向けた。 「ミラーの外にいるネイバーとの連絡は?」 試みた。トモカの中にイメージが広がる。彼女は 水晶のひとかけらだ。リズミカルに光っている。同 じリズムで光を放つ隣りあった結晶は舞だ。そして いま、もうひとつの結晶が立ち顕われてきた。 《ジェニー、わかるかい?》 ジャネット・ハミルトンからの応えはすぐに返っ てきた。映像。イカロスとグワイヒアを包むペルセ ウス・ミラーのありさま。いまジェニーはその光景 を見つめているのだろう。言葉も届いた。 《うまくいかないみたいだね。なにが悪いの?》 《アタシにはさっぱりだ。舞に聞いてみなよ、中継 したげるから。あっちも煮詰まってるけど……》 その瞬間、ペルセウス・ミラーがまたもや分解し た。トモカは呻いた。ジェニーと舞が見た光景が同 時に閃き、ふたりの感情もまた小爆発となって駆け 抜けていった。頭を抱えてトモカはつっぷした。 「トモカさん!」クレアが駆け寄ってくる。 「……平気だ。艦長代理、ネイバーとの交信は可能。 ただし、ちっとばかし疲れるけどな」 「ありがとう。ということは、本番であてになる通 信手段はネイバーリンクしかないんだな……」 不意に警報が鳴り響いた。 「艦長代理」アリシア・ローランド管制官が切迫し た声で「機関部より緊急連絡」 @ @ @ 「暴走です」ココ・ルビアスキー機関士がマイクに 叫んだ。「ペルセウス・ミラーが発現して」 「待ちなよ、ココさん」同僚のレン・星山がココの 肩に手をおいて「もう大丈夫みたいだよ、ほら」 「ごめんなさい。こんなはずじゃなかったの」 ユィ・メイシェンはいたいけな黒い眼を潤ませて 身を縮めている。彼女はペルセウス・ミラーに包ま れていた。後ろの装置が火花を散らしている。急激 に展開したミラーに引き裂かれたのだ。 「ダイダロス号の時と同じだ」レイ・ファルザング が紅い眼でメイシェンを見つめる。「あのときは、 ミラーはもっとでかくて、事故の規模も無茶苦茶に でかかったがな。なんのつもりだ? 対消滅エンジ ンのそばならでけえミラーになると思ったか?」 「ごめんなさぁい……」 「配電パネルがいかれた程度だね。すぐ直る」レン 機関士、励ますように「この程度でラッキーだった じゃないの。止めようとしたんだろ?」 メイシェンは子どものようにうなずいた。 「サイバーアクセスを一緒に使ったの。エンジンと ミラーをひとつにしてコントロールできたらいいな と思って。でも、だめだった」 「機械の一部分だけにアクセスしても意味がないか らね」ココ機関士、うなずいて「それで?」 「それで、ミラーのほうにアクセスしたの」 機関士たちは顔を見合わせた。 「うまくいったのかい」 「コントロールはし易くなったわ。変形や展開は思 うようにいかないけれど……」 「ビンゴじゃねえか?」レイ機関士はコムニーのス イッチに触れて「イカロス、通じてるか? ペルセ ウス・ミラーの安定化のヒントが見つかったぜ」 @ @ @ ギル・メイスンは大きな目を半眼にして相手をね めつけ、ひとこと「だめ?」と呟いた。 「話にならねえよ」サジェスタ・マックレインは肩 をすくめて「対消滅エンジンばかりは調達できねえ とぬかしやがった。しけてるぜ」 「むわはははははは」山岳敷、のけぞって「だから 言っとろうが。エルマー級にそんなもの積むなんぞ 無謀じゃ、無謀! アカデミーのひよっこどもなら 無茶もしようが、いい大人のやるこっちゃない」 「ぬかせ、ジジイ。ワシの船を提供しよう、なァに グワイヒアのためならば。ありゃ嘘か?」 「そりゃ言うたがの。自転車にロケットエンジンを 積むようなもんじゃからな」 かれらはモニターを見た。バルカン港湾区を映し 出すいくつかの装置のうち、この位置のものが、停 泊中のイカロスとグワイヒアをもっともいい角度で 映し出している。敷じいさんの愛機スターダスト号 は、拡大された港の外周近くに見えた。 「しかし困ったな。じいさん、あんた太陽ん中には ついてこれねえぞ。留守番してるか?」 「なにをぬかす。乗り込むわい。あそこにゃワシの ネイバーもおるからな。役に立つぞおっ」 「どうだか……ん? なんだギル」 無口な青年が示す位置に、接近する小型艇。 「たぶん、マリオネットが届いた」 @ @ @ 「ワァオ! フゥゥウァ! できたてロボのデリバ リーに来たぜ。俺様アフロ・GO次郎!」 と、ここまでは聞き取れたが、あとはもうなんの ことやらさっぱりだ。御影恭子はもともと人見知り するたちだし、使いこなせるスラングも技術系のも のに限られている。まっとうなエンジニアなのだ。 そしてその視点から言わせてもらえれば、持ち込ま れたロボットは、ヴァルター・リプフェルトならば 芸術を感じるのかなあ……まさかなあ……といった 代物である。恭子はおそるおそる尋ねた。 「女性型ですが……意味はあるんですか?」 「野郎じゃやべえよ。フェイドラ乗せんだから」 「なぜピンク色なんですか?」 「ハァッハッハ! つやつやしててボルトだらけで、 おまけに黒かったら最高クールだぜ。そういうの好 きか? オゥア! 熱々だぜチーズケーキ!」 「……これ、私が操作するんですよね……」 「そうさスパイシー。こいつとアクセスすりゃアど んなガラクタもビンビンだ。心配いらねえ。俺様ァ おまえのネイバーだ。優しくリードしてやるぜ」 「いりません」 @ @ @ 大黒斑は生き物の目玉を思わせた。睨み返すよう に、左目にちかりとエングラムを光らせて、タロス 船長ディム・イクシオナスは少し笑ったようだ。 新造艦タロスはダイダロス級太陽観測船の3番艦 だから、目も耳もやわな造りではない。センサー群 が紡ぎ出すデータの行列は、太陽の現況を正確に伝 えていた。モニターに映し出された大黒斑は、タロ スが、間近からリアルタイムで捉えた画だ。 「大きいな。太陽直径の10%を超えている。木星 と同規模だ」神代冬也が眼鏡を押し上げて「すごい プロミネンスだ。ばかばかしいぐらい派手じゃない か」 大黒斑は周縁部から間断なくプロミネンスを吐き 散らしている。幼児が描く絵のような炎の大盤ぶる まいだ。だが、炎に取り巻かれた黒斑の部分は不気 味な暗さを帯び、急角度の傾斜を伴って陥没してい る。 「黒斑内は渦を巻いているようですわね」 オペレーター席のレオーシャ・スティンタイラー の言葉はディムに向けられていたが、相手は応えな かった。とりなすように冬也が言った。 「磁場と斥力とが働いて回廊を形造っているようだ。 自転する恒星の赤道方向を固定した空洞が突き抜け ていたら、内部は大騒ぎだろうがね。あのプロミネ ンスもプラズマ束が撹拌されて発生してるんだろう」 「地球の方向を向いたままなのは……」 「招いてるんです」神皇雅はディムに眼を転じ「調 査を続けましょう、リーダー」 「その呼び方はやめてくれ。プロジェクト・ダイダ リダイは終了した。私はもうリーダーではない」 「この船はあなたが造ったし、調査はこれからが本 番でしょう? 用意はできてます。指示を」 「分かった。これより大黒斑に無人機を投下。回廊 内部の調査を行う。───協力を感謝する」 「できることをしたまでです。AT、発進だ」 『了解しました、マスター』 雅の愛機が切り離された。それは個人用フェイド ラに操られてゆっくりとタロスから切り離され、大 黒斑の中心を目指した。 「レーザー通信、同期。データ受信します」 レオーシャがコンソールを操作した。無人機から 送られてくるデータが次々と表示されてゆく。 「電磁波全帯域、ニュートリノ、いずれも標準値を 下回っているが……加速が予測値どおりだな」 「予測値どおりって……」 「重力は弱められていない。あの回廊に入るには太 陽の重力と張り合う必要があるんだ」 雅はモニターを見つめる。すでに無人機は光学セ ンサーでは捉えきれない距離まで離れていた。だが、 受け取ったデータをもとに描かれるシミュレーショ ン映像は、大黒斑内部へ真っ逆さまに落ちてゆく無 人機のありさまを克明に映し出していた。恐ろしい 速さ。太陽の質量に伴う大重力はちっぽけな宇宙艇 をぐんぐん引きずり込む。 『無人機、船体温度上昇中。回廊内部のプラズマ密 度が予測データより大きいようです』 フェイドラの報告は文字情報で届けられた。彼女 の仕事はもうデータ送信だけだ。操船を行う段階は 過ぎ去り、あとは落ちて落ちて落ちるしかない。 「クソッ。俺たちは招かれてるんじゃなかったんで すか? あそこは地獄へ通じる門ですか?」 「データ受信状態、悪化。レーザーが減衰していま す。センサー機能通常の30%まで低下。回廊の中 にプラズマが溢れ出しているものと思われます。表 面温度、急激に上昇」 叫ぶように言ったレオーシャの声が消えぬうちに データ送信はぷっつりと途切れた。 「……だめだ。自由落下による突入は不可能だ。グ ワイヒアの機関で減速するしかない。そうしなけれ ば燃え尽きる」 「ですが……」 「そうだな。問題は、その減速に中の人間が耐えら れるかどうかだ」 @ @ @ ───バルカン、ブリーフィングルーム。 壁の一面を埋めたシミュレーション映像の大部分 はオレンジ色が占めている。太陽の断面図だ。 「これが大黒斑です」蜜子・G・グランディがポイ ンタで示した。「内部は、このようにファンネル状 回廊を形成して太陽中心核を貫通し……」 「おさらいは結構だ」鳶色の眼の黒人記者が無遠慮 に遮った。「オレたちの当面の課題は、どうやって 穴ぼこへ突っ込み、呼びつけやがったすべたに泥を 吐かせ、そしてこの世へ戻るかだ。そうだろ?」 「あなた、お名前は?」 「バーツ・ドルド」 「ドルドさんね。わかりました。あなたが書いた記 事は二度と読まないわ。それでは具体的な航行計画 をご説明します。グワイヒア航法士の方」 リーナ・ラスティンはリボンを揺らして進み出る と、開口一番「我々はアリスです」と言った。 「突入ではありません。落下と考えてください。グ ワイヒアの耐熱限界軌道はこの線。ここで、いっき に落ちて、ここで後ろ向きになります。全推力フル 稼働で加速し、落下速度を相殺します」 「保つのか、船が?」バーツ記者が割り込む。「太 陽に逆らって飛べるほど強いのか、ええ?」 「うっさいわねえ。まずあんたを放り込んでやるか ら! でも、正直なところ、危ないですね。イカロ ス以外の小型艇をジョイントして運ぶのは不可能で す。イカロス/グワイヒア間の接続部はとくに頑丈 に造ってはありますが、念のため、例の通路は、航 行中は出入り禁止でお願いします」 「落ちるのはいいが、上がれるのか?」 「計算では、この地点で」リーナはポインタをちい さく回転させた。「艦内重力が1Gに落ち着くはず です。グワイヒアは急速反転してイカロスを前方へ 向け、再加速します。太陽の重力に加勢してもらっ て、まっさかさまに加速して中心核を駆け抜け、そ のまま向こう側へ飛び出します」 「無茶言ってやがる。ぶっ壊れちまうぜ」 「他に方法はありません。やるしかないんです」 「あのう……」大見健太が挙手した。「重力とかを ペルセウス・ミラーでなんとかできませんか」 「できる可能性はある」狩野舞はぶっきらぼうに答 えた。「けど、今回は無理だ。完全なバリアにたて こもれば、グワイヒアの推力も外へ影響を及ぼさな くなっちまうからな。貸してくれ」 リーナから受け取ったポインタで、舞はイカロス とグワイヒアを示すパターンをぐるりと囲むように 楕円を描いた。ペルセウス・ミラーの意味だ。 「この形に展開する。よく覚えてくれ。回廊内にも プラズマが溢れてて、摩擦が発生する。ただでさえ 熱いんだから無駄な熱を出さねえようにしなくちゃ な。ミラーと船体を固定するのは、メイシェン、そ れにトモカズ、あんたたちの仕事だ。バックアップ がいないが、やってもらうしかない。頼むぜ」 「あのさ、舞」天羽ヒロが挙手して「通路が使えな いんなら、イカロスへの乗り込みメンバーを決めて おかなきゃまずいんじゃねえか?」 イ/グ両船は支持架で繋がれている。その間は仮 設エアロックで結ばれていた。この工事はグワイヒ ア所属の整備スタッフによって行われた。 「航行中でも使えると思うが」オラキオ・ハーンブ ル整備士がぼやく。「がっちり造ったんだし」 「そうだそうだ」モケレ・ムベムベ・マカク整備士 もしゃしゃり出て「オイラのスパナは間違いなんか 仕出かさないぜ。なんたってブードゥーのまじない がかかってるから、いてえっ、なにすんだよ!」 「黙ってろ」ジェイル・リバースタンド整備士、歯 の間から押し出すように「信用がなくなる」 「まじないはともかく……」舞、困ったように「乗 員は選ばなくちゃね。どうしよう、マム?」 「20人。これが限度」イカロス船長アネット・バ コはきっぱりと言った。「詰め込めばもう少しは入 るけど、帰りまでにハンバーグになっちゃうわ」 「アイアイ・マム。じゃあそいつは出港までに選抜 しなきゃね。そうそう、出港は予定より早まると思 う。デーモン・ラウルのハイエナ野郎がすぐ近くま で来てるらしいんだ。邪魔が入る前に出る」 いっきにざわめき始めた部屋の中で、バーツ記者 が声を張り上げた。 「おいおい、肝心のことが決まってねえぞ! 太陽 ん中にいるやつに会うんだろ。どうやって話す気な んだ? 猛烈な速さで飛んでるんだぞ!?」 「決まってんだろ。エングラムを使うさ」フランシ スコ・ギレド、こともなげに「ペルセウス・ミラー だってエングラムに変わりはねえしな」 @ @ @ イカロスとグワイヒアはバルカンを出港し、太陽 へと向かった。随伴する護衛艦隊の小型艇も少なく ない。もとより太陽への同行はかなわず、もっぱら 機構軍艦隊への対処を目的としていた。 アルフレッド・ヨハン・フロストは、操船に集中 できなかった。かれは愛機ファフニールをサイバー アクセスによって制御しようと試みていたが。 (厄介だな……他人の体みたいだ) 船に神経を通わせるどころか、自分の手足さえ遠 くに感じられる。活性率が足りないのか? 飛び込 んでくる通信の声がひどく耳障りだ。 『こちらシャイニング・ファルコン号! ラウル艦 隊が接近中だぜ。戦闘準備はどうなってる!』 『安心せい。このホチキース様が雷撃をお見舞いし てやる。デーモン・ラウル恐るるに足らず!』 『グワイヒア、着艦を希望したいんだ。こちらはリ ディヤ。リディヤ・ファーレンバード。デーモンの 野郎にはついていけないんだ。仲間に入れて!』 『こちらバンツー級アルメイア。リディヤさん、エ ルマー級ですか? グワイヒアには小型艇を格納で きるスペースはないんですけど……』 飛び交う声。駆け巡る意志。なにもかもが雪崩を うってほとばしる。戦いへ、戦いへ! ひとりアル フレッドはとり残されて苦闘する。サイバーアクセ スは20年ばかり前に開発された技能だ。直感的な 理解によって機械を動かすとされている。どういう 理屈だかよくわからない。直感だと? しかし考えてみれば、エングラムという存在その ものがいまだ謎に満ちているのだ。アルフレッドは 熱を持ち搏動する己の一部を、その結晶状の外観を、 そこから広がる特異な感覚をあらためて強く意識す る。エングラム。いったい何なんだろう? @ @ @ エルマー級ソードフィッシュはデーモン・ラウル 艦隊を視界に捉えていた。僚機、護衛艦隊の仲間た ちも、ともにラウル艦隊へ向かっている。 『マスター、お探しの船です』 フェイドラの声に、マリエ・ミリィ・金城は素早 くセンサーに眼を走らせた。 「どこ。わかんないよっ。ひどいノイズ!」 『光学モニターを。補正映像です』 その小型艇はラウル艦隊とは離れて航行していた。 この前と同じように巨大なミサイルを抱え、マリエ たちのほうへ向かう軌道を取っている。船体には文 字が書かれていた。この距離では判別できない。だ がマリエは確信した。《岸岳》だ。 『ラウル艦隊へ向けて飛ぶ小型艇を発見。シャトル を曳航しています』 「そんなのどうでもいいよっ。フェイドラ、加速し て。あの船のパイロットと話したいの」 エングラムはすでに励起させた。マリエは懸命に メッセージを送る。届け。届け。 『入電です』フェイドラは冷静に告げた。『ウェブ に接続できませんので詳しい照会は不能ですが、あ の船からの通信と思われます。つなぎますか?』 「回りくどいわねっ、いつもいつも!」 『マスターの欠点を補ってさしあげているつもりで すが。音声、出します』 若い男性の声だった。彼はマリエのフェイドラに 劣らぬ冷静な口調で告げた。 『……繰り返す。自分は地球人としての立場から、 フェデレーションに対して要求する。あなたがたは 太陽内部の調査によって得られた結果を独占するこ となく、すべて、公開してほしい』 「あたりまえじゃない!」 言葉と同時に、感情がエングラムに溢れた。それ は相手に伝わったらしい。 『君は……この前のパイロットだな』 「無事でよかった。ボクはマリエ。あなたは?」 『関係のないことだ、君には』 「どうして。ボクはあなたと同じ気持ちだよ。地球 はふるさとだもん。太陽をなんとかして、みんなを 助けたいんだ。情報はウェブに流すよ。イカロスの アネット船長がそう言ってる。なにも隠さない」 『……ほんとうなのか? 君は……失礼だが、エン グラムから伝わる印象だと、そのう、相当うかつな 性格をしているようだが……』 「し・つ・れ・い・ねぇ〜! そうよ。どうせボク はだまされやすいわよ。フェイドラにまで言われる んだから。でもね、ウソはつかないよ。フェデレー ションはすべてを公開する。約束するよ!」 エングラムにさざなみのごとく伝わった印象があ る。それは心地よい涼しさであり、しずかな昂揚で あり、かすかな苦みだった。 『わかった。君を信じよう』通信機から言葉が届い た。しかしその前にマリエには判っていた。 「うれしいよ! ねえ、名前を教えてくれる?」 『誠。雪月誠』 確かめるようにその名を呟いて、マリエはなおも 話しかけようとした。フェイドラが遮った。 『戦闘が始まりました』 ラウル艦隊が撃っている。シャトルが被弾したよ うだ。護衛艦隊の面々が接近してゆく。 「フェイドラ、グワイヒアは」 『太陽を周回中。大黒斑への突入まで約20分』 「誠さん。ボクたちはグワイヒアを太陽へ送らなく ちゃ。力を貸してほしい!」 『君たちすべてを信用したわけじゃない。だが、情 報を公開するというなら、デーモン・ラウルの主張 は崩れる。───かれらとも話してみよう』 誠はラウル艦隊へと送信した。が、聞き入れられ るどころか、返ってきたのは砲撃だった! 「ま」こと、と言いかけたとき衝撃が貫いた。着弾。 意識を失う瞬間マリエの眼に灼きついたのは、破片 を撒き散らしながら逸れてゆく岸岳の姿。 @ @ @ ───太陽はまだ丸かった。 それはグワイヒアの真上一面をゆるやかな弧を描 いて覆っている。地平はどこまでも遠く、見定めよ うとすれば目がくらんだ。ブリッジからみて足元の 方向は凝闇である。そのどこかに水星がありバルカ ンもあるはずだが見当もつかない。ホロディスプレ イの明度は下限ぎりぎりまで落とされていたが、ク ルーたちはなお眩しげだ。それでも計器航行を求め る者はひとりとしていなかった。 前方、大黒斑はちらちらと消えては現れた。周囲 に立ち上がるプロミネンスに隠されているのだ。 坂堂巽はベレーをかぶり直した。汗に濡れた柔ら かな髪をかき上げたとき、勢いのいいトークが耳を 打った。誰かがウェブにアクセスしたのだろう。 『……気を付けていってこいよ、グワイヒア&イカ ロスの諸君。無事に帰ってきたら、みんなで祝杯で も上げようぜ。そうだ、土産を頼む。酒の肴だった らいらねえけど、“希望”って奴をひとつだ』 バルカンからの放送だ。してみるとまだレーザー 通信が届くらしい。この声もじきに途切れる。 新たな声が飛び込んできたのはそのときだ。 《巽お姉さま。もう飛んでらっしゃいますか?》 「マギー。いまどこなの」 《実は太陽へ向かっているんです。そのう、いろい ろありまして、墜落中なんですよね……》 マギー・コアロッホはネイバーだ。言葉と同時に さまざまな情報をエングラムに乗せてきた。 「監視員、本船周辺宙域を漂流中のシャトルがいる はずだから、至急探してください。たぶんきわめて 近いところにいるはず。見つけ次第救助に向かいま す。ああ、それと」巽は意識してエングラムへの感 覚入力を遮断すると、ラナ管制官に「保安部員に出 動命令を。X接続ポイント付近で待機」 「武装はどのレベルにしますか」 「マギーは心配ないと言ってるけど……ケイト・ス ペンサーのクローン体が乗ってるんだよ」 @ @ @ イカロス内部。メインモニターには太陽とイ/グ 両船の位置関係が表示されている。落ちてゆくもの がある。さきほどドッキングしたシャトルだ。乗っ ていた者たちはグワイヒア艦内に収容された。シャ トルはすぐさま廃棄された。太陽の中まで抱いて行 けるほど強くはない、魔法の鷹も、勇者の鏡も。 「舞、グワイヒアのようすはどう?」 「準備完了。予定コースに戻ってる。あと190秒 で突入地点へ到達する。始めようぜ」 イカロスに乗り込んだ20名の大半が、いっせい にエングラムを励起させた。 「ローテーション表はどこへいった?」フランシス コ・ギレド、にやりとして「全員で展開する練習も しておけばよかったな、ヴォーチャ」 「最初だけだ。一番やばいところだからね」 「司!」条之内玲、前の席にいる征矢司に「あのさ、 手とか……つながなくってもいいのか?」 「握っててやろうか」鋼の手を伸ばし、司は玲の髪 に触れた。「冗談だ。そこにいろ。想うだけで充分 だ。この船は特別だからな。そうだろ、ヒロ?」 「あたりき! 理由はサイバーアクセスでも解んな かったけどな。やっぱ巨大エングラムのせい?」 「うるさいねえ、男どもは」シュネー・フレーゼが 苦笑して「理屈なんか忘れな。あたいたちが死ねば この船も死ぬんだ。護ってみせようじゃないか」 「全員、ストラップかけたね? ミラー展開」 @ @ @ グワイヒアのブリッジは、ペルセウス・ミラーが 展開されてゆく光景を声を呑んで眺めていた。それ はいくつもの巨大な花びらのように舞い、重なりあ い、光のカプセルとなって2隻の船を包んだ。 「ペルセウス・ミラー、最大展開を確認!」 「機関室、ユィ保安部員はミラー固定にかかってく ださい。イカロスへの連絡は?」 「やってるが……舞の活性率が足りねえようだ」 「わかりました。オオアライ通信士は狩野さんとネ イバーリンクし、ミラー維持に努めてください。カ ミア通信士はレーザー回線の確保を。虎杖通信士は 征矢さんとのリンクを」 ペルセウス・ミラーは、サイバーアクセスとの併 用によって船体に固定された。 直後、グワイヒアは突入地点へ達した。 ペルセウス・ミラーは最大展開されたまま大きく 変形し、騎士が馬上に携える槍のごとく長く長く引 き伸ばされた。突入時展開である。 「全推力、最大噴射」 天地がぐらりと傾いた。 クルーたちは耐Gシートに鼻までめり込んだ。不 吉な音が背骨を這う。船体が軋んでいる。最大展開 されたペルセウス・ミラーでさえ受け止めかねた衝 撃が魔法の鷹を絞めあげているのだ。 噴射は数秒で終わった。だが加速は続く。太陽は もはや丸くはない。前方に立ち塞がる巨大な壁、し かも暗黒の大渦だ。その奥へ引きずり込まれるよう にして長い長い落下が始まった。 @ @ @ 呼びかける声に、マリエは意識を取り戻した。 「誠? 誠なのっ!?」 『あいにくだったな』御堂力の声。『無事か』 「生きてる。フェイドラ、損害は?」 『この前と同じところをやられました。操船不能。 少なくとも太陽へ落ちる軌道ではありません』 「あちゃー。コック長、引っ張ってくれる?」 『構わんが、港には行けんぞ。バルカンが機構軍に 襲われてるらしい』 マリエは窓外を見た。ちらちらと閃く光点。戦闘 は散発的だ。というより相手にならないのか。敵は かなりの戦力を投入していた。 「ねえ、ウェブへのアクセスって、バルカンを通さ なくちゃいけなかったよね?」 『この近辺からだと、それしかあるまいな』 「……や・ば〜。バルカンが落とされたら、きっと 通信、封鎖されちゃうよね。ボクうそつきになって しまうよ。どうしよう!」 『駆けつけて加勢するなんぞというなよ。ずたずた にされたくなかったら、ここは逃げの一手だ』 @ @ @ グワイヒアは大黒斑と向かい合っていた。 間近にすると一様な眺めではない。赤と黒とが流 動する複雑なモザイクだ。ときおり噴き上がるプラ ズマの嵐が鮮やかなオレンジに輝く。ブリッジは赤 黒く沈み、前方に見えるイカロスの銀の船体も不吉 な炎の塊だ。地獄そのものの陰鬱な光景である。 地平の果て、高貴な深紅を閃かせるフレアの列柱 の向こうには、なお燃え盛る太陽表面がある。ある はずだ。その証拠に艦内温度はぐんぐん上がってい る。ホロディスプレイに捉えきれぬ距離から届く輻 射熱が魔法の鷹を灼き殺そうとしているのだ。 大黒斑の表面は、恒星としては考えられないほど 冷たい。木星に匹敵する面積まで広がったこの低温 帯がなければ、イ/グ両船は、突入軌道を取ること さえかなわなかっただろう。 回廊が迫ってきた。傾斜した内壁が、ゆるゆると、 しかし目に見える早さで背後へ動いてゆく。 回頭ポイントだ。クラウディア・トッツィーニ操 舵手は指さえ動かせなかった。しかしそれはあらか じめ予測されていた。ラナ管制官が、同僚の愛美ら と協力して準備した航行プログラムは忠実かつ正確 に作動し、魔法の鷹を急速反転させた。 船体の悲鳴はひときわ高く、乗員は声も出せずに シートに沈んだ。次の瞬間、かれらは思いきり強く 蹴り出された。グワイヒアは、太陽の大重力に抗す るべく、フルスラストで減速に転じたのだ。 今度の噴射は長い。引きずり込まれるに任せてい れば船体にも乗員にも限界が来る。いったん立ち止 まらねばならないが、それがなにより難しい。 @ @ @ ミラー展開チームは、なお全員で、最大展開を維 持し続けている。形状はラグビーボール型に戻した。 この形がもっとも安定し、抵抗も少ない。 《少し涼しくなったのじゃありません?》 雪之丞の声が、ももせ・きりんのエングラムを経 由して、征矢司に届いた。 《そのようだ。入り口んとこが一番きついな》 同意を示す気配がペルセウス・ミラーを通して押 し寄せた。計器を読むと、温度は確かに下がってい た。回廊内部は外よりもずいぶん涼しいらしい。 「この程度なら船外活動もできそうだな」 声に出して言ったフランシスコ・ギレドは冗談の つもりだったが、天羽ヒロは真に受けた。 「涼しいったって程度の問題だろ。オーブンの中と フライパンの上、どっちが熱いか比べてるみたいな もんだ。おいゲタ親父、絶対ハッチは開けねえから な。残った生身を大事にしやがれ」 体も軽くなってきた。まだ重いが、首や腕を動か すのにさほど抵抗はない。 「重力を打ち消したようだな」司も声に出して「通 常展開に移行していいだろ? じきにまた反転して、 加速が始まるからな」 「賛成だね」ヴォーチャがうなずく。「ギレド、あ んたの班が引き継いでくれ。舞が潰れそうだ」 「わかった。……いっきに解くなよ。ひとりずつ離 れるんだ。おい、メイシェン、生きてるか?」 メイシェンから伝わる印象が弱まりつつあるのが 司にもありありと判った。 「……鈍いな、反応。ネイバーがいねえのか?」 「彼女だけじゃねえぞ。休め。おめえのネイバーは みんなくたくただ。飛ばしやがって」 @ @ @ 予定どおり、グワイヒアはまたも反転し、イカロ スを前方に立てて加速を開始した。 しばらくは過大なGに耐える時間が続いた。それ から振動が始まった。激しく続くかと思えば途切れ、 また襲いかかってくる。プラズマとの摩擦だ。 「減速しています」クレア管制官が声に出した。本 来ならばもう声など出せる状態ではないはずなのだ が。「回廊内漏出プラズマ密度、一定しません」 「フレデリカ管制官、プログラムでの対応は」 「太陽内密度の揺れは取り込んで構築しましたが、 どのみち完璧というのは想像上の概念です」 「ご忠告いたみいるよ。オオアライ通信士、ペルセ ウス・ミラー最大展開を要請。機関部、出力最大を 維持。なにがなんでも加速して。この火の底で葬ら れたくなかったら、飛ぶしかないんだ!」 @ @ @ 地球上から飛び立てる宇宙船は存在しない。大気 があるからだ。まして太陽は重力も桁外れに大きく、 加えてプラズマの抵抗が押し寄せる。巨大な出力で 放たれたビーム兵器の火線にまっこうから飛び込む ようなものだ。だがペルセウス・ミラーは荒れ狂う 粒子の弾丸をよく防いだ。 突然、ミラーの安定が崩れた。 《メイシェン》 誰かの、いやおそらくは全員の悲鳴に似た感情が ほとばしった。いくつもの意志がつなぎとめようと 差し伸べられたが、ユィ・メイシェンにはもう応え る力もない。彼女の存在がエングラム網から消える と同時に、最大展開中のミラーが唸り始めた。幾人 ものエングラムを張り合わせて造られたその表面に 亀裂が走り、抵抗による振動が船を揺さぶった。 《押さえろ》《ねじ伏せろ》 本能的な命令がエングラムを駆け抜けた。かれら は全力でミラーを束ね合わせようとした。 間に合わない。引き裂かれる。勇者の鏡は大きく 割れた。隙間からプラズマの爆流が走った。 衝撃でグワイヒアはがくりと斜めに傾いた。その 一瞬で左舷側第3バルジは消滅していた。 @ @ @ クラウディア操舵手はとっさに拳を出した。コン ソールに叩きつけた。激痛。指が折れた。しかしグ ワイヒアは傾いた軌道を強引に立て直した。 直後、鳴り響く警報の中、サブ操舵手席のファビ ウス・ロッソが操船を引き継いだ。彼は自前のフェ イドラを持っている。ラナたちが用意した航行プロ グラムを補完するように働かせた。 『第3バルジ消失』腹が立つほど冷静にフェイドラ は告げた。『推力3%、戦闘力30%ダウン。光圧反 射鏡損傷。推力16.2%、排熱効率21.1%ダウン』 @ @ @ 八蛇神聖は機関部にいた。不測の事態に備えるた めである。しかし実際に起きてみると、どうにも動 きが取れないことに気づいて愕然とした。 (お……重い! 体が重いっ!) 緊急命令が点灯しているのは判っていた。サブブ リッジに詰めている東雲和人が構築した破損対応シ ステムが、整備班への出動を求めているのだ。最大 級の損害を示す深紅のサイン。その周辺に飛び狂う 虫はなんだ? 眼の中に漂う星か? 必要機材、予 想所要時間、対応人員。わかった。よくわかったが しかし、これでは動けない。 (加速を、緩めて、く、くれんことには) できない相談なのもまたわかっていた。ここで止 まれば脱出のための加速が得られない。 @ @ @ 展開チームは限界だった。ミラーの大亀裂はどう にか塞いだが、もはや全体の統一は取り戻しようも ない。群がる幾枚ものミラーが互いを追いかけるが ごとく動き、次々と生まれる小亀裂をカバーする。 しかしその動きはミラーの表面積を増やし、抵抗を 高めた。回廊は最狭部へ差しかかろうとしており、 密度の増したプラズマ流と放射線は押さえる手の下 をくぐって内部へ飛び込む。 トモカズの気配がエングラムを走った。それは感 謝、震えるような感謝を伝えた。新たなネイバーが リンクしたのだ。ミュリス・メルクリシュナウスは 照れくさそうに遅れたことを詫びた。水樹涼音を介 して、キッド・オーバーランドも触れてくる。 条之内玲もはじけるような喜びを放った。少年に リンクした神塚玄蔵は暑さと重さではなはだ不機嫌 だが、仲間への愛情はいっそう熱かった。 ミラーは結び合わされてゆく。シャボン玉のよう に頼りなく揺らぎ、しばしば破れたが、なめらかな 輝きは何度でも何度でもよみがえった。 翼を傷つけられた2隻の船は、苦鳴をあげつつも 速さを加え、まっしぐらに太陽中心核を目指す。 @ @ @ 坂咲今日至は意識を失いかけていた。 彼は保安部員であり、任務の遂行をなにより優先 させる性格だった。太陽突入直前に乗船してきた者 たちを警戒するため、今日至は、かれらが収容され た室のそばで待機していた。不運なことにその部屋 のベッドは破れており、緩衝剤が漏出したかちかち のマットレスの上で、今日至はひとり潰されようと していたのだ。 (なにか……聞こえる……夢だろうか?) ささやく。呼んでいる。誰だろう。 (……巽さん?) 巡回任務。静かな通路。彼女はいた。慣性航行中 の船に重量はない。舞うように移動する姿。会釈は しなかった。バランスが崩れるから。ただ目で、瞳 で、言葉も交わさずに。思わずふりむいて見送った 今日至はそのままくるくると回転して壁にへばりつ く。驚いたようにかえりみた彼女の笑み。いや、い や、笑みとは好意を示す言葉だ。あれは、笑いだ。 自分は笑われたのだ。恥ずかしい。巽さん。あれは 夢だった。そう思いたかった。 (呼んでいる……呼んでる? 誰だ。誰かが) 体が軽くなる。楽になる。なんだこれは。やはり 夢。それとも。熱い。エングラム。搏動。励起した 結晶に手応えがあった。高い音。接触? (巽さんっ) 《なーにが巽さんじゃ、ばかたれがあっ!》 げっ、と呻いて今日至は完全に目を覚ます。声は エングラムから走って脳に達し夢を砕いた。 《敷じいさん……いや、山岳さん》 《寝とるんじゃないぞ。出動じゃ。手を貸せ》 《出動って……》 《修理作業じゃ。体が軽いじゃろ?》 そのとおりだった。身を起こす。そのときエング ラムに触れていった感触がある。夢じゃない。 《わかったじゃろ。この船は巨大エングラムを通過 しとる。そのたび速度が落ちとるんじゃ》 《どういうことですか》 《知るか。太陽の真ん中ならこの程度のことは起こ るんじゃろうて。行くぞ。第3バルジじゃ》 @ @ @ 修羅場であった。 「こっから先はだめだ」今良大吉が整備班の面々を 押しとどめた。「プラズマが吹き込んでやがる」 「ペルセウス・ミラーを展開します」高見洋、表情 を動かさずに「オレが護ってる間に処置を」 「だめだ。ミラーなぞ気休めだ」 「なにをぬかすか。ネイバーが3人おる。そこらの ミラー使いとは違うぞ。のう今日至、洋」 「すっこんでろ! この先は人間の世界じゃねえ。 地獄の悪魔も蒸発しちまうぜ」 「耐熱隔壁さえ動かせればいいんだが」宮城鋼一が いまいましげに「作動経路がやられてな」 「無人機で作業します」恭子が進み出た。傍らでは GO次朗がへらへら笑っている。 プロジェクト・マリオネットの成果は、果敢に炎 へ踏み込んだ。それは危険地帯に入って3歩進んだ ところできりきりと踊り狂い、崩れ落ちた。 「熱」倒れた恭子はうわごとのように「熱を。どう にか。しなければ」 サイバーアクセスは、機械に人間の感覚を持たせ る。むろんそれは抽象化されており、弱められてい るが、さすがにレベルの違う温度なのだ。 「わたしにやらせてください」 コオ・フレデリックは愛くるしく笑みながら進み 出た。軍曹の異名を取る大吉が、いたいけな少女を 危地へ送り出すわけがない。彼は口を開くことさえ せず、少女を突きのけた。 コオはひるまなかった。大吉の手を掴んだ。 「おまえ」大吉はコオの手に触れた。 「わたしに考えがあるんです」 @ @ @ 俊光・プランツは工作機のコクピットで瞑目して いる。しかし彼にはすべてが見えたし、視覚を超え て伝わる情報は比べものにならぬほどあった。 俊光は青柳彼方とネイバーリンクしている。少年 は鋭い目と機敏な肉体を持ち、けれど今はいずれも 眠らせて、ひたすらに心を解放している。エングラ ムの搏動が伝わってくる。しずかに、力強く。 俊光は藤沢達也とネイバーリンクしている。達也 は恐れている。達也は耐えている。触れ合うことに 傷ついてきた男はいま、ネイバーと心を繋ぎ、すべ てを明け渡している。達也は満ち足りている。 そして俊光は、コオ・フレデリックとネイバーリ ンクしている。小柄な少女は特殊環境防護服の中で 喘いでいる。だが、少女は気丈だ。決して立ちすく むことはない。右の掌は汗ばみ、左の手は汗を知ら ずにくっきりと在る。左腕は義手だ。事故の記憶。 彼女は腕を失い、その腕が転がった先には傷ついた 子どもがいて、まだ息があって、けれどコオには心 にとめる余裕がなかった。誰にも責められないこと だ。だがコオは自分を責めた。傷の深さをなお深く 決意のかたちに刻みつけ、コオは、ここに立つ。 少女はエングラムのパワーを解放した。その感覚 は俊光にも彼方にも達也にも伝わった。かつて経験 したことのない感覚。世界が異質なものへと移り変 わるような。続く。長い。叫び出したくなる。 誰かが訪れた、と俊光は感じ、しかし確かめる間 もなく、なにかが大きく動いた。 熱が消失した。溢れかえるプラズマは瞬時に転送 されていった。定かではないが、もし、たったいま 触れてきた存在がコオのおもわく通りの相手ならば、 エネルギーは月面へと送られていったはずだ。 達也がペルセウス・ミラーを展開。活性率550 のミラーがぐいと伸びて盾となる。俊光は工作機で 飛び出した。サイバーアクセス機動。隔壁に飛びつ き、力任せに閉じる。大きく息をついた。 コオはどこだ? 《いる》彼方の言葉が届いた。少年はひとつの方向 を示した。ひとつの方向。これ以上具体的には言え ない、どこか。それは押し寄せる巨大エングラムの 向こうにあった。触れているのは、かれらだけでは なかった。 かれらは太陽中心核にさしかかっていた。 @ @ @ ミューズ・ティンバーランドは、コンタクトに備 え、ホビットにエングラム・インターフェイスを取 り付けていた。それは使われなかった。 巨大エングラムに触れるたび、幻が彼女の中に飛 び込んだ。しかしそれらは断片に過ぎない。以前、 イカロスが接触した巨大エングラムとは、明らかに 異なっている。情報の規模が抑えられていた。 ミューズは見知らぬ地球を見た。あまりにも青い 海、あまりにも広い大地。この大陸は? ただひと つ巨大な陸塊を浮かべた海、異常に広いこの海はな んだ? 埋もれていた知識が閃く。パンゲアだ。太 古に存在したといわれる巨大な陸地。なぜ? なぜ こんなものが? 眺めるうちにも大陸はじわじわと 移動し、馴染み深い地図へと近づいていく。 見えるものはそれだけではなかった。いくつもの 視点と意志と感情とが巨大エングラムに反響し、触 れる者すべてに伝わってゆく。 テレーゼ・ミュンヒハウゼンは人類の歴史を辿っ た。文明の兆し、社会性の萌芽から始まり、あらゆ る民族、あらゆる政体、あらゆる文化の誕生と発展、 混迷と没落を見た。見知った顔はいくつもあったが 知らない顔は無数にあった。世界統一政府を樹立し たケルト人。万有引力を発見した黒人。初めて宇宙 へ出た東洋人女性。光速を超えた南米の女性。 有坂真一は、テレーゼとエングラムを触れ合わせ ているにも関わらず、まったく違うものを感じてい た。彼は増殖する細菌であり、深海を漂う生き物で あり、芽吹く枝であり、受胎の瞬間であった。 時町蛍に至っては電磁波だ。彼女はオーロラとな り、虹となり、なまぬるい有機物を貫き、無辺の宇 宙をわけもなくどこまでも飛んだ。 フォヴ・ファーマシーは愛する人に再会した。コ オル・アーゼ・カミヒガシもまた喪ったひとに触れ た。過去ではない。あり得たはずの現在のかけらだ。 それらの世界でも、太陽は瀕死で、フォヴもコオル も超新星化を阻むべく奔走しているのだった。 ───そして、すべての光景の向こうには、幻の 女性の存在が感じられるのだ。 「神様……」スワン・バークレイがささやいた。 「あなたはどうしてそこにいるの?」佳凛・ヴェー ルデンが語りかけた。「ひとりぼっちで、太陽の中 で……私たちに、なにを伝えようというの?」 高い音が響き、認識のレベルが変わった。 かれらは太陽を感じた。その熱を、質量を、放射 線をニュートリノを磁場を感じた。華々しくそそり 立つ紅炎を、粘りつくように自転するプラズマ流体 の挙動を、ぎりぎりと沈み込み燃え崩れる中心核の 呟きを感じた。理解ではない。感じたのだ。触れる ように、なめるように、嗅ぐように聞くように貫く ように産み落とすように、死のように! 爆散の瞬間を思い返すのは難しい。確かに経験し たと言えるのは断片的な印象のひとつひとつだ。圧 倒的な光。解放された重元素。射出された電磁波は 広い帯域に渡っており、そのほとんどがただ一撃で 生命を奪うだけのポテンシャルを秘めていた。だが それは些細な問題である。爆発は、光の速度で地球 に達し、すべてを灼き滅ぼしてなおいささかも勢い を緩めず、宇宙を記述する法則が許す限り、無窮の 彼方までも翔り去ってゆくのだ。 曖昧なことはなにもない。最期だ。ただそれだけ だ。ひとつの恒星系が動から静へと移行し、永遠も 不変も夢物語に過ぎず、やがてどこかで新たな星が 生まれ、なべて宇宙はこともなし。 そうとも。死ぬのだ。みんな消えてなくなるのだ。 徹底的に、きれいさっぱり、燃えて灼かれて灰さえ 残らない。すばらしい! たったふた月後だ! 「やめろ」トウショウ・ナナクサが呻く。「やめろ よ。防げるんだろ? 手はあるんだよな?」 爆発の瞬間がよみがえった。 「違うよ。これじゃないよ。別の未来だ」 爆発。繰り返す。 「……防げないのか? あんた神様なんだろ」 爆発。何度も、何度でも。 「ふざけないで」リンダ・イフェア、絶叫。「なぜ 呼びつけたの。こんなものを見せるため? 私…… 私、死にたくない。こわい。こわいよ。どうすれば いいの? 教えて。太陽を助ける方法を!」 ひときわ高い音が響き渡った。遮られた、と感じ た。何者かが強烈な意志を放って割り込んだ。 その瞬間かれらはふたつの人影を見た。 いずれも女性。ひとつはシルエット。ポニーテー ル。ひるがえる長いスカート。 もうひとつは鮮やかな美貌を持つ全裸の女。間違 いない。ケイト・スペンサーだ。彼女はシルエット に指をつきつけて叫んだ。声は聞こえない。だが、 知っている。その言葉は誰もが記憶している。名前 だ、誰かの。なんだ? なんと言った? 真っ白なものが視界を覆い、女たちを隠した。 ミューズは───そしてエングラムに触れていた 人々すべてが、さわやかな風を感じた。 @ @ @ ブリッジに穏やかな光が溢れた。 グワイヒアのクルーたちは言葉を失った。 青空を飛んでいた。してみるといましがた抜けて きた白いものは雲か。眼下にはしたたるような緑が 広がっている。はるかな草原、豊かな森。縦横に流 れる川筋にきらめきが躍る。───光はどこから射 すのだろう? 見上げれば空は果てしなく高く、い ずこからともなく入射する光線が白雲を横切って、 ヤコブの梯子のごとく列を成している。よく見れば 大地はゆるくカーブしており、そのところどころか ら光の柱が立ち上がっていた。 楽園は球の内側に在った。太陽空洞世界! 「夢……か?」坂堂巽がつぶやいた。 「各種センサー、すべて反応」ラナ管制官はこの期 に及んでもなお冷静に「現在、大気圏を航行中。ち なみに本船は気圏飛行性能を持ちません」 「解ってる! 降りるんだ、あの湖へ!」 「了解や。揺れるでェ。舌咬まんといて!」 「ペルセウス・ミラー消滅しました」 「イカロスの連中は無事だ。疲れて死んでる!」 「湖面まで15秒。14。13」 「整備班より緊急連絡。第3バルジ跡の亀裂部分よ り女性1名が落下。ケイト・スペンサーのクローン 培養体と思われます」 「わかってる。整備班に対衝撃防御を指示」 「ねえ、あの湖……光ってる」 「2。1。着水」 衝撃。大量の水煙。グワイヒアはいったん水没し、 右に三〇度ほど傾いて第1バルジを沈め、第3バル ジ跡を上にしてゆるゆると浮き上がった。ぽっかり と浮いたイカロスの銀の船体に、虹がかかった。 「着水完了。船体、安定しました」 「各部、損害を報告。整備班、医療班はサブブリッ ジからの指示に従ってください」 @ @ @ ……オレが執刀します…… その声を、コオはぼんやりと聞いた。ああ、生き ている。熱い。傷を負ったのか。みんなは。いる。 気配がする。持ち上げられた。運ばれていく。重力 のある場所だ。どこだろう。 目を開けた。光の躍る湖面。陽射しだけではない ようだ。水底に、なにかが───。 充たされた思いを抱いて少女は、ふわふわと漂う ように意識を失ってゆく。 @ @ @ 「全然だめだ」レイ通信士がヘッドセットをかなぐ り捨てた。「つながりません。マルチウェブへのア クセスも、ホビット同士の連絡まで死んでます」 「ネイバーリンクは生きてる」トモカ通信士、さす がに疲れた表情で「ジェニーの声は聞こえねえ。バ ルカンとじゃ、距離が離れ過ぎちまったかな」 「機関部より連絡」クレア管制官、弾む声で「ユィ 保安部員の意識が戻りました。エングラムの展開に ついてはもう少し経過を見てからとのことです」 坂堂巽は傾いたシートのひじ掛けに尻を乗せ、報 告を聞いている。ちいさく吐息をついた。 美加・ヴァンペルトが飲み物のチューブを差し出 した。巽は受け取り、匂いを確かめた。 「あの……お茶ですけど……」 「え? ああ、ごめん。このごろ妙に薬臭い食べ物 が出てくるもんだから」ひとくち吸って、つくづく と眺めた。「上と下のある場所だと無粋に見えるね、 これは……。どう、飛び立てそう?」 「任せてくだサイ。海賊仕込みの腕を見せマス」 エドワード・リプトン操舵手が自信たっぷりに言 い切った。が、彼の後ろでは航法、操舵、機関など のスタッフが深刻な表情で額を寄せあっている。顔 を上げたのは愛美管制官だ。 「とても無理です。そもそも揚力を得ることを想定 した設計じゃありませんし。どうしましょう?」 「飛ぶの! なにがなんでも飛び立つのよ! でな いとわたしの活躍が! 見せ場がなくなるわ!」 いちいちポーズを取りながらわめきたてたポニー テールの少女はネイ・ド・ハルマゲドン。火器管制 官である。そのありさまから眼をそむけて、金星帰 りの新任ガンナー楠木恭一郎は、軽く舌打ち。 「フェデレーション随一の戦闘艦かよ、これが」 もうひとりのガンナー、那牙月・リエ・キャロラ インは、さきほどからすやすやと眠っている。 「肚が座ってんだか、呑気なんだか……」 「艦長代理」リンダ監視員が身を乗り出した。「煙 です。ここから1キロほど川沿いに行った所に」 「煙……。わかった。調査隊を出そう。マギー、そ ちらの人たちにも出発を許可します。ただし我々の 保安部員と同行すること」 「例の培養体ですか」ラナ管制官が尋ねた。 「捜索に行くといってきかない。マギーったら…… 他の人たちを押さえられるかな?」 @ @ @ 太陽空洞世界調査隊の一行は先を急いでいた。不 意に立ち止まった。先頭のジャック・ハミルトン保 安部員が磁気ライフルを構え、目を細めて、前方の ようすをうかがう。つぶやいた。 「……行こう。仲間だ」 川沿いの地面に尻を落としていたデイアス・ロー が、ばつの悪そうな表情で立ち上がった。その傍ら では、みたらいだいすけが、山のような武器を携え て汗だくになっている。 「やあハミルトンさん。早かったですね。こっちは ごらんのとおりボロボロですよ。はははは」 「どういうことだ? みたらい保安部員、他の人た ちはどうした。離れるなという指示だったろう」 「ケイト・スペンサーを追っかけるんだ〜って、あ の森へ入っていきました。いちおう武器は渡してお きましたが」 「そういう問題じゃないだろう……」 「だって追いかけるわけにもいかないじゃありませ んか。ホビットもだめだし。ここで待ってれば後続 隊が来るからって、ねえデイアスさん」 「危険も感じなかったしね」デイアスはゆっくりと 周囲を見回す。「気づいてましたか? ここ、生き 物がいないんですよ。鳥も、虫も、その川にも小魚 の影さえ見えないでしょう」 「植物はどうなんだ」 「そうですね。それはたくさんあります。でも」 デイアスは一輪の花を手折った。草の匂いがたち のぼる。だが青年の手の中で、花はみるみる現実感 を失い、光の粒子となって消え去った。 「VR映像じゃありません。これは現実で、この花 は生きてた。でも、私たちが理解している世界とは、 明らかに違います」 「彼女が───」クェイス・フォーントンが厳しい 表情で「私たちをここへ招いた存在が、このすべて を、創ったのですね?」 「その可能性はあるでしょう」 「あそこに」上総野信介、煙を見やって「おられる のですかな? その女性(にょしょう)は」 「行こう」アリアバート・グランチェスタ保安部員 がうながした。「お目にかかってこようじゃないか、 女神様の御尊顔に」 「だが、ケイト・スペンサーを追った人たちは」 「放っておけ。この世界が女神のものなら、俺たち に悪意を示す理由がなかろう?」 「ほほっほう! 諸先生方、ごろうじろ」九坂巽が宙 を仰いで陽気な声をあげた。「お迎えだ」 エングラム結晶が浮かんでいた。きらりと光った かと思うと、少し離れた場所まで一瞬で移動し、そ こで静止。ついてくるのを待つかのように。 導かれるままにかれらは急いだ。 やがて草原に出た。木造の小屋が建っているのが 見えた。屋根には煉瓦の煙突。風が草原を渡り、薄 い煙をたなびかせてゆく。かれらは予感に胸を震わ せながらひたすらに歩いた。 小屋のそばまで来ると、エングラム結晶は宙に立 ち止まり、ちかちかと光をまたたかせた。 小屋の扉のあたりに新たなエングラム結晶がいく つも現れた。応えるようにきらめきながら、左右に 分かれ、道を作る。そして扉が開いた。 現れた女性を見た瞬間、信介がつぶやいた。 「フェイドラ……」 彼女は打たれたように顔を上げた。ポニーテール が風に揺れ、清楚なスカートが膨らむ。フェイドラ。 まさしくそのとおりだ。人類史上もっとも知られた 少女と言われるインターフェイス・プログラム、そ の憂いを秘めた面影───いま、かれらの目の前に 立つ女性は、その人の顔かたちを持っていた。似て いるのではない。彼女こそが、フェイドラだ。 彼女は表情を緩めた。苦笑が浮かび、こころもち 伏せ気味にした眼には憂いの陰がたゆたう。 「……フェイドラ……そう、そう呼ばれているのよ ね。ガンサーのせいだわ」 「オヌシは、オヌシはフェイドラではないのか」 「わたしはフェドーラ(Fedora)。言ってみて」 「……フェ……フェドーラ?」 「そう、フェドーラ。フェ、ドー、ラ。あの人った らどうしてもうまく言えなかったわ。おかげで変な 発音が広まってしまった」 「ちょーっと待ってくれよォ。ガンサー? それァ つまりガンサー・ラウルのことか?」九坂巽はくわ えていたペンを取り、メモを始めた。「てェことは お嬢さん、あんた彼を知ってる?」 「ええ。よく知ってるわ。彼は元気?」 「死んだよ。まさか、どっかに生きてるのか?」 「いいえ。確かにガンサーは死んだけど。……中へ 入りましょう。コーヒーぐらい淹れるわ」 小屋は清潔で、余分なものはなにもなかった。暖 炉に揺れる炎。それをのぞき込んだデイアスが声を あげて跳びのいた。彼の足元に、ふさふさした黒い 犬が寝そべっていた。牙を剥いて低く唸った。 「機嫌が悪いみたいね。そっとしておいて」 「あの、こいつ、急に出てきたよね。パッと」 「いつものことよ。そのうちいなくなるわ」 フェドーラは微笑みながら手を伸ばした。そこに ポットが現れ、人数ぶんのマグが現れた。 「おみごと。さすが女神様でらっしゃるねえ」 「女神……そうね。わたしが神様だったら、もっと お役に立てたんでしょうけれど。でも、ただの人間 よ。だからこんなに待たなきゃいけなかった」 「さっぱりわからん。オヌシ何者だ。フェイドラと は、いわく因縁がありそうじゃが」 「フェイドラは……わたしをモデルにして構築され たの。わたしの娘たち」 「せんだってのメッセージでも、そうおっしゃって ましたね」クェイス、鋭く「君が、私たちをここへ 招いたのですね。わけを教えてくださる?」 「まだわからないの? 太陽は、超新星となって、 滅ぶわ。地球も消え去る。見たでしょう、回廊の中 で、最期の瞬間を! 時間がないの。逃げて。逃げ て。今ならまだ間に合うわ」 「間に合う? なんて結構なこと。フェドーラ、君 はガンサー・ラウルを知っているようね。君は彼と 同じ時代に生きたのでしょう? その君が、なぜ今 になってここに現れ、間に合うの間に合わぬのと賢 しげに! フェドーラ、君は、君たちは、知ってい たのでしょう? 太陽が滅びを迎えることに30年 も前から気づいていたのでしょう?」 「100年よ。100年待って、ようやく伝えられ るだけのエネルギーが蓄積されたの」 ひやりとした風が足元から吹き抜け、小屋の中が 星空に変わった。熱い。エングラムが猛り立つ。そ の激しい明滅に応えるように、星が、すべての星々 が、かれらの周囲をきらきらと駆け巡る。 「わかる? これは星ではないの。今のあなたたち が知らないルールに従って再構成された、宇宙の姿 よ。この世界には、あなたも、あなたも、あなたも 存在している。記述の方式が異なるだけなの」 「なんのこったかわからねえよ。別世界がどこかに あって、あんたはそこの主だ。そうだろ?」 「違うわ。宇宙はひとつしかない。どのレベルで認 識するかが問題なの。あなたたちの宇宙は物理法則 で記述されている。光がすべてを決定づけている。 いま、あなたたちがいるこの場所で、記述の基本と なっているのは───情報よ」 「情報?」 「正確な表現ではないわ。適当な語彙がないの。命 名するなら───コギトン(cogiton/考子)?」 「おお、おお、さもありなん。フェドーラ、オヌシ 確かにフェイドラの母じゃ。プロジェクト申請を通 すとき、あの子はいつも勝手に名付ける!」 「信介さん、お静かに。フェドーラ、続けてくださ るかしら? コギトンで記述される宇宙とは、どの ような世界なのでしょう?」 「もう見たはずよ。ここへ来る途中、ゲートをくぐ り抜けるときに。そこではすべてが存在する。時間 さえも相対化される。あなたたちが見たのは幻想で はないの。あの瞬間、確かに存在した事象なの」 「わからない……パラレル・ワールドか?」 「そう考えてもいい。正確じゃないけれど。ああ、 見せてあげられたらいいのに」 「教えろよ。そのために招いたんじゃないのか」 「だめよ! 知れば知るほどコギトンが凝集して、 ラプラビティ(laplabity/因果力)が発生するわ。 過去も未来も無限に存在する、でもたった今は、ひ とつしかない。そしてひとつで充分なの。すべてを 知ればすべてを背負うしかなくなる。抜け出せなく なってしまうわ。わたしのように……」 星々が音をたてて飛んだ。それはかれらのエング ラムを貫き、高い音と一瞬の幻を残して去った。か れらは感じた、フェドーラの日々を。太陽の滅びを 回避する道を探し、情報世界へ踏み込み、数知れぬ 過去と未来を訪ねた記憶。物理世界の時間で測れば 100年に達する遍歴の、切り刻まれた断片。 「わたしは過去も未来も無数に経てきた。ひとつの 過去を辿るたび、ひとつの未来をかいま見るごとに、 わたしの今はがんじがらめに縛られていった。知れ ば知るほど、わたしという存在は、自身では支えき れぬほどの重さを背負ってしまった。ラプラビティ は可能性の多様さを意味しない。振り捨てられない 事象を抱え込んで動けなくなるだけなの。知ること はコギトンのポテンシャルを高める。いま、わたし がひとつの未来を選ぶためには、他のすべての未来 を消し去るだけのエネルギーが必要になる。過去を 否定するにも同じだけのパワーが要るわ。わたしは 全知の女神かも知れない。でも、なにひとつ、選べ ない。なんて無能な女神!」 「……なぜ、太陽の中にいる?」ジャック保安部員 がかすれた声で尋ねた。 「望んだわけじゃないわ。引きずり込まれた。ここ がラプラビティの集中する場所だったから」 「それじゃ超新星化の原因は」だいすけ保安部員が 叫ぶ。「コギトンの凝集によるものですか!」 「そうよ。太陽は人類すべての営みを見守り、育ん できた星。誰もがそれを仰ぎ、讃え、畏怖し、崇拝 した。太陽神を持たない文化はないでしょう? だ からこそ、歴史上初めてのコギトンの凝集崩壊は、 太陽で発生してしまうの。人類が知性を獲得し、知 的活動によって情報世界の法則を書き換えるように なったとき、宿命として定められた最期なの」 「なにが宿命だ」九坂巽、咆哮。「信じられるかよ。 知恵を授かったのは滅びるためじゃねえ。先へ先へ と行くためだ。諦めてたまるか!」 「わたしもそう信じた。だからこそ100年かけて 出口を探したわ。でも……だめだった。どの世界も、 どの明日も、どの結末も同じだった。太陽は滅びる わ。くいとめることはできない。だから、わたしは あなたたちを呼んだ。せめて人類だけでも生き延び てほしいから。───これを見て」 かれらは太陽空洞世界の中心に漂っていた。遥か に広がる美しい大自然の、その片隅が変質した。ゆ るやかに立ち顕れる不思議な輝き。エングラム。ペ ルセウス・ミラーだ! 「この場所はエングラムで創られているの。あなた たちがここへ来るとき使ったものと同じ……けれど 性能は比べものにならないわ。活性率と関係がある の。ペルセウス・ミラーは境界面に情報世界との接 点を作ることで物理的な現象を遮断する。活性率さ え高ければ、遮断ではなく、反射も可能よ。これを 使えば超新星爆発のエネルギーを反射できる。その 勢いに乗って加速することだってできるわ」 「エングラム……」クェイス、呟く。「これも情報 世界にかかわるものでしたのね?」 「そうよ。物理世界と情報世界をつなぐ、窓のよう なもの。活性率が充分に高ければ、情報世界の法則 を用いて、あなたたちの物理世界に影響を及ぼせる の。さあ、伝えたいことは、これで全部……」 「待ってください」デイアス保安部員。「とっても 勉強になりましたけど、でも……いいんですか、こ れって? フェドーラさんは、私たちにたくさんの ことを教えてくれた。てことはつまり、教える、と いう未来を選択したわけですよね? その他の未来 を捨ててまで、そうしたわけですよね?」 「ええ、そのとおり。ラプラビティを振り切るため に必要な巨大なエネルギーを蓄えるのに、ずいぶん 手間取ったわ。だから100年も」 「ああ待って、待ってください。そうだよね……他 の未来は捨ててきた……てことは……フェドーラさ ん。いま、あなたと私らが出会っているこの“今” という瞬間は、あなたでさえも知らなかった。そう でしょう? じゃ、この先どうなるか、誰にも確か なことは言えない。違いますか?」 「それは……それは、そうだけれど……」 「デイアスどののおっしゃるとおりじゃ」信介、腹 の底から吠える。「フェドーラ、オヌシは100年 をさまよい、ことごとく滅びを見た。なれどワシら は諦めまいぞ。オヌシが達せなかった望み、この先 へ進めば見いだせるやも知れん!」 フェドーラは言葉を失った。ひとりひとりの顔を じっと見た。瞳、たとえようもない憂いに沈む瞳に、 きらめきが宿った。それは風に吹かれて散った。 「ガンサー……あなたの子どもたちが、ここにいる わ……。あなたは……今も、元気そう……」 いくつものエングラム結晶が飛来した。かれらを 取り囲み、きらりと光った。 次の瞬間、かれらはイカロスの上に立っていた。 九坂巽が足を滑らせ、全身でへばりつく。 「ななっ、なんだなんだっ!?」 「女神の魔法をごらんにいれるわ」 フェドーラは両手を胸の前に浮かせた。掌の間に 淡い光が生まれ、搏動を始めた。それをイカロスの 銀の肌に触れさせる。光は船体に吸い込まれた。 「情報世界の法則を宿らせたわ。この船は、ペルセ ウス・ミラーを開くとき、いままで以上に力を出す でしょう。そしてその力は、ネイバー同士が手を結 びあうとき、何倍にも高まるでしょう」 「どうすればいいのです。まさか逃げろと」 「あなたたちはそれを望まないのでしょう? ひと つだけ……方法があるかも知れません。この場所、 太陽空洞世界を、外側に作るの。いくつものミラー を結びつけて、巨大なカプセルにして、太陽を封じ 込めてしまうの。そうすれば……物理世界側からコ ギトン凝集崩壊───太陽の超新星化を、ねじ伏せ られる可能性があります」 フェドーラは天を仰いだ。空洞世界に不吉な軋み 音が響き始めている。 「お別れだわ。いまの魔法でなにもかも使い果たし たみたい。ここは崩れる。早く脱出を」 「フェドーラ、オヌシも一緒に」 「わたしも消えるわ。捨ててきた過去と未来が呼ん でるの。このまま存在を続ければ、わたしがコギト ン凝集の中心になりかねない」 「フェドーラ」 「ガンサーに伝えて、いつまでも元気でと」 「フェドーラ!」 イカロスとグワイヒアを浮かべた湖面が波立ち始 めた。水底から光が昇ってくる。それはガラスの鈴 のごとき音をたてながら群れ集まって、ひとつの大 きなエングラム結晶をかたち造った。 フェドーラは宙に浮き、そっと手を振った。 そのとき彼女の後ろに影が飛んだ。人。女。全裸 の。ケイト・スペンサー! 「ガンサーは渡さないわ。あの人は、あの人は」 おめきながらフェドーラの首を絞め上げる。 追ってきた者たちがなにか叫んだ。 フェドーラが手を閃かせた。エングラム結晶が走 り、取り残された者たちを囲んだ。次の瞬間、かれ らは消えている。グワイヒアの中へ転送された。 ケイト・スペンサーはフェドーラの頸に牙を立て た。叫び、細く高く震えて、一瞬の。 湖面が輝いた。すべては光に隠された。 2隻の宇宙船は太陽回廊へ再突入した。 @ @ @ 弾き出されるように宇宙空間へ飛び出したグワイ ヒアは、強烈な衝撃波に揺さぶられた。 「重力波確認」愛美管制官、振り絞るように。 「大黒斑が」リンダ監視員、眼を覆って、あとはも う言葉にならなかった。 太陽表面を黒々と染めていた色が、みるみるうち に失われてゆく。輝きが戻ってきた。すべてを照ら し出す、容赦のない光が。 「前方軌道に戦闘艦」ラナ管制官。「機構軍、デー モン・ラウル艦隊です」 「待ってましたわっ」ネイ火器管制官、マイクに向 けて高笑い。「戦闘開始ですわっ。イカロス、分離 します。乗り換えは大急ぎでお願いねっ」 @ @ @ 「冗談はおやめ」アネット船長が叫ぶ。「グワイヒ ア! 撃つんじゃないよ。あんたたちはフェデレー ションの顔だ。ここで殴れば、向こうが正しいこと になっちまう。こらえるんだよ!」 征矢司がシートを立った。エアロックへ向かう。 扉に耳をつけた。ぐいと押した。開かない。殴りつ けた。勢いよく開いた。 イーディスが立っていた。顔をそむけた彼女を、 蜜子がむりやり押し込む。他にもどやどや乗り込ん できた。バーツ記者が鼻をひくつかせて、 「なんだかくせえな。シャワー浴びてるか?」 「ちょっと待ちな。収まりゃしないよ」 「もたもたしてると切り離されるぞ」 「どいつもこいつも血の気が多いねっ」 アネットは送信ボタンを叩きつけた。レーザー通 信回線。太陽回廊内部での調査結果をバルカンに送 ろうとした。だがペルセウス・ミラーが遮った。 アネットはレディにあるまじき言葉を吐いた。そ してきっぱりと告げた。 「こうなりゃ突撃だ。グワイヒア! ミラー解除す るよ。あんたがたはとっととお逃げ。データの送信 は頼んだよ。くれぐれもケンカは禁物だからね」 @ @ @ 「しかし、バコ船長」 『ミス・アニーだ! いいかい、イカロスにゃ魔法 がかかってる。たとえすっぴんでも、守るだけなら あんたがたより頑丈さ。ひとっ走り飛んで、ウェブ にデータを乗せといで。フェデレーションは情報の 独り占めなんかしないってこと、地球の連中に、き ちんと判らせるんだよ!』 「……イエス・マム」坂堂巽は帽子を取った。「ど うかご無事で。またお会いしましょう」 両船は分離した。イカロスは大加速を維持したま ま敵艦隊へ突入していく。それは脅威であった。太 陽観測船の装甲は質量兵器にさえ太刀打ちできるレ ベルである。止めようがなかった。 傷ついたグワイヒアは許す限りの速度で戦場を離 脱し、バルカンを、人間の世界を目指した。 「つまんないわっ」ネイはたいへんご立腹だ。 「しかし妙だぜ」恭一郎が呟く。「敵さんも逃げて いく。そういや……なんだか一戦交えたみてえなザ マだな。ドンパチやらかしたのか?」 ───大黒斑の消滅に際して発生した光輪がデー モン艦隊を直撃し、多数の被害を与えたことを、か れらは知らなかった。それを知るには、バルカンが 制圧されたことを知り、やむなく火星基地への帰途 につくまで待たねばならない。 @ @ @ 「……落ちてしまったのね」 マルチウェブのホットニュース系の番組で、マー キュリーステーション“バルカン”制圧のニュース が流されている。ホロ映像をふんだんに使ってバル カン“開放”をうたっている番組すらある。 「クソッ! ざけんじゃねぇ!!」 主パイロット席のヒロが、苛立たしげにコンソー ルを殴る。アネット船長が軽く溜息をつく。 「壊さないで。世界でひとつしかない船よ」 「これを見て悔しくねーのかよ、マム!」 聞こえていないわけがない。だが座席に身を沈め るようにして、軽く目をつむっている。やがて静か に、ほんとうに静かに、こたえる。 「“あそこ”では、“それ”が命取りになることも あるの。あなたも自分の中に、どこか冷めた部分を 残しておくようにしなさい」 ふてくされたように舌打ちしながら、前に向き直 るヒロ。ディスプレイをウェブから航行表示に切り 替える。見れば不愉快になるのか。 「デーモンのやつ、なに考えてんだろう。まるで滅 びることを望んでるようだぜ」 舞のつぶやいた言葉に応える者はなかった。 (……この位置なら、ビーナスステーションに向か うことも可能なのね……) 宙図に切り替えたディスプレイを見ながら、ぼん やりと考える。随分昔に染み込んだ癖。自分の船が どこまで飛べるかを、常に把握しておく。他に頼る もののない宇宙では生死を分ける癖だった。 (……“バルカン”に戻れるのは当然ね。ただ、ま ともに帰ったら、この船を接収される……) そこまで考えを進めて、溜息をつきながら瞑目す る。知らず、アネットの口から言葉がこぼれた。 「……“希望”を、持って帰ってきましたよ」 太陽超新星化まで続くカウントダウン。 翼持つ人々は巣を失った。かれらは、どこへ? 《次回プロローグ》 ユン・カーレンリースは大きく口を開けて舌を突 き出し「あ〜〜〜……」と声を長く引いた。ちらり と眼を動かした。点目になった。 祀真鴨はペンライトでユンの喉仏を照らしながら、 あさってのほうを向いている。 「真鴨ちゃん」舞木三郎がにこにこしながらたしな めた。「患者さんが苦しそうだよ」 「えっ。あ、ごめんなさい……」 「かまいまへんけの(構いませんけど)、へんたい こほ(先輩こそ)、ないにょうむねふか(だいじょ うぶですか)?」 真鴨は応えなかった。手からペンライトが落ちた。 グワイヒアは慣性航行中であるが、メディコは重力 ブロックに置かれており、Gがあった。 「真鴨」カンル・シャクドウが傍らに立つ。「艦内 検診を言い出したのはお前だろ。ちゃんとやれ」 「だって」少女の眼に涙が溢れた。「だって、太陽 が消えちゃうのよ。たったふた月後に!」 「ん……そうと決まったわけじゃ」 「うそ。言ってたもん、フェドーラさんが。こんな こと無駄だよ。検査なんか……」 「真鴨」肩をつかみ、揺さぶった。「しっかりしろ。 信じろ。俺たちにはできる。だからフェドーラも力 をくれたんだ。自分の抱えられるものなんてほんの 少しだ。けど、手が届くなら、変えられる」 「届くの? 遠いよ、とっても遠いよ」 「手を伸ばせ! 俺たちは星にまで届いた。明日に だって、きっと届くさ」 @ @ @ 坂堂巽には懸案事項が山ほどあった。バルジの修 復、艦首ジョイントの撤去(これをやらないと内火 艇が使えない)など、改装にかかわることも多い。 しかしもっとも頭を悩ませているのは、艦内の指揮 系統に関することだった。 (確かに、チーフを置く必要はあるかな……) デイアス・ローから提出された保安部再編の提案 は理にかなっていた。確かにそれはフェデレーショ ン的ではない。かつて地球は「非効率」「無軌道」 とフェデレーションを非難した。宇宙を制したのは かれらではなかったのだから、胸を張るべきはガン サー・ラウルであり、その後継者たちなのだ。しか し、ことグワイヒアを切り回すという一点において、 坂堂巽はひとつの限界を感じてもいるのだった。 (艦長なら、なんと言うだろう) 火星から通信が入ったのはそのときだった。 画面に現れたアリ・イブン・ザイードは憔悴して いた。眼光は力を失っていない。しかし、その眼は ひどく静かだった。 「悪い知らせだ。フォボス基地で建造中だったグワ イヒア級2番艦シャドウファクシが、テロリストに 強奪された。やつらは、艦内にいたクルーを、皆殺 しに」声が詰まった。「───グワイヒア、俺の雛 鳥たち。次の任務を伝える。シャドウファクシを沈 めてくれ。やつらに追いつける船は、おまえたちし かいない。おまえたちにしか、できない」 鷹はいっきにそれだけ告げると、ふと柔らかな眼 になった。語りかける声。しずかな、とてつもない 理性を感じさせる声。 「通信というやつにはタイムラグがあるのが厄介だ。 おまえたちの声を聞きたかったがな。雛鳥たち、俺 は責任を果たさねばならない。これでも俺は自分の 値打ちを買っているつもりだが、どうにも根っから の軍人でな。おめおめと生き延びるのも業腹だ。雛 鳥たち、悲しむんじゃないぞ。俺は敗れた。それだ けのことだ。いいか、負けるな。勝て。勝ち続けろ。 そしてどこまでも飛んでいけ。俺が届かなかった星 まで、遠い遠い高みまで達してくれ。さらばだ、俺 の雛鳥たち。おまえたちは最高の鷹になれ」 ───この通信のあと、グワイヒア艦長アリ・イ ブン・ザイードは自決した。享年36歳。激動の中、 またひとりの英雄が去っていった。 (つづく) ─────────────────────── 《お知らせ》 ○イカロス号&タロス号が、来月“バルカン”に戻 るか金星に向かうかは、クルーのリプライによって 決定されます。現在イカロスに乗り込んでいるのは、 アネット・バコ(00829-03)、ヴォーチャ(00699- 01)、フランシスコ・ギレド(01573-01)、征矢司 (01753-01)、天羽ヒロ(00992-01)、ナターシャ・ テレニコフ(00149-02)、彩子・ヒュッケンバーグ (03295-01)、狩野舞(00794-01)、蜜子・G・グ ランディ(00351-01)、条之内玲(00497-02)、シ ュネー・フレーゼ(05158-02)、レイ・ファルザン グ(03394-01)、ミューズ・ティンバーランド(02 161-01)、フォヴ・ファーマシー(03114-01)、バ ーツ・ドルド(06076-01)、上総野信介(00515-01) 、クェイス・フォーントン(06155-02)、九坂巽( 03139-01)、イーディス・スクアズビー(NPC) です。またジャンニ・アスカリ・菅原(06658-01) は個人の小型艇で同行しており、希望するならイカ ロスに乗り込むことが可能です。 ○今後イカロス号でエングラム技能を使用する場合、 活性率が+500されます。 ○コオ・フレデリック(06263-01)は重症を負い、 肉体の40%をサイバネティクス化されました。希 望するならクローン再生が可能です。 ○PC設定は、なるべく毎回、リプライに付けてく ださい。今回のネットゲームでは関連シナリオのリ プライにも目を通す場合が多々ありますので。 ○ご質問にお答えします。 Q.遅刻リプライの扱いはどうなるのか。 A.基本的に、選択肢を担当するマスターのもとに は届きません。自動的にグワイヒアのリアクション にふりわけられます。今月はEメールリプライのト ラブルなどをかんがみて、2日到着ぶんのリプライ までを対象にマスタリングされています。郵便事故 や選択肢、データ記入のミス等も見受けられるよう です。くれぐれもご注意を。 Q.口調、性格などが、設定と違う描写だが。 A.それはあなたも知らなかったPCの一面なので す。たとえば男性口調の女性キャラを例に取れば、 彼女がなぜそのような口調なのかをマスターは理解 し、そのうえで、女性的な印象の言動をとるほうが ふさわしい場面と判断すれば、そのように描写しま す。納得がいかないのであればご指摘を。 Q.なにをすればいいかわからない。PCにまず居 場所を与え、そのうえでリプライを求めるほうが初 心者向けと言えるのでは? A.この選択肢を選んだ方々にはグワイヒア乗員と いう立場が与えられています。さらに様々なポスト も用意されています。あとは、あなたが、これらの 手がかり足がかりをいかに使うか。もっとも大切な のは想像力です。がんばってください。