シャワーが絶え間なく降らせる絹糸のような細い湯の中、一組の男女と一人の少女が背中を流し合っている。
濃い青の様にも見える漆黒、薄桃色、こげ茶色、三色の頭がぼんやりとした明かりに照らされて、湯煙で乳白色に煙っている世界の中、そこだけが鮮やかな色彩を有していた。
「ふううぅ。・・・にしても、風呂が治ってて良かったよなぁ」
「あはは、そうだね。ホントにナイスタイミング☆」
「・・・うん」
丁度その日はテンカワ家の風呂が治った日だった。
御都合主義ということなかれ(笑)
そうでなかったら、雨に濡れ泥に塗れていたテンカワファミリーは翌日の銭湯開店まで風呂にも入れず風邪引きになることは確実だったろう。
それでもいいんですかっ!?
いや良くない(即時自己完結)。
そして、今三人は洗い場でお互いの背中を仲良く流し合っていた。
テンカワ家の風呂は、風呂釜は古いが洗い場も浴槽も十分にスペースが取ってあり、ちょっとした旅館の家族風呂といった感じだった。
「ラピス、もちょっと強く擦ってもへーきだよ?」
三人の中で先頭(?)にいるユリカが後ろのラピスに言葉をかける。
「ん・・・」
ラピスはそれまでなにか遠慮するようにゆるゆるとスポンジで擦っていたが、ユリカの言葉にごしごしと力を入れて擦り始めた。
たちまちふわふわと泡が立ち始める。
それも楽しいのだろう、ラピスは一層気合を入れてユリカの背中をごしごしと擦った。
「そーそー、良い感じだよ。ありがとね」
誉められたラピスは嬉しくて、尻尾を盛んに振りたてる。
ぱたぱた・・・
当然そのラピスの尻尾にも石鹸の泡がついているわけで、ラピスの背中を洗っていたアキトの顔には泡の欠片が飛んでくる。
「わっ、ラピス、泡、飛ぶって」
その言葉は届いたはずだが、
ぱたぱたぱたぱたっ・・・
ますます尻尾の勢いは増す。
「うわっ」
不信に思ったアキトがラピスの顔を覗き込もうとすると、その肩が細かく揺れているのが見えた。
「・・・・・・わざとやってるな?ラピスーっ」
がしがしがし・・・
アキトは手の上でたっぷりのシャンプーを泡立てると、いきなり思いっきりラピスの頭をかき混ぜた。
「きゃ・・・」
小さな悲鳴を上げて身を竦めるラピスに、アキトは容赦なくわしわしとラピスの頭を掻き回す。アキトの手は大きく、ラピスの小さな頭自体がシェイクされるようだった。
「どうだ?もう、さっきみたいな事しないか?」
笑みを含んだ口調で問いかけるアキトに、
「うんうんうん」
ラピスはこくこくと頷く。目がぐるぐると渦を巻いている。
「よーし、ホントだな?」
ラピスの耳を手で優しく擦りながら問い掛けるアキトに、ラピスは少しふらふらしながらもどこかうっとりした表情を浮かべてもう一度頷いた。
どうやら耳を弄ってもらうと気持ち良いらしい。
「それじゃ特別サービスだ。風呂から上がったら、ラピスの為に夜食を作ってあげよう」
「ほんとっ!?」
途端に振り向いて問いかけるラピス。二色の瞳がきらきらと輝いている。尻尾もまったく正直に喜びを現していた。
「・・・ホント、食べ物の話だとすぐ反応するんだな?」
呆れ気味のアキトのその口調に、
「っくく・・・ぷぷぷっ・・・あ、あははははっ」
それまで黙って笑いを堪えていたユリカも堪えきれず吹き出す。
「もー、ラピスったらかわいーんだからっ」
泡だらけになりながら、ユリカがラピスを抱き寄せる。
理由が解らず表情にはてなマークが浮かんでいるラピスにアキトもつられて笑うとその頭を軽く撫でた。
「そっかそっか、そんなに喜んでくれるんじゃ、こいつは益々張りきらないとな」
ユリカに抱きしめられたまま、ラピスは嬉しそうに大きく頷いた。
「それじゃ、今度は向きを変えるか。ラピス、思いきりやってくれよ」
言って、三人揃ってくるりと向きを変える。今度はアキトが先頭になる形だ。
「うふふっ、ラピスの背中小さくてすべすべで可愛いね」
鼻歌混じりにラピスの背中を擦っていたユリカが、突然指ですすっとラピスの背筋を撫で下ろした。と同時に耳にと息を吹き掛ける。
「ひゃん」
背筋を走る微妙な感触にラピスが思わず身を竦めた。アキトの背中を擦っていた手にも当然力が篭る事になり・・・
「あ痛っ、ラピスつめ爪っ」
ということになるのだった。
「ご、ごめん、なさい」
「あ、いいんだ、ラピス。・・・ユリカぁー?」
申し訳なさそうなラピスに顔だけ捻って優しい言葉をかけると、アキトは後ろでくすくすと笑っているユリカをじと目で見やる。
「へへっごめんごめん。なんか、ラピス一生懸命で可愛いんだもん☆」
ユリカはぺろりと舌を出すと軽く肩を竦めて見せた。
「お前なぁ・・・」
どっちが子供だか解ったものではない。
「もうしないよー」
とは言ったものの、ユリカの目の前には興味の対象が依然存在している。
ゆらゆら
そう、尻尾。
ユリカは目の前でゆったりと揺れているそれが気になって仕方がなかった。
それこそ本当に子供子供した思考だ。
『ううっ、気になるぅ』
流石に言葉に出しはしなかったが、指先がうずうずしている。
『良いよね?ちょっとなら・・・』
何がちょっとならどう良いのか全く謎であるが、とにかくユリカは納得したようだ。
さわさわっ・・・
「ひゃっ」
『うーん、良い手触り・・・』
吃驚したように小さな悲鳴を上げるラピスにまるで気付かず、ユリカは何やら悦に浸っていた。
さわさわさわ・・・
「ぁ・・・」
当然のことながらそこにも神経は通っているのであって、ラピスは小さく身を竦める。
今度はアキトに爪を立てないように注意を払っているが、らぴすはふるふると震えながらちらちらとユリカの方を伺って縋るような目線を送ってくる。
尻尾は結構敏感らしかった。
『うっふっふ・・・ラピスってばかわいっ』
ユリカの目がきらきらと輝き出す。アキトかルリが見ていたら、それが如何に拙い兆候であるかを理解しただろうが、生憎とアキトはユリカが視界に入る場所にいなかったし、ルリはここにいなかった。
困ったような表情のラピスをよそにユリカはスポンジでたっぷりと泡を作ると掌の上に取り、ラピスの背中をゆるゆるとさすり始めた。
女性ならではのしなやかな指と繊細な手つきで背中からわき腹、肋骨へと、時には緩急をつけながら優しいタッチで移動して行く。
「ぅ・・・くぅぅぅん・・・」
押さえたような鼻声をあげながらも、ラピスはアキトの背中に爪を立てないように懸命に堪えている。それが却ってユリカの悪戯心を刺激しているのだが、ラピスには知る由もなかった。
『んー、いつまで堪えられるかな?ラピスちゃん☆』
既に最初の好奇心という目的からは大幅に逸脱している様な気がするが、ユリカは最早目の前のラピスにちょっかいを出すことしか考えていなかった。
それだけユリカの目に映るラピスが可愛かったといえば確かにそうなのだが、ラピスにしてみれば、それはかなりあんまりな言い分だろう。
「ふっ・・・ぁ、はぁはぁはぁ・・・」
実際ラピスの息は上がってきていて、心なしか上気した肌の桜色が先程までより濃いものになっているようだった。
「ふふっ、ほれほれ」
ユリカは囁くと、ラピスの体の側面を撫でていた指を前面に進ませる。
子供らしい食欲でようやくなだらかな曲線を描くようになった下腹部を掌全体でさするとラピスは『ほう』と溜息を漏らした。
ユリカの体温を感じて、なにか腹の底に溜まっていたものを吐き出したようでもある。
ユリカはラピスの体の緊張がほぐれたのを見ると今度は指先でラピスの小さな臍をくすぐるように円を描いてかすめ、徐々に指先を上部に向かって遡らせて行った。
「ふぅ・・・くぅん」
くすぐったそうに体を小刻みに震わせそれでも健気に堪えるラピス。
普通ならアキトもいい加減背中を流しているラピスの異常に気付きそうなものであるが、彼は彼で闘っていたのである。
ユリカの悪戯によって時折ラピスの指は微妙に力んだり逆に力が抜けそうになるのだが、アキトの背中に爪を立てまいというラピスの精一杯の意識によってその指には何とも言えない力加減が生まれていた。その上ラピスの指は時にアキトの背中から体側面にまで滑ることになり、そのたどたどしさも相俟って、アキトは自分の中に生まれそうになるあの圧力に必死で耐えていたのだ。
ラピスは自分の体を洗ってくれているのだから、あのアキトにその方途について文句が言えるわけもない。
おまけにラピスの熱の篭った吐息が背中を撫でることがあり、アキトはその度に心の中で『六根清浄、色即是空、煩悩即菩提ぃーーーー!!』と意識の平静を保とうとして修行僧のように涙ぐましい努力をしていた。
更にシャワーの音によってユリカの囁き声も掻き消されているので、そんな状態のアキトにラピスの異常が伝わるわけがない。
或る意味男としては地獄のような状況である。
そんな中ユリカの悪戯もいよいよ大詰めを迎えていた。
「さあラピスぅ、この上はどぉかなぁ?」
最早自分の言動が完全にオヤジ化していることにも気付かず(笑)、ユリカはラピスの耳元でいぢわるに囁く。
ラピスは小さくいやいやするように首を振るが、もちろんユリカは止めるつもりはなかった。
淡い膨らみを見せているラピスの胸を掌全体で包み込むようにするとやわやわと刺激を加えていく。今までのユリカの指による散々な慰撫によって神経が敏感になっている其処は、幼いながらも生意気に堅くなっていた。ユリカは小さな笑みを漏らすと指で先端の突起を摘むようにして少し強い刺激を加えた。
「ふっ、ぅ、ぁぁぅ・・・」
悩まし気な吐息ともつかぬような呼気を発して、一瞬ラピスはユリカの手を制するように脇を締めてその腕を挟もうとしたが、そうするとアキトの背中を流せなくなることに気付き、慌てて自らの腕を元の位置に戻す。
どうしたら良いのか解らないといった表情を浮かべ、ユリカに潤んだ目で止めてくれと必死に語りかけるがユリカは素知らぬ顔だ。
「ふふっ、脇も弄って欲しいの?ラピスったら欲張りなんだから☆」
却ってそんな囁きを発すると、ラピスにとっては残酷としか言いようの無い指をその脇の下に潜り込ませた。
指の一本一本が命を持っているような多彩な動きで今のラピスが庇い様の無い部分を蹂躙して行く。
「ふ、ぅ、ひぁ、やぁ・・・」
ユリカの指が動きを見せる度にラピスの体が、吐息が震える。まるで名器とその演奏者のように二人の動きは対になっていた。
「ぁ、ぁ・・・ぅ、ふぁぁ・・・ぁ」
他者からの刺激に慣れていない部位に受ける刺激に思わず声を上げて体をちぢ込ませてしまうラピス。びくっびくっと体が大きく震えた。
そしてその時、中でも一際その引き攣りがユリカの目を引いた箇所があった。
そう、尻尾である。
ユリカは飛びきりの獲物に目を付けた雌豹のように目を細め軽く唇を舐めると、そっと其処に向かって指を伸ばして行った。
そして、ラピスの豊かで美しい尻尾をユリカがそのしなやかな指で締め上げた瞬間。
「っゃぁぁあああっっ」
ラピスは今までに無い甲高い声を上げ体を強張らせると、アキトの背中にぐったりとへたり込んでしまった。
で、当然一番被害を受けたのは・・・
「っっっ!!いでででででででででで!!!!!!」
アキトである。
ラピスに思いっきり爪を立てられたのだ。
涙が出るくらい痛い、どころの話ではない。
背中には綺麗に十本の線が引かれ其処から紅いモノが滲んでいた。
思わず背筋を引き攣らせると勢い良く顔だけ振り向いて叫んだ一言は、
「ユーリーカぁーーーーーっ!!!」
当然である。
他にラピスが悲鳴を上げるような事態の原因は、彼の中で想定できない。
彼の背に凭れ掛かっているラピスを支えてやりつつ今度は体ごと振り向く。
本来なら仁王立ちにでもなりたいところだろうが腕の中にラピスがいてはそれは叶わなかった。
ユリカは自分の行為がもたらした結果について自身も唖然としている様子で、最後の尻尾をきゅっと締め上げた態勢で硬直している。
それでも視線だけアキトの方を向けると、脂汗を額に浮かべ、
「てへへ、やりすぎちゃった」
乾いた笑いを貼りつけて、一応、言い訳した。
「てへへ。じゃないっ!!」
が、当然ごまかしきれるものではなかった。
アキトの目には「本気」が宿っている。
「ご、ごめんね、なんか尻尾が可愛いなぁ、なんて思っちゃったりなんかしたりして・・・」
「俺に謝っても仕方ないだろ?それより・・・やって良い事と悪い事の区別もつかないのか?幾ら可愛いったって、限度があるぞ?ラピスは玩具じゃないんだ」
自分の腕の中で荒い息をついている少女に労わるような視線を向け、アキトは憤りを紡いだ。
普段では余りお目に掛かることが出来ない厳しさだ。
「ううっ・・・ホンの悪戯のつもりだったの・・・しゅん」
ユリカは、それこそ尻尾が付いていたら股の間に挟まれているであろう落ち込み具合である。
いつものアキトならユリカがこんな表情をしたら、これ以上キツイ言葉を投げかける事は出来なかったろう。しかし、アキトの腕の中で小刻みに震えている華奢な少女はアキトにはその体重を遥かに越える重みを持っているようだった。
「ほんの冗談?ユリカ、お前この仔には今俺達しか頼る相手がいないってこと解った上でそんなこと言ってるのか?」
それは、庇護を失うことの恐怖で縛り付けることと同義だ。
押さえた声で、冷静に、淡々と紡がれて行くだけに、その言葉はユリカの胸に深く突き刺さった。
何処か寄る辺なげだったラピス。
つい先程ユリカに向けてきたあの視線は、保護を求めてのものではなかったのか?悪戯を仕掛けている当人に尚縋るしかない少女に、自分は何をしただろう。
それは、最低な裏切り行為ではないのか?何よりも自分自身への・・・。
後悔という昏い影がユリカの心に落ちる。
アキト自身、口調程は内心穏やかではなかったのだろう、或いは自らの腕の中で体をちぢ込ませているラピスの姿に、その心自体が再び堅く閉ざされてしまったのではないかという恐怖を抱いたのかもしれない。ユリカのその変化に気付かず更に舌を滑らせようとしていた。
「お前、ラピスを連れ戻しに行ったのは・・・・・・」
くいっ・・・
アキトが決して言ってはならないセリフを口にする前に、その肘が弱々しく、しかし確かな意思を持って引かれた。
「・・・ラピス・・・」
ふるふるふるふる・・・
アキトの言葉に対する、それは明確な否定の意思の表明だった。
ラピスはまだ僅かに潤んだ瞳で、アキトに向かってそれは違うと語り掛けていた。儚く、頼りなく感じられる自分の腕の中の存在が、実はとてつもない強さを秘めているのではないかと言う幻想が一瞬アキトの脳裏を掠める。
その異なった色を放つ瞳と見詰め合うことによって、アキトは自分が犯しそうになった取り返しの付かない過ちに気が付いた。
「・・・・・・さんきゅ、ラピス」
ほうぅ・・・
アキトは自らを落ち着かせるように長い息をつくと、ユリカの方に向き直った。その瞳に浮かんでいるのは怒りでは無く、穏やかな色。
「アキト・・・ラピス・・・」
上目遣いで心底すまなさそうな顔をしているユリカに、アキトは笑いかけた。
「ユリカ、当然浴槽の中ではラピスの隣に座る権利無しな」
にやりと(笑)
「えええええっ!!?」
途端に勢いを取り戻すユリカ。密かにそれを楽しみにしていたのだ。
「な?ラピス」
ぐいっとラピスの肩を抱き寄せると横目でユリカの方を見やる。
「ええーっ?ラピス私の隣にも座ってくれるよね?ね?」
慌てて媚びるような視線を向けてくるユリカにラピスはくすくすと笑うと、ぷいっとそっぽを向いて見せた。口元には笑みを浮かべたままだったが、それは初めて見せた子供らしい、拗ねたような甘えたような反抗だった。
「ほら見ろ、ラピスにはいぢめっこのお姉さんなんかいなくったって俺がいるからな。ユリカが隣にいなくても良いってさ」
ラピスの体についた泡をシャワーで流してやりながらアキトが素っ気無く言って見せる。その口元は笑みが浮かびそうになるのを必死で抑えているために引き攣ってはいたが。
ユリカにしてみれば頼み綱のラピスは、シャンプーの泡が入らないようにと目も口も堅く閉じていたのでユリカを弁護することは出来無い。
「よーし、良いぞラピス、ゆったり肩まで使って五十数えるっ」
アキトはいつもユリカ相手にしてやっているように手早くラピスの髪をまとめてやると、小さな肩をぽんと叩き、自分も体を流して湯船に向かう。
ユリカも慌ててシャワーを浴びるが、いつも髪を結ってくれるアキトが今日はラピスの髪を纏め上げるだけでユリカの方は手伝ってくれなかった為にそこで手間取り、ユリカが浴槽に入ろうとしたときには左隅しか空いていなかった。
即ち浴槽の中から見て向かって右からラピス、アキト、ユリカである。
「「いーち、にーぃ、さーん、しぃー・・・・・・」」
浴室の中にのんびりとした声が響く。
一家庭の物としては多分にゆったりとした湯船に肩まで浸かりながら、アキトとラピスは綺麗に声をハモらせていた。
「「じゅーに、じゅーさん、じゅーし・・・・・・」」
その手でラピスの右肩を抱いてやりながら、アキトはラピスの体に微かに残っていた緊張がほぐれたことを知り、自分の体からも余分な力が抜けていくのを感じていた。
ちらと視線を走らせると、ただ真っ直ぐに前を見ながら楽しそうに数を数えているラピスの姿が目に入る。
アキトは自分の口元にも笑みが浮かんでくるのを感じていた。
何故だろう、この少女を見ていると笑いたくなってくる。
アキトの掌にすっぽりと収まってしまうような小さな肩のこの少女は、何かとても大きなモノを自分達に運んできてくれたような気がした。
「「にじゅーく、さんじゅう、さんじゅーいち・・・・・・」」
つんつん・・・
「「さんじゅーよん、さんじゅーご・・・」」
つんつんつんつん・・・
始めは無視していたが、余り盛んに隣から太腿を突ついてくるユリカに遂にアキトはじと目を向ける。
『・・・なんだよー?』
そして言葉ではなく視線で問い掛けた。
ここは夫婦ならではといえる技術だろう。
ユリカは今度は必死でアキトに両手を合わせて来た。
『お願いっ、すぐに仲直りしておきたいの』
ユリカも視線だけで必死になって語り掛ける。
『どうかな−、ユリカはすぐラピスの事いぢめるしなあ』
『ううっ、もうしないよー』
『さっきもそんなこと言ってたよなー』
『今度は本当、反省してるからー、お願いアキトっ』
しきりにぺこぺこと頭を下げてお願いポーズを取ってくるユリカにアキトは何か考え込むような姿勢をとると、
「ラピス、ちょっとタイムな」
そんなことを言ってカウントを止めると、ラピスにちょいちょいっと手招きをする。
「?」
表情にはてなマークを浮かべながら額を寄せてきたラピスにこつんとおでこを合わせると、アキトはラピスの垂れた耳を持ち上げてなにやらごにょごにょと囁いた。
「えっ?」
思わず小さな声をあげるラピスにもう一度なにやら囁くと、ラピスは頬を赤らめながらもこくりと小さく頷いた。
「よしっ、ラピスがユリカの隣に座っても良いってさ」
「ホント?やたっ、ありがとうラピス」
アキトのセリフに目を輝かせて湯船から出ようとしたユリカを、
「あ、いちいち出なくても良いって」
アキトが押し留めた。
「え?でも・・・」
ラピスの隣に移動するものとばかり思っていたユリカは訳が解らないという表情を浮かべたが、アキトは余裕の表情だった。ラピスはちょっと照れたように俯いている。
「おいでラピス」
こいこいっ、とアキトが手招きすると、ラピスは一瞬の躊躇いの後その膝の上に乗っかった。
「ま、まさか・・・」
ユリカが軽い呻き声を上げる。
或いは騙されたと思っているのかもしれない。実際その通りだが。
「これが妥協案な。文句があるならさっきの態勢に戻る」
『これは詐欺だよー』
とユリカが思ったかどうかは解らないが、これではラピスにちょっかいを出すことはおろか、最早どっちがアキトの妻なのかわからない態勢だ(笑)。いや、勿論ユリカがしたいのは仲直りであって悪戯ではないのだが。
「うるうるうる・・・」
無言でユリカがその不当性を訴えていたとき、目の前にすっと手が差し出された。
「え?」
顔を上げると、ユリカの目の前にはラピスのはにかんだ笑みがあった。
「ラピス・・・」
ラピスの意図する所がわからず、思わず差し出された手とラピスの顔を見比べるユリカ。
その時ラピスが笑顔で言った。
「仲直り」
「え?」
益々訳が解らない様子のユリカに、ラピスはどこまでも透き通るような穏やかな笑顔でもう一度語りかけた。
「仲直り。さっきユリカが言ったよ。握手は仲直りの印って」
「・・・・・・」
ユリカは、喉の奥に何かが詰まったように声が出せなかった。
胸に何か温かいものが湧き出していることがわかる。
ユリカは涙が出そうになるのを、必死で堪えることになった。
あの時、ただ単に浮かれた喜びから出た、特別な含みも何も無いそれこそなんでもない一言。その一言をこの少女が真剣に受けとめてくれていたことが嬉しかった。
「・・・良かったな、ユリカ」
「・・・・・・うんっ」
アキトのその言葉にようやくそれだけ返すと、ユリカはおずおずとラピスの手を取った。
「仲直りだね、ユリカ」
ラピスが本当に嬉しそうに言葉を紡ぐ。
元から本当の仲違いでもなく、形の上でじゃれているだけだった筈の喧嘩。
それでもラピスは限りない喜びをその満面の笑みに映していた。ユリカと握手が出来たのが嬉しくてたまらない、それを隠そうともしない、そんな笑顔。
「仲直りだな」
アキトも嬉しそうだ。あの笑顔を浮かべてユリカの方を見つめている。
「うんっ。仲直りだね、ラピス」
私はこの二人のように素敵な笑顔が出来ているだろうか、そんなことを考えながら、ユリカは今日二度目の最高の笑顔を浮かべた。
「じゃあ、もう一度一から五十まで、今度は三人で数えようか」
「え−?後五十も?のぼせちゃうよー」
アキトの提案にユリカが大げさな悲鳴を上げて、ラピスがそんな二人を見てくすくすと笑う。
ほんのついさっき始まったばかりの家族の、だけどもうずっとこんなことが続いていたように思える程、自然な空気。
「じゃ、後三十な?」
「うん、じゃあ、後三十」
しょうがないな、といった感じでアキトが笑い、ユリカが嬉しそうに頷く。
そして、
「いいーーちっ!」
「あ、ラピス抜け駆けっ」
「「にぃーーいっ!」」
「あっ、アキトまで、ひどぉい」
「「さぁーーんっ!」」
「もう、二人共ぉ」
「「「しぃーーいっ!」」」
何時の間にか家族の中心にいた食欲旺盛でお転婆なのにちょっと照れ屋、そして化け犬というほんの少しだけ変わった少女は、とても、とても綺麗な、輝くような表情で笑っていた。
その左手はユリカと、その右手はアキトと、固く、固く結ばれている。
愛する家族に背中と両手を預けながら、ラピスは幸せそうに数を数えていた。
まるでこれからの生活に待っている幸せの数を数えるように、今日一日にあった色々な事を全て心の中に刻んで行くように、ゆっくりと、力強く、三人は声を揃えて数を数えていた。
〜終わり
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・おまけです、一応(笑
何時の間にか20K超えてましたがおまけです。
本編のネタが使われてますし、おまけです。
どうやら欅はこの家族が結構好きだったようです。気が付けばこんなことになってたので(^^;;;
これでアキトもユリカも一回ずつイベント(?)を経験しましたね。
どうかこの家族に幸多からん事を・・・。
・・・言いたいことがある人がいると思います(笑)
チャットで話を聞いて違う種類の期待をしてた人とか(^^;;
ええ自分でも思う所はあります(^^;)
苦情は当然受け付けてますので、メールで怒りをぶつけてください(汗
でも欅はMじゃないんだよ、ホントだよ?○君(笑)
でわでわ、完全にLMR用なSSを実は始めて書いた(をひ)欅でした。
おまけのおまけ(笑)
ずるずるっ・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
こくこく・・・
「・・・それにしても」
「良い食べっぷり・・・」
はむはむ・・・
リビングの食卓の椅子に腰掛けながら、アキトとユリカは嘆息していた。
風呂から上がった後、アキトが約束通りラピスの為に夜食を作ったのである。
ユリカは薄いピンクのゆったりとしたパジャマ、アキトはユリカとお揃いのスカイブルーのパジャマにエプロン、そしてラピスはアキトのカッターシャツの袖を大きく折りたたんでパジャマ代わりにしていて、いずれもゆったりとした、就寝前に相応しい格好といえるだろう。
ただ、そんな光景の中にたった一つだけこれから眠ろうという三人に余り相応しくないように見えるものがあった。
そう、アキトの向かいではラピスが3杯目のラーメンを食べていたのである。
尻尾は先程から元気良く振られっぱなしだ。
「美味しい?ラピス」
「んくっ・・・うんっ!」
「ほらほら、慌てなくても良いよ」
ユリカの驚嘆を含んだ問い掛けに満面の笑みで応じるラピス。
アキトはもはや達観しているのか、却ってのんびりとした様子で美味しそうにラーメンを啜るラピスと、さっきからMAXに振り切られている彼女の幸せバロメータを眺めている。
「だってアキトが作ったラーメンだもん!」
「あらら、ラピスったら」
ラピスが至極当然といった感じで言い切ると、隣に座っていたユリカが含み笑いを漏らしながらその幼い曲線を描く頬をつんつんと突ついた。
「ははっ、ラピスが喜んでくれるなら、何よりだよ」
アキトは頬杖を付きながらそんな二人を眺めている。
お客さんが喜ぶ顔を見るのも嬉しいが、家族が喜んでくれる表情を見るのは、また格別だ。自然に口元が緩んでくる。張り合いとでも言えば良いのだろうか、とにかくラピスやルリ、ユリカが喜んでくれると、温かいものが心の内側に広がって来るのだ。
「だからね・・・」
ラピスが再び太陽のような笑みを満面に浮かべた。
アキトもユリカもこの笑顔を見るとつられて微笑んでしまう。そんな笑顔だ。
「うん?」
「どしたの?」
一日の色んなことが全て詰まっているような、深夜のゆったりとした空気の流れの中、
「おかわりっ!!」
その日最後のラピスの『おかわり』が、元気良く響いた。
その後、テンカワ家のエンゲル係数がどうなったかを知る者はいない。
〜おまけのおまけ、おわり。