11/30
明日から12月。………えっ、もうディッセンバー!?
振り返ってみると一年。早いものでと感じつつも、今年一年間あったことを
考えると、心身ともに激動の年でした。これで中身がもうちょっと成長してれば
満足が伴うってなもんなんですが、相変わらずです。あい、かわらず。
とか自嘲しててどうする。自省!
●
さて、今月のアタマに自分は目標をたてたので、今日はその振り返りをしてみました。
・絶対に寝坊、遅刻をしない。(授業にマトモに出る)
昨日、目標をたてた通りです。
・塾講をはじめる。
これは達成しました。仕事始めは12月に入ってからなので、それまでの間、
小中高の15年間分の勉強をしなおさねばなりません。がんばります。
・ボランティアに参加する。
一回参加しましたが、その後が続きませんでした。ただ、この前行ったときに、
ああ……と思える出来事もありました。もっと、自分に厳しくなければなりませんね。
・絶対に健康を損なわない。
ジョギーの記録はもういいでしょう。続けております。そのせいか、周囲からゴホンエヘン
という声が聞こえてこない日がないにも関わらず、カゼのカの字もありません。
完全勝利です。友人からは、ショウドウガインじゃなくてニョウドウファインになれと
言われました。その後血尿もないです。この健康を人の為に活かします。
・浪費を控える(有意義なことに金を遣う)
結局は人付き合いとか仕方ないことに追われて金がすり減っていったという
現状ですね。もっと外食と飲みを控えて、家からオムスビつくってきゃあ昼代も
浮きますしね。倹約倹約………
・素直に物事を受け止める
これが一番難しい。受け止めてみて、それが素直なのだかどうかわからない。
ただ、物事を分解して(振るいにかけて)判断するようにするようにと勤めています。
自分の日記から「文化」をとっぱらったら何が残るんだという指摘もいただきました。
自分自身の日常にふるいをかけていかなきゃいけませんね。
●
12月になったら、また目標をたてて、またそれを達成できるようにします。自分に厳しく!
はい、これが30行(●含まず)。
11/29
思わぬ方からメールを頂いて、
本当に腰を抜かすほど驚きました。
こんな成長しない自分に、まだ声をかけてくださるのに、
アダで返すわけにはいかねえなあと、何度も読み返しました。
マトモな人間になります。
●
さて、今日は寝坊。見事に遅刻してしまいました。
自分で目標を定めたはずなのに、どうしてもこのグウタラ癖が抜けようとしません。
だので、本日より「寝坊しないための自分ルール」を定めることにしました。
・夜1:00には就寝する。
・寝る前に食事、間食しない。
・外食は控え、早く帰る。
・家にいる時間をムダに遣わない。
挙げてみれば当たり前のことばかりですが、こういう当たり前のことでさえ、
自分は満足にできていないのです。自分自身を制御できなくてどうする。
最近だんだん日記が長くなってきているので、行数制限を設けます。30行まで。
凝縮しないとダラダラ書いているだけでは、ただの「記録」になっちまいますからね。
●
今週末に、自分が属している教育研究会のシンポジウムが行われるので、
その最後の詰めの話し合いと、ビラを張るために学校中の研究室を廻ったのですが、
改めて、なんてウチの学校には学科が多いのだろうと感心し、こんなところから見た
風景もあるのだなと、新たな発見もたくさんありました。うちの大学の構内の裏手に、
お稲荷さんのお社があることを、知っている人は果たしているんでしょうか。
研究棟の窓からは夕日が綺麗だということを知っている人もいるんでしょうか。
大学生は象牙の塔の中に籠もるものだから、そんなこと知らなくてもいいと言えば
それまでなんですけど。知りたいとさえ思わないというのは、さらに悲しいことですよね。
知りたいと常に心に留めておくこと。それからその為に決して努力を惜しまず
面倒くさがらないこと。当たり前のことほどできないものっすなー。
とか諦観してないで、やらなきゃ。
11/28
起きてから、今日は本当に何も予定がないのだろうかと
何度も何度も見直し、友達に電話し、カレンダーを見つめ続けたのですが、
やはり何も予定がない。おかしい。何かしらあっておかしくないはずなのに。
今日は休もう! と決めて休んだり、何か予定があったはずなのにキャンセルになった
というわけではなく、道連れ的に何も本当に予定がない日曜日なんて、
ほぼ二年ぶりぐらいではないでしょうか。
そんなこんなで何をしたらよいのかさっぱりわからず、部屋を整理してみたり、
パソコンの中のファイルを整理してみたり、終始ソワソワと落ち着かない日曜日に
なってしまいました。こういうときに、自分の無趣味さが露呈します。
ちょいちょいとサワリ程度にやっていることはあっても、真剣にこれッ! と
打ち込んでいることがないから、ヒマになってもすることがなくなってしまう。
この思いがけない日曜日も、結局は惰性の産物ですし。
この生来の面倒くさがりをどうにかしないかぎりは、自分にとっての
未来はないに等しいでしょう。面倒くさがっちゃダメッ!!
●
「グラップラー刃牙」
言わずと知れた、チャンピオンで連載中の超人気格闘マンガ。
16歳の少年、刃牙(ばき)が、戦闘中毒症的で人を倒さずには
生きられない、父親であり「地上最強の生物」と呼ばれる男、
範馬雄二郎を倒すために、ただひたすらに強くなることを目指すという内容。
全編に作者の格闘および格闘者に対する強い愛が溢れていて、
根拠のない強さなど強さではなく、人の強さの背景にあるもの、
強くなる人間には絶対に理由があり、人の痛みを知っているということを
きちんと描いているので、登場人物の一人一人にちゃんと感情移入を
してゆけます。特に、マウント斗羽ことジャイアント馬場がモデルと思われる
人物に対する愛はきわめつけ。好きなんだろうなァと、思わず頷かされます。
格闘マンガにおいて、格闘技に対する描写がリアルであるとか
そんなことは、はっきりいってどうでもいいのです。
リアルが好きならK-1でもフルコンタクト空手でも見ればいいわけですし。
なんだったらそこらへんの街角で、コワモテのお兄さんに後ろからイッパツ
蹴りをくれれば、身をもってリアルファイトを知ることができるでしょう。
重要なのは「なぜ戦うのか」。
男同士は結局、拳骨をもって争うしかないという無骨なテーマですが、
すごくストレートでもあります。男の子は、こういうの読まなきゃね。
しかし自分にとっての難色は、表現がエグすぎること。
指で神経切るな! 筋肉破裂さすな!! 内蔵エグるなーー!!
そういうのが好きな人はいいでしょうけど、妄想力の強い自分は、
痛みを「想像」して自ら味わってしまうために、痛い表現というのが
ヒジョーに苦手です。(「サディスティック19」も面白いけど、これで苦しんだ)
筋肉や肉体の描写もさることながら、「当たった」時の描写がこの作者は
特に生々しくて、イヤんなっちゃいます。痛そう………
かてて加えて、この手のマンガの弱点として、
「次々と強い人間を出さなければならない」
ということもあります。刃牙の場合、一応父親が「地上最強の生物」として
君臨しているので、天井はあるのですが、最近出てきたヤツラなんかは、
もうすでに雄二郎の域に達してるんじゃないかしらんというような気もします。
そのうち神様と戦うことになったりしなければいいんですが。
●
「ゲッチュー! まごころ便」
これもチャンピオンで連載中の、宅配便屋人情コメディ。
チャンピオンには「浦安鉄筋家族」という無敵のギャグマンガがあるので、
笑えるという点ではそちらに及ばないのですが、力一杯というか、力の限り
主人公たちが繰り広げている日常がなんとも愉快で、それでいてちょっと
いい話だったりするのがニクイ。お約束的な展開プラスワンで、
バランスが取れていて、読んでいて安心できるマンガとでもいいましょうか。
こういう馴れ合い的な内容が、自分は結構好きです。なんだかんだ言っても。
●
「2×2」
「ツーバイツー」と読みます。またまたチャンピオンで連載中の、
不運共有双生児の華神滅暗(かがみめつあん)と考輝(こうき)の
コメディドラマ……といっていいのかな。片方が傷つくと片方も同じ部分が
傷つくという、「不運」を共有している双子が、それをバネに強く生きてゆくという
一本スジが通ったテーマがあるものの、やっていることがラブコメだったり
はたまたタダのギャグだったりするので、なんなんだろうなーと
思って最初は読んでいたのですが、時折挟まれる二人の間にある強い絆と
友情の物語を見るために、ついついずっと読んでしまっています。
ギャグとしてのレベルは、やはり「浦安〜」には遠く及びませんし、
「まごころ便」のように絵や表現がセーブされていないので、なんじゃこりゃ
ということもよくあります。しかしいい回とよくない回を足して割って、
トータルで見ると、まあ面白いかな。という不思議な作品。
不運は不幸なわけではない。カラダがリンクしているからこそ
互いに強くなければならないというテーマを、もっと前に
押し出せばいいのにと思わずにはいられません。
●
三本続いてチャンピオンのマンガになってしまいましたが、
「鉄鍋のジャン!」といい、「浦安鉄筋家族」といい、
今一番面白い週刊マンガ雑誌はやはりチャンピオンであると
確信します。作品として非常にバランスが取れているものが多い。
次点が、盛り返しつつあるジャンプで、その次がサンマガ(一緒くた)。
サンマガの「線が細いヤンキー系」のマンガはもういいかげんに
せえよといった感じですね。
考えてみれば、マンガ雑誌をどれだけ読んでいるのか………
ジャンプ、スピリッツ、ヤングキング、サンデー、マガジン、
ビックコミックオリジナル、チャンピオン、ヤンジャン、モーニング、
ヤングアニマル、アワーズ、コミックビーム、アフタヌーン、キングダム。
………時間、ムダにしてますね。
11/27
大学のダンス同好会の発表会のビデオ撮影を頼まれていたので、
広角が足りないレンズに苛つきながらカメラを回してきました。
ダンス同好会の発表は初めて見たのですが。うーん………
正直なところ、あれです。「同好会のレベル」かな。
ヘンの凝った創作をする前に、ちゃんと基本をふまえたグルーヴダンスを
見せてほしかった。まあ同好会だし、別にいいんでしょうけど。
しかし、ビデオカメラを回すのはそれだけで愉しいものの、ノーギャラ。
むう。
●
財布を家に忘れてきてしまったので、「Wild
Wild West」の先行オールナイトを
見に行く予定をキャンセル。久々に本屋に立ち寄って気合いを入れた立ち読み。
最近はマンガ喫茶なんていう便利なものができてしまったので、気合いを入れて
立ち読みするなんてことはなくなっていたのですが、隙を許されないので
結構短期間に集中して読むことができる立ち読みも、たまには必要です。
結局は昨日反省したはずの「時間のムダ」をまたしているだけなのですが。
ダメだダメだ!! ちょっとヒマになったからって!!
●
「シャイニング」上・下
本断ち生活解禁。ヒマこいてつまらないサボりをするぐらいなら、
少しでも有益な本を読んだほうがよかろうと、また読み始めました。
シャイニングは、こないだ映画を見てから原作を読んだほうがいい、と
アドバイスを頂いたので、しばらく古本屋で探し回っていたのですが、
ありそうでないスティーブン・キング。結局送って頂いてしまいました。
いつもありがとうございます。Ubikさん。
●
不祥事を起こし教師を辞めさせられたジャック・トランスが、作家としての成功をかけて、
冬の間、閉鎖されるホテルの管理人を引き受け、妻と一人息子と一緒に移り住むところ
から話ははじまります。外界から遮断されたそのホテルによって、
次第に狂気に蝕まれてゆくジャック。「かがやき」という一種の超能力によって、
絶望的な未来を知ってしまい、ホテルの怨念に脅かされながらも、両親との
愛情を信じ続ける息子ダニー。夫と息子との愛情の狭間で苦しみながら、
しかしどうすることもできず、せめて息子だけは守ろうとする妻ウェンディ。
この三者の視点が常に移り変わり、それぞれの豊かな感情描写によって、
互いが互いをどれだけ心配しているか、そして互いに心のうちにある
隠し事のやましさまでが、非常に細やかに書き出されています。
父親と母親がどれだけ息子を愛しているか、そして息子が両親をどれだけ
愛しているか。両親はダニーを間にはさんで、密かに確執を露わにして
いってしまうのですが、それでもやはり息子に対する愛情は最後まで失いません。
時折挟まれる、両親のそれぞれの親の記憶がそれを一層印象づけてくれています。
なにかが取り憑いたホテルと戦う、ひとつの家族の愛の物語であると思いました。
●
映画では、ジャックが作品を書き上げられずに、苛ついて、ホテルの念に入り込まれ、
発狂して暴れ回るという内容でしたが、考えてみれば、あれはウェンディからの
視点のみで描かれていたのかもしれません。夫はわけがわからなくなるし、
息子もなんだか夢遊病のようになってしまっているし……という。
原作のウェンディのパートだけを読めば、確かにこんな感じです。
画像の美しさが素晴らしい映画ですが、反面人間の描写がほとんどといって
いいほどないのが、原作と対照的です。人間一人一人をこれでもかと
彫り込むキングの描写力が、シャイニングでは冴え渡っています。
●
映画のウェンディはダニーの心情も、夫の心情もまったく理解する様子が
ありません。原作のウェンディは、自分の母親に対する嫌悪感を感じながら、
着実に自分が母親に似てきていることを認められず、夫への愛情?
と
息子への愛情を抱いていながら、不思議な繋がりを持っている夫と息子に
嫉妬もまた抱いているという二律背反を持ったキャラクターです。
映画のジャックは、作家として作品を書き上げることにのみ執心し、
その妨げとなっている息子と妻を殺そうとしますが、原作のジャックは
自分の父親への愛情とつながる父親としての権威、作家としての成功の道、
自分を栄達の道からひきずり落とした人間たちへの恨みと悔恨。
常に自分自身に嘘をつき続け、正当化をし続けながらも自分自身で
本当はそれに気づいていて、自己嫌悪と息子への愛情の狭間で苦しみ、
ついに自分を認めてくれた(とみせかけている)ホテルに取り憑かれてしまう
という深みのあるキャラクターです。
ダニーは、「かがやき」という超能力を持っていて、それによって未来を知り、
人の心のなかがわかってしまうというのは原作も映画も同じですが、
映画ではそれに振り回され続け、ついにダニーの人格はどこかへ行ってしまい、
トニーというもう一つの人格と入れ替わってしまうのに対し、原作では自分の能力の
ことをある程度把握していて、自分が見ることができてしまうものがなんであるかを
判っていながら、決して逃げずに自分の心の中にしまいこみ、五歳の子供には
過酷すぎる現実と起こりうる未来を、ただ両親の愛情だけを信じて回避しようと
祈り続けている健気なキャラクターです。
この他に、同じ「かがやき」を持っている少年を心づかうコック、ハローランや、
ディックの心の中に住んでいる謎の少年トニーなどが周りを固め、
そしてホテルの意志をそのものが不気味に見え隠れし、人間を脅かします。
三者三様に思っていること、感じていること、信じていることがあり、
それぞれに対して感情移入ができてしまうため、ホテルの正体不明の恐怖を
より一層味わえてしまうのです。キングの描写力ってスゴイ。
この原作に忠実なTV版シャイニングも、これから見る予定です。
●
それにしても、トニーって結局、誰だったんでしょう。
自分は、ジャックが酔っぱらって事故にまきこんでしまった子供かと
思っていたのですが、未来のダニーかも知れないんですよね。
最後の最後でダニーのフルネームが出てきて、わからなく
なってしまいました。トニーを必要としなくなるダニーに至って、
わからなくてもいいことになるんですが………
11/26
家に客があったのですが、予想外に用事が早く終わってしまったので、
学校に行くまで、新宿で本でも読んでいようと思ったものの、
落ち着いて長く本が読めるというスペースが心当たらない。
これだけ長く新宿と付き合ってきたにもかかわらず、です。
おいしい食事ができるところ、一人で飲みに行けるお気に入りの場所などは
いくらでもあるのですが、元来買い物をするために立ち寄る街であるせいか、
駅周辺の中心地に、ゆったりと落ち着ける場所が全然ないのです。
スターバックスはいっつも混んでいるし。モスはちょっと遠いし。
眺めのいい喫茶店は、ちょっと値が張るので、一人で入りづらい。
都庁周辺は閑静なオープンカフェがたくさんありますが、そこまで
歩いていくのも億劫です。さて困ったな、どこかいい場所はないものか。
さんざんウロウロした後、結局下高井戸にショバを移してしまいました。
新宿は、いればいるだけお金が減っていくのです。右上がりのグラフ。
だから暇つぶしをするには向いていないと、こんな簡単なことに気づくまで
二時間もウロウロしてしまいました。時間のムダだわ………
時間のムダ。ムダな時間。
考えてみれば、今まで「ヒマ」というものを全く自分で作らないように
してきたためかもしれません。予定をキツキツに入れて、常に
動いていないと不安で仕方がないから。
動いていれば考えずに済むから。それも結局、ムダな動きですが。
時間をただ漫然とすごすのと、無意義なことに時間を費やす。
どちらもだめだ。
ちゃんと考えよう。
●
「Shine」
(三回目)
実在のピアニスト、デイヴィット・ヘルフゴットの半生を、
彼自身のピアノ演奏をバックに綴る伝記ドラマ。
自分は、自身がピアノをやっていたということもありますが、
ピアノがとても好きです。もちろん、楽器は何でも大好きですが、
きっと一番好きな楽器じゃないかしらん。
今じゃあまり行きませんが、昔はクレイダーマンの演奏会などに
よく足を運んだものです。子供のころ(ピアノに限らず)音楽を
「やらされていた」感覚が、反抗期になって爆発しやめてしまいましたが、
今となっては続けていれば……と思わなくもありません。
たまに、ポロポロとでたらめに弾いていますけど、
金銭的に余裕ができたら、また習いに行こうという予定しています。
デイヴィット・ヘルフゴットは、自分などとは比べものにならないくらい
父親に愛され、そして期待され縛られ支配され、そしてそれは、
支配を断ち切ってロンドンに渡り、壮絶な演奏の後で倒れ
精神をやられてしまった後も延々と続いています。
妙な口調で彼の口から出る言葉は、過去父親に言われたことや、
ロンドンでの師に刷り込まれたことばかり。彼はずっとピアノを
何のために弾いているのかが見いだせず、そして父親を捨ててきて
しまったという罪悪感から、父親の影に常に追われています。
しかし、あるレストランで演奏を始めてから彼のピアノは変わります。
常に一番でなくてはならないという切羽詰まった、息ができなくなるような
切ない音色から、とても柔らかくのびのびとしていて、まるで、うまく
しゃべることのできない彼の言葉を補って、さらに有り余るほどの
感情をのせて音が伸びていく感じなのです。
観るのは三回目になりますが、いまだに自分はこのシーンで、
びびびっときてしまいます。引き込まれる、呑まれる。音にさらわれてしまう。
まるでそんな感覚。ギターでもバイオリンでも決して出すことのできない、
ピアノによって、ピアノだけが持っている独特の音楽。
そして父親との突然の再会と別れ。
彼は本当に父親の影から脱出し、そして自分自身の言葉を――――
彼の場合はピアノの音色を奏でていくようになります。
そしてここで視点が、デイヴィット本人のものから、彼の妻になる女性へと
移り変わってゆくのも印象的です。一個の人間として独立することができた
彼の一人称から、妻の三人称へ。
そこからまた、人生が始まっているかのようです。
やっと、彼の人生が始まったというべきなのでしょうか?
デイヴィット・ヘルフゴットはまだ存命していますし、CDも出ています。
興味を持たれた方はぜひご一聴を。
11/25
思い出横丁が、本当に思い出になってしまいました。
大火は昨日報道されていた通りですが、あすこは毎日の
通学で必ず前を通るので、今日それを目の当たりにし、
あう……と絶句。もともとみすぼらしい長屋のようなところでしたが、
ひっそりとした「生」があったのに、そこにあるのはすでに動かなくなった、
廃墟があるのみでした。うまい焼き鳥屋とか、ソイ丼のお店とか、
結構重宝していたんですけどね。幸いにして死者はなかったようなので
よかったなとも思いますが、自分が足を踏み入れて、きたねーところだな
コンチクショーと笑いながら悪態をついていた横丁はもうないんですね。
そんなに悲しくはないけれど、寂しい限りです。
●
暗い話題の後にはなりますが、グッドニュースとしては、
すでにあきらめていた塾講の採用が決定しました。………なんで?
と疑問がわかなくもないのですが、人柄が採用されたのだとしたら
うれしいなあ。はっはっは(絶対ない)
●
この前、迷惑なメールを送りつけてしまってご迷惑をおかけした、
Ubikさんのホームページ「闇に潜むもの」のDualThinkingという、
原作と映画両方の観点から作品を見つめる興味深いコンテンツが更新されて、
また読ませていただきました。今回は「トータルリコール」。唸る。
●
ちゃんとした人の映画レビューを読むと、改めて自分の映画の見方の浅さを
思い知らされて、ホントに自分はここからもう人間を磨くことは
不可能なんじゃないかという不安がアタマをよぎり、でも考えたくないから忘却の彼方に
考えを捨て去ろうとして、やっぱりちゃんと考えろと拾ってきて、結局はそんなことで
うじうじしてるヒマがあったら、ちょっとは勉強とか労働とかせえやという、
太平楽な自分に帰結しています。自分がこうもボンボンで苦労を知らないのは
果たして幸せなことなんでしょうか? それとも不幸せなことなんでしょうか?
こうやって気楽な判断ができること自体、幸せなんだろうな。悪い意味で。
●
なにはともあれ、上記のホームページは自分とこよりよっぽど含蓄があって
素晴らしいので、是非一度お訪ねされることをオススメします。
CMじゃなくて、これも作品というか人の作ったものに対する感想の一環ですから。
11/24
チルドレンズ・ミュージアムの研究の一環で、広尾にある
慶應幼稚舎を訪れました。そう。かのエリート小学校・慶應幼稚舎です。
三クラス六学年で、ずっとクラスも担任も一緒という、伝統に縛られた徹底した
一貫教育は有名ですし、最初はどうかなと思ったのですが、六年間同じ師と
同じ仲間と学ぶというのは、児童のちょっとした気分に関わらず、教育という観点から
長い目をもってしてみれば、実は非常にすぐれたものなのではないかと思います。
信頼関係が生まれること。これを目の当たりにしました。会議室のようなところで、
担任と児童たちが自分のクラスのことについて話し合いの場を持っていたのが、
とても印象的だったのです。現在の公立小学校では、大抵二学年でクラス替えがあり、
担任も何年かしたらその学校からいなくなってしまいます。ですから、児童とともに
信頼関係を築くといっても、とても難しいのが現状で、すでに話し合いなどムダである
という意見さえ持たれているほどです。慶應幼稚舎では、担任にそのクラスの裁量が
大部分任されていて、それぞれのやり方で教室のあり方すらかなり違うほどです。
一学級に44名というのは多すぎるのではという意見も出ていますが、それはもし
公立学校だったらの話。実際のところ、究極の少人数「学校」といっても過言では
ないでしょう。案内をしてくれた先生は、「大人になってもずっと『先生』と呼ばれるのは
悪い気分じゃない」なんて、おどけていましたが、実際のところこれがどれほど凄い
教育効果であるかというのは量り知れません。
「あおげば尊し、わが師の恩」
卒業式にこの曲を歌うことの、本当の意義を慶應幼稚舎の児童は
見いだせるのではないでしょうか。
●
話はうつりますが、慶應幼稚舎は当然エスカレーター式で、大学まで一直線です。
「ケッ」というやっかむ声が聞こえてきそうですね。エリート教育どうこう、教育の偏りがどうこう。
確かにエリート教育です。入るにしても、身内に慶應出身者がいなければ入れませんし、
初年度寄付金にしても150万です。話によれば、逗子から通っている子もいるとか………
エリート論を一節打というと思いましたが、やめた。エリートおおいに結構です。
ただ中途半端なエリートを創りたいのであれば、やめておいたほうがいいでしょうね。
慶應幼稚舎が創るエリートは、本当の上層階級の人間です。いえ、別にそれに
媚びているわけではないのですが、小学校からなぜ私立学校に入れるのかというと、
実際のところそのハビトゥース(気品的雰囲気と訳すのがいいかな?)に子供をおきたいから
でありましょう。小学校にはいくつも見学に行きましたが、すでに慶應幼稚舎はそこにある
空気からして違います。子供は子供でふつうの子供です。勿論。ただ、それが集まったときに
醸し出す匂いが、すでに決定的に異なっているのです。
親も慶應で、子供も慶應。そういう知識人階級の再生産装置を、くだらないまでに
厳しい受験というのは生み出すのだなあと、理論のみならずその実態を見てきて
しまいました。だめだわこりゃ。中途半端な私立小学校なんかにお子さんを通わせては
いけませんよ。これぐらいの学校だからこそ入れる価値があるのです。
行くのであれば、ずっと地道に勉強させて東大に入れされるのがいいでしょう。
無論本人に行く気がないのであれば全然構いませんけど。
エリートがどういう社会を造るかということのほうが重要でありましょう。
自分の卒論のテーマがそれです。
●
さて建築という視点にたってこの学校を眺めると、ちょっとボロいというのがまずあります。
それから、機能的ではない。この前者二つは、この建物が60年前に建てられたものである
ということを鑑みると当然の帰結です。蔵書を納めておくにも、すでに限界にきていますし、
新たになにかを試みようとすると、全体の位置換えをしなければならないという
どん詰まりの状況にきています。これは、自分が最近の最新の小学校建築を基準にモノを
見ているからであって、無論由緒ある建物であることに変わりはないのです。しかし
由緒あるというのは逆に言えば、「史跡」に足を片っぽ突っ込んでいるのと同じ事。
校庭ににょっきりと立つ柏の大木もいいでしょう。緑が非常に多く、まるで
「邸宅」を見ているような気分させられるのは、元々ここが福沢諭吉の別宅だったのだから
当然のことかもしれません。お湯による床暖房完備!
すげえ!!
この小学校に入るや否や、建築家を志した人もいると訊きました。(名前を失念)
今度また、最新の小学校建築である玉川学院に赴いて両者の比較をしてみたいと
思います。学校建築というのはいや、奥が深い。右へならえの公立学校とはひと味違う
創ったものの意図がガンガン伝わってきます。
自分がもし小学校を創るとしたら、六角形にして、その外側に教室を、
真ん中に四階ぶち抜きで図書館を造るでしょう。という話をしていたら、
デューイにそういう構想があったと言われたりしました。先人は嘗められません。
●
さらに付け足すと、さすが私立学校と思わせるのは、その徹底した設備の導入の仕方。
中途半端が一番悪いとはよくいったもので、でかい水槽や化石のサンプル、数えきれないほどの
鉱石や貝や昆虫………という、理科室の直感教材の数々や図書館の気の配りかた。
そしてパソコン室。これほどのPCルームは、そんじょそこらの大学にもありません。
面白いのは理科室にあった「貝博士」申請システムで、引き出しに入っている貝を、
見ただけで当てたら級・段が上がってゆき、立ち会い人(これも児童)のもとで
自分自身でテストを行い、申請したらその段を認めるカードを発行してもらえるという
のが理科室にありました。これは最初はこういうのがあるよと教えるらしいのですが、
使うのはすべて児童の意志。やりたくない子にまでムリに強要して、右にならえ!
は絶対にしないという点が、やはり私立学校。中央教育審議会が唸るような
方針を打ち出しています。それぞれの興味をえぐるような教材が満載というのは
実にうらやましい。ちょっとパーカーストのドルトンプランが思い出されたりも
しましたが、あれは成城学園だったかなあ。
●
廊下に掲示物がほとんどなかったり、教室によってパソコンがあったりなかったり
(担任の意志で自由に置ける。LANはすでに完備だそうです)、まだ見てきたことは
たくさんあるのですが、最後に一つだけ書き加えれば、広尾から慶應幼稚舎に向かうと
大きな交差点がその学校の前にあって、歩道橋がかかっているのですが、この歩道橋の
階段がすでに小学生サイズになっているのにも驚き!
なんか妙に歩幅が狭いなと思ったら、
きっとそういうことなのでしょう。どうですかこの徹底してかゆいところに手が届きまくる姿勢。
教育とはこういうものだ! とは言いません。慶應幼稚舎にも、敷地が高速道路で分断されている
とかいろいろ問題を抱えてはいます。しかし学校を造るなら、やはり校舎の建築から考えた
徹底したものを造らなければと思い知らされます。アメリカのチャータースクールは
そういったことも踏まえて(小規模ながらも)やっていて、公立学校と勢力を
二分しているといいますから、日本の学校制度は
やはり一回破壊されたほうがいいのかもしれませんね。
●
「スティング」
駆け出しとベテランの二人の詐欺師が、友人の復讐に、NYの大モノに
一杯食わせるために、詐欺師の手口で大勝負に出るという物語。
「騙し」の映画は、騙す側の観点だと途中で大船に乗ってしまい
何の意外性もなくなってしまうものですが、主人公を狙う警官や
殺し屋といった不確定要素が適度に物語を盛り上げて、
最後の最後まで気を抜かせてもらえませんでした。
一体、誰が誰を騙しているのか!?
「意外な結末」の映画を挙げると必ず名前が上る「スティング」。
ビデオ屋でも、そのビックリ性が歌われているので、見るときに先入観を
持ってしまうのは否めず、さてどう自分を騙してくれるのだろうと
楽しみにしていたら、すんなり騙されてしまいました。うますぎ。
今となっては使い古されたかもしれないありきたりな結末と取る人も
いるかもしれませんが、それは粗筋だけを読んだらのこと。
自分は、感情を見事にさらってゆかれました。
ラストで、溜め息と笑いが思わず漏れてしまいましたし。
前編を通して流れる「ザ・エンターテイナー」の軽妙なリズムも、
どんぴしゃりこの映画にマッチしますね。シナリオから、カメラワークから、
音楽から配役まで、すべてがこの一つの映画のためのオーケストラを
成しています。無駄なシーン一切なし。まさにエンターテイナー。
何かと被るなーと思っていたら、「ロック、ストック&トゥースモーキングバレルズ」
が、ちょっと重なってたのでした。ワルをワルが騙すという部分だけかもしれませんが。
そういやスティングも出てたな。特別出演ということで。
「ロック、ストック」が、運命にさらわれて人間が翻弄されまくるコメディなのに対して、
「スティング」には自分の仕事を見事やってのけるプロの格好良さがあります。
そして仕事と友情との間で葛藤させられるのはこっち。
考えろ! 考えるんだ! どうすればいい! と、観客を画面の中に
ひきずりこんでこその映画の愉しみですね。いやあよかった。
11/23
最初に話が来たときは、何かの冗談かと思いましたが、
ついに今日その日がきてしまいました。試験を受けなければならない
友人にかわって、初対面の人の東京案内をしたのであります。
何か問題が? と思われたでしょう。自分もそう思います。
その初対面の相手というのが台湾人で、英語と中国語しか喋れない
ということ以外に、なーんにも問題はないのです。ええ、何にも。
米国に行ってかなり英語に対する度胸はつけてきたものの、
絶対的な語彙力や会話能力が足りません。これはまずい。
そこで助っ人を頼むことにしました。妹です。
妹は自分よりもちゃんと体系的に英語を学んでいるため、
こういう時は便りになります。当人も国際交流ができると
最初は喜んでいたのですが、前日となると兄妹そろってへっぴり腰に
なってしまう体たらく。容姿も何も全然似ていないと思っていますが、
こういう根元的なところは、兄妹ソックリです。
さて当日。さらに友人側の助っ人として、アジアを飛び回るビジネスマンであり
先輩にあたる川上氏が登場。友人は中国語のみ話せるのだが、川上氏は
英語と中国語(あと韓国語やミャンマー語もだが)OKである。そして妹と
自分は英語オンリー。待ち合わせした三田のドトールの一席が、
英語と日本語と中国語が飛び交う会合の場となりました。
周りの人間が、一種異様な目でこちらを見ていたのが忘れられません。
●
台湾人は台湾人。という自分の表現にいたく感動されたりしながら、
彼---トニーを連れて、浅草をめぐって上野を廻るという、
いたって単純明快なコースになったのですが、
うちの妹は浅草に行ったことがないという。オーマイゴッド!
ずっと東京に住んでいるからこそ見落としている陥穽ですね。
かくいう自分も、最近旅の楽しさに目覚めつつあるとはいえ、
東京近郊での名所旧跡を廻りきっているとはとてもいえません。
日本史あんまり勉強してないからかなー。そもそも、電車にあまり乗らない。
●
電車といえば、地下鉄に乗って移動したのでありますが、トニーはボストンに
大学院生として二年ほど留学していたことがあるというので、
ボストンとボストンの地下鉄の話で少し盛り上がりました。
妹は一ヶ月ほど語学留学をしており、自分はこないだ行ってきたのであります。
どう話せばいいのかとちょっと戸惑っていたのですが、
共通の話題があるというのはいいですね。そこからフランクに話せるようになりました。
まああとはフツーにサイトシーイングを愉しんだだけで、台湾の携帯インフラ事情や
「タイペイウォーカー」の話、地震の話、懲役制の話、大陸との確執の話など、
イッペン台湾人と直接話す機会があったら聞いてみてかったことをあらかた訊いて、
心のタナの中にあったtodoリストが一つ減りました。訊いた話はちょっとここには
書ききれないぐらいです。異文化と接するってのはやっぱりいいなあ。
●
しかし英語能力の絶対的な不足を感じたのも事実。
勉強します。最近海外ペンパルへの返事が遅れ気味だし。
●
さてその後、サークルの文化祭の打ち上げでボーリング大会。
最高スコア163をたたきだし、かなり満足する結果となりました。
ハンディキャップ制があったため優勝はなりませんでしたが、
ベストプレー賞としてアンパンマンシャンプーをもらう。
こんなん経費で落とすのかと思うとくらくらしますが、
さっそく使ってます。
11/22
突然電車が止まって、何かと思ったら信号機が「消えている」という。
すわ! 戦争! クーデター? 爆撃? ミサイル!?
戒厳令!? 大災害!?
と、幼い頃太平洋戦争の絵本などを読まされて育ったせいか、
戦争災害妄想癖を前頭葉に持っている自分は、今これからの身の振り方や
どうやって家まで帰って、長野まで逃亡するかなどといった具体的なプランを
ざっと組み立てていたのですが、タダの停電だったようです。よかった。
しかし、ホームの電気は全部消えているようだけれど、電車の中の電気は
ちゃんとついている。どうして? とちょっと考えてみたら、電車の電気ってのは
ちゃんと別回路からとって全線を網羅しているんですね。
だから、停電はこの地域だけで、別に都内全域の大停電などといった
大災害ではないと判断。とりあえず安堵しました。
復旧の見通しが立たないようなので、高田馬場で降りたのですが、
全部電気が消えている駅のホームというのはとてもシュールで、
2000年問題なんて言ってるけど、本当にこういう状態になったとき、
みんな、どうするか考えてあるのかなあと不安にかられました。
でも駅員さんだって不安だろうし、一生懸命やっているだろうに、
ぶちぶちぶちぶち文句をたれていた、前の座席の男が、今でも腹立たしくて
仕方がないです。ミンナ不安なんだから一人で文句ゆってんじゃねえ!
男だったらハラくくれ!
●
「カバチタレ!」@
君がもし弱く、そして間抜けならあっという間にホネまでしゃぶられるぞ!
今度は「金」のかわりに「法」を題材にし、
金融業者から行政書士に主人公を変えて
相変わらずの「青木節」が唸る作品だと思っていたら、
実は全然違う人の作だということをついこの前に知りました。
確かに、「ナニワ」にあったような圧倒的な密度が感じられない。
しかし、弱者はあくまでも弱者だし、世の中は不公平で、
我々を守ってくれるはずの法は、いくらでも悪用されて、
なーんにも知らないシロウト衆を苦しめる。そこで我らが
行政書士が登場してギッタギッタとそういう連中をちぎっては
投げちぎっては投げ………というのではないんですね。
法はあくまでも表裏一体。使い方次第でどうにでもなるし、
必ずしも弱者は守られるとは限らないという、厳しい現実を
つきつけられるマンガです。そういった超現実味を薄めるために、
こういうヘタウマ絵はとてもいい。これで池上遼一だったり、本宮ひろ志だったり
したら、テーマが薄れて別のマンガになっちまいます。
主人公の田村は、「ナニワ」の灰原がスゴ腕だったのに対し、
あっさり失敗はするし、まるでシロウト味が抜けない見習い。
まるでその様子は、
「このマンガを読んだからとゆーてシロードがマネしたらヤケドするで」
と言われているようです。
自分がシロウトだということを認めるのも重要なことだし、
弱ったり困ったりしたら、強い者を頼ることも必要な勇気です。
行政書士や弁護士は決して正義の味方ではないのですが、
現実にはスーパーマンはこないわけです。
悲しいことですが、スーパーマンに近づこうとすることは
決してムダじゃないはず。頼られるぐらいの強い人間になりたいもんだ。
強い人間だと「思いこむ」のもまた危険ですけど。
●
「続・欲望図鑑」
アイドルの写真集の感想をここで書き連ねるのは非常に抵抗があるのですが、
ミッチーこと及川光博を自分はヒッジョーに好きなので、思わず書いてしまいます。
ミッチーの何が良いかと聞かれれば、彼はエンターテイナーだから、と自分は答えます。
人を愉しませるため、面白いものを作るため、笑わせるために彼は舞台世界を作り上げ、
その中の一部として自分を使っているのです。彼が構築した舞台そのものが作品であって、
それはビデオやライブで伺うことができます。CDなども、曲の間の演出でそれを見せようと
しているものの、やはり映像と音楽両方から得られる情報のほうが圧倒的にいい。
美しくあるためのナルシズムを演出し、淫靡で退廃的な雰囲気なのに、
そこから伝わってくるものがとても明るく活発的で「生」の喜びに満ちているのは、
きっとミッチー自身がそういう人間だからでしょう。活動的で、挑戦的で、自分の仕事に
とても誇りと自身を持っていて、お客さんを大切にし愉しませようと努力している。
岡村靖幸と同列に扱われることもありますが、彼は自分の世界に酔っているだけで、
こちらにぜんぜん喜びがまわってきません。それはデヴィットボウイやプリンスにも
言えること。音楽はまあまあいいけど、自分だけの世界を創って酔うならご勝手に。
ミッチーのエンターテイメントは、とにかくお客さん第一。喜ばせるためなら、
時折考えなしになってしまうところも微笑ましいです。その姿には、
むしろアメリカで観たミュージカルが重なっていきますね。
これからどれくらい芸能界で生き残っていけるのかは疑問ですが、まあまだ
とりあえず見守っていきたいと思います。ベイベー。
「リオブラボー」
(一回目)
ぬあーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
なんで自分はこの映画に、中学生。いや、高校生ぐらいの
時に出会わなかったんだー!!!
そしたらもっと、もっと自分は、理想の自分というものに、
もうちょっと確かなものを持てていたかもしれないのに!!
そう思わずにはいられない、とにかくカッコいい。いや、
「格好良い」。
ムネんなかにある警鐘が全開で鳴り響いた作品でした。
悪党を逮捕した保安官チャンスが、その仲間の復讐から町と
友達たちを守るために戦うものの、仲間はアル中で巻き煙草も
ロクに巻けないデュードと、足の悪い老人一人。
しかし町の者や無関係な人間を巻き込むわけにはゆかず、
協力の申し出を彼は強硬に拒み続ける………
溜め息つきっぱなし。デュードが酒を瓶に戻したところで、
思わずうめき声まで漏れてしまいました。
厳しさと優しさと、挫折と克己と、男の意地とやせ我慢とが、
画面の中から匂い立つようです。
ただ、あまりにカッコよすぎる登場人物たちに心を奪われて
しまって、映画の表層しか観ることができませんでした。
上に(一回目)とあるのはそのせいです。
もう一回みて、そして観るたびに感想を書きます。
11/21
野外教育論という授業の実習で高尾山に。
高尾山というのははちなみに、東京23区から50キロほど離れた、
10年以上23区に在住している者なら、一回は行ったことがあるであろう、
「銀座山」ともいうべき、お気軽行楽スポットなんであって、
駅を降りた途端にすごい人。でも裏側から登ったのは初めてだったので、
それなりに新鮮でした。しかも実習の先生が、山にあるものを何でも食う。
クルミだろうが木いちごだろうが野梨だろうがとにかく食う。
しまいには炭入り水まで飲む。おみそれいたしました。
帰り道は、表側の山道を通って帰ることにしたら、ホントに銀座状態で
帰りの電車はまるで、平日の上り線のようでした。
山登り自体は大して疲れなかったのですが(運動しておいてよかった)
むしろその人の熱に酔ってしまい、ふらふらと帰り道新宿のマンガ喫茶に
寄ろうとして、いつの間にかマンガ喫茶が自分の逃げる巣穴になって
いることに気づいて、あっ、コンチクショーと思って帰りました。
フラフラしてないで自覚しないとな。喝!
●
「海賊ブラッド」
エロールフリンの、痛快剣劇海賊劇。
チャンバラ好きなら、と勧められていたのを、やっと見つけて観ました。
別に「山に行ったから映画は海」というわけではないっす。
チャンバラ部分よりもむしろ、濡れ衣を着せられながらも決して理不尽に
屈せず、奴隷に身をやつしながらも卑屈にならず、毅然として己の正義を
貫く主人公がいやあ、格好いいですね。どれだけ虐げられても、
激せずに時分の正しさを主張する。鉄の忍耐でチャンスをうかがい、
やっと好機が巡ってきたのに、ここぞとばかりに気まずい事態になってしまって、
あっ、あっ、どうなっちゃうのー!? と危機に見舞われながらも
一発逆転! おもわずコブシを握らずにはいられません。
小細工一切なしの快作です。
ちょっと後の時代とはいえ、同時代ものの「エリザベス」とはえらい違い。
もう一本、「リオブラボー」を借りてきて観たのですが、
こっちはちょっとカッコ良すぎて舞い上がってしまうほど。
もう少し冷静になれたら感想書きます。
11/20
ひさびさに映画を見に新宿にでかけたら、たまたまドラマの収録に
出くわしました。目の前にいたのが主演の人で、ハカマダヨシヒコという人らしいの
だけれど全然知らないし、顔を見た限りでも自分の好みではなかったので捨て置く。
スタッフの人に(図々しく)尋ねてみたら、
「僕の彼女は外資系」
というタイトルらしい。
聞いただけでゲッソリしてしまいました。
●
「エリザベス」
………………………………。
上が感想です。
誰にも感情移入できないし、どこにも心を動かされませんでした。
なんにでもどこかしらいい部分を見つけられるというのが
自分なりの映画の見方だと思っていたのですが、なんか
底が抜けたドラム缶が落ちてきたような気分です。
衣装はすごいです。気合いは入っていますが、
音楽がモーツァルトのレクイエムほか、16世紀であることを
ムシしまくった選曲であったりして、どうにもこうにも
げっそりしてしまいました。ああ久しぶりに
「つまんねー」と言える映画に出会った。
11/19
先週バイトを辞めてから、早速塾講師の仕事を探しに出ていて、
今日はその一つの面接でした。
●
久々に履歴書を書いて、
なんで履歴書ってのは、こんなこと書かなきゃいけないのかな。
しかもこんな、検索性は低いわコストパフォーマンスは悪いわの
紙の書類なんぞになんで書かなきゃいけないんだ。電子情報じゃ
なんでまずいんだ。暗号化されたメールでいいじゃねえかと
ぶちぶちぶち文句をたらしつつ、一向に綺麗になる気配のない
手書き文字で項目を埋めてゆきます。当日に履歴書書くな。
●
下高井戸駅の「フラマンドール」で、美味なタラモフラワーパンを
食して気合いを入れ塾に向かったのですが、塾という
場所自体が非常に久しぶりであるのと、そこにある雰囲気が
確かに嗅いだことのある空気なので、懐かしいやら恥ずかしいやら。
柄にもなく緊張しつつ、よそ行きのコートと帽子を脱いで、
履歴書を出し待機していたら、はいここに座って、これ書いてと
「講師台帳」なるものを渡され、いきなり最寄り駅やら希望日程やらを
書かされました。ええ? いきなり採用なの?
面接もなしで?
と思っていたら、そんな甘い話などあるわけがなく、文系の人間という
ことで、英語と数学のテストを受けさせられる。うわ、やっぱり。
●
自分は文系ですが、そもそも、この文・理と分けるやり方は、
一斉教授法と同じぐらい、合理的であることを前面に押し出しただけの
ものであって、非常に好きません。第一、自分は数学は苦手でしたが、
生物や化学は得意でした。世界史と生物などで受験できたら
いいなあとずっと思っていたものです。
現役で塾講をやっている(昨日ボランチアに一緒に行った)後輩と
よく話すのは、やはり現場と上の距離が完全にタテになっているから
こういう齟齬が起こる。日本ほど、現状にある問題がわかっているのに、
それが解決できない国もないだろう。やはり教育を変えるには上から
変えるしかあるまい。しかし我々は上に立つことができない。では、
下から上を変えるにはどうするのが良いだろうか………とよく
話をしたりもします。そんなことを思い浮かべましたが、
だからといってどうなるものでもない!!
数学なんて、高二以来です。二次関数や連立方程式なんて、
そんなものがあったことすら忘れていました。
つーことでぜんっぜん数学のほうができず、ダメでした。
勉強します。問題集とっておいてよかった。
●
これで採用されたら奇跡ですが、履歴書は見るだけ、あとはテストを
するだけで採用するなんていう塾もどうかしてるんじゃないでしょうか。
面接はしないの? その先生の人間性はどうでもいいの?
自分の人間性が優れていると思っているわけでは、決してありません。
自分が過去、中学受験の頃から通っていた塾にいたのは、人間としても
尊敬できる人ばかりでした。予備校に通っていた時も、人気のあるのは、
人間として魅力のある人でした。そう……自分が世界史の教師になろう!
と思ったのは、河合塾の神余(かねまる)先生について習って、
ああ! 世界史ってのは、話す人、語る人によって、こんなにも面白い!
と感じたからでもあります。
別にそれは、世界史に限ったことじゃありません。どんな教科でも、
尊敬できる人、人間的に優れている人に学べば、おのずと素晴らしく
感じられるものです。だからこそ自分は人間を磨き、歴史というのは
素晴らしい! というこの衝動を伝えていきたいと思うのです。
………なんだ、自分にもやりたいことがあるんじゃないか。
●
「ぼくの伯父さんの休暇」
ジャックタチの「ぼくの伯父さん」シリーズで一番有名な作品ですね。
フランスを代表するコメディです(と自分は思います)。
前にBSでまとめて放映されていたので、見たのですが、他の作品の
名前がわからないのと、おそらくビデオ化されていないのでは
ないかというのが残念です。少なくとも見かけたことはありません。
前にこれを見たときは、「Mr,ビーン」っていうのはもしかしたら、こういうところに
モチーフがあるのかもしれないと思いました。それぐらいよく似ています。
フランスの別荘地セーブルに来た一人の男が、悪気はないのだけれど、
そのとぼけた風味で周りに迷惑をかけてしまう。これに似ているかも
と思うのは、他には「クルーゾー警部」ですとか。ピンクパンサーの。
共通点は、主人公に悪気がないこと。あとどこか抜けていて、
「とぼけて」いること。
「間抜け」の笑いについては、以前書きましたが、常識がないとか、
行動が突拍子もないとか、そういった「間抜け」とはひと味違うのが、
「とぼけている」風味。
本人に全くその意志はないのです。ただ周りの状況とあいまって、
妙に愛嬌のある、暖かみのある笑いを引き起こしてしまう。
「ポリスアカデミー」にもそういうのがいましたね。
究極のトラブルメイカー。でも、災厄を引き起こすというわけでは
決してない。人にものすごい迷惑をかけるというわけでもなく、
ただちょっと失敗してしまって、それがなんとも可笑しい。
ボートの上に足をかけたら、バリンと割れてしまって、それに気づかず
オールで海にこぎ出すのだけれど、ぱかッとまッ二つに割れてしまう。
でも執念深く沈没しないまま、重なった船身を、まるで鮫かなにかの
口のようにぱっかんぱっかん開いたり閉じたりしながら海水浴場のほうまで
漂ってきて、砂浜がパニックになってみんな逃げ出していってしまう……とか。
笑わせるというのとは微妙に違う、笑ってしまう。という笑い。
こうやって人に自然に笑顔を浮かばせるような「おとぼけ」風味というのが、
昔はあったはずなんですけどね。最近こういう笑いって見ませんね。
まだ自分は笑いについて多くを語るほど古典を見ているわけでもないのですが。
今度下高井戸シネマで「マルクス兄弟」特集をやるので、見てきたいと思います。
11/18
今日はボランティアで、ふたたび梅ヶ丘の光明(こうめい)養護学校へ。
前回、小田急線のトロさを甘く見ていて遅刻しかけたという苦い反省が
あるので、朝早くに出たのですが、下北沢で急行から乗り換えたと思ったら、
いつの間にか千代田線に乗っていて、成城学園前まで連れて行かれてしまう。
なんで小田急線の線路の上に千代田線が走ってるんだ!
ちゃんと
一線一本にせえや! と思いつつも、自分が電車オンチなだけです。ハイ。
●
朝っぱらからそんな一人コントをかましつつ、それでも余裕で到着。
早く出ていて本当によかった。
光明養護は全六学年。中学生から高校生にあたる子供たちを預かっています。
障害の重さによってクラスわけがされていて、数字が大きいほど健常に
近いことを示しています。前回は3クラスだったのですが、今回は2-B。
1つ違うとどれぐらい違うものなのかなと思っていたら、その差は歴然。
以前担当したクラスの子たちとは、まだなんとか話をすることができ、
拙いながらも意志を通じ合うことができたのですが、全く通じないのです。
ましてや、自分が担当することになった子は耳が聞こえず、すべて身振りと
身体の接触で通じ合うしかありません。しかしそもそもその「意志」を
理解することができないために、コミュニケーションは難航。途中から、
ほとんどあきらめが入りました。
今日見学に行ったのは、この子たちの卒業後の進路先の候補の1つである、
目黒福祉工房というところ。そういや障害児たちもずっと学校にいるわけじゃ
ないんですから、その後というのもあるんだなあと改めて感じ入りました。
2-Bのクラスの中でさらに班分けがされ、自分たちが向かった教室(?)では
紙吹雪やクラッカーの大歓迎を受けました。その後自己紹介が続いて、ほとんど
「どういった仕事をするのか」について聞くことができなかったのは残念。
アルミ缶の回収作業という漠然としたことは聞いたのですが、それも健常者の
つきそいがついてすることでしょうから、タテマエにすぎないのでしょう。
なるほど、福祉健康の税収というのはこういうところに消えるんだなと考えたり。
●
紹介のあと、なぜか散歩の時間になり、目黒川の近くにある「川の資料館」という、
「バリアフリー? なにそれ?」と言わんばかりに急な階段が待ちかまえる、小さな
博物館に寄りました。
どうもアメリカに行ってから、日本に存在するほんのわずかな齟齬にも敏感に反応する
ようになったようで、その一つにバリアフリーの意識があります。
少なくとも博物館や美術館など、公共の場所にはちゃんとエレベーターやスロープを
付けていただきたい。車椅子の人間は入るなということなんでしょうか。
うちの最寄り駅にもやっとエレベーターの敷設工事が始まりました。この駅は高架上に
改札があり、そこに至るまで50メートル以上も階段を上り下りしなければなりません。
これまで、重いスーツケースを抱えて難儀している人を何度も見かけています(勿論手助け
はしますが、拒まれる方が多い。かっぱらわれるという危機感も大切ですが……)。
駅にあるエスカレーターやエレベーターは、ラクするための便利な自動移動装置じゃあ
ないでしょう。足があるんだったらちゃんと歩け。多少疲れてても、ちゃんと歩けるだけ
マシだと思ってみてはいかがでしょう。
●
ちょっと話が逸れました。目黒福祉工房で働いている(?)方たちは、いずれも自分よりも
ずっと年上で、障害を持った人たちです。こういう人たちを、普段電車で見かけたとき
我々はどう思うでしょうか。きっと見て見ぬフリをするでしょうね。散歩に出かけた時も
そうでした。誰もかれもが、微妙に目を逸らしていきます。車椅子を押したり、障害児の
手をとって一緒に歩いている自分とも、一瞬目を合わせるのですが、すぐに逸らして
しまいます。
別にいいけどね。あんたらの考えていること、なんとなくわかるよ。
自分がこうしてボランティアに参加する一つの大きな理由は、「当たり前のレベルを下げる」
ということです。普段自分らが当たり前の健常者として生活している、当たり前であるという
意識の基準が、ここに初めて来たときガーーーン!
と下がったのです。隊長から受けた影響
というのも勿論大きいのですが、聞くのだけと実際に触れて感じるのとでは大違い。
自分はなんと健康を無駄遣いしていたことか、と痛切に思い知ったのでした。
●
今回、一番印象的だったのは、光明を卒業してこの工房に入ったOBとの接触でした。彼は
車椅子必須で、麻痺症状があるのか始終身体を痙攣させているのですが、こちらが言うことも
わかるし、電子文字盤を持っていて、ちゃんと意志を疎通することができるのです。
「すいませんが、くつのひもを」と言われた(表示された)時には驚きを隠しきれませんでした。
彼は、おそらく自分とそう変わらない年齢でしょう。そして健常な精神を持っているにも関わらず、身体
のほうで言うことがきかないのです。しばらく会話していて、とある先輩のことを
考えました。彼は四年生なのですが、途中から大学に来るのをやめてしまい、このままでは卒業
できないと皆が心配しているにも関わらず、もういいと突っぱねて殻に閉じこもっているのです。
大学に行けるのに行かない。卒業できるのにしない。まともに就職もできるだろうにしようとしない。
加えて、思い出されるのは「グッドウィルハンティング」の一節。
「宝くじの当たり券を持っているのに、それを尻に敷いたままにしている」
無論、自分の当たり前のレベルが下がったとはいえ、彼ら障害者は「一部例外」として扱われる
存在であることに変わりはないです。しかし電子文字盤を持った同年齢の青年のことがわかり、
そして対峙した時、自分は立場がないどころか、うなだれてしまって声も出ませんでした。
自分は健常であるが、その健康を使って一体どれほどのことをしているというのだろうか。
思い返してみてもムダな時間が多いです。ほとんどがムダ。豚のスネ肉ほどの価値もない。
残された時間をムダにしたくはない、と思います。そして今ある自分が決して当たり前ではない
という心を、もっと若いうちから人間に知って、感じてもらいたいと思うのです。
我々はみんな、宝くじの当たり券を持っているのです。最初っから。
だから、自分自身をどう使うか。ということを、考えてもらいたいし、
教えて行けたらと 考えています。
自分もこのことを決して忘れないように、こうやって日記を書くのでした。
11/17
「ジョギング報告」
今日は大遅刻にて大反省。
●
さて、すっかり報告するのを忘れていましたが、
ジョギーはいつの間にか片道10分、往復20分で、
すでに有酸素運動の領域に踏み込んでいます。
以前、忍者じいさんに遭遇してから、ペースも相当早くなっているので、
自分でも信じられないような地点まで走って行けてしまいます。
自転車で行くよりも早いんじゃないかな?
寒くなってくるこれからの季節も、首にタオルを巻いて防寒も万全。
体温が奪われる=体力を消耗するということですから、
これだけでずいぶんスタミナの保ちが違います。お試しあれ。
しかし一ヶ月ほどジョギーを続けてきて、ここのところ毎日のように
考えてしまうのは、「やめろよ」というサボリ魔的発想。
「こんなことして何の意味があるんだよ」という心の声が、
常に聞こえてきます。走っている最中は、考え事をしながら走っていたり、
映画の一場面を思い浮かべたりしているのでどうということはないのですが、
走る前に、ヤメテシマエ、メンドクセエとわき上がってくる感情がある。
これが自分の弱い部分なのだな、ヒッジョーにわかりやすいものだなと
感じ入り、それを押さえつけてけっ飛ばして毎日走っています。
この意志の弱さが今までの自分を作ったのだと思うと、
ハラワタが煮えくり返る思いです。走り続けることこそ、自分の意志を
強く保っている証なのだと思っています。しかしジョギー自体がひとつの
逃避として利用されているフシもあり……自分がよくわかりません。
理屈っぽいのはやめやめ。走りましょうかね。片道30分になるまでも。
11/16(追加分)
「バンデットQ」
モンティパイソンの一人、アニメ担当テリー・ギリアムの
監督デビューとなった作品……だと思っていたのですが、考えてみりゃ
「ライフオブブライアン」も彼の監督作品だし、さらに調べてみたら、
「ジャバーウォッキー」という作品が……知らない。
ジョンクリースとかマイケルペリンとか、ジョージハリスンとか
ショーンコネリーとか、けっこうな名も出ているのでびっくり。
夢のある映画だな、と思ったのは「バロン」の時同様。
タイムホールを通って、小人の盗賊団とともに歴史をかけめぐるケビン少年。
チビであることに劣等感を持っているナポレオン。「ジョニーグッド」を
連発するロビンフッド。人のいいアガメムノーン王………と、
歴史上の人物が次々登場する上に、次に何が起こるのか
全く予測のつかない展開が楽しませます。この時代に生まれていたら、
とか、彼はこうだったのかな、というのは歴史に触れていると一度や二度は
空想するもの。それを映像化できるっていうのはいいなあ。
モラルも常識のへったくれもないのは、
空想の中だから許されるということなんでしょうか。
悪魔がどこかマヌケなのも、神様がヤリ手のサラリーマンみたいなのも、
両親がカタにはめたようなTVショウのゲストになっているのも………。
子供向けなのかな、と思ったりもします。荒唐無稽を絵に書いたような話。
でもこの皮肉っぽさ。誰もかれもみんな人間。神も悪魔も全部人間っぽい。
「進化を遅らせると文句が出る」って……どこから!?
神様!!
荒唐無稽で、何事にも必ずひどいオチがつく展開は非常に愉快なのですが、
それ以上どこが面白いのかという点については、自分の感受性がおいつきません。
TGの映画はまことに難解です………
●
11/16
「原体験漫画を見つける」
今日は新規でパソコンを購入するという友達のつきそいで新宿に。
本当にまるっきりパソコンのことを知らない相手に
これはこれこれでこうでと説明していると、なんだかやっぱり自分は営業向き
であると実感してしまう。しかし、間違ったものは掴ませません。
東芝のPX-100に決めてもらって、余った金で寿司をおごってもらったものの、
これが言葉にあげるのもイヤになるほどの、ダメ回転寿司屋でした。
立地条件は信じられないくらいいいけど、もう二度と行きません。
で、帰ってきてなんとなくマンガ喫茶に入る。別に読みたいものが
あるわけじゃないのに俺なにやってるんだろうなー。
絵柄は好きじゃないけど「グラップラー刃牙」でも読もうかなと
思っていたら、あるマンガを発見し、もう矢も盾もなく読み耽りました。
ああもう手に入らないと思っていた作品がここに!
●
「空のキャンバス」
(全5巻/今泉伸二)
自分が小学生ぐらいの時にジャンプでやっていた体操漫画であり、
体操を好きになるキッカケとなった、つまり原体験的作品。
子供の頃ヒーローだった自分を、月面宙返りで負かした
謎の少年を追い求め、全身麻痺という重病から奇跡の生還を果たして
残りの命の灯を燃やし尽くすかのように、姿を見せないライバルと
体操で競い戦う、主人公・北野太一の物語。しかしその少年だと
思っていたライバルは実は女の子! 太一はそのことを知らないが、
ライバル当人である赤城榛名は、命を賭けて体操に打ち込む太一に
そのことを言い出せない!
麻痺が再発し、だんだん身体の自由がきかなくなってゆく太一!
そして太一の姿を少年のころから追い求め、自分はあの時の君の
ライバルであると偽り、勝負を挑む五十嵐!
太一の身体はどうなってしまうのか!?
榛名は子供の頃からの想いと、現在の自分にどう決着をつけるのか!?
そして五十嵐と太一の勝負の行方は!?
命を削って「勝ち」、そして「約束を果たす」という執念に燃える
男の意地を描いた名作です。体操というのは身体一本の芸術。
やせ我慢と意地だけで限界を越えた自分に挑む。
足を折ろうが立ち上がってフィニッシュを決め、
鉄棒が壊れて頭から流血しながらでも着地する!
弱音は決して吐かない。言い訳も絶対にしない。
男ってのはこうでなくっちゃいけません。
漫画そのものは、三巻で五十嵐との対決が終わった後、
しばらくよくわからん話になるので残念な上に、
あーこういう場面も書かなきゃいけないんだろうな。ノルマとか
あるんだろうなと思ってしまうような場面が各所にあるのですが、
根底に流れている、主人公が生きて、なんとしてでもすごい技を
見せてやるという挑戦心はガンガン伝わってきます。
どこかにまだあったら、同作者の「神様はサウスポー」も
見つけて読んでゆきたい! 是非、両作とも読んでください。感謝!
11/15
「雨の月曜日」
早いもので、もう今年もあとわずか…とか
書くのはいやですね。でも、もう今月もあと半月です。
自分の成長がまったくないことに気づき、落ち込んでいます。
かと思えば浮かれるようなこともあったりして。
そのせいで後輩に昼飯をあげてしまい、後になって
「はっ、オレのモス!?」とバカなことになっていたり。
日常のワクから抜け出せない自分。
今度またボランティアに行くので、その時にまた
考えてみることにしましょう。
11/14
「メガネ屋と私」
もとはといえば、気軽な気持ちで始めたのです。
当初は、口に糊するためだけのものでした。
それまで勤めていたビデオ屋の、劣悪環境かつ低賃金による労働に
イヤ気がさし、なにぞ新しい仕事先を見つけようと新宿をぶらついていたら、
「アルバイト募集、大学生。時給900円」
の文字が目に入り、矢も盾もなく店内に入っていました。
そこの店長がうちの大学の卒業生であったということが幸いしてか、
あっさり採用。次の日からすでに、スーツを着て店頭に立っている自分がいました。
最初は、一時から七時までの仕事だったのですが、閉店配送の関係で、
初日からいきなり七時半まで仕事をしていました。
次の日は八時まで。その次の日は朝の十時から………と、
結局フルタイムで働くことになったのです。
当初簡単な雑用ぐらいかなと思ってはいたものの、
接客のために専門知識を身につけなければなりません。
大学ノートを一冊渡され、その日から同時に勉強も始まりました。
価格やレンズの知識はすぐに憶えましたが、調整などとなるとそうもいきません。
新入社員には研修がありますが、バイトにはそんなものはないのです。
門前の小僧習わぬ経を読む。習うより盗めと自分は肝に銘じ、
時間をかけて、プロの手つきと技術を見よう見まねで修得しました。
もっとも、門前の経は所詮ニセモノ。よっぽどの事がないかぎり、
難しい注文は他の人に回すようにはしました。ヘンなメンツとプライドで、
お客様のものが壊れてしまっては一大事だからです。
お客様といえば、自分は「もう二度と客商売はやるか」と、ビデオ屋を
辞めるとき堅く思ったものでした。が、メガネ屋での客商売で、自分は初めて、
「お客様と対等」もしくは「イニシアチブをとる立場」からの客商売を
知ったのです。それはビデオ屋では、決して味わうことのできなかったもの。
ビデオ屋の店員の顔をあなたは憶えていますか?
いないでしょう?
ビデオ屋の店員なんてのは、しょせん店の「部品」にすぎず、
お客さんもそれ相応の扱いしかしません。普段気にもとめないでしょうが、
「人間同士の関係」が生きる基準になっている自分にとっては、本当に辛かったです。
メガネ屋の店員には専門知識があり、それを提示しながら接客をします。
店員の案内がなければ、何一つわからないお客さんだっているわけで、
そういう意味で、対等の関係から接客というものをすることができました。
傲慢に感じるでしょうか? いえ、「上からの接客をする店員」なんてのは最悪です。
買い物というのは、前どっかにも書きましたが、互いの信頼をはかる契約。
であれば、対等でなければならないと思うのです。
さて、働き初めてから一ヶ月ほど経って、店長がかわりました。それと同時に、
自分にも異動の辞令が下ったのです。バイトなのに異動!?
と釈然としない
ものを感じつつも、歌舞伎町近くの店から、新宿二丁目のお店に異動になり、
そこから、メガネ屋との、一年半のつきあいがはじまったのでした。
前よりもはるかに広い店内と、数え切れないほど品物、多くの社員に囲まれて、
自分は岐路に立たされました。辞めるか、自分の仕事を見つけるかです。
事実、こういった異動で多くのアルバイトさんたちが辞めてしまうそうですが、
(なんせ通勤時間が15分以上も変わるのです)、自分は残ることにしました。
他の仕事がなかったということも勿論ありますが、どうせやるならメガネ屋の
店員を究めてみようと思ったのです。
そんなこんなで一年半。自分が果たしてメガネ屋として一人前になれたとは
とてもいえませんが、メガネドラッグ新宿東店のチームの末席の一員として、
認められるぐらいの働きはしたと、胸を張って言うことができます。
どれだけ効果的にお客さんを回転させて売り上げを伸ばすことができるか。
一種のチームの勝負です。これを馴れ合いと言うなら言え。
勤め上げて、今日で仕事もおしまい。
明日から、明日の生活が始まりますな。
何が変わるんだろう。ではなく、変えていかないと。
11/13
「ショウドウガイン・リターンズ」
一目見たら忘れられぬ出会いというのは、やはりあるものです。
いわゆる一目惚れ。一瞬にして心奪われてしまうその原理を、
古来より多くの哲学者、賢人たちが解明せんと取り組んできました。
しかしいくら原理を解明したところで、
その苦しみから解放されるわけではありません。
言葉は何も救ってくれず、ただその想いが成就されること、
あるいは想いかなわず絶望することのどちらかが、
囚われた者の心をうわの空から引きずり戻すことができるのです。
そして自分の心もまた、ここ最近上の空に浮かびっぱなしという
状態でした。仕事は手につかず、ノートを取る手はおぼつかず、
ただただ想い焦がれる日々。しかし相手は高嶺の花。
手前の岡惚れを悔やみつつ、どうすることもできず、
ただ苦悶に身を任せる日々でありました。
走って頭の中を真っ白にすれば忘れられるだろうと、
いつもよりハイペースでジョギングをしても、
走れば走るほどその想いは募るばかり。
これはいかん。なんとかしなければ。
しかしどうすれば。自分にはもう後がないのに。
苦悩の末、自分は決心しました。
もうどうとにでもなれ! 後は野となり山となる!
ふんヌぉーーーーッ! ふしゅるるぅ〜〜ッ!
くわッ!!
買うぜ買うぜーーーっ! レッツ! ショウドウガイン!!
つーことで、クツを買いました。\13.000。チーン。
今の普段履きにしているボロ靴は、かれこれもう4年ばかり履いています。
すごいですね。自分でも物持ちの良さにあきれ果てます。
靴屋に聞いたところでは、自分は歩き方が綺麗なのだそうで、
こんなに底が均一的にしか減っていないというのは驚異的だとか。
ということで今回買った靴も大切に履こうと、
今から箱に入れて大切に保存してあります(←履けよ)。
やっぱ、身だしなみの基本は靴からよね!!
●
自分のはとこがインタビューを受けて雑誌に載ったというので、
驚いて買ってきてみたら本当でした。ペンネームは江草天仁といって、
ホームページも開いています。(→EXA'S PICATA)
べらぼうに絵が上手いので、いつか世に出るだろうと思っていたら、
意外と早かったので、しかるべき人間はしかるべきところに
出ていくのだなあと感心………してる場合じゃないよ!
自分も「これだけは負けないぞ」というものを立てて、
磨きをかけていかにゃならんっす! はとこに負けてられるかーーッ!!
11/12
バタンキュー
11/11
「111111の日」
11月11日ですね。二年前、一年生だった自分が、
銀幕亭という名前の映画サークルを作った日です。
大学生になったのだし、時間は腐るほどある。
ナニもしないぐらいであれば、もっと自分のやりたいことをやるべー
と思い立ち、奔走してサークルを仕立て上げたのでした。
サークルの目的は、映画を楽しむこと。見るにしても、撮るにしても。
当初四人しかメンバーがいなかったものの、コネとちょっとしたズルで
サークル室を得て腰を落ち着けることができ、認知度も高まって
現在メンバー20人余り。ちょっと方向性を見失っている向きもありますが、
一人一人が持っているもので互いに影響しあって、それぞれの世界を広げて
いってほしいと切に願うのでした。映画の趣味は見事にバラバラであることだし。
もはやこのサークルの創立者が自分であるということなどどうでもいい。
後は後の人間に育てて行ってほしいものです。
●
『スーパーマン/バットマン 1〜3』
古本屋に三冊まとめて置いてあったので、思わずショウドウガイン。
小学館プロダクションから過去にシリーズ物の予定で出版されていた
スーパーマン/バットマンは、残念ながら3で休刊となり、バットマンの「イヤー2」の
リパーとの対決が途中でとぎれているという、とても残念な結果になりました。
でもなんとなくその理由もわかります。メンバーが多彩で華やかなX-MENや、
映画の宣伝戦略やフィギュアの人気で引っ張ることのできたスポーンとは違って、
あまりにも地味。フランクミラーの「バットマン;イヤー1」の鬼気迫る画風や、
「スーパーマン;鋼鉄の男」の、映画の一作目とは違う設定のスーパーマンなど
目を引かれるところはありますが、ある程度アメコミを読み慣れていないと
それも辛いでしょう。商業的にはあんまり見込みがないものと思いました。
しかし内容のほうは○。自分は、「スーパーマン」には映画から入りました。
クリストファーリーブ主演の第一作目です。名作です。見てください。
ジョンバーンが描いた新生スーパーマンは一個の男として描かれています。
旧シリーズやそれに基づく映画で、クラークとスーパーマンの人格が
書き分けられていたのに対して、あくまでもスーパーマンはクラークであり、
クラークはスーパーマンである。当初謎の男として力をふるっていたスーパーマンが、
助けを求めて殺到する人々に絶望し、クラークという衣を得て活動を始めたものの、
ロイスの出現によってスーパーマンのほうがクラークの衣として重荷になってゆく
という表現にはほーぅと思わされました。一人の人間を愛してはならない。
世界中の人々の平和を願いそれを救うだけの力があるスーパーマン。
ヒーローの苦悩と二律背反と、存在そのもの自体を体現している、
元祖スーパーヒーロー。しかし自分は一体誰なのか?
というところに
新シリーズのスーパーマンの葛藤があったりするわけなんですが、
なーんか妙に軽いものを感じてしまうのも事実なのでした。
旧シリーズは詳しく知りませんが、少なくとも映画のスーパーマンには
クリプトンの唯一人の生き残りであることと、父親の死という孤独と
圧倒的な葛藤がありました。あちらを立てればこちらが立たずといった具合で、
誰よりも強くあるにもかかわらず、一人の女性の命すら救うことができずに
絶望するスーパーマン………そういうことの中から、自分の持っている力は
ためらわず迷わず人のために使おうと思ったものですが、新スーパーマンは
どうも………ね。ジョンバーンはファンタスティックフォーでも似たような失敗を
していたような気がするのですが………
一方のバットマン。巨匠フランクミラーが描き出すバットマン誕生は、
これまたオリジナルとは結構違ったものになっています。
スーパーマンとは比較的に、ゴッサムはまさしくゴミタメ。犯罪が横行し、
警官は腐敗し、議会には汚職がはびこる………といった中に、
ブルースウェインが帰還し、正義のためにその力を使おうとして、
逆に反撃にあって半死半生になり、犯罪と犯罪者すべてを圧倒する
「恐怖」そのものになってゆくバットマン誕生。スーパーマンとは対比的で、
今でもアメリカでは30分/30分で、スーパーマンとバットマンを
一緒のワクでアニメ放映しているのも頷けます。まさに光と陰。
「イヤー2」のリパーの話を読んだのも初めてだったのですが、
愛するものを殺されたという同じ過去を持ち、悪を憎みながら
バットマンになり、リパーになり、修道女になるという三人の
それぞれ悪に対する道の分かれ方が印象的です。
犯罪者に対して容赦なく、手段を選ばないリパーと対決し
死に体になってきたバットマンが、自ら拳銃を持ち、それに対抗しようとする
様子には「えええ!?」でした。あまつさえ犯罪者と手を組もうとする
バットマンおいなにやってんだよー! といったところで話がとぎれ、
ああ続きが気になります。TPBがあったら買ってこよう。
ちなみにイヤー2はトッドマクファーレン。スポーンの著者ですね。
でもこの人の絵ってあんまり好きじゃないです。アニメみたいで。
これを読んでから「ダークナイトリターンズ」を読み返したら、
ぞくぞくしてきました。この迫力と感動の源を知るために、
もう一回「ダークナイト」を読みたいと思います。
11/10
結果。
10人近くの人から返信が届き、うれしい悲鳴をあげていますが、
返信するのにかかりっきりになってしまって、あやうく
日記を更新するのを忘れるところでした。
英語力は全くといっていいほど欠落している自分ですが、
こういうときにネットが役に立ちます。
「海外ペンパルを作る方法、長続きさせる方法」
「英辞郎」
などは、非常にインターネットというものの有効性を
カンジさせるウェッブサイトでした。
もしペンパルを作りたいという方がいらっしゃいましたら、
こちらを参照にされるとよろしいかと思います。
11/9
今にして思えば、アメリカに行く前の自分というのは、根拠のない
アコガレをアメリカという国に対して持っていたように思います。
そこに行けば何か自分が変わるだろうという望みを持っていました。
でもダメです。目的のない旅というのは何のプラスにもなりません。
アメリカで得てきたことは、たとえ日本以外の外国でも、
ちゃんと人間が住んでいる、同じ都市であり町であるのを知ったこと。
それがデタラメなものでも、英語で人に話しかける度胸。
あとは多少の向上心と、よく散策して、その風景を逐一心に留めてきたこと。
それぐらいです。正直、拍子抜けでした。
●
でも唯一楽しくて楽しくて仕方がなかったのが、帰りの飛行機の中で、
ペルーのセニョーラと話をして仲良くなったこと。
彼女は英語がわからず、日本語もわからず、しゃべるのはポルトガル語だけ。
で、自分がしゃべるのはカタコトの英語と日本語。
どうやってコミュニケーションするのやらといったカンジですが、
互いに言葉を教えあいながら、なんとかかんとか意志疎通をして、
互いの事を知り、国のことを知り、言葉を知るのが喩えようもなく
楽しかったのです。
●
自分は人と話がしたい。何の話をするの、何のために話をするのと
言われるかもしれないけど、だまらっしゃい。
そんなこと言っていたら、誰とも話なんかできやしないでしょうが。
一方的に人が好きなだけのストーカー的感情だとか、
依頼心が強いだけだとか自分自身で思わないこともないのですが、
自分にとってその関係がプラスになるかならないかも、
話をしてみなきゃ始まらないじゃないですか。
「ゼロにナニをかけてもゼロのまま」
という326の言葉が自分は好きで、自分は未だゼロのままだと
思います。けど、なんとか1ぐらいには成長してゆきたい。
そのために話をする。なんか浸食運搬堆積の関係のようですが、
これが間違ってるというのでしたら、どなたか意見をください。
●
ということで、ハテどこから始めたものかなと思って、
そういやこのHP自体実は世界に公開されてるんだということを
思い出しました。インターネットによる国際教育の研究をしていながら、
自分自身がそれをやってみるということに思い至らなかったのは
机上の人間だからか。
つーことでとりあえず自分の持っている言語、英語(カタコト)とドイツ語(超カタコト)。
でペンパルを募ってみることにしました。こういうときにメールの便利さが身に染みます。
英語の勉強をしながら相手に日本語を教えられたらいいんだけどなどと、
都合のいいことを考えてはいますが。
返事がくるといいな。
11/8
「走る! 謎の忍者じいさん」
学科のパソコン室で調べものをしながら、トラブルばかり起こすネットワークプリンターを
うまく動かすようにほかの人に手伝いに忙殺されていたら、
四年生のNさん(美人)が久しぶりに学校にきていました。
卒論のテーマに「援助交際」を持ってきて、そのことについて調べものを
しているらしく、面白そうなので話をきいていたら、
「もう調べてると、ブン殴りたくなってくるよ(苦笑)」
という。実際に女子高生にリサーチをしていて、その程度の低さというか
考えのなさにあきれかえったそうです。ヨコアイから調べているサイトなどを
読んでみたら、いろんなことが書いてあるもんですが、どーもみんな机上の
空論っぽいことばかり。理屈先考で実際にジョシコーセーとかに
「誰に迷惑をかけてるわけじゃないし、あたしのことだし何が悪いんですか」
と言われた時たじろがずに反論できるものかと感じました。
かくいう自分も、「ナニが悪いですか」と訊かれたら、きっと戸惑って、
とっさに答えることはできないでしょう。
しかしエンコーなどといって形骸化しているものの、売春は売春。
性の商品化は商品化。喉元すぎれば熱さを忘れる罪悪感。
自分にとって絶対的に大切なものと、絶対に悪いことというのが
存在するということがわかっていないし、考えもしないのでしょう。
僕も自分自身、絶対に大切なものと、絶対な善悪というものが
未だにハッキリしないので、それを人に諭すなんてことは
とてもじゃないけどまだできそうにありません。
けど、こういう話を訊いていると、「正しい」というのは
どういうことなのだろうかと考えさせられます。
「正しいこと」ってなんでしょうね。
人に胸を張って言えることなら、それは正しいことなのでしょう。
きっと。少なくともその人にとっては。
●
昨日報告をするのを忘れていたのですが、ジョギーが片道8分から
9分になりました。結構疲れます。今日もそれで、えっほえっほと
いつも通り走っていたら、ワキアイからリズミカルな音と足音が!
むっ!? と横を向くとジョギングウェアをきたじいさん!
しかもははは、速い! なんて速いペースなんだ!!
年齢差40歳はあらんかというじいさんに負けてたまるか!
負けじとじいさんをペースメーカーにしてついていったのですが、
いつものペースの倍近いのでへとへとに。でもじいさんのペースは
まったく崩れないし、息があがっていたようにも見えませんでした。
むう………某国のスパイ? もしくはサイボーグじいちゃん………
次は勝つっ!! 会うかどうかわかりませんが。
11/7
「その男、教職につき」
ぐるっと廻ってきて、教職への思いを新たにしています。
それはほかになにも思いつかず、なんとなく目指しているだけだ。
結局は「でもしか」にすぎず、単なる逃避の一環であり、
自分を育んだこともないのに、誰になにを教えるんだ。
最初から弱者を対象にした、向上心のない人間のタワゴトだ。
根幹がない人間が教師になるなんて狂った妄想だと、
さんざんっぱらダメな気分に陥りながら、
そうだな確かに俺が教師になるなんてとんでもねえと
社会常識の面からも、モラルの面からも考えて判断してみたのに、
やっぱり教師になりたい。
自分の頭にはよけいな要素が多すぎるから、
そういうことをとっぱらって考えようと努力してみたら、
教師という職業自体に非常に魅力を感じています。
努力せずに猿山の大将になりたいだけ?
そうかもしれませんね。
人の痛みを知らずに人に接するな?
確かにそうです。自分は凡々のボン。
人並みの苦労すら知りません。
けど先生になりたい。
子供の戯れ言?
じゃあこれから大人になります。
11/6
「間抜け定義」
「間抜け」という言葉は、「間が抜けている」の短縮形ですが、
「間」とは、はていったいナニを意味するのでしょう。
人と人との会話の「間」のことかな?
それについてこれない、ビッグリボウスキの
ブシェミがやった役のような人物のことを言うのでしょうか。
●
角川の「新字源」によると、「間」は本来、「門に月」と書き、
「門の隙間」を表す言。教育漢字は俗字なのだそうです。
意味は、あいだ、ひま、関係、スパイ、静か、ひそか、
へだてる、うかがう、病気が少しよくなる………?
へー。閑話休題って、「間話休題」とも書くのね。
この場合は、「続いている話をいったん休めて別の話題をふる」の意。
つまり「間」は「連続するもの」を表すこともあるわけです。
三十三間堂ってのもありますしね。おっと、あれは距離か。
ちなみに一間は六尺。約1.8メートルです。
●
「間抜け」というのは、ちょっとネジが一本抜けているというか、
そういうことなのではないかと。
落語で、よく「ちょっととぼけた」愛すべき人物が
我々を笑わせてくれますが、自分はそういったことが
「間抜け」であると思います。日本の笑いの焦点は
「間抜け」にあり! 間抜作先生もそうおっしゃっておられる。
だから、PCを再セットアップした時に、テレホーダイに登録している
プロバイダーのアクセスポイントの番号を忘れていることに気づかず、
フツーの回線で延々とつないでいたことに気づかなかったとしても、
それは愛すべき「間抜け」の所存といえましょう。
以上。世界最長の言い訳でした。
●
さて今日ですが、なんとか遅刻はしなかったものの
ギリギリチョップ。だめだ。もっと余裕を持たないと。
●
『空飛ぶモンティパイソン 1-3』
復刻したモンティパイソンTVシリーズの第一期の三巻です。
本来まとめて買うべきなのでしょうが、その財源もなく、
一巻ずつ買うことにしました。3からなのは、
1と2が売り切れていたから。ちぇっ。
見たかったな。「ヒトラーのいる民宿」。
TSUTAYAのビデオレンタルにもなかった
絶版部分ですから、その人気も伺えます。
復刻版では、ちゃんと第一期から収録され
発売されていてうれしい限り。メンバーも若いですね。
3には、「死んだオウム」や「ランバージャック」、「不良バアさん」など、
初期パイソンズの名作が並んでいて、どちらかというと真っ当(!?)
なスケッチがメイン。これにインテリ度が加わると、
そのギャップで自分はいつも大爆笑してしまいます。
「哲学者サッカー、ドイツVSギリシャ」は最高。
よくなにかを「置き換える」のをスケッチにするパイソンズ。
壊れた車を死んだオウムに置き換えたりとか。
自分の笑いのツボは、非常に論理的で真っ当なものが
突き崩される瞬間にあります。ベルクソン著「笑い」の中で
定義されている「こわばり」ですね。
つまり「間が抜ける瞬間」に笑いの琴線に触れる。
だから、魚で互いを殴り合うというような、まるっきり完全に
意味をなしていないスケッチはあーんまり笑えません。
ちなみに、人を貶める。もしくは、人為的に人を惨めな状態に
追い込んで物笑いにするのは大嫌い。ヘドが出ます。
モンティパイソンの笑いは奥が深すぎてとても自分には
理解がおいつかない部分もありますが、少なくとも、この
イマジネーションだけは見習ってゆきたいなあと
思いました。でもまだあと12巻あるのか………
11/5
「そしたらベンジーあたしをグレッチで殴って」
上のは椎名林檎の曲の歌詞です。
今現在そんな気分で頭の中をこの詞がぐるぐると。
自分は自意識過剰です。ナニをやるにしても
常に人の目が気になるし、その人の目に映っている
自分が気になって仕方がない。というより、
いつしか「人に気に入られようと」するのが行動の起点に
なっています。そして実際には大して思われてもいないのに、
自分はそれなりに一目置かれている存在なのだと
思いこんでいた。そういう幻想を抱いています。
だからふらふらと馴れ合いを続ける。
今日、バイトを早めに切り上げて銀幕亭に顔を出そうと
している自分に気づいて、だーーとそういうことを
思ったのでした。その時は、そんな甘ったれた考えは
捨てて一人でいろと強く思ったのですが、結局は
銀幕亭に顔を出したし、今ちょっといろいろ考えるにつけ、
さてどこまでが悪いのか、マズいのかということを
判断しなければならないんじゃねーかな。と。
ほとんど独白だけでこの日記を続けてきましたが、
このまんまじゃ何の目的もないまま永遠に惰性で
続いていってしまう。それじゃHPにしている意味がない。
●
目標点を決めよう、と思います。
三ヶ月間ジョギングを続けるという目標は、スデに
日常の一部になってしまっていて全く苦ではなくなって
きてしまっているので、除外。続けますが。
もちろん、自分の内側にファイヤーなものを作るというのが
目標ではあります。だけど、ちょっとアイマイすぎる。
このまま社会に出るまでに、マトモな人間になること。
これを年末までの目標にしようかと。
・絶対に寝坊、遅刻をしない。(授業にマトモに出る)
・塾講をはじめる。
・ボランティアに参加する。
・絶対に健康を損なわない。
・浪費を控える(有意義なことに金を遣う)
・素直に物事を受け止める。
今までのノルマである、月に映画十本、漫画20冊、
美術展or芸術展一回以上(本10冊以上はただいまストップ中)も
続けていきます。先月は映画13本、漫画約40冊、
美術展には行きませんでした。
別にこれを破ったからといって、これを読んでいるみなさんが
どうこうというわけではもちろんありません。
自分がバカなだけです。ヤル気がないだけです。
とりあえず上記は今月の目標。
一番上のが、一番難しい問題。
意志の弱さと直結している問題ですから、克服しなければ話にならない。
足踏みオシマイ。
●
『シャイニング』
説明不要。スティーブンキング原作、故キューブリック監督、
ジャックニコルソン主演のサスペンスサイコホラー?です。
自分がこんなこと言うのもすげーナマイキというか身の程知らず
だと思うんですが、この映画っていったいナンだったの?
いったいナニが見せたかったの?
原作を読んでいないので、原作者側の意図は汲めませんが、
少なくともキューブリックの意図は全く読めませんでした。
映像がキレーだなー。音も緊迫感をあおって引っ張っていいねー。
でも引っ張りすぎ。ほとんど物語が破綻しているとしか
思えないのですが、違うのなら誰か教えてください。
狂気にとりつかれて、自分の居心地のいい世界に
浸かったままになってしまうというのは、別の意味で
自分にとっては身につまされる話ではありました。
自分もジャックと大して変わらないのか………と。
●
前に、自分にとっての恐怖とはなに? と聞かれたときに、
どう考えても意志疎通ができそうもない存在が、
こちらに興味をもっているときと答えたような気がしますが、
それはそれとして、「気配」というのも怖いですね。
「きくばり」じゃなくて「けはい」です。
なんかいる!
いないかもしれないけどいるような気がする!
わからねえ!
こええ!
と。
ラップ音とかポルターガイスト現象とかいうものは自分の部屋で
ショッチュー起こっているし、あんまり怖くないです。慣れちゃった。
こういうのも霊感というのかどうかは知らないけど
有象無象の声や音が聞こえてくるのですが
これも幻覚なんでしょうか。自分も狂人……
ちなみに引っ越したての時が一番ひどかったので、知り合いの
教えに従って北西の方角に塩を置いたら静かになりました。
ナニいってんだよと思われるかもしれませんが本当です。
霊の存在を信じるかと聞かれることもありますが、
それは今、実際に聞こえてくるものが自身の幻覚や狂気の産物か
どうかを認めるか否かということなんです。
どうでしょう。判断しかねます。
11/4
「日常と非日常」
日常を破壊しなければならない。
でないと新たに感じるものもなにもない。
そう思って自分の周りの環境を変えようという
気分になっていたのですが、結局全然変わっていません。
以前より多少ボランティアに参加するようになったり
ということはありますが、まだぜんぜん行動に起こせていません。
ヒマではないなんてのは言い訳です。時間は自分で作るもの。
今日すごくのんべんだらりとした時間を過ごしてしまい、
ああだめだこんなんじゃ全然だめだーと思いつつ、
帰りがけに何か非日常に触れるべきだろうかと
考えていたら、目に入ったのはパチンコ屋。
自分はギャンブルとか名のつくものは一切
触れていません。それなりのリスクを負わねば
得るものはないなんて主張する人もいますが、
延々と柳の下でドジョウを追うなんて。
しかし。そういう常識から脱して本当にムダな消費という
ものを味わってみるのもいいのではないかな。
どうしようかなと迷うことしばし。
しかし財布の中に今入っているお金は、本を売って
できたものなのです。
だ、だめだ! 絶対にだめ!!
このお金は、もっとマシで良質なものに触れで、
自分を強まらせるためだけに使っていい金なのです!
飲んでも買っても打ってもだめーー!!
ということで、日常の破壊は浪費とは別のところから
探したいと思います。今度また養護のボランティアに行きます。
11/3
「文化の日に飲む酒の味」
文化の日だが、自分は体育の日でした。
教職サークルのほうで交流している大学の
教職サークルと、ソフトボール大会をやったのです。
普段から運動していた成果か、あまり疲れるといった
ことはありませんでしたが、キャッチャーをやったら
結果として体中が痛いです。
●
しかし野球というのはおもしろい。
フィールドの上でボールを蹴りあっているだけの
サッカーというスポーツにはどうも燃えられないのですが、
投げて、打って、累に出て、ホームまで
戻ってくるためにまた打ち走る。
不確定要素と緊張感と戦略・戦術性に満ちたそのゲームでは、
アウトのことを「刺す」とか「死」と言い、ホームに戻ってくるのを
「生還」と表現するのもよくわかります。
最近の子どもはサッカー優勢のようで、スポーツ少年団などでも
高い月謝をとってサッカー教育と称して結局は甘やかしている
という問題もでてきているようでありますが、やっぱ野球。
ピッチャーが強くてもキャッチャーとの協調がなくてはどうにもならず、
内野も外野も、それぞれの仕事が活かされ、また、
打撃においても、勝利するための戦術があり、犠牲もあり、
決して一人では勝つことができない野球というゲーム。
どうしても個人プレイが先考しがちなサッカーよりゃいいと思います。
●
ソフト大会を途中で抜けて、銀幕亭の飲みに顔を出したのでありますが、
さすが一年二年が中心になっているだけあって、ほとんど勢いのノリだけで
場を盛り上げながらやっていて、非常に危険かつ中身のない飲みに
なっていました。かといって、話を肴にする飲み方を押しつけるわけにも
いかないしなあと思いつつ、自分がどういう風に飲み方というのを
学んできたのかというのを思い出したりしました。
●
大学に入って、数少ない有益だったと思えることの一つが、
「自分の酒の飲み方を知った」ことです。
どの酒が旨いのか、どれに強くどれに弱いのか。
どれぐらいまで飲めるのか、どうやったら酔いを醒ませるのか、
明日に残さない方法etcetc....
決して人に教えられたわけではなく、これだけは自分の身体と
つきあって身に染み込ませていかないと判らないことだと
思います。三年間でペース配分を心得たと申しますか。
多少は飲めるキャパシティも増えましたし。
のんべんだらりと毎日を過ごしている大学生だからこそ
判ることでもありますね。自慢には決してなりませんが。
まあペース配分を心得たからといって、Ubikさんとか
ザルみたいに飲める人には遠く及ばないのですが。
うらやましい。
●
今日はそんなこんなで結構回してしまった上に、三年の子と
一緒に飲み直しに行ったりしてよけい酩酊してしまって、
帰ってくるのにも一苦労でした。フロに長く入ってアルコールは
全部抜きましたが………
11/2
「素直のすすめ」
本を売りました。段ボール11箱分が
15000で売れたのです。これで少しはミになる本を
読めるだろうと思いますが、買い取ってもらえなかった
4箱分をいったいいつ取りにいったらいいのか
途方にくれています。
●
自分自身を見つめ直すためにこの日記をはじめたわけですが、
指摘されつつも自分ではどうしてもわからないのが、
「ポーズをつけすぎている」ということ。
恥ずかしく思いつつも、今日高校の友人と会ったとき、
そのことを尋ねてみたら、一見の相手にはそうとられても仕方ないかも。
という答えが返ってきました。確かに自分は、何にも考えずにボーッとして
いるだけなのに、怒っているんじゃないかとか、何か深く考え事を
しているんじゃないかと取られることが多いのです。
自分は考えなしの人間で、ハッキリいって主体性がありません。
このページの構成がコロコロ変わるのもそのせいです。
自分はいったい、なにを考えてこのページを作ったのか、
どういう目的でこれを書いているのか。再び問うてみたとき、
自分を成長させるためです。決まっています。
でも、日記を通して自分と向き合うという行為が未だによくわからないです。
わかっているのに逃げているだけかもしれないけど。
●
というようなことを考えていたら、決定的に自分は
素直ではないと指摘され、ガビーン。
確かにそうです。自分は素直じゃないっす。
でも素直ってナニ?
自分は自分なりに素直に生きているつもりなのに。
え、そう考えることがスデに素直じゃないんですか。
ああそうですか。考えないでいろっていうんですか。
心にブラックボックスがあるっていうんですか。
なんだかワケがわからなくなってきました。
11/1
「暴風雨とビタミンB2」
暴風雨につき、文化祭は中止。
なんともあっけない幕切れでした。
しかし、文化祭をやる意義を考えると、
最初からやらないほうがいいのかもしれません。
皆で同じストレス下におかれると、自然と
連帯感が生まれる。軍隊で主に用いられる
団結生成法を適応させるのは、高校生ぐらいまでで
十分なのではないかと。
サークルがその活動を発揮する場は、むしろ外に
求められないと、大学生は永遠にムダな人種の
まんまのような気がします。
あ、でも外部の人間にとっては(受験生とか)
それなりに価値があるんでしょうかね。うーむ。
その大学の気質を知るために、とか。
でも大学にそのまんま進むという価値観自体が歪んでいる。
ドイツの、とまではいかなくても構いませんが、
再生産装置としての学歴社会ってのはなんとかなりませんかね。
日本は中産階級が発達しているというより、みんな
ブルジョワジーなので、そういう事は起こり得ないでしょうが、
実際に起こり得た中国のどのような教育が、どのように
あの社会を作り上げていったのか。
というようなことを卒論のテーマにしている自分です。
「科挙」関連の史書から検索中。
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帰りがけに、口内炎が痛いので、本を運ぶための段ボールを
貰いがてら、薬局で「口内炎のクスリってないもんですかね」と
訪ねてみたら、飲む薬と貼る薬と塗る薬があるらしい。
どんな違いがあって、どのように効果が見込めるのかという
話を懇々と尋ねて聞いた後、内側から直すために、飲む薬、つまり
ビタミンB2の錠剤を買ってきました
しかし考えてみたら、こういうものを普段から服用していると、
身体がそれに慣れてしまって、服用しなくなった途端、
吹き出物がブァーーーー! ということも考えられますよね。
薬とかにかなり順応性が高い自分です。
その可能性はますます高い。
やはりビタミンB2を多く含むものを普段からバランスよく採って、
健康を保つのが最良の手段でありましょう。
最近店屋物が多く、財布の中身は少なくなり、
口内炎は増えるという傾向にありましたし。
ビタミンB2を含むものは、ワタシのキオクがタダシケレバ、
牛乳とか卵とか納豆とかほうれん草とか………
つまり「プレーンオムレツ、納豆ほうれんそうあえとじ」を
毎日食べればいいわけですね。いや、マジで作ったこと
あります。納豆オムレツは美味しいのです。