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風は自由を告げ、人々に爽やかな、明日を運ぶもの。
風の如く生きなさい。
たとえ、魔と恐れられようとも、自分を信じて誇り高く。
ごく平凡な学生だと自分では思っていた。
とりあえず、進学校で悪くない成績をとり、医学部を目指している他は、自分は
ごく普通の人間だと思っていた。
あの時、運命が変わるまでは。
ごく普通の学生だったはずの彼、神月風魔は、今、神の神殿 ギガ・テンプルムの中にいた。
高くそびえる空中神殿の中から見る月は、不思議に大きく見える。彼は小さくため息をつく。
「どうして、俺は、こんなところにいるんだか…。」
「魔皇様、危ない。」
その声に風魔はひょいと頭を下げた。それと同時に頭上を光が走る。「敵」の攻撃を
軽くかわすと身をかがめ、素早く敵の胸元に入り、首元を手刀で打った。
相手は無言で意識を手放す。もう一人の少女と共に彼らはほぼ一個小隊をすべて地に伏させていた。
「おっと、やりすぎちまったかな。」
風魔は自分が倒した相手の一人の肩口ににじむ血を見て、咄嗟にポケットからハンカチを取り出して
止血の手当てをし始める。やがて、彼は目を覚ます。
「う〜〜んっ!」
「お。気が付いたか。すまなか・・・うわっ。」
手当てをされ、気が付いた兵士は目の前の風魔をとっさに押しのけると、身体を翻す。
「よ、寄るな。魔皇!!」
脱兎の如く逃げ出す兵士を見送り、風魔はもう一度小さなため息をついた。
「魔皇様、敵の手当てをするなんて、危険すぎます。どうか御身を大切になさってください。」
黒い石の翼を背に持つ少女が、心配そうに風魔に告げる。その真摯な瞳を風魔は
真っ直ぐに見つめて言った。
「俺は医者を目指すものだ。例えどんな状況でも怪我人を放っておく気にはなれないんだ。」
「魔皇様…。」
少女は自分の主たる彼を透き通るような蒼い目で見つめかえす。主の強い意志が少女の
心を深く捉えたようだった。頭を掻きながら、彼は続ける。
「それに、俺は魔皇じゃない。神月風魔だ。それ以外の何者でもない。」
躊躇いの無い、強い心。少女は小さく頷いた。
「解りました。風魔様。私はいつもあなたのために…。」
ドヤドヤドヤ!
さっきの逃げた兵士が応援を呼んできたのだろうか。また「敵」の気配が増えた。
風魔は立ち上がり、少女に手を差し伸べる。
「行くぞ!セフィリア、いや…セフィ。」
セフィと呼ばれた少女はその手を取り、満面の笑顔で頷いた。
「ハイ!!」
神帝殿を抜け出したのはそれからしばらくの後。
もう、深夜に近い時間だった。
それから間もなく、彼ら二人は小さな診療所の前に立つこととなる。
「神月診療所 外科・内科・皮膚科・眼科」
「風魔様、ここは風魔様の…。」
「ああ、俺の家だ。」
風魔は小さく頷いた。大病院より、もっと身近に患者さんと触れ合うために。
そう言ってこの小さな診療所で一生懸命働く両親を、患者に慕われる彼らを風魔は尊敬していた。
他にも理由はあるが、だからこそ、医者を目指したのだ。
その道に真っ直ぐ進んでいくつもりだった。
だが…。
風魔は軽く頭を振り、自らに従うと誓ってくれた逢魔、セフィリアを見た。
「心配するな。セフィ。俺は逃げるつもりは無い。ただ、家を出る前に持っていきたい
ものがあるんだ。手伝ってくれないか。」
その瞳の奥に漂うものをセフィリアは感じ、無言で同意した。
裏口から、彼ら二人は静かに敷地内へと入っていく。
表側が診療所で、裏は家族の私室になっている。診療所の明かりは消えていないが
家の方に光は無い。まだ患者さんがいるのだろう。
ここでは、珍しいことではない。
風魔は少し安堵し、まずは自分の部屋へと入り込んだ。
「ここで捕まったんだっけな…」
くるりと周りを見回し、ため息一つ。両親に何も言うことすらできなかったっけ。
気持ちを切り替え、机に向かった。素早く荷物をまとめカバンに入れる
それが一段落着くと、今度は続きの薬品倉庫へと向かう。
本来薬品戸棚に手を出すことは許されることではない。が、今は、非常事態。
これから、戦いの中に向かうなら、応急手当の道具はどうしてもいる。
風魔は気配を消し、足音を立てず、倉庫の中に潜り込んだ。セフィリアも静かに後に続く。
明かりをつければ見つかってしまう。静かに、そっと。
そう思いながら戸棚を開こうとしたその時、
「すみません!急患です!!!」
外から切羽詰った声が、扉を叩いているのが聞こえた。彼らは数瞬と待つことなく
扉は開かれ中へと迎えられたようだ。そして、さらに数瞬後。走る足音が近づき
パッ!!
薬品倉庫の電気がついた。咄嗟に目元を抑える二人の顔を、一人の女性が見ることになる。
「風魔…。」
「母さん…。」
彼女は風魔を見、隣に呆然と佇むセフィリアを見つめ…、急にハイテンションになった!
「あら〜〜、素敵なお嬢さん。どこからいらしたのかしら。
まあっ、綺麗な目をしてるわね!眼底検査してもいいかしら。それと網膜もみせて
くれないかしら。カラーコンタクトじゃこんな色はでないわよね〜、羨ましいわ〜」
風魔の母は眼科が専門である。
セフィリアに近づき、顔を覗き込み、じっと瞳を合わせる。
「母さん!!」
風魔の制止の声に、彼女は、ハッと我に帰る。
「あ、いけない。そんなことしてる場合じゃなかった。風魔!そこの点滴とゲーベンクリーム
持ってきなさい!子供がやけどして運ばれてきたのよ!!」
「えっ!やけど!?」
「父さんがいないの!
夜は、うちの人手が足りないの解ってるでしょ。四の五の言わず手伝うのよ!」
「解った!」
母親は包帯や保水液などを抱えて走り去る。風魔も指示されたものを用意して後に続く。
残されたセフィリアは、どうしたらいいか、解らず、一瞬戸惑いの表情を見せるが、
何事か決心したように頷くと、風魔たちが去っていった後を静かに追ったのだった。
処置室は戦場のようだった。
5〜6歳くらいの子供だろうか、肩が熱湯をかぶった様に赤く焼け爛れている。
風魔の母は、ここでは完全な女医の顔だ。
彼女は素早く、点滴を子供の腕に指し、水分補給を始める。風魔は子供の皮膚の様子を
注意深く観察しながら服をはがし、皮膚を冷やす手伝いをする。
だが、子供は熱さと、痛さのためだろう。それこそ火をつけたように激しく泣き続けていた。
セフィリアはそれをただ、見ているしかできなかった。
それに気付き、女医がセフィリアに声をかける。
「あ、お嬢さん。もし、手伝ってくれるなら、その子の汗を拭いてやって。」
「は、はい!!」
投げられたタオルを受け取ると、セフィリアは、子供の枕もとへ移動し、顔の汗を優しく拭う。
その時!
「あっ!まずい!!」
子供が急にひきつけを始めた。うなり声をあげ、顔を振る。そして、口を大きく開けた。
(このままでは、舌を噛む!)
風魔と女医が手を伸ばした瞬間。
「うっ。」
小さなうめき声をセフィリアが上げた。とっさに彼女が自分の、親指を子供の口に入れて
舌を噛むのと止めさせたのだ。歯が指で止められ、子供は小さくうなりながらも落ち着き
を取り戻す。セフィリアはゆっくりと指を子供の口からはずした。
「今のうちに、早く!」
「はい!」
風魔と女医は懸命に手当てをする。
やがて、一応の処置が終わったころ、救急車が到着し、子供をさらに大きな病院へと
運んでいった。さらに経過をみるためにはその方がいいとの女医の判断だ。
子供の母親は、目を閉じて小さくうなる子供に付き添っていった。
去り際に、
「ありがとうございました。先生。ありがとう。お嬢さん。」
そう、お礼の言葉を残して。
「無茶しやがって、セフィ。大丈夫か?」
「大丈夫です。すみません。風魔様。」
赤く歯型にはれ上がり、かすかに血のにじむセフィリアの手を消毒する風魔。
それを見守る女医は静かに笑った。
「手を入れるのはあんまり褒められたことではないけど、助かったわ。ありがとう。お嬢さん。」
そう言われてセフィリアは赤くなって下を向く。
とっさに、身体が動いていた。どうすればいいか解らずの結果オーライだったと恥ずかしくなる。
彼女の手に包帯が巻かれ終わる頃。女医は、母親の顔に戻っていた。
「さて、釈明を聞きましょうか。家出息子!」
その声に風魔は身体を回し、母親の方に向き直る。
「突然行方不明になって、私達が心配していなかった、なんて思っていないでしょうね。」
「…」
「ちょっと留守にした間に行方不明。2日経っても戻ってこない。」
「……。」
「父さんなんか、どこに行ってるか解ってるの?あんたを探してるのよ!」
「家出、したわけじゃない。事情があったんだ。連絡もできなかった。何が起きたかも
俺自身わからなかった…。」
口ごもる風魔に、さらに母親の追求は続く。
「じゃあ、その荷物はなに?薬品戸棚に触ってはいけないことは解ってるはず。
その上で持っていこうとした。それが家出でないと誰が言えるの!!」
返す言葉は見つからない。怒号と涙が入り混じり、途切れ途切れになりながらも、彼女は
さらに続けて言った。
「後一年で、大学受験よね。無理に医者になる必要はないと言ったけど、あなたは医学部を
目指すと自分で言った。今、家を出るということが、どういうことか、解らないはずはないでしょう!
それとも、夢を捨てるの!すべてを諦めるの!?」
「違う!夢は捨てない!俺は医者になるんだ!」
風魔は拳を握り締め、声を振り絞った。
「医者になるのは、俺の、俺自身の夢だ。少しでも多くの人を助けたい。
失われる命を守りたい。それは、今も変わりは無い!」
「だったら!」
「でも!今俺にはやらなくてはならないことができたんだ!何をおいても、絶対に!!」
「何よ!言いなさい!!」
「それは…言えない。」
俯く風魔を母親は厳しい目で見つめた。そしてその視線はあまりの迫力の親子喧嘩に口を挟めず
にいたセフィリアへと。
「彼女や、神帝軍に関係あること?人間以外の魔の存在と、かしら…。」
「か、母さん!?」
母親から発せられた言葉にセフィリアと風魔の顔が蒼白になった。
「私は医者よ。目を見ればその人物がどんな存在なのか、大体解るわ。お前の捜索願いを
受理してもらえなかったこともあるし、お前が神帝軍と何かやらかしたことくらい解るのよ。」
母親なんですからね。そう言って笑った母の顔を風魔は静かに見つめた。
「俺は、ずっと感じていた。人が、自由に生きられる世界が、ホントの世界だって。
いくら平和でも、自分の意志でないものに強制されるものは、ホントの平和じゃないって。
そう思ったり、言ってたからだから…。」
捕まったのかもしれない、それは言葉の奥に飲み込んだ。
息子の言葉を、母は今度は口を挟まずに聞いている。風魔の言葉に少しずつ声に力が帯びていく。
「俺は、人を救う前に、世界を守る医者になりたいんだ。人が自由に生きられる世界を
取り戻したいんだ!!」
「生意気、言ってるんじゃないわよっ。神様にでもなるつもり?」
コツン、母親の指が軽く風魔の額を払う。
だが、その声は、とても優しかった。
「でも、そうね、お前は風ですものね。いくら親だって止められはしないわね…。」
「母さん。」
窓を開き彼女は外を静かに見つめた。
風を招き、青白く輝く月を見て、そして風魔のほうへ向き直った。
「いいわ、お行なさい。風魔。
何をするべきか、解っているなら。母さんはもう、止めないわ。」
風魔は、母を見つめた。寂しげにでも、強く微笑んだ彼女の顔を見つめ、強く拳を握った。
「必ず、帰ってくる。俺は、ここの後継ぎなんだから。」
「あてにしないで待ってるわ。」
肩をすくめた母を見て、風魔はぷうと、頬を膨らませる。そして、お互いの顔を、瞳を
見つめあい、そして、声を立てて笑った。
そんな二人の様子をセフィリアは、黙って、静かに、少し寂しそうに見つめていた。
「風魔、そのメディカルセット、高いんだからね。大事に使わないと弁償してもらうわよ。」
母は、荷物をまとめた二人を外まで見送った。メスから注射器まで入った、とっておきのセットを
さっき、託したところだ。
父さんには私が説明しておくわ。と笑う母の冗談半分、本気半分の言葉に風魔は苦笑し、
ああ、と頷く。
そして、母は今度はセフィリアの方に顔を向けた。
「バカ息子だけど、よろしくお願いするわね。大変でしょうけど。面倒見てやって頂戴。」
その微笑に、セフィリアは心が、暖かくなるのを感じていた。
自分を信じてくれている。それが嬉しかった。
「はい、お約束します。私は必ず風魔様をお守りします。」
「ありがと。」
腕組みして頷くと、母はさらに告げた。
「戻ってきたら、眼底検査と網膜視診させて頂戴ね。こんなキレイな青い瞳、滅多に見れないもの。」
「母さん!!」
「あら、いいじゃない。お前のなんて飽きるほど見たもの。今度は娘の見たってね。」
娘。その言葉にセフィリアは、カアッと赤くなった。風魔は小さくため息をつき、セフィリアの
頭をぽんぽん、と叩いた。
「母さんの冗談、間に受けるなよ。セフィ、行くぞ!」
歩き出す風魔の背中に、耳に母の静かな言葉が届く。
「風の如く生きなさい、たとえ『魔』と恐れられても…」
風魔は振り返らなかった。セフィリアはそっと駆け寄り隣に寄り添った。
「風魔様、お母様は、きっと…」
「ああ、そうなんだろうな。」
風魔は振り返らなかった。
母は、二人の姿が闇に溶けたのを見届けると、空を仰いだ。
空に大きくそびえる空中神殿の向こうに、小さく、白い月が見える。
私はどうして、神月の息子に「魔」の字を与えたのかしら。
この日を予感していた。なんて科学的じゃないわね。
風は自由を告げ、人々に爽やかな、明日を運ぶもの。
風魔、風の如く生きなさい。
たとえ、魔と恐れられようとも、自分を信じて誇り高く。
父ももう帰ってくるだろう。
神帝軍に喰ってかかったあの人にさて、どう、説明しようか。
でも、きっと解ってくれるだろう。
母は、静かに目を閉じ、風に髪をなびかせて微笑んだ。
二人は魔皇と逢魔として、結界へと足を踏み入れる。
そこで、待つ運命を、出会いを。まだ、彼らは知らない
月が、彼らを導き、魔の風が吹く。
その時は近い。
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