野営地を、西陽が茜色に染め上げる。
この時間が俺は好きだ。
日中は俺も何かと忙しく、夜には全員の外出が禁じられる。その中間の、曖昧な自由時間。
ガチガチのお堅い軍規に息が詰まりそうになると、俺はいつも夕暮れの散歩に出かける事にしている。
「おい、また一人で出歩くのか?」
僚友クルガンの声が追いかけて来る。
「この時間は『逢魔が刻』と言うぞ。せいぜい用心する事だな」
「……おうまがとき?」
「そう、人間の支配する昼間の世界と魔物の支配する夜の世界が混じり合う一時の事だ。
お前みたいなうっかり者は、そのうちあっちの世界に取り込まれて帰れなくなるんじゃないか?」
……ンなアホな。
と言おうと思ったらクルガンの眼が笑ってやがる。畜生め!
「ったくガキ扱いするんじゃねぇよ、すぐ戻って来るからな」
腹いせにぷいっと背を向けてやって、俺は野営地を後にした。
「逢魔が刻……おうまがとき、かぁ……」
ひらがなにすると余計禍々しく感じるのは気のせいだろうか。
出掛けに妙な事を言われた反動で、昼でも薄暗い陰気な林の方に来ちまった。
正直言って気分悪い。
確か見晴しのいい崖があったはず、そこから遠くでも眺めて帰るかな……。
が、そこには先客がいた。
「よく来たね、シード。待ってたよ……」
そう言って俺を迎えたのは、年の頃は16、7のとんでもねぇ美少年だった。
俺も以前はひとかどの美少年だった自信があるが、コイツとは比べ物にならん。ケタが違い過ぎる。
っと待てよ、今コイツ聞き捨てならない事言わなかったか?
「待ってたなんて、まるで俺がここに来るって判ってたみたいな言い方だな?」
「細かい事だよ」
「それに俺の名前知ってんじゃねぇか。お前、何者なんだ?」
「細かい事、気にしないでってば」
うわ、ンな色っぽい目付きで睨むのは止めろ!
おかしな気分になって来ちまう。
……おいおい、どうした俺?
コイツは男だぞ、『おかしな気分』って何だよ、まったく。どうかしてるぜ。
と、一人ツッコミを入れてたら、それを見透かしたようにコイツは唇の端をちょいと持ち上げて……笑ったんだろうか?
メチャクチャ淫靡な表情で思わずよろけちまう。
「くすっ……」
微かな笑い声と同時に、ますます吊り上がる唇の両端。
見ちまった瞬間、俺は金縛りだ。もうその顔から眼が離せねぇ。
そんな俺の眼をまっすぐ見据えながら、コイツは手を胸の前に上げて――マジかよ、おい!
――静かに服を脱ぎ始めた。
「な、何してんだよ……」
だらしのない話だが、それだけ言うのが精一杯だった。
しかも弱々しく掠れた声で。
コイツの瞳、魔力でも持ってるってのか?
見据えられると身動き取れねぇ。
ダメだ、眼が吸い寄せられる………。
ぱさり、と薄い服が足下に落ちる。
蛇に睨まれたカエル状態の俺の首に、一糸纏わぬ細い躰が両腕を絡める。
何が何だか判んねぇが、とにかく絶体絶命なのは確かだ。
「や、止めろって……判ってんのか、お前は男で、俺も男なんだぞ……?」
残された理性を振り絞っての、最後の抵抗を試みるが。
「そんなのどうでもいいじゃないか。……僕が欲しくないの?」
さっきと同じ妖しい笑みが、俺の砦を打ち壊した。
俺は魔に捕われたのか。
底知れない奈落に、どこまでも堕ちて行く感覚だけがあった。
クルガン……お前が正しかった……かもな………。
……少しの間眠っちまったらしい。
見上げる空は半分方群青色になっていて、気の早い星が2、3個瞬いている。
やべぇ、こんな時間か。早く戻らねぇと……。
「シード、眼が覚めた?」
首を巡らすと、きっちり身支度を済ませたアイツが眼に入った。
ついさっきまで俺の腕の中でさんざ泣いてたクセに、その跡はかけらも見当たりゃしねぇ。
やたら回復の早い奴だ、詰まらん。
ついでにもっと早く起こしてくれなかった事も気に入らねぇ。
「そろそろ起こそうかと思ってた所だったんだよ」
……人の言いたい事を読むのかお前は。
っつーか、一体誰なんだお前。名前くらい教えろ。
「僕はルック。レックナート様の弟子だよ」
げっ。レックナートってまさか、『門の紋章戦争』の時の……?
「そう、レックナート様は赤月帝国の魔女ウィンディの妹、門の紋章の継承者、運命の管理者。……もっと言おうか?」
……とんでもねぇ奴と寝ちまった。
もういい、これ以上何も言うな。不吉な事は聞きたくねぇ。
とにかく知らなかった事にしよう。
俺は何も聞かなかった。ルックなんて奴は知らねぇし、レックナートはさらに関係ねぇ。
………うん、これでよし。
だけど、天は(というかルックは)無情だった。
止めの一撃はこの後やって来た。
「でね。レックナート様の命で、敵の将軍と情を通じろと言われて来たんだよ、僕は」
なっ……敵だとぉ!?
「お前、同盟の奴だったのか!?」
条件反射で剣を抜く。
別に斬ろうとは思っちゃいないが、このシード様が抜き身を突き付けてるんだ。
敵味方構わずどんな奴でもビビるはず。
だのにコイツときたら、怯えるどころか逆に近寄って来やがる!
「今は敵じゃないってば。ほら、野暮な物はしまってさ」
……この眼だ。眼が悪い。
それに見詰められると俺の意志はどっかに行っちまう。
ルックの手が俺の手から剣を取り上げて勝手に鞘に収める様を、俺は為す術もなくただ見ているだけ。
「相手の候補はシードの他にもいたけどね、僕はあんたを選んだんだよ?」
鞘に触れた手をそのまま俺の腰に回して、上目遣いで殺し文句まで放って来るルック。
だけどな、このまま折れちまう事は俺のプライドが許さねぇ。
奴の肩を掴んでぐいとひっぺがして、最高に怖い顔と声を作ってみせた。
「バカ言ってんじゃねぇよ、こんなのクルガンあたりに知れたら俺だってタダじゃ済まん。
俺が口封じにお前を始末したくなる前に、とっとと俺の前から消えな!」
ルックは真顔で俺をまじまじと見返している。
良かった、何とか効果あったか………。
……と思ったら、いきなりコイツはケタケタと笑うじゃねぇか!
ふーーん、こうやって無防備に笑ってりゃ、妙な色気も吹っ飛んで年相応の可愛げってモンもあるんだな……って、何見惚れてるんだ俺は!
「おい、何笑ってんだよ! 本気で始末されたいのか!?」
「無理しちゃ駄目だよ、シード将軍ともあろう者が保身のために無抵抗の者を殺せるもんか。
ああ、そんな顔して可笑しいったら……」
いけねぇ、処置なしだ。
どうやら俺は、本当に魔に捕まっちまったらしい。
もっともこんな魔が相手ならそれでも構わねぇか………。
「るせぇっ! 俺はもう戻るからな!!」
出て来た時クルガンにしたのと同じように、勢い良く背を向けた。
あの時は昼から夜へ、そして今は夜から昼の世界へ。
昼と夜との間に必ずある『逢魔が刻』……その時また、勝手にルックは現れるだろう。そんな気がする。
最後に聞こえたのは意外な言葉だった。
「浮気はしてもいいけどね、でも相手は女だけ。男は僕以外許さないよ?」
そして、くくっと含み笑い。
まったく、とんでもねぇのに捕まっちまったもんだぜ。