◆◇From Lip to KISS  NO.2◇◆

  どうしてこいつが此処にいるんだ?
 素朴な疑問が樹の頭の中に浮かびあがる。
 今はちょうど昼休み。校庭でサッカーをしている男子生徒の声が遠くから聞こえる。
 此処は校舎を挟んで校庭の反対側にある、裏庭のようなものだ。
 人工芝ではない、本物の芝が引かれ、所々にポプラの木が植えられてそれが一休みするにはちょうどいい木陰を作り出している。
 此処はいつも樹が授業をサボるときに逃げ込んでいる場所だ。
 滅多に人もこないし、自分ではなかなかの穴場だと思っている。
 と、其処まではいいのだが。
(だから、何でこいつがここで寝てんだよ・・・!?)
 樹の気に入っている木の下には、気持ちよさそうに眠っている教育実習生、藤沢透眞の姿があった。
 なんとなく、この藤沢の事は気になっていた。放課後の教室での一件があって以来。
 好きではないが、他の教師に比べればいい方だと思う。そういう事で樹も多少は藤沢の事を認めていた。
 だが。
 自分の場所を取られるのには勘弁ならない。
 確かに学校の施設だ、学校の所有地だ。だけど、ここは俺の場所なんだ。
 しかし、眠っている藤沢をたたき起こすのは多少気が引ける。
 仕方なく樹は教室へと戻っていった。
 五時間目の授業を受けるためではなく、荷物を取りに行くために。もう五時間目も六時間目の授業も放り出して、家に帰るつもりらしい。
 藤沢なんか授業に遅刻して、倉田にでも説教されればいいんだ。
 そう、負け惜しみに近い事を呟きながら。

 次の日。
 樹は珍しく朝の教室にいた。
 珍しいと言っても、最近はよく見かけられる光景だ。
 なぜか樹は藤沢がきてから、毎日遅刻もせずに学校へきている。
 本人はそのことを意識していないのかもしれないが、周りのクラスメイトや担任の倉田は遅刻の常習犯だった樹の態度が急に変わった事に対し、疑問を持っていた。
 倉田など、もしかしたら藤沢が何かをしてその所為で樹は学校へ来るようになったのではないかと、自分の力無さと藤沢の目には見えない実力に多少の不安もあった。
 確かにその推測はいいところを付いている。
 樹が真面目に登校するようになったのは、つぃかに藤沢のおかげだ。
 だが、藤沢に目に見えない実力とやらがあるのかどうかは、定かではないが。

 三時間目の授業が終わったところで、樹はまた裏庭のあの場所へと向かった。
 いつもは午前中の授業くらいなら何とか耐えられるのに、今日は不思議と集中できない。
 もちろん普段からそれほど集中しているわけではないのだが。
 樹は今日は駄目だとかってに決め付け、荷物は教室に置いたまま階段を降りていった。
 だが、またしても、あの木の下には藤沢の姿があったのだ。
 藤沢が受け持つ授業は今日はまだない。
 もしかして朝からここで寝てんのか?と樹は呆れ顔だ。
 他人の事をとやかく言える立場でない事に、本人は気づいてないらしい。
 前はすんなり帰ったが、今日は違う。
 樹は藤沢の元へと足を進めていった。

 藤沢はとても良く寝ていた。
 その寝顔は、少なくとも教師と言う感じではない。
   元々童顔ではあるが、更にその顔は幼さを増している。とても、安らかな寝顔だ。
 そんなものを見せられると、さすがの樹でも起こす気が失せてしまう。
 しばらくぼんやりとその顔を眺めていた。 「ん・・ん・・・・」
 藤沢が寝返りを打ち、仰向けの状態となった。
 顔にかかった髪が揺れ、唇が少し動く。
 今迄なんでもなかった樹だが、なぜか、妙な感覚を覚えた。
 藤沢の薄いピンク色をした唇が光っている。
 風で黒髪がなびいて、揺れて、きらきらと太陽の光を反射する。
 ポプラの木が、その顔に落とした影を揺らしている。
 樹はなんとも言えない衝動にかられた。
 藤沢の日本人離れした、可愛いと美しいの中間のような顔に、その細い腕に、自分よりも一回りも小さいその姿に、ひかれていく。
 どうしようもないその湧き起こる衝動に、樹は身体をまかせた。

 何で俺、こんなコトしてるんだろう・・・。
 樹は疑問に思う心を止められなかった。少なくとも、自分はこの男のことを好きではない。嫌いな部類に入る人間だったはずだ。今だってそう思っている。自分の居場所を奪ったこの男を。
 なのに、何故      

 今、樹と藤沢の唇は、重なっている。

 樹の心臓の鼓動がどんどん強くなる。頭に血が上っていくのが分かる。
 その柔らかい感触と少しひんやりとした体温に、理性が奪われていく。
 止めなくてはいけない。そう思うのに体は言うことを聞いてはくれない。
 樹はこのまま自分が深い海の底へとおぼれていくような感覚に襲われていた。

「ん・・・?」
 それを止めたのは、今触れ合っている唇から漏れた小さな声。
「・・・加治、村?」
 それは驚愕の声ではなかった。
 寝起きということもあって、まだ頭がぼやけているのかもしれない。その声は、のんびりとしていて不思議そうな響きを持っている。
 藤沢の態度に対して樹は少し安心したような、それでいて物足りないような気分になった。
 自分で認めるのもしゃくだが、こいつは今自分に唇を奪われたのだ。なのに、この何にもなかったような態度は何だ?
 された方が落ち着き払っていて、した自分の方が慌てふためいている。このあまりに『大人と子供』のような状況に、樹は耐えられなかった。
 身体を離し、藤沢を突き飛ばすようにして立ち上がると、校舎へ向かって駆け出す。

「かっ、加治村!」
 しかし、藤沢の声が又も樹を止めた。
 何か文句を言ってくるのだろう、樹はそう考えた。
 こんな世間知らずそうな奴のことだ、現状を理解しきれていないのかもしれない。又は何が起こったのですら、理解できていないのかもしれない。
 とはいえ、それは樹も同じことであるが。
 わざと冷静そうな態度を装い藤村を振り替える。
「何だよ・・・」
「あの、加治村・・・」
「だから、何だ!」
「今、時間は・・・?」
 絶対この男はどこか変わっている。樹はそう確信した。
 そしてあきれた様に呟く。
「んなの、自分の腕時計でも見てろ!」
 頼むから、何か俺のしたことに対しての反応を見せてくれ。そう思う自分の想いが、まさか恋に近いモノであるとはまだ気付いていない。
 ただ単に、この自分とはことごとく感覚のずれた男の態度にイライラしているのだと、自分ではそういうふうに把握していた。確かにそれが間違っているかというと、そうでもないが。

 初夏を思わせる風が二人の間を通りすぎていく。
 風で木の影が揺れる中、樹の助言に従い自分の腕時計を見る藤沢。
 瞬間、藤沢の体が硬直したように見えた。
 時計の指す時刻はちょうど12時。お昼時という意味ではない。藤沢の受け持つ4時間目の授業が開始してから15分が経過した時間だ。
「や、やばっ、・・・加治村、もっと早く言ってくれよ、僕を迎えにきたんだろう!?」
 ・・・もう、目が点になるしかないだろう。
 彼は樹がなかなか授業に現れない自分を探してここにやってきたと考えているのだ。
 確かにそれは一般的な考え方かもしれない。だが、そういう目的でやってきた生徒が、キスするとでも思っているのか、この男は? なんで今迄の自分の行動を見てそういうことが思い付くんだ?
 そんな疑問で呆然としている樹の手を藤沢がつかむ。
「ほら、加治村も早く!」
「なっ・・・お、俺は・・・!」
 繋がった指から、電気が流れているような少しの痺れを感じた。それは自分の心臓まで届き、胸を高鳴らせる・・・。

 誰もいない校庭を、二人は手をつないだまま駈けていった。
 理由は異なるけれど、二人とも激しく動揺しながら。


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