-我慢できない人達-
僕が卒業した高知の学芸高校という学校は自分でこういうのもなんだが地元でも屈指の進学校であった。高知にはもう一つ土佐高校という優秀な進学校があり、向こうはどうか知らんがうちの学校はかなり土佐高校をライバル視していたようである。
毎年新学期の朝礼では佐野教頭が朝礼台の上に立ち、声高らかに、
「昨年度のぉ、土佐高校さんのぉ、東大合格者○人! 一方ぉ、我が学芸高校はぁ○人! 今年はぁ、土佐高校さんにぃ、負けないよう頑張ろおぉ!」
と全校生徒諸君に自ら気合いを入れるのである。誰が何といおうと土佐高校を意識しているのがミエミエなのだ。
当時、僕はこの土佐高校という学校が羨ましくってね。
その頃の学芸高校は男子生徒は全員丸坊主にしなければならなかったのよ。思春期真っ只中の男の子にはこれはなかなか厳しかったですな。でも土佐高校は髪形は自由。
土佐高校は野球でも強くてね、甲子園とかにも出場するほどなんだけど、うちには野球部すらない。
土佐高校は音楽活動もさかんでロックバンドなんか一杯あってコンサートなんかよくやってたけど、学芸高校はとにかく勉強、勉強の一本槍だったのだなぁ。
学芸高校には伝統の哲学があってね、それはナント「我慢の哲学」という。ことあるたびに我々はこの「我慢の哲学」論理を持ち出され、物事とにかくひたすら堪え忍ばにゃならんということを有り難く学んだのである。
ところが人間そうそううまくいかないもので、押さえ付けられれば押さえ付けられる程うまくいく人間といかない人間があるわな。前者の方はきちんと優秀な大学行って一流企業に就職という親族一同バンザイバンザイのエリートコースいっちゃうわけだけど、後者はある日ウ〜ムと腕組みをしてしまうんだな、これが。
「ワタクシは我慢が嫌いであるからして、この校風には馴染めないわけでして、それゆえ勉強も嫌いなわけでして、であるがゆえに点数も悪いわけでして、とゆーことは有名大学進学は難しいわけでして、それゆえ一流企業には縁がないわけでして、つまり早いとこ自分の進むべき道を自分なりに切り開かないことにはマズイぞ、どーやら」
なんてことを考えていた人間が学芸高校には少なくとも二人はいた。
一人はもちろんこの僕で、もう一人がこの本のカットを描いてくれてる芝野公二画伯である。画伯と出会ったのは高校一年の時だからもうかれこれ二〇年近くの付き合いになるのだ。二人の間には特に共通する話題もなかったのだけれど、隠れはみ出し者同士(僕らは二人とも表向きはごく普通の模範生徒を装っていたのだ)共感するところがあったのか妙に気があって、よくお互いの考えてることを述べあったりしたものだ。いいレコードがあったといえば相手の家にそれをもっていって強引に聴かせ、好きな女が出来たといえば詳しく話を聞きだし、ふられたといえばちょっと大人の気分になってどっかの本で読んだ名言なんぞを引っ張りだしてきてはなぐさめあったりした。
しかし、我々はそんじょそこいらのはみだし者とは一味違ったのである。
我々二人にはお互いにでっかい夢があった。僕は将来音楽でメシが食いたかったし、彼は絵描きになりたかった。学芸高校という進学校に通う他の友人に話しても相手にされないそんな無謀な夢でも画伯にだけは話すことができたのだ。それは彼の方でもおそらく同じ気持ちだったのであろう。自宅も近かった僕ら二人は下校途中の会話でも熱かった。
「芝野、俺は歴史に名を残す音楽家になるぞ!」
「よし! 俺も画伯として有名になってやる!」
などと、この歳になると一杯ひっかけてたとしても、とても口にできないようなこっぱずかしいセリフを大声で叫びながら自転車のペダルをこいだ。
その後、音楽に教育など必要あるものかと錯覚した僕は普通の大学に行って独学で音楽の勉強を続け苦労に苦労を重ね「こんなことなら最初っから学校で音楽を勉強しとけばよかった、トホホ……」と泣き濡れながら今に至る。画伯は画家になるには芸大を出ねばならぬと信じていたのか何度も芸大を受験し、そのたびに落ちた。何浪かした後、彼は何を思ったか突然立教大学に入学した。それを聞いた僕は残念だった。彼がもう絵を止めてしまうと思ったからだ。しかし彼が自分を活かすことのできる唯一の方法は、やはり絵を描くことであったに違いない。大学を卒業した彼はイラストレーターとしての道を歩みはじめた。
結局、我々は曲がりなりにも自らの夢をお互いにかなえることができた。
かつて周りには我々の行く末を心配してくれた人達がたくさんいたに違いない。親兄弟はもちろん、学校の先生や友人からさんざん聞かされた言葉を思い出す。
「やめた方がいい」
「そんな甘いもんじゃない」
「無理だ」
「あきらめろ」
「いつまでも子供じゃないんだから」
「夢から目を覚ませ」
「我慢しろ」
でも結局二人はものわかりの悪い、甘えた、無謀な、あきらめの悪い、夢見てる、我慢できない子供であったんだろうな。
僕は今でもそう思っているのだが、夢は見るためだけにあるのではないと思う。それはかなえるためにあるものだ。嘘だと思うならやってみるがいい。夢を実現できない人というのはいつも自分からは何もやろうとはしないで文句ばかりいっている。夢をかなえることのできる人というのは夢に向かってまず小さな一歩を踏みだせる勇気を持つ人のことをいうのだ。
ど〜だ、ん〜? 説得力あるだろ? ん〜? そぉでもないかぁ? ……そーかぁ、ん〜……。
スクウェアが赤坂から恵比寿に移転した日の夕方、僕は会社の近くの喫茶店でゲッソリしていた。その数日前に仕事上でちょっと嫌なことがあって、しばらく会社を休んで何年ぶりかに高知へでも帰ろうかなと密かに企んでいたのだ。高知へ帰って昔の友達にでも会えば気分も晴れてまた気持ちよく仕事に復帰できるに違いないなどと思いつつ、ふと窓の外を見て僕は自分の目を疑った。
そこには芝野公二画伯がボンヤリ立っていた。あわてて外に出て話をすると彼もなんと近々久しぶりに高知に帰る予定だというではないか。
結局僕らは二人仲良く帰郷した。敢えて飛行機は使わないで電車で帰ることにした。その方が彼とたくさんの話をする時間がとれると思ったからだ。彼はそのとき僕がかかえていた仕事上での悩みを昔と同じように黙って聞いた後に助言をくれた。それはやはり彼らしい柔らかなアドバイスであった。
若い頃の恥ずかしい話や失敗談、好きだった女のことなど全部知られている人間には、いくつになっても悩み事の相談がしやすいものである。
東京に戻ってきてからは仕事は順調に運んだ。
それから半年後に「ファイナルファンタジーX」は無事完成した。
-前衛書道とは何ぞや?-
「前衛書道」なるモノが世の中に存在するのをご存知であるか?
絵画や音楽といった陽の当たる芸術分野とは異なり、家の北側の軒下で誰も気がつかぬうちにひっそりとアダ花を咲かせてしまったような(……そこまでいうかね……)ちょっと変わったゲージツなのだ。
書道といっても普通に字を書くわけではない。
「友情」とか「努力」とかありますね。小学校の時よく書かされましたな。
「初日の出」とかね、「緑の大地」とか。アレじゃないです。
「真光の技」とかね……これはもう全然違いますな。
かといって中国四〇〇〇年の歴史を誇るマダム・ヤンもすなる枯れ山水の水墨画とも違う。
とにかく前衛という言葉が付く以上何がなんだかわからない。やっぱゼンエイであるからして我々シロートさんにはおいそれと理解できてはいかんのですな、きっと。
中には墨だけでなく絵の具を使ったり、和紙ではなくてガラス板に書いたり、ほとんど前衛絵画に近いようなノリの作品すらあります。
友人に町山一祥(いっしょう、と読む)という僕と同じ年の書道家がおりましてね、彼は若かりし頃から色々な展でイッパイ賞をとって、それこそ天才・町山一祥の名を欲しいままにしていたという許せん奴ですね。
今はインチキ前衛書道をやってるんだけれども、普通の文字を書かせてもまさに達筆で、まっとうな書道の道を歩んだとしても多分かなりの線まで行ったんだろうな、って強く思っちゃった、アタシ。(何か変か?)
しかし前衛書家の父の血を色濃く引き継いでしまったのか、結局カエルの子はカエルになっちゃったの。(まだ変か?)
一二、三年程前、僕の住む日吉のアパートはある種コミューンの様相を呈していたのだ。
将来を夢見る自称アーティストの溜まり場だったんだな。映像やってるヤツとか、彫刻やってるヤツ、写真とるヤツ、作曲家、企画屋、ただ単にそこにいて酒飲むだけのヤツとか、とにかく来るものはこばまず毎晩のように大勢集まって、
「とどのつまりゲージツとは……」とか、
「クリムトの金色はやはりマザコンなのだ!」とか、
「ブライアン・イーノは遂に俳句を理解しえたのであろうか?!」とか、ビールをゴッキュン、ゴッキュン飲みながら各自言いたい放題無責任な議論合戦やってたわけよ。
そのどっからどう見たっていかがわしい社交パーティーにある日颯爽とデビューしたのが天才「イッショー・マチヤマ」だったのである。少々小柄ではあるが、人の目をじっと見据えるピシリとした視線であるとか、「僕はね嘘は許しませんよ、嘘はね」なぁんて今にもいいだしそうなキリリとした口許に、我々「口だけやったら負けへんでぇチーム」は皆が皆、彼の天才を瞬時に理解しえたのである。
若い頃から才能を認められ周りからチヤホヤされて育った芸術家にはどうも協調性に欠けたりして天上天下唯我独尊野郎が多いようだけれども、人なつっこい性格の彼は才能の有無を超えてすぐに我々とうち解けていったのだな。ま、もっとも金のない我々にとっては彼が来るたびに持ってきてくれるビールも大歓迎ではあったわけだけれどもね、うむ。
当時の彼は既にある程度の名声を博してはいたが、しかしそれでも僕らとともにビールをゲロ飲みし、えんえんと馬鹿な議論を夜更けまで戦わせていた。
そんな一祥先生……ここで気がついたのだが、みんながそう呼ぶから僕も彼を一祥先生と呼んでいるがこの一祥というのは彼の本名なのか、ペンネーム(書道では何というのかな?)なのかどっちなのだろう? う〜む、気になってきた。確か弟の名前は直樹である。もし一祥が本名だとすれば弟のノ−マルな名前に比べ、あまりにもアブノーマルな命名ではあるまいか? 先代の親父さんは何を思って兄弟にこんな差別をもうけたのであるか? ……う〜ん、謎が謎を呼んで次週に続くかもしれないね……。
で、まあその一祥先生が主催する前衛書道展覧会なるものが大崎で開催されてたんでね、行ってみましたよ。
久しぶりに会う彼はやはり歳相応に体に肉が付き(人のことはいえんがね)多少の貫禄もついちゃって、
「おう、元気? まだ、アレ? 子供騙して商売やってんの?」
とかいっちゃって相変わらず人なつっこいのだ。
展示されてる作品はどれもこれも子供の落書きであるな、きっぱり。ただ、会場のそこかしこにウネリをあげて飛び交う作品の発散するエネルギーだけは、これはやはりタダモノではない妖気に満ち満ちているのだよ、諸君。
シロートの僕は一祥先生自らの解説付きで会場を案内してもらった。
「ねぇ、一祥先生、これって何か意味あんの?」
「ん? 意味? ないよ」
「……あ、そぉ。ふ〜ん」
「やっぱ人間考えちゃダメね。頭使うとそこでオシマイよ。ウケ狙ったりとかさ」
「……そ、そうだよね……うん、うん。わかるわぁ……それ。マンボでウッとかやってる場合じゃないんだよな……」
「何?」
「あ、いやいや、いーの、いーの。でもさ、これって俺にも書けないかな、こーゆーインチキみたいなの」
「ん? これ? 書けるよ。いいかげんな気持ちでチャッチャッてね。遊ぶつもりなら書けるの。ただね、二枚目からが書けなくなっちゃうんだよ、ホラ、考えちゃうから」
「ははぁ……これは? これは絵画なの? 書道なの?」
「ん? それ? 書道だよ」
「でもいろんな色使ってさ、文字書いてるわけでもないし……」
「あのね絵画と書道の分け方があんのよ」
「……あ、やっぱしぃ。どこで分けんの?」
「ん? 画家がこれ描いたら絵画でね、書家が書いたら書道なの」
「……あ、そぉ。ふ〜ん。ところでこういうのって売れるの?」
「時々ね。でも値段ってあってないようなモンだからね。そうだ、ホラあそこにある小さい作品、アレあげるよ」
「あ……あげるって……お、俺にくれるってゆー意味?」
「うん、あげる」
「ただで?」
「うん、ただで」
「いや、悪いよ、そんな、ただでなんて、絶対だめだよ」
「いいの、いいの」
「だめだって。俺も昔のビンボーな俺じゃないんだから、いや、ホントに。え〜? そう? 悪いなぁ……」
なぁ〜んかいいながら私はちゃっかり天才君から作品を譲り受ける約束を取付けその上、カツ丼なんか奢ってもらってニコニコしながら「今度俺のCD送るからさ」って心の底から嬉しそうにインチキ流天才書家町山一祥にサヨナラしたのだね。
帰りの車の中で当時の仲間のことをあれこれと思い出してみた。
多くの奴等は曲がりなりにも初志貫徹で何とかそれぞれの道を歩んでるけど、中には実家の事情でやむなく夢を諦め郷里に帰らざるをえなかった奴もいるのだ。
また当時のみんなで会えたらいいなと思った。家の扉を開けると、
「あ、お前ら何やってんの、俺ンチで?」
「おせーな。鍵かかってなかったから、先に始めてたんだよ。お前も飲む?」
なんてそういう状況ももう一度いいなと思った。
食い物買う金もなく(そのくせなぜか酒だけはあった)かっこいい言い方をすれば夢ばっかり食って生きていたのだ。今ではみんな家庭を持って、生活もある程度安定し、昔以上に現実のしがらみにガンジガラメにされてるんだろうね。
「果たしてそんな奴等が今一度集まってみたところで昔の興奮が期待できるんだろうか? でも少なくとも一祥先生とだけは今でもビールがうまく飲めそうな気がするな」
そう思うと、もう一度心の底から嬉しくなってニンマリと微笑む三〇代半ばの男の顔を大崎付近の国道一五号線を走るミニカトッポの中に発見したアナタ。
その男は僕だったかもしれないね。
-冒険野郎-
旅が好きなのだ。
昔っから好きではあったのだけど年々旅に出る回数が増えていく。仕事、遊び含めてね。
ここのところ僕の日常は仕事をしているか、旅に出ているかのどちらかで、じっくりと家の中で新聞読みながら日本茶を一口、ズズッとすすり、
「母さん、今日もお茶がうまいねぇ」
などといった光景は我が植松家では金輪際見られないことなのである。
で、国内国外どちらが多いかというとこれはもう圧倒的に国外に旅することが多いのだな。別にキンパツのおねーちゃんが好きだからという理由ではないぞ。
だいたい僕は国粋主義者なのだ。どーゆーわけか自分でもよくわからんが、とにかくおねーちゃんは日本人に限る、とかたくなに信じ込んでいる類の人間である。……ま、それも時と場合によるけどね。
例えば青い目をしたスンゲー可愛い娘がね、
「オーウ、ノブオサーン、ワタシアナタノコト、アイシテシマイマシター。アナタノコト、オモウト、マイニチ、マイバン、ネムレマセーン」
なんてことを、そのブルーアイズにティアドロップスイッパイイッパイで告白されたりしたらアナタ、どーします?
「うむうむ、わたくしは今日この日まで大和撫子至上主義を掲げて生きてはきたが金髪、青い目もそれはそれでよいではないか。差別はいけない。人類皆兄弟なのだ」
と某CMのようなことを叫んでしまいますわね。
もっとも、まだそんなオイシイ目のは遭遇したことがないもんでね、今のところは日本女性バンザイなのだ。
あれ、僕は何の話をしているのだ?
そーそー、つまり旅は異国にという話ね。
何故外国がおもしろいのかというと、まず言葉が通じない。
これは困る。マジに困る。困るものだから苦労する。苦労するから忘れない。忘れないから思い出に残る。思い出に残るから心に残る。
また文化、風習、常識が違う。
違うから困る。マジに困る。困るものだから苦労する。苦労するから忘れない。忘れないから思い出に残る。思い出に残るから心に残る、と。
こういうことをいうと、
「じゃわざわざ高い金払って苦労しに行くというのですか、アナタは?」と聞く人もいるが、まさにその通り。自らその苦労を楽しみに行くようなもんだ。
毎日毎日のんべんだらりと、ただただ隣の人に嫌われないように静かにボーッと生きてる我々日本人にとっては海外旅行というものはまさに冒険の連続なのである。
幼稚園の頃から将来の安定だけを嘱望され先達の用意したマニュアルをそっくりそのままコピーすることを最上とされた我々に、この時代どれだけの冒険が許されているというのだ? 若い人達も老いた人達も、もっともっと冒険を求めて海外に飛びだすべきだと僕は思う。
もちろん予想しうる災難を防ぐために必要な準備はしておくべきですよ。そこはカンチガイしないでね。不幸にも海外で悲しい事件に巻き込まれてしまった人達も大勢いるのだからね。しかし必要以上に明日起こりうる全ての事故の心配をしてたら冒険なんかできっこない。次の瞬間自分に降りかかってくるであろう災難ばかり恐れていては今歩むべき一歩さえ踏み出せなくなってしまう、と僕は思う。でも十分な下準備と注意が絶対に必要であるということだけは忘れないでほしい。冒険と無謀とは別のものだからね。
……う〜む、ガラにもなくつい真剣になってしまった。
イケナイ、イケナイ。いつもの自分に戻るとしよう……。
さてさて、海外にいると日本人がとても目立つ存在であることに気付きますな。
何故目立つのであるか?ワタクシはこの件に関して今ここで論じてみようと思っております。まずアレでしょうね、特筆すべきは数人で群を成して街中をねり歩く。
いやいや、団体で行動することが悪いとはいってませんよ、ワタシは。ただカッコ悪いといってるだけです。
しかも皆が皆、ブランド店の袋をイッパイ手にぶらさげてる。
いやいや、ブランド品を買うのが悪いとはいってませんよ、ワタシは。ただ、そのルイ・ヴィトンのバッグを持って網島の六畳ワンルームの木造アパートに帰るアナタのその神経がワタクシには信じられない、といってるだけです。
やたらとエヘエヘ薄ら笑い浮かべてる男性の方々もいかん。笑うな、とはいいませんよ。しかぁし! どーせ笑うんならニコニコ笑っててほしいのだ。エヘエヘ笑いは、端から見ててかなり薄気味悪いものがあるぞ。
ニコニコとエヘエヘとでは基本的にその笑顔の持つ意味が違うのだ。
ついでにもう一つ男性諸君! きみたち、背筋を伸ばして歩きなさいね。堂々と胸をはって歩くのですよ。背筋曲がったまんまエヘエヘ笑ってるアジア人がしかも団体でこちらに向かって歩いてくると、同郷の僕でさえ外国人のフリしたくなってしまうではないか。
それから、ここぞとばかりにハンサムな白人男性と腕組んで歩いてるねーちゃん。
いやいや、ハンサムな白人男性と腕組むのが悪いとはいってませんよ、ワタシは。ただ、とっても羨ましくて悔しいもんだからね、書いてみただけ……グスン、グスン……ケッ!
ついでにいっちゃうとハワイあたりでよく見かける新婚旅行の新郎君。何かを決定するときにいちいち嫁さんに相談するのはやめたまえ。例えばレストランとかで、
「お飲み物は何になさいますか?」
「……お、お飲み物……サユリちゃん、どーするぅ?」
「私は赤ワインいただくわ。ヒデオはお酒だめだからオレンジジュースがいいわね」
「かしこまりました。メインディッシュはどれにいたしますか?」
「……メ、メインディッシュ……サユリちゃん、どーするぅ?」
「そーね。私は仔牛のカットレット・ミラノ風。ヒデオはハンバーグがいいわね」
「けっこうですね。デザートはいかがいたしましょう?」
「……デ、デザート……サ、サユリちゃぁ〜ん……」
あー嘆かわしい。まさに成田離婚もムベなるかなという今日この頃なのである。
おい、お前ら男なんだからもっとしゃんしゃんせーよといいたい。まさにこの二十数年間マニュアル通りに生きてきて先生にいい子いい子されて育ってきたなれの果てなのである。
こいつらはもーてってーてきに冒険させる必要があるのだ。モンゴルの大平原に一度置き去りにされてこーい!
自分の中にプログラミングされたこと以外の場面に遭遇すると、どうすることもできずに誰かを、何かを頼ってしまうのだ。もしくはそういったことに出くわしたとき頭がパニックを起こしてしまい、脳も筋肉も硬直してしまうのかもしれないね。
みんな冒険しなさい。あっちこっち行って見聞を広めつつ、自分の常識がどれだけ井の中の蛙であるかを痛感してきなさい。僕もこれからズッコンズッコン行くからね。僕なんかまだ井の中の蛙どころか、ホラ、田舎の澄んだ小川の水草にからみついている寒天状のタマゴ……アレだ。
でも、トラブルには十分注意してね。何が起きるかわからないからね。
オーストラリアのパースに行った帰り、飛行機のチケットの予約の再確認をしてあるのにもかかわらず僕の席はブッキングされていなかったのだ。再確認したのは事実だしチケットも持っているのだから僕は強引に乗せてくれるように主張したら、エコノミーのチケットなのにその時偶然空席だったビジネスクラスに乗せてもらえたよ。でも後がいけない。
免税店で買い物をすませた僕はその品物を受け取るのを待っていた。時計を見ると、離陸時間まであと三分しかない。でも品物はまだ来ない。出発時間まであと一分と迫ったとき、さすがにもう待てなくなった僕は責任者の名前と住所と電話番号を聞き、こちらの名刺を渡して「ここに郵送してくれぇい!」と言い残してゲートまで全速力で走った。
……あーなんたることか、飛行機は無情にもすでにハッチを閉めた後だたのである。
しかし! ここでめげるワタクシではないぞ。機中にいるスチュワーデスが僕に気付くまでハッチをドンドンと叩き続け、無事まんまとせしめたビジネスクラスでワゴンにのせて運ばれてくるデザートのケーキを食ってやったのだ。ザマミロ。
-英語がどーしたっ!-
海外に行くとき、我々日本人にとって一番の不安の種はやはり言葉の問題なのだろうなと思う。
僕等は義務教育で三年間、高校に進学した人ならさらに三年、大学行った人はも一つおまけで四年間、つまりほとんどの日本国民が三年ないし一〇年(!)の英語教育を受けているのである。こればっかりは言い逃れできない事実ですね。
しかし! である。一体日本人の何割が英語をしゃべれるというのであるか?
米国では鼻たらした三歳のガキでさえ英語しゃべってるぞ。これはきっと学校教育に問題があるに違いない。
数学の複雑な公式や、物理の定理、はたまた自分らには何の関係もないフランス革命の年代ですら覚えている頭脳明晰な我々が今年三歳になるジャックと会話ができないとは何事か。これは教育が悪いに違いない。そーだそーだ。そーに決めてしまうぞ。決まったことはもーしょうがない。
何が悪いってまず言葉自体を学問にして点数をつけるのがそもそもおかしいではないか。
こんなのただのコミュニケーションの道具に過ぎないのだ。どんな手段を使おうとも最終的に自分の意志を相手に伝えられた人の勝ちなのである。
アメリカ行って腹減って今にも死にそうなときには、
「ブレッド! ブレッド!」
とそいこらの人にすがりついて叫べばいいのだ。そんなとき文法とか考えてられるか?
「アイ、アム、ヴェリィ、ハングリィ、ナウ、ソー、ウジュ、プリーズ、ギヴ、ミィ〜」
なんて考えてると文章完成する前に死んじゃうぞっ。
子供ならさっきの「ブレッド! ブレッド!」の発想がすぐできちゃうんだよな。
「なのになぁ〜んで大人の我々にできないのであるか?!
やっぱり教育が悪いに違いない。
何か一つの文章を英訳させる問題があったとする。その時、教育界が生徒に期待する正解はたた一つなのである。「ワン・アンド・オンリー」っちゅーやっちゃ。これがそもそもおかしいではないか。そんなのアリか?
日本語だって何か一つの物事を伝えようとするときには様々な言い方があるはずだぞ。先生の要求する正解らしきものが思いつかなかったらなんとか自分の言い回しで同じ意味を訳しきればそれはそれでもう一つの正解なのではないのか?
しかし現状ではそれぞれの生徒諸君独自の解釈による表現は一切許されないのだな。
長い長い文章があったとする。こんなのいくつかの短いセンテンスに分けたって伝わる意味は変わりゃしないのに、関係代名詞とか過去完了とか使って長〜い一つの英文に訳さないと点数もらえないのだ。
そうすると学生諸君は「教育界の求める正解のみが正しい英語である」と認識してしまうわな。それ以外は点数のとれない英語、使ってはいけない英語と思い込んでしまうわけだ。しかも殆どの日本国民は小さい頃から学校でいい点数とることだけで自己のアイデンティティーを確立してきたものだから、点数のとれない英語を口にすることはすなわち自己の崩壊につながってしまうのである! (そんなこといいきっちゃっていいのか?)
たかが言葉だぜぇ? 何かが変だとは思いませぬか?
模範解答を用意しておいてその通り答えたらマル、答えられないとバツ。これではいつまでたっても自発的に独創性のある考え方の出来る生徒が育つとはとても思えない。学校としても現実社会としても同じ価値観、同じ考え方をした人間が多ければ多い程、統率はとりやすいのだろうけどね。しかし、そんなの軍隊と同じではないか。
日本では未だに人と違った行動をとることをヨシとしない風潮があることは否めない。出る杭は打たれるという言葉があるが、日本人が周りと調和を計ろうとするとき、ほとんどの場合自分を抑えて和を保とうとしてはいないだろうか?
周囲の人と調和を保ちつつ尚かつ自分の意見をはっきり述べるというテクニックを学校で教えるというわけにはいかないのだろうかね?
こういうことを年輩の先生方にいっても、もう聞く耳持たないか、わかっちゃいるけど諦めてるかのどっちかなんだろうから、これからの教育をしょって立つ若い熱血先生の卵君達、よーく覚えておきなさいね。僕は責任とれないけど……。
さて、英語の話に戻るが、我々が外国に行って話をしようとすると、どこへ行ってもつい英語でコミュニケーションを計ろうとはしていないだろうか? フランス行っても、ギリシャ行ってもね。
あれはもしかしたらとても失礼なことなのかもしれないね。だってそうではないか。僕は日本人で彼はギリシャ人なのだ。二人の会話は日本語かギリシャ語でなされてしかるべきである。
それを我々は(少なくとも僕は)なぜか英語で話しかけてしまうのだ。ま、唯一知ってる外国語が英語だけというせいなのだろうがね。
例えば台湾の人が日本に来て我々に英語で話しかけたらどう思う?
「てっめー、しゃらくせーじゃねーか。大和の国へ来てなに英語しゃべってんだよー。ポンニチ語を話したまえ。さもなくば君の母国語でもよろしい。大和の国はマホロバなのだよ」
とわけわかんない悪態の一つでもどついてみたくなるではないですか。
でもそれだけ英語というものが全世界通じての共通語となりつつあるのかもしれないね。
昔、エスペラント語っつーのがありました。知ってる? 今じゃあまり聞かないけど全世界の共通語を作ろうとするムーブメントがもう随分と前に起こったらしいんだよな。「なんとファンタスティックな企画であることか!」と思ったものの、次第に下火になって今ではもうどこ行っちゃったかわかんない企画なんだって。破天荒なアイデアで僕はその発想はとっても好きなんだけどな。残念、残念。
今考えると、もうすでにその頃には英語式世界征服計画が始まっていたのかもね。
ちょっと話はそれるが僕はイギリス人のしゃべる英語が好きだ。
アメリカ人の英語とは明らかに発音が異なるのだね。どっちが良い悪いではなく、アメリカ英語には多少の粘り気を感じるのだが、イギリス英語にはそれがなくもう少し滑らかな響きを聞いてしまう。あのどことなくモッタリとしていて、誰が話しているのを聞いても何だか妙に優雅に聞こえてしまう独響きが大変よろしい。
「おっ! グレイト・ブリテンだねっ! 女王様のお国だねっ! いよぉっ!!」
ってなことをいいたくなってしまうな。
あの口調でさ、ローラ・アシュレイかなんかの服を着た御婦人に、
「午後のお茶を御一緒しませんこと。ミスター……」
「ウエマツ……ノブオ・ウエマツといいます。ノブーと呼んでください。」
「オ〜ケィ、ノブー、おいしいスコーンも用意してございますのよ」
かなんかいわれたら、そりゃアナタ断れませんよ。
「へっ? あっしでいーんでげすかい?」
かなんかいいながら後は野となれ山となってしまうんだろうな……。
-重い思い-
七二sあった体が二、三週間程度で六二sまで痩せてしまったことがある。慣れない海外での仕事で、重くなるばかりの心労に耐えかねてとうとう食事が喉を通らなくなってしまったんだな。
「あたしってホントはケッコー繊細なのよね……」ってそのとき思っちゃったの、ボク。
しっかし、実に一〇sもの肉が僕の体から落ちてしまったのだなぁ……
そう思うとちょっと感慨深いものがありますわね。だってね、生まれたばかりの赤ちゃんでさえ三s程あるのよ。つまり太っていた頃の僕は赤ちゃん三人分この体にぶらさげて歩いていたことになるではないかッ!
「最近どーも動きが緩慢であるな……」と当時感じていたのだが、そりゃ当たり前だーね。なんせ赤ちゃん三人かかえてたんだからね。で、まあそいつらの分も余計に食うもんだからさらに太る、と。ん〜、永遠の悪循環だな、これは。
よく女性誌の広告に「驚異!! あなたも一ヶ月で五s痩せる!」とか書いてあるではないですか? その時のあたしにいわせりゃあんなもんナンでもないことなんだな。
諸君! 痩せたかったら食事が喉を通らぬほど悩みたまえ!!
だけれども女性というのはアレだね。いくら悩んでも、例えば彼氏にふられたりしたときにも「やけ食い」とかいって食べちゃうのね。あれが僕には信じられないことである。
それまでは彼氏に少しでもスマートに見られたくて抑えに抑えてた食欲が爆発してしまうのに違いあるまい。
「きぃーっ! もーいー! あたし、もーいーの! ノブオが何よっ!ふん、だ! あたし、こーなったら喰ってやるわ! 喰って喰って喰いまくってやるのよー!」……と、皆が皆いってるかどーかはわからんが、ま、とにかく自分の悩みを親友(と思っているのは実は本人だけでこれがたいへん広範囲に及ぶ電波広告塔だったりするのだ。あー怖い、怖い)のヨシコちゃんとかカズコちゃんとかにぶつけながらチョコパフェやらチーズケーキやら食っちゃうわけ。そりゃアナタ太りますわな。
僕の場合だと食えないものだから、そういう時はヤケ酒になりますかね。ま、悩んだあげくに太るかアルコール漬けになるか、どっちが体に悪いかはわからんけどね。
もともと僕は中肉中背でそんない痩せてる方でも太ってる方でもなかったのだ。
一時期金がなくて食い物にありつけなかった頃はガリガリだったんだけど結婚してからはコツコツと少しづつではあるが、しかし着実にお肉が付いていく一方だったのね。
それでも六二sから六六sの間を行ったり来たり程度だったけど、それが何故いつしか七二sに膨れ上がったのであるか?!
これはですね、あの語るもおぞましき忙しさで名高い「ファイナルファンタジー」の仕事のお陰なんですね。
締め切りも迫ったツメの最後の一、二ヶ月頃になると、もう殆ど大学の体育会系サークルの合宿状態になっちゃって老若男女問わずスタッフ一同、半分会社に住み込んで頑張ってますわな。(会社にお風呂セット、布団等持ち込んでホントに住んでるやつもいる)
基本的に「規則正しい生活を営むべし」をモットーとする私としては会社へは泊まらないようにしているのですが、どうしても泊まらざるを得ない状況も起きてくるわけです。そうするとですよ、普段家にいるときは食べもしない朝食を徹夜明けのナチュラルハイの状態でわけわかんないまま食べちゃったりしますね。お昼はお昼でそんなに食欲もないのだけれど、気分転換を兼ねて外へ出たいものだからついランチとか食べちゃいます。で、同様に夜も仕事から開放されたいがゆえ会社を抜け出しスパゲッティなんぞツルツルっと食してしまうんだな。
なんせあなた、メシ食うことだけが楽しみなんすからこの時期は。
そうこうしてるうちに午前二時とか三時とかになってまたまた夜食なんか食べに外へ行くわけですよ。ラーメンとかね。もうその時間帯のラーメン屋なんかひどいもんです。
終電に乗り遅れてさ、
「うぃ〜……っく……おくりちったよ……ママ、ママァ、おりよぉ〜、しゅ〜でんのりおくりちったよぉ、ははっ……かえれね〜でやんの……けっ、ママ、ママ、おりきょ〜はよぉ〜、かえれね〜からよぉ〜ママんとことめてくりよぉ〜、いや、らいじょぉ〜ぶらって、なぁ〜んにもしないからさぁ〜」
「何いってんのよ、ウーさん。奥さんが待ってんでしょ。今タクシー呼んでさしあげますよ」
「ん?……ひっく……らくしぃ?……けっ!……いらない。わらくしはぁ……らくしいなんかぁ、いりましぇん!……ママとめてくんないんらったら、おりはよぉ、いぃ……もぉいい!! おりはよぉ……こっからあるいてかえるのらぁ〜」
とかさんざん御機嫌よろしい(普段は会社でさぞかし厳しい顔して働いているんだろーなーと思われる)飲み屋帰りのニッポンのサラリーマン諸君とかで埋め尽くされているのだな。
「ちきしょー、ちきしょー、こんなこといいたくないですけどね、あなた、私どもはですね、この時間までお仕事していたのですよ。しかもね、こんなことあなたにここでいってもしょーがないからいいませんけどね、このチャーシューメンの最後のスープを一口飲み終えたらまた会社に戻ってですね、エンディングテーマの続きを作曲せねばならんのですよ。それなのに何ですか、あなたは。こんな時間にこんな所で、えー?たった今飲み屋で使ってきたお金と時間を愛する家族のために使おうとは思わないのですか? それで良心が痛みませんか? 罪悪感を持たないとでもゆーのですか? えー? そこらへん関係はどう弁明されるおつもりであるかッ? 訴えるぞコノヤロー!」
とか思いながら(普段はさんざん大酒くらってる自分は横に置いといて)ゴクリとスープを飲み終え、
「ふぅ……とんこつスープは懺悔したこといがあるのだろうか?」とわけわかんないことを呟きながら再び会社へと重たい足を向けるのでした。
つまり、いつもは昼食と夜食の二回しか食事しない人間がこの時期になると計四食、しかもほとんどストレス解消のための無茶食いをするため、大盛りとか頼んでガーッと食べるものだから太るわ、太るわ。……運動という運動も全くしないしね。
太ってきたのが顕著にわかるのがジーンズであるな。毎回この締切り間近になるといつもそれまで穿いていたジーンズのお腹のあたりがきつくなってくる。だから僕の家には30、31、32インチの計三種類のサイズのジーンズが用意されているのだ。
お陰さまで今僕は30インチのジーンズを穿いています。体も少し動きがよくなったように感じるし、街中を歩いていても可愛い女の子がみんなすれ違いざまに僕の方を振り返り、
「ま、なんてスリムなお方……ポッ」
と呟いて頬を赤らめながら溜息をつくのだ。……いや、ホントだって。
-暑いから腹がたった-
う〜ん、暑い。それにしても暑いのである。今もう午前三時になろうとしているのにこの暑さは一向に衰える気配すら見せない。今年の暑さはどうやら記録的であるらしいが、もしかして気象庁のヤツラ毎年そんなこといってやしないか?
僕はさっきまで寝ようと思ってベッドで横になっていたのだ。しかし遅くまで原稿を書いていて寝るタイミングを逸したのと、この暑さが手伝ってどうにも眠れずにむっくり起きだしてタバコを買いに外へ出た。寝る前のクーラーのセッティングというものは大変難しいものである。冷え冷えにすると風邪をひいてしまうし、程々にしておくとクーラーの方もなめてかかりここ一番という時に突然送風をストップしてしまう。
「あー、もー!」
と僕は吠えた。時間が時間だけにそろそろ寝ないと明日の仕事に差しつかえてしまうではないか。しかしこれでは眠れない。こんなときは寝ようとすればするほど目が冴えてしまうものだ。幸い明日は人に会う予定がないので多少寝不足でも一日無事やり過ごせるに違いない。そう踏んだ僕は無理に寝るのを止めてタバコを買いに外へ出た。
う〜ん、暑い。一体何なんだ、この外の暑さは? 思えば今日は朝から夜までずっと暑かった。
昼間、会社で一仕事終えた僕は同じ「ファイナルファンタジー」のプロジェクトで企画を担当する悪友のダディ伊藤とサ店に行くことにした。会社の近くに「アルファ」というサ店がある。しかしそこには行かない。会社を抜け出してよくサ店に行く我々「サボリのプロ」はもう「アルファ」なんかでは満足しない体になっているのだ。我等プロは新しいサ店を探す旅に出た。
「いやー、しかし暑いね、今日は」
「本当ですね。暑い、暑い」
「もしかして『暑い』という言葉を連発するからよけいに暑くなるのかねぇ?」
「そうかもしれませんねぇ。どうですか植松さん、今から『暑い』という言葉を禁止するというのは?」
「ふむふむ。それはなかなか面白い。ではさっそく始めてみようか」
「いやぁ、それにしても今日は寒くないですねぇ」
「うん、そうだね。今日は寒くない」
「……」
「ナンか、こうピンとこないね?」
「ナンか、こうピンときませんね」
「こーゆーのはどーだ?」
「こーゆのって?」
「いやぁ、伊藤君、今日は暖かいにも程があるねぇ」
「……その言い回しもちょっとどうでしょうかねぇ……」
頭がクラクラしてきた。気がつくと我々はサ店を探して炎天下の中をもう三〇分近く歩いている。
恵比寿、広尾界隈をヨロヨロとコロゲ歩きまわり朦朧とした意識のまま辿り着いたのは結局「アルファ」であった。
「どーする、ここ入る?」
「結局、いつもこうなっちゃうんですよね、私達」
「何を言っておるのだ、キミは? 人生大切なのは結論ではなくそこに至る過程であるということはキミも重々承知しているはずではないかっ? それが我々の哲学ではないのかっ?」
「……ハイハイ。さ、早く入ってアイスコーヒーちうっと飲みましょうよ。ちうっとね」
歩くことには慣れている二人だ。暑さにも比較的強い二人だ。それが証拠に我々は、ハワイに行ったときホノルル空港からワイキキのホテルまで延々歩いていったこともある。
その二人にこんな思いをさせる今日の暑さもなかなかやるではないか。
いかんいかん、褒めている場合ではない。
とにかく、僕はタバコを買いに外へ出た。
う〜ん、暑い。それにとっても疲れている。疲労パンパンの状態だな。考えてもみなさい。一体何ですか、今年(一九九四年)の忙しさは?
タバコの自動販売機までの道々、今年に入って自分のしてきた仕事を振り返ってみた。
二月中旬ゲーム「ファイナルファンタジーY」完成を皮切りに、
シングルCD「スターズVol.1」制作
シングルCD「スターズVol.2」制作
シングルCD「スペシャルトラックス」制作
アルバム「ファイナルファンタジーY オリジナル・サウンド・ヴァージョン」制作
アルバム「グランドフィナーレ」制作
アルバム「プレイ」制作
アルバム「ピアノコレクションズ」制作
アルバム「ファンタズマゴリア」制作
アルバム「ファイナルファンタジー 1987−1994」制作
シングル、アルバム合わせて九枚のCDを制作してんのよ? 今年一月から八月の間に。
これってギネスブックもんじゃないか? 申請したらギネスブックにのったりして……。
しかもその間、オーストラリア、オーストリア、イタリア、ハワイ、メキシコ、インドに旅行に行くという暴挙だ。おまけにこの原稿も同時進行で書いている、と。そりゃ疲れても不思議じゃないわな。もうそんな若いふりしてられる歳でもないしな。最近腰が痛くてね。
実は昔から腰は弱点だったんだけどね、一回病院行ったのよ。立てなくなって。で、レントゲン撮ってもらったんだけどね。
「いやー、ホラここ見て、ここ。キミの背中から腰にかけての骨なんだけどね、ほぉ〜ら綺麗なもんでしょ? 異常なし。まったく異常ありません」
「でも、先生、痛いんですけど」
「だってそんなこといっても異常ありませんからねぇ。とりあえず湿布でもしときましょうね」
なんていわれて結局治らないんだよな。僕が思うに世の中にはヤブ医者と呼ばれても仕方のないお医者さんは意外と多いのではないかと思うね。
前述のダディ伊藤ね、今病院通ってるのよ。なんでも昼になると熱が異常に出て夜になると熱が異常に下がるというナゾナゾのような症状らしい。さんざん病院行ってあっちこっち検査してもらい挙句の果てにCTスキャンまでやってもらったらしいんだけど、診察結果はナンだと思う?彼が恐る恐るのぞき込んだカルテには何と「原因不明」の四文字が書かれてあったんだって。ま、これはヤブ医者とは関係ないかもしれんけどね。
自動販売機でマイルドセブンを買おうとボタンに指をかけたその時、四〇〇ccのバイクが凄い音をたてて僕の横をかすめるように走っていった。カタンと小さな音をたてて出てきたタバコはセブンスターである。ちっきしょー、あのバイクのお陰で小心者の僕の人差し指は隣のボタンを押してしまったに違いない。
もーまったくいろんなことに頭来る夜なのだ。それもこれもこの暑さのせいだ。なんとかしろよ、気象衛星「ひまわり」よぉ。
ん? だが待てよ。この「暑い、暑い」ネタでもしかしたら原稿一本書けるのではあるまいか? と咄嗟に考えたプラス思考の僕は家に戻ると即座にワープロに向かった。
そして完成した原稿が今アナタの読んでいるコレなのであります。
災い転じて福となす、とはよくいったもんだね。
-針治療-
相変わらず体調のおもわしくないダディ伊藤、グラフィックデザイナーのちびっこイナザワ、それと僕の三人で昼食後のコーヒーを飲んでいるときヒーリングの話題になった。気功とか霊気とか呼吸法とか針治療とか、いわゆる西洋医学以外の治療法が世の中には沢山あるのだね。
体格は人一倍小さいがクソ度胸だけは誰にも負けないちびっこイナザワが、
「私は気功も霊気も呼吸法も針治療もすべて経験したことがある。どーだ」
と、胸を張る。
「……おぉ」
感嘆の声を上げる男二人。
僕はスクウェアのオカルト番長として名高いが、この命知らずのちびっこイナザワはスクウェアのオカルト行動隊長と命名され僕の手足となって動くことになっているのだ。
現在、様々なオカルトセミナーがあちこちで開かれているが、中には怪しげなモノや恐ろし気なモノ、やたら高い金をとるモノとか色々あるのでまず僕はちびっこイナザワに下調べをさせるのである。
「イナザワくん、キミ、ちょっとこのセミナーへ行って様子を調べてきたまえ」
「はっ! かしこまりました、番長!!」
と、こんなふうにうまく行けば問題はないのだが、「植松さん、○○のセミナー行ってきたわよ。植松さんも行けばぁ?」
「え〜……だってぇ……ちょっと怖いしぃ……怪しげぇ、みたいなぁ……」
「もぉっ! 意気地なしなんだから!」
と、こうなるのが常である。番長も人の子なのだ。
アイスコーヒーを一口ちうっとすすったダディ伊藤が突然、針治療に行きたいといい始めた。彼はここんとこ原因不明の高熱ダルイダルイ病に悩まされっぱなしで、病院での最新西洋医学総動員責めに辟易しているのだ。
「明日にしよう」
と僕はいった。その日の午後は人と会う約束があった。
「え〜? 私は今日がいいな。特に予定もないし」
「植松さん、僕も今日でいいです」
「明日にしようよぉ。一人で行くの怖いじゃんか。キミらそれでも友達か? 俺達、親友同士のはずだろ?」
「植松さん、針の先生ってね、妖艶な中国美人なの」
「……じゃ、じゃあ、キミらがそこまでいうのなら今日行こう。今行こう」
早速三人で新宿にある針治療の病院に行ってみることにした。僕は長いこと患っている腰痛をなんとかしたかったのでしかたなくついていったようなものだ、ウキウキとね。
雑居ビルの一角に構えられたその病院の玄関には「中国医療治療センター」と書かれてある。
「伊藤君、イリョーチリョーと韻が踏まれているぞ。なかなかいい感じだな」
「えぇ、いい感じですね。なぜなら韻が踏まれている」
いってもいわなくてもいいような会話を交わしながら我々は入っていった。
治療室でベッドに寝かされ妖艶な中国美人を待っていると、白衣を着た金髪の男性がやってきて着てるモノを脱げという。
「あ……あの……ワタクシですね……妖艶な中国美人の……ムギュウ」
開会の言葉もなくいきなり猛烈な力でマッサージが始まった。どうやらカナダ人らしく日本語は片言しかしゃべれないらしい。あちこちのツボをバカ力で押しながら、
「イタイ、ココ?」
と聞いてくる。そんな力で押せば誰だって痛いに決まっているではないか。
あまりの痛さに僕は、
「あぁう……う〜む……おふぅ……」
としか答えられない。すると、
「ん〜? イタイ、ココ?」
と更に強い力を加えてくる。僕は体をねじりながら声を絞り出した。
「……い、痛いです。そこちょっと痛いです」
「ア、ソー、ココネ、イタイネ」
確認するかのようにまた押してくる。隣のベッドで既に腕と肩口に針をさされ局部的ヘルレイザーと化したダディ伊藤がこっちを見てうふふと笑った。
なんでこうなるのだ? 日本にある中国医療治療センター内でなんで僕だけカナダ人に診てもらわにゃならんのだ。ダディ伊藤やちびっこイナザワがマッサージを受けたのは中国男性のヤン先生だぞ。カナダ人のキミにこのアジアの神秘が理解できるとでもいうのかね、ん〜?
廊下からヤン先生と看護婦さんの会話が聞こえてくる。
「脳ミソが半分ナイネ」
「え? ヤン先生、誰の脳みそが半分ないんですか?」
「ワタシヨ。ワタシノ脳ミソ半分ナイネ」
……どゆこと? 一瞬の間を置いた後、冗談とも真剣ともともつかぬその言葉にベッドに横たわる我々三人は時を同じくして吹きだしてしまった。まぁ、まさか本当に脳みそが半分ないわけではないだろうし、中国式ナイスギャグの一種なのだろうが、仮にも病院の先生が患者に聞こえるような大きい声でする会話ではあるまい?
可哀相なのはダディ伊藤とちびっこイナザワの二人だ。彼らは「脳みそ半欠けヤン」に治療を受けていたのだ。ふはははは。
カナダ式ツボ責め極楽行きでフニャフニャの骨抜きにされた後には待望の針が待っていた。先生は入れ替わり妖艶な中国美人の……イナザワくん、人を騙してはいけないな……、先生は入れ替わり、ただの中国人女医が細い針を何本か持ってやってきた。
「先生、僕初めてなんです。これ痛いですか?」
「イタクナイ、イタクナイ」
向こうで半欠けヤン先生が答える。キミには聞いてないのだ。
「ダイジョブヨ。ジョセイモ、イタクナイヨ。オトコ、モットダイジョウブヨ」
ただの中国人女医が答える。
「植松さん、全然痛くないですよ」
と隣でダディ伊藤が勇気づけてくれる。やはり持つべきものは友である。
「あ〜、後遺症とかないんですよねぇ」
「ナイヨ」
半欠けやん先生が答える。だからキミには聞いてないんだって。
ただの中国人女医は微笑むだけで僕の質問には答えようとはしない。こちらの方が不気味である。
「え〜い! なるがままよ!!」
僕は腹を決め肩口に四本、腰に四本さしてもらった。そのたびに独特の痛みが走る。針をさすときはいわゆる注射される瞬間と同じようなチクッっとした痛みなのだが、それを更に奥底へとグリグリ押し込むときに感じる感覚は指で虫歯の周辺に触れたときの鈍痛に似ている。あまり気持ちのよいものではない。しかも少しでも動くとその部分に痛みが走るのだ。
「どーですか、植松さん?」
先に針治療を終えたダディ伊藤がイタズラッ子の顔で尋ねてきた。彼がこの顔付きをしてるときは間違いなく何か企んでいる。
「……い、いやぁ、意外とぉ、意外と痛いもん……だ、ねぇ……」
話すだけでも響くものだから、ゆっくりと静かな声でしか喋れない。
「植松さん、さっき一つだけいい忘れてましてね……」
「何、どんなこと?」
「これってね、針をさすときよりも抜くときの方がずっと痛いってこと」
……みんな、意地の悪い友人なら持たない方がいいぞ。
針をさして一〇分程経った頃、ただの中国人女医が来て何事もなかったかのように針をスポスポ抜いた。
「ハイ、オシマイネ」
「先生、本当に全部抜きました? 一本だけ残ってるとかそんなのナシですよ」
「ハハハ、ソンナコトゼッタイナイネ、ハハハハ」
しかし後でちびこイナザワに聞いた話によると、以前この病院で診察後受付で金を払っているときどうも首筋が気になるので触ってみると針が一本ささったままだったという経験があるという。中国人のやることはどーも大雑把でいけない。
何気なく先ほど針を抜かれた腰に手を当てるとプックリと腫れあがっている。きっと抜き方が悪かったに違いない。僕はあわてて半欠けヤン先生に尋ねる。
「あのぉ……腫れてるんですけど……」
半欠けヤン先生は向こうを向いたままだ。オイオイ、キミに聞いているのだ。
「あのぉ……腫れてるんですけど……」
もう一度僕は声を大にして尋ねた。半欠けヤン先生はこちらを向き、
「プロ、プロ」
といった。
「はぁ?」
「プロ、ヨ。ワタシタチ、プロネ。モンダイナイ。ダイジョブヨ」
しかし、脳みそ半分ない人に大丈夫といわれてもちょっと困ってしまうのだ。
僕はベッドに腰かけ、服を着た。軽く疲労した後のグッタリ感に似ていて、もしこれが僕でなく妖艶な中国美人だったらきっととっても色っぽい図なんだろうな、と思ってしまった。長い前髪を片手でちょっとかきあげ溜息なんかついちゃったりするんだろうな、うふ。
五年前に初めて行った人間ドックで、僕は生まれて初めてオシリの穴に指を突っ込まれてしまった。直腸ガンの検査だそうな。先生の指がオシリの穴にちょっと入った瞬間、僕はドキッとして全身をこわばらせた。
「嫌ですかぁ? そうですかぁ? じゃやめときましょうねぇ」
先生は優しい声でそういった。僕はその後、先生の顔を見ることができなかった。なぜだかとっても恥ずかしかったのだ。このままベッドに膝をくずして座り、シーツで裸の胸をおおい隠し、できることなら目に涙を浮かべ、右手の親指の爪でも噛んでいたい……・。
そんな光景と共通するものがあるな、針治療の後は。
-永遠-
UFO見たことのある人って結構いますよね。宇宙人に会ったとか、円盤の中に連れ込まれて人体実験されたとか、ネッシーを見た、いや僕はヒバゴンを見たぞ、私はツチノコを発見したわ等々、中には「私が宇宙人だ」といいはってる人もおりますが、まぁそれもよいではないですか。
「ケルティック・ムーン」の録音でアイルランドに行ったときタクシーの運転手に聞いてみた。
「アイルランドには妖精が住んでいると聞いたんですけど、本当ですか?」
「あぁ、本当だぁ」
「運転手さん、あなた見たことあります?」
「もちろんあるっぺよぉ」
「本当ォ?」
「オメ、オラのいうこと疑うだか?」
「いや、そーゆーわけじゃないっすけど」
「オラ、今朝もこの先の大木の下で妖精見ただよ」
「……!!……それってこの近くですか?」
「あぁ、すぐそこの木の下だぁ」
僕はタクシーを止めてもらい、朝方妖精が座っていたと彼がいいはる木の下へと向かった。樹齢何年なのだろう。う〜んこりゃ確かに妖精がこの木の下に座っていたとしても不思議はないわい、と思えるほど立派な木ではあったがさすがに妖精はもういない。
「あ、オメ、なぁんだ、その目は? 信じてねぇっぺ? 本当に妖精はここにいただよ。オラ、この目でハッキリ見ただよぉ。いや、本当だってぇ」
運転手さんは僕が半信半疑のまなざしを向けるものだから半分ムキになってたな。
でもね、僕は小さい頃からわりと幽霊とかを見た方で(今は全く見えなくなってしまったのが残念ですな。やっぱりアノ世界は純粋な心の持ち主でないと接触できないのかもね)その類の不思議をいくつか経験しているせいか、ま、大概の事は起こりうるのではないかと今でも思っているのだ、実をいうと。
ここで昔見た幽霊の話しても、そんなの月並みですから、ここではちょっと珍しい経験をお話しましょう。
小学校二年生の頃、通学途中で起こった話です。
僕は高知大学の横を通る道を通学路に決めていてね、その日もいつものように同じ道を通って学校に向かっていたのだ。
で、いつもと同じように大学の塀の横を歩いていると突然僕の足がフッと軽くなった。
自分は今まで確かに地に足を着けて歩いていたはずである。いや、今でも歩いているつもりなのだが、もう一人の僕はどんどん地上を離れて高く高くどこかへ昇っていっているような気もするのだ。そのうち歩いている感覚はなくなっていった。
僕を占領してしまった新しい意識はどんどんどこか遠くへ飛んで行く。
その時、僕の視点はどうなっていたのであろうか? そこは真っ暗な空間だったようにも記憶しているし、あまりにも速いスピードで飛んでいくものだから周りの状況はただめまぐるしく移り変わるのみでそれがどんなものであったのか僕には認識できなかったのかもしれない。
その時の自分に確信できたのは、自分が凄い速さでどこか知らない所を飛んでいるということだけだ。驚くでもなく、とまどうでもなく、ただある躍動感すら覚え、ちょっとした興奮状態でなすがままにしていたのだが、そのうち少し冷静になりこの出来事には一つの法則があることがわかってきた。静と動が交互にやってくるのだ。つまり猛烈な速さで高い所を飛んでいた僕の何かはいつしかどこまでも低い所へ降りていき、その次にはまた高い所を飛んでいくというただその二種類の動作を延々と繰り返しているにすぎないことに僕は気がついた。
また沈み、また上昇し、また沈み、また上昇し、また沈み、また上昇する。
「ここは宇宙かな? 今僕は宇宙を飛んでいるのかな? どこまで行くんだろう? 宇宙には果てがあるのかな? 果てまで辿りつくと終わりなんだろうな」
また沈み、また上昇し、また沈み、また上昇し、また沈み、また上昇する。
僕はいい加減疲れてきた。
「いつまで続くんだろう? いつまで生きればいいんだろう……生きる?」
その時無意識のうちに頭に閃いた『生きる』という言葉がヒントになり僕は理解した。
「なるほど、この上昇と下降は生と死なんだな。これは僕が死んだり、生まれたりしているんだ。それにしてもいつまでこの繰り返しが続いていくのだろう。もう疲れてしまったよ。休ませてほしいな。誰かこれを止めてくれ」
本当に止めて欲しかった。どこまで行っても休めそうもないこの繰り返しに僕は恐ろしくなってきた。さんざん疲れ果てた頃脳裏にもう一つ浮かぶ言葉があった。
「『永遠』だ。どこまで行っても終わりがない。これが『永遠』ということなんだ。僕は今『永遠』という言葉を体験しているのに違いない。これが『永遠』なんだ」
そう思った瞬間、僕は再び地上に降りていた。振り返ると先程歩いていた場所とほぼ同じ所をまた歩いている。
時間にしたらほんの二、三秒の出来事であったのかもしれないが、僕の意識の中では一〇分間は経っていてもおかしくない。いや、一〇分じゃきかないな。なんせその間、僕は何度も死んで何度も生まれ変わったんだからね。一〇〇年? 二〇〇年? いやいやもっと長い時間を瞬時に駆け抜けていったのかもしれない。
そう考えると時間って一体何なのだろうね? でもその時の僕にとっては時間についての深い考察よりも、遅刻しないで学校に着くことの方が重要に思え、それまでよりも少しだけ速足になって教室へすべりこんだのだ。
この体験はこれ一回では終わらなかった。その後、同じ場所で同じ体験を五回程したのである。もしかしたらあの場所は磁場が少々おかしかったのかもしれないな。
まあまあこんなことつらつら書いたところで結局のところ信じる信じないは個人の自由ですからね。僕はこんな話を皆さんにとっての真実として押し付けるつもりは毛頭ないわけですよ。信じようと信じまいとそれはアナタの自由です。
でもね、僕はね、『永遠』という言葉を体感したことがあるんだよ。
どだ? うらやましーだろ? どだ? どだ? ん〜?
は? 俺は今忙しい? そんな呑気なこといってる暇はない? うるさいからだまってろ?
……あ、そーすかぁ……そー来ますかぁ……どーもどーもこりゃ失礼しましたねぇ・・・・・。
私が悪うござんした……しかぁ〜し! そんな失敬なヤツラにはもう一度いってやる!
僕はね、『永遠』という言葉を体感したことがあるんだよ。
どだ? うらやましーだろ? どだ? どだ? ん〜? どだ? どだ? ん〜? どだ? どだ?
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