かつてこうして花組の面々がサロンに集まって、大神やマリアが今のさくらのように話をしていたことをさくらは思い出した。あれから月日が経ち顔ぶれこそ変わったものの、花組が復活したのだという事実を改めて感じた。
「これからもぜひこの調子でいきたいわね。」
「ちょっとさくらさん、喜ぶのも結構ですけれどもこの程度で満足して頂いては困りますわ。」
すみれが釘をさした。水を差すようではあるが支配人たる彼女の立場としてはもっともな指摘ではある。
「わかってます!」
そう、もちろんそれはさくらにも判っている。そうでなくとも日頃からすみれには部下を甘やかしすぎだという指摘を受けているのだ。
「とにかく今日の千秋楽は、帝国歌劇団花組の復活公演としての集大成にしましょう!」
そこでファルナが手を挙げた。
「はーい、質問。」
「なにかしらファルナ。」
「今日の公演が終わったら、なにか打ち上げとかあるの?」
「それは勿論ですわ。かすみさんと由里さんが、昨日から準備に走り回っていますわよ。」
さくらに代わって劇場の実務を預かるすみれが答えた。
「おお、やったー!俺は横浜で中華が食べたいな。」
「花組のパーティーは楽屋でやると昔から決まってるの!」
「羽鳥は五年前の打ち上げにも出て知っているでしょうが!」
さくらとすみれの二人に同時に詰めよられては、さすがの羽鳥もたじろがずにはいられなかった。
「なにか食べ物出るんですか。」
陽花の際限無い食欲は大帝国劇場七不思議の一つとして数ええられつつあるほど有名である。たった150センチ34キロしかないあの体のどこに大量の食物が吸い込まれていくのかは諸説叫ばれているが、さっぱり目に見える成長として結果が現れてこないのは陽花の無駄な行動力と彼女自身の熱交換率が異常に高いためだと言われている。
「当然出るわよ。」
「あ、自分で何か作ってもいいのかしら?」
ファルナが彼女らしくもなくおずおずと聞いた。
「それは大歓迎よ。遠慮せずにどんどん作っちゃっていいから、厨房を自由に使ってね。」
そういえば昔はマリアがよくボルシチやピロシキなどロシア料理を作っていたのを、さくらもすみれも思い出していた。サラート・スタリーチヌイという各種野菜に蟹、ハム、イクラ、ゆで卵、鶏のささみを使った豪勢なサラダも食べたことがある。カンナの作る沖縄の郷土料理のミミガーなどは、とうとう食べることはなかった気がする。カンナの場合作った大量の料理は自分で食べてしまうのだ。国際色豊かな料理を味わえるというのは多国籍の花組の伝統と言える。
「楽しみなのです。花組でパーティーをするのは初めてなのです。」
一番喜んでいるのは、アフリカ育ちでいわゆるパーティーというものにこれまで縁の薄かった風央である。それこそ気色満面といった様子であった。
「ふふ。打ち上げを気分良くするためにも今日の舞台は頑張らなきゃね。それじゃあ解散するわ。夜の部まで少しゆっくりしててね。」
さくらとすみれ、紅蘭の旧花組の面々を残して陽花らはめいめいに散っていった。
「それにしても、あの子達の舞台を見ているだけというのは、先天的スタアのこのわたくしとしては少々辛いですわ。次の夏公演には本当に出てしまおうかしら。」
すみれが器用に肩をすくめた。
「そうですか?期待しちゃいますよすみれさん。」
紅蘭がさくらのそばまで来ると、その肩に手を置いて言った。
「ほんまさくらはんもあのきかん坊ら相手にようやったで。道具係としてうちも嬉しゅうなってくるわ。」
「ありがとう紅蘭。」
不意になにかを思い出したのか、すみれが手をぽんと叩いた。
「そういえばさくらさん、例の神山子爵も最近来なくなりましたわね。」
「ああ、あのさくらはんに猛烈にアタックしとったあれやろ。」
神山子爵というのは、さくらがすみれに連れられて社交界に顔を出した時に見初められてしまった相手で、父親は議員を務める実力者である。しつこく大帝国劇場に足を運んではさくらに求愛していたのだが、復活公演前にファルナや陽花に護衛ごと叩きのめされて醜態をさらして以来、姿を見せていなかった。
「あれほどの無様な姿を見られてしまってはさすがにもう現れないでしょうね。その程度には恥知らずじゃなかったということですか。」
仮にも求愛を受けていた身の割には、ひどい言い様であった。さくらにとっては迷惑でしかなかったようである。
「わたくしは端的に言って恥知らずだと思っておりましたわ。」
「恥知らずだったんやろうけど、変わったんとちゃうかな。」
すみれにしろ紅蘭にしろその評価に差は無いようである。ここまで嫌われてはいっそ見事と言うべきであろうか。
すみれは異性を見る基準として大神一郎をものさしに使っていたら、いつまでたっても身を固められないとさくらに忠告しようと思ったが、それに関しては人のことはまったくもって言えないので置いておいて、別の話題を持ち出した。
「さくらさん、花組の様子を見回ってきたらいかがです?昔中尉さんがやっていらしたように。」
「そうですね、ちょっと行ってきましょう。」
豊かな黒髪をかきあげてサロンからさくらが出ていくのを見送ってからすみれが紅蘭にも声をかけた。
「では紅蘭も例の方を頑張ってくださいませね。」
「そうやな。よっしゃ気合い入れよか。」
分厚いレンズの奥の紅蘭の目が妖しく光ったのをすみれは見逃さなかった。いいかげん長い付き合いなのだということである。
さくらも頻繁に利用する大帝国劇場の食堂はそもそもが来場した客を相手にするために存在しているため、銀座に点在する一般のレストランよりもよっぽど広い。なにしろ二百人の観客を収容する二階席よりも広いというのだから、その威容が忍ばれるというものだろう。名物は帝劇ランチでこれを目当てにやってくる客もいるそうであるが、さくら自身はまだ食したことは無かった。そういう食堂であるため必然的にその厨房も広く本格的なものであり、大抵の料理器具が備わっている。ここで作れないものならば、他でも作ることは出来まい。
その厨房に一人だけいるというのは、さすがに寂しさを拭えない。
ファルナがさきほどの格好に白い無地のエプロンを着けて、料理の準備に取り掛かっていた。
「あら、ファルナ。なにを作っているのかしら。」
アメリカの料理といえばハンバーガーかフライドチキンというくらいの乏しい知識しかないさくらは、いまいち予測のつかない様子で声をかけた。
「今日の打ち上げに出すケーキを焼くのよ。」
見れば確かに卵や牛乳に小麦粉などが用意されている。これでケーキを焼くというのでなければコロッケかなにかだろう。牛乳が余計だが・・・・・・ただ単にファルナが飲むだけということもないではない。
どうでもいいことだが。
「へえ、凄いじゃない。」
自分でも料理はたしなむものの和食しかレパートリーの無いさくらは素直に賛嘆した。根っからの仙台生まれの日本人である。
「ケーキ作りはうちの馬鹿姉貴が妙に得意でね。」
「お姉さんに教えてもらったのね。」
「違うわよ!なんであんな馬鹿姉貴になんか教えを請わなくちゃいけないのよ!」
ファルナは血相を変えて強く否定した。
「あの姉貴にケーキごときで負けるのが嫌だったから自分で特訓してマスターしたのよ。今じゃ絶対に負けやしないんだから。」
相当に根深く実の姉に対して含むものがあるようであったが、あえてそれ以上は触れないでおいた。さくらにとっては兄弟がいるというだけでも羨ましいことである。いや、さくらに限らず旧花組は例外なく一人っ子であるからなおさらであった。紅蘭には兄弟がいたが大陸本土で死に別れていて、一族で残ったのは彼女だけだそうだ。陽花も確か孤児であったはずである。
「でもさくらの料理だっておいしいじゃない。」
手早く一度に二つの卵を両手で割って、ボウルで泡立てる手際は鮮やかで玄人はだしであった。これが独学というのなら尋常ならざる努力の結果であるに違いない。
「あ、あらそう?」
正直ファルナの腕前に驚いたさくらの声は、少々うわずっていた。
「あたしはお世辞は言わないわよ。」
「でもいいわよね。私もケーキをうまく焼けるようになれるかしら?」
「平気よ、さくらなら。なんなら教えてもいいわよ。」
花組隊長のさくらや帝撃副指令のすみれに対しても敬称を付けずに呼ぶファルナだが、これは悪気あってのことではなくアメリカ生まれの気質がそうさせているのだろう。実際彼女はけして無礼な少女ではない。
「そうね・・・なんなら手伝ってあげようか。それなら作り方も判るしファルナも楽できるでしょう?」
「ええ?やだ、いいわよ。だって一人で作らないと意味がないもの。」
「ふーん・・・」
曖昧に頷いたさくらであったが、すぐにその言葉の含む意味に気がついた。
「あ、誰か食べて欲しい人でもいるのかな?」
「え、ええ、え、べ、別に、なに言ってるのよ!」
さくらの一言だけでファルナの顔は火を吹きそうなほどに真っ赤に染まっていた。
さくらは苦笑しつつ厨房を後にした。
「それじゃあ頑張ってね。ケーキはまた今度教えてもらうことにするわ。」
そしてファルナに気付かれないよう小さな声でつぶやいた。
「ファルナは見え見えなのよね。」
第二話(3)へ続く
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