◆◇宿泊研修 NO,3◇◆

 遠くで誰かの話し声がする。
 大きな笑い声や、騒がしいおしゃべり。
 消灯時刻までそんなないというのにこの騒がしさは何だ。
 でもそんなものより、今の俺の心臓の音の方が大きく聞こえる。
 今、俺の隣には、あいつが立っている。
 高葉大輔・・・。

「おっせぇな」
 低い高葉の声が廊下に響く。
 ホテルの独特の匂いがする中、俺達はエレベーターを待っている。
 幸か不幸か、辺りには誰も居ない。俺とこいつの、二人だけ。
 俺が体調が悪いといったのを気にかけてか、たかが一階上がるだけの距離なのにも関わらず高葉エレベーターを使うと言い出したんだ。
 確かにこっからエレベータを使って上がれば俺達の部屋はすぐ目の前だから、向こう端の階段を上って行くよりもよっぽど早い。
 だがそれは、エレベーターが都合よくきた場合に限っての話だ。
 さっきから待っているのに、エレベーターはちっとも来やしない。
 今はまだ、7階のところにライトが点いている。
 これが一回下に降りて、そして戻ってくるまで待っていなくてはいけないのか?
 これなら間違いなく階段で行った方が早いのに・・・案外抜けてる奴だな。
 さっきまで緊張しすぎていたせいなのだろうか、感覚が麻痺してしまったようで、さすがの俺にも少し余裕が出てきたようだ。
 だからって階段で行こうなんてばかなことは言わない。
 時間がかかるなら、かかるほどいいんだ。
 部屋に二人だけになることは避けたい。
 7階から降りてきたエレベーターが俺達の居る4階で止まる。
 そして金属音をたて、扉を開けた。  これが戻ってくるのを待たなきゃ・・・。
 そう思っていた俺の手を、何かの強い力が引っ張った。
「?」
「なにボーッとしてんの? エレベーターきたぞ」
「な・・・っばかっ・・・」
 その強い力に逆らうことが出来ず、俺はエレベーターの中へと引き擦りこまれるように入っていった。 さっきと同じ音を立てて扉が閉まる。
 一瞬重力のなくなるような、そんな感覚を感じた後、エレベーターは下へと降りて行く。
「あっれー、なんで降りてくワケ?」
 不思議そうな顔で言う高葉。
 自分は間違いなく5階のボタンを押したのに、それでも下に降りて行ってしまうエレベーターが理解できないらしい。
 ・・・本気で言ってんのか?
「お前、バカかぁ? 一回降りてったエレベータってのは、一番下に行くまで上がってくんないんだよ!」
「え、そうなの?」
 そいつは驚きと、大袈裟なリアクションを取っている。
 こいつ、成績も良くって何でも出来る男みたいなのに、意外とかなり抜けてるんだな。
 いつのまにか謎の恐怖心や緊張は薄れていったようで、俺はだいぶ平常心を取り戻していった。
 だけどやってくるどんでん返し。
「あのさぁ・・・お前、俺のこと嫌いなわけ?」
 さっきよりも一段と低い声に、いきなり鼓動が高鳴ってしまう。
 妙に艶っぽい声だ。
「なんのことだよっ」
 俺は必死に否定しようと試みる。
 嫌いじゃないよ、嫌いではないんだ。
 だけど・・・。
「だってお前、俺のこと避けてただろ」
 刺すような視線が痛い。
 考えてみればエレベーターというのは密閉された空間、つまり密室なわけで、その中に居るのは、俺とあいつの二人だけで。
 高葉はまた俺の肩に腕を回してくる。
 こんな狭い密室の中、俺の逃げ場はどこにもない。
「嫌いなんかじゃ・・・」
 消えそうな声でそういうのが精一杯。
 誰か、このエレベーターを止めてくれ。
 頼むからここから出してくれ。
 ・・・なのに、誰もエレベーターを利用していないのだろうか、一階を過ぎても止まる気配は一向にない。
 後は地下二階まで行って、それからまた五階に戻るまで待たなきゃいけない。
「避けてなんか、ないよ。お前の被害妄想だ・・・」
「嘘つくなよ。そんな嘘ついたってすぐにばれちまうんだぜ」
 俺の首筋に顔を近づけてそう言う。
 くすぐったくて、変な感じがする。
 これ以上ないってほど、鼓動が高まっていって・・・。
「な・・・なんでそんなに俺にこだわんだよ。好きでも嫌いでも、どうでもいいだろ?」
 鼓動を押さえようと、そしてあいつにこの心臓の音が聞こえないようにといつもよりも大きな声で言う。
 なのにあいつは、もっと近づいてくるんだ。
 顔と顔が触れ合うくらいに。
「よくねぇよ。俺はお前が好きだから」
 心臓が、はじけそうになった。
 気づけば俺は、あいつに後ろから抱きしめられているような格好になっている。
 俺の背中にあいつの胸が当たる。
 俺の頭に、あいつの唇が・・・。
「好きって・・・馬鹿か、なに言って・・・」
 なんでこんなに時間がかかるんだ?
 五階って、そんなに遠いのか?
 まだ一分前後しかたっていないのに、俺にはもう何十分もが経過したように感じられた。
「好きって、お前が俺を好きになる理由なんてないだろ? お前の方が何だって出来るんだしっ」
 何とか理性を保とうと、大声を張り上げて反論する。
 だが、あいつは、こう言ったんだ。
「なんで? 好きに理由なんてねぇだろぉ」
 間抜けな口調なのに・・・なんでこんなに重いんだろう。
 ようやく地下二階までついたのか、今度は下から押し上げられるような感覚がした。
 大した振動でもないのに、倒れそうになる。
 そんな俺を、高葉はしっかりと抱きしめている。
 エレベーターは今度は上昇をはじめた。
「そうだな、敢えて言うなら・・・」
 考えているのか、高葉は頭を動かしている。
 俺はいつのまにか、頭の毛の先でさえ、高葉の動きを感じていた。
「お前、きれいじゃん」
「は?」
「だからさ、好きだなって思っただけで、理由なんてないんだよ。でもお前が理由聞いてきただろ?」
 俺の中ではあいつの言っていることと「きれい」という言葉とが繋がらない。
 俺が、きれい・・・・?
 どこがだよ。
 俺の容姿なんてお前と比べりゃ全然大した事ないのに。
「お前が好きだよ」
「なっに言って・・・」
 駄目だ、もう声になってくれない。
 心臓が破裂しそうだ。
 ・・・俺が、かってに劣等感持ってただけなのか。
 こいつは俺を、自分とおんなじ位置で見てくれてたのか。
 そのことはすごいうれしい。
 つい、微かながら抵抗していた力も消えてしまう。
「こういうの、嫌いか?」

 多分、こいつは分かってる。
 俺がどんなにどきどきしているかを。
 そしてその低い艶を増した声で耳元で囁かれれば、抵抗できないことも。

 エレベーターはようやく五階についた。
 高葉は俺の身体に絡み付いていた腕を放す。
 不本意ながら、どうやら俺はあいつの腕や吐息に少し未練があったらしい。
 あいつの体が離れたときに、少しの寂しさを感じていた。
 俺達の部屋は目の前。
 横には小さく笑みを浮かべているあいつが居る。
 
 どうやら、この鼓動は、当分おさまってくれそうもない・・・。


−END−

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