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悪夢 

 目を覚ますと、そこはいつもの部屋だった。
 ぼんやりと白い壁を見回す。飾り気のない部屋。
 大きなベッドが部屋の大半を占め、僕はその上に寝ている。
 この部屋はすべて白で統一されていた。
 しかし、一角だけ闇がある。
 ・・また、夜なのか。
 白いカーテンの向こうから顔を覗かす窓の色は黒だった。
 夜景なんてものはない。
 ただ夜の闇だけがそこにあった。
 悪夢を見るようになってから、昼間に目を覚ますことが無くなった。
 もう外の風景も思い出せないほど長い間、僕は悪夢にさいなまれ続けている。
 今も悪夢を見て、目覚めたところだった。
 いつもの悪夢だ。いつもとなんら変わらない怖ろしい悪夢だった。
 体中びっしょり汗をかいていた。息も荒い。
 気が狂いそうだった。
 いっそ気が狂ってしまった方が、どれだけ楽だろう。
 段々落ちつきを取り戻しつつあった僕は、唐突に外が見たくなった。
 できれば太陽も見たかったが、今は夜だからそれは無理だ。
 でも、とりあえず外が見たかった。
 悪夢に浸食され弱り切った体をベッドから下ろそうとした時、
 部屋に一つしかない白いドアが静かに開いた。
 ドアから出てきたのは美しい女だった。
 白い服を着、艶やかな黒髪の女はいつものようにベッドのはじに腰掛けると、
 起きあがろうとしていた僕を押し留め、心配そうに僕の顔をのぞき込んだ。
 その黒い瞳が僕の心をさらに静めてくれる。
「大丈夫?」
 女は静かに尋ねると、僕の体にべっとり張り付く汗を拭き始めた。
「また、あの夢なの?」
 僕はうなずくしかなかった。
 眠るたびに何度も何度も見てしまう悪夢。
 殺人の夢。
 自分が人を殺す夢。
 悪夢の中の僕は、何のためらいもなく人を殺す。
 殺すことを楽しんでいた。
「僕は人を殺したいのか?」
 僕の自問に女は静かに首を横に振る。
 血の感触が、死んだ人の感触が、生々しく甦ってくる。
 絶命の叫びがこだまする。
 耳を押さえても、その断末魔の叫びはどんどん大きくなっていった。
「もう嫌だ」
 こんな悪夢なんてもうたくさんだ。
 僕は人なんて殺したくない。殺したくないんだ。
 だが、嬉々として人殺しをする僕を見ていると、
 すべてが否定されているような気がした。
 すべてを偽っている自分が感じられた。
 本当は人を殺したいのに無理にその欲求を押し込め、
 人殺しでない自分を演じてるように思えた。
 そんなことはない。そんなことはないんだ。
 もう悪夢は見たくない。
「もう寝たくない」
 悪夢が怖かった。
 もう二度と見たくなかった。
 ならば寝なければいい。
 もうそれしか悪夢から逃れる方法はなかった。
 人殺しを肯定する以外は。
「大丈夫。落ちついて」
 女は優しく肩を抱いた。
「あなたは人殺しをしたいなんて思っていない。
 あなたは本当に優しい人だから。
 人を愛してやまない人だから。
 自分の心に自信を持って。
 私がついてる。
 ずっとあなたのそばについてるから」
 そうだ。僕にはこの人がいる。
 この人がいるから僕は僕でいられる。
 僕らしくいられる。
 僕は人殺しなんてしたくない。
 悪夢になんて負けない。
 負けはしない。
 今日はこのまま起きていよう。
 彼女と一緒に朝日を見るんだ。
 朝を迎えられた時、僕はきっと悪夢から解放されるだろう。
 そして新しい日が始まるんだ。
 今日は絶対寝ない。

 だが、睡魔は容赦なく彼を襲った。

 夜の町。繁華街の裏。
 ビルの谷間の薄暗い裏道。
 男と女。
 女はビルの壁にもたれかかり、男はぴったり女に体を押しつけていた。
 夜の闇に溶け込むように二人はじっと動かない。
 周りに音はない。繁華街の喧噪は遠く離れていた。
 静寂を破り、男は言った。
「どうも現実感がねぇみてぇだな」
 ナイフが女の頬の上をゆっくり動く。
 真っ赤な鮮血がにじみ出てくる。
「俺はお前を殺そうとしてるんだぜ」
 女は声が出せない。男の指が女の口に押し込まれていた。
 女の大きな目が恐怖に見開かれ、涙がこぼれ落ちる。
 自慢の綺麗な顔が恐怖に歪んでいた。
 ナイフがゆっくり女の腹に押し込まれていく。
「おい、暴れんなよ」
 男は女の耳許に口を寄せ、つぶやく。
「お前を殺す理由か?
 そんなもんはねぇよ。
 俺はただ殺したいから殺すだけだ。
 そこにお前がたまたまいただけだ。
 お前は運が良かったんだよ」
 女は暴れ続ける。逃れようとする。
 だが、男の力に勝てなかった。
 ナイフがきらめく。
 血が飛ぶ。
 男の服が血を吸う。
 ナイフで切り開かれた腹の中に手を突っ込む。
 ぐちゃぐちゃと音を立てて引っかき回し臓物を引きずり出す。
 嬉々として切り刻み続ける。
 恍惚としてもてあそび続ける。
 男は笑い続ける。声のない笑い。
 闇の中に不気味な音だけが響いた。
「そうだ。理由が一つあったよ」
 男がぽつりと言った。
「反吐が出るような悪夢から、逃れるためかも知れねぇな」
 死んだ女に言った。
 男は女をその場に捨てると。
 夜の街に帰っていった。

 そして今夜も悪夢を見る。
 悪夢は悪夢を産み。
 悪夢は終わることがなかった。

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