バレンタイン狂想曲
2月14日、セイント・バレンタインデー。
キリスト教の聖人・バレンタインの記念日。
3世紀のイタリア、つまり、ローマ帝国において、
徴兵のため、当時は若者の結婚が禁じられてた。
だが、キリスト教司祭のバレンタインは、
若者たちの純粋な愛を尊重して密かに結婚式をあげさせていた。
やがて、このことがローマ帝国に知られると、バレンタインは投獄され、処刑されてしまった。
人々は、最後まで愛を尊重して、それに、殉じたバレンタインを敬い、
それ以来、彼が処刑された2月14日を記念日とした。
バレンタインデーは、女性が男性に愛を告白したり、プレゼントを贈る日とされている。
我が日本では、なぜか、プレゼントは、
チョコーレートを贈るのが、世間一般の常識となっている。
……ま、それはそれとして
「……す〜っ」
少し、深呼吸して
俺は、下駄箱を開けた。
「………………」
靴もとらずに、その中を、じっと凝視する。
……そして
「……はあ」
とうなだれて深くため息をつく。
2月14日、セイント・バレンタインデー。
……ま、今時、下駄箱の中に、チョコを入れるような
古風な人間はいないと思うけどさ……。
「あら、関谷
な〜に、ため息ついてるの?」
うなだれた俺の肩をポンと誰かが叩く。
「ん? ああ。
紺野さん、おはよう」
振り向くと、紺野さんが立っていた。
「おはよう。
ちゃんと、朝ごはん食べてきた?
朝から、そんな調子じゃ、放課後までもたないわよ〜」
ピッと人差し指を立てて、
ちちちと振りながら、おどけた口調でそう言う。
「はは、朝ごはんは、ちゃんと食べたよ」
苦笑しながら、俺は、言う。
「そう? じゃ、なんで?
……うん? はは〜ん、そういうことか」
紺野さんは、何か気づいた様子で、うんうんと頷く。
「……何だよ?」
「ん〜、今時さ
下駄箱にチョコを入れるような
古風な人間は、あまりいないと思うわよ。
そういうのは、昔のドラマか、漫画の世界ね」
俺の後ろ……、下駄箱に視線をやり
ニヤニヤと笑いながら、紺野さんは、そう言った。
「……はあ。やっぱり、そうだよな」
再び、うなだれる俺。
でもなあ、里佳は、あの時……。
……ま、四年も前の話だが。
「しっかし、わかんないわね〜」
俺の方を難しそうな顔で見ながら
紺野さんが、腕を組む。
「? わかんない?」
「あなたとしては、
里佳からチョコを貰えれば、満足じゃないの?」
ピッと人差し指を俺に向けて、紺野さんが言う。
「………そうだな」
少し複雑な気持ちで答える。
……でも、貰えるとは、限らないんだよな。
俺と里佳の場合は……。
「あれ? 何か、複雑そうな顔ね」
「そんなことないよ」
「ホントに〜?
……ん〜、もしかしてさ、あなたと里佳の間で
バレンタインに、何か、特別なことでもあったの?」
紺野さんが、眉根を寄せて、疑問の表情を浮かべる。
「………っ!」
ギクリと、俺は肩を震わす。
……紺野さんは、こういうことに関しては
相変わらず、カンが鋭い。
「そ、そんなことないよ」
「そう? な〜んか、怪しいわね」
「……いや、でもさ」
動揺しているのを気取られないように
俺は、話題の転換を図る。
「でも?」
紺野さんの問いに、
俺はへへへと笑いを浮かべ
「やっぱり、義理でも本命でも
一個より二個、二個より三個、貰うほうが嬉しいからな」
と言った。
ちなみに、全くのウソではない、半分は本音だ。
……まあ、里佳の前じゃあ、
口が裂けてもそんなことは、言えないが……。
「ん〜、質より量ってヤツ?」
「そんなもんかな。
やっぱ、もらえるモノは、全部、貰いたいし……」
「へえ、じゃあさ、
それが、可愛い女の子からだったら?」
ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
紺野さんが、俺に聞く。
「そりゃあ、ものすごく、嬉しい……かな」
ポリポリと自分の鼻を掻きながら、
俺は、そう答える。
……すると、紺野さんは
「……ふうん。
さあて、朋貴は、こんなことを言ってるけど
どうする、里佳?」
と腕を組みながら、そんなことを言った。
……って、里佳だって!?
「へ?」
その場で、俺は固まる。
り、里佳がここに来ている? い、一体、どこに?
「………………」
俺と紺野さんが話していた
場所のちょうど死角にあたる位置から、
ゆっくりと里佳が姿を現す。
あああああああああああああああああああ……。
「それじゃ、私、先に行くから
あとは、恋人同士、ごゆっくり〜」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら紺野さんは
ポンと俺の肩を叩いて、教室の中へと入っていった。
「り、里佳?」
「………………………」
じっと、里佳を見る。
里佳の表情は、怒っているというか
喜怒哀楽の感情が消えていて、全くの無表情だ。
……逆に、それが怖い。
「あの……その……
今のは、冗談って言うか……その……」
しどろもどろになりながら、俺は、言い訳を言う。
まずい、どうしよう、かなり、ヤバイ!
「………………………」
「……会話のノリというか……その……
俺は……その……」
だが、無表情な里佳の
あまりの怖さに、俺は言葉が上手く出ない……。
「………………」
「……な、なんていうか、ご、誤解しないでくれ……」
そう言うと
「うふふふふふ……」
と突然、里佳が笑い出した。
「? 里佳?」
いぶかしげに俺は声を上げるが
「うふふふふふふふ……」
里佳は相変わらず、笑ったままだ。
「うふふふふふふふ……」
「………………」
「うふふふふふふふ……」
「あ、あはははは……」
分けのわからないまま、俺も笑う。
きっと、俺のことを、許してくれたんだ。
そうに、ちがいない。
……っていうか、そうであってくれ!
「うふふふふふふふ……♯」
「あはははは……」
……でも、気のせいかもしれないけど
里佳の目、全然、笑っていないんだよな……。
「うふふふふふふふ……♯」
「あ、あ、あはははは……」
……っていうか、昔、こんな話を聞いたことがある。
人間って怒りの臨界点を超えると、笑い出すっていうのを……。
「………………」
突然、里佳がピタリと笑うのをやめる。
……そして
「……朋貴」
笑顔だった里佳の顔に、
全く、逆の感情が広がっていく。
『怒り』という感情が……。
そして、その感情は、振り上げた里佳の右手に……
「り、里佳、ま………」
バッシーン!!!
「ふぐぉっ!!!」
皆まで言う前に、俺の頬に、
里佳のビンタが炸裂した。
・
・
・
『……私の負けね』
去年の春。桜が舞う出会いと別れの季節に
俺と里佳は、美空中学を卒業して、
志望校にも二人揃って、晴れて、合格して
……そこに至るまでにいろいろと紆余曲折はあったけど
オレンジ色に染まった河原で、
皆に祝福されながら、晴れて、俺と里佳は恋人どうしになった。
……だけども
「……イテテ」
二時限目の終わり、一向に消える気配を見せない
里佳から食らった、流派東方○敗が最終奥義石破天○拳
……もとい、ビンタの痛みに、頬を押さえて、痛みに耐えていた。
里佳め、常日頃から、
バレー部のアタッカーとして鍛えているだけあるな。
ま、それはそれとして
里佳って言うのは。
良くも悪くも、真面目なヤツで
勉強にも遊びにも、とにかく真剣に取り組む。
そのせいか、メチャクチャ負けず嫌いでもある。
典型的な、熱血体育会系人間ってヤツで
……カッとなったら、すぐに、手が出る。
まあ、俺以外の人間には、あんまり手を出していないようだが
いつから、こんな男勝りな性格になったんだか……。
でも、今回は……
「……はあ」
ため息をつく。
ため息の理由は、今日の朝の事件だ。
紺野さんにそそのかされ、気づいていなかったとはいえ
流石に、あの発言は、まずかったな。
お互いに仲直りして、謝ったとはいえ
俺と里佳にとって、バレンタインは……。
「……はあ」
ため息をついて、ますます自己嫌悪に陥る。
俺って、どうしてこうなんだろう……。
アイツ、怒っているだろうな……、
アイツ、悲しんでいるだろうな……。
「……はあ」
ため息をまたつくと、そこに
「おやおや、冬だって言うのに
お前のほっぺたには、キレイな紅葉が咲いているな」
と俺をからかう声が、頭の上から聞こえた。
「……実、嫌味か? それ?」
頭を上げて
ビンタの跡をニヤニヤ見ている声の主を、俺は、睨む。
久保田実……。小学校からの腐れ縁ってヤツで
結局、高校も一緒になった、俺の、親友兼悪友だ。
「はははは、そう怒るなって
同情しているんだからさ。
ま、朝から、災難だったな」
「……はあ、まったくだよ」
言って、俺は、ため息をつく。
「しかし
そういうことを言う、お前も悪いけどさ
柳瀬も柳瀬で、短気だよな〜。
何も、ビンタすることはないと思うけど」
「……ははは」
腕を組みながら言った、実の言葉に
俺は少し苦笑した。
柳瀬里佳。俺の小さな頃からの幼なじみで
そこに至るまで、色々と紆余曲折はあったけど、今は俺の恋人だ。
負けず嫌いで、良くも悪くも、真面目な性格である。
……そして、昔は、そうじゃなかったんだが
口より先に手が出るタイプだ。
「昔は、おとなしい、
女の子だったのになあ……はは」
「おいおい、苦笑して済ますなよ。
ドメスティック・バイオレンスっていうのは
結構、深刻な、社会問題だぞ」
と冗談交じりに、実が言う。
「……そうか、それなら、やっぱり
み○もんたに、電話しなきゃいけないかもな」
と俺も負けじと冗談交じりにそう返しところで
「はぁ〜あ。久保っちも関谷も、
さっきから、な〜に、馬鹿なことを話してんのよ」
紺野さんが少しあきれた表情で、俺達のところにやってきた。
ん? あれ? 手に手提げ袋を持っているけど、何で?
「お、紺野か」
「あ、紺野さん」
紺野遊季……美空中学で三年に上がった頃に
仲良くなり、結局、高校も一緒になった女の子だ。
運動神経が良くて、頭の回転が速い。
トレードマークのツインテールが、良く似合っていて
とりあえず、黙っていれば、
そこそこ可愛いん女の子なんだけど、性格がちょっと……。
「ん? なんか、
失礼なこと、考えていない?」
ジロリと紺野さんが俺を睨む。
「……いえいえ、何にも」
慌てて、釈明する、俺。
……あとは、こういう風に、カンが異様に鋭い。
まあ、基本的には、実と同じく、悪友兼親友ってところかな。
ちなみに、里佳とも仲がいい。
「あ、そういや、
さっき、俺を見捨てただろ?」
「まあね」
しれっと紺野さんが答える。
「まあね。
……っておい」
「でも、直接の原因を作ったのは、あなたよ。
私が止めても、里佳は怒っていたと思うけど?」
言って、紺野さんは、びしっと俺の鼻先に指を突きつける。
「う、それは……」
ぐうの音も言えず、口ごもる俺。
……そこに
「まあまあ、二人ともそれくらいに……。
それで、何か用なのか? 紺野?」
と実がストップをかけ、紺野さんに聞く。
……そういや、何の用だろ? 紺野さん。
「ご挨拶ね〜、バレンタインでしょ?」
言って、紺野さんは、シャチのイラストがプリントされた、
意外に可愛い、手提げ袋から、ごそごそと何かを取り出した。
「ま、一応、日頃から、
色々、付き合ってくれている、お礼ってことで、はい」
言って紺野さんは、俺達にチョコを渡した。
「おう、ありがとう」
「ありがとう」
俺達はそれぞれ、チョコを受け取り
「おい、コラ、紺野……」
受け取って一秒も経たないうちに
実が、紺野さんに食って掛かる。
「あ〜ら、何? 久保っち?」
「コレは、一体なんだ」
わなわなと怒りに震えながら、
実が、紺野さんから貰った『チョコ』を見せる。
それは……
「無印良品の百円麦チョコ
安くて、量があって、栄養たっぷり
なかなかいいと、思うけど?」
「そういう意味じゃなくて!!」
「うっさいわね〜。別にいいじゃないの
久保っちには、結由ちゃんていう立派な彼女がいるんだから」
「……それは。
でも、朋貴の方は、板チョコだぞ」
ピッと、俺の持っているチョコを指差して、実が言う。
「あら、値段的には、同じよ」
と平然と紺野さんが返す。
「…………………………」
俺は手に持ったチョコをしげしげと見る。
確かに俺の持っているのは、
コンビニとかでよく売っている、普通の板チョコだ。
でも、気のせいだろうか?
『特価58円』っていう値段シールがついているんだが……。
「まあ、日頃の行いの違いじゃないの?」
ふっと口の端をゆがませ笑いながら、紺野さんが言う。
「何だと!」
「まあまあ、実、落ち着け」
と俺は、なだめる。
……はあ。この二人、決して
仲が悪いってわけじゃないんだけどな。
こういうこと言うと、二人から怒られるかもしれないが
実と紺野さんって性格的に似ているところがあるんだよな。
近親憎悪というのか? そういうせいで、ケンカすることが多い。
「うおお! 止めるな、朋貴」
「だから、落ち着けって」
なおも激昂する、実をなだめる。
……はあ。何にしても、
その度に付き合う身のこっちとしては、疲れるよ。ホント。
キンコンカンコーン
とそこで、チャイムが鳴る。
「あ、教室に戻らないと
それじゃあね、久保っち、関谷」
言って、紺野さんは、教室の方へ戻っていった。
・
・
・
キンコンカンコーン
鐘が鳴り、休み時間になって
「……ふう」
息を一つついて、俺は机を立つ。
「お、どこいくんだ?」
と実が俺に聞く。
「ん……、ちょっと、トイレ」
「そっか、いっといれ〜」
「寒っ」
実の下らないギャグに
そう返して、俺は教室を出た。
「……………ふう」
出た瞬間、息を一つつく。
もちろん、トイレに行くなんてウソだ。
里佳の教室に行って、今朝のことを謝らないと……。
ちょっと、憂鬱な気分だけど、悪いのは俺なんだし……。
「………………」
……さて、どう謝ろう?
やっぱり、『今朝は、ごめんな』
って最初に言って、何とか機嫌を直してもらうようになだめて………
そんなことを歩きながら、考えているうちに
「……………っと」
里佳の教室に着いた。
「……すぅー、はぁー」
深呼吸を一つして気持ちを落ち着かせて、教室に入ろうとして
「…あ」
「…あ」
いきなり、教室から出ようとした里佳と会ってしまった。
「………………………」
「………………………」
言葉が出ず、お互いに黙りこむ。
う、ヤバイ! いきなりなんで、何か言葉が出てこない
と、とにかく、今朝のことを……。
「……り、里佳、あのさ……」
「……………どいてよ」
ギロリと里佳が俺を睨む。
「う…………」
その視線に圧されて、俺は里佳の前からどく。
「………………………」
里佳は無言で俺の横を通り過ぎようとする。
……やっぱり、怒っているな、今朝のこと。
でも、今、ここで謝っておかないと……。
「待てよ、里佳」
「きゃっ!」
里佳の肩をつかんで、無理やり、俺の方へ向かせるが
「………………………」
だけど、その時の里佳の表情は……。
「……………あ」
その表情に驚いて、俺は思わず肩から手を離した。
「………………………」
里佳はただ無言で、俺の前から足早に去っていった。
(………あいつ)
たわいないことだけど、傷つけたことは自覚していた。
もちろん、それが悪いってことも……。
だから、謝りに来たんだけども、
アイツのあの表情は、あの時と同じだった……。
(…………俺は)
俺は、その場にボーっと立ち尽くした。
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