第1話
The calm before the storm 〜嵐の前の静けさ〜
砂漠の街とはよく言ったものだ。目の前に広がっているのは確かに砂漠だが、その後ろに広がっているのは、この砂漠を凌駕するほどの巨大な欲望の渦だ
王都「プロンテラ」より、最も離れた通称「見捨てられた街」「モロク」
砂塵が吹き荒れ、あらゆる物の潤いを奪い、土へと返す極限の環境
そんな砂漠のど真ん中に位置するモロクは、その土地柄最も役人の目が届かない場所でもある
そして、王都よりの恩恵が一番少ない事で王室への信頼が一番薄いことも手伝い、ここモロクは非合法団体「盗賊ギルド」の本部が置かれる、危険な街として成長していった歴史を持つ
そんな街に背を向け、目の前の死の大地に視線を走らせる一人の青年
燃えるような真っ赤な髪は暑苦しさを感じない程度に適度に伸ばされ、モロクの乾いた風にサラサラとそよいでいる
目鼻立ちの良さも手伝い、何処か高貴な雰囲気すら醸し出す
しかし、この好青年の右手にはその顔の作りとは相容れないモノが握られていた
鞘に納まった剣
一般には高級品の「ツルギ」と呼ばれているが、何故彼がこれを持っているのか
答えは簡単だ
これが彼の仕事道具なのだから
近年増加の一途をたどる危険生物「モンスター」に対し、ミドガルド王国は遂に戦闘行為を目的とした職業「戦闘職」を解禁
彼はその戦闘職の中で、最も人口の多い「剣士」
彼は、つい最近までプロンテラを中心に活動してきたが、昨日、モロク定期便に乗り込み、拠点をモロクに移し変えたばかりだ
「にしても・・・」
青年は振り返る
そこには巨大なオアシスの下に作られた魔都モロクが広がっている
彼が見ているのはメインストリート
ここには、まだ露店などが開かれ「健全」な活気さが見られるのだが、ちょっと横手に入ると娼婦たちが昼間だというのに男を誘惑してくるし、近くに数多くのダンジョンが控えているため、柄の悪い冒険者たちもゴロゴロいる
そんな街だ
「ふぅ・・・」
溜息を付くと、いつの間にかアドベンチャースーツの裾に溜まっていた乾いた砂を払う
そして、振り返り、街のメインストリートを歩き出した
「お兄ちゃん、リンゴ安いよ」
「牛乳ー、牛乳ーはいらんかねぇ」
「肉はいらんかねぇ。安いよ〜」
「あんらぁ、君、栄養失調気味だねぇ、芋食べな芋」
などなど、声を掛けてくる露店の商人たちを軽く無視すると、中央の噴水の縁に座った
上空を見上げると、容赦なく高角度から太陽が照り付けてくる
「暑い・・・」
そう呟くと、額に浮かんだ汗を拭う
そして、数分暇を持て余していると、隣に行商人風の白髭を蓄えた男が隣に座ってきた
身なりは良い方で、年齢は40後半と言ったところか
男は懐から白いハンカチを取り出すと、それで額を拭い、溜息を付いた
「暑いですなぁ・・・」
「そうですね・・・」
そして、男は一本のキセルを懐から取り出すと、それを吸い始めた
一息つき、口から紫煙を吐くと、ゆらりと少年の方を見る
「お前さんか?」
「ええ」
「ふん、こんな子供がこんな仕事とはな・・・」
「世の中不景気ですから」
苦笑を浮かべると、老人はハンカチを青年に手渡す
ハンカチを手に取ると、布の柔らかさと、中に挟まった一枚の硬い紙切れの質感が手に取れる
そのハンカチをどかし、中の硬い紙を見てみる
「ミレイユ・フル・モルターヴェン・・・こいつか?」
「ああ・・・そうだ」
先ほどより、幾分か声のトーンは低くなり、淡い微笑を浮かべていた男の表情は心なしか影を帯びている様に思えた
「ふーん・・・高々、子爵如き・・・盗賊ギルドにでも頼んだ方が確実だし安いんじゃなにのか?」
「・・・」
男は何も答えない
それが答えだ
「ふーん・・・ま、金払ってくれるなら何でも良いよ」
「期限は三日後だ・・・それまでに出来ないなら、残りの半金は・・・」
「分かってるよ。こちとらフリーランスのプロだ・・・今日やるよ」
「勝手にしろ」
商人は先ほどの淡い微笑に戻ると、カートを引いて去っていった
少年はその紙切れを暫らく見つめると、その紙切れをズボンのポケットにねじ入れる
「さてと・・・」
彼は腰掛に立て掛けておいたツルギの鞘を拾い上げると、肩に鬻ぐ
そして、空を見上げる
空には相変わらず太陽が光と暑苦しい熱を齎している
「暑い・・・な」
今日はやけに暑い
自慢の年忌が入ったハットも、モロクの日差しの中では気休め程度の日陰しか作られず、首筋を汗が伝う
「マレイア」
俺の足元をヨタヨタと歩いている、ダークグリーンの髪の毛を持った碧眼の少女が小さく呟いた
「ん?」
「暑い」
「そうだな・・・」
マレイアと呼ばれた20代半ば程の男は、少女が苦しそうな事を察し、自分が被っている帽子を少女に無理やり被らせた
「逆に暑いわよ」
「熱射病にはならないよ」
「熱中病は別でしょうけど」
外見は6歳そこそこにも関わらず、ずいぶん大人びた台詞を言う少女は、被らされたハットを取ると、男にそれを返す
「いいのか?」
「どうせ、もうすぐ今日の宿でしょ。そこまで我慢するわ」
艶やかな髪の毛を掻き揚げると、彼女の首にも汗が伝っていた
「そうか・・・」
男は苦笑を浮かべながら彼女からハットを受け取ると、再び自分で被る
「それに・・・」
「ん?」
「臭いわ。汗臭い」
「そりゃ、どーも」
男はそう言うと、懐からタバコを一本取り出した
「ついでに、タバコ臭い」
「すんませんね」
黙ってタバコを懐にしまう男に満足したのか、少女は6歳のものとは思えないほど、大人びた微笑を浮かべた
「よろしい」
「ふぅ・・・」
相変わらず太陽は容赦なく彼らを照りつけている。このまま横に店構えしているオープンカフェに駆け込みたいところだ
しかし、それは隣の少女「セリア・アレイン」が許さないだろう
「今、あそこのカフェに行きたいなぁ・・・とか思ったでしょ」
お見通しらしい
再び短く溜息を付くと、額の汗を拭う
「なら、早く行こう。いい加減にしないと干上がっちまう」
肩に担いでいる巨大な矛
両刃の矛「ソードメイス」
聖職者には装備が禁じられている刃の付いた鈍器
治安の悪いモロクだからこそ騒ぎにならないが、王都プロンテラで同じ井出たちをして歩いたら、聖職者ギルドが血相変えて追いかけてくるだろう
ソードメイスを担ぎなおすと、モロクの乾いた風が彼の長く艶やかな長髪を揺らす
「暑いな・・・」
彼は意味も無く呟いた
モロクの周りを囲む広大な砂漠
「ボーベン砂漠」
それがこの地獄の名前であり、モロクを腐らせた原因でもある
近年、聖職者の一部が空間を移動する術「ワープポタル」なる物が開発されたものの、未だに民間の移動手段は徒歩かこの馬車に依存している
昔ならなおさらの事だ
それが人々の足を止め、モロクを陸の孤島とした
そしてモロクは腐った
馬車に乗る艶やかなプラチナゴールドの長髪を持つ女性は、行き場の無い怒りを覚えながら変わる事の無い砂漠の雄大な景色に視線を送っていた
名はミレイユ・フル・モルターヴェン
階級は子爵
白のロングスカートに女性物のワイシャツにジャケットを羽織っている姿の彼女からは、自然と高貴な雰囲気を感じ、何よりも綺麗だ
馬車が歩くより速いと言っても、やはりプロンテラからモロクという距離は遠く、到着するのは恐らく夜になってしまうだろう
夜のモロクは危険
今朝、自分に仕えている執事もそれを心配していた
確かにそうだろう。自分は確かにミドガルド王国の誉れある賢老会の一員であっても、モロクに巣食う畜生どもは、そんなことに構う事は無いだろう
モロクに行けば、自分とて只の金を持つ女なのだ
その事は重々承知しているし、今の生きる世界に多少なりとも未練を感じている
しかし、彼女は馬車をモロクへと走らせた
今、彼女が手にしている情報に比べれば、自らに降りかかる危機など微々たる事に思えた
彼はモロクに居る
この、暗黒とした世界を照らし、光あふれる世界を切り開いてくれる「勇者」
彼がいる
それだけで心躍る
魂を揺さぶられる
彼なら・・・
助けてくれるはずだ
あの
やさしかった彼なら・・・
任務はいたって簡単だ
今夜、零時ごろにモロクに到着するミドガルド王国子爵「ミレイユ・フル・モルターヴェン」の心配機能停止・・・つまり殺す事だ
殺すこと自体はそれ程難しくは無いだろう
問題は任務達成後の脱出経路だ
幸い、ここモロクは陸の孤島
どんなに速くとも、5日ほど経たないと王都プロンテラまで情報は届かない
だから、この5日の間に金を貰い、国境の街「アルデバラン」に逃げ延びなければならない
5日で大陸を縦断しなければならないのだ
「微妙なところだ・・・」
実際、予想より情報が速く伝わればイズルート付近で検問を張られるだろうし、いくら下級貴族と雖も貴族は貴族
誉あるミドガルド王国貴族が殺害されたとあれば、ミドガルド王国は総力を挙げて犯人を探し出すだろう
本格化した王国の捜査網から逃げ切る勇気と、自身は彼には無かった
だからこそ、この5日間が彼にとっては正念場であり、最大の壁でもある
「ふぅ・・・」
溜息を付き、窓の外のモロクメインストリートを見る
昼下がりの一番暑い時にも関わらず、メインストリートには人がごった返しており、露店の商人たちの威勢の言い声が響いている
ここは、モロクの中央より少し離れた所にある「ホテル・パルチザン」
彼は中央通の見通しの良さに、脱出の容易さを買ってこのホテルの一室を借りたが、実際はこの2つの利点を活用する事は無いだろう
干しレンガの壁を軽くなぞって見る
築何年経っているだろう。壁は脆くも崩れ去り、砂へと帰す
彼は嘗て壁だった砂を手のひらに取り、息を吹きかけてみる
乾ききった砂が宙に舞い、モロクの風が砂を遠くに飛ばす
柄にも無く、気持ちが高ぶっている
「・・・今夜」
それは、ターゲットであるミレイユ・フル・モルターヴェンに向けられたものか
それとも、自分に言い聞かせたものなのか・・・