あたしの「I」したゲームキャラ


「あたしの『I』したゲームキャラ」特別編
第二回
「『早乙女よしも』な理由」


私、早乙女よしもは何故に早乙女よしもか?
おいらとつきあいの長いリスナーは知っている人もいるかもしれない。
だが、最近私を知ったリスナーやネタを受け取る側の番組スタッフは何故『早乙女よしも』なのか分からないかと思う。
あまり人に言ったことがないのも要因の一つだが…。
そこで今回は『何故にワタシが早乙女よしもになったのか?』を掘り下げてみたいと思う。


前編「根底に流れるもの」

「あたしの『I』したゲームキャラ」の館林見晴の項を見ていただくと多少は分かるかと思うが、簡単に言うと最初にラジオ番組へ投稿したときの名前が単に「早乙女よしも」だっただけである。
では何故、最初のラジオ番組で「早乙女よしも」を名乗ったのかを思い出してみたいと思う。


1995年当時のゲーム業界では特筆すべきゲームが出現していた。
その後のゲームを一変させたゲーム、「ときめきメモリアル」である。
私もPSのカタログで最初に同ゲームを見たときはカタログにツッコんだものである。
「このヤンキーみたいな髪の色の藤崎詩織ってだれやねん!」と。

その後、ゲーム雑誌を見ていくと所々に「ときめきメモリアル」の情報が。
どうやら疑似高校生活を送って、女の子から告白して貰うSLGらしいと言うことが分かった。
しかも、限定版が出るらしい。
…今も昔も「今しか買えないモノ」に弱い私。
翌日に近くのゲームショップに予約を入れたのは言うまでもない。

1995年秋のPS版発売日。
何かが起こる前触れを感じたのか、この年3回目(新入社員のため)となる有給休暇を使って、引き取り&プレイ。

…。
おもろい。

それこそ、寝食を忘れてゲームに没頭した。
なにせ、今までに出会ったことのないタイプのゲームだったから。
しかも暗黒の青春時代を送った男である。はまる要素は十二分に備えていたと思える。
とにかくサルのようにプレイした。
やった勢いで会社のゲーム好きな先輩達にも進めた。
この辺で、「ゲーム好きでオタな新入社員」と言うのが決定付いた。
サターン版が出たとき、数人の先輩に買わせた事もあった。

#ですよね、●●さんと○○さんっ!(笑)

ゲームプレイ中のある日。私は知り合いから言われたことを思い出していた。

「お前って、はまるととことん突き進むよな…」

まさに1995年の私は突き進んでいた。
はまりこんだゲームのため、つぎ込まれる雀の涙なお給金。
そんなKナミにつぎ込んだ金の結果に、CDドラマ(ラジオドラマ)なるモノがあった。
ゲームの声優さん達が脚本家のシナリオで声のドラマを演じる。
パラレルワールド内のパラレルワールドと言った感じであろうか。

元々、外国TV映画や洋画などで元の俳優の演技よりも声優さんの演技を楽しんでいた私。
「特攻野郎Aチーム」「ナイトライダー」「エアーウルフ」「新スパイ大作戦」
「超人ハルク」「冒険野郎マクガイバー」等々。

Aチームなんかは、個人的に好きな声優さんが多かった。
羽佐間道夫(ハンニバル)さんに安原義人(フェイスマン)さん、
飯塚昭三(コング)さんに富山敬(モンキー)さん…。

とにかく。
様々な巧拙は別にして、ときめきのCDドラマは結構楽しんでいた。
また、本編ととも役者自らのCAST紹介も多少素の部分が見えて好きだった。
そんなとき、ある役者さんが最後の最後で自分の役名をトチった。

「早乙女よしも…あ、早乙女好雄。上田祐司――――」

まさか、その時はその名前『早乙女よしも』を使うとは思ってはいなかった…。


後編「『早乙女よしも』な理由」

その番組とFM局を見つけたのは、99%の偶然と1%の気まぐれが原因である。

正月ボケが直らない1996年1月6日。
茅ヶ崎をうろついて、何も得られずに帰宅。
よっぽど暇だったのか、兄貴の部屋のコンポでFMでも聞こうとチューニング。
プリセットしてあったFM-YOKOHAMAから上に上げてみる。
FM-YOKOHAMA(84.7)…(この間何も無し)InterFM(76.0)…bay-FM(78.0)…783(78.3)…NACK-5(79.5)…TFM(80.0)…J-WAVE(81.3)…NHK-FM(82.5)…82.8?

ん?
このBGMは?
あれ? なんでFMからときめきメモリアルのBGMが流れてるの?
喋ってるのは…。あ! いや、でもまさか…。
今度は番組のジングルだ。
…BGはまたもやときめきメモリアルだ。

『♪♪〜〜〜おさるのさんぽみちっ!』

疑いは確信に変わる。
この番組のDJは館林見晴役の人だ。(←当時はそう言う認識)
声もそうだし、なによりリスナーのはがきがコアラや役名の絡みが多い。
(該当者、今回の番組でも昔の名前でお願いしますよ(笑))
さらに番組終了後、定時の情報や番組などから「鎌倉FM」というコミュニティFMらしいということが分かった。
…当時、祭に飲み込まれようとしていた私。
この「おさるのさんぽみち」を毎週チェックすべし! と心に誓っていた。


月日はちょっと流れ…。
「おさるのさんぽみち」を知って、3ヶ月ほどが経った春の午後。
私はある決意をする。

「なんか分かんないけど、せっかくだからはがきを出してみよう」

と。
とりあえず、コミュニティFMということもあり、そんなには競争率高くないだろうってのが最初の読み。
さらに、3ヶ月間聞いてみて、同じラジオネームが結構あるのに気付いた。
(遅刻の帝王氏、見晴の兄貴氏、とこちゅう氏、777氏、京都府のRYAのりゃあ氏 etc…)

「そんなにこれ(おさるのさんぽみち)を知っている人っていないみたいだよなぁ…」

今にして思えば凄い勘違いである。
後に知り合うどすこいてじま氏(当時、おさる後のカウントダウン番組や深夜放送担当)や小林少年(おさる二代目/さるかに合戦D。当時はゲストが来ると卓をミスるナイス☆ガイ)によれば、「おさるのさんぽみち」の週間投稿枚数(FAX・はがき)は100通前後あったらしい。
相乗効果で鎌倉FMの他の番組への投稿も増えていたそうである。
いつも読まれていたのは、いわゆる常連だったと言う事。

しかし、当時はそんな事を知る由もなく、思いっきり突っ走っていた(笑)。

根本ネタの下書きはすぐに出来た。
当時の私のネタは、地域密着型だったようで、湘南平の桜が綺麗だったという毒にも薬にもならない普通のネタ。
まぁ、今の投稿スタイルが完成されていない頃の書き方なので、改めてみると果てしなく恥ずかしいのだが…。
(「おいら」が「僕」になってたり、「そいじゃ、また」が「でわでわ」となっていたりなど、結構変わっている)

ネタは固まった。問題は名前だ。
当時は恥ずかしがり屋さん(←今でも(笑))だったので、本名で出す気はさらさらなかった。
ならば、ラジオネームを考えないと…。
色々考え、とりあえずコアラ系の名前だけは避けようと思っていた。
他のリスナーとかぶる危険がある。

大体一時間程悩んだのだが、なかなかいいのが浮かばない。
気休め気休め〜と、槇原のアルバムをかけたひょうしに頭の中である名前がスパークした。

「あ! アレがあるじゃない!!」

DJに軽くウケそう(頭に残りそう)で、現状のおさるリスナーならきっとウケる名前がある!

『早乙女よしも』

他人のミスというものは、結構頭に残る。
そのミスを名前として使えば、かなり覚えてもらえるかも。
所詮、この世はインパクト勝負! 掴みが肝心なのだ!(今、CMで本庄まなみも言ってるし(笑))

そして、私がこの世で最初に書いた「投稿ネタはがき」は完成した…。

〒248(当時)
鎌倉市由比ヶ浜3-6-21

鎌倉FM
おさるのさんぽみち
ウキウキウィークリーニュースの係り 御中

               ・
Radio Name 早乙女よしも


…そして一週間後。
DJが半笑い気味で名前を読む。
コーナーのラストでサクラサクのネタでサクラサク。
時間にして数秒なれど、今の私の全てはここから始まった…。


その後の話は本店などに書いてある。
簡単に書くと…。

いつのまにやら同番組の常連になって「早乙女よしも」の名前が売れる。さらに「謎の男」としてリスナー間で話題になる。(1996春)
早乙女、大多数のリスナーに正体ばれる。どすこい手島氏知る。(1996夏)
早乙女の出身校、おさるのさんぽみち終了。(1996冬)
どすこいてじま氏、FM-SOCK(現・FMさがみ)で復活。AM-KOBEで「二浪一ダブ」扱いなど投稿強化キャンペーン(1997春)
TFMの番組でお題採用。FM-SOCK、土曜の名物番組の代打DJとして出す側から出される側の立場体験。(1998夏)

以後、一時期に比べると多少縮小はしたが、どうしても辞められないはがき職人生活は続けながらも、必死に喋り手の方にも食指を動かしている模様。
食指動かしてたら、Now&Knowっと…。

人畜無害、非行歴無しのハガキ職人

a,悪魔の番組に捕まり、ハガキを送りまくる。
b,代打に味をしめ、スタジオ攻撃を繰り返す。
c,人手が足りないので、拉致され、働かされる。
d,ドライバー引退時に「日曜ヒマ?」ときかれ、悪魔の誓約書にサイン。
e,今回、ようやくマンスリーパーソナリティーに採用!


てなかんじなんですわ。
本店の「早乙女よしも史」とあわせてみると面白いかもです。
第一回
「館林見晴」(CV:菊池志穂 『ときめきメモリアル』より)


さて、第一回のキャラはリスナーの皆様にはおそらくおなじみであろうTMから館林見晴をチョイスです。
このキャラクターがいなければ、おそらくはがき職人にも期間限定パーソナリティーにもならなかったでしょう。
そのぐらいおいらの人生変えて行ったキャラクターです。ゲームの中では一応隠れキャラとして扱われています。

そんな隠れキャラである館林と出会ったのは1995年秋。PS版発売の日のことでした。
ゲームをやり始めて、『これは今までになかった形のゲームだ!』と思いっきり熱中しながらやっていたときのこと。
なんだか怪しげな髪型のキャラが疾風のように現れて、疾風のように消えていきました。
『なんやねん! ちゅうか、何回か見てたら気付け主人公!』と毒づきながらも、一言二言喋っては消えていく謎のキャラに惹かれていきました。
よくあるじゃないですか。どうでもいいことが気になる時って。
おいらはどうやら、TMをやってるときがその状態だったようです。
そして、とどめになったのが、いわゆる『222イベント』。
正式名称『たった一度の思い出』と呼ばれるこのイベントで、演技もさることながら内気過ぎる女の子の勇気を見事に描いたシナリオにも感動。
魂に刻まれることが確定してしまいました。

そして、おいらは「ブーム」と言われる祭りの中へ。
散財マッシーンと化し、色々なブツに手を染めていきました。
サントラ、CDドラマ、UFOキャッチャーの景品等々。TMが取り上げられている雑誌もよく買ったものでございます。
とある雑誌で小さな声優紹介をみて、また変化が起こります。

「館林見晴 CV:菊池志穂 主な仕事「FM湘南ナパサ トワイライト平塚」」

頭の中に?マークが4つほど並びました。
地元? 神奈川県人? 平塚のコミュニティ放送? ナパサ?
たしかにゲームのおまけトークで菊池さんは「夜の湘南平」のネタを喋ってます。
数年前(当時)、平塚の学校に収容(笑)されていたとき、「平塚で湘南じゃあねぇ…」と言っていたFM局のようです。
間違いなく近くの局なんですが、当時は番組表を入手する手段がなかったため、タイムテーブルが分からずに断念したもんでございます。
(まぁ、その時は『アンテナ線、ブースター経由コンポ行き』をやってなかったためにナパサが入りませんでしたけどね(笑))

ほとんど783の事は忘れきっていた1996年1月6日12:40頃。
兄貴の部屋でなんか面白いFMでもないかな? とチューニングしてたとき、どこかで聞いたことのあるBGM。
注意深くチューニングを戻します。入った! 82.8MHz? どこ!?
『…あれ? これって朝日奈のテーマ? あ! この音は名前入力やん!』と、TMで使用されていた曲を聴いて驚くおいら。
注意深く聞いていると、パーソナリティーが喋っています。

『あ゛〜〜〜〜〜〜〜。館林の人だぁぁぁぁぁ!!!』

そこから全ては始まったのでした。
B.L.Pの骨格なスタッフさん達との出会い、他のリスナーさんとの出会い、藤原一晴なんかとの出会い等々。
…。
その後のことは、本店の「お世話になってますぅ」(地域課)や「はがき職人の魂」(地域課・はがき職人の華麗な?生活内)に書いてあります。
お暇でしたら、参照してみてください。