◆◇紅◇◆

 街が激しい夕立に襲われた日、乃木は約束も無しに君塚の家に現れた。まぁ、それはいつものことなのだが。
 7時を過ぎて辺りが闇に覆われかけた頃。
 乃木はどこにでもあるようなマンションの一室  君塚拓也の部屋の前に立っていた。
 びしょ濡れになって、何故かその手には一輪の真紅の薔薇を持って。
「お前、何やってんの?」
 拓也が驚いたような、それでいて半分呆れたような声で聞く。
 こんな夕食時に予告も無しに訪れ、それでいて悪びれた様子など欠片もない。
 しかも先ほどの夕立に撃たれたのか、部活動で鍛え上げられた体の線がはっきりと出るほどその身体に張り付いた洋服。
 そしてどう考えても乃木雄介のキャラクターとは一致させられないだろう、一輪の薔薇。
 とうの雄介はというと、いつもの緊張感のない笑みをこぼしている。
 いつもより、多少無口な感じもするが。
「・・・とにかく上がれよ」
「おっ、いいのか?」
「このままほおっておくわけにもいかないだろっ」
 どうせその目的で来たくせに、と拓也は声には出さずに呟く。
 ちょうどこっち方面に来たときに夕立に遭って、帰るに帰れない状態となってしまったのだろう。
 雄介のすんでいる南坂上は、ここから結構離れた場所にある。
 そこで俺のところに潜り込んできたわけかと拓也はため息を吐き、雄介の方を見る。
 雄介はもう靴を脱いで、玄関口から中へと上がろうとしている。
「其処ら辺、濡らすなよぉ」
 多分聞き入れてはもらえないだろうが、一応忠告はしておく。
 今日は両親とも帰りは午前様となるだろうから、その間はなるべく文句を言われるような状況にしたくない。
「へ〜い」
 気のない返事をする雄介。
 はいていたスニーカーを逆さまにして中の水を出している。
 浴室に行っていた拓也が、ちょうど今取ってきたばかりのバスタオルを差し出すと、雄介は片手でそれを受け取り、もう片方の手にあった薔薇を拓也に渡す。
「・・・何、これ?」
 呆れた声で目の前に突き出された薔薇を眺める。
 完全に開ききっているわけでなく、ほころび始めたつぼみがもうすぐ咲き乱れるといった、ちょうど良い具合の花だ。
「プレゼント♪」
 そう言って無理矢理拓也に薔薇を掴ませる。
 しぶしぶ受け取る受け取る拓也。
 その瞬間。
「痛っ・・・!」
 拓也の指に刺すような痛みが走る。
 どうやら指に薔薇の刺が刺さったらしい。うっすらと薔薇と同じ色をした紅い血がにじんでいる。
「なんだよこれぇ・・・」
 そう言って文句を言おうとするが、気付けば拓也の目の前に雄介の顔があった。
 絡み合う視線と視線。
「あ、悪かったな」
 あまり驚きもせずにそう言うと、雄介は拓也の指をくわえる。
「なにす・・・っ・・・」
 予想だにせぬ出来事の所為で、拓也は抵抗することも忘れ息をのむ。
 指を舐める雄介の舌の感触は気持ちの悪いものではない。
 しばらくの後、雄介が口を指から離した。
 少し名残惜しさを感じながら、けれど拓也はすぐに腕を引っ込める。
「ばかっ」
 聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の声。
 目の前で雄介は余裕ありげに笑っている。
「風呂場借りんね」
 何故か上機嫌で、勝手知ったるといった態度で浴室に向かう。
 余韻覚めやらぬまま呆然とする拓也。
 指にはまだ不思議な感触が残っている。
 しばらく経って、拓也は手の中にある薔薇を見てふと思った。
「まさかあいつ、これが目的で薔薇なんか持ってきたんじゃないだろうなぁ」
 さっきまでの夕立のような音を立てシャワーを浴びている雄介にその声は届かない。
 だがそれはまさに、図星であった。

 まだシャワーの音が静かな室内に鳴り響いている中、拓也はもらった薔薇を台所にある一輪挿しに飾る。
 結構絵になるものだ。
 綺麗だな、と見惚れるまではいかないもののぼんやりと薔薇を見つめていた。
 不意に浴室のドアの開く音がする。
 一瞬、理由は分からないが鼓動が高まった。
 浴室から出てきたその人間は、どうやらそのままここに向かっているらしい。
「拓也ぁ、なんか飲み物」
 他人の家へお邪魔していますなどという感覚が全く伺えない態度。
 彼にとってはどこの家だろうと同じ事なのだろうか。
 俺はお前の奥さんじゃないぞと悪態をつきたくなる気持ちを押さえて、冷蔵庫を開く。
 未成年だし、風呂上がりって行ったらやっぱり麦茶かな?と思い、麦茶のペットボトルに手を伸ばす拓也。
 それを側にあったガラスのグラスに入れ、氷も数個突っ込んでから後ろに立っている雄介に渡そうとする。
 が、しかし。
「おまっ・・・服ぐらい、着ろ!」
 驚いた拓也は思わず怒鳴ってしまった。
 後ろに立っている雄介は、腰にバスタオルを巻いただけの状態なのだ。
「だって服びしょびしょだしよぉ」
 難なく言う雄介。
 けれど拓也の鼓動は増していく。
 麦茶は手渡さずに、側にあった机に置いた。
「なら言えよっ親父の服でも見てくるからっ」
 その裸体に近い姿から目をそらすと、奥の部屋に駆け込もうとする。
 自分は雄介よりも幾分小柄だから、多分服のサイズは合わない。だから自分よりも大きい父親の服で代用してもらおうと思って。
 しかし伸びてきた腕がそれを阻止した。
「・・・っ!?」
 抵抗する間もなく、拓也の身体は雄介の二本の腕でしっかりと捕まえられてしまった。
 心臓が大きな音を立てる。
 どうにかこの腕から逃げ出そうとする拓也。
 だが、まだしっかりとしている理性は逆らうと逆に危険だということを告げる。
 抱きしめられたまま、おとなしくなる拓也。
 雄介はそれ以上特に行動は起こさず、ちょうど目の前にある拓也の頭に顔を埋めたまま黙っている。
「・・・なに?」
 相手のわけの分からない行動に、挑発しない程度に伺いをたてる拓也。
 ややあってから雄介がゆっくりと口を開く。
「俺と同じ匂いがする・・・」
 うっとりとしたような口調。
 どうやら彼はさっき君塚宅のシャンプーを借りたらしい。
「おんなじシャンプー使ったんなら、当然だろ」
 わざと無感情なふりをして言う。
 本当なら、今にも心臓が破裂しそうなのに。
 自分の体を捕らえて離さないこの両腕には、もしかしたら鼓動が伝わってしまっているのかもしれない。
 そう考えただけで、顔が赤面する。
「今日、親父さんたち遅いんだよな?」
 意味ありげに言う雄介。
 拓也の体は小さく動いただけで何も言わない。
 本当ならばなんで知っているのかと問いただしたいところだが、そんな言葉すら喉が詰まったようで出てくれない。
 でも何か口実作ってでもこの腕から逃げ出さなくてはと、視線だけで辺りを見回す。
 そんなとき洗った後重ねられた食器が目に入った。
「俺腹減ったかも」
 コレだとばかりに気の抜けた話題を持ちかける拓也。
「は?」
 思わず雄介は間抜けな声を上げてしまった。
 雄介の顔が拓也の頭から離れる。
 こんな時に飯の話かよと、半分呆れ顔だ。
「何か作るから・・・離して?」
 これ以上無い口実だと、拓也は雄介の腕から逃れようとする。
 だが雄介の顔が、また拓也の頭にもたれてくる。
 拓也は自分があまり身長が高くないことを呪いたい気分だった。
 これで雄介よりも背が高ければ、こんなコトにはなりようもないのに。
「なっ何か、食べたいのとか、ある?」
 焦りながらも、その動作を何とか料理に向けようと必死になる拓也。
 しかし、彼は気付かぬウチに墓穴を掘っていたのかもしれない。
「お前・・・」
 いつもよりも低めの声で言う雄介。
 雄介の微妙な動きまで、拓也の髪は感じ取ってしまう。
「え、なに?」
「お前が欲しい」
「な・・・っ!」
 しばらく拓也のシャンプーの匂いを堪能していた雄介だが、拓也の体をつかんだまま、頭の位置を下へ動かしていく。
「あっ・・・」
 首筋を這う滑らかな舌の感覚に拓也の口から甘い吐息が漏れた。
 拓也が拒んでいないことを知った雄介は、調子付いたのかシャツを脱がしにかかる。
「ちょっと・・・待ってっ・・・!」
「嫌だ」
 そう言って雄介はほとんどのボタンが外されてしまったシャツの間に手を滑り込ませる。
 その指は、すぐに拓也の敏感な場所を探り当てた。
「あぁっ・・・ん・・・」
 雄介の動きを敏感に感じてしまう拓也の口からは快楽の喘ぎが漏れ、次第に体中から抵抗の色が薄れていく。
 その声を飲み込むように、深くキスをする雄介。
 拓也も誘われるままに舌を動かす。
 2人しかいない台所の中には、舌を絡ませ合う音が異様に響いていた。
 三分以上の深いキスの後、雄介は拓也の体を自分の方に向け、そしていきなり側にあったソファに押し倒した。
 予期せぬ衝撃に一瞬戸惑う拓也だが、また交わされる長いキスの中で、次第に快楽の中へおぼれていく。
 そしてキスの場所は唇から首筋、胸へと移動していった。

 拓也の瞳には、雄介の肩越しにさっき飾ったばかりの一輪挿しの薔薇が映っている。
 何事もないように、静かに咲いているそれとは対照的に荒い息遣いで絡まっている二人の姿。
 月光に照らされ、花びらが一枚散った。
 完全にシャツを脱いだ拓也の胸には、その紅の薔薇のような印がいくつも刻み込まれている。
 時々絡み合う視線と視線。
 夜はまだ長い。
   

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