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「あの子たちですか。そうですね、おっしゃるとおり見込みはあるんですがどうも皆問題児ばかりで、毎日毎日手を焼いています。」 そういうとさくらはこめかみに手を当てて唸った。 「陽花はやり過ぎるし羽鳥は言うことを聞かないし、風央はあのとおり方向音痴だし。ファルナが頑張ってくれるので、彼女の手を借りてなんとかやっていくつもりです。」 さくらの話をきくと、どうにも若い世代を教育する苦労がしのばれてならなかった。 そういう意味では、学校の教師というのはまさに聖職である。 「ファルナ君は気性が激しそうに見えましたが。」 「あれでファルナは面倒見のよいこですから。」 そういえば汽車の中の騒ぎの後も、彼女は行きずりの老女に優しかった。 むしろあれがファルナという少女の本当の一面なのかもしれない。 「そういえば、羽鳥君はすみれさんに弱いようでしたね。」 「ええ。元々羽鳥は神崎家の使用人の子なんです。それで小さいころからすみれさんが可愛がっていたので、彼女には頭が上がらないんですよ。」 一通りの話を終えたさくらは、最後を復活講演に向けての抱負で締めくくった。 「旧花組が築き上げた花組ですから、生半可な舞台は見せられません。何としても成功させなくては、マリアさんやカンナさんたちに申し訳が立ちません。もっと気合いを入れなくては・・・・・・」 やがて進藤とさくらの眼前に、緩やかな波を水面に巡らせた池が姿を見せた。 上野公園の名所の一つ忍不池である。この池は本来寛永寺のものであったが、太正十一年に東京市に下賜されたものである。 寛永寺といえば九年前に帝都を騒がせた天海が関東天台宗の総本山として東京の鬼門に当たる上野を選び、その鎮護として建てたものなのだ。 「進藤さんおつき合い頂いてありがとうございました。目的地の忍不池です。」 進藤はここに何か脳裏に引っかかるものがあって、ずっと気になっていた。さてそれはなんであっただろうか。 「そういえば、ここへ来るのは仕事であると劇場でも言っていましたね。」 「はい、そうですよ。」 「私にはいまいち花組の活動内容とどう関連しているのかが、よくわからないのですが。」 しかし進藤のその問いに対してさくらは黙して語ろうとはしなかった。 ただじっとどこか悲しそうな瞳で、池の水面を見つめている。 その表情は微笑んでいるようでもあり、懸命に涙を堪えているようでもある。 とても一般の・・・さくらほどの年齢の女性の出来る表情ではなかった。 小さなその身体でどんな人生を送ればこのような表情が出来るのだろうか。 池は今日の陽気も手伝ってとても穏やかで、小気味良い春の情景を漂わせている。 今、さくらの眼に映っているのは、なにか別のものなのではないか。 だとすればそれはなんなのか。 それをぜひ知りたい。 そう進藤に思わせたのは、記者としての魂だろうか。 それとも・・・。 二人して押し黙ってしまい、奇妙な空気の満ちる時間が一時その場を支配した。 先に静寂を破ったのはさくらのほうだった。 「涙が出ない・・・。」 「は?。」 「涙が出ない、そのことが悲しい、そういう経験は進藤さんにはありますか。」 進藤は腕を組み、少し考えて問い返した。 「難しい話ですね。それはなにか哲学的な命題ですか。」 「そんな上等なものではありません。単なる実体験としてのことです。」 「いえ、そういう経験はありませんね。去年に祖父を亡くした時は、年甲斐もなく泣いてしまったりはしましたが。」 「わたしは・・・わたしは、あります。それも毎年の今日のことです。はっきりと覚えています。最初は4年前、それから毎年。」 どう返事をすればいいのか、その時進藤には判らなかった。 軽々しく返事をすること自体が、罪悪のように感じられたのだ。 出来ることといえば黙って話を待つ以外に無かった。 「さっき言いましたよね。ここ上野公園は大神さんと初めて出会った思いでの場所だって・・・。9年前のことです。」 「ええ。」 「その大神さんと会えなくなって8年、最初の年は大神さんがいないことを耐えようと花組の皆と励ましあって、でも次の年からは耐えられなくて、ここに来て一日泣いて・・でも・・・。」 話すさくらの姿はいかにも辛そうだった。 心の中に積もり積もった鬱積を吐き出そうとしているようで、進藤に語りかけているのではないいようにも思える。 「でも、4年前からは泣けなくなりました。 わかりますか、私はそれがすごくショックだったんです。 なんでだろう、どうしてだろう、ずっとずっと待っているつもりだったのに、私の気持ちが変わってしまったのか。 それとも長い間に気持ちが薄まってきてしまったのか。 9年前の今日のことです。 あの人に出会って薄曇っていた私の世界は、一瞬で劇的に変わりました。 わたしだけじゃありませんよ。 すみれさんも紅蘭もです。 あの気持ちは、あの気持ちだけは絶対に忘れることはない、永遠に大切なものでありつづけるんだ・・・そのはずだったのに・・・。 人の気持ちなんてそんなものなんでしょうか。 そう思うと悲しくてしょうがないんです。」 進藤は考え違いをしていた。 真宮寺さくらとて自分とたいして歳も変わらない、一人の女性であることには違いなかったのだ。 そんなことはない。 人は成長するものだ。 いつまでも泣いていたところで、なにかが変わるわけではない。 あなたは気持ちが変わってしまったのではなく、心が強くなった、大人になったその証拠なのだ。 考えすぎるのは、よくない。 だから、あなたはいままでどおりにその人を待っていればいい。 あなたの見込んだ人なら、必ず帰ってくる・・・。 進藤の胸裏には、そう浮かんでいた。 実際、そう口にしようとして寸前までは来ていた。 言えば、それで良かったのだろう。 彼女も本当は全て判っていて、誰かに言って欲しかったのではないだろうか。 それを奇しくもかの大神氏に出会った同じ日に現れた、同じ名前の人物である進藤という人間に託そうとしたのではないだろうか。 そうとでも考えなければ、今日の好運は出来すぎである。 だが、進藤はそれを口には出来なかった。 それは怒りである。 これほどまで自分を自分で傷つけながらもなお待ち続けるさくらを待たせ続ける、大神という男が許せなかったのだ。 なにをさておいても、帰ってくるべきだ。 自分ではその代わりにはならないか? 進藤の心の中で、なにかが「そう言え!」と命じていた。 それが天使であるか悪魔であるかはわからない。 ただ、玉砕してもともとのことだ。 言え! 言ってしまえ! 辺りは鳥がさえずり、どこかから犬の鳴き声もする。 進藤ごときの身ではあまりに不遜にあたるかと思い、なかなかふんぎりがつかなかったが、それも時間の問題かと思われた。 だがしかし、本日三度目の珍入となるある人物の来訪が清水の舞台から飛び降りるに等しい偉業を阻むこととなった。 てかてかに固めた頭に背広に眼鏡、両手に一杯の薔薇の花束を抱えている。 進藤は運命の女神の気まぐれを呪いつつ、思わず天を仰いだ。 「神山子爵・・・・・・!」 驚いたように言ったのはさくらである。 すみれに連れられて社交界に顔を出したさくらは、得るものも多かったものの厄介事もしょいこむ結果となった。 その厄介事の大半を占めるこの神山子爵が、自分から呼びもしないのにまたも現れた。 「探しましたよ、さくらさん。相も変わらずお美しい。帝国歌劇団花組の復活を祝いに参りました。」 かさねがさね物腰は優雅な男であった。 しかし見るものが見れば、その奥に潜む軽薄な本性を見抜くはずである。 しつこくさくらに求愛を迫る神山を彼女が苦手としても当然といえばそうであったであろう。 「おや、その男は!」 どのみち進藤は覚悟をしていたが、神山はさくらの傍らに立つ男の正体に気付いてしまった。 「今日はたびたびお会いしますな。方角が悪いのでしょう。これも天運と諦めますか。」 進藤のしかめた眉は、話している間も元には戻らなかった。 「なぜ貴様がここにいる。さくらさんこの男は一体どこの馬の骨ですか。」 その問にはさくらの代わりに進藤本人が答えた。 「私は帝都日報文芸部の記者で進藤というものです。今日は花組復活講演の取材でして。」 「ふん、三流記者がさくらさんに近寄るものではない。所詮は住む世界がちがうのだ。三流記者なら分相応に風俗の取材でもしていたらどうだ。」 神山の台詞には毒と嘲笑がたっぷりと含まれていた。 基本的に温厚な進藤もこれには黙ってはいられなかった。 「ふむ、確かに子爵殿とは住む世界が違いますな。私には汚水の篭った盆地にはとうてい住めませんからな。まったくその生命力の愚鈍には敬服しますよ。」 進藤の挑発に神山は鋭敏に反応した。 その様を活動写真にでも記録しておけば面白い見せ物になったに違いない。 思わず笑ってしまうほど鮮やかに顔色がまず青に、続いて赤に変化したものである。 「女の前でいいところを見せようとでもいうのかね。その逆にしかならんというのに。わたしと三流記者風情では、格が違うわ!」 進藤とてこの瞬間も後悔はしているのである。 しかし神山という男は進藤に盾つかせんとする何かを所持してしまっているのだ、少なくとも今日のところは。 「よしてください進藤さん。神山さん、その花は受け取らせて頂きますから、気持ちをお収めください。」 さくらの言葉に神山は多少は気を落ち着けたものの、進藤に対する敵意はなおくすぶり続けた。 「すみませんがさくらさん、このような低級市民にはしらしめてやらねばならないのです。その根性を正してやるのが、我々華族の勤めという物なのですよ。」 さくらに諌められては進藤としては本来は、矛を引くしかないのだが神山がやる気充分とあっては、もはやそういうわけにもいかなくなっていた。 「華族ですか。ひょっとして蚊属の間違いではないのですか。」 「それ以上言うものではないぞ三流記者風情が。」 過去にこれほどまで神山にたてついた者が連続して現れた日はなかったに違いない。 既にその甲高い声はヒステリーが入混じって聞くにたえないものと化しつつあった。 どうせえらぶるのであるなら、堂々と悪びれずずっしりと構えて頂きたいものだ。 それならまだし、やられがいもうまれてくるというものだろうに。 それが進藤の本音であった。 然るに神山はしょせんは上流階級を詐称する小物にすぎないのだろう。 神山が合図をすると、案の定いかつい男達が四方八方から姿を現した。 今度は黒服だけではない。明らかにやくざものと知れる者も多数混じっていた。 芸が無いと言えばそれまでではあるが、これはそれだけに効果的であった。 いったい何人いるのかもしれないが、進藤が余命を心配する程度はどう見てもいる。 「神山さん、暴力に訴えるのはあまり感心しません。引いてくれはしませんか。」 そのさくらの言葉にも聞く耳は持たず、神山は進藤を捕らえるよう指示する。 「もう一度言います。引いてくれませんか。」 神山の返答はあっさりしたものだった。 「くどいですな。」 「ならばもう仕方ありません。」 「仕方無いからどうするというのです。そうだ、この際あなたも力ずくで神山家にきてもらいますよ。」 さくらは少しだけ目を閉じて黙ったが、次に目を開けた時それは服従ではなく決意のこもった光が宿っていた。 気持ちの切り替えは既に終えていたようだ。 それも彼女の強さのあらわれだろう。 そして、神山にとって意外というしかない一言を放った。 「あなたは可哀相な人です。」 「な、なに?」 「あなたはいったいなにを大切なものと信じて、この世界を生きているのでしょうか。それが判らないあなたは可哀相な人というほかはありません。」 さくらはなにを思ったか、誰もいない後方に向けて言った。 「あなたたち、来ているのは判っているわよ。でていらっしゃい。」 そこにいたすべての者が少し待つと、木陰から現れる四人の少女の姿があった。 言うまでもなく新生花組の面々である。 「華族華族っていちいちうるさい奴よね。ほんとかどうかわかりゃしないっていうのに。」 「すみませんさくら先輩ボクはその、止めたんですけど。」 「なんだよもう!せっかくいい雰囲気になって来たと思ったのに、つまんないや。」 「やったのです!忍不池までついにこれたのです!」 どの声が誰かはあえていうまい。 四人のうち三人の姿を見咎めた神山は大声をはりあげた。 「何者だ!貴様らは!」 四人のかわりにそれを束ねるさくらが応えた。 「神山さん。彼らが復活する花組の隊員達です。」 「ほほう、そうですか。しかし彼らは世間の厳しさを知らない悪い子たちのようです。お灸をすえる必要があります。」 神山の言い分は、自分を遥か遠くの棚に置いて鍵まで閉めてきてしまったとしか思えないものだった。 人間ここまで傲慢になれるものなのだろうか。 「陽花、羽鳥、ファルナ、どのくらい欲しいかしら。」 「そうだな、三分もあればいいんじゃない?」 「いや二分で充分過ぎてお釣がくるわ。」 「一分でいいです!」 部下たちの進言を聞いてさくらは命じた。 「それじゃあ間をとって二分でやってきなさい。」 それに対して三人は声を揃えて応じた。 一旦命を受ければ、その行動は迅速なことこのうえないもので、進藤の目でその全容を捕らえることは出来なかった。 彼らは男達の襲撃を待つような真似はせず、逆に自ら仕掛けていったのである 。 まとまってではなくばらばらであったため予測を越えたか、男達の対応は致命的に遅れた。 陽花が鞘をつけたままの刀を縦横無尽に振るう。 その軌跡は鋭く無駄がなく、小さな身体は想像しえない小嵐を思わせた。 真剣ではないとはいえ、日本刀というものは総じてかなりの重量があり、ひとたび身体を打ち据えれば容易にその骨を砕くのだ。 少女の動きには人を傷つけるのだというためらいが微塵も感じられない。 それが進藤にも少女の苛烈な過去を雄弁に物語るのだった。 羽鳥の動きは三人の中でももっとも早く、進藤にはその残像すら見えるのではと思わせるものだった。 男が武器を振るうよりも速く懐に潜り込み拳での必殺の一撃を腹部にめり込ませていく。 その一撃を受けたものは倒れながら逆流する胃液を吐き出している。 そして次の標的を視野に捕らえると、指を弾いてなにかを男に飛ばす。 それは小さい鉄の玉で、その充分な威力をくらったものは顔をおさえてのけぞる。 羽鳥はそれを見逃さずさらなる一撃を加えんがため、駆け寄っていくのだった。 ファルナの姿はまるで闘いというより華麗なるダンスというべきであった。 彼女が身を翻すたびに、豊かな金髪が宙を舞い踊るのである。 ファルナも羽鳥と同様に素手であったが、打ち込むのではなくただ手で触れるだけでおそるべき反動を生み出した。 いや、それだけではない。 情勢不利と見て逃走を決め込んだ男に対しすっと手のひらを向けると一言つぶやいた。 「赤の刺激。」 その言葉が号令となったかのように、ファルナのテから赤く光る筋が弾け飛び大気を切り裂いて男の背に直撃する。 彼らが身につけた技を振るう度に確実に男達はその数を減らしていった。 そしてさくらが与えた二分後に残っているのは神山只一人となったのだ。 進藤の予想を遥かに越える一方的な強さを彼らは見せつけたのだった。 「ば、ばかな。」 神山もそうこぼすほかはあるまい。 驚くべきことに少女達は息すら乱していなかった。 「あ、あいつまた逃げるぞ。」 神山のみっともない姿を羽鳥が笑った。 もはやこれほどの恥を目の前でかかされては二度とさくらの前に姿を現すことはないであろう。 しかし、神山の逃走は実を結ばなかった。三人が手を下したわけではない。 その足首を倒れていた黒服の一人が、捕まえたのである。 「なにをする貴様!離せ!」 だが黒服はそれには従わなかった。 かわりに言葉を返した。 「また逃げるのかてめえは。やってられるか!」 「なんだと!護衛風情が大きな口を聞くな!首にするぞ。」 「やるならやれ、もうあんたの子守はたくさんだ。」 黒服が殴ると、神山はあっさりとひっくりかえった。 茶番劇もここまでくるとさすがに笑えなかった。 五人とも嫌なものを見てしまったという表情である。 「あ〜〜なんか気分悪いわ。」 「ファルナ。」 「なあに?さくら。」 「覗いてたこと、後で説教だから。みんなもね。」 「そ、そんな!」 そうしてなんと無く立ち惚けていると、乱闘に参加しなかった風央が突然声を張り上げた。 「黒い気が池の方に吸い込まれているのです!」 |