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小麦色の肌の少女と三度目に別れた後、まもなくして進藤の視界に大帝国劇場の壮麗なる威容が目に入ってきた。いよいよ、あの花組の面々とまみえることができるのだと思うと、進藤は年甲斐もなく緊張してきてしまった。不思議なもので一分でも早く会いたいという一方で、もう少しこのはやる気持ちを味わっていたいという相反した感情が微妙に責めぎあっていた。
そんな進藤に横槍が入ったのは、さあとばかりに意を決した時のことである。
黒塗りの大型車が大帝国劇場の横で速度を落とし、停車した。なにやらその車の外観自体が威圧的に感じられる。
そして困ったことに、進藤はその広い後部座席を占領する人影に見覚えがあったのである。おおよそ、これ以上はないくらい最悪といっていい再会であった。
進藤はさすがに渋面を隠せなかった。先ほどまでの高揚した気分が一瞬にして霧散してしまった。
「神山・・・。」
そう、その人物は汽車でもめごとを引き起こしたあの神山修三子爵だったのである。何故に神山がこの大帝国劇場の姿を見せるのかは進藤には知る由もないが、恐らくは汽車に乗っていたのもここが目的地であったのだろう。どうにも忌むべき偶然というべきであった。
神山は先に降りた黒服の一人にドアを開かせ、厳かに車を降りた。そして、別の・・・見分けをつけるのはいささかの努力を必要とするのだが・・・黒服の男から豪華絢爛たる立派な薔薇の花束を受け取った。
その時まずいことに、神山は進藤に気付いてしまった。
「おや、お前はどこかで見たな。ああ、確かに見た。どこだったか。」
進藤は内心たのむから思い出してくれるなと天に祈ったが、どうも彼の神への帰依は不足していたようである。彼本人も自分が信仰に深いとは思っていなかったから、半分はあきらめていた。
「そうだ、思い出した。貴様はあの汽車に乗っていたな。間違いない。」
進藤は呆れた。進藤と自分が大学の同窓であることも思い出せないくせに、いらないところにだけよく頭が働くものである。
「ええ、あなたの言う通り乗っていましたが、それがなにか。」
この際進藤は無関係を決め込む腹であったが、神山はそれを許さなかった。
「丁度いい所で会った。俺は先刻からどうにも腹の虫が治まってくれんのだ。あの小生意気な小娘にはもう会うことは無いだろうから、かわりに貴様でもって気を沈めるとしよう。」
神山がさっと右手を挙げると、素早く黒服達が進藤をとりかこんでしまった。逃げ出す間もない見事な手際であった。
「やれやれ、また暴力ですか。神山子爵、あなたは進歩のない人ですな。」
その挑発に神山の眉尻がぴくりと跳ね上がった。進藤はけして剛胆な男ではないのだが、今日は奇妙な出来事が続発するせいか、少々感覚が鈍くなっているらしい。
「なんだと。いうではないか、一般庶民ごときが。」
「進歩の無いついでです。勲章も持ち出してみますか。今お持ちでおられるのなら、ぜひ拝見させて頂きたいものです。」
進藤は言葉使いこそ丁寧であったが、その口調には明らかに嘲笑が入り混じっていた。彼らしくもなく格好をつけた言い回しに本人も多少の驚きを禁じえなかったものの、一方で後悔の念もあった。黒服達は金髪の少女にこそ遅れをとったが、たとえ一対一でも進藤の手におえるとはとてもじゃないが思えない。
「貴様・・・庶民ごときが華族の俺を愚弄するか。いいだろう、お前たち遠慮はいらんからやってしまえ。殺しさえしなければ警察などどうにでもなる。」
進藤は我が身を呪った。一度くらいは目上の者に好き放題言ってみたかったが、その代償は小さくはなかった。僅かの間に、もはや確実であろう病院暮らしに思いをはせた。救いがあるとすれば、一人暮らしでだれも心配するものはいないことだが・・・あまり救いにはなっていないかもしれない。
進藤の頭を衝撃が襲った。
次の瞬間には地に伏し土を噛んでいた。
「待て!。」
ふいに修羅場に割り込む声があった。痛みにかすむ視界の中で、かろうじて進藤はその声の主をとらえることが出来た。頭がぼうっとしているので聞き間違いかと思ったのだが、間違いなくそれは年端もいかぬ少女のものであった。
若草色の着物を着ている・・・というより、着物に着られているといったほうが正しいような、ちんまりとした少女であった。髪を後ろで三つ編みにして垂らしている。
その少女は大帝国劇場の入り口から現れたようだった。
「なんですかお嬢さん。なにか御用ですかな。」
神山という男は、男と女で痛快なほどあからさまに言葉使いが変化する。
「こんな天下の往来で一体なにをしている。通行人の邪魔だし、大体ここは大帝国劇場の入り口だぞ。迷惑だからすぐに退去してもらいたい。」
見かけは子供でもはっきり堂々とした物言いの少女であったが、しかし神山らはそれにたいしてさほどの感銘も伝わらなかったようだった。
いままで一言も発しなかった黒服達も皆で粗野に笑った後に少女に向かって言った。
「子供の出る幕ではありませんよ愛らしいお嬢さん。それともまさかとは思いますが、あなたが我々を追い払うとでもいうのですかな。」
その言葉には明らかな揶揄が含まれていたが、少女はあっさりとそれを無視して答えた。
「そうだ。」
少女の返答は少年の物言いで単純にして明快であり、それが初対面である進藤にも少女の人柄を連想させた。
「たった一人を相手にこの人数。しかも自らは手を下さないとはあまりに無責任だとは思わないのか。」
「真に力のあるものは、その手を汚さないものですよ。」
「いいや、それは違う!力あるものとは、己が身体に重く大きな業を背負いそれをけして表には出さないものを言うのだ。軟弱と怠惰の正当化をしないでもらいたい。」
少女の大きな瞳には、強い意志が光をたゆたわせてらんらんと溢れていた。それが高潔で毅然とした物腰にも、無理の無い自然な形で表れていた。
「えらそうなことをいいますね。それがあなたの信念というわけですか。」
十代とおぼしき少女に軟弱とまで言われてしまった子爵は、眼鏡の奥の筋肉をひくつかせて、声をふり絞った。
「信念ではない。真実だ。」
「小娘がほざくものではありませんよ。」
少女は手にしていた細長い麻袋の封を解きながら、言った。
「ともかく、理不尽なる暴力があなたの流儀というのならば、ボクも教えに従い流儀で返礼するのみ・・・」
そして少女は麻袋から、驚いたことに竹刀などではなく立派な装飾が施され黒光りする鞘に収められた日本刀をすらりととりだしたのである。さすがにこれには神山以下黒服達もたじろいだのだが、少女が次に発した壮絶な文句に二重の衝撃を受けねばならなかった。
「この刀は・・・未だ無銘なんだ。まだ叩き上げられてから日も浅く、これといったいわれなどは無い。そう、由来は無く、いわば真っ白だ。だが人の赤い血をその刀身に受けることあらば、この刀も鮮やかな刃紋を宿らせ新たな銘を授かることとなるだろう。」
可愛らしくあどけない顔からは想像もつかない凄まじい台詞を紡ぎだす少女に、さすがの黒服達も本気でたじろいだ。その主君のほうはいうまでもなく、引きつった顔を蒼白とさせている。
しかし、進藤はそんな少女の姿から、ある連想をせずにはいられなかった。
大帝国劇場、女性、着物、刀・・・・・・これらの要素のあてはまる人物に進藤はこころあたりがあったのである。
もしやこの少女は・・・。
そして少女は刀を鞘を抜かないまま左下段に構え、言葉を続ける。
「この刀の銘となりたくば、かかってこい!」
「や、やれ!」
黒服達は未だ歩道に腰をついている進藤をはなれ、少女に襲いかかっていった。相手も武器をもっているためか、各人いつのまにか砂の詰まった麻袋を手にしている。こんなもので打ちすえられては、少女の華奢な身体など一撃で骨まで砕いてしまうだろう。
だが、目にもとまらぬ速さで刀を振るう少女は多勢に無勢のなか、一歩もひかずに渡り合った。同時に複数の黒服を相手にしながら、砂袋を的確に打ち払い五合十合と立ち回っていた。それだけでも賞賛に値する腕前と言えたが、しかしさすがに黒服達に一打ちを与えるまでには至らないようであった。このままではいずれ疲れて致命的な一打をうけることになってしまうだろう。
白昼の乱闘劇の中、戦う黒服達の主は少女の消耗を待てるほど気の長い男ではなかった。やおら背広の懐に花束を抱える左手とは逆の手を突っ込むと、鈍く光る金属の塊を取り出した。
汽車の中でも青恥をかかされる羽目になった神山は本日の忍耐力をすでに使い果たし、錯乱に陥っているとしかおもえない状態であった。
神山の手にしたのは西洋式の小型拳銃だったのである。華族に連なる神山が銃をもっていたとしてもなんら不思議はないが、まさか銀座の路上でそれを持ち出すとは!
少女のほうは黒服達相手に奮戦するので手一杯で、それには気づいていなかった。
「や、やめろ神山!」
さすがにいつまでも地べたに鎮座しているわけにはいかず、進藤は神山に起き上がりざまに掴みかかった。
しかし悲しいかな「うるさい」とばかりに少女に軟弱呼ばわりされたはずの神山に一蹴されてしまったのである。さすがにこの時ばかりは進藤も、脆弱たる我が身を呪わずにはいられなかった。
「なに心配はいらんよ。これはあくまで護身用であって、人を殺傷するほどの能力は持っていないのだ。まあ、目に当たった時などはその限りでは無いがね。」
神山は少女に銃口を突き付ける。この距離では訓練を受けたことのある神山が狙いを外すことはありえなかった。そして銃の引き金をおもむろにひいた。
天下の往来に銃声があっけなく響きわたった。進藤は思わず目を閉じてしまった。
しかし、潰される蛙のような悲鳴を上げたのは神山本人であった。
進藤にはなにが起こったのかにわかに判断がつかなかった。銃を撃った神山は頭をおさえてうずくまっている。呆然としたのは進藤だけでなく黒服達も同様であったようで、そろって、主君のうずくまる姿を眺めていた。
ただ一人少女だけがその空白を見逃さなかった。
「くろがねの刃に散れっ!」
少女剣士は低く腰をおとし、一気に刀を螺旋を描いて振り上げた。
「鉄文字流・・・駄男断!!」
まさにそれは一瞬の出来事であった。たったの一撃をもって黒服達は全員が地に伏したのである。
進藤だけでなく、周囲をかこんでいた通行人達までもが、少女の剣技の鮮やかさに目を奪われた。
「ひ、ひえっ。」
勝利を確信していた神山の衝撃はことさら大きなもので、悲鳴とも喘ぎともつかぬ声をあげ、待機していた車へふらふらと駆け寄った。そこにはすでに子爵としての威厳もなにも失われて、みすぼらしさが残るだけであった。
少女は神山の敗走を見逃さず、軽やかかつ素速く敗者に駆け寄りつつ刀の鞘を取り払いその白刃をあらわにすると、車のタイヤを切り裂いた。そして、腰をぬかした神山の眼前に立ちはだかった。
「部下を束ねる主であるのならば、この人達も連れて帰らないか!」
「し、知るか!もうほおっておけ!」
そう言い残して神山は部下を残したまま、みっともない姿をさらして逃げ帰っていってしまった。
「あっはっはっは!」
その時どこかから、甲高い笑い声が進藤の耳に届いた。

第一話(4)へ続く

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