◆◇From Lip to KISS  NO.6◇◆

 全体的にシンプルな造り。
 絹だろうか、光沢のある薄布のカーテンが風になびいている。
 表から入ってきたときに見たあの豪華な庭園が此処から一望できるであろう。
 今は月明かりとちらほら立っている外灯に照らされ、木々はぼんやりとその姿を浮かべているだけだ。
 この部屋は、この豪邸の中でもかなりいい場所にあるのではないだろうか。
 本棚に並ぶのは英語や日本語で題名の書かれた厚い本の山。
 部屋の中にあるのは、その本棚とベットと机とクローゼットとオーディオ関係、あとは来客用と思われるソファくらいだ。
 部屋全体がシンプルな洋風に統一されている。
 ただ一つだけを除いては。
 本棚の二段目に飾ってある淡い桃色のそれ。
 それはこの洋風な部屋には似つかわしくない、桜の色をした扇子だった。
 開かれた状態で飾ってある。
 その隣に飾ってあるのは一人の和服に身を包んだ物静かな女性の姿が写っている写真立て。
 舞い散る桜の花びらの中で、長い黒髪を揺らす少女を卒業したくらいの女性の姿は、まるで映画の中の一部のようだ。
 その彼女の手には、隣に飾られているのと同じものであろう扇子があった。
 
 あの後樹は階段を上って二階の奥にある藤沢の部屋へと案内された。
 初めて入るその部屋に多少緊張しながら入ったものの、今では薄い水色のソファに座りすっかりくつろいでいる様子だ。
 だがその視線は常に藤沢の姿を追っている。
 この部屋に入ってからずっと、藤沢のことだけを見つめているのだ。
 当の本人はそんなことには全く気付いていないのか、ゆっくりした動作でさっきまで着ていたスーツをハンガーに掛けている。
 樹は思った。
 多少違和感はなくなったものの、やっぱり彼にあの金髪と青い目は不自然な気がする。
 だがそれは、最初に知った彼が黒い髪と瞳だった所為かもしれない。
 第一印象とは本当にあとひくモノだ。
 もしこの藤沢に今初めて会ったのだとしたら、金髪も青い目も間違いなく自然に受け入れられただろう。
 彼の顔は日本離れしているし、彼の持つ雰囲気にも良くあっているからだ。
 今いる洋風な部屋の中身も、彼にしっくりきている。
 だが、樹はどうしても自分の知らない藤沢が気に入らないらしく、藤沢を見る目もあまり好意的には思えない。
 まるで藤沢を観察でもしているかのようだ。
「あとで御爺様が飲み物持ってきてくれると・・・」
 クローゼットにスーツをしまい終わって振り向いた藤沢は、自分を射るように見ている樹の視線に気が付いた。
 少しの間樹の様子をただ見ていたが、すぐに少し首を傾げて笑顔を向ける。
 その動作はとてもハタチを過ぎた男性だとは思えないほど可愛らしい。
 本人にその自覚があるかどうかは定かではないが。
「なに?」
「お前が俺を此処に連れてきたのは、あの爺さんに会わすため?」
 前置きもなくいきなり本題へ飛ぶ樹。
 藤沢は動揺することなく、ちょうどソファに座っている樹と向き合うようにベットに腰掛けた。
「そうだね、ちゃんと説明しないとね」
 先ほどの笑顔とは少し違った表情になる。
 笑顔ではいるが、落ち着いた微笑み。
 少し、大人の表情が見え隠れする。
 樹はあまり良いとは言えない姿勢で腰掛けながら、無言で藤沢が続きを話すのを待った。

「驚かせちゃったかな、いきなりこういうのって・・・」
 少し伏し目がちになりながら話し出す藤沢。
「御爺様のこと見て分かったと思うけど、この髪も目の色も元からだよ」
 教育実習していたときの髪と瞳の色の方が染めていたりカラーコンタクトを使用していたのだと続けた。
 一般的日本人の容貌を真似た理由は特に言わなかったが樹にも大体理解できた。
 いきなりこの姿で教育実習にこられても、生徒も教師も戸惑ってしまう。
 そんなこと楽に想像できる。
 英語担当の外国人教師として訪れるならまだしも、普通の数学教師では逆に目を引いてしまうのではないか。
 日本人だと言われても納得できないほどの容貌だ、普通に教育実習生としてくるのは相当の苦難が強いられることは目に見えている。
 それに藤沢は生徒達と普通に、でもしっかりと付き合いたかったのだろう。
 あの夕暮れの教室での出来事を思い出せば大体は想像できた。
 実習期間という本当に短い期間でも、思い出せば藤沢はたくさんの生徒と仲良くなっていたのだ。
「染めるときちょっと失敗しちゃってね、髪の毛真っ黒じゃなくて少し青っぽくなっちゃったんだけど」
 そう言って苦笑する。
 どこかで茶髪を黒く染め直すと紫色になるという話を聞いたことのある樹は、それと似た原理なのかと何となく思った。
 確かに藤沢の髪の色は完全な黒では無かったかもしれないが、でも目立つほど奇抜な色をしていたわけではない。
 今とは違って。
「僕は、言ってなかったけどクウォーターでね、分かる? ハーフのハーフってコトになるのかな、御爺様が日本人だった御婆様と結婚して、それで・・・梶村、聞いてる?」
 相づちさえ打たない樹を不思議に思ったのか、話を途中で打ち切り藤沢はただこっちを見つめてるだけの樹の顔を覗き込む。
 やはりいつものあどけない顔つき。
 こんな彼が大勢の生徒達と親しく慣れたのは、警戒心を起こさせないその表情の所為かもしれない。
「・・・聞いてるよ」
 樹は少し不機嫌そうに言う。
 だがそれは、今藤沢が覗き込んだときに高鳴った胸の鼓動を気付かれまいとしての行動だった。
 普通に言ったつもりが不機嫌そうになってしまっただけなのだ。
 樹は内心焦りだしていた。
 さっきからそうだ。
 藤沢に再会したときから、何かおかしい。
 妙に緊張して不機嫌になって、でも嬉しいような、それでいて辛いような妙な感覚。
 だがしかし、こんな感覚はどこかで経験したことがあった。
 樹はそのことを知っている。
 以前に、何回か。
 でもその時がいつなのかがさっきから思い出せないでいた。
「続けろよ」
 自分で理解できない不愉快な感情の所為だろうか、樹の口調はきついままだ。
 少し戸惑いを見せながら、視線を逸らして藤沢はまた話を続ける。
「それでね、母さんが生まれて、それで日本で暮らしてた時に父さんと結婚したんだ」
 話をしながらも、藤沢はたまに樹に目をやっていた。
 藤沢は戸惑っていると言うよりは、どうやら樹のことを心配しているようだ。
 そう言えば怪我の手当もまだしていない。
 どこか傷が痛むのだろうかと、見当違いな心配をしながらちらちらと樹の様子を見ている。
 樹が話を聞いているかどうかも分からないが、藤沢は取りあえず話を進めた。
「二人とも、僕が生まれたときはびっくりしたらしいよ」
 たまに合う二人の瞳。
 だが藤沢はそんなことは気にしていないらしい。
「母さんはハーフだけど全体的に日本人よりだったのに、その子供の僕がこの髪と目だったから。御爺様とそっくりな」
 どうやら藤沢のこの日本人離れした容貌は、隔世遺伝の賜らしい。
 しかもどう見ても、西洋風の美しさを表に出している優性遺伝だ。
 現に今微笑んでいる藤沢の姿は美しさと可愛らしさの中間の地点で、周囲の目を引くことは間違いないだろう。
 樹の視線だって捕らえて離さないほどなのだ。

 自分に無邪気に笑顔を向けている藤沢から樹は堪えきれずに視線を逸らす。
 心臓が痛いくらいに胸が苦しい。
 しかも苦しみは増してくる一方だ。
 さっきからおかしい。
 何かが、ずっとおかしい。
 樹は何とか被っている無表情な仮面の下で、混乱し始めていた。
 今までは自分に視線を向けていたのに、今度は目をそらして明後日の方向を見ている樹を、藤沢は不思議そうに見ている。
 どんなに隠そうとしたって、今日の樹の態度がおかしいことくらい誰だって分かるだろう。
 しかしさっきからその原因を藤沢は勘違いしている。
 どこか怪我をしている所為じゃないかと。
 取りあえず、樹が一番疑問に思っているだろうこの髪と瞳については説明した。
 これ以上話しても、樹は聞いてくれるかどうか分からない。
 ここで一段落つけても良いかなと思った藤沢は、立ち上がる。
 その藤沢の動作に樹の視線も一緒に動く。
「ちょっと待ってて、救急箱、取ってくるから」

 引き金が外れたのは、それからまもなくだった。
 ただ藤沢を此処へ留めておきたい、それだけのことだったのだが樹の身体は校舎裏でのキスのように、意志とは関係なく身体が動いていたのだ。
 一瞬部屋の空気が揺れる。
「かじっ・・・!?」
 いきなりの樹の行動に、藤沢が驚いて声を上げた。
 その声で我に返った樹。
 いつの間にか、ほとんど無意識のうちに樹は藤沢をベットに押し倒していたのだ。
 その時の樹が理解した現状は自分の腕の中にいる藤沢、ただそれだけ。
 気持ちはやけに冷静だった。
 樹本人もこんなに落ち着いている自分が不思議だったが、それはまださっきの自分ではコントロールの効かないもう一人の自分が残っている所為かもしれないと心の片隅で思った。
 もう一人の自分の所為にしてしまおう。
 自分の腕の中で呆然としているその人に、樹は当然のように唇を重ね合わせた。

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