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天使 

 一人の男が自分の部屋から忽然と姿を消した。彼の行方を知る人はいない。
『ある晴れた日のことだった。』
 部屋に残された一冊のノートのみが彼の消息を知らせるものだった。
『開け放した窓から』
 だが、誰も彼のノートを信じようとはしなかった。彼の幻想だと思った。
『天使が舞い降りた。
 天使は何故ぼくの部屋にやって来たのだろう。何故ぼくを選んだのだろう。
 いくら聞いてみても天使は答えてくれない。
 天使はただきらめくような笑みを浮かべるだけだった。
 ぼくもその笑顔だけで満足した。』
『天使が来てからぼくは何処にも出かけなくなった。
 出かけている間に天使がいなくなるのがイヤだからだ。
 暑い盛りだと言うのに窓を閉めきり、クーラーの無い部屋の中は地獄のようだが、
 天使の華やかな笑顔があればそれだけで十分だった。
 天使がいてくれさえすれば、ぼくはもう何もいらない。』
『天使は何も語ってくれない。
 ぼくがいくら話しかけても答えてくれない。
 ぼくの言葉が通じないのだろうか。そんなはずはない。
 どうしてぼくのところに来たと言うのか。
 天使はただ、笑みを浮かべ続けている。』
『天使は何を食べるのだろう。わからない。
 いろいろ試してみたがいっこうに食べてくれる気配が無い。
 そろそろ食べる物がなくなってきた。やっぱり外に買いにいかなければならないだろう。
 でも、外に行っている間に逃げてしまったらどうしよう。
 何処にも行って欲しくない。ずっとぼくのそばにいて欲しい。
 こんなぼくのささやかな願いは叶えられないのだろうか。』
『今日ぼくはやむなく外に買い出しに行った。
 不安だった。どうしようもなく不安だった。
 天使がどこかに行ってしまうのではないかと。
 でも天使は何処へも行かずぼくのことを待っていてくれた。
 いつもと変わらない笑顔でぼくを出迎えてくれた。
 ぼくは今幸せなんだと思う。』
『わからない。天使がだんだん衰弱しているような気がする。
 何を食べるんだろう。誰かに相談するわけにはいかない。
 人に知られたら、天使はどうされてしまうのかわからないから。
 天使は何を食べるんだろう。誰か教えて欲しい。
 天使はそれでも笑みを浮かべ続けている。』
『天使が初めて喋った。
 ぼくは今とても幸福なんだと思う。
 それでもいいと思った。
 天使は』
 彼のノートはここで終わっている。
 誰もこんなノートを本気になんかしない。孤独で陰鬱な男の憐れな幻想としか思っていない。
 しかし、ならば部屋に落ちていた一枚の白い羽根毛をどう説明するというのか。
 部屋の真ん中でくるくると羽根毛を回しながら、部屋の中を見渡す。
 本当に彼は何処へ行ってしまったのだろうか。
 そして、天使は。
 窓の外には青い青い空が広がっている。

          * * * * *

 自分の部屋に帰ると、閉めていたはずの窓が開いており、カーテンが風に揺れていた。
 部屋の真ん中で、天使が微笑んでいた。
 素裸の少女。
 背中の純白の羽根。

 天使が艶やかに笑った。

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