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最後の忍道 いわゆる五月晴れである。 帝国歌劇団花組真宮寺さくらの胸中もそれと同様に晴れ渡り、その身に訪れたささやかな幸福を天に・・・神様はいまいち信じていないから・・・感謝するのだった。 思い返してみるに、花組を預かるようになってここしばらく心から笑ったという経験に乏しかったように感じてならない。 むしろ神経をすり減らすばかりの毎日であった。 原因は判りすぎるほどはっきりしていた。 心労であり心労であって心労に他ならない。 例えば事実上唯一の上司である大帝国劇場支配人神崎すみれとの間にはこういうことがあった。 「さくらさん、あなたもうそろそろその桜色の着物はやめたらどうかしら。」 すみれはさくらを支配人室に呼び出して、こう切り出した。 「・・・どういう意味です?」 「意味っていったら、そうですわね。」 すみれは大きく息をついた。べつにもったいぶっているわけではなく、単に面と向かって言いづらいことに対して覚悟を決めかねているといったふうであった。だがそのわりには口を出たのは随分と直球な台詞であったが。 「年を考えろっていうことですわ。四捨五入したらもう三十 ・・・ああ、時の流れというのは、時としてなによりも残酷なのですわね。」 舞台稽古に連日忙しい中呼び出されて言われたことがこれでは、さすがにさくらも気分を害さずにはいられなかった。 「そんなこといったら、すみれさんだって三十じゃないですか!」 「・・・五捨六入ならまだはたち。」 「そんなムチャクチャな理屈がありますか!そんなこというんだったら私だって・・・」 「三十。」 すみれの明快なまでのそっけない突っ込みに、さくらは激しくたじろいだ。 「・・・だったらなんだっていうんです。」 よくよく考えてみなくとも子供じみた開き直りであった。付き合いの長いすみれの前では、しばしばあることである。今回も例によってペースを握ったすみれは後を続けた。 「わからないの?」 「なんなんですか、はっきり言ってください。」 「本当に言ってもいいの?つらい世の中の現実というものを知ることになりますわよ。」 すみれの目には憐びんの情がありありと溢れていた。 さくらとすみれでは一つしか年が違わないのだが、そろそろ三十路の見えてくる年頃の女性にとっては大きな問題なのである。無論実際には些細なことでしかない。 「なんでそこまで言われなきゃならないんですか。」 「言っているのはわたくしではなくてよ。」 「じゃ、いいです。」 「・・・え?」 「聞かなくていいです。」 「・・・じゃあ言うわ。実は売店の商品開発部からついさっき進言がありましてね・・・」 さくらの言うことを完全に無視してすみれの語った内容はさすがにさくらにも強烈な衝撃を与えた。 花組復活公演に向けて売店で売り出す商品を目下全速力で開発中であるのだが、三沢陽花ら新人の商品も作ってはいるものの、かつての花組のファンがさくらを目当てに訪れる割合や最初の公演であることもあって、さくらの商品が当面の主力になりそうだというのだ。 それ自体は特に構わないというか、さくらにとっても願ったりの状況なのだが、開発部の言うことには年齢にそぐわない桜色の着物では売上が心配だというのである。 失礼極まりない話ではあるものの、売店の収入というのは結構馬鹿に出来ないもので開発部が心配するのも・・・余計なお世話だが・・・無理はない。 「ぐぐ・・・そ、そうですか。」 そこでなんとか踏みとどまったのは根性以外の何物でもない。 「聞かなきゃ良かった、と思ってません?」 「聞きたくないのに勝手に話したのはすみれさんじゃないですか!ほんっとに聞きたくなかったですよ!」 実のところ、この桜色の着物を着続けているのには理由があったりもする。以前よりさくらの代名詞ともいえる桜色の着物を着ていれば、大神が帰った時にすぐ自分を見つけてくれるという目算があってのことなのであった。そのために着続けていようと誓ったのが五年前になる。今となってはその発想自体が恥ずかしいものであるが、これまでやめるきっかけをいまいちつかめなかったのである。 さくら本人もそれなりに自覚していたため、りぼんでとめていた髪はさすがにやめた。それでも他人に改めて指摘されるとさすがに気分は良くはなかった。 一方で部下である四人の扱いもけして容易とはいえなかった。 「ったくもう!しっかりしなさいよ、陽花ってば本当に台詞覚えが悪いんだから。」 腹を立てているのは歴代の花組の中でも屈指の美貌を誇る金髪の少女であった。背も高い。日本人の男の平均身長よりもさらに5、6センチは高いだろう。背筋はぴんとまっすぐ伸びているし、胸の発育にしても脚線にしろ完璧というほかない。なによりすらっと伸びやかな脚の長さは日本人には真似のしようが無かった。 彼女はファルナ・M・レイランダー、アメリカ人である。 さくらが思うになんだかいつも何かに怒っている気がする。 相手の方は三沢陽花、典型的な日本人女性でファルナと並んでみるとその違いがあからさますぎるほどである。 ファルナよりもふたまわり小さいいし、髪は漆黒でみつあみに結っている。若草色の着物を着込んでいるが、似合ってはいるもののなんとなく服に着られているような印象があった。美人というよりも可愛らしいといった方が的確な表現であろう。 しかし、きりっと引き締まった眉が少女の意志の強さを感じさせた。 ・・・が、今は台詞をすっかり忘れてしまい恐縮した様子であった。 「ご、ごめん。」 「ごめんですんだら光武は要らないわよ。頭ってのはねえ、脳細胞を保管しておくものよ。朝起きた時にどっかに置いてきちゃったんじゃないの?」 「そ、そんな!いくらなんでもひどいよ!」 相手がだれであろうと、こうまで言われて引っ込んだままでいる陽花ではなく、ファルナにつっかかっていく。 「そう思うんならしっかりやってよね。いまいち不足してるなにかは努力でなんとかしなさい。得意でしょ?努力。」 「なにかってなに?」 「やだ、あたしにそんな残酷なこと言わせないでよ。」 ファルナのいう『なにか』をどう理解したのかは判らないが、とにかく馬鹿にされたのだと認識したらしい陽花はファルナに向かって右手をひらめかせる。 ファルナはファルナでやはり右手でもって陽花を迎え討った。 さすがに見るに見かねたさくらがそこへ割って入った。 「やめなさい二人とも!」 しかしどうにも割り込むタイミングが悪かった。 二人のビンタが炸裂したのはお互いにではなく、間に入ったさくらの顔であった。 ばちんという音をどこか遠くで聞きながら、なにやらさくらの脳裏に浮かぶ光景があった。 (あ、なんかなつかしい感じが・・・) 倒れつつもそれを見ていた少年が腹を抱えて笑っているのが、さくらの目に見えた。 日本人でありながら華奢な身体にファルナの向こうを張る美しいすっきりしたおもだちをしている。茶色がかった髪は短い。背の方はファルナよりも若干低かった。 女性にしか見えないが、男である。見かけによらず性格は良いとは言えないものであった。ものぐさでずうずうしい。大食漢ではないのだがいつもなにかを食べていて、今も回転焼を手に持っていた。 元は神崎家の使用人の子で如月羽鳥という。 もう一人羽鳥の横で笑いをこらえているのがアフリカからやってきた少女、風央・ジィ・アリンカである。 やや固めの髪は陽花よりも更に黒く、肌は小麦色をしている。何故か赤茶色の着物に包んだ身体は筋肉質である種の猫科の猛獣を思わせた。背も高いと言っていいだろう。実際にさくらよりも高い。現在の花組の中ではもっとも良識派で性格も良い温厚な少女である。 以上がさくらの部下である四人であった。 喧嘩に発展するはずが意外な展開に、ファルナと陽花はかえって落ち着いてしまった。そういう意味ではさくらも叩かれ損ということも無かったといえるのだろうか。 「・・・コホン。・・・あー真面目な話頑張りなさいよね。陽花は日本人なんだから、あたしや風央よりはうまくやれるはずでしょうが。」 ファルナのもっともな指摘に陽花は不思議そうな表情で小首を傾げた。 「そうなんだけどさ。確かに。でもなんでファルナってそんなに日本語が上手なの?」 「なにいってるの、あたしが得意なのは日本語じゃあないわ!」 「じゃ、なんなの?」 「国語よ!」 なんだかいまいちよく判らないが、その辺りがファルナの形成するポリシーのようである。 とにかくそういう経過もあり、さくらは改めてかつての大神の偉大さを感じたものであった。 先日旧花組で現在は道具係を一手に受け持っている李紅蘭と、その延長で大神の話題をしたことがあった。 「まあ、そりゃ大神はんも楽とはいえなかったやろな。」 「そうよね、自分でいうのもなんだけど前の花組も結構問題児をたくさん抱えてたような気がする。」 「そうやなあ。本番中に舞台を半壊にしといてから大神はん一人に直させた上あやめはんに嫉妬の炎燃やしたり、雷が鳴ると部屋に引っ込んで出てこん人もおったしな。」 「・・・紅蘭、ひょっとして私をいじめてる?」 「考え過ぎやて。」
そんなこんなで四月に始まった帝国歌劇団花組復活公演も特に大きな問題もなく無事つつがなく回を重ね、今日の夜の部を残すのみとなっていた。まだ千秋楽が残っているとはいえ、大仕事をやり遂げたという充実感をさくらは感じていた。批評家の評判もおおむね好評であった。ただ、未だ女性役をこなしたが羽鳥が男であることに気づいている者がいないということは少々気にはなったがまあ、たいした事ではない。いまのさくらは大抵のことであれば笑って許せる自信があった。
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