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 風央の声に花組の面々は鋭敏な反応を見せた。
 ついぞ今まで神山らに向けていた矛先を池に対して向け直す。
 進藤はなにがなにやら事情も判らずに彼らに習い池面を注視したが、神山をあっさりと無視するに至るなにかを発見することは出来なかった。
 
「不思議ね。結局のところ風央が自分で仕事を果たしたわ。」
 
 さくらが四人に向かって苦笑を浮かべた。
 
「風央、すみれさんに連絡を。」
 
「はいなのです。」
 
 風央は懐からなにやら黒い卵大のなにかを取り出した。
 進藤ははっと気づいた。
 それは確か進藤が風央と大帝国劇場への行程でぶつかった時に、彼女の鞄からこぼれた機械式のお守りである。
 
 風央がそれの上部と下部を握り互い違いに捻りを加えるとそれは、甲高い機械音を発しはじめた。
 それが合図となった訳ではなかろうが、不意に春の陽気で溢れていたはずの上野公園の空気が変化し始めたように進藤は感じた。
 立っているだけでなにやらどす黒く重苦しい気分になってくる。
 
「風央は進藤さんをお守りして。
 進藤さん、ちょっと予定外のことがあったせいでこれから信じられないあるものを見ることになりますが、風央に従って落ち着いていてくださいね。」
 
 そういうさくらの目からは、さきほどまでの春のこもれびにも似たやさしいあたたかさが消え失せ、あらたな炎が燃え盛りはじめていた。
 それは陽花達三人のそれと同質であり、闘う意志のあらわれであった。
 進藤の知るところによればさくらは女だてらに北辰一刀流の剣の使い手であるはずである。
 
 風もないというのに水面がざわめいた。
 それは波ではない。
 水面そのものが振動しているのだ。
 
 進藤だけでなく神山以下部下の男達もその異様な光景を眺めていたが、その中の一人がぽつりと漏らした。
 
「河童だ・・・」
 
 それでようやく進藤も思い出すに至った。
 同僚も追いかけている忍不池に連日出没するという河童の話を。
 進藤の心に引っかかっていたのはこれだったのだ。
 
 しかしという気持ちもある。河童というのはすべからく頭に皿がありキュウリが好物で、人間と相撲をとるのを趣味としているものではなかったか。
 少なくとも進藤の河童に対する認識というのはそういうものであった。
 だが、これはそのようななまやさしいものでは有り得なかった。
 
 池一帯をまがまがしい邪気が充満した。
 そしてそれはおもむろに怪物と呼ぶほかはない姿を現した。
 体長は四メートルはあろうか。
 一部一部を見るのならばそれは昆虫に似ていたかも知れない。
 いびつな体から妙に細長い四肢が伸びている。
 そのさきに生えているのは鍵爪であろう。
 壊れた傘のようにしわくちゃでみすぼらしいものではあるが羽も二枚揃っている。
 だが、それが直立二足歩行をするとなると、これほどまでにおぞましく見えるものだろうか。
 かまぼこのような形状の頭部には眼がないのに、それは周囲の様子を察知しているようだ。
 
 進藤もこの異形の生物の名を知っていた。
 九年前の聖魔城事件と七年前の太正維新において帝都を恐怖のるつぼに招いた存在。
 
 降魔だ。
 上野公園の河童とは降魔であったのだ。
 
「ひえ!か、怪物だ。」
 
 いまや主人を完全に置き去りにして男達はちりじりに散っていった。
 無理もないことだが、あえて神山を守ろうとするものは一人としていなかった。
 さくらの解説ではこうである。
 
「降魔は人の負の想念を糧として力とします。おそらくは先ほどの乱闘でもって、ここにいた全ての者の戦意をやつが取り込むことで急激な活性化を遂げたのでしょう。」
 
 進藤もそれは判ったが、どうにも納得のいかないことが逆に脳裏を駆け巡った。
 
「なぜ、そのようなことを知っているのですか。さくらさんは最初から河童の正体を知っていてここへ来たのですね。」
 
 さくらはそれに対し、ええ、と答えるのみであった。
 
 進藤らの姿を認めた降魔は、池から這いあがりつつあった。
 このままでは鍵爪による死も確実であろう。
 
 突然、公園を暗闇が襲った。
 
「来たわね。」
 
 さくらが空を見上げるのに進藤も習うと、そこには太陽を覆う巨大な影があった。
 
「あれはいったい・・・」
 
 その問にさくらは一言をもって答えた。
 
「翔鯨丸。」
 
 風央の手元から、聞き覚えのある声がした。
 もはやあの黒い卵がお守りなどではなく、小型の通信機であることは明白であった。
 
「お待たせしたかしらさくらさん。」
 
 さくらは風央から通信機を受け取ると、それに向かって語りかけた。
 
「いいえ、速かったですね。さすがはすみれさんです。」
 
「ほほほ。誉めてもなにもでませんことよ。それでは光武を降ろしますわ。」
 
 その瞬間、翔鯨丸なる飛行船から五つの大きな球体が地響きとともに落とされた。
 
「ちぇ、すみれ様はやることが大雑把だから恐いよ。」
 
 羽鳥達がそれぞれ球体に近寄ると上半分が卵のように割れて中から、色とりどりの・・・卵とおぼしき物体が顔を見せた。
 そう、卵に色を塗って粘土かなにかで作った手足をつければ、あのようなものが出来るだろう。
 それは上半身が開閉し中に人間を収容することができるようになっており、花組の五人を飲み込んでいく。
 それは蒸気機関が発する特有の回転音を発し、生き物であるかのごとく足音も重く活動を開始した。
 
「まさか、あれは!」
 
 その姿に進藤はいろいろあった本日の最大の衝撃を受けた。
 それこそまさに降魔に対抗し二度の事変に勝利した、帝都の正義の象徴にほかならない。
 
「帝国華撃団!」
 
 帝国歌劇団と帝国華撃団。
 両者の関係を勘ぐる者はいるにはいたが、それは都市伝説に過ぎないはずであった。
 進藤ら記者の間でも、太正維新を帝国海軍との連携によって退けた華撃団は軍になんらかの形をもって連なる存在であると考えられていた。
 少なくともこれまでは。
 だがしかしそれは現実のものとなって進藤の前に姿を見せたのである。
 
 帝国華激団の代名詞である桜色、黄緑、灰色、赤茶色、白色の五色の霊子兵器光武は見た目に反する軽快な動きで降魔に肉薄する。
 
 さくらの乗った光武から、声が響いた。
 
「進藤さん、危険ですから風央の影に隠れていて下さいね。」
 
 言われずともこの場で進藤に出来ることはなにも、無い。
 一機残った赤茶色の風央の光武におとなしく隠れるのみだった。
 
「ようし、いくぞぉ!」
 
「陽花気をつけなさい、そいつは酸液を吐くわよ!」
 
 さくらの忠告よりも早く、既に池から上陸を果たした降魔は濡れて不気味に黒光りする身体をのけぞらせ、勢いよくツバをもっとも近くにいた黄緑色の陽花機に向けて吐き出した。
 光武の装甲たるシルスウス鋼をも腐食する醜悪な強酸の飛沫、その軌道の下を姿勢を低くした陽花機は、素早く潜り抜けた。
 心に闘争の恐怖心というものがあるならば、これは言うほどたやすくはないはずだ。
 闘いにのぞむ覚悟がそれを可能にする。
 一気に距離を詰めた陽花機は,降魔の懐に潜り込んだ。
 降魔とて知性体である。
 陽花機の接近を察知し、鋭い鈎爪を降り下ろす。
 鈎爪とそれを受け止める刀身が、耳障りな激しい金属音を鳴り響かせた。
 異形の生命体にも、力負けしていない。
 実は三沢陽花は新生花組の中で一番小柄な身体であるにも関わらず、最大のパワーを誇るのである。
 
「うりゃああああああぁぁぁぁっ!!」
 
 陽花は握る刀に力を込め、鈎爪を弾き飛ばした。
 体勢を大きく崩した降魔を見逃さずに斬りこんでいく。
 
「鉄文字流冥葬剣、九ーーーーーッ泉!!」
 
 まともに当たれば文字どおり冥葬必死の必殺剣九泉(くーせん)は、浅く入ってしまった。
 胸元を大きく引き裂かれはしたが、もともと痛覚が無いのか強引に鈎爪を横なぎにふるった。
 だが、この攻撃は陽花機に永遠に到達することは無かった。
 届く前に腕ごと斬り飛ばされ、無惨にも宙を舞ったのだ。
 切断面からどす黒い液体が跳ねて散った。
 その血は赤くはなかった。
 
「!!羽鳥、君はまた余計な!」
 
 疾風のごとく駆け抜けた灰色の羽鳥機が擦れ違いざまに忍者刀を閃かせたのだ。
 陽花が力なら、羽鳥はまさしく速さこそが武器であった。
 
「今のは割って入ってこなくても避けられたんだ!」
 
「まあ、いいじゃない。今ので陽花の手番は終わりさ。」
 
 さすがの痛手に降魔も斬り裂くような絶叫をあげた。
 進藤はむりやり心をこじ開けられて、直接心の奥底に轟かされるようなそのすさまじさに、身体を震わせた。
 
「大丈夫なのです。あれくらいの下級降魔なら私たちの光武の敵ではないのです。」
 
 風央がそう言うと、風央機から白く輝く霧のようなものが立ち上り進藤の周囲を覆った。
 なにが起きたのかは彼には判らなかったが、不思議と心に巣くっていた恐怖心が晴れるように消えていくのを自覚した。
 風央の持つ慈愛の霊気が放つ聖なる力だ。
 彼女の力は闘いに向かないかわりに、救いの奇跡を起こすのだ。
 しかもそれは強力にして強大無比であり、本来霊気を持たない人間の目には見えないはずのそれが、輝くほどに見えるのだ。
 
 羽鳥の使う剣は陽花の刀よりも若干短い。
 多用途に使われるいわゆる忍者刀である。
 そう、如月羽鳥は戦国の世から脈々と連なる如月流忍者の末裔であった。
 忍者は平和の時代にあっても常に影の存在であり主君に忠実に仕えることを旨とし、それは太正の治世ですらも変わることはない。
 
「上じゃすみれ様も見ているし、無様なところは見せられないよな。」
 
 羽鳥の今の主君こそ、神崎すみれそのひとである。
 彼にとって親よりも大切な存在、生き死に闘う理由の全てであった。
 見た目よりもずっと真摯な少年なのだ。
 羽鳥機は不格好な指を器用に操り、印を結ぶ。
 九字からなる秘文が一族でも最大を誇る羽鳥の霊力と結合し、破壊の力へと変化する。
 
「如月流奥義!妖撃滅殺線!」
 
 死の奔流がうねりを上げて降魔の胴を直撃し、陽花の攻撃が産んだ傷をさらにえぐっていく。
 忍法であった。
 
 光武の中でファルナの瞳が光る。
 その間の眉間には多少のしわが寄っていた。
 彼女は少し気に入らなかった。
 なんだかんだいっていつも羽鳥は陽花を助けるからだ。
 だが、今はそれを降魔にぶつければいい。
 ファルナの光武も手に剣を持っているが、それは陽花や羽鳥の使う日本刀とは違い幅が広く刃も両方についている。
 西洋式の両手剣でバスタードソードという種類のものだ。
 アメリカで起きた南北戦争の英雄を祖母に持つファルナの武器は、祖母譲りの剣と魔法であった。
 ルーンの彫られた剣をかざすと、中空に光る文字の羅列が描かれた。
 ひとつひとつの文字が意味を持ち、それが組あわさることで魔法を発動させる鍵となる方程式となる。
 今ファルナはそれに破壊のプログラムを与えた。
 そしてそれは言葉によって発動する。
 
「赤の刺激!」
 
 方程式は霧散し、光線に生まれ変わって降魔を襲う。
 その威力は降魔の手足をへし折り、もはや息も絶え絶えに陥っていた。
 
「うわ!あぶないじゃないか!」
 
「避けなさいよそのくらい!」
 
 光線は陽花機をかすめていた。
 彼女はこういうだろう、べつに狙ったわけじゃない、と。
 
 桜のはなびらが舞い踊っていた。
 いつのまにかに忍不池を覆いつくすほどの桜の花びらが乱舞している。
 それは太陽の元であまりに幻想的な空間を演出していた。
 進藤も一時闘いの最中であることを忘れ、見入ってしまうほどの美しさであった。
 やがてはなびらは降魔を中心に渦を巻きはじめた。
 これが自然現象ではありえない。
 はなびらも本物の桜ではなく、一人の剣士の巻き散らした剣気であった。
 真宮寺さくらの・・・。
 
「降魔は元の世界へ帰りなさい。破邪剣征・・・奥義!」
 
 さくらの剣勢とともに、はなびらは螺旋を描きつつ降魔に殺到する。
  「天舞鳳桜華!!!!」
 
 降魔の全身を桜が覆いつくし、霧消したあとには既にその姿は跡形もなく消え去っていた。
 
 わずか1分あまりの闘いは、終わった。
 
 
 
 翔鯨丸が再び球体に収まった光武を回収し飛び去って行くと そこはもう壮絶なる闘いがあったとは思えない、いつものように市民に憩いの場を提供するただの上野公園があるのみであった。
 
「進藤さん、やっぱり驚かれましたか?。」
 
 進藤はあまりの衝撃からいまだぼうっとしてさめやらない頭を振った。
 
「ええ、さすがに・・・自分の中でどう受け止めれば良いものやら、わかりません。」
 
「・・・忘れてください。」
 
「そんな無茶を言わないで下さい。あの出来事はわたしの人生の中でももっとも衝撃的なものでした。そんなことが出来るはずがありません。」
 
「それでも、です。今お見せした帝国華激団花組は、あくまで浮き世に隠れる影の存在です。知らないでいるに越したことはないんです。知っていれば、巻き込むことにもなりかねませんから。」
 
 さくらは心底申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
 
「正直今日のことはわたしの失策でした。降魔が今日、いきなり顕在化するような事態になるとは思わなかったんです。すみませんでした。」
   
「やめてください。それを気になさることはありません。記者という人種の輩は、この偶然を喜びと感じないようでは勤まらないのですから。」
 
 それは進藤の本心であった。
 これが災難などであるものか、素晴らしい体験でなくてなんであったろうか。
 きっと一生忘れることなど無いと確信できる。
 
「そう・・・ですか。進藤さんが良いお方で、本当に良かった・・・。あ、それと。」
 
 さくらは不意に頬を赤らめ、思い出したように付け足した。
 これが先程、降魔を一刀のもとに斬り捨てたのと同じ人物だとは進藤にはどうしても思えなかった。
 
「あの、ちょっと恥ずかしい事も話してしまいましたが、あれもちょっとした気の迷いでした、出来ればあれも忘れてください。」
 
 進藤は体を硬直させた。
 さっきは神山の珍入によって時期を阻まれてしまったが、女性にして闘いに身を投じるさくらを支えたいという気持ちは一層強いものになっていた。
 言うなら今からでも遅くはない・・・。
 
「ちょっとさくら、なにやってるのよ!早く帰って稽古するんでしょ!」
 
「そうね、今行くわ。
 ええと、進藤さん、公演の初日にはいらっしゃるんですよね。」
 
「はい、もちろんです。」
 
「ではその時にまたお会いしましょう。それでは・・・。」
 
 結局のところ進藤はこれ以外にはないという好機を逃してしまった。
 さくらはまだ大神という男をこれからもずっと待ち続けるのだろう。
 
 そして五人は、舞い散るはなびらもはかなく壮麗にして美しい上野公園の桜並木のなかに消えていった。
 
 彼らの奏でる笑い声がうっすらと残響音となって進藤の耳にいつまでもこだまする。
 
 進藤は見えなくなるまで五人の姿を見送り、夢でも見たかのような表情でつぶやいた。
 
「現代のお伽話し・・・か・・・。」
 
 いまから本社帰れば、忍不池の河童騒動の顛末を記事にするために忙しくなるだろう。
 だが、彼らがあの帝国華激団の正体であるなどとは書けるはずもない。
 書くつもりもさらさら無かった。
 
 記者にとって書けない記事は、無かったことと同義語である。
 
 
 
 上野公園の事件から一週間の後、花組は復活公演の初日を迎える。
 五年振りの花組の舞台に帝都市民は拍手喝采を浴びせ、公演は大成功に終わったということである。
 
 
 
<完>


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