遺言

 グワイヒアが火星のドックで修理の間、ザイード元艦長の最後の場所であるフォボス港旧管制室へ訪れる者がいた。
 すでに、清掃がされた後とは言え、空気にかすかな血のにおいが混じっている気がする。わずかに残った赤黒いシミの側に、誰が置いたのか花束が置いてある。
 訪れた3人の男女のうち、一番背の低い少女が、傍らの少女の背に、そっとふれた。背をふれられた少女は、抱えていた花束を、元から置いてあった花束の横に、静かに置いた。
 ゆっくり目を閉じ、何かをつぶやく。元々、色白の彼女ではあったが今日は一段と肌が白く見える。その中で泣きはらした目だけが赤かった。やがて目を開けた彼女、愛美・ユニシオールは立ち上がった。
「じゃあ、仕事を始めましょう」
 気丈に、そう言いながらも、愛美の黒い瞳は潤んでいた。
 一番背の低い少女、コオ・フレデリックは愛美の手を取る。コオは愛美が故人の事を慕っていた事を知っているのだ。コオのいたわりの気持ちは、エングラムを通さなくても伝わった。コオは、泣き崩れそうな愛美に胸を貸してあげたかったのだが、8cm背の低い彼女には至難の技だった。

 一人残された男、俊光・プランツは当惑していた。元々、感性のおもむくままという行動が苦手な彼だが、目の前で10歳近く年下の少女が泣きながら抱き合っているのだ。彼でなくても身の置き場に困るだろう。
 利光は、いくら手入れをしても、すぐボサボサになる髪をかきむしった。
「帰るかな…」
 丸メガネの位置を直しながら、ぼそっと言った。
 彼の微妙な状況は、実に30分間続いた。

「それじゃあ、フェイドラ、まず操作記録から調べてみて」
 気分を入れ替えるように、愛美が個人用のカスタム・フェイドラに指示を与える。ディスプレイに操作記録が流れる。それらを一度フェイドラに整理させて、重要度の高そうなデータから一つずつチェックしていく。
 システム管理のエキスパートである愛美と利光は効率よく次々とチェックを始める。
 コオは…、彼女は機械を扱うのがとてつもなく苦手だった。機械についているスイッチが二桁になると、パニックを起こすタイプだ。それども一生懸命にデータに向き合っている。
「あ、愛美ちゃん、画面が元に戻らないの。どうしたらいいの?」
「これはここを、こうすれば…」
 いちいち、素直に答える愛美。
 その隣りでは、利光が困った顔をしている。
 コオのネイバーである彼には、コオからの情報が流れてくる。システムの素人らしく、データ量に圧倒されて、どこから手をつけていいのか分からず、ヤマ勘で操作しているのが伝わってくる。俊光にもその感覚が伝わり、ミスが多くなっている。
 明らかに、コオが足を引っ張っているのだが、2人はそれを指摘しなかった。コオは「どこか憎めない」所があるのだ。

「あっ、ありました!」
 愛美が声を上げた。皆がモニターに注目する。
「これは!」
「シャドウファクシの戦闘シュミレーションです!
 すごい、あらゆる局面の戦闘予想結果がありますよ。シャドウファクシだけではなく、フェデレーション、機構軍の兵力・状況も考慮に入れて…。これだけのシュミレーションは、艦長じゃないとできませんよ」
 言いながらも、画面を次々と切り替えていく。画面が切り替わるごとに、様々な数値が画面を埋め尽くしていく。それはとても一人で処理しきれるものではない情報量だった。
 「太陽超新星化対策に及ぶ影響から、地球に対する影響、機構軍に参戦した場合、……最短で3ヶ月で機構軍が勝利!? これ、大変な事ですよ! 早く、みんなに知らせないと!」
 勢いよく振り向いた愛美の背後には誰もいなかった。
 淡い照明に、舞い上がる埃がゆっくりと輝いている。愛美の背後でシステム機器の電子音が等間隔で響いているほかに、音とたてる物はなかった。
 今まで夢中になってモニターを見ていたので、周囲の状況を意識していなかった。その間に、いたはずの2人の人間が消えてしまったのだろうか。
 愛美は全身の毛が逆立つのを感じた。彼女は怪談系の話が苦手なのだ。
 自分の鼓動が早く、大きくなっていくのを感じる。足元もふらふらとおぼつかなくなっている。
「い、いやですよ、コオさん? ど、どこにいるんですかぁ」
 声が涙声に成りつつあるのを自覚しながら、愛美は声を振り絞った。
 まるで、砂漠の中を歩いていたかのように喉は張り付き、自分でも声が出ているのか確信が持てない。もう一度、声を出そうとした時。うめき声が聞こえた。
 何を言っているのか判別できない、地の底から涌きあがるようなうめき声。まるでうめき声は足元からゆっくりと這い登ってくるようだった。
「ひっっ! コ、コオさぁん、俊光さぁん、出てきて下さいよぉ〜」
 愛美の悲鳴が、うめき声に重なる。
 しかしうめき声は一向にやまず、強くなり、弱くなり、静かにまとわりついてくる。
「いやあぁぁ!!」
とうとう、愛美は泣き出してしゃがみこんでしまった。
 愛美はそこで、すべての真実を知った。
 なぜなら、うめき声の主、コオと利光が、目の前で倒れていたのだから。
 あらゆる状況を考慮に入れた戦闘シュミレーションの情報量は、コオの精神に耐えられる限界値を越えていた。コオはすみやかに気を失った。ただ、、自分を苦しめるデータの悪夢を見てうなされてはいたが。
 利光はネイバーリンクから来る、カオスと化した情報を遮断しようとした。だが、その情報は圧倒的な質と量で、利光の精神を猛打した。
 (こんな事なら「名称不明」を手に入れておけば良かったな……)
 最後の瞬間に、そんな事をぼんやりと考え、彼の意識はそこで途切れた。

 残された15歳の少女に2人の人間が運べる訳も無く、フォボス港旧管制室から救援を求める通信が流れたのはそれからすぐの事だった。


その他の読み物に戻る

トップページに戻る