生と死

人が死ぬというのはどんなことだろう。身近な人の死、に私はまだ立ち会っていない気がする。
「死」という概念を言葉でしかわかっていないと思う。ほとんどの人はそうだ。
「死」というものを意識したことはあるだろうか。私はかなり以前から意識していた。
それはデマ?だったノストラダムスの予言から起因するものだったり、知らず知らずのうちに埋め込まれていた世紀末思想だったりするのだが、かなり強く感じたのはSLE(全身性エリテマトーデス)で入院したとき。
かなり症状が悪化して薬の大量投与のせいかはたまた病気のせいか精神的にもきつかったころ。はあんまり考えてはいなかった。死ぬんだ、と勝手に考えていたみたいだが。
退院して1年くらいして、「あの時(肺炎?に罹ったころ)は大変だったねー」
と家族に言われたとき。
ああ、あの時やばかったのか・・・。
本当にやばかったときはあんまり「死」を意識していなかったのだがな、と思いつつ、もしかすると「死なない」と信じていたのかも、とか今となってはどうにでも考えられる事柄ではある。
今はSLE自体が原因で死ぬことはなくなってきているし、現にそうだと思う。ただ、病気が悪化して「もう死ぬかもしれない」と思うとき急に「死」を意識する。
私の場合、「死んだらどうなるのかな」と漠然と思ったものの焦りや不安はあんまりなかった。いや、あったかもしれないけどもう忘れた。痛みや苦しみがずっと続くのなら死んだほうが楽だと思う。ただ、その「痛み」や「苦しみ」は他人には決して理解の出来ないものであり、そして客観的に判断できないものである。

「自殺」する人の気持ちはわからない。
といった人がいた。私もそう思う。
わかる、わかると言う人は偽善者ではないかと思う。「わからない」のが正解だと思う。
本当の苦しみや気持ちはわからない。それはその人自身にしかわからない。残された人に空いた心の空洞は逆に死んだ人には永遠にわからない。そういうものだ。

もちろん、わからないと、わかろうとしないとは違う。

「死」と対面して初めてどう生きるか、考えることが出来ると思う。