『N98 星空までは何マイル?』は、(株)遊演体の著作物です。
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(株)遊演体の定めた規則により、二次使用を固く禁じます。

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■No.08180「風早彦、影を追う」
GM:星空めてお 担当マスター:茗荷屋甚六

 このリアクションは選択肢180を選んだすべて
の方に送られています。
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《前回のあらすじ》
 グワイヒアは、イカロスを伴い、太陽の調査に赴
いた。大黒斑から突入したかれらは巨大エングラム
に接触し、太陽超新星化の幻を見る。どうにか到達
した太陽中心核には、空洞世界が広がり、不思議な
女性フェドーラが待っていた。フェドーラは語る。
情報世界と、それを律する要素コギトンの凝集が、
太陽に超新星化をもたらすと。エングラムを用いて
地球脱出をと呼びかけるフェドーラ。しかし、地球
を見捨てず、わずかな可能性に賭ける決意を固めた
人々を見て、彼女は最後の力を振り絞ってイカロス
に魔法をかけた。エングラム壁を連ね、太陽を包み
込むことで、運命は回避できるかも知れない!
 太陽を脱出したかれらを待つ運命は苛酷だった。
イカロスは帰る港を失った。元艦長ザイードを失っ
たグワイヒアには、テロリストに強奪された2番艦
シャドウファクシを撃沈せよとの指令が!


 フォボス宇宙港のドックから騒音が退いた。
 最上ちはや医療班員は敬礼した。彼の傍らに並ぶ
雛鳥たちは十数名。さらに続々と増えている。みな
声もなく集まってきて立ち止まる。自然に生まれた
道の真ん中を、柩は、粛然と進んだ。
 アリ・イブン・ザイードの遺体に検屍解剖の痕跡
は残されていなかった。柩を埋めた花と傾けられた
ベレーが、こめかみの銃創を隠している。
 誰もが言葉を失っていた。グワイヒアの補修作業
も中断している。押し殺した嗚咽、柩を運ぶ者たち
の足音、広いドックに響くのはそれだけだ。
 だが、ちはやのエングラムには、渦巻くような感
情が伝わっていた。むろん言葉ではなく、明瞭でも
ない。あえて名づければ、割り切れなさか。
 柩に付き添っていた銀髪の中年男性が、坂堂巽の
前に立ち、敬礼した。低く言った。
「ザイード艦長をお連れした。葬儀の責任者は」
 巽がうなずいたのを見て、ちはやは進み出たが、
それきり動けない。声が詰まった。隣にいたレアン
ダー・マクウィルクスが肩を叩いてくれた。彼は落
ち着いた口調で銀髪の男に言った。
「グワイヒア・クルーとして感謝します。みごとな
エンバーミングを施してくださいましたね」
「医療スタッフに伝えておこう。私は彼を送り届け
たに過ぎない。……葬儀はいつになるかね」
 レアンダーの手が肩を強く掴んだ。ちはやは眼を
こすった。銀髪の男がにじんで見える。
「任務完了後に、宇宙葬を行います。ザイード艦長
には、我々とともに、最後の……飛行を……」
「ぜひ私も同行させてもらいたい」
 誰かがさっと前に出る気配を感じて、ちはやは涙
を拭った。その腕になにかが当たった。三つ編みに
束ねた髪。それでシエロ・ノマドだと判った。
「すまねえな。握手の前にエングラム・チェックを
さしてくれ。ユッキー、頼む」
 雪之丞が無言で手をさしのべる。銀髪の男は即座
に応じた。触れあうエングラム。高く澄んだ音。
「最初に名乗るべきだったな。私はドワイト・マッ
ケンジー。娘さん、きみは詮索されるのを好まぬよ
うだな。誰かに替わってもらうほうがいい」
 雪之丞は頬を染めた。ちはやは彼女の前歴を知ら
ない。彼女自身が語らないのだからあえて問うのは
非礼だ。しかしエングラム・チェックを行う際、読
み取るだけというのは不可能である。
 シエロが表情を動かした。彼の左頬、というより
顔半面を覆うように、エングラムが励起した。
「ユッキー、もういい。俺がやる」
「平気です。それに、こちらは怪しい方ではありま
せん。乗るはずだったのですね、あの船に」
「見つかりました」イズミ・スタイリー保安部員が
ホビットから顔を上げて「ドワイト・マッケンジー
さん。確かにシャドウファクシ乗員として登録され
てます。当日は乗ってらっしゃらなかった?」
「不覚だよ。私がいれば防げたとは言わん。しかし
死ぬべきは私であって、彼ではなかった」
 ドワイトの視線はザイードのおもてに落ちた。
「存外だらしねえ……あっさり死んじまって」
 アルフレッド・ヨハン・フロストの声はひどく大
きく響いた。彼は柩の縁に手をついた。
「あんたは……ずっとずっと先を飛んでたぜ。余裕
たっぷりにな。追い越してやろうと思ってたのに、
勝手に消えちまいやがって……い、生きてりゃ……
生きてりゃ、雪辱だって……」
「冷静になろう」クラウディア・トッツィーニ操舵
手が割って入った。小指に添え木の当てられた右手
を高く掲げて「彼の死を論ずるのはやめよう。我々
が果たすべき任務はシャドウファクシの追跡だ」
「追跡?」リーナ・ラスティン航法士が肩をすくめ
た。「そうね。行き先が判ればね」
「シャドウファクシは必ず見つかります」水樹涼音
がペルセウス・ミラーを展開した。「これはニュー
トリノを感知するセンサーになります。稼働中の核
融合エンジンは必ずニュートリノを放出しますし、
対消滅エンジンならもっと激しく出すはず。しかも
減衰しません。太陽系のどこにいても判ります」
「でも見つかってないんでしょ?」
「もっと他にやるべきことがあるよ」鈴明蘭操舵手
が声を高くして「バルカンへ行こう! あそこを奪
い返すのは僕たちにしかできない仕事だよ」
「失礼ですが、反対です」挙手した女性は弓原・フ
ローレンス・花子と名乗った。「シャドウファクシ
はグワイヒア級の2番艦です。グワイヒアと同等、
もしくは上回る性能を持つはずです。あの船を追撃
することこそ、他の誰にもできない仕事では?」
「倒してどうなるの! ザイード艦長の私怨のため
に、太陽を放っておくわけ!?」
「違います」小走りに近づいてきたのは愛美・ユニ
シオール管制官。「見てください。テロ発生から亡
くなるまでの一週間に、あの方は様々なシミュレー
ションを繰り返してらしたんです」
 愛美はホビットのディスプレイを突き出した。表
示されているのは、シャドウファクシが機構軍の通
商破壊戦に駆り出されたケースを想定した、フェデ
レーションの継戦能力シミュレーション。最短の場
合、3カ月で機構軍が勝利するとの結果だった。
「3カ月!」リーナが手を打って笑った。「なんて
大変。ところで太陽の超新星化は、確か9月の半ば
頃だったわね。こっちは2カ月を切ってる!」
「ねえリーナ。皆さんも聞いてください。ザイード
艦長のシミュレーションは多岐に渡っています。こ
れは戦争を続けることだけ考えた計算結果ですが、
各プロジェクトへの物資輸送、反物質燃料の輸送な
どに関しては、より厳しい結果が出ているんです。
シャドウファクシを止めなければ、バルカンを奪い
返しても、その他の局面で敗れ去るんです。艦長は
私怨で動いたのではありません。わたしたちが宇宙
で生きるために必要な、重要な、任務なんです」
「だって見つけられないじゃないか!」激した口調
で、明蘭。「やつらがどこにいて、なにを狙ってる
のか、誰にも確かなことは言えないだろっ!」
「かれらの行き先って、スペースコロニーじゃない
んですか? たぶんL5だと思うんですけど」
 発言したのは、白木の木刀を携えた少女。明蘭は
少女をキッと睨み据えた。
「それはなに? 推測? ウワサ? それともあな
た、テロリストの手先なのっ!?」
「わたしはティル・ロードラン。グワイヒアのお手
伝いがしたくて、木星から来ました。テロリストが
L5に向かうと予想したのは、かれらがコロニーを
地球へ落とそうと企てているとの噂を耳に……」
「根拠薄弱ね」リーナが笑った。「噂ですって。そ
れがブラフだったらどうする気なの?」
「いや、コロニー落としの話は俺も聞いてる」シエ
ロが言った。「かなり確かな出所からだ。だが俺は
L4と聞いた。ティル、なぜL5なんだ?」
「シャドウファクシには遅かれ早かれ補給が必要に
なります。L4を襲えば機構軍を敵に回しますが、
それはかれらにとって得策ではないでしょう。L5
は中立コロニー群ですし、位置的にL4に近いです
から、示威を狙うテロの標的にふさわしいはず」
「補給……。それなら標的はシルマリルということ
も考えられませんか?」
 ユィ・メイシェン保安部員が尋ねると、ティルは
うなずき、よどみなく続けた。
「フォート・アラモという線もあるでしょうね。あ
そこにも反物質燃料が運び込まれていますから。た
だ、これらの場所には、ある程度の戦力があります
よね? 戦闘になって損傷を受けた場合、シャドウ
ファクシには修理の手立てがありません。テロリス
トの人数は解っていますか?」
「十数名と推定されています」愛美が答えた。
「じゃ占領は無理ですね。シャドウファクシには港
が不可欠ですが、それを手に入れる方策として、力
押しはありそうもない、と。かれらと呼応するよう
な外部の協力者の動きはありますか?」
「今のところありません。プロジェクト・ミスラン
ディアにも協力を仰いで、全太陽系規模で、ペルセ
ウス・ミラーによる航跡の監視と通信およびマルチ
ウェブの検索を行っていただいてますが。おそらく
テロリストはハッキングを警戒して一切のアクセス
を断っているのでしょう。対消滅エンジンとみられ
るニュートリノ源も、まだ発見されていません」
 てきぱきと答える愛美を、ラナ・フレデリカ管制
官が無表情に見た。
「考えられるケースはふたつあるでしょう」ラナは
言った。「ひとつ、かれらはじっと動かずに機会を
うかがっている。しかしこれは“会”の犯行形態か
らみて考えにくい行動です。いまひとつ、かれらは
対消滅エンジンを使わず、サブエンジンによる機動
を行っている可能性もあります」
「そんなばかな」リーナがつぶやいた。「イオン推
進機関で? あんなの遅くて話にならないわ」
「そう、遅い。でも静かです。対消滅エンジンを使
えば灯台のように目立ちますが、イオン推進なら、
通常の核融合エンジン船との区別がつきにくい。お
そらくステルスモードも併用しているでしょう」
 元来ちはやは医療班員であるが、艦内管制も学ん
でいる。ステルスモードについての知識はあった。
艦体を銀色に輝かせる塗料は、レーザー攻撃により
蒸散して威力を緩和させるばかりではなく、反射率
を変化させる機能を備えていた。それは電磁波に対
しても有効であり、レーダーおよび光学センサーに
よる感知を難しくする。これまでにグワイヒアが経
験した任務は速度が要求されたため、ステルスモー
ドが使われることはなかった。だが同じ機能はシャ
ドウファクシにも備わっているはずだ。
「艦長代理」ラナはもう歩き出しながら「ブリッジ
へ行きましょう。核融合エンジンと思われるニュー
トリノ源のうち、L4ないしL5へ向かうものの航
跡を重点的に調査するのです」
「待って、ラナ!」リーナが叫んだ。「そんな不確
かな話を信じて動くのっ」
「ラスティン航法士、ブリッジへ集合」ぴしゃりと
命じたのは坂堂巽であった。「尽くせるだけの手は
尽くす。それでなおシャドウファクシが捕捉できな
いときは、バルカンへ向かう。作戦イージス・ガー
ディアンとは、そういうものだったはずだね?」
 ちはやはザイードの柩を押しながら巽の後につい
た。愛美が、巽に耳打ちする声が聞こえた。
「わたしのシミュレートでもL5がもっとも可能性
が高いとの結果が出ています」
 巽はなにごとか答えようとしたかに思えた。だが
口をつぐみ、足を速めた。
     @     @     @
 ザイードの遺体がグワイヒア艦内に消えると同時
に、ドックには騒音と活気が戻ってきた。
 整備士の中書島実は、修復状況をホビットに表示
した。整備スタッフの目が小さな画面に集まる。
「第3バルジなど大きな補修箇所の作業はほぼ終了
した。ブリッジクルーの艦内での活動はこの後すぐ
始まり、場合によっては緊急出港もあり得る」
「直りきらないうちに飛ぶんですか」沢木隆が、珍
しく他人の言葉に割り込んだ。「相手は同型艦です
よ。準備が整わずに戦えると思いますか」
「そうだな、隆」オラキオ・ハーンブルがコーヒー
のチューブを差し出して「だから俺たちは全力を尽
くす。それしかないだろう?」
「よし。艦首ジョイントの撤去にかかる」宮城鋼一
の髭づらに精気が満ちる。「こいつが最後の大仕事
だ。作業手順はホビットにも頭にも入ってるな」
「もし出港までに終わらなかったら」レイ・沖田が
歩きながら鋼一に尋ねる。「船外作業ですか?」
「無理だな。加速中に外へ出れば置いてけぼりにな
るだけだ。実、それと恭子。発着ドック内部からの
ピンポイント爆破をシミュレートしといてくれ。い
ざとなったら中から吹っ飛ばす」
 了解、と言って御影恭子はホビットを広げた。そ
の画面をアハメイ・耶摩覇がのぞき込む。
「ずいぶんパラメータが細かいんじゃない?」
「内火艇の発進作業を妨げないようにしなきゃ」
「発進って……まさか切り込むつもりなの?」
「無茶よね。でも撃沈は難しい。中に人質がいるは
ずだし……詳しいことは彼女に聞いて」
 恭子は綾瀬真実子を示した。真実子はホビットか
らデータを引き出し、アハメイに見せた。
「人質は二十数名。全員シャドウファクシの正規ク
ルーよ。乗員名簿と投棄された遺体の数とを突き合
わせたの。死亡が確認されてないクルーのうち身元
の確かな人物を除くと、テロリストは十名前後。そ
の他が人質。あるいは奴隷かも知れない」
「グワイヒア級の最低運用人数は……48名。それ
には少し足りないわね。これじゃダメージ・コント
ロール能力は期待できない」
「そう。たとえ人質をこき使っていたとしても、苦
しいんじゃないかな。交替できないし」
「いずれにせよ」恭子は画面から目を上げずに「撃
沈はできないでしょ? だいいち反物質船なんだか
ら。爆発させちゃまずいわよ」
「弾薬や推進剤については判ったの」
「武器は満タンだよ」ジェイル・リバースタンドが
自分のホビットを操作。彼と真実子は2番艦の建造
および運用予定のデータを調べ上げていた。
「この地図は行動範囲ね?」
「そう。シャドウファクシは水星方面へ応援に赴く
ことになっていた。デーモン艦隊との戦闘が予想さ
れてたから、核兵器も搭載されている。反物質燃料
は往復ぶんに若干の余裕を加えた量が積み込まれて
いた。補給や減速を考えずに飛ぶとすれば、このと
おり、ほぼ太陽系全域に到達できる」
「でも対消滅エンジンは使ってないんでしょう」
「らしいね。だとすると、絶えず加速を続けたとし
て……現時点での到達可能範囲は……」
 画面上の地図に描かれたエリアは半分以下まで狭
まった。ジェイルがさらに操作すると、火星を頂点
とする扇形の部分が重ねて表示された。
「これは愛美さんの発案だけど……投棄された正規
クルーの遺体を軌道計算の材料に使ってみたんだ。
この範囲の中にシャドウファクシがいたことは間違
いない。途中で転進しても範囲は限られる。慣性航
行に移ったなら、より絞られてくる」
「このデータ、公開したの?」
「心配ない。愛美さんがやるはずだ」
「早くしたほうがいいよ」アハメイは顔色を失って
いる。「先行した人たちがいるんでしょ? WGス
ティルとかいったかな。知らせないと危ない」
     @     @     @
 入電を示すシグナルを確認して、シャーリィ・キ
ンケイドはコンソールを操作した。エルマー級の狭
いコクピットに佐藤裕一の声が届いた。
『エメロード、こちらグワイヒア』
「感度良好。追いつけないから引き返せって話なら
聞きたくないわよ、裕一さん」
『もしかするともっと悪いニュースかも知れません
ね。影の立ち回り先を検証した結果、あなたがたは、
標的を追い越している可能性が出てきました』
「なんですってぇ!?」
 シャーリィは窓外を見回した。闇、遠い星々、他
にはなにもない。前方にはもう1隻のエルマー級が
いる。サフィールと名付けられたその機体には水原
美奈と佳凛・ヴェールデンが乗っている。あの事件
に遭遇した直後から、美奈は持ち前の段取りの良さ
を発揮し、すべてを最速の手際で切り回した。おか
げで、2隻の船が火星を発ったのは、グワイヒアの
到着直後。あとはひたすら加速した。反物質船に追
いつくのは無理と判っていたが、そうせずにいられ
なかった。それが、どうだ。追い越したって? や
つらはどこで道草を食っていたのだろう?
 シャーリィはエングラムを励起させた。そうする
必要はないのだが、気が済まなかった。
 あの気配。どこだ。どこかにいるはずだ。
 後席から光を感じた。スワン・バークレイも励起
させたのだろう。たとえようもなく優しいいたわり
の想いがエングラムに伝わった。
 悔恨がシャーリィを灼いた。スワンはポゼッショ
ナー技能で彼女の記憶を共有しようとしている。あ
んな汚いものに触れさせたくはなかった。しかしス
ワンはやめないだろう。シャーリィは覚悟を決め、
とてつもない悪事に手を染めたような屈辱をおぼえ
ながら、強く強く集中していった。
 あのとき、火星軌道上で偶然に遭遇した遺体の道
の向こうから届いた、気配。テロリスト、シャドウ
ファクシを強奪しクルーを惨殺しザイードを自決へ
と追いやった存在は、シャーリィのネイバーなので
あった。やりきれない怒りといらだちにとらわれな
がらも彼女は、忌まわしいその気配をエングラム網
の彼方に探り求めた。
 エングラムに伝わるスワンの想いが、わずかに揺
れた。シャーリィは不審に感じた。スワンはなにか
に驚き、一瞬の悲しみを経て、すぐにそれを押さえ
つけた。いまシャーリィに届くのは、仲間を案ずる
想い───ただひたすらにそれだけであった。
「なにか“見え”たのね?」
 スワンがときおり未来を見ることをシャーリィは
知っていた。スワンは答えず、叫んだ。
「左……後ろです!」
 そこにシャドウファクシは現れた。レーダー索敵
どころか視認できる近さだ。凝闇に溶けていた肌の
色を見せつけるがごとく変えて姿をさらした、その
意図はあまりにも明白だった。
 エングラムに気配が触れた。この前より強い。や
つもまたシャーリィを感じている。彼女の恐怖を、
嫌悪を、そして直後に訪れるであろう運命を悟った
驚愕を、心の底から楽しんでいる!
 せめて通信を。最後の位置を。コンソールに伸ば
した手、エングラムの輝きが、凶々しく閃いた。
 衝撃。急減圧。コクピット内に残された光はエン
グラムが放つものだけになった。砲撃されたがまだ
生きている。なぶり殺すつもりか。シャーリィはコ
ンソールを叩きつけた。反応はない。計器はすべて
死んでいた。僚機サフィールもまた攻撃を受け、同
じ状態に陥ったのか。汚い言葉を吐いてシャーリィ
はコムニーのスイッチを入れた。誰でもいい、とに
かく通信を拾ってくれさえすれば。だがスワンの手
が触れてきて、敵艦を見るよううながした。
 バルジから発光信号が放たれていた。ソトヘデロ。
外? エングラムに伝わるテロリストの気配はいよ
いよ楽しんでいる。その気配が不意に消えた。ネイ
バーリンクを意識的に遮断したらしい。
 スワンは率先してコクピットから抜け出した。手
を引かれてシャーリィも外へ。大破したエメロード
が遠ざかってゆく。ひどく心細かった。スワンの手
を強く握りしめる。だがスワンはひらりと身をひね
り、シャーリィの胸を蹴り飛ばした。
 手が離れた。スワンの額に輝くエングラムがみる
みる小さくなっていく。シャーリィは呆然と見送っ
た。蹴られた胸よりエングラムが痛んだ。スワンの
想いが伝わっていた。別れを告げていた。
 スワンはこうなることを予期していたのだ。
 シャドウファクシはわずかに軌道を変えたように
見えた。近づいてくる。その真ん前へ、吸い込まれ
るように、スワンは飛び込んでいった。最期の瞬間
は見えなかった。ふたたび暗闇の色へ変わった巨船
の舳先にちかりと瞬いたものがあり、シャーリィの
エングラムから暖かな気配が消え去った。
 直後、美奈の、佳凛の、絶叫にも似た感情が突き
刺さってきた。それらは長くは続かず、薄れていく。
彼女たちもまた船を離れたのだろう。互いに急速に
遠ざかっている。散りぢりになっていく。
 不意に、エングラムに明瞭な言葉が届いた。
《感謝するよ。すばらしい進宙式だった》
 シャーリィは怒りに我を忘れた。やつらは、スワ
ンの肉体を、シャンパン代わりに使ったのだ!
 シャドウファクシは悠然と消えていく。
     @     @     @
『対消滅エンジンとみられるニュートリノ源が確認
されました。エメロードとサフィールが消えた場所
からそう遠くないところです』
 サブブリッジからの映像だというのに、東雲和人
管制官の姿はひどく遠かった。今の坂堂巽には自分
の声さえ遠い遠いところから届くように思えた。
「どこへ向かっているの」
『L4ないしL5。予想どおりです。L4でラウル
と接触した後、標的へ向かうものと思われます』
 巽はその情報をブリッジの面々に伝えた。
 アレーナ・虎杖通信士がすぐさまマルチウェブに
アクセスした。L5コロニー群へ警告を発しなけれ
ばならない。同時に緊急発進準備の通達が、艦内管
制担当のバルデマス・ジロンゴ、アリシア・ローラ
ンドらによって各部署へ伝えられていく。
「この座標は……」メディナ・エレクトラム監視員
が絶句した。「エメロード、サフィール両船の航跡
と交差しています! 艦長代理っ。両船は」
 撃墜、という言葉をメディナは言えなかった。監
視員席、すぐ傍らに佐藤裕一はいた。裕一は言葉を
発することなく、ゆっくりと頭を抱え込んだ。
『バンツー級アルメイアが半日の距離の地点に待機
中です』和人が言った。『ハインリヒ・カーム船長
に急行を要請しました。生存者がいれば、救出の可
能性は充分に……聞いてらっしゃいますか』
 巽はかぶりを振った。つぶやく。
「すまない。東雲管制官、もっと早くにあなたのシ
ミュレーションを信じて手を打つべきだった」
 シャドウファクシがL5へ向かうことを和人は早
い段階で読み、詳細な作戦案を提出していた。しか
し巽は決断しきれなかった。護衛艦隊をL5へ先行
させるという部分だけを秘密裏に実行し、より正確
な情報が集まるのを待っていたのだが。
「ユニシオール管制官のシミュレート……ティルさ
んの推理……みな正解だったのに……私は……」
『しっかりしてください。なにもかも不確かだった
あの時点で、あなたは、護衛艦隊を動かす許可を下
さいました。それがアルメイアの派遣を可能にした
のだし、これからの展開もずいぶん変わってくるは
ずです。他の護衛艦隊にはL5へ急行するよう要請
しますが、よろしいですね』
「お願い。早く、一刻も早く!」
 しかし巽には判っていた。護衛艦隊の待機地点は
一様ではなく、その多くは周辺宙域に散らばってい
た。保険のつもりだったのだ。シャドウファクシは
いまや最速の翼を広げて飛び始めている。やつの爪
が獲物にかかる前に駆けつけられる船は、いったい
何隻いるのだろう?
     @     @     @
 艦首ドックでは整備班が撤収を急いでいた。
「おいおい、結局作業は終わらないのか?」
 リック・ウッドワード操縦士が小柄な蓮野・アレ
スタを捕まえた。アレスタはしどろもどろで、
「えーと、よくわかんないんですけど、作戦宙域に
達するまでに、爆破の準備をするって……」
「新米! もたもたすんなよ、ったく!」
 モケレ・ムベムベ・マカク整備員にどやされ、ア
レスタはすっ飛んで作業に戻った。見送るリックに
声をかけたのは、同僚の綾瀬悠だった。
「休めるうちに休んでおきましょう。お食事は」
「まだだが……今度入ったコックは妙なやつだって
噂だぜ。チャイナ風パスタって知ってるか?」
     @     @     @
 メディコでも発進準備におおわらわだ。
「先輩〜! 固定ストラップのかけ方が〜!」
 星崎美羽は泣き出しそうだ。少女の傍ら、ベッド
に横たわる患者の穴尾コウタロウは、がんじがらめ
で青くなっている。メディコは重力ブロックにある
が、加速および戦闘機動の際には対処が要る。先任
の桜井千鶴子は手慣れている。ストラップを締め、
緩衝剤を注入し終えるのに2分とかからない。
「長い加速です。フォボスに残るおつもりは?」
「まさか。ただの病院なんかヒマでヒマで。テロリ
ストはどう出るかねえ。戦闘になるかな」
「逃げるかも知れませんね」
「賭けようか? おっと……怒らないでよ。怪我人
のささやかな楽しみじゃないか」
     @     @     @
 機関部ではクレイン・アザーレイズが目をまん丸
にしている。きびきびと動く先輩機関士たちの仕事
ぶりがひどく眩しく映った。
「対消滅エンジンの操作経験は?」
 ココ・ルビアスキーが尋ねた。その間にも的確に
コンソールを操作し続けている。クレインは補助席
から身を乗り出し、ココの手元を見つめた。
「あまりくっつかないでくれよ。暑いんだから」
「キミ、木星アカデミーから来たって?」サジェス
タ・マックレインが青い目を向けた。「いつだった
か、あすこから飛んできた連中を拾ったな。改造バ
ンツー級にどでかいエンジンを乗せたやつだ」
「あれは僕が手掛けました」
「じゃ反物質機関に触ったことはあるんだね」
「ここまで大規模なものは……」
 クレインは反射的に後ろを見た。なにか聞こえた。
たぶん銃声。争う物音。
 サジェスタが制御室と通路を結ぶ扉へ走った。た
どりつく前に扉は開き、リミット・ヴァイク保安部
員が倒れ込んできた。リミットを乗り越えるように
して踏み込んだもうひとりの男がいる。
「アル!」サジェスタが銃口を向けた。
 名を呼ばれて、アリアバート・グランチェスタ保
安部員は屈託なげに笑った。撃たれた腕を押さえ、
力なくぶら下げた小銃を捨て、ものも言わずに蹴り
を放った。腹にくらってサジェスタは倒れた。
 這いつくばったままのリミットがアルの軸脚を掴
んだ。アルは無事なほうの腕で銃を抜く。ブリッツ。
光学式のピストルは軽くて反動もゼロだ。リミット
の頭に向けた。声をあげて笑いながら引き金を、絞
ろうとした、その瞬間にアルは死んでいた。
 サジェスタの銃口から薄い煙がたなびいた。彼は
震えながら十字を切った。
「クレイン」ココが言った、ため息のように。「す
まないがブリッジに知らせてくれないか」
     @     @     @
「目的はなに」坂堂巽はしずかに問うた。
『機関部を襲った者はエングラムチェックを免れて
いましたので、動機は判りません』デイアス・ロー
保安部員はさすがに憔悴した表情で『他に発見され
た2名のテロリストは、待遇に不満を持つ者、およ
び愉快犯とみられます』
「わかった。ありがとう。引き続き警戒を続けてく
ださい。……まだなにか?」
『巽さん。無理をしないでください』デイアスのま
なざしは真剣そのものだった。『あなたはなんでも
独りで考え過ぎる。チーフを置くよう提案したのは、
あなたの荷物を少しでも軽くしたいからです』
「……私、そんなにあぶなっかしく見えるかな」
『え。なんて言いました?』
「いえ。心から感謝します。ありがとう」
 通信を終えるのを待ち兼ねたように、黒づくめの
姿をした女性管制官が報告した。
「マスター、発進準備完了しました」
 彼女はフェドーラそっくりだ。───いや、やは
りフェイドラと呼ぶべきか。プロジェクト・オリン
ピアの成果、肉体を持つインターフェイス・ユニッ
トは、ついに実戦へ投入された。彼女はその4号機
である。濡れ羽と呼ばれている。
「プロジェクト・メイフラワーより入電」山家・メ
ンデス・格通信士がゆっくりと読み上げた。「望月
より風早彦へ。健闘を祈る」
「返信を。風早彦より望月へ。お言葉に感謝。船出
がよい風に恵まれるよう願う」
 そして坂堂巽はグワイヒアの発進を命じた。
 復唱がブリッジに飛びかう。その中で、保安部員
の坂咲今日至は、誰にともなくつぶやいた。
「史上最大の兄弟ゲンカの始まりだな」
     @     @     @
 ───L5コロニー群。中立地帯である。
 朱砂葵は、愛機のキャノピーから望む光景を心の
底から美しいと思った。
 地球と月とが手を結びあうことで生まれた安息の
場所に、いくつものコロニーが浮いている。反射鏡
を連ねた三枚の翼が回転し、ちかちかと光を戯れさ
せる。回転は重力を生み、ふところに生きる命を優
しく抱きとめる。人類が生み出した景観のうちでも
ひときわ見事なものと言っていい。
 影が迫っていた。
 先行したグワイヒア護衛艦隊の面々は影を迎え撃
つべく出撃した。
「捕捉した。軌道および速度のデータを送る」
 葵はそれらを2機の僚機に送った。シャドウファ
クシ直接迎撃に参加したのは葵自身を含めた3機。
葵はアナ・ビジョンを使っていた。敵艦が減速して
いるのは肌で風向きを感じるように自然に理解でき
た。やつらは止まろうとしている。L5コロニー群
で何らかの活動を行う意図は明白だった。
『攻撃に移る!』
 ライト・レンブラントからの通信が葵のコムニー
を震わせた。ライトは気負っている。無理もないと
葵は思う。十五歳の少年を駆り立てるのはテロリズ
ムへの怒りだ。おそらくはザイードが選んだ最期を
受け止めかねてもいるだろう。少年が操るライトフ
ライヤー改は逸る獣のように突出した。
『馬鹿野郎。焦るな』御堂力の声が響いた。『的に
なるぞ。もっと動け!』
 ライトは小刻みな機動でシャドウファクシへ接近
してゆく。ただの乱数加速ではない。サイバーアク
セス機動だ。少年の操船は完璧かつひらめきに溢れ
ていた。父から譲り受けたという中古艇に魂が宿っ
たかのようだ。シャドウファクシの艦首にぱっと光
が走り、霧のごときものが立った。遮光塗料の蒸散。
レーザーが命中したのだ。
『いいぞ』力が叫んだ。『武器を狙え』
 ライトは続けざまにレーザーを放った。シャドウ
ファクシの艦首を包む銀の霧に光が躍る。艦首が窪
んだ。なにか現れた。砲口。電磁砲だ!
「ライト、回避だ」
 葵の声は届いたはずだ。ライトは逃げない。直進
する。初めから電磁砲を標的に定めていたらしい。
巨船と小型艇はおそるべき相対速度でまっこうから
すれ違った。レーザーの直撃を受けた電磁砲が歪ん
だ。小爆発。だが寸前に電磁砲は放たれていた。
 アナ・ビジョン視界にぐんぐん遠ざかるライト機
が映る。異常な熱放射。ライトフライヤー改は煮え
たぎっていた。人間の生存限界を越えていた。エル
マー級のシールドではグワイヒア級の電磁砲の出力
に対抗できない。ライト・レンブラント少年は電磁
調理器の中の鴨のように灼かれて死んだ。
 御堂力のメルキセデク号がミサイルを放った。
 実体弾は運用が難しい。誘導性能は気休めに過ぎ
ない。宇宙船に追いつくだけの推進力は期待できな
いからだ。だからグワイヒア級も固定目標の攻撃を
用途とするランチャーしか搭載していない。しかし
逆に言えば、宇宙船の速度が限定される状況におい
ては、有効性が発揮できるということだ。たとえば
惑星軌道上。たとえば減速中の相手。そしてもっと
も有効なのは、正対する目標を狙う場合だ。
 力機から発射されたミサイルは相対速度を味方に
つけて敵艦へ急速に迫った。
 ミサイル群が火球となって消えた。シャドウファ
クシのレーザー砲が斉射されたのだ。数発が生き延
びた。命中。第1バルジと艦体を結ぶブリッジ部分
に損害を与えた。光圧反射鏡はバルジとブリッジに
支えられる形で展開している。この部分も大きく変
形した。葵の目に映る反射鏡はひどく眩しい。排熱
を行うと同時に、グワイヒア級の高速を支えるメイ
ンノズルと言うべき部分だ。破損した反射鏡から放
射される熱のイメージを映像としてとらえてみると、
排熱効率が落ちているのが判った。
『もう一発だ』
 力の怒号がコムニーを走り、同時にエングラムを
揺るがして激情がほとばしった。第2波のミサイル
群はシャドウファクシのわずかな傷口をめがけて襲
いかかった。2発当たった。残りはすべて落とされ
た。掃射されたレーザーはメルキセデクをもとらえ
ていた。直撃。エルマー級とともに四散する瞬間の
力の驚愕が、葵のエングラムを貫いていった。
 葵は落ち着いていた。死は覚悟した。エルマー級
の2隻や3隻で倒せる相手ではない。だが逃げると
いう選択は考えなかった。葵の後ろには人類の叡知
を結晶させたかのごときコロニー群があり、人々の
いのちがあり、彼自身の誇りがあった。
 葵は狙いを定めた。シャドウファクシの巨大な影
に、倒れた仲間たちの顔がだぶった。トリガーを引
いた。レーザーは反射鏡の損傷部を砕いて破片を舞
わせた。その軌跡はアナ・ビジョン視界の中でめま
ぐるしいデータをばらまきながら散ってゆく。宇宙
の塵だ。どこまでも飛んで飛んで飛んで、いずれ星
となるだろう。俺も同じだと葵は思った。突然の強
烈な衝動とともに彼は子を残したいと願った。駆け
抜ける記憶、女と過ごしたいくつもの夜の。たとえ
ようもない懐かしさと寂しさ。何億年先になるかは
わからないが、俺もまた星となってよみがえる。そ
のときは命を育む惑星になりたい。俺は天地となり
水となって生き物たちを見守るだろう。すべての営
みを祝福するだろう。俺は、と葵は思う、俺は死に
はしない。俺が死ぬのは宇宙が滅びるときだ。
     @     @     @
 グワイヒア、メインブリッジ。操舵手のファビウ
ス・ロッソが低く呻いて身を折った。
「あかん……葵はん、やられてもうた……」
「ネイバーだったのかね」ドワイトが問う。ファビ
ウスは声もなくうなずいた。ドワイトは深く息をつ
いて補助シートに身を沈めた。
 火器管制官のネイ・ド・ハルマゲドンがキャプテ
ンシートを睨みつけた。叫ぶ。
「これでも沈めるなというの。話し合えと!?」
「落ち着け」クラウディア操舵手。「戦闘は非理性
的な行為だが、理性を失えば死ぬだけ───これは
ザイード艦長の言葉だ」
「あ〜ら、そう! 皆さんお利口だわ!」
 ネイの言葉に、クラウディアの眼が光った。しか
し彼女は視線を逸らした。耐えるように。
「憎しみから生まれるのは悲しみだけです」
 圧し殺したように言ったクレア・ヴァヴナー管制
官の表情も揺れている。そのときクレアのコンソー
ルに連絡を示すシグナルが灯った。
「艦長代理、カーレンリース保安部員からです」
「切り替えて」
 ユン・カーレンリースは青ざめていた。
『たったいま感じました。ものすごく、怖くて……
すぐに遮断されたけど……』
「なんのこと? 報告は簡潔明瞭に」
 ユンの傍らにユーナ・ミュンツァー保安部員の姿
が現れた。長身のユーナはユンの肩を抱いた。
『彼女はネイバーリンクを感じたんです。テロリス
トの悪意を察知して……』
『コロニーが危ないんです! 早くしないと!』
 ドワイトが身を乗り出した。シートを掴むごつい
手がぶるぶると震えている。
「驚いたな……。私もやつらのネイバーらしい。坂
堂艦長代理、厄介だぞ。敵は自爆装置を準備してい
る。いざとなれば船ごと吹き飛ばすつもりだ」
     @     @     @
 機関部。今良大吉は脂汗を浮かべてココ機関士を
見た。無理に笑った。
「おめえも感じたな? 顔色を見りゃ判るぜ」
「軍曹もですか。一瞬でしたが……」
「テロリストども、馬鹿じゃねえ。遮断するどころ
か、こっちの中身を読もうとしやがった」
 かれらもまた“会”の者とネイバーだった。大吉
は対消滅エンジンの出力表示を睨みつけた。
「野郎ども、ぶっ飛ばすぞ。潰れんなよ!」
 表示された数値が赤く変わった。対Gシートの悲
鳴にクルーたちの呻きが重なる。大吉は対消滅エン
ジンの出力リミッターを解除した。安全臨界を超え
て稼働する機関が限界以上の速度を叩き出す。
     @     @     @
 その通信はマリエ・ミリィ・金城の機体にも届い
た。声は告げた、ふてぶてしい自信に満ちて。
『こちらフェデレーション所属F.S.Sグワイヒ
ア。L5が機構軍に寝返るとの情報をキャッチした。
我々はこの裏切りを認めることはできない。よって
これより武力制圧を行う。速やかに降伏の意志を示
すなら、それなりの対応も考慮しないでもない』
「ひどい! うそつき!」マリエは通信回線を開い
た。「こちらフェデレーション所属エルマー級ソー
ドフィッシュ! そいつらは偽物だよっ!」
 前方にシャドウファクシがいた。その向こうにテ
ロリストの標的が見える。L5コロニー群のひとつ、
タイペイ2。標準的な開放型コロニーだ。マリエの
呼びかけに応答はない。むろんテロリストにも。
『返答がない以上、拒否とみなす。グワイヒアはこ
れより無差別攻撃に移る』
 開放型コロニーには太陽光を取り入れる部分があ
る。それは“川”と俗称されている。いま、タイペ
イ2の“川”に異様な光点が生まれた。その点から
きらきらと輝くものが噴き出した。空気。水蒸気が
瞬間的に微細な氷に変わり、コロニーの回転につれ
て帯を描いた。呆然と見守るマリエの耳に、フェイ
ドラの声がいやおうなしに告げた。
『シャドウファクシ、3連装レーザーによる攻撃を
行いました。タイペイ2の第1採光壁を貫通』
 マリエ機は最大加速でシャドウファクシに接近し
た。フェイドラが警告する。
『このままの軌道を取れば光圧反射鏡の影響範囲へ
入ります。高熱曝露および放射線被曝の危険があり
ます。回避機動を行いますか?』
「任せるっ。こうなったら攻撃よっ!」
 ソードフィッシュは光圧反射鏡へ攻撃を集中させ
た。敵艦の迎撃レーザーが閃いた。衝撃。
「また当たったの!?」
『またです。転進不能。減速不能。攻撃不能』
「なにができるのよっ」
『飛び続けることだけです。軌道計算の結果、タイ
ペイ2とすれ違った後、地球へ落ちるようです』
 マリエ機は慣性速度を保ったまま飛ぶ。コロニー
の外壁がキャノピーの真上を通過する。機体が大き
く揺れた。流出した空気に撫でられたらしい。採光
ミラーが左舷側を飛ぶように過ぎていった。思わず
マリエは振り返った。異様な感覚がエングラムに触
れたのだ。ネイバーリンク? 違う。もっと曖昧な、
けれど強烈な印象。押し寄せる。押し寄せる。その
正体を悟ってマリエは絶叫した。
 断末魔。折り重なり噴きこぼれる無数の死!
     @     @     @
 コオ・フレデリックは細い悲鳴をあげ、対Gシー
トの上でのけぞった。
 俊光・プランツはコオの傍らにいた。彼は少女の
からだを抱き止め、シートに押し戻した。コオは叫
び続けている。その理由は俊光にも判っていた。
 マリエ───コオのネイバーは、虐殺を体験して
いた。それはコオへ伝わり、俊光へも伝わった。
 タイペイ2に暮らす人々の中にはたくさんのエン
グラム発現者がいた。かれらは死につつあった。急
減圧。暴風のあとには清潔無比の真空が訪れ、血液
を沸騰させ、凶々しい幻覚を呼ぶ。最期まで理性を
保てる者はいなかった。みな獣として死んだ。
 俊光はエングラムへの情報流入を遮断しようとし
た。だめだ。あまりに大量で無造作な死はほとんど
物理的な圧力と化していた。グワイヒアは飛び続け
ているが、タイペイ2へ着く頃にはすべて終わって
いるだろう。誰にも止められない。
 俊光の脳裏にザイードの面影がよぎった。俊光は
彼の選択の意味をおぼろげに悟った。解ったなどと
言えはしない。納得もしない。けれど、いま俊光の
胸をかきむしるこの悔恨、この無力感、この慚愧は、
誇り高き鷹の胸にも渦巻いただろう。
 ザイードは命で償った。高みから落ちれば死ぬし
かないのだ。自分には償うほどの価値もないしなに
をどう償えばいいのかも解らない。ただひとつ確か
なのは、自分は生きていて、腕の中で泣きじゃくる
コオも生きていて、ふたつのちっぽけなぬくもりが
とてつもなくいとおしいということだ。
 生きてやる。強くなってやる。その決意が胸に固
まったとき、俊光は初めて涙を流した。エングラム
に渦巻く数百万の死のひとつひとつが、いまやみな
俊光でありコオであった。
 ひとつの明瞭な声がエングラムに届いた。
《突入志願者は発着ドックへ集合しろとのことです
が、俊光さん、どうしますか?》
 青柳彼方である。彼もまたネイバーリンクを通じ
て無数の死にまみえ、静かな怒りに震えていた。俊
光が応えるより早く、コオの声が閃いた。
《連れていってください!》
     @     @     @
 ホロディスプレイにその光景が映し出されたとき、
メインブリッジにどよめきと怒号が満ちた。
 タイペイ2は蹂躙され尽くしていた。“川”には
いくつもの穴が開き、内部は闇に沈んでいた。
「反応が」リンダ・イフェアの声がうわずる。「核
兵器です。コロニー内部に撃ち込まれたんです」
 コロニーの回転はまだ続いていたが、軌道は次第
にずれ始めていた。3枚のミラーのうち1枚が根元
から破壊され、回転軸が狂わされたのだ。
 シャドウファクシは死に絶えたコロニーのすぐ傍
らにいた。おもむろに加速を開始した。
「追跡する」坂堂巽は厳しく命じた。
「待って」リーナ航法士が叫んだ。「タイペイ2の
軌道……地球へ落ちるわ」
「おまかせっ。ぶっ壊しますわっ」
 ネイ火器管制官が3連装レーザーを撃ち込む。だ
がサブの楠木恭一郎が彼女の腕を押さえた。
「闇雲に撃つんじゃねえ。ほかにもコロニーはある
んだ。デブリばらまいて穴だらけにする気か」
「のんびり計算してたら逃げられますわっ」
「周辺宙域に護衛艦隊は」
「ポイントCに3隻。ポイントFに2隻。いずれも
こちらへ向かう軌道を取っています。藤沢達也機は
ソードフィッシュの救出へ」
「艦長代理、入電です」シェーン・メオラ通信士が
報告した。「コロニーは任せろと」
「誰なの」
「所属不明。船名……《岸岳》」
     @     @     @
「翔鶴」雪月誠はフェイドラの名を呼んだ。「他の
コロニーに被害を出さず、あれを処理できるか」
『もっとも簡単かつ確実なのは、ミラーをもう1枚
破壊することでしょう。それだけで軌道は変わりま
す。シミュレート結果をごらんになりますか?』
「いや。攻撃のタイミングだけ知らせてくれ」
 いったいなにをやっているのだろう。グワイヒア
は敵だ。少なくとも味方ではない。地球は機構軍の
領土だし誠の家族もそこにいる。となれば、どちら
について戦うかは明白だ。そのはずなのだが。
『なにを考えておいでですか』
「いや……。翔鶴、あの情報はどこが出所だったか
な。エングラム活性率の試算結果。太陽の超新星化
を防ぐために必要だという数値は」
『コオル・アーゼ・カミヒガシ氏の研究ですね。彼
はグワイヒアに所属しています』
 そうだ。あの女。マリエ。嘘はつかなかった。グ
ワイヒアは太陽で得た情報をマルチウェブ上に公開
した。それをもとに、すでにいくつかのプロジェク
トも動き始めているようだ。
「最低限必要な活性率は二十万……か」
 とうてい現実的な数値とは思えなかった。正確な
数値はバルカンからのデータがないと判らないとい
う。デーモン・ラウルはなぜ情報を公開しないのだ
ろう? いずれにせよデーモンも、コロニー落とし
など望みはしないだろう。人間並の心があれば。
 誠は大型ミサイルを発射した。それはコロニーの
翼を一撃でもぎ取った。
 自分は、と誠は考える。戦う理由はあるのだろう
か? 最初は家族のためだった。交戦を重ね、幾度
か墜とされるうち、フェデレーションが仇敵のごと
く感じられてきた。しかし太陽が滅びを迎え、人類
も死に絶えようというこのとき、誠は、自分自身が
なんのために戦うのか判らなくなっていた。
     @     @     @
 シャドウファクシはL4方面へ逃げている。
 アンティセナ・システィアはグワイヒアの通信士
席で呼吸を静めた。ホロディスプレイに映る敵艦の
姿を見やって、彼女はマイクに語りかけた。
「こちらグワイヒア。貴艦の考えを聞きたい。太陽
系が未曾有の危機に瀕するいま、貴艦がこのような
行動を取る理由はなにか」
 監視員席の虎杖紫恵羅は耳を澄ませた。アンティ
セナの問いは、紫恵羅も尋ねたかったことだ。
 返答はすぐに来た。揶揄するような口調で。
『理由? 残念ながら、我々“会”にそんなものは
いらない。快楽はそれ自身が理由なのだ』
「快楽……楽しいのか、虐殺が!」
『そうとも。この手の上できりきり舞いして死んで
ゆく愚者どもを眺める。俺様の無上の喜びだ』
 紫恵羅は説得の無益さを悟った。アントニオ・ビ
アンキの言葉が痛々しい響きを伴って胸によみがえ
る。我々が依って立つのは信頼……。
「攻撃準備」坂堂巽が命じた。「目標、光圧反射鏡
ならびに各バルジ武器架。火器管制および監視員は
軌道封鎖を警戒。各自の判断で、連携して対処せよ。
護衛艦隊の位置は?」
「エルマー級スターオウル、Fate-SpearII、および
ホワイト・ワイヴァーンの各機、ポイントCより移
動。シャドウファクシの前方へ出ました」
「質量兵器を軌道上へ投下するよう要請。直撃させ
るつもりで狙えと伝えて」
     @     @     @
「わかりましたっ!」ピリカ・マークンセは躍り上
がるようにして発射ボタンを叩き込んだ。
『おいおい、大丈夫かな?』神皇雅の声がコムニー
から聞こえた。『当てたら沈めちゃうぜ』
「それでいいんですっ! 敵も馬鹿じゃありません。
減速してかわすに決まってますわ」
『でなけりゃ撃ち落とすかだよなあ。よしAT、軌
道計算は頼むよ。トリガーは俺が引く。足止めでき
ればいいんだから』
『なに言ってるの!』リディヤ・ファーレンバード
の声が勢いよく飛び込んできた。『当てる! 穴ぐ
らい開けてやらなきゃ気が済まないわっ!』
     @     @     @
 グワイヒアはシャドウファクシの斜め後方に食い
ついていた。差は少しずつ縮まってゆく。
 敵艦は減速せずに撃ちまくった。ピリカ、雅、リ
ディヤの各機から投下されたミサイルおよび爆雷を
斬り破った。だが一発だけ撃ちもらした。リディヤ
が放ったその爆雷は第1バルジの根元に直撃。これ
は効いた。パラソル状の光圧反射鏡は半月の形にえ
ぐられ、船体にも大穴が開いた。シャドウファクシ
の加速力は激減した。
「敵艦より入電。つなぎます」
 映像に現れた赤毛の男は操舵席にいるようだ。
『遺憾ながら我がパンドラは不当な攻撃を受けてい
る。すぐにやめたまえ。艦長もご不興だ』
 カメラが移動した。空白のキャプテンシートには
ザイードの遺影が掲げられていた。
『なお、これ以上の攻撃は、教師役として我が艦に
とどまった旧シャドウファクシ正規クルーの身の上
に重大な悪影響を及ぼすだろう』
 巽は通信を叩き切った。
「追跡続行。操舵、なにがなんでもやつらの前へ出
ろ。突入部隊、発進準備」
 グワイヒアはシャドウファクシに接近した。もは
や速度は比べものにならない。3連装レーザー砲を
バルジに集中。武装を潰してゆく。
 紫恵羅監視員が悲鳴をあげた。「人がっ」
 敵艦から投げ出されたそれは明らかに人間であっ
た。ひとり、またひとり、突き落とされた肉体は回
転しながらグワイヒアの軌道上へ漂った。もつれあ
うようにして飛び出したふたりの人間がグワイヒア
の真正面へと向かってきた。
「交錯します」
 ファビウス操舵手は指を躍らせた。クルーたちは
急制動に揺さぶられた。鈍い衝撃。
「第2バルジに衝突」ラナ管制官が告げた。「被害
が出ました。整備班は急行してください」
「なんてこった……間に合わへんかった……」
「また来ます。交錯軌道っ」
「回避! 座標54、58へ遷移」
 テロリストの顔が巽の前のディスプレイに現れた。
やつはぎらぎらとした眼で告げた。
『我がパンドラは、人道的理由により、教師役のク
ルーを解放する。エアロックから放出するので受け
取りたまえ。簡易宇宙服着用につき、迅速な救助を
期待する。人道を重んじるフェデレーションの諸君
だから、まさか見捨てはしないだろう。しかし念の
ため、現在の状況はマルチウェブに公開する。せい
ぜい善行を施してもらおうではないか』
「どないします。減速しますか」
「内火艇を出して拾わせましょう」
「ダメよ。速度を殺せない」
 内火艇はグワイヒアと同じ慣性速度を持つ。救助
のためには漂流者と相対速度を合わせねばならない
が、搭載の推進機関では無理だった。
「護衛艦隊ムラサメ機より入電」シェーン通信士の
声が高ぶる。「救助に向かうとの連絡です」
     @     @     @
 ムラサメ・アツシは汗を拭い、ヘルメットのバイ
ザーを閉じた。そしてキャノピーを開放した。放出
された空気とともに音が消える。背中に響いたのは
武装を切り離した反動だ。カイ・ブラットフォード
機が同じ作業をしているのが眼に入った。エルマー
級は速いが小さい。武器ユニットを捨てたとしても、
詰め込めるのはふたりが限度だろう。
 アツシは前方を見た。シャドウファクシを追うグ
ワイヒア、その周囲に見える浮遊物が、みな生きた
人間なのだ。何人いるだろう。収容能力を越える数
がばらまかれているのは疑いなかった。
 迷いを捨てた。できることをやるしかないのだ。
軌道計算。もっとも効率よくランデブーできる相手
を探し、速度を合わせる。接近。エングラムに感情
のざわめきが届く。助けを求める、言葉にならない
叫び。アツシは応える。いま行く。すぐに行く。
 グワイヒアが真正面に見えた。魔法の鷹は敵艦と
並び、わずかに追い越した。内火艇が飛び立ったの
が見えた。2隻。それぞれ1機ずつ工作機をジョイ
ントさせている。かれらは第1バルジの根元から敵
艦内部へ突入していった。
     @     @     @
 トモカ・オオアライの工作機は、内火艇から離れ、
隔壁の前に立った。突入地点から他へ通ずる道は当
然ながらすべて塞がれている。リンダ・イフェアが
なにやら細工した。開く。どっと溢れた空気に足を
すくわれてリンダが浮いた。トモカはとっさにマニ
ピュレータを出した。掴まえ……られない!
 みたらいだいすけ保安部員が手を伸ばした。リン
ダの手を取り、もう片腕でトモカ機のマニピュレー
タにすがっている。なにか言ったが聞こえない。コ
ムニーの送受スイッチが入っていないのだ。しかし
トモカのエングラムにはリンダとだいすけの感情が
伝わった。緊張、安堵、感謝、任務への覚悟。
《遮断しな。エングラムで居所を掴まれるよ》
 言葉は伝わるまい。だが大意は通じたようだ。エ
ングラムに流れる感情を意識的に遮断するのは難し
いことではない。心細さはあったが。
 マセウス・諱が身振りでホビットを示した。そこ
に突入経路が表示されている。部隊は四方面に分か
れる。トモカ機は途中まで同行。俊光・プランツ機
は突入地点で待機。むろん内火艇も同様である。
     @     @     @
 野山成三はホビットの地図を確認した。人質が投
げ出されたのは第7エアロックとみられていた。
 前をゆくカンル・シャクドウが立ち止まり、方向
を示した。彼の先にもうひとり、祀真鴨がいる。真
鴨は敏捷な身ごなしでずんずん進む。
 エアロックが近い。成三は銃を確かめる。敵はテ
ロリスト、それも愉快犯だ。容赦なく襲ってくるだ
ろう。撃たねばなるまい。殺したくはないが。
 カンルが真鴨の腕を掴んだ。ふりほどくようにし
て真鴨は先を急ぐ。通路左手にエアロックへ通ずる
扉が見えた。銃の感触。速い鼓動。
 扉が開いた。女が飛び出す。人質だ。恐怖に錯乱
した彼女を真鴨が抱きとめた。カンルが叫んだ。
 銃声。人質と真鴨は折り重なって倒れた。
 その瞬間、成三のエングラムに真鴨の感覚が飛び
込んできた。驚愕。激痛。かすかな後悔。誰かへの
思慕。そして震えるほどの決意。少女はザイードの
死を越えてゆくと誓っていた。巣立つため、精悍な
鷹になるために、少女は任務に臨んだのだ。
 それらを一瞬に読み取ったとき、成三の体は無意
識に動いた。飛び出す。扉の前。開け放たれたその
奥に敵はいた。銃口。なにも考えず撃った。腕に残
る反動。敵は倒れていった。他に数人、これはみな
人質らしい。手を上げている。
「真鴨」カンルの声だ。「しっかりしろ」
「カンルお兄ちゃん……やられちゃった」
 人質は死んでいた。貫通した弾丸は真鴨の胸に達
している。外科手術が必要だった。
     @     @     @
「撃てるか。これがなんだか判んだろ?」
 機関室に陣取ったテロリストは年端もいかぬ少年
だった。右手に光学拳銃。左手には小さなスイッチ
を掲げている。他にふたり。ひとりは人質。眼鏡を
かけた女テロリストに銃をつきつけられている。
 そこまで見届けて椋・クリフト・紫蘭は、構えて
いたレティセントの銃口をわずかに下げた。
 シャドウファクシは飛行中だ。Gがかかり、上下
が変わっている。椋は制御室へ通ずる扉から半身を
出すかたちで室内のテロリストと対峙していた。
「自爆装置とは古典的な小道具ですね」
「オモチャじゃねえぜ。試してみるか?」
「おそれいったな。きみも死ぬのに」
「だからどうした? オレはグワイヒアの機関部で
研修を受けた。対消滅反応を加速させれば爆弾にな
るってことくらい知ってる。死ぬのはオレやおめえ
らだけじゃねえぞ。この位置なら……コロニー群や
地球にも被害が出るよな。捨てろ、銃。すぐに」
 椋の背筋に冷たい汗が流れた。飛び込むと同時に
撃てればなんの問題もなかった。だが機関室は狭く、
重要な設備が多い。掃射はできなかった。
 制圧班は椋を含めて4名。他の3名はまだ通路に
いる。コオはともかく、那牙月・リエ・キャロライ
ンもディーナ・グレイ・神崎も射撃の腕は確かだ。
ふたりのテロリストを同時に射殺することはさして
難しくない。問題は人質。そして自爆スイッチ。
「もたもたすんな。外に仲間がいるんだろう。そい
つらの銃も残らず捨てろ。早くしろ!」
「やれやれ。わかりましたよ。ほら───」
 椋はレティセントを放り投げた。女テロリストの
ほうへ。同時に右手を腰の後ろへ。
 女の視線がライフルを追って動いた。
 少年は一瞬ためらい、発砲した。
 椋の右手が閃いた。
 スイッチをはじき飛ばされて少年は怒号した。
 その瞬間、キャロラインとディーナが飛び込み、
ふたりのテロリストを一発ずつで仕留めた。
「椋さんっ」コオが叫んだ。
 椋は腹を押さえて沈み込んだ。焦げくさい。レー
ザーは肉を灼く。だが傷口からは血が溢れ、機関室
前の通路に太い流れを作った。その傍らにふたつの
ちいさなものが落ちてきた。ひとつは自爆スイッチ。
もうひとつは磁気ライフルの予備弾。椋はこれを投
げつけたのだった。
「うまく……引っかかってくれたよ……。銃を……
持てば……撃ちたくなる……」
 しゃべらないで、と言ってディーナは青年の傷を
診た。彼女はみるみる青ざめた。そして椋をそっと
抱いた。黒装束の少女の胸に椋は顔を埋めた。
「撃たなかったな……結局……最期まで……」
 キャロラインが顔をそむけた。まだ震えが止まら
ない人質の肩を叩き、彼女はささやいた。
「自爆装置の構造、わかるかい?」
 人質はただかぶりを振るばかりだった。
     @     @     @
『サブブリッジ、制圧完了』ウィリー・サンデーは
拍子抜けしたように言った。『抵抗はなし。いまリ
ンダがシステムを乗っ取ろうとしてる』
「よし。そこ動くなよ」マセウス・諱がコムニーに
応えて、傍らのソルトムーンを見た。「てことはよ、
艦の制御系統は押さえたわけだ」
「うむ。多少なら暴れてもよかろう」
 かれらはメインブリッジの前にいた。体感的には
下と言ったほうがふさわしい。頭上に扉。その向こ
うには見慣れた配置の司令室があるはずだ。
 ティル・ロードランがそわそわしている。ソルト
ムーンは彼女にスタン・グレネードを渡した。
「援護しろ」
「わたしの腕前を知りませんね」
「見せてもらうよ。今度な」
「オラ引っ込めこの」マセウスが青柳彼方を押しの
けた。「先陣はプロに任せな。まだだぞ。合図が来
る。まだだ。まだ───」
 がくん、と制動がかかった。リンダが艦の推進系
を奪ったのだ。急激な逆噴射に体が浮いた。
「いまだ!」
 突入班は躍り込んだ。スタン・グレネードの閃光
と轟音がブリッジを荒れ狂う中、いっきに飛び込ん
で撃ちまくった。
 マセウスは真っ先に突入した。瞬時に見て取った
敵の数は6人。相棒のソルトムーンはわずかに後ろ
でライフルを放った。ひとり倒した。
 Gの方向がまた変わった。
 テロリストはハッキング対策を施していた。リン
ダのプログラムはすぐに主導権を奪われた。シャド
ウファクシは再加速。重力は艦尾側へかかった。ブ
リッジ前方が上になった。
 ソルトムーンは突き落とされた。飛び込もうとし
ていたティルにぶつかった。銃弾が降る。ベテラン
は両腕を広げて少女をかばうかたちになった。ソル
トムーンは16発食らって無言で死んだ。
 マセウスはキャプテンシートに掴まった。それは
ぐるりと回転し、盾となった。ザイードの遺影が顔
に当たった。マセウスは血と悪態を吐いた。2発く
らっている。気にも留めずに銃を突き出し、撃ちま
くる。ふたり倒したところで腕が下がり、なお数発
撃って弾丸が切れた。マセウス・諱が最期になにを
呟いたかは誰も知らない。
 船が揺れた。サブブリッジが制御を奪おうとして
いる。テロリストのひとりが対応に手を取られた。
その一瞬が戦闘の帰趨を決めた。ティルと彼方、そ
れにナサカ・霧薙・ディスヴァルトが火線を集中さ
せた。オペレーター役のテロリストが倒れた。
 直後、シャドウファクシの制御はサブブリッジに
移った。制動。減速。突入班はブリッジへなだれ込
んだ。制圧は一瞬のできごとだった。
 操舵席へ向かったナサカが、低く叫ぶ。テロリス
トの赤毛のリーダーはそこで死んでいた。彼の手に
はスイッチがあった。自爆装置。押されていた。
「機関部へ連絡。対消滅反応の制御、急いで」
     @     @     @
 だが爆発は起こらなかった。
 機関室。コオのエングラムが輝いている。使えな
かったはずのエングラム・インターフェイスも正常
に作動している。彼女は銀の靴と呼ばれる技能を用
いていた。加速した対消滅反応により生み出された
膨大なエネルギーは、太陽でのケースと同じように、
ランバージャックのもとへ送られた。
 その傍らで、椋・クリフト・紫蘭は、満ち足りた
表情で息絶えていた。
     @     @     @
 祀真鴨はグワイヒアへ緊急搬送された。
 執刀する気吹・ロデリック・フィーン医師は、患
者がなにか言おうとしていることに気づいた。彼は
耳を寄せた。少女はささやいた。
「艦長……任務、完了……シャドウファクシ、奪還
に……成功、しました……」
 つきそっていたカンルは黙って真鴨の手を握りし
めた。彼のエングラムはしずかに燃えていた。
 ロディ医師は不思議なものでも眺めるようにその
光景を見た。彼は当惑していた。エングラムがあれ
ば人と人とがわかりあえる……そんな幻想は一度と
して抱いたことがなかった。だが、カンルが燃やす
光は、あきれるほどに美しかった。うっかり夢見て
しまいそうになる。どれほどの絶望を経ても、なお
人は信じあえると───あるいは、あるいはそれは、
真実なのであろうか?

《次回プロローグ》
 シャドウファクシはフォボス港へ曳航された。い
ずれ改装され、本来の業務に就くだろう。
 グワイヒアには休む間もなく任務が与えられた。
次はシルマリルの護衛である。
「デーモン・ラウル率いる機構軍艦隊は、シルマリ
ルの反物質を根こそぎ奪う気だ」巽は航行計画から
顔を上げて、スタッフたちを見渡した。「そんなこ
とをさせるわけにはいかない。我々はシルマリルを
護衛し、水星まで送り届ける。なにか質問は?」
「ものものしいですね」クアトロ・エンフィールド
が腹筋運動をしながら「敵は大部隊なんですか」
「総力戦を挑んでくるとの情報がある」
「ひょっとして壊しちゃうつもりかな?」リチャー
ド・仲邑・マイヤーが首をかしげた。
「何らかの大規模な作戦計画のために反物質を必要
としているようだ。だが渡すわけにはいかない」
「水星に敵の残存部隊は?」神尾優佳が尋ねた。
「戦力と呼べるほどのものはないはずだ」バルカン
は8月に入る前に奪還されている。巽は宙図を示し
て「ラウル艦隊はすでに加速中で、逆方向に移動す
るシルマリルに追いつくには時間がかかる。我々は
火星近傍でシルマリルと合流。作戦には小惑星帯の
スペースガード部隊も協力してくれる予定だ。激戦
になるだろうが、ベストを尽くそう」
「水星では」ヴォルフィン・エッシェンバッハが呟
いた。「プロジェクト・シルマリリオンが発動する
んでしたね……」
 太陽超新星化のXデイは9月14日と推定されて
いた。かれらはしばし無言でそれぞれの想いに沈ん
だ。沈黙を破ったのは、ゆな・三日月だった。
「提案があるんだ。グワイヒアに副艦長をおいたら
どうかと思うの。ほら、相談役とかいたほうがさぁ、
巽、少しは楽になるでしょ?」
「それを任命する権利は私にあるのだろうか」巽は
首をかしげた。「グワイヒアはスペースガードに所
属する船なのだし、私はただの士官、というか……
今だって仮に艦を預かってるに過ぎないんだし」
「仮に? 巽ってまさか、まだ“代理”なの!?」
「当然だよ。私はもともと一介の研究者だし」
「自己を過小評価することの是非はともかく」ラナ
管制官、いつもの無表情で「あなたが果たしてきた
責任の大きさと、その成果は、あなたのリーダーと
しての評価を損ねるものではないと考えます」
「提案します」愛美管制官が挙手した。「我々は、
我々のリーダーとして、坂堂巽を推薦することを、
フェデレーション本部に伝えてはどうでしょう」
     @     @     @
 シルマリルは異様な姿となっていた。
「あの子、なついてるんですか?」シェーン通信士
がモニターを見つめる。
 あの子とはリヴァイアサンのことだ。シルマリル
は怪物に取り込まれるかたちになっていた。
「変異種らしいです」クレア管制官が答えた。「と
りあえず敵対的ではありませんが、反物質のエネル
ギーを求めて本能的に動いているそうなので、対応
を誤ると危険でしょう」
「ケンカはしたくないな」リーゼロッテ・ドンメス
火器管制官が呟いた。「リヴァイアサンは敵の攻撃
を取り込んで成長するんでしたよね、艦長?」
 坂堂巽はキャプテンシート上で身じろぎした。
「どうも……その呼び名は落ち着かないな」
「いいかげんに諦めてください」
 巽はちょっぴり笑んでみせた。ホロディスプレイ
に映るシルマリルとリヴァイアサンを見た。その向
こうに広がる、はるかな星空を見た。
「あれは宇宙に適応した生き物なのだろうね。どこ
までも、どこまでも飛べるに違いない」
「我々だって飛べますよ」最上ちはや医療班員が力
強く言った。「雛鳥は巣立つんです。地球という星
から巣立つ時期が来てるってことですよ」
「そうだね……。最上医療班員、ザイードさんは、
どこまで飛んでいっただろうね?」
 ちはやは少し考えた。宇宙葬の記憶を思い返した
のかも知れない。ザイードの柩は太陽系を飛び出す
軌道を与えられて送り出された。
「さあね。でも」ちはやは笑った。「また会えたり
してね。宇宙の果てのどこかで……」
                                  (つづく)
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《お知らせ》
●スワン・バークレイ(01363-02)、アリアバート・
グランチェスタ(00963-02)、ライト・レンブラン
ト(01275-01)、御堂力(06089-01)、朱砂葵(06
189-01)、椋・クリフト・紫蘭(01004-02)、ソル
トムーン(01295-01)、マセウス・諱(01218-01)、
以上のPCは死亡しました。スターティングマニュ
アルに従って再登録をお願いします。
●暁孟浩(01356-02)、バレスト・エヴィン(0615
7-01)はエングラム・チェックにより犯意が確認さ
れ、火星SPに引き渡されました。次回、これらの
PCの活動にはかなりの制限がつくでしょう。
●エングラム技能の転写ルールを間違えている方が
見受けられます。よくご確認を。
●選択肢番号を間違えている方もあります。可能な
限りチェックし、ふりわけ直していますが、プレイ
ヤーの皆さんもご注意をお願いします。
●ご質問にお答えします。Q.大活躍している人は
どんなリプライをかけているのか? 内容を知りた
い。A.ケースバイケースでして、一概にお答えは
できません。物語の展開を推理してドンピシャリの
行動を取るのが最も確率の高い方法です。マスター
が考えつかなかったような怒涛の展開をうながすリ
プライなら、これはもう大活躍でしょう。でもそれ
以外にも、PCの設定や立場、ネイバーリンク関係
などが物語の流れに合った場合、思わぬ活躍をする
こともあるんです。これはもう運です。
 PCの動機や心情、こまごまとした行動内容をた
くさん書くことは、必ずしも必要ではありません。
あればマスタリングの参考にはなります。でも肝要
なのは、かれが、何をするか。たいていの場合それ
はひとことで要約できるはずです。Q.PC設定を
つけろというが、なんのことか判らない。キャラク
ター情報とは違うのか?A.ここで言う設定とはP
Cプロフィール用紙のこと。まぎらわしかったです
ね。ごめんなさい。Q.グワイヒアは光速の何%ま
で出せるの?
A.3〜4%までは出るでしょう。でもかなり長期
にわたる加速が必要ですし、その間に太陽系を飛び
出してしまいます。