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鳥が舞い降りた。
それを見た人はそう、思ったかもしれない。
神殿から舞い降りた影が二つ。その影はやがて街の中に紛れ、消えていく。
その影を追うように少なくない兵士達もまた街にまぎれていった。
だが、人々の「安寧」を与えられた心はそれ以上を「考える」ことをしない。
巨神機兵の存在も、警報も、彼らには耳を流れる風と同じ事。
ただ、自分の存在の横を駆け抜けていくだけ。なんの関係も無い。
だから、その黒い風の存在も、誰も気にすることはなかったのだった。
「はあ、はあ。なんとか抜け出したな。」
息を切らせながら走り続けていた二人は、そこで始めて立ち止まった。
人気の無い路地。夕暮れが近づき落ち始めた気温とは裏腹に、
繋がれていた手は汗とお互いの体温で燃えるような熱を帯びている。
手を離し、始めてそれに気がついた少女は、少し顔を赤らめて目の前の
青年を見た。
銀の髪、青い瞳。その背の石の翼は彼が人間ではないことをあからさまに謳っていた。
視線の先に自分がいることに気付き、成年は少女を見つめる。
「俺が、怖いか?」
少女は即座に首を横に振った。
恐れなど、欠片も感じない。
誰の助けもありえないと思っていたのに自分を命を賭けて助けてくれた。
いや、それ以前に直感が、魂が言っている。
彼は、何よりも自分に近しい存在だと。
ポケットからハンカチを取り出し、彼の汗を拭く。
「助けてくれてありがとう。…デューシンス。」
青年はフッと小さく笑った。
彼女が自分の名前を、存在を「理解」して、受け入れてくれていることがうれしかったのだ。
「ありがとう、夢」
神殿で、道すがら、少女、鷹村夢はデューシンスに語られたおおよその話を理解していた。
路地に座り、情報を整理する。
「つまりは、神帝軍が私達の心まで支配しようとしている、ってことね。」
「そうだ。彼らは命を奪わず、心を奪う。」
夢の理解力に少し感心しながらデューシンスは頷いた。
半ば無理やり覚醒させたのに、咄嗟に選んだ行動が情報収集なあたりも驚いたが。
ふと、横を見ると彼女の瞳が険しさを増しているのに気付く。
「どうしたんだ?夢。」
デューシンスの問いに夢は前を見つめたまま呟いた。
「それで、解ったの。私が連れてこられたとき、両親が止めてくれなかったことが。
友達が、何も言わなかったことが…。」
自分を見ていない。夢が見ているものが何かを察し、デューシンスも言葉をかける
ことができなかった。
「ねえ、一度家に戻ってもいい?」
突然の問いにデューシンスは目を丸くした。この状況下を理解していると思って
いただけに。
「それは、進められない。解っているだろう。今の状況を。」
言葉口が濁る彼を夢はまっすぐ見つめた。
「解ってる。両親も味方にはなってくれない。むしろ敵かも。行くことで彼らが
危険になってしまうかもしれないということも。だから、彼らには会わないわ。
ただ、どうしても取りに行きたいものがあるの。」
今の、着の身着のままの状態ではできることも限られる。そう理論的に説得されると
拒否するわけにもいかない。デューシンスは小さくため息をついて立ち上がると
自分の手足をパンパンと払った。そして手を差し伸べる。
「解った。一緒に行こう。俺はいつでもお前と共にある。」
「ええ、ありがとう。」
彼女は自分のパートナーの手をしっかりと握り締めた。
彼女、鷹村 夢の家は彼女がいなくなったときと、まったく変わらぬ状況で明かりを灯す。
窓から応接間を覗けば、中年の男女二人が黙ってテレビを見ている、ごく普通の
家庭に見えるだろう。
そんな様子を一瞬見つめた夢は、二階の窓を見上げた。
光は見えない。誰もいない。いようはずがない。
彼女は小さく地面を蹴った。
身体は重力のくびきを微塵も受けず、風が彼女を二階の屋根へと運ぶ。
トン!
かすかな音に自虐的に微笑むと、夢は目の前の窓をためらわずに開いた。
「カギをかけていないのか?」
素直に開く窓にデューシンスは小さな驚きの声を上げる。
「ここから見える夜空が好きだったの。それに泥棒なんていなかったのよ。」
その言葉を発したときには彼女はもう、室内に足を踏み入れていた。
デューシンスも慌てて後を追う。
俳優のポスターが一〜二枚。平均より少し(いや、かなり)多い本の入った本棚、
アクセサリーの小物、衣装タンス、ベッド。そしてテーブルの上のノートパソコン。
取り立てて特別なもののない、「少女」の部屋だ。
まるで主の帰ってくるのを待っていたように、その部屋は暗闇の中で息を吹き返す。
そして、その主は彼らと話をするように、部屋の中央で幸せそうに目を閉じていた。
「何を持っていくんだ。」
邪魔をしたくは無かったが、時間が無い。デューシンスは自らの主に声をかけた。
一瞬の夢から覚めたように彼女は目を開き自らの逢魔に命を下す。
「まずは、パソコン。コードとMOとMOドライバも忘れないで。」
デューシンスは言われたとおりにそれらを集めてカバンに詰めた。夢はといえば
とりあえずの着替えを少しカバンに入れ、制服の替えを一着その後に入れている。
「後は、当座の資金…。」
机の上の貯金箱とキャッシュカードに手を伸ばした彼女は、ふとその手を止める。
そして、手は貯金箱ではなく隣の写真たてへと。そこには誕生会の写真だろうか。
友達と、両親、そして、彼女の満面の笑顔が映し出されていた。
「その写真も持っていくのか?」
心配そうに見つめるデューシンスの言葉に夢は、頭を振る。
「持っていかない。何かでこれが命取りになったら困るから。」
パタンと写真たてを倒し、彼女は貯金箱とキャッシュカードを予定通りカバンに入れた。
「これで、終わりでいいんだな。」
二つのカバンのファスナーを閉め、デューシンスが持ち上げると
「待って!あと、これを持っていくの。」
夢はイスにかけられていた灰色のマフラーと、宝石箱のなかの金色の小さな蘭の
花のブローチを手に取った。
「マフラー?寒さなんて、もう・・・」
感じないだろ、といいかけてデューシンスは止めた。そのマフラーを見つめる優しい
彼女の瞳にそれに込められた意味を知るからだ。
「これはね、誕生日に私の友達がみんなでくれたのよ。カシミアって高いのに。
そして、こっちは父さんと母さんの新婚旅行の思い出の品なんだって。」
「夢…」
夢はマフラーを肩にふわりとまとわせると、ブローチで止めた。
「さあ、行きましょう。誰か、来る!!」
二人の姿が窓から消えるとほぼ、同時だった。部屋の扉が開かれたのは。
「あら、夢ったら窓を開けっ放しで行ったの?」
女性はカーテンの揺れる窓に近づき、静かに閉めた。
「神帝さまのところに行って、今ごろどうしてるのかしら。」
娘が死に瀕したなど考えもしない幸福な母親は、窓にカギを閉め部屋を出ようとする。
「あら?」
テーブルの上の倒された写真たてに目を止め、彼女はそれをもとへと戻す。
幸せな笑顔の溢れる写真を見て、何故か彼女の目元に流れた涙の意味を彼女が
知ることは無かった。
遠くの屋根の上に腰掛ける少女、その瞳は向こうの窓を見つめている。
「記憶消す方法なんてある?」
傍らで立つ青年は答えた。
「そんなもの、必要ない。必ず戻るんだろ?」
「うん、そうだよね。」
少女は青年を見上げる。青年は優しい目で少女を見つめる。
「俺と、出会わなければ良かったか?目覚めなければ、知らなければ…」
「ううん、そんなことない、知りたいと思ったのは自分。それに後悔はないの。
でも、でも…。」
少女の瞳に熱い涙が込み上げる。
「もう、泣かない。もう泣かないから今だけ。お願い…。」
声を押し殺して泣く少女を青年は静かに抱きしめた。
「ここなら、しばらくは安心のはずだ。ま、楽観はできないがな。」
デューシンスに連れられてきた蒼嵐の結界に夢は小さな部屋を開いた。
荷物を置いて、深呼吸する。
ここを拠点にして自分は動く。
ならば…。
歌うようにして呪文を唱える彼女にデューシンスの目が驚きをたたえる。
「おい、何してるんだ?」
「看板と入り口を作ったのよ。結界に。」
「なんで?」
「私、決めたの。大切な人たちを守るって。でも、一人でなんてできることは
知れてるでしょ。私の力、戦闘向きじゃないし。だから同じ気持ちを持ってくれる人が
きたら一緒に、って看板を立てたのよ。」
魔皇って一人じゃないんでしょ。と微笑む夢にデューシンスは頭を押さえた。
「確かにたくさんいるはずだが、そういう奴ばかりじゃないと思うぞ。」
「でも、いるかもしれないじゃない。」
自信に満ちた目で笑う自らの魔皇にデューシンスは、小さく笑って膝を折った。
「我が主の思うままに…。」
影の中に生まれた小さな結界に蒼い光が導くように輝く。
「蒼月の間」
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