◆◇From Lip to KISS  NO.5◇◆

 星たちが夜空を飾る中、藤沢に黙って付いて行く樹。
 藤沢は一言も口をきかない。
 もしかしたら怒っているのではないかと疑ってしまうほどに。
 さっき自分のとった暴力に近い行動の後ろめたさからか、それとも何も話さない藤沢に何を聞いたら良いか分からないのか、樹もずっと黙っている。
 もっともその表情はずっと何かを聞きたそうにして落ち着かない。
 今迄の様子を見ていると藤沢は家に着くまで何も話す気はないらしい。
 自宅にいったい何があるというんだ?
 沢山の謎にぶつかってもやもやしている樹の感情は、あまり機嫌の良いものではない。
 だが、怒ってなんかはいられない。
 何よりも藤沢のことを知るのが先決だ。
 怒らせてはいけない。
 そして、嫌われるのも非常に困る。

 沈黙に耐えられずに先に口を開いたのは樹だった。
「あの、悪かった」
 あどけない顔をして振りかえる藤沢。
 夜空に浮かぶ月と同じ色をいたその髪が、光を反射して光りながら少しなびく。
 その姿を見て、一瞬息を飲み込む樹。
 そして直視していられなくなったのか、視線をそらせた。
 心臓が不規則な音を立てている。
 だが、なんだろうと話を聞く体制でいる藤沢の前で、何気なさそうな態度を演じた。
「ジャック?・・・だっけ、さっきの男。なんか約束してたんだろ。なんか、俺の所為で・・・」
 樹の中にそう思う気持ちがなかったわけでもないが、Jackのことなんてホントはどうでも良かった。
 ただ、適当な話題が欲しかっただけ。
 さすがにこの沈黙は辛すぎるし、気まずい。
 思考が訳の分からない方向にまで飛んでしまいそうだ。
 そして藤沢に悪い印象は付けたくないと思ったための行動だった。
「別に大丈夫だよ、滞在してる時間は長いらしいから」
 やっぱり外国人だったんだとようやく樹は確信できた。
 目の前にいる、日本人であろう藤沢がこの容貌だ。
 あんな髪の色だったとしても、もしかしたら日本人なのかもしれないと心の中では思っていた。
「ふ〜ん・・・ガイジンに知り合いなんて、珍しいな」
「まぁ、ね」
 話を曖昧にしたまま、どうやら藤沢は話をしめてしまったようだ。
 またはこれ以上聞くなという合図なのかもしれない。
 彼のことは良く分からないが、少なくとも自分よりは年上であり、大人だ。
 下手な行動に出るのは何かと避けたい。
 どっちであろうと深入りしない方が良いかなと思い、樹はまた口を閉じた。
 何故か分からないが、学校で会ったときのような我が侭し放題の態度が取れない。
 相手のこの外国人のような容貌の所為ではない。
 藤沢の以前と比べて大人らしいふとした表情や行動の所為もあるかもしれないが、大きな理由はただ一つだ。
 藤沢に嫌われるのが恐いから。
 その所為で樹はいつもほど積極的な行動が取れなくなってしまっていた。
 以前の彼ならすぐに力ずくでも聞き出そうとしたかもしれないが、そんな考えすら今は起きない。
 変わっていく。
 感情がパズルのように組み替えられ、変化していく・・・。

 今度の沈黙も長く続くかと思われたが、それは意外に早く終わった。
「着いたよ、ここ」
 立ち止まった藤沢が笑顔で振り向いて声をかける。
 相変わらず、直視できないままの樹。
 藤沢の笑みは、大人びている。
 その顔は変わっていないのに、顔が作り出す表情はあからさまに以前とは違っていた。
 樹は戸惑いを覚えたが、それを紛らわそうと顔を上げ、初めて訪れた藤沢を見上げた。
        っ!!」
 絶句。
 目の前にあるのは、まるで御伽噺にでも出てくる城のようなお屋敷。
 それを囲む、児童公園ほどはある庭。
 薄暗くて良く見えないが、木々はしっかりと手入れされているようだ。
 そんな樹の生活とはかけ離れたようなこの屋敷は高級住宅街といわれる此処ら辺でもかなり目立っている。
 いったい何坪くらいあるんだろうと、庶民的思考が樹の頭の中を駆け巡る。
 今日は一日中驚きっぱなしだ。
 樹の心臓は、繊細とは程遠いものの様々な衝撃を受けた所為で壊れそうだった。
「どうしたの?」
 何食わぬ顔で門を開け、中へ入る藤沢。
 慣れとは恐ろしい。
 彼にとってはこれが当たり前のことなのかもしれない。
 コイツの世間知らずっぽくて天然なのは、お坊ちゃんだからかもしれないとふと樹は思った。
 門を開けたって、目の前はまだ家じゃない。
 50mくらいあるのだろうか、白い石の廊下が家の門まで続いている。
 其処を歩く藤沢の姿は、やけに此処の雰囲気に合っている。
 西洋風の豪華な屋敷を歩く、金髪で蒼い瞳の青年。
 まるでドラマを見ているような風景だった。
 思わず見惚れてしまう。

 今日藤沢と再会してから樹の感覚は確実に変わってきている。
 藤沢を美しいと思い、見惚れてしまう自分をおかしいとは思わなくなった。
 藤沢に嫌われたくないと思う気持ちは当たり前。
 好かれたいと思うことにだって違和感を感じない。
 今の気持ちはちょうど、恋に落ちて少し経ったような感覚だ。
 そのことを樹が自覚しているかどうかは分からないが。
 いったい何時の間に、何にそれほどひかれてしまったのだろう。
 さっきの藤沢にキスされたときから?
 校庭でわけも分からずキスをしてしまったときから?
 それとも、はじめてみたときから?
 あの、夕暮れの教室での口論から、何かが変わり始めていたのかもしれない。
 だがさっきまではこの桁外れな豪邸に振り回されていた樹の視線が今は一点だけ、藤沢透眞の姿だけを見詰めている。
 威嚇の視線でも警戒の視線でもなく、ただ、その姿を一瞬でも多く自分の瞳に映そうとしているだけの視線。
 純粋な欲望。
 始まりなんか関係ない。
 必要なのは今。
 まだ樹は、その殻を破ったばかりの想いの恐ろしさに気付いていない。
 その自分では制御できないくらいに急速に成長している想いに、まだ自分自身が気付いていなかった。

 何時の間にか目の前に迫った、重そうな扉が開かれた。
 白く光るそれは、少なくとも安物なんかではない。
 白い基調とした、金で縁取られたそれは、けばけばしさなどなく上品なものだ。
 屋敷の持ち主の品のよさが伺える。
 少なくとも藤沢1人の家ではないだろう。
 開かれた中を見たとき、樹は思わず喉を鳴らした。
 此処はどこかのホテルか、城か?と疑うほど、何もかもが豪華なのだ。
 大理石らしい廊下に、所々に派手にならない程度に置かれている骨董品の素晴らしいこと。
 思わず立ち入ることを躊躇してしまう。
 その時、誰かの声がかかった。
「Tohma?」
 藤沢の名を呼んだその声は、低い重みのある、老人の声。
 見ると目の前には杖を手にした1人の老紳士の姿が合った。
 藤沢と同じ金色の髪と灰色がかった青色の瞳。
「御爺様、すいません、実はちょっと予定が変わって・・・」
 どうやら藤沢の実の祖父らしい。
 それにしては藤沢の態度はやけに礼儀正しい。
 玄関に上がると、すぐにその祖父のところへと駆け寄った。
 また、樹の知らない言葉で語り出す藤沢。
 胸が痛む。
 藤沢が、自分の全く知らない人間に見えて辛い。
 現に今目の前にいるのは自分の知っている藤沢ではない。
 こんな彼は見たことない、知らない   
 それでも一応は4年以上勉強してきた英語の知識をフル回転させ、耳を便りに何とか会話を聞き取ろうとする。
 が。
 お世辞にも真面目とは言えない樹の学力は底が知れている。

 ネイティブ並みの、実際にそうなのかもしれないが、そのくらいのスピードと発音で話された日には、ヒアリングなど不可能だ。
 樹は自分の不真面目さを呪った。
 これからは少なくとも、英語だけでも真面目にやろうと人知れず心に誓ったのであった。
 それがいったいいつまで続くかなんて分からないが。
 それにしても、人間何がきっかけで真面目になるかなんてわかりゃしない。
 まだ続いている不可解な会話。
 それでもそこから樹が、相手の老人の名がアルトゥルであろう事を聞き取れたのは快挙であろう。

 楽しそうに会話を交わす2人を見て、樹はあることに気付いた。
 どうやらあの老人は藤沢の本当の祖父らしい。
 そして顔つきや容貌、話す言葉からいって、かなりの可能性で純粋に近い異国の血を持つものであろう。
 そして藤沢は少なくとも四分の一はその血をひいている。
 だとしたら、もしかしたらあの髪も瞳も、全部   
 じゃあ逆に今迄の黒い瞳と、少し青く光る黒髪は、造りモノ?
 なんのため?
 教師として、あまりに外人たる風貌ではまずいと思ったからかもしれない。
 多分自分をここに連れてきたのは、あの祖父を見せるためだったんだと樹は思った。
 あれを見れば、口で言うよりもはっきりと金髪青目の理由が分かる。
 まさに百聞は一見にしかずという諺が如く。

 取り敢えず最大の謎が解け、樹は安堵のため息を吐く。
 だが帰るつもりはない。
 こんなところで引き下がるつもりなど、欠片もない。
 せっかく、なんの偶然でか藤沢に再会できたのだ。
 そして彼の家にも上がっている。
 約束なんてするような仲ではないから次にいつ会えるかなんて見当も付かない。
 だから、今この瞬間をどうにかして、せめて次の約束が欲しいのだ。
 きっかけが欲しい。希望が欲しい。

 古さと貫禄を感じさせる柱時計が、低く響く音を立てて8時を告げる。
 もう夜。
 初めて知った藤沢のもう一つの顔。
 夜の顔なのか、それともそれが本当の顔なのかは分からない。
 それを知りたい。
 まだ知らない藤沢をもっともっと知りたい。  樹の欲望に、紅い炎が付き始める。
 それはどこから来るのか。
 まだ本人も自覚していない感情に、樹は飲み込まれかけていた。  

NEXT⇒
BACK⇒