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「そう?それじゃ、三人で行こうよ!」
仮にも仕事と言付けられた事だというのに陽花の口調はまるで遠足にでも行くかというような気楽さである。その子供じみた無邪気さにまたファルナがいきりたった。
「なにが悲しくて陽花と三人なかよく出かけなきゃならないのよ!」
ファルナが自分を拒否していることは理解したものの、その理由が判らないようで陽花は丸い目をことさらに丸くした。
「ボクは・・・一緒にいきたいなあ。なんで嫌なの?」
ファルナはそれには応えず、ぷいっと顔を背けてしまった。
そういった何気ない仕草のひとつひとつがいちいち可愛らしいのだから、美少女というのはそれだけでまことに得難い才能であるというべきであった。凡百の人間が彼女のまねをいようとしても、それは出来の悪い笑い話のタネくらいにしかなるまい。
決まらないものは強引にでも決めてしまえとばかりに、さくらが羽鳥を指差した。
「まったくしょうがないわね。羽鳥、一人で行ってきてくれるかしら。」
「えー?俺一人で?やだなあ。」
基本的に羽鳥という少年は、すみれ以外のだれに対するにも遠慮するという言葉をその辞書から抹消してしまっているらしい。明らかに目上のものに対する礼を欠いた羽鳥の態度に、さすがにさくらもかっと来たようだった。
「普通そこでハッキリいやだっていう?ちょっとすみれさん羽鳥に何とかいってやってください。このこってばすみれさんの言うことしか聞かないんですから。」
そこでファルナがぱっと明るく表情を変えて、さくらの台詞を途中で遮った。
「あ、いいわよ!あたしが羽鳥と二人で行くから!」
「そう?じゃあ俺と一緒に上野までデートとしゃれこもうか。」
「う、うん。そうと決まったら善は急げよ!さあ行こう、早く行こう。」
ファルナはいそいそと羽鳥の腕を取ると、いてもたってもいられない様子で足を階段に向けようとした。その向こうでは陽花がどうにも納得のいかない表情で、やはりちんまりと首を傾げていた。自分の方向感覚に自信が持てない風央は所在なさげに黙ったままである。
だが、そんなファルナの上機嫌を進藤の名刺を覗き込んでいたすみれが打ち破った。
すみれは名刺をさくらにも見るように促すと、さくらもすぐ言わんとしていることに気づいたかはっと目を見開き、しきりに名刺と進藤の顔を見返した。進藤はよく分けも判らずに会釈を返すと、さくらが確かめるように口を開いた。
「進藤さん、下の名前は一郎さんとおっしゃるのですか。」
「ええ、そうですがそれが何か?」
さくらの言う意味をいまいち量り損ねた進藤は、やや緊張したおももちで答えた。みればすみれも、さくらと同じ視線を進藤に向けている。さくらは進藤の返事を聞くと、半ば浮かれ気分になっているファルナに向かって申し分けなさそうに言った。
「ファルナ、気が変わったわ。やっぱり私が自分で行きます。いいかしら。」
「えーーーー!なんで?どうして?仕事するって言ってるんだから、させてくれればいいじゃないのよ。」
身振りまで入れてファルナは抗議するが、さくらはそれを取り合わず無視した。
「進藤さんすみませんが私と上野までご一緒願えますか。」
意外な申し出に進藤は、一瞬慌てて返事をした。どのような魔法か判らないが、とにかく進藤の名刺がなんらかの効力を発揮したようである。
「はい、喜んで。こちらからお願いしたいくらいです。」
なおもさくらに喰ってかかろうとしているファルナを制してすみれがさくらに耳打ちをした。
「さくらさん、それでは連絡があり次第すぐに出せるように紅蘭に伝えておきますわ。」
「よろしくお願いします。」
そこで陽花が口をはさんだ。
「ボク達はどうしていればいいのですか。」
「がんばってお稽古をしていて頂戴。しっかりとやるのよ。」
「はい!」
しかし元気良く応えたのは陽花のみであった。最初からさくらの方でも期待はしていないらしく、ゆっくりと進藤の方に向き直った。
「それでは進藤さん、参りましょうか。」
一応はそれが引き金となって、花組の面々はサロンから散っていった。

これはあくまでも仕事の一貫であり取材である。
進藤は繰り返し強く自らの心に、そう念を押した。さもなければ降って涌いたこの幸運に浸りきってしまいそうになる。まさか学生時代の憧れであった花組の一員とこうして二人で歩けるとは夢にも思わなかったことである。自制を利かさなければ、浮かれて仕事にはならないだろう。本心ではむしろ浮かれてしまいたい位なのだが、それはそれでさくらに対して失礼となってしまう。結局のところ、周囲の通行人に心の中でささやかな自慢をするにとどめたのである。
新聞社に帰りこのことが知られれば、同僚の露骨な嫉妬にあうに違いないのだが、それはかえって望むところである。
進藤とさくらは本来風央がたどるはずであった行程を、特に話しもせずにたどった。
やがて上野公園に到着した。帝都でも屈指の桜の名所である。桜は溢れるほど満開に咲き誇り、花見に訪れた帝都の市民を鮮やかな花吹雪でもって歓迎している。そこら中が人々の歓喜と笑顔で満ちていた。
そこでさくらが嬉しそうに目を細めた。
「平和ですね。」
進藤もまったく同感であった。
「私は帝都のなかで、ここが一番好きなところなんです。特にこの時期この季節、桜が咲くころが最高です。平和というものを体で感じとることができるし、なによりここは・・・」
さくらは一旦言葉を区切った。
「思い出の場所でもありますから。」
進藤に語りかけるというより、さくらは遠い過去に想いを馳せているように見えた。進藤はあえてなにも聞かずにさくらの話すままにすることにした。
「私たち帝国歌劇団の真の隊長である人と初めて出会ったのが、この上野公園でした。」
「隊長・・・ですか。」
団なら団長なのでは、と思ったが口にはしなかった。
「その人の名も一郎・・・・・・そういうのです。すみません少しだけですがその人と進藤さんを重ねて見てしまいました。きっとすみれさんも同じ気持ちでしょう。あの人は私達全員の心の支えでしたから。」
「帝国歌劇団を束ねるのは、男の方だったのですか。それは知りませんでした。」
「ええ、余り世間には知られていないことです。ですが進藤さんも見かけたことはあると思いますよ。七年前はいつも切符のもぎりをしていましたからね。」
その光景を思い出したのか、さくらは笑って言った。なるほど、たしかに進藤にもその人物には心当たりがあった。確かこざっぱりして、かんじのよさそうな人物であった記憶がある。まさかあのもぎりが隊長であったとは、まさに知る人ぞ知る事実であった。
「でも、七年前にフランスへ留学してまだ帰ってきません。」
「フランス・・・・・・遠いですね。」
もぎりがフランスに留学とはまたよく判らない話であったが、何か他にも隠れた事情があるのかも知れない。
「私がいま隊長をしているのも、同じ立場にたてば少しは気持ちが通じるかも知れないと思ったからという理由もあります。そうでなければ・・・待つということも案外と疲れます。正直いって。」
そう話すさくらは本当に疲れているように見えた。進藤には七年もの長きを待つつらさは味わったことがないし想像もつかないが、さくらが今でもそのもぎりの一郎氏を待っているのだということだけは判った。
いまいち落ち込んでしまった雰囲気を変えようと、進藤は別の話題を切り出した。
「実は私は七年前のリア王を観ているのですが、あれは一番印象に残っています。それからです、花組の公演にあしげく足を運ぶようになったのは。」
さくらはぱっと明るい表情になった。ものうげな表情も美しいが、やはりさくらには笑顔が一番良く似合っていると進藤は感じた。
「でもリア王は大変だったんですよ、いろいろと問題が山積みで。当時の支配人だった米田さんが重傷を負って、お金もない人手もない状況でした。そうそうすみれさんもあの時にお見合いをしたんでした。すみれさんを取り返しに神崎邸まで押し掛けていったなんてこともありましたね。」
「そうだったのですか。」
「あんまりつらい状況だったので逆に気持ちを盛り上げようということで、リア王はハッピーエンドになったんです。ええと確か最初に言い出したのは・・・私ですね。それでカンナさんが賛同してくれて。初舞台でもあった織姫さんは呆れてましたけどね。」
一見はなやかな帝国歌劇団にも、そういう時代があったとは進藤も知らなかった。
丁度他の隊員について少し話が出たので、そちらのほうに話題を移した。
「カンナさんは故郷の沖縄で空手の道場を開いています。ときどき手紙が来ますけど、元気にしているみたいです。弟子を花組に送りこむんだって息巻いていますよ。」
それは知らなかった。桐島カンナといえばリア王の主役である。新聞記者でありながら、それを知らなかったというのは失態というほかはなかった。日本にいたのではないか。沖縄支社の連中はなにをやっているのだろう。
「マリアさんは世界中を旅しているそうですけど、詳しくは判りません。でも親友のカンナさんのところには時々顔を出しているそうです。」
マリア・タチバナは桐島カンナとともに花組において男役を数多く演じたロシア人と日本人のハーフである。この二人は日本人の男の平均身長を軽く凌駕しているため、舞台ではとてもよく映えたが、実際に目の当たりにした女性は頭二つは高い姿に例外なく驚いたそうである。
「アイリスはフランス、織姫さんはイタリア・・・故郷に戻っています。二人ともヨーロッパの名門の出身ですからね。そろそろ結婚という話も出てくるのではないでしょうか。・・・・・・あのアイリスも19才なんですね、もう。」
アイリスは本名をイリス・シャトーブリアンという。当時12才だったアイリスは花組のマスコットで同じくらいの娘を持つ父親層に人気があった。
ソレッタ・織姫は地中海の赤い風とあだ名されるイタリアの名門の娘で、日本人の画家の父をもつ。彼女の演技はヨーロッパでも有名で本格派である。
「レニは・・・・・・判りません。今ごろどこでどうしているのでしょう。まあ、便りを出すような子ではないから、元気なのだとは思います。」
ドイツ人のレニ・ミルヒシュトラーセはその少年のような容貌で性別を惑わせたという、先ほど羽鳥少年も話題にしていた人物である。必然的に少年役が多かった。
しかしさくらの説明は一人の名前が抜けていた。それを聞いてみると意外な答が帰ってきた。
「ああ、紅蘭ですか?忘れていましたけど、彼女ならさっきも大帝国劇場にいたんですよ。」
李紅蘭は中国人で、舞台の合間によく手品を披露してみせた。さくらの話ではいまも花組の道具係をしているそうである。すみれとは違って舞台にたつ気はないということだった。紅蘭が東京にいたという事実に、進藤は少なからず新聞記者としての誇りを傷つけられた思いがした。情けない話である。
「いや、参りました。そのくらいも知らなかったとは記者失格というほかありません。さくらさんがすみれさんと一緒に、社交界に顔をお出しになっていたのは知っていたのですが・・・・・・」
「あれはですね、大神さん・・・隊長のことですが・・・彼がフランスにいった後一旦マリアさんが隊長を引き継いだんですが、その時点でその次が私だということが内定していたんです。それですみれさんが花組の隊長たるもの人脈が必要不可欠だと言い出して、引っ張り込まれたんです。わたしは仙台育ちで、帝都に知り合いは少なかったものですから。」
「なるほど、そういうことだったのですね。」
「でも社交界の人とおつき合いするのは大変です。住んでいる世界があまりに違うので・・・すみれさんと一緒でなければくじけてました。おかげで神崎家とは一生涯の付き合いになりそうです。」
そして道すがら話題はいまの花組に移った。
「なかなか元気な子たちですね。見込みはありそうですか?」

第一話(7)へ続く

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