ちょっとした事で窪田晴男の最近の活動の様子を知った。こういう時はインターネットっていい。
昨年末に出た「ミッドナイト・プリーチャー」は昔の音源しか入っていないわけだが、このアルバムが出た経過を読んでいると「FRYING NEW ASIAN」というアルバムに違和感を抱いていた感覚は間違っていなかったのだなと、ようやく安心する事が出来た。
その昔(もう昔といっていいよ、ほんと)、窪田がパール兄弟を勘当されてソロアルバムを出したとき作りがいまいち平凡。しかし、そんなものなのか、こういうものを作りたかったのか、など思いつつ聴いていた。
その頃、「ガールガールガール」というラジオ番組をやっているよと聞かされて聞けなくてじたばたしていて、アルバムで聴いたとき少し窪田を許せた。
私のなかで、パール兄弟から窪田がいなくなったことがふに落ちなくて何年も(笑)納得がいかなくて。
そんな昔の思いが今改めて思うとなんだか懐かしい、だけなのも変かもしれない。
ミッドナイト・プリーチャーに収録されている作品の初めにやきいもの歌が入っているのだが、その作品を最初に聴いたとき夜中の静けさを連想させて妙に哀愁を誘った。うちの周りは静かなはずなのだが、犬が夜中に時々吠えまくるので実は静けさとは縁遠いところにいる。しかし、何の音もない夜というのは怖いようだが自分の存在を考えさせるかもしれない。
「仮面の告白〜親父編」を聴くと、日本はどこに行くのかなと不安に思ってしまう。
戦時中の話は入院中に聞いたことがあるのだが新鮮だった。本やニュースで語られる戦争の話はありきたり。
体験した本人から聞くとやはり面白い。入院中に聞いた話は別に説教じみたものではなく、退屈しのぎに語られたものなので余計そう思うのかもしれない。しかし、北海道のこの地でも確かに戦争はあったのだ、一人一人それぞれの物語があるのだ。
昔に収録した作品のせいか、ちょっと歌詞が古臭いと思うのもあるが。
あんまり状況って変わっていないと思う。
私は曲を聞くときは歌詞に注目してしまう癖がある。
そんな訳で、曲を聴きながらああでもないこうでもないと考え込んでしまう事があるのだが。
「解放せよ」を聴くと、歌詞自体は懐かしい(というより古い??)90年代ってカンジなんだけど、状況は良くなっているどころかますます悪くなってきている。そう思わせる歌詞。
昔は良かった、なんて思ったら年寄りの証拠なのだろうが、今の状況は明らかに悪くなっていると思う。そんな時、音楽を聴くと何かを忘れられる。現実逃避?でも、違う。
以前、パール兄弟の曲をエンドレスで聴いたり、ピチカートファイヴの曲にわくわくしたり。
そういった感情もいつのまにかどこかに忘れてきてしまったのに、
窪田晴男がアルバムを出して、聴いて、忘れていた感情を思い出す。これは何だろう。
忘れてきた感情って何だろう。
もう一度、取り戻す事って出来ないのかな。
余談だが、窪田氏が「マニョマニョ」という単語を使っているのを見て、ああやっぱりサエキけんぞう氏と窪田晴男氏は兄弟なのね(笑)と思ってしまった。