『N98 星空までは何マイル?』は、(株)遊演体の著作物です。
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■No.10121「鷹よ、羽ばたけ!」
GM:星空めてお 担当マスター:茗荷屋甚六
                薙原 號
 このリアクションは選択肢100、120を選ん
だ人の内、一部の方に送られています。
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《前回のあらすじ》
 グワイヒア級2番艦シャドウファクシは、戦線に
復帰した。傷つき、汚名を背負った鷹は、WG希望
の影鷹を中心とするメンバーの尽力で、新たな力を
注ぎ込まれたのだ。
 鷹は機構軍からシルマリルを守り抜いた。
 次に鷹を待つ戦いは───太陽系に最期をもたら
そうとする超新星爆発に挑むことだ!


 鈴音静羽は、ゴーグル型の眼鏡をかなぐり捨てて
クルーたちを睨みつけた。
「やです」彼女は言った。「武装を全部降ろすだな
んて、おっかなくないんですか? 機構軍の残党が
暴れ出すかも知れないし、テロリストだって来るか
も知れない。そんなことになったら、シャドウファ
クシ、戦えないじゃありませんか!」
 ───バルカン、宇宙港。グワイヒア級2番艦、
シャドウファクシは、これまでで最大の改装作業中
であった。各バルジはほとんど解体され、新たな機
構を組み込まれつつある。
 計画立案者のデチャード・ロスは、脂の浮いた顔
で静羽を見た。
「言いたいことはそれだけか? どけよ。作業が止
まっちまうだろ」
「そんな……強引過ぎます!」
「そいつは俺の性分でね。このふてくされたつらと
同じように、持って生まれたものさ」デチャードは
静羽に指をつきつけた。「いいか、俺たちが戦う相
手は、太陽だ。テロだのなんだのはSGに任せれば
いい。WG希望の影鷹は、シャドウファクシにしか
できない任務を受け持つべきなんだ」
「だからって武装を外す理由にはなりません」
「必要なのよ!」鈴明蘭が割り込んだ。「この船は
太陽へ突っ込むんだからね。余分な荷物は捨てて、
冷却装置に積み替えなきゃ。丸焼きになりたくはな
いでしょ?」
「外した武器も無駄にはしないよ」マーティン・ラ
ンドルフが言った。「君も知ってると思うが、超新
星化を防ぐための作戦はいくつも同時進行していて
ね。『HMM2S』については?」
「太陽を情報化して、メモリに保存するというやつ
でしたよね」
「そう。メモリ・システムがものすごく大量に必要
だ。おかげで私もてんてこまいだよ。無重力建築の
専門家は、さほど多くはないからね」
 バルカンの周辺には、急造のメモリ・システムが
大量に浮かんでいる。いまなお増えている。これら
に太陽のデータを流し込む計画なのだ。ちなみに作
戦名は『How Many Miles to Stars?』の略称だ。
「シャドウファクシから外した武器は」マーティン
は続けた。「メモリ・システムに使わせてもらうつ
もりだ。とにかくあらゆるコンピューターを駆り集
めててね。この前の機構軍との戦闘で、ずいぶんス
クラップが出たろう? あれも回収して使っている
くらいなんだよ」
「せめて電磁砲は残してください」静羽はゆっくり
と眼鏡をかける。「太陽プラズマをかき分けるのに
役立つはずです」
「連続して照射するのか?」デチャードはかぶりを
振った。「そんな効率の悪いことはやめておけ。プ
ラズマを回避するための磁気コントロールシステム
は別に積む。余分な熱源は極力減らすんだ」
「でもさ、完全に丸腰ってのはどうかと思う」明蘭
が口を出す。「ひとつぐらいは残したら?」
「ミサイルポッドがあるさ。『Birth Sol』のため
に、こいつだけは必要だ。作戦の内容は知ってるよ
な? エヴァグリーンの種を太陽に植えるためにミ
サイルが要るんだそうだ」
「エヴァグリーン?」静羽が尋ねた。
「エングラム技能だ。周りのものを情報世界へ送り
込む。太陽をどうにかする作戦は、けっきょく情報
化に落ち着くようだな」
「僕のは違うよっ」明蘭が誇らしげに言った。
 デチャードはじろりと明蘭を睨んだ。
「本気で言ってるわけじゃないよな、太陽への突入
とかいう作戦のことは?」
「とーぜん本気っ! そのための改装よ!」
「馬鹿野郎。エネルギーの無駄だ」
「やってみなくちゃわかんないでしょっ!」
 言い争いになった。静羽はため息をついた。
「よくわかんないけど、とにかく、たくさんの作戦
が実行されるんですね……」
「それだけ決定打に欠けている、ということにもな
りますわよね」
 ヴォルフィン・エッシェンバッハが無表情に言っ
た。彼女は今回の作戦を統括するリーダーだ。
「未来への扉はどこかにあるのです。それを開くた
めの鍵も用意しました。でも、正しい鍵はどれなの
か、私たちには判らないのですわ」
     @     @     @
 沙織・ミュッセンベルクは、シャドウファクシの
ブリッジでほおづえをついている。
 彼女の前のモニターには艦の改修状況が立体表示
されている。沙織はものうげなようすでコンソール
を叩いた。立体図の全面が点滅を始めた。
「これはどういう意味ですの?」
 嵯峨野水儺瀬がのぞき込んできた。声がくぐもっ
ている。化粧の最中なのだ。
「塗装の状況です。太陽からの輻射熱に耐えられる
コーティングにしなければならないとかで」
「ふうん。シャドウファクシもお化粧なのね。奇麗
になってくれればいいな」
「おえええええ」ミュリス・メルクリシュナウスが
操舵席で身をよじった。
「あら。ミュリスさん、どうなすったの」
「寄るな寄るな猛毒お化粧ド変態オヤジ〜っ!」
「失礼ねえ。性別なんて、美の前には些細な違いで
しかないと思いません?」
 沙織は深いため息をついた。
「塗装終了予定まであと2時間……というところで
すね。発進はいつになるんでしょう」
「さあ?」
「……水儺瀬さん! お化粧は自分の席でお願いし
ます。ファンデーションを撒き散らさないで!」
「あら、ごめんなさい」
「荒れてるわねー、沙織」ミュリスが言った。
「すいません。でも、もどかしくて。太陽の超新星
化をどうにかするなんてこと、本当に可能だと思い
ますか? こうしている間にも、逃げる準備を進め
るべきじゃないかという気がして……」
 沙織はせわしなくモニターを切り替えた。シャド
ウファクシの立体図が消え、宇宙空間が映し出され
た。『HMM2S』のためのメモリ・システムが盛
んに建造されている。
「これだけの資材があれば、船やコロニーだって建
造できます。太陽系を脱出するという選択肢を選ぶ
のは、間違っているのでしょうか?」
「現実的ではありません」シェリーナ・ハイロウが
冷静に指摘する。「この程度の資材と限られた時間
では、満足な脱出船など造れるはずはありません。
80億人を乗せて運ばねばならないのですから。そ
れとも、ミュッセンベルク管制官。あなたは一部の
人だけでも脱出できればよいとのお考え?」
「……意地悪ですね、シェリーナさん」
「あら、ものごとはつきつめて考えなければ」
 愛美・ユニシオールが声をあげたのは、ちょうど
そのときだった。
「みなさんっ! 聞いてくださいっ!」
「わっ」ミュリスがのけぞった。「んん〜、びっく
りするじゃない仔猫ちゃん。どうしたの?」
 愛美は通信席から立ち上がり、ヘッドセットを両
手で押さえたままクルーたちを見渡した。
「ビアンキ代表と通信がつながってます。音声、出
しますね」
「……出ないじゃない」
「タイムラグが5分ほどあるんです」
「うざったーい。ビアンキさん、今どこなの」
「グワイヒアに乗って、こちらへ向かっている途中
なんです」
 グワイヒアは、水星圏で実行されるいくつかの作
戦の人員を迎えるため、地球へ赴いた。すでに収容
を終え、帰りを急いでいる。アントニオ・ビアンキ
もゲストのひとりとして乗り込んでいた。
 沙織が顔を上げた。
「そう、そういえば地球のほうで、大きな作戦が始
まったと聞きました。確かこじし座への転移を目的
とした計画だったはずですね」
 水儺瀬がコンソールを操作した。ウェブ放送の画
面が出た。とたんにミュリスが飛んできた。
「わーい、リンダちゃんリンダちゃんっ! んん〜
ペロンペロンのムニュムニュ! かわい〜い!」
「……ミュリスさん、ご存じですの?」
「寄らないでオヤジ! リンダちゃんはグワイヒア
に乗ってたの。アタシ好みのタイプだわぁ」
 画面は『Double Earth』の告知番組だ。リーダー
のリンダ・イフェアが、頬を紅潮させて、全人類に
協力を訴えている。
「美しいわぁ……」ミュリスの眼が潤む。「アタシ
絶対に応援しちゃう。だってこの計画、美少女揃い
のスタッフなんだもの。ピュリアちゃんでしょ、ほ
ら映画のフェイドラ役の。もうひとりのニナさんて
いう人はよく知んないけど、彼女も素敵なの!」
「ずいぶん危険な計画だそうですね」シェリーナが
言った。「あまりにも無謀なので、フェデレーショ
ン・コンタクトではプロジェクト申請が通らなかっ
たという噂ですけれど」
「でも、この作戦が、最後の頼みになりそうな気が
します」水儺瀬がつぶやいた。
「みなさん!」愛美が言った。「ビアンキ代表から
の通信を聞いてください。大事な質問の答えが来ま
すから……」
「大事な質問って?」
「シャドウファクシに乗っていただこうとお誘いし
たんです。プロジェクト・ミスランディアの前線基
地にもっともふさわしいのは、フェデレーション的
な運用体制を持つ、この船だと思いますから」
「別にオヤジなんか乗せなくてもいいのに」
「もう! あっ、そろそろ時間です」
 かすかなノイズの向こうからその声は届いた。誰
もがよく知っている、温和で理性的な、あの声。
『聞こえているのかな? こちらアントニオ・ビア
ンキだ。WG希望の影鷹の諸君からいただいた提案
を、謹んで受けさせていただく。私はあまり役に立
たないが、よろしく頼むよ』
     @     @     @
『ふうん。代表が来るのか』九剛宝らいら、機関部
員用の防護服の中で問い返す。『いつ?』
『28日だって』御門マモル、勢い込んで『ねえ先
輩。この船、それまでには飛べるよね』
『すぐにでも飛べるさ。こいつが、アタシたちの目
の届かないとこで悪さをしてない限りはね』
 らいらは対消滅機関をぴしゃりと叩いた。鈍重な
シリンダーの内部は大半がシールドで、本体部分を
視認することはできない。センサーに頼った整備を
信用しない彼女にとっては、どうにも納得のいかな
い箱入り娘である。
『まあ、あちこちだいぶいじったから、操舵の人と
かは慣らしが必要かな。ビアンキっていうんだっけ
か、代表は? 顔もおぼえてないや』
『先輩……それ、マジで言ってるの?』
『だって誰でもいいんだろ、頭なんて。フェデレー
ションってのはそういうもんじゃないの?』
『うーん。そりはそーだけどォ』
 コムニーに呼び出しが入った。
『こちら機関制御室』大道寺代奈の声。『シャドウ
ファクシ、発進準備に入ります』
     @     @     @
「ただちに炉室から退去してください」
『了解。いま戻るよ、ダイナ。ところで、あんたは
ビアンキ代表のこと、どう思う?』
 代奈は眉をひそめた。
「雑談なら後にしてください。任務中です」
『そうだね。悪かった』
 らいらはすぐに引き下がった。だが代奈の胸は騒
ぎ続けた。アントニオ・ビアンキ。フェデレーショ
ンを象徴するかのごとき人物。ふりはらうように代
奈は任務に集中する。
「ファルザング機関長。ただちに機関制御室へいら
してください。発進準備に入ります。……ファルザ
ング機関長? 応答を願います」
     @     @     @
「目が覚めはりましたか?」
 バージ・シャウトの声が頭に染み込むまでに数秒
かかった。レイ・ファルザングはベッドから身を起
こそうとして、固定ストラップがかけられているこ
とに気づいた。メディコの壁がかしいで感じられる
ところをみると、航行中らしい。
「もう発進したのか」
「気ィつかへんねやもんなァ。太陽へ向こてます。
そろそろエアコンも効かんようになってきよりまし
たわ。起きられますか?」
「俺は……そうか、スピナーで眠ってたのか」
「こんなときに、つまらんことしましたな。なにか
実験でもやっとったんですか」
「エングラム技能を固定できねえかと考えてな。シ
ルマリリオンの連中な、情報世界で、いまもペルセ
ウス・ミラーを展開し続けてやがるんだ。かれらが
それをやめても、今の状態が保てねえかと……」
「ワイはよう知らんのやけど、スピナーって、確か
自分を冬眠さす技能とちゃいますか」
「発展させられればと思ったんだ。ネイバーにも呼
びかけて、活性率を高めて……手伝ってくれたヤマ
グチには済まねえことをした」
 レイはふと腕につけた喪章に気づいた。引きちぎ
る。イカロスの面々は死んではいない。彼もまたこ
んなところで休んでいるわけにはいかない。
「気張りや」バージが言った、力づけるように。
     @     @     @
 鈴明蘭は脂汗を浮かべてモニターから目をそむけ
た。彼女は叫んだ。
「ホロディスプレイの明度をもっと下げて」
「これ以上は無理だ」東雲和人が応えた。「計器飛
行に移るか?」
「冗談じゃないわ。あのつら睨みつけながら飛んで
やるんだから。ああもう、まぶしいっ!」
「どこまで降りるおつもりですの」水儺瀬、緊張し
た口調で「耐熱限界に近づいてますわっ」
「行けるとこまで行くっ。本番はグワイヒアが来て
からだけど、やれるってこと証明しなきゃ!」
「無駄なんだよ」デチャードが叫ぶ。「太陽ん中に
コギトンの塊でもあると思ってんのか? ありゃあ
物理世界の常識じゃ理解できねえものなんだ。鍋の
中のシチューをすくうみたいにはいかん」
「だって現に、超新星爆発は止まってるじゃない。
シルマリリオンの人たちのペルセウス・ミラーが、
コギトンを押さえてるんだわ。だったらこのままミ
ラーを移動させれば、コギトン、どっかへ運ぶこと
もできるじゃない!」
 超新星化の原因となったのはコギトンの凝集であ
る。それは太陽中心にあるはずだ。ペルセウス・ミ
ラーを巨大な器として、コギトン凝集塊をすくい上
げ、他の場所へ移動させる───それが明蘭のプラ
ンだ。作戦実行のため、シャドウファクシで太陽へ
突入する必要があると主張する明蘭に、クルーたち
の意見は分かれた。
「まったく、わからねえお嬢ちゃんだな」アルベル
ト・久遠寺が呆れたように「おいフィー、なんとか
言ってやれ」
 フィー、と呼ばれたのはヴォルフィンだ。彼女は
こころもち首をかしげ、つぶやいた。
「もしかすると、この方法が正しい鍵なのかも知れ
ません。やれるところまでは……」
「おまえまでンなこと言うかよ!」アルベルトは明
蘭に向き直って「おいお嬢ちゃん、太陽を見てみろ
や。まだらだろう。なぜああなるか、判るか?」
「おじさんには判るっていうの」
「オレだって確かなこた言えん。推測だがな。時間
の流れがおかしくなってると思うぜ。情報世界って
ところは昨日と明日がごちゃまぜでな。理屈はよく
知らねえが、時間ってのも情報のひとつに過ぎない
からだって話だ。おそらく、太陽はまだ膨張を続け
てる。あのまだら模様は爆発の瞬間をめちゃめちゃ
に長く引き伸ばしてるんだ。わかるだろ? 爆発は
続いてるんだ。ペルセウス・ミラーをどうにかした
ら、ドッと噴き出してくるだろうぜ」
「だから僕が言ってるじゃないか。爆発の原因はコ
ギトンなんだから、それを移動させれば」
「そいつが無理だってんだよ! いいか、コギトン
は爆発の原因になった。けどな、コギトンが関与し
てたのは、爆発が起こる前の、物理法則への干渉の
段階だ。ドカンといっちまえば、あとはもうオレた
ちの世界のルールに従って進むのさ。超新星爆発は
始まっちまった。いったん点火された質量は止めら
れやしねえ。コギトンは、もうどうでもいいことな
んだ。なんとかしなきゃいけねえのは、太陽と、爆
発そのものなんだ」
「じゃ、どうすればいいのさっ!」
「そいつは……理詰めにいきゃあ、逃げるのが一番
なんだがな。船がねえんだからパスだ」
「アルベルトさんは『Double Earth』が失敗すると
お考えなんですの?」水儺瀬が問うた。
「さあな。うまくいったらめっけもんだろうが。む
しろ『Birth Sol』とかのほうが可能性あるぜ」
「あのう、それなんですが」俊光・プランツが言葉
をはさむ。「エヴァグリーンの種を太陽に植えつけ
るという計画ですよね?」
「らしいな。そいつで情報化すると聞いたぜ」
「どうなんでしょう。ペルセウス・ミラーが今も展
開されてますよね。エヴァグリーンは、太陽の表面
まで届くんでしょうか?」
「うん? そりゃ……気づかなかったな」
「試してみよう」こともなげに和人が言った。
     @     @     @
 バルジ内部には急造の冷却ダクトが這いまわって
いる。俊光は慎重にすり抜けて進んだ。かえりみる。
くっついてくる小柄な姿。
「コオ。僕はひとりでだいじょうぶですってば」
「活性率、必要でしょう?」
 コオ・フレデリックは息をきらして笑った。少女
は俊光のネイバーである。
 武器架周辺は冷却装置が詰め込まれ、ふだんより
狭かった。ミサイルポッドの傍らにたどり着くと、
俊光は呼吸を整えた。コオが寄り添う。ふたりのエ
ングラムが同じリズムでまたたいた。
「俊光さん」コオがささやいた。「眼鏡、このごろ
かけなくなりましたね」
「え? ああ、そうですね。似合わなかったし」
「そうは思わないけど。でも、いまのほうがいいで
すよ。いきいきしてて」
「照れるな」
 俊光は素直に笑った。その表情が劇的に変わる。
彼は集中する。エングラムに躍る輝き。てのひらの
上に光が現れた。エヴァグリーンの種である。それ
は俊光の意のままに宙を渡り、ミサイルポッドへと
吸い込まれた。
「だめだ」表情が曇った。「弾頭に込めようとする
と、消えてしまいます。僕の目が届く範囲でなけれ
ば、種のかたちを保てない……」
「発芽させてみてはどうですか?」
「ミサイルの上で? わかりました。もう少し離れ
ましょう」コムニーに告げる。「こちらプランツで
す。ミサイルの発射準備をお願いします。合図と同
時に撃てるようにしておいてください」
『その位置では危険です』静羽の声だ。
「なるべく下がりますよ」コオを背後にかばう位置
へ動きながら俊光は応えた。
 エヴァグリーンの種は、今度は消えなかった。ミ
サイルポッドの中でなにかが動き始めた手ごたえを
感じると、俊光はすぐさま合図した。
 ミサイルは放たれた。
 コオがホビットを広げた。小さなモニターに、各
種センサーの感知結果を総合したシミュレート画面
が映し出される。発芽状況はエングラム現象である
ため、画面では確認できない。だがコオには、俊光
から伝わる感覚があった。
 巨大な重力に引かれ、ミサイルは加速しつつ落ち
てゆく。その間も、エヴァグリーンで発生した魔法
の蔓は委細構わずはびこり続けている。
「もう少し───もう少しだ」
 祈るようにつぶやいた俊光の表情が、次の瞬間、
落胆に沈んだ。
 エヴァグリーンの種は太陽の間近まで到達したが、
そこから先へは進めなかった。
「予想どおりだ。ペルセウス・ミラーに阻まれたん
です。このままでは太陽の情報化はできません」
「ミラーを張り続けて、このまま爆発を押さえ込ん
でおけないでしょうか」
「シルマリリオンの人たちが耐えきれないでしょう
ね。どうしたらいいんだろう……」
「ランバージャックなら?」コオが言った。「かれ
なら、なんとかしてくれるかも。『HMM2S』の
ほうでも、かれの力を借りるそうですよ」
 コオはホビットに呼びかけた。エングラム・イン
ターフェイスから少年の姿が現れた。
『残念な、がら、成果は少な、い』かれは淡々と状
況を告げた。『き、みたちの失敗と同じ理、由で、
作戦『HMM2S』も停、滞し、ている。エングラ
ム・インターフェイスを太陽へ投、下する方、法が
ない。あれがな、ければ、ボクも太陽のそ、ばまで
は行、けないから、ね』
「では……我々には、どうすることも?」
『少な、くともペルセウス・ミラーを解、除しない
限りは太、陽の情報、化は、難しい』
『ブリッジです』愛美の声がした。『シャドウファ
クシはいったんバルカンに帰投します。グワイヒア
の入港までに最終整備を済ませて、ビアンキ代表を
お迎えしなければいけませんから』
     @     @     @
 アントニオ・ビアンキは、グワイヒアのバルカン
入港直後、随員とともに上陸した。彼はフェデレー
ション代表であると同時に、プロジェクト・ミスラ
ンディアのリーダーである。シミズ・シティを失っ
たことで、ようやく超新星化対策の最前線へ姿を現
す機会を得た。つくづく皮肉な話ではあった。
「代表……」
 ソニア・ブライトリングが、後ろに続く一団を制
した。彼女は銃を抜いた。警備陣がビアンキの周囲
をきっちりと固める。
 行く手に現れた影は鍛え抜かれていた。その手に
銃を認め、ソニアは鋭く声を発した。
 立花元道がエングラムを励起させつつ前へ出る。
ソニアと並んだ。おぼつかなげに構えた銃が、不意
にぴたりと決まった。シャドウ技能であろう。
 影はその場で大きく手を広げ、なにか叫んだ。身
をひるがえし、背後へ向けて発砲。直後、影は痙攣
した。撃たれたのだ。
「仲間割れだ」言いざまソニアは走った。撃つ。
 元道はソニアとまったく同じタイミングで走り、
発砲した。なにか言おうとしたが、舌がもつれて呻
き声にしかならない。シャドウ技能は、リンクした
相手と同じ運動を可能にする。逆に言えば、逸脱す
る動きは不可能ということだ。
 通路の向こうに気配があった。銃撃戦となる。
「連絡を」ビアンキが、傍らに従うジャスミンにさ
さやく。「テロリストが動いた」
「了解しました、ハザウェイ様」
「その名で呼ぶな」ビアンキ───の影武者、ハザ
ウェイ・アフテングリは不敵に笑った。「どちらに
いらっしゃるのだ、我らの光は?」
「シャドウファクシへ向かっておられます」
「よし。敵を切り抜けて合流する」
     @     @     @
「……この席に座れというのかい、私に?」
 アントニオ・ビアンキは複雑な表情でキャプテン
シートを眺めた。
「お気に召しませんか」愛美・ユニシオールがおず
おずと言った。「そのう、ほかに適当な空席がない
ものですから……」
「ふうむ。おそれおおいな。君たちはアリの雛鳥だ
ろう? 私のごとき軟弱者を上に戴いては、アリの
魂も安らかではいられないと思うが」
「ザイード艦長は尊敬に値する方でした。でも、わ
たしたちのシャドウファクシは、軍の論理で動く船
ではありません」
「ほう?」
「ここでは誰もが同格です」愛美は誇らしげに胸を
張る。「いま必要なことはなにか、そのためにどう
すべきか、みんなが常に考えています。ここでは誰
も命令しません。そんな必要はないんです」
「意見が分かれたら?」
「議論します」
「決着がつかなかったら?」
「最終的には、その作戦の責任者を務めるWGリー
ダーに判断を委ねます。リーダーは作戦ごとに交替
します。今回は、彼女、ヴォルフィン・エッシェン
バッハさんがリーダーです」
「なるほど。おもしろい試みだね。フェデレーショ
ン的体制で運用される軍艦か。アリが知ったらどん
な顔をしただろう」
「ですから」愛美は声を高くして「キャプテンシー
トといっても、この船では特別な意味はないんです
よ。ほかよりちょっと高い位置にあるだけ。だから
遠慮せずにどうぞ、ミスター・ビアンキ」
「ありがとう。この船は見晴らしがよさそうだ」
「シャドウファクシ、出港!」
 操舵手の鈴明蘭が高らかに宣言した。
「バルカンより小型艇、多数発進します」シェリー
ナ・ハイロウ管制官が報告する。「グワイヒア護衛
艦隊、小惑星帯SGなどに所属する艦船です。テロ
リストの攻撃に備えての出動です」
「識別信号の確認を」東雲和人管制官が言った。
「確認中」沙織・ミュッセンベルク管制官の声が緊
張した。「未識別艦発見」
「テロリストでしょうか」鈴音静羽火器管制官が誰
にともなくつぶやく。
「逃げるしかございませんわ」嵯峨野水儺瀬は化粧
道具をしまい込むや、がらりと口調を変えて「おら
おら、フィシス! もたもたしとらんと、ケツに帆
を掛けェ! ワシらケンカでけへんねんでェ!」
『はい、マスター』カスタム・フェイドラはことも
なげに航法計算にとりかかった。
「ねえねえ……」ビアンキ随員のひとり、月影沙輝
が、姉の巫舞綺をつつく。「この船ってさ、武器は
ないの?」
「そのようですわね」
「だからやめようって言ったじゃないか。わざわざ
最前線までついてこなくたって……」
「おとなしくなさい。護ってくださるお船はたくさ
んいます。グワイヒアもすぐ近くにいます」
「未識別艦、新たに接近中」ヴォルフィンの声がか
すれた。「シドニー級高速巡洋艦と思われます」
「機構軍の艦艇ですね」ソニアが言った。
「そのようだが」腑に落ちぬ表情でビアンキはつぶ
やき、それっきり口をつぐむ。
     @     @     @
 エルマー級ホワイト・ワイヴァーンIIはシドニー
級めがけてまっすぐに飛んだ。コムニーがなにか叫
んでいる。マリエ・ミリィ・金城の声だ。
『リディヤ、リディヤ! なにやってるの。キミが
飛んでるのは突入軌道じゃない!』
 リディヤ・ファーレンバードは応えない。前しか
見ていない。トリガーに指をかけた。
『あ〜、娘さん、えろォ気が早いなあ』素っ頓狂な
声がした。『こちらバンツー級アルメイア、ハイン
リッヒ・カームやけどな。聞こえとるか? ほんな
ら向こうさんの言うことも聞いたりィ』
 なんのことだ? 熱くなっていたリディヤはふと
我に返った。入電を示すサインは確かに点灯してい
る。それはシドニー級からの通信だった。
『こちらは独立戦闘部隊パンデモニアム。我らにフ
ェデレーションと交戦する意志なし。この場はテロ
リスト迎撃に協力する』
「どういうことさっ。味方なの。信じていいの」
『わかんない。でも』マリエが言った。『でも信じ
ようよ。ボクらは解りあえるはず……』
「マリエ。どうしたの」
『誰かが触れてきた。ネイバーリンクだよっ』
     @     @     @
《疑うのはもっともだが、我々パンデモニアムには
本当に戦うつもりはない。少なくとも、今は》
 コオ・フレデリックはネイバーリンクを通じて声
を感じた。相手は男。名は……大虎斑源八。彼のエ
ングラムのすぐ隣にはマリエ・ミリィ・金城の存在
も感じられる。マリエは言った。
《……わかる。キミたち、あきらめてないんだね。
支配したいんだね、ラウルみたいに》
 コオは震えた。源八の中に渦巻く感情は複雑なも
のだった。諦観と憎悪とかすかな喪失感。そしてそ
の奥に、確かに権力への渇望があった。
《どこにいるのですか。グワイヒアですか》
《そうだ。ラボにいる。見えるかね、あの鳩が》
 ボーイッシュな少女がいた。カナ・デキルという
名らしい。彼女の頭に鳩がとまっている。小枝をく
わえて首をかしげている。
《名はマーサだ。リョコウバトといって絶滅した鳥
でね。SDSの中からよみがえってきた幻だよ》
《SDSって……?》
《セヴン・デイズ・システム。ヴァンダーベッケン
で研究中だった。世界のミニチュアだ。アクセス方
法が異なるだけで、結局は情報世界と同一のものを
指していたんだがな。我々パンデモニアム……いや
アガスティア・グループがバックアップを取ってい
なければ失われていたはずだ》
《ラボにいると言ったね。なにを実験する気さ》
《太陽を元に戻せるかどうかだ》
 カナの傍らにもうひとりの少女が立つ。サヤ・ス
ターリット。サヤとカナはエングラムを触れ合わせ
た。光が躍った。
《スレッド技能だ。あの鳩は幻だが、我々は彼女に
肉体を取り戻してやろうとしているのだよ》
《なぜ……?》
《実験だよ。我々は太陽を情報化しようと考えてい
る。それを物理世界に戻せるかどうか、なるべく明
快な理論を構築しておきたいのだ。お嬢さん、ビア
ンキ代表によろしく伝えてくれ。仲間の話を聞いて
もらえれば、お互い有意義なことだろう》
 コオは息を呑む。かれらは『Birth Sol』に協力
しようとしているのだ!
 ちょうどこのとき、シドニー級からも入電した。
ビアンキと敵の指揮官が言葉を交わしている。コオ
には理解しがたい事態だった。敵は地球をほしいま
まにしたいのだ。そのためには、今ここで滅んでも
らうわけにいかないと考えているのだ。そして、そ
してアントニオ・ビアンキは、やつらの企みなどは
お見通しに違いないのだ。そのうえでなおビアンキ
は、交渉に応じようとしている!
 信頼、なのだろうか? それともコオなどが想像
するレベルを遥かに超えた判断があるのか?
     @     @     @
 エルマー級ナイト・レイドはテロリストの船を追
尾している。コクピットの雨手名未来路は前方を仰
いだ。テロリストの船のさらに先、視認できる距離
にシドニー級がいて、真正面から向かってくる。
「どけよっ。オレが墜とすんだ!」
 パンデモニアムの艦隊はテロリスト追撃に協力し
ていた。戦力の差は圧倒的だ。敵はどうやら入港中
の船を手当たり次第に強奪して飛び出してきたらし
く、操船さえ思うに任せぬやつもいる。テロ対策の
ため待機していた面々とはおのずから士気も違って
くるのは当然だ。
「どけってんだよ!」未来路は叫んだ。「当たって
も知らねえからな。そっちでかわせよ!」
 対艦ミサイルは使わなかった。マイクロミサイル
ランチャーを1基ぶん、乱れ撃つ。実体弾が有効な
状況とは言い難かったが仕方がない。敵船はわずか
に軌道を変えた。マイクロミサイルは追尾性能を持
たない。そのまま軌道を直進する。シドニー級の迎
撃レーザーが反応し、ミサイル群は爆散した。
 この間にナイト・レイドはテロリストを追って軌
道を変えている。敵は乱数加速を行っていた。その
前方には誰の船も飛んではいない。
「射撃に自信はないけどさ……ッ!」
 レーザーをパルス状に放った。当たるまでに6秒
かかった。過熱警報が赤く灯ったが、未来路はそん
なもの見てはいなかった。
 撃墜の瞬間、エングラムに異様な感じが伝わった
のだ。おそらくは断末魔。
「げろげろっ。オレ、ネイバーを墜としちまったの
かよ。最低だぜ!」
 ナイト・レイドを戦闘から遠ざけるように機動さ
せ、未来路は気持ちを鎮めようとした。エングラム
のざわめきが澄んでくる。低く、遠くから伝わって
くるのは、情報世界に飛ばされた者の叫びか。
 未来路はかえりみる。バルカンが見えた。その向
こうで太陽は醜く燃えている。
「クソッ。おい、こっちのことはオレたちに任せと
け。だから、もう少しだけ、がんばってくれ!」
     @     @     @
 グワイヒア、ラボ。バレンシア・フォレスターは
身を起こし、ブリッジに連絡を取った。
「ひどい機動をありがとうね。状況は?」
『引き続き警戒態勢を維持します』
「ならこっちも勝手にやるわ。もういっぺん最初か
らチェック。SDS(セヴン・デイズ・システム)
のインストールに問題は?」
「間違いないわよね、さよりゅん」
 五百羅漢紫苑がささやくように尋ねると、筋肉質
のフェイドラは自信たっぷりに請け合った。
「そうとも。それは問題ではない」閂貞瑠は独り言
のように「SDSはヴァンダーベッケンのそれと同
様に作動している。マーサとの接触もできた。すべ
てのデータはある。太陽のデータも。問題は、それ
らの情報が、なぜ実体化できないかだ。たかが鳩の
一羽ぐらい実体化できずに太陽を再生させられるわ
けがないというのにだ」
「睨まないでよっ」カナはふくれっつらで「マーサ
のせいにしないで。この子は悪くない!」
「ヴィザーで試しましょう」バレンシアが促す。
 清水沢音はうなずき、幻のシーラカンスにそっと
触れた。エングラムがまたたいた。太古のかたちを
残す魚の幻は柔順に前へ出た。
「今度はるみなが」石動るみなが進み出た。
「るみなさん、お顔の色がすぐれませんわ」張麗が
声をかける。「体調が……?」
 るみなはまじまじと相手を見た。
「それはまあ、疲れてるのはお互い様ですけど」
 張麗は新たなエングラム技能の開発を試みていた
が、目の下の黒々とした隈だけが成果だった。
「少し眠ったほうがいいわ。るみななら平気だから。
ただ、ちょっとネイバーリンク先の人がね」
 るみなは集中した。スレッドは肉体を再生する。
その力を幻のシーラカンスに注いだ。しかし幻は幻
のまま、素知らぬ顔で宙を泳ぎ始めた。
「だめか」バレンシアは呻く。「エヴァグリーンで
情報化した太陽を過去のデータに書き換え、再び物
理世界へ戻す。それが『Birth Sol』だよね? 情
報の物質化ができなくては意味がないな。この調子
だと『Double Earth』のこじし座への転移計画も見
直さなきゃ……」
「スレッドじゃ無理なのかなあ」
     @     @     @
「やーれやれ、一段落しよったな」水儺瀬がシート
に身を沈めた。「もういいですわ、フィシス。通常
の任務にお戻りくださいな」
『かしこまりました、マスター』
「……変態オヤジ……」ミュリス・メルクリシュナ
ウスがぼそぼそとつぶやく。
「あいにくだが、終わってねえぜ」アルベルト・久
遠寺があごをしゃくった。「グワイヒアにも間抜け
なやつがいやがる」
 ミサイルを乱射している。ほどなくバルジの一部
を切り離し始めた。
「エヴァグリーンがはびこったんだろうよ。カメラ
にゃ映らねえけどな。『Birth Sol』も思うように
は進まねえとなると、よお、どうすりゃいいんだろ
うな、オレたちは?」
「その前にもうひとつ、心配が見つかりました」
 シェリーナがホロディスプレイの一部に拡大映像
を出した。ラウル級の宇宙船である。
「どうかしたのですか? 貨物船でしょう」
「ミナセさん、フィシスに計算させてごらんになっ
ては? シャドウファクシの進路上で交錯する軌道
を取ってますわ」
「早く言いなよっ!」明蘭が転舵する。
「……おかしいわ。計算結果が変。フィシス、あな
たブッ壊れやがったんか!」
「フォーサイトだ」和人が言った。「こちらの進路
を予知している。航法計算をこちらのコンソールへ
回してくれ。読みくらべだ」
     @     @     @
 ジェラルド・ウェストウッドの愛機は、修羅場か
ら離れた位置を飛んでいる。エルマー級ヤタガラス
は観測機器を増設してある。シャドウファクシへと
迫るテロリストの船は映像で捕捉していた。
(このままだと特攻される、か───)
 その光景を見ようとすれば可能だろう。ジェドも
またフォーサイトが使えるからだ。だが彼はあえて
使わなかった。低い活性率で未来を読んでも惑わさ
れるだけだ。どうせ結果はひとつしかない。ならば
己の腕を信じようと思った。
 ロックオン。ためらわずジェドはトリガーを引い
た。長距離レーザーはテロリストの船を一撃で打ち
砕いた。やつらはどこから撃たれたかも知らぬまま
消えたに違いない。
     @     @     @
 船体に衝撃が伝わった。爆散した船の破片がぶつ
かったのだろう。管制官たちは被害を調べ、次々と
報告してゆく。
「大きな損傷はないようですね」
 ほっとしたように愛美が言った。ヴォルフィンは
うなずいたが、彼女の表情は動かぬままだ。
「どの鍵が明日への扉を開けるのか、我々は誰ひと
りとして知らないままなのですね……」
     @     @     @
「ホビット?」
 グワイヒア、ラボ・スペース。木屋昴はコムニー
に問い返す。
「いや、私の私物にはエングラム・インターフェイ
スは装備されておりませんが」
「誰の持ち物でも構わないのでしょうか?」
 鹿村八角が取り出した。彼女は眼をみはった。イ
ンターフェイス部分が瞬いたと思うと、すぐそばに
ランバージャックの姿が出現したのだ。
『ヴィザー』
 幻の少年は幻の魚を呼んだ。シーラカンスは鱗を
きらめかせて虚空の波を切り、泳ぎ寄った。少年は
魚に触れた。音がした。無気質な、けれど限りない
郷愁を誘う響き。同時にしぶきが散った。
 ラボの真ん中に海が生まれた。グワイヒアは加速
を停止しており、無重量状態である。ゼリーのよう
な水の球体に包まれて、シーラカンスは悠然と浮い
ていた。動いた。さざなみ立つ海を引き連れて魚は
沢音のもとへ近づく。彼女は抱きとめようとした。
海のしずくはたやすく壊れ、彼女を濡らした。放り
出されたシーラカンスは空気に溺れて跳ね回る。
 ランバージャックがヴィザーに触れた。そこから
ふたたび海が湧き起こってきた。
『ヴィザー、が、実体化をい、やがってい、たよう
だ。海、を一緒に造ら、なければね』
「海を造る」沢音はつぶやく。
「ランバージャック」バレンシアは興奮した口調で
尋ねた。「スレッドは海を造れる。それなら地球の
再生も可能なんじゃないの?」
『できる』
「太陽も───」
『できる。活性率、が関係、してくるが、理、論的
には、可能だ』
「ねえ。じゃ、この子は?」
 カナはマーサを示した。リョコウバトの幻はつぶ
らな眼でランバージャックを見つめている。
『だめ、だ。実、体化は、できない』
「絶滅したから?」
『それ、も、あるが。なによ、りも、彼女、自身が
望、んでいない、ようだから』
 幻の鳥が飛び立った。ランバージャックの手に移
り、カナのほうを見た。
「マーサ。ねえ、行っちゃうんじゃないよね?」
 鳥は鳴いた。よく響く声。くわえていた小枝が落
ちた。ランバージャックのてのひらがそれを受け止
める。光が散った。渦巻いてラボを満たした。
 消え去った世界が、失われた多くの存在が、光と
ともに溢れてラボを通り過ぎていく。滅びたものた
ちの幻。雄々しくも哀しい、長く長く果てしもなく
続くガイアの葬列。地球はこれほどに多様ないのち
を宿し、また消し去ってきたのか。そして、葬列の
最後に並ぶのは、ヒトなのか───?
「行かないで。地球は滅びない。アタシたちが守る
から、だから、だから」
 マーサは宙で輪を描いた。その姿がひときわ強く
輝いた。去りゆく世界の幻が、呼応するように白く
まぶしく燃えた。その火の中から鳥が現れる。リョ
コウバト───マーサの仲間たち。かれらは次々と
飛び立ち、群れをなし、あるものはラボの壁を突き
抜け、またあるものは『Birth Sol』メンバーの肩
といわず手といわずに止まった。鳴き交わし、羽を
膨らませて、まるでなにかをせがむかのよう。
「そうかい!」川波君江が手を打った。「あんたら
運んでくれる気なんだね! リサ、ヤスミ、みんな
も急ぎな。エヴァグリーンの種を蒔くんだ!」
 リサ・ランドールが、八角が、君江とネイバーリ
ンク。高い活性率を得た君江の手からあざやかな光
の種が浮かび上がった。幻の鳥はそれをくわえ、新
たな光を身に灯して、ラボを飛び出してゆく。
     @     @     @
 幻の鳥たちはシャドウファクシにも飛び込んでき
た。クルーたちの周りを飛びかう。
 魁・F・真軌瀬が手を出した。
 彼のエングラムは左手の甲に励起する。鳥はその
上にとまった。浮かび上がってきたエヴァグリーン
の種をくわえ、飛び立つ。すぐさま新たな鳥が現れ
て、種をせがむ。魁は大忙しだ。
 エヴァグリーン技能の使い手たちはみな幻の鳥に
囲まれ、種をねだられた。かれらの眼は種と一緒に
太陽へと飛んだ。
 かれらはブリジンガメンの姿をかいま見た。新造
戦艦はエヴァグリーンの樹木に包まれるかたちで、
情報世界へたどり着いた。そこに留まり、太陽の質
量を放散させるべく活動する決意だという。
(オベリスクのやつらが果たせなかったことを引き
継いでくれるんだな……)
 デチャード・ロスは身震いした。新たな決意を固
め、彼の眼は太陽へと飛翔を続ける。
 ───だが、魔法の鳥たちでさえも、太陽を包む
ペルセウス・ミラーの障壁をくぐり抜けることはで
きなかった。
「シルマリリオンの英雄たちに連絡をつけられる人
は、この中にいるかな?」アントニオ・ビアンキは
淡々と言った。「こうなると、ミラーを解除すると
いう選択肢を考えざるを得ないようだ」
     @     @     @
 ペルセウス・ミラーの解除へ向けての調整は全太
陽系規模で進められた。
 ミラーをほどくということは、すなわち爆発の再
開を意味する。水星軌道まで達するのに約3分。金
星までは6分。地球でもわずかに8分。この間に太
陽の情報化を済ませねばならない。
 万一の場合を想定し、プロジェクト・ノアの準備
も進められた。地球およびL4、L5コロニー群を
ペルセウス・ミラーで護ろうというのだ。それだけ
の規模のミラーを展開するには巨大なエネルギーが
必要である。だが、シルマリリオン・チームが太陽
を押さえ込んでいたミラーを流用する方向で検討が
進められ、いちおうの解決をみたようである(実現
できるかどうかは、出たとこ勝負だが!)。
     @     @     @
 グワイヒア、サブ・ブリッジ。
 佐藤しぇらは思わず身を乗り出した。
 画面には映画が映っている。『彗星動乱』だ。マ
イケル・ラウルとフェイドラが、みずみずしい宇宙
への夢を語っている。やがて人類が到達するであろ
う未来のひとつとして、こじし座の映像までが示さ
れている。
「アドリブ?」五武ゆずりが問う。「それとも」
「いえ、これも『Double Earth』の一部」マギー・
コアロッホは断言した。「なぜって、フェイドラを
演じる女優さんは、ピュリアさんなんですもの」
「知ってる」しぇら、鋭く。「だけど、この映画と
いっしょに、地球が変になり始めたんだ。観測デー
タを見てよっ」
 あらゆる領域にわたって異常が現れていた。変動
というレベルではない。すべての要素が次々と観測
不能に陥ってゆくのだ。
「おい見ろ」風牙・ゲルトナーが叫んだ。
 観測衛星からみた地球の映像である。かすれ始め
ている。機器の故障? 違う。これは。
「地球の情報化が始まったんだ」
「ええっ。だってしぇら嬢ちゃん、エヴァグリーン
の樹が」チャッチー・アークは手を打った。「そう
か。エングラムってのはカメラにゃ映らねえんだね」
 祀里花が息を呑んだ。彼女のエングラムが強く輝
いている。ささやく。
「どうしよう。わたし、王様を感じてるわ。地球と
ネイバーリンクしてる!」
     @     @     @
 映画『彗星動乱』のワンシーンをきっかけとして
始まった地球の情報化は急速に進んだ。
 と同時に、全人類規模のネイバーリンクが太陽系
をつなぎ、遥かこじし座までもひとつにした。
《ふざけやがって。オレは認めんぞ》
 ジャンニ・クラウディオの言葉がネイバーリンク
を走った。同時に彼の中にあるイメージが伝わって
ゆく。それは大昔に書かれた童話の場面だ。
 ───船がある。大勢乗っている。乗り手はみな
完全に心を通わせることができる。幸せだ。あると
き、ひとりが死ぬ。残された者は死者が消えたこと
にさえ気づかない。あいかわらず幸せだ。
《ピグマリオン計画ってのは、これだ。情報の共有
化だと? それによってコギトンが減るだと? ふ
ざけるな。みんな同じってのは、誰でもどうでもい
い存在になっちまうってことだ。オレたちはみんな
違う。だからこそみんな、誰ひとりとして、欠けて
はならないんじゃないか!》
 穏やかに応えたのは、ビアンキである。
《落ち着いて、感じてみるんだ。君が世界だ。誰が
いる? そこには君しかいないだろうか?》
 違う、断じて違う!
 ジャンニは人類とつながっている。そこには無数
の個性が、魂がある。いらだちも疑いも嫌悪も打算
も明らかな狂気さえもある。それでも意志は、意志
だけはただひとつだ。地球を救う。地球とともに生
きる。誰もがその一点めがけて手をさしのべあって
いるのだ。
《ちくしょう! どいつもこいつも身勝手でぶざま
で汚くて卑怯で、だけど素敵だぜ。よう! みんな
生き延びろよ。誰ひとり死ぬな。明日ンなればまた
それぞれ独りきりで、ろくでもねえことしでかすん
だろう。構やしねえさ。生きてるってのはいいぜ。
どんな奇跡よりかっこいいぜ。寂しくなったら今日
のことを思い出せよな。ええい、くそっ! オレも
せっかちだな。けど、死なねえさ。死んでたまるか。
オレたちは生き延びてやるんだ!》
     @     @     @
 ミラー解除のカウント・ダウンが遥か遠くに聞こ
える。今岡形の意識はグワイヒアのブリッジを離れ
ていた。形の眼はエヴァグリーンの種となり、幻の
鳥にたずさえられて、太陽へと飛んでいた。
 太陽は世界の終端に立ちはだかる壁だった。その
表面を覆うペルセウス・ミラーが、割れた。世界が
火を噴いた。鳥も、種も、形の眼も、なにもかもが
超新星爆発に巻き込まれた。
 エヴァグリーンの種は、業火の地獄に沈みながら
も、芽吹いた。いくつもの種から伸びた蔓が絡みあ
い、巨大な樹木に成長してゆく。物理世界の植物は
光合成を行うが、エヴァグリーンの樹は、太陽のエ
ネルギーを平然と糧にして情報へ変換してゆく。
 成功、と形は思った。
 だが世界樹の成長速度は、超新星爆発の拡散速度
を上回ることができなかった。太陽のかけらは光の
速度で世界樹を置き去りにした。エヴァグリーンで
すべてを捕らえることは、もはや不可能だった。
《だめだわっ。産めない。私の太陽!》
 形は叫ぶ。産み落とされぬまま消えてゆく新しい
太陽のイメージはいまわしい記憶と重なる。事故。
彼女が宿していたちいさないのちは失われた。また
繰り返すのか、同じ悔恨を!
《形さん……形さんっ》
 ニイヤ・ドッペルゲンガーが触れてきた。エング
ラムから伝わる彼の想いはひどく遠慮がちだが、抱
きしめる腕は力強い。その感触にすがるようにして
形は、ゆるゆると現実へ帰ってくる。
     @     @     @
 『HMM2S』も実行に移されたが、情報化すべ
き太陽のデータ量はあまりに膨大だった。用意され
たメモリはたちまち使い果たされた。
《ランバージャック!》
 コオ・フレデリックはエングラム・インターフェ
イスに触れた。それは白熱していた。ネットワーク
上に生まれた知性体は、いまや我が身を捨ててまで
太陽エネルギーの転移にかかっていた。
 俊光・プランツがコオに触れる。究極のネイバー
リンクによって活性率は莫大なレベルに達していた
が、俊光のぬくもりは、コオの勇気となった。
 彼女は銀の靴2を用いてランバージャックを応援
した。太陽の質量の一部が太陽系外縁へと転送され
た。それはカイパーベルトを消失させ、新たなリン
グ状の星雲を作り出した。
 だが、この方法で削り取ることができた太陽の質
量は、微々たるものに過ぎない。超新星爆発はなに
ほどもなく進行した。
《ランバージャック》
 呼びかけに応えるものはなかった。
 もはや『Double Earth』だけが頼みの綱だ。太陽
系を捨てて、こじし座へ向かうしかない。
 まばゆくも壮大な死神の軍勢は熱と光と放射線と
衝撃波とで構成されている。いずれも無情かつ徹底
的な死をもたらす殺し屋だ。
 その尖兵がいま、水星軌道へ達する。
     @     @     @
 バージ・シャウトは、メディコにあぐらをかいて
待ち構えていた。彼はものも言わずにペルセウス・
ミラーを展開させた。それは大きくひるがえって艦
を飛び出した。
 そこにいくつものミラーが待っていた。触れた。
つながりあう。シルマリリオン・チームが展開して
いたミラーがあった。九剛宝らいら、御門マモル、
よく知っている面々の存在も感じられた。バージは
ようやく笑みを取り戻した。
《うれしいなァ。みんな、おるわ。どっかにスラム
のダチ公もおるんかなあ……》
     @     @     @
 プロジェクト・ノアによるペルセウス・ミラーの
展開は急速に進んでいる。そのありさまはネイバー
リンクを通じて伝わってくる。
《情報化が、まだ》
 世界樹は地球を取り込んで成長中だが、完全では
ない。質量の変動で揺れ動く公転軌道。超新星爆発
が迫る。ノアの面々はミラーの展開と安定を急いで
いたが、猶予はもう5分を切っている。
《早く》《早く》《早く!》
 全人類規模のネイバーリンクによって生じた巨大
活性率をもってしても、エヴァグリーン技能の展開
速度には限界があるらしい。世界樹は迫りくる破滅
を知らぬげに、悠々と枝を広げ、根を張る。地球を
味わい尽くそうとするかのように。
《もっと早く》《早く》《お願いだから!》
 祈るような想いをいっぱいに浴びて世界樹は、満
足げに梢をさやがせた───かに思えた、その瞬間
に地球の情報化は完了していた。
《間に合った》《転移を》《こじし座へ》
 しかし、できなかった。
 エングラムの、全人類規模での発現率は、53%
である。残りの47%は、エングラムを持たない。
かれらはこの瞬間にも孤立しており、もやもやと定
まらぬ光となって情報世界に繋ぎ止められていた。
もしも、こじし座への転移を強行すれば……かれら
は取り残され、死んでゆくだろう。
《どうする》《見捨てるのか》《それとも》
 それとも転移をあきらめるのか。
 決断を下したのは『Double Earth』のリーダー、
リンダだ。だれひとり置き去りにはできない。この
場にとどまる。それが彼女の選択であった。
 この瞬間『Double Earth』の失敗が決まった。
 ほぼ時を同じくして、金星が爆発に呑まれた。ま
ばゆい死は勢いを失わず、地球を目指す。
 地球軌道まで、あと2分18秒。
 このまま情報世界にとどまるか? それはとうて
い無理だ。太陽のない、過去と未来とありえた現在
とが錯綜する世界で、人々が生きていけるはずがな
い。物理世界に戻るか? だが『ノア』のペルセウ
ス・ミラーはせいぜい1週間ほどしか保つまい。熱
も衝撃波も計算に入れないとしてだ。
 どうすればいい?
 地球は、太陽系は、人類は、滅ぶのか?
     @     @     @

 張りつめられた糸が悲鳴をあげ、切れようとして
いた。
 地球はついに完全なる情報化を果たした。
 残るは、こじし座への転移を待つばかり。
 だが地球は、いまだ世界樹の姿をとって、その軌
道を周りつづけていた。
 超新星が放った死の光は、すでに金星を飲み込み
地球へとせまっている。
 情報世界に浮かび、つながれた何十億もの意識。
そのすべてが、ただ一点へと向けられていた。
 ヴァンダーベッケンの甲板の上で、地球そのもの
の舵をとる少女、リンダ=イフェアへ。
 血を吐く叫び。
《───ごめんなさい、ごめんなさいっ!
 ───私は、私にはどうしても、37億の人々を見
捨てるなんてことできない、できないよッ!》
 『Double Earth』に参じたすべての者へ、こじし
座と地球を結ぶネイバーたちへ、その悲愴な決意が
染みわたった。
 数えきれない疑念の矢が彼女を射る。
 リンダはそのすべてから逃れず、みずからむきだ
しにした心で受けとめた。
《それでも、私はみんなで助かりたい。
 みんなと生きていきたい!》
 救いあらば、張り裂けよ我が心と、慟哭にむせぶ
リンダ。
 オペレーション『Double Earth』は静止した。
 そののちに控える『ノア』も、ほんのわずかな時
間、地球を生き延びさせるにすぎない。
 やがて超新星は、銀河系全体の恒星が一時にうみ
だすよりも大きなエネルギーを爆散させ、太陽系を
死と熱の海へと変える。
 あらゆる策が徒労に終わった。
 人類の終末を指す時計の針は、残り二分を切って
いた。
 37億の非発現者は、情報世界に光を見いだすこと
ができず、ただとまどう。
 やがて戸惑いのさざなみは恐慌の津波となり、か
ろうじて拮抗していたバランスを押し崩し、惑星地
球を物理世界へと引き戻すだろう。ヴァンダーベッ
ケンが、その彷徨の果てに砂漠に現れた時のように。
 その瞬間、神の最後の慈悲ともいえる一瞬の死が
人類を見舞うのだ。
 ざわざわとエングラムをはしる悪寒。否応なく伝
わる恐慌の予感が、いまや発現者たちをも素早く確
実に覆い尽くそうとしている。

 審判の時。

《……“絶望”、ですか》
 風が吹いた。
 星の光を受けて舞う海鳥。
 頬を、翼を撫でゆく星風の感触。
 問いを発したのは、バルカンの整備士エルフリー
デ・ヴェレン。
《絶望───そんな悲しいものが、何万年もかけて
たどり着いたあたしたちの答えなんですか。
 違うと思う。
 あたしたちは生きてる。シルマリリオンのみんな
だって、まだ生きています。時間はあります。最後
の一秒だって、あたしたちには何かできることが、
きっとあるはずです!
 あたしたち人間は、いつかきっと死にます。それ
でも人間は生きようとする、なぜですか?
 そんなことは誰だって知っているはずです。人間
らしく生きることに、大好きな人たちと一緒に時を
過ごすことに、意味があるから!
 だから、だからッ、あきらめないでください!》
 ネットワークを吹き渡る風が、暗雲を切り裂き、
果てのない蒼穹で満たしていく。
 訪れる静寂。
 物理世界においてほんの一秒。
 やがて、呼応して新たな声があがる。
 澄み切った水面を伝わる波紋のように。
《───そうね。今、この時間を無為に過ごせば、
結局、人類は存在しなかったも同然といえるでしょ
う。数刻後に己が死ぬのだとしても、そんな屈辱を
受けるくらいなら“死んだほうがまし”》
 同バルカン、テレーゼ・ミュンヒハウゼン。
《───提案があります。結局のところ、最後まで
言葉をもてあそぶことしかできなかったわたくしを
許してください。
 すなわち、呼び起こされた想念───コギトンの
凝集が“ありえない転移”を呼び起こし、エングラ
ムの交感が、こうして地球と水星をも光の速度を超
えてむすびつけるというのなら、“時間”という我
々にとって絶対の規範すら、揺るがすことができる
のではなくて?
 現に、鏡の盾を張り、超新星と化した太陽をも防
ぎとめた人々は、直感的にそれを感じ、行っている。
わたくしたちは、ありえたかもしれない未来、いい
え、絶対にありえない未来さえも、“ここ”へ引き
寄せ、超新星爆発による破局という、最悪の事態を
避けることが出来るのでは───?》
 返答は即座にあった。
《同意する───『スクルド』『スルト』のユリウ
ス・フォン・シュテルナーだ。俺達にはもはや、シ
ルマリルもイカロスも残されていない。そそぐべき
“力”がない。
 しかし、望みはある。今、はっきりわかった。俺
が地球で行った愚かな行為が、ラクダの背に載せた
最後のワラの一本であり、その背骨を砕いたのだ。
俺が超新星化を招いた。すまない、謝罪する暇が今
はない。だが俺は、失敗から一つの確証を得た。
 超新星化を起こす“力”ならば、元へと戻すこと
もできる。今、この時なら、すべての人に伝えるこ
とができる。いまこそ再び、人々の想いの矢を、荒
くれる太陽へと射かける時だ》
《『Birth Sol』今岡形よ。誰が悪いってんじゃな
いわ。いずれ起きたことだもの───だけど、それ
はある意味、太陽を根本から作りかえ、新たな太陽
を産み出すということね。でもね、『エヴァグリー
ン』では間に合わなかった。すでに超新星化は起き
て、光の速さで広がっている。
 エングラム技能という手段もなく、ただ漠然と意
志を結ぶだけでは駄目よ! それでは何も変わらな
いわ。同じことの繰り返しになるだけ!》
《“力”の焦点を結ぶ“対称”を求めればいい。太
陽ではない、新しい対称を。その力点こそが“力”
を振るうだろう───失礼、L5『ディゾナンス』
未岡さとりだ。
 我々は、もうその対称を選んでいる。口にする必
要はないね。そう、みんなわかっているんだ。この
想いを託すべき相手を。
 ここに一人のエングラム研究者として、新しい概
念を提示したい。今、僕たちは史上最も強いネイバ
ーリンクで結ばれている。僕たちの意志が一つとな
り、精神の振幅が揃った時に発せられるコギトンは、
強力な一つの波となっているだろう。
 でたらめに発せられて、物理法則をかき乱す力じ
ゃない。人々の“希望”を現実のものにする、とて
も純粋な力だ! 
 直感的に置き換えられる言葉がある。そう。
 レーザーだ。コギトンレーザーだ!》
 未岡のエングラムを通して、明解なビジョンが伝
わった。幾重にも連なった意識の波が集束し、まば
ゆい一筋の光となる。
 すべての人々は、意識を一つに揃えるべく、祈り、
願った。
 莫大なコギトンの奔流は、おのずとその対称へと
集う。
 今を生き、最も多くの人の心に残ったであろう、
その少女のもとへ。
     @     @     @
 月面ディアナドームでその時を迎えた、『彗星動
乱』フェイドラ役のピュリア・ウル・リーフは、自
分の髪が、指先が、その身体のすべてが、神秘的な
光を散らしていることに気づき、驚嘆した。
「わたし、わたしが───?」
 戸惑いを隠せないピュリアを、一層の光芒が包み
こむ。監督やスタッフたちが目を見張るなか、爆発
とともに彼女の姿はかき消え、次の瞬間、水星“バ
ルカン”へと現れた。
 ───張り巡らされたペルセウスミラーをも貫い
て。
 バルカンのテラスは、もうひとつの超新星が生ま
れたかのように明るさを増した。
 現れたピュリアは、竜巻に翻弄されるかのように
舞い、輝く髪を高く巻きあげる。
 激しく励起したエングラムを見つめるピュリア。
《わたしがこの、力を、振るう、
 太陽を生まれ変わらせる、
 誰も死なせない、
 残されたわずかな時間、
 わたしにできること────》
 何十億もの人々が寄り添い、優しく、力強く語り
かける様がありありと感じられた。
 かぼそい指をにぎり、励まそうとしていた。
 活性率は五千億をかるく超える。
《そう、わかる、
 わたしが、わたししか出来ないこと、
 ───でも───でも────怖い────!》
 よぎる迷いに、エングラムの輪郭がぶれる。
 ピュリアを起点に、暗い色の水晶が爆発し結晶し
た。
 放射状に成長する結晶は、バルカンすべてを覆い
尽くし、なおも勢いを止めない。
《ああ……ああ……ああ……!》
 どうにもならぬまま、ピュリアは、押しつぶされ
そうな不安と苦しみを、周囲へと巻き散らした。
 反響しあいながら拡散する苦悶が、ネットワーク
を壊れんばかりに揺さぶる。
 殴りつけるような思考が彼女をとらえた。
《なんて下手くそなの!
 力を貸すわ。しっかり!》
 よわさと、強さの双方がないまぜになった思考が、
ピュリアにささやきかけた。
 ささやきは、彼女に一つのビジョンを与える。
 ピュリアは汗を浮かべながらも、暴走する結晶を、
必死に引き戻した。
 きん、と音を立てて、結晶は一つにまとまった。
 結晶はわすかに離れて宙に浮き、ピュリア自身の
エングラムと寸分の狂いもなく共振している。
 共振───レゾナンス!
 揺れうごくピュリアの瞳に、凛と、光がともった。
 瞳には、煌々ときらめく、一振りの大剣が映って
いた。彼女の背丈ほどもある、エングラムの剣だ。
 具象化されたコギトンレーザー。
 運命の糸を断ち切ろうとする、人間のつるぎ。
 彼女は、いまや完全にコギトンの流れを掌握し、
制御していた。
《ありがとう、みんな》
 残された時間はわずかだった。
 ピュリア・ウル・リーフは、あふれる想いと感謝
を、たった一つの言葉に込めて、太陽へと飛んだ。

《マム!》
 叫びを発したのは『シルマリリオン』征矢司。
《もうミラーはいらねえ。必要なのは俺たちじゃな
い!》
 寡黙をまもっていた『シルマリリオン』アネット・
バコは、その思考をネットワークへと投じた。
《……アレをやる気かい。もうあとは無いんだよ。
地球をまもる盾はなくなるんだ》
《できるよ! もう、一回やっていることだもん。
みんなの力を合わせれば、きっと出来る!》
 おなじく『シルマリリオン』の望月付足〜プラス
〜が請け合う。
 その明るさにあきれかえるアネットから、ほっと
する気持ちと、押し隠しながらもわかる誇らしい感
情が彼らに伝わってきた。
《わかった。シルマリリオンの総仕上げだ。抜かり
なくいくよ!》
 アネットの号令に『シルマリリオン』のペルセウ
スミラー展開者、ネイバー、すべてのメンバーたち
が口々に返事を返した。
 それは9月12日に彼らの起こした奇跡の再現だっ
た。
 ミラーを構成する彼らの思念は、光速で膨張する
太陽を追い越して進行し、その衝撃波を無効化した。
蒸発途中の物質を燃やし尽くした。生命の驚異とな
る電磁波を、無害なレベルになるまで吸収した。
 あとは、猛々しい反応をつづける太陽を、生まれ
変わらせるのみ。
 『シルマリリオン』『ノア』の蜜子・G・グラン
ディには、それまでミラーを満たしていた力が、急
速に衰えていくのがわかった。
 そこに残ったわずかな力と、彼らの獲得したミラ
ーを操る知識とを一つに集束させると、絶え間ない
コギトンの流れの示す先へ、そっと贈りだした。
 きらめくミラーを見送りながら蜜子はつぶやく。
《……あの時、私たちには、剣が無かった。
 人々が未来を求める意志こそが欠けていた。
 ピュリアさん、今、あなたには盾がない。
 ゴルゴーンの巣へ赴くあなたを、わたし達が護り
ます。どうか受けとってください…………》
     @     @     @
 荒れ狂う太陽へと飛び込んだ、ピュリア・ウル・
リーフ。
 因果力=ラプラビリティをも断ち切る剣を手にし
た彼女を待ちかまえていたのは、まったく予想もつ
かぬ光景だった。
 かつてなきほど活性化したエングラムを通して、
彼女には過去と未来が同時に見渡せた。
 彼女の瞳が見通す太陽は、過去から未来へと連綿
と続く光の柱であり、あくまでも貪欲に、地球を、
太陽系を飲み込もうとする暴竜だった。
 その竜と、自分が、互いに強くひきつけられてい
ることもわかる。
《望むところ》
 さらに接近して臨む竜は、うねりたくる無数の竜
の塊であり、際限なくつづく循環と回帰に彩られた、
揺るぎなき運命の象徴だった。
 ピュリアは、それらすべてが太陽系の崩壊へとつ
ながる“運命の糸そのもの”なのだと悟った。
 彼女に躍りかかり、運命のあぎとを突き立てんと
する竜を、ピュリアは一閃した。
 彼女に応え、剣は、自在に縦横にひらめく。
 竜の鎌首は、その斬り口から爆発的な光をともな
い四散していく。
 されども竜はきりなく現れる。
 どれだけのあいだ、彼女は死闘を演じていたこと
だろう。
 いつしか星は、輝きをやめ、挑む相手は、全き闇
の竜と化していた。
 雄々しく剣を振るいながらも、ピュリアは身震い
した。恐ろしいまでの喪失感。
《───美萌ちゃん! ザインさん! 光さん! 
西条さん! みどりちゃん!》
 彼女の心から、すっぽりと何かが抜け落ちていく。
《アトラスさん! 監督! ナディア! フェイド
ラ! わたしの、わたしの大事な人たち! ああっ、
もう顔も……思い出せないっ》
 それは彼女の大切な想い出。
 自ら断ち切っていく竜の首とともに、ピュリア自
身のラプラビティまでもが消失していくのだ。
《わたしは───わたしは、時間を逆行している─
──》
 彼女は過去を観ているのではない。
 運命をほどき進むことで、彼女自身が過去へと向
かっているのだ。
 でなければ運命を変えることはできない。
 その代償が、こんなにも大きいものだとは。
 彼女は衝撃に打たれた。
 絡まり合ったすべてのラプラビティを切りひらき、
目指す地へと辿り着いたとしても、自分はもはや自
分ではない。ましてや、自分を憶えているものなど、
誰もおりはしないのだ。
 力なく剣を降ろし、両手で顔を覆う、ピュリア。
《……ゆかりちゃん……ゆかり…………もう、ネイ
バーのあなたにも、届かないなんて…………》
 呆然と漂う彼女を、竜の吐く黒い炎がなめた。
 小枝のように突きとばされるピュリア。
 彼女がその歩みをとめれば、また次々と竜は蘇り、
破滅の未来へと突き進む。
 風化する心に、ただ、剣の輝きだけが止まるなと
訴える。
《駄目……これ以上は、進めない……》
 無限の孤独に包まれたピュリアは、我が身を抱き、
ほんのわずかな喪失の念にすらすがった。
 竜達は次々と喰らいつき、絶望の淵へとピュリア
をひきずりこむ。
 猛然と勢いを盛り返した竜が屠るたび、ピュリア
のまとう輝きは薄れ、彼女は傷ついていった。

 自分はもう、ここでおわりなんだと思った。
 やっぱり、自分は星空なんか夢見ちゃいけなくて、
地球でのうのうと暮らしていればよかった。
 今度みたいな、辛くて苦しいばっかりの話には関
わらないようにしているべきだった。
 誰か他の人が頑張ってるのを横目で見ながら、気
まぐれに応援してみたりするのが似合っていたんだ
と、そう、思った。

 ───ぐい、と彼女の肩をつかむ手があった。
 それは小さくて、でも暖かくて、とても懐かしい
感触の
《立て! 剣をとれ! ピュリア!》
 らんらんと輝くとび色の瞳が、彼女の肩を掴んで
言った。
《……リンダ! ニナ! どうして!?》
《あなたの呼ぶ声が聞こえた》
 間違いなくリンダ・イフェアだった。
 ニナ・バーンスタインは無言で、三人の前にミラ
ーをかざし、迫る竜の牙をしりぞけた。
 リンダは地球のヴァンダーベッケンに、ニナにい
たっては、こじし座で、転移してくる地球を待ち受
けていたはずだ。
 それぞれが『Double Earth』を務めあげるために
散り別れたのだ。
 しかし今、その手で抱きしめられる場所にいるの
は、まごうことない、彼女たちだった。
 リンダは、再び問いかけようとするピュリアの視
線を真っ向から受け止めた。
《拒むことも出来た、と思う。でも……》
 リンダ・イフェアは、涙をこらえ、ぐっと唇を噛
みしめた。
《誓ったんだ、鷹になるって。
 自分で決めて、自分の翼で飛ぶ。
 あの人に、自分に、そう誓ったんだ》
《みんなで助かろう。今を生きる人たちと、みんな
で生きていこう。そう決めたわよね、三人で》
 いやます絶望の竜の力を、ミラーを展開する腕に
受けながらニナは言った。
 少ない彼女の言葉には、震えが混じっていた。裏
切られ傷つくことを、深く怖れていた。だが、こら
え、必死に奮い立とうとしている。この二人と出会
えたことを誇りに思う。あなたがいれば、私は強く
なれる。だから、一歩遅れでもいい。ついていこう。
その時こそ、私は、私になれる。
 ピュリアの頬に、とめどなく涙が流れ落ちた。
《……二人とも馬鹿よ……本当に、無茶苦茶なんだ
から……》
 最後の抱擁をほどいたのは、ピュリア自身だった。
《これ以上、過去へ戻れば、私も、ニナもリンダも、
自分を失ってしまう。
 みんなの大切な人々も、消えてしまう。
 誰もわたしたちの事を思い出さない。
 いいえ、最初から居なかったことになるのよ。
 何も、何も残らないのよ……!》
 切々と、ピュリアは二人に語りかけた。
《きっと、お互いを感じることもなくなる。それが、
みんなで生きようとすることだ、って本当に言える
の?》
 身を削られるような沈黙の後に、
 リンダが、ふっと微笑んだ。
《ねえ、ピュリア?……ニナ……? 強情だと笑っ
てね……私は、まだあきらめていないんだ》
 二人が息をのむ。
《───三人で考えた『Double Earth』は失敗しち
ゃったけど、でもそれで終わりじゃない》

 鳥のように自由に羽ばたくことを夢みた心は、
  いつか、勇気ひとつを友に、
   大空を目指した兄弟となり、
    孤独と戦いながら大海を渡り、
     音の壁を打ち破り、
      夜空に瞬く一つの星に、
  長き夜を越えて、小さな一歩を記した。
 そして───

《私達はまだ、ここに、こうして居るんだもの。
 いつか必ず、私たちはたどりつく。
 こじし座20番星へ。
 もっと遠く、星の世界にだって。
 絶対、絶対、絶対に飛んでみせる。
 きっと、みんなにだって…………》
 それ以上は、言葉にならなかった。

 ピュリアの身体にまばゆい光が戻る。
 リンダは、ニナの持つミラーの一つを譲り受け、
張りめぐらせる。
 猛り狂う闇の暴竜とも、振りおろされる火鞭とも
つかぬ太陽深部へ進むたび、三人の意識は薄れ、渾
然となった。それでも、ただ一つの想いだけを胸に、
なおも彼女らがとどまることはなかった。
 剣が振るわれるたび、ミラーは輝き、大きく雄々
しいフォルムをかたちづくった。
 あたかもそれは────
     @     @     @
 『シルマリリオン』によって無害化された超新星
の光が太陽系を駆け抜け、『HMM2S』とランバージ
ャックのつくった輪状星雲を、いっそう明るく輝か
せた。
 太陽は生まれ変わった。
 我らの主星は、その失われた質量を、時間流を調
節することによって補っていた。太陽の寿命そのも
のも、おそらくは数億年単位で削られているはずだ。
しかし、太陽の反応そのものは一種の恒常性が働い
ているかのように、よく安定している。不可思議な
時間流の作用については、今後の観測が待たれるこ
ととなった。しかし、その基地のよりどころであっ
た水星はもう無い。
 ケイト・スペンサーとそのネイバー、グレイ・ス
トークの守護により、九死に一生を得た金星も、そ
の様相をがらりと変えていた。
 エヴァグリーンによって情報化され世界樹へと変
貌した地球や月は、再び物質化し、公転軌道へと立
ち戻った。同時に未曾有の規模のエングラムコンタ
クトも、終焉を告げる。
 すべてが終わった時、全人類にはエングラムが発
現していた。

     @     @     @
 ビアンキは、シャドウファクシのキャプテンシー
ト上で、大きく息をついた。
「終わったね。プロジェクト・ミスランディアは、
これをもって解散だ。みんな、ありがとう」
 ざわめきが起こった。かれらは成し遂げたことの
満足感を噛み締め、同時にわけもない痛みに耐えて
拳を握った。
 ミュリス・メルクリシュナウスはべろべろに泣き
崩れている。
「アタシの仔猫ちゃん……どうして消えてしまった
の? かわいいかわいい……ペロンペロンのムニュ
ムニュの……えーと、誰だっけ」
 東雲和人は管制席を立ち、愛美・ユニシオールの
傍らへと跳躍した。慣性飛行中のシャドウファクシ
は無重量状態であり、和人は勢いを殺せなかった。
愛美のシートにつかまったが、そのままくるくると
回転した。ちいさな悲鳴。和人は、シートのうしろ
から、そっと愛美を抱きしめる。
「ずっと言いたかったことがあるんだ。いま、言っ
ておかなきゃいけない気がするんだ。愛美。きみは
どこへも行かないでほしい!」
「いいぞ!」アルベルト・久遠寺が叫んだ。「ここ
はひとつ、お答えを聞きてえな!」
 愛美は真っ赤になってうつむいた。
「まあ、無作法はよしておこうじゃないか」ビアン
キがシートを離れた。「感じるだろう? ネイバー
リンクが失われていく。愛美くんのプライバシーの
ために、全人類が気を利かせてくれたようだ」
 そう───かれらをつないだネイバーリンクは失
われつつあった。一抹の寂しさの中で、かれらは感
じていた。いまやエングラムは誰もが持っている。
いつか、それは遠い未来のことかも知れないが、か
れらはわかりあえるだろう。
 コオ・フレデリックが、ビアンキに駆け寄った。
少女はなにも言えなかった。ただ、深く深くお辞儀
をした。ビアンキは微笑み、少女をひょいと抱きあ
げた。キス。おでこに、そっと。
「だいぶ以前になるが、私はアリと賭けをした。君
たちを見ていると、どうやら私は勝ったような気が
してくるよ」
「どのような賭けでしたの?」ヴォルフィン・エッ
シェンバッハが尋ねた。
「いや、よしておこう。実は一勝一敗なんだ。ほか
ならぬ私自身が負けたらしくてね。ひとつだけ確か
なのは、すべての答えは、やがて変わってゆくだろ
うということだ」
     @     @     @
 かくして、ここ数ヶ月の間多忙をきわめたバルカ
ンにも、一時の休息が訪れた。力尽きそのまま寝て
しまうもの、残務の処理に追われるもの、知己との
再会を果たすもの。
 だがそれらの人々、全てに共通してあるのは充足
感。自分たち一人一人が人類全体を救ったのだとい
う、心地よい心境であった。

「……君たちの主張は大体理解した。大筋は認める
よ。だが、その前にいくつか気になることがあるの
で、ここではっきりしておきたい」
 バルカン基地の一会議室。パンデモニアム代表オ
レグ・ミハイロフや、真・開発機構軍の設立を志願
しにきた九条雅也ら元機構軍有志たちを前に、ビア
ンキは一呼吸おいて言葉を続けた。
「まず、アームストロング条約を見なおさざるをえ
ない状況であることは、もはや否定しないよ。戦争
の起因がアームストロング体制にあるという一部の
主張には首を傾げるが、今の状態が現状にそぐわな
くなってきていることもまた事実だからね」
 古くなったり、サイズが合わなくなった服を無理
矢理着続ける必要はない。脱ぎ捨てたり直したりす
るのが当然だ、とビアンキは付け加えた。
「もう一度確認しておく。永遠に変わらない体制と
フェデレーションというものは、決して並び立つこ
とはない。フェデレーションはむしろその反対、変
化する事こそ前提にある組織なんだ」
「……しかし代表、そう言っときながらあれだけ辞
任を拒んでいたじゃないかよ」
「馬鹿かね、君は。ザイード艦長が何故、開戦直後
にビアンキ代表を救出したのか思い出しなさい」
 ジュダス・ベトライアーの呟きに、隣に座ってい
たフェデレーションの歴史学者・山城権兵衛が答え
る。ビアンキは彼の言葉に軽く頷き、話を続けた。
「あの時……超新星化が治まったとき、全人類にエ
ングラムが発現していた。これまでのように、持つ
ものと持たないものの確執というものは消えるだろ
う。ましてや、全人類規模での意志の疎通というも
のまで我々は経験したんだ。人類は変わっていくよ、
間違いなくね」
 言ってビアンキが視線を落とした先には、エング
ラムグローブ。つられて皆も自分のエングラムを見
た。おそらくビアンキの言う通りだろう。
「さて、もう一度、内容の確認だ」
 ビアンキの表情が、再び引き締まった。
「機構軍の存続は認める。ただし、宇宙空間におけ
る軍組織の存続は認めない。これはフェデレーショ
ンも同じだ。全SGは、本日より一ヶ月をもって解
散することになる」
 オレグたちの表情が、わずかに歪んだ。最初から
彼らを疑っていた雅也は、その小さな変化を見逃さ
ない。が、この場ではあえて指摘しなかった。
(ミハイロフ代表たちは何が何でもパンデモニアム
を残したいようだが……それでは駄目なんだ。いず
れ彼らも分かってくれるだろうか……)
「また、宇宙空間の領有も認めることは出来ない。
ただし、地球の人々が宇宙空間に出てくることにつ
いては、何の障害もないことを約束しよう。これら
はいずれフェデレーションの総意が得られれば、条
約として正式に発効することになる」
 宇宙空間における警察権はフェデレーションが持
つが、司法権の独立は保障されることもあわせて付
記された。詳しい摺り合わせは今後、何度かの折衝
で詰めていくということで、会談は終了した。
「あなたの言うとおり、これからはきっと全てが変
わっていきますよ、ビアンキ代表」
 会談の終わり、雅也は微笑みながらビアンキに握
手を求めた。ビアンキも笑みとともに、雅也の手を
握り返す。
「ああ、期待しているよ」
「フェデレーションに、神のご加護のあらんことを」
 その手は、雅也の思った以上に温かかった。
     @     @     @
「お疲れ様です、ビアンキ代表」
 一連の会談が終わり会議室を出てきたビアンキに、
タニアがドリンクを手に駆け寄った。色はオレンジ
ジュース、味は各種フルーツという変わり種だ。
「ああ……ありがとう」
 軽い戸惑いの表情を一瞬だけ浮かべ、ビアンキは
笑顔でそれを受け取った。ビアンキの横に付き従う
煌が少し怪訝な表情を浮かべたが、タニアはそれに
気が付いた様子もなく、その豊満すぎる胸を押しつ
け、べったりとビアンキにくっついて離れない。
 ビアンキ周辺の警備陣たちも、苦笑を浮かべるば
かりだった。これまでの張り詰めた雰囲気の中では、
到底見ることの出来なかった光景なのだから。
「ねえ、ビアンキ。今だから言うけど……」
「うん?」
 くっついたままのタニアが、うっすらと頬を染め、
ドリンクを口に含むビアンキの表情を見た。
「いつからだろう。ボク、ビアンキのこと、好きに
なっていたんだよ。……知ってた?」
 ビアンキは、ドリンクを口から離し、軽く咳き込
んだ。きょとんとした表情でタニアの顔を見る。
「本当はね……エヴェグリーンで一緒に逃げようと
思ってたんだ。けど、一生懸命なビアンキのこと見
てたら、それも出来なくなっちゃった……」
 軽く視線を彷徨わせながら、ビアンキは自分の髪
をかきまわした。ふっと、煌と視線が合う。だが彼
女の瞳は真剣に、彼の次の一挙手一動足を見守って
いるかのようだった。スタッフとしてでなく、一人
の女性として。ビアンキは逃げ場がない事を悟った。
「だからはっきりさせたいの。ビアンキがボクのこ
と、どう思っているのか。いえ、本当は誰が好きな
のか」
「……代表」
 煌が、ゆっくりとビアンキの正面に立った。
「私も、今だからはっきり申し上げます。一人の男
性として、アントニオ・ビアンキ、貴方を……」
 思わぬ展開に、固唾を飲んで見守る周りの面々。
ビアンキは苦笑すると、そっと寄り添うタニアの身
体を引き剥がす。
「ビアンキ!?」「代表!?」
「『私が愛するのは全ての人々だ』といっても、納
得しない表情だね。二人とも」
 いつものように人の善い、魅惑的な微笑みをたた
えながら、ビアンキは二人の女性を前に、ゆっくり
と唇を開いた。
「ならば、はっきりさせたほうがお互いのためにい
いのかも知れないな。私は……」

 エリザベス・マクレーンは、ひとつの吉報を手に
ビアンキの元に急いでいた。
『ディアナ・モリソン、意識完全に回復』
 L5からバルカンにもたらされたネイバー少女に
関する情報は、本人は口にしないが、彼がもっとも
気にしていたことの一つに違いない。
 会議室に続く通路を曲がり、そして彼女たちは見
た。その決定的な瞬間を。

 ビアンキの手から、ドリンクが滑り落ちた。
 最初、彼の前に立つ二人の女性も、その周辺の面
々も、何が起きたのか理解できなかった。
「……ぐ…うっ……」
 意味のない呟きと共に、ビアンキの身体が沈み込
む。上着の左胸に、小さく穿たれた黒い穴。まるで
噴水のように吹き出す緋色の液体。頬にかかる血飛
沫を感じながら、タニアと煌はまるでそれが別世界
の出来事のような表情で眺めていた。
「嫌あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 誰かのあげた悲鳴で、周囲の呪縛が解ける。
 崩れ落ちたビアンキの背後、フェデレーションで
の所有は禁じられているはずのマーダラーを手に、
引きつった笑みを浮かべた男が立っていた。
「今回の騒動の元凶、諸悪の根源、アントニオ・ビ
アンキ! 殺した……殺したぞ、この儂が!」
「貴様あっ!」
 斗魔武光輝が、怒声と共に男を太刀の背で殴り飛
ばした。醜く歪んだ顔面を壁に打ち付け、ぼぎりと
鈍い音が響く。今ので鼻を折ったらしく、だらだら
と鼻血を垂らしながら、男は卑屈な笑みを浮かべた。
「何を怒るか……これも御仏のお導き……今まで死
んでいった者たち、全ての魂に対する弔いじゃ……」
 悪怯れもせず、狂ったように嬌声をあげる男の様
子に、思わず周囲の手が動いていた。
「この……狂人が!」
 魁・F・真軌瀬とソニア・ブライトニングの銃撃
が、凶行に走った男の膝を射ち抜く。動くことも出
来なくなった男の身体を、月影巫舞綺と沙輝の姉弟
が確保した。エリーと共に駆け付けた土佐遼の顔色
が、男の顔を見て一瞬にして変わる。見覚えがあっ
たのだ。
「貴様……たしか、石黒龍水!」
 先日のテロリスト襲撃時には、警備陣として参加
していた男だ。あの時、ビアンキの行方を気にして
いたが、まさかこのような凶行に走るとは……。
「連れていけ!」
 顔面蒼白になりながらも、エリーは男を取り押さ
えているメンバーに対して言った。「御仏の罰」云
々と口走る男を抱え、警備スタッフたちは通路の向
こうへと消えていく。
 全てが終わったと思って、油断していたのかもし
れない……。ランディ・メイヤーズは、その口惜し
さにぎりりと唇をかんだ。

「出血が……止まりません」
 ビアンキの傷を一瞥した月谷高志は、一瞬にして
それが致命傷であることを知った。『隣人』が死ぬ。
エングラムを通じて、不気味な予感が頭をもたげた。
患者の傷と同じ痛みを自らの精神にも感じながら、
とりあえず冷凍療法による止血を試みる。もっとも、
死へのステップを昇るまでの、わずかな時間稼ぎで
しかないことは彼自身分かっていたが。
「誰か! 誰かスレッドを!」
 必死の形相で叫ぶ高志の腕を、やんわりと掴む手
があった。
「……いいよ……いつかこうなることも、半ば予測
していた…から、ね……」
 擦れた声で、その手の持ち主───ビアンキは呟
いた。ゆっくりと上体をもたげて自分の傷を見、荒
い息を吐く。赤い霧が、中に混じった。
「……ごめん……」
「ビアンキ」「代表」
 ついで、半泣きの表情で自分の身体を支えている
タニアと煌に向かって、ビアンキは微笑を浮かべて
みせた。波のように押し寄せる激痛のため、彼が意
図したほどにうまくはいかなかったが。
「……一番近くにある……通信…端末まで、運んで
…くれないか……」
 ビアンキの意外な言葉に、その場に残る全員が、
思わず互いの顔を見合わせた。自然、エリーに視線
が集まるが、彼女は黙ってかぶりを振った。
「代表に残された時間は少ない……ならば、希望通
りにしてさしあげるのが一番だろう」
 苦渋の表情で、アン・エリスン。そして誰も、彼
女の提案に反対することは出来なかった。
     @     @     @
「…次席ストラテゴ、セリュース・クレッチマーく
んを呼び出してほしい」
 コンソールに両手を付けて自らの身体を支えなが
ら、ビアンキはモニターの向こう、ハンプティダン
プティ基地の通信官に向かって言った。
 死の寸前であるというのに、モニターに対峙する
彼の表情は、いつも通り平静を装っていた。ただひ
とつ、額に脂汗を浮かべていることを除けば。それ
はけして、鎮痛剤だけの力というわけではない。
 やがてモニターの向こう、別の人物が姿を現した。
だがそれは、彼の希望したストラテゴではなく、も
うひとりのストラテゴ、ラピッド・リバーだった。
『えろうすんまへん。セリュースはんは何処にいっ
てしもうたかわからんのどす。代わりにウチが話を
聞いてもよろしおますやろか?』
「……ああ、なら仕方がないね。きみに伝言をお願
いしよう。記録装置は、働いているのだろう?」
『大丈夫どす。ほな、お話を聞きまひょ』
 あくまで軽い調子で、ラピッドは言った。モニタ
ーの向こうには、まだこちらの情報が伝わっていな
いのだろう。ビアンキの足元には、再び血溜りが生
まれ始めていた。止血したはずの傷口が、ここまで
のわずかな移動の衝撃で、再び開いているのだ。
 大きく息を吸い、ビアンキは口を開いた。
「……それでは。私、アントニオ・ビアンキは本日
をもって、フェデレーション代表を辞任する」
『な、なんやて!?』
 一旦、呼吸を整え、ビアンキは続ける。
「…その後任には、元小惑星SG次席ストラテゴ、
セリュース・クレッチマーを推薦するものとする。
伝言は…以上だ……」
 モニターの向こうで、ラピッドが椅子から滑り落
ちる姿が見えた。
『ほ、本気どすか? ビアンキはん』
 だが、ビアンキはその問いに答えなかった。コン
ソールに手をついたまま、微動だにしない。
『……ビアンキはん?』
 ラピッドも、なにか様子がおかしいことに気が付
いたのだろう。何度も呼び掛けを繰り返した。
『ビアンキはん、ビアンキ代表!?』
 だが、ビアンキの耳はすでに彼女の呼び掛けを聞
く力はなく、答えるべき口も動かなかったのだ。
 高志は、心の中で何かが切れた事を感じ、その場
に膝から崩れ落ちた。エリーは、無言で目を伏せた。
タニアは立ちくらみを起こして壁に寄り掛かり……
そして、煌はまるで立ち歩きを覚えたばかりの赤子
のように、よろよろとビアンキの元へ歩み寄る。
「……代表……」
 肩に手を触れると、ぐらり、そのままビアンキの
身体は煌に向かって倒れこんだ。衝撃で、その手の
エングラムグローブがするりと脱げ落ちる。その甲
には、もう六角形の輝きはなかった。
 アンが、ビアンキに代わり通信モニターの前に立
った。きわめて事務的な口調で、報告する。
「……アントニオ・ビアンキ代表は、先程、凶刃を
受け……たった今、お亡くなりになられました」
 瞬間、ラピッドの表情が固まった。ついで全てを
理解した表情を浮かべ、やがて彼女は、神妙な面持
ちで敬礼を返す。手の先がかすかに震えている。
『セリュースはんへの伝言、確かに承りました』

「代表」
 煌は、すでにもの言わぬ故人の顔を見た。かすか
に、ほんのかすかに微笑みが浮かんでいる。彼は後
悔などしていない。やるべきことを全て終えたのだ。
そう、その表情は物語っていた。
「これまで……おつかれさまでした」
 ぎゅっと、ビアンキの身体を抱き締める。自分で
も意図しないうちに、嗚咽が漏れた。
「……そして、ゆっくりと休んでください……アン
…トニオ……」
 今はただ泣こう、と思った。
 泣くだけ泣いて、そして、前を向いて歩こう、と
思った。
 それがきっと、故人が生者に対して、もっとも望
んでいる事なのだろうから。
     @     @     @
 ビアンキの死から、数日が過ぎた。
 一時的な混乱は収束に向かい、今は新たな体制に
向けてフェデレーション全体の模索が始まっている。
 そして再び、シャドウファクシ──。

「ねえ先輩。この船に乗るのも、これが最後かも知
れませんね」
 御門マモルの言葉に、九剛宝らいらは油まみれの
腕で汗を拭いつつ、ゆったりと身を起こした。
「燃料のこと言ってんのかい」
「それもあるけど」
「も?」
「あのね、反物質を作ろうとか、新しいエネルギー
を開発しようとか、みんなでがんばってるじゃない
ですか。だからきっと、シャドウファクシは飛び続
けると思うんです。でも、ボクはね、ボクはなんの
ために飛んでるのかっていうと」
 壁に触れた。機関部の中でも炉室の壁はひときわ
ぶ厚く、ほんのりと暖かい。
「ボク、星に憧れてました。どこまでもどこまでも
遠くまで行きたいって。こんな船に乗ってね。誰も
見たことのない世界に行きたいって」
 マモルはゆっくりと炉室の壁を撫でる。
「行こう」らいらが言った。「この船で行こう。星
の向こうへ、遠い遠いところへ」
「だって、シャドウファクシには任務が」
「旅も大事な任務さ! ピグマリオン計画で言って
るだろ、散らばれ、固まるなって! ねえマモル、
アタシらはみんな星屑さ。地球はふるさとだけど、
飛び出さずにはいられない。こじし座へ行ったって
同じことさ。あそこに固まってれば、またコギトン
が悪さをやらかす。だからマモル、飛んで飛んで、
どこまでも飛んでいくのさ。WGか、いっそのこと
プロジェクト申請を出してもいいや」
「先輩……いっしょに行ってくれますか?」
「あったりまえさ!」
 ふと、らいらは妙な顔をした。巨大な胸の谷間か
らホビットを取り出す。コールサインが入っていた。
立ち上げると、画面に懐かしい顔が映った。
「陽子!?」新島陽子だ。かつてグローリアスII世の
もとで行動をともにした仲間である。
『今ねー、グローリアスくんがね、王女様になって
るんだよー』
「ええっ!?」
 ふたりは顔を見合わせた。眼が通じ合った。
 ───もういっぺんだけ、地球へ寄って。そした
ら、それから───
                                      (完)
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