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「あっはっはっは!」

 その時どこかから、甲高い笑い声が進藤の耳に届いた。
 進藤は首を方々にめぐらして声の主を追ったが、それに該当するような人物は周囲には見あたらなかった。
 群衆のほかは、少女が刀を麻袋に直す姿があるのみである。
 それを終えると、もはや先刻の派手な立ち回りを演じてみせた少女とは別人のように進藤の目には映った。
 まだまだあどけない顔立ちをした、普通の少女そのものである・・・というには、そこらに横たわっている黒服達の惨めな姿がかなり邪魔ではあったが。

「知るか、だってさ。そんな無茶な。どうすんのかね、そいつらの始末は。」

 笑い声と同じ声の持ち主が、進藤の判らないどこかからまた、聴こえてきた。
 すぐ近くにいるようには感じられるのに、やはり姿を見ることができないでいた。

「羽鳥、余計だよ今のは。」

 少女が姿無き声に応えて、空を仰ぎ見た。

「そう?まあいいじゃん、結果は良しだったんだし。」

 なんのことはない、見えないのではなく単に上にいたというだけなのだった。
 そこは大帝国劇場の高い二階からせりだしたテラスで、声の主はそこから歩道を見下ろしつつ、手にしていた林檎を皮つきのまま噛っていた。
 よく見れば先ほどまで神山が立っていたそのそばに、痛んだ林檎が一つ転がっている。
 神山が銃の狙いを外したのはテラスからこの林檎をぶつけられたためなのだと、ようやくのことで進藤は理解した。
 少女の言う余計なこととは、これを指すのだろう。

「どうぞ。」

 少女が差し伸べた手の扱いに進藤は多少困惑した。
 進藤はいまだ、神山に跳ねのけられて腰をついたままだった。
 さすがにそれは情けないと、一人で立ち上がりほこりを払いながら少女に謝意を告げた。

「どうもすみません、大変な迷惑をかけてしまったようです。」

「いえ、お気にめさらずに結構です。このような所で事を荒だてられて、もとよりこちらとしても見過ごすわけにはいきませんでしたから。」

 ほとんど模範ともいうべき少女の丁寧な物腰に好感を抱いた進藤は、先刻から頭の中を駆け巡っていた考えを話した。

「あの、もしかしてあなた・・・いやあなた達はこの大帝国劇場の関係者なのですか?」

「はい、そうですがそれがなにか?」

「やはりそうでしたか!」

 着物姿で刀を振るう少女に進藤はかつての花組の一員だった女性の面影を見た。
 そしてその見立てに間違いはなかったようである。

「実はわたしは帝都日報の記者で進藤と申します。今日は復活するという花組の取材でやってまいりました。迷惑をかけておいて重ねて申し訳ありませんが、お取り次ぎ願えませんでしょうか。」

 少女は少し呆れたような表情で進藤に応える。

「はあ、新聞記者の方が喧嘩をなさっていたんですか。」

 しかしそれも一瞬のことで、頭を垂れて自己紹介をした。 

「ボクは帝国歌劇団花組三沢陽花です。ようこそ、大帝国劇場へ!」




 進藤は三沢陽花と名乗った少女の後について、来賓用入り口から大帝国劇場へと入った。
 全体的に荘厳につくられている劇場は通路の一つまでもが高い天井に覆われ、純日本産日本人であるところの進藤は少々気押される思いがした。
 前を歩く陽花の方はそのようなことは気にも留めていないようであった。
 単に慣れなのか、それとも陽花はこれが当然の環境で育ったのか。

 来賓用入り口のすぐそこは事務室となっていた。
 進藤はそこに、先ほど二階のテラスにいた女性をその中に発見した。
 事務員であるらしい、二人の女性とともに話を弾ませているようだった。

 陽花のほうが、三人に向かって声をかけた。

「羽鳥、お客様なんだからあいさつしなきゃだめだよ。」

「へえ、そうだったんだ。俺は帝国歌劇団花組の如月羽鳥。まあ男だからあんまりヨロシクなくてもいいや。」

 似合ってはいたが陽花だけでなく羽鳥も男言葉での挨拶であった。
 その内容にはいまいちそぐわなかったが、透き通るような美しく響く声である。

「!またキミはいつもどうしてそういう・・・」

「まあまあまあ、二人ともここからは私たちの仕事だからさっさとどっかへ行きなさい。べつに暇でもないんでしょ。」

 口論になりかけた二人を事務員の背の高い方が遮った。

「あ、ずるいよ。かすみさんだって今俺と話してたくせに!」

「それはそれ、これはこれよ。」

「そういうわかんない理屈を持ち出すところを見ると、かすみさんもそろそろおばさんの仲間入りなのかなあ。もう31だったっけ。」

   かすみと呼ばれた事務員は、明らかに気分を害した様子で羽鳥に唸った。

「羽鳥君・・・たとえ真実だとしても言ってはならないことって、世の中には意外とたくさんあるのよ。そういうことを言っているとあなたもすぐにおばさんになっちゃうんだから。」

「おお恐い。はいはいすいません、もういきます。」

 そう言って羽鳥は陽花を伴って通路を奥へと消えていった。
 かすみは打って変わった笑みを進藤に向けて言った。

「帝都日報の進藤記者ですね。連絡は承っております。到着されたら二階のサロンへお通しするよういわれております。あちらの階段から二階へどうぞ。」

 確かに大人の対応ではあるが、ここらへんが羽鳥のいうおばさんのおばさんたるゆえんなのかもしれない。
 いささか失礼なことを考えつつ進藤は促されるまま、階段に足を向けた。

 しかし、背後から洩れ聞こえるおし隠した笑い声を進藤は聞き逃さなかった。

「くっくっく、おばさんだって。」

「うるさいわね、由里だって三十路まであと少しでしょ。」

「まだ28だものあたしは。」

「来月で29でしょうが!あっというまよ30なんて。」

「おうおう実感がこもっておりますなあ。」

「いいわよ!あたしはもう結婚してるもの。由里の結婚式の司会を随分前に頼まれているけど、いったいいつになるのかしらね。」

「ああ!言ってはならんことを!」

 聞いているとなかなか興味をそそられる内容であったが、進藤は階段を登りすぐそこのサロンへと足を踏み入れた。
 サロンは広く、ここもまた天井がかなり高い。
 二階まででも通常の建物の二倍の高さはありそうだ。
 広いだけでなく四つほど置かれたテーブルは格調も高くいかにも高価そうである。
 テーブルと揃いの椅子も同様で、背もたれには細かい装飾が施されてあった。

 進藤はその内の一つに腰を下ろしたが、どうにも落ち着くことが出来なかった。
 一つにはこの豪華な西洋建築に不慣れであるということもあるにはあるが、本当のところは目的の人物との対面が間近に迫ったためであった。

 それにしても、あの陽花と羽鳥が新生花組の団員であるわけか。
 それにしては少々若く感じられる。
 羽鳥の方はいかにも男役が似合いそうではあったが。

 その後十分ほどの時を待つ間に、事務員の由里の方が進藤にお茶を持ってきてくれた。
 そして通路の奥から、羽鳥がサロンへやってきた。

「こんにちわ、記者の人。」

「やあ、羽鳥さんだったね。」

 記者の人とはまた妙な呼ばれ方をしたものだ。
 進藤は改めて羽鳥に名を名乗った。
 羽鳥は袖の無い空色の上着の下に半袖のシャツを着ている。下はゆったりしたズボンで脛の辺りでぎゅっと絞っていた。
 やや茶色がかった髪は短くさっぱりしており、はちまきをしめている。

 羽鳥は進藤と同じテーブルに着くと、ことわりもせずに由里がお茶とともに運んで来た洋菓子に手を伸ばした。
 進藤は苦笑しつつもこれも取材とばかりに羽鳥にたいして質問を開始した。

「羽鳥さんも花組の一員なのだよね。」

「それはさっきも言ったよ。」

 羽鳥の言いぐさは不躾であったが、本人に悪気は無いように見えた。
 恐らくは誰に対してもこの調子で通しているのだろう。

「今の花組は全部で何人くらいいるのかな。」

「なに?取材なのこれも。」

「そうだよ。答えてもらえないかな。」

「じゃあ新聞とかにも載るんだ!」

 とはいうものの羽鳥はそれほど喜んでいる風にも見えなかった。

「うーん、はっきりとは判らないけど五人かな。」

 五人とは少し少ないような気がしたが、羽鳥の言うはっきりとは判らないという所を突っ込んで聞いてみたところ、こういう返事が返ってきた。

「支配人がいざとなったら出るって息巻いてるから。でもまあ頭数足りてないから、復活公演も本当に出るかもしれない。」

「支配人が出る?ええと確か大帝国劇場の支配人というのは米田という陸軍上がりのおじいさんではなかったかな。」

 羽鳥は菓子を運ぶ手を休めることなく、進藤の質問に耳を傾けている。

「それに支配人は男だろう?」

「別に男でも問題ないよ。それに米田のじいちゃんは引退したよ。今は二代目になってる。」

 それは初耳であったが、それ自体はあまり花組とは関係ない事のように思われた。

「二代目支配人はね、女の人なんだよね。」

 羽鳥の返答をあまり気がのらずに聞いていたが、その後の羽鳥の台詞にはさすがに驚いてしまった。

「ところで記者さんさあ、なんかさっきから勘違いしてるでしょ。」

「え?なんだい勘違いっていうのは。」

「花組の舞台に立つのは女だけだと思ってない?」

 進藤は羽鳥の言う通り、そのように考えていたがそうではないらしかった。

「俺は男なんだけど。」

「ええっ!?」

 そうはいうものの、羽鳥はとてもではないが男には見えなかった。それにしては瞳は大きいし、まつげは綺麗に長く反っている。
 身体つきもかなり華奢で、なにより男というには顔立ちがすっきりしすぎている。
 女であるが男に見えなくもない。
 全体的にはそういう印象を与える容姿であった。

「そ、そうなんだ。悪かったね羽鳥さん・・・あ、いや羽鳥君なんだね。」

 ・・・ということは、先ほど事務のかすみが言っていた「おばちゃんになってしまう」というくだりは、単なる皮肉であったのか。
 進藤は思い返した。

「別に慣れてるからいいよ。女だって思う奴にはそう思わせておいた方が、なにかと都合もいいんだ。」

 進藤はあえて聞き流したが、美しい少年の言う都合というものの内容をいぶかしまずにはいられなかった。  

「ま、平の団員としては俺が初めてって話だね。そういえばレニ先輩には皆三ヶ月もだまされてたって、すみれ様がいってたっけな。・・・・・・あ、レニ先輩は俺の逆だよ、念のため。男だと思ってたら違ったという。」

 進藤が目を白黒させているところへ、彼にとっての今日の主役たる女性が姿を現し、声をかけてきた。

「お客様となにを話しているの、羽鳥。」

 サロンに近づいて来たのは、艶やかなる二人の女性であった。
 一人は桜色の上品な着物に身を包んだ和装の女性で、いま一人は対照的に紫色の春物のドレスを着込んだ洋装の女性で、二人とも年相応の落ち着きを見せた美人であった。
 五年振りに目の当たりにするその御姿に、年甲斐もなく進藤は目頭が熱くなるのを抑えることが出来なかった。
 ひどく興奮して、心臓も通常の三倍はかくやという暴れようであった。
 羽鳥に声をかけたのは洋装の女性の方である。

「あ、すみれ様!」

 そして和装の女性の方が進藤のいる前まで近寄り、ゆっくりと頭を下げて言った。

「初めまして。帝国歌劇団花組をまとめさせて頂いている真宮寺さくらでございます。」  

 そう、それは間違いなくあの「リア王」の舞台に立っていた真宮寺さくらと神崎すみれの二人であった。


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