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 やがていつも通りに事務員の榊原由里の声を場内放送に乗せて、開始直前の知らせとともに観客席を照らす照明が一斉に落ちていく。
「あら?」
 すみれがその瞬間、嫌なものでも見たかのように顔をしかめた。
「すみれはんどないしたん?」
「いえ・・・照明が消える時二階席の前の方あたりに知っている人影を見たような気がしたのですけれども。」
「だれや?うちはぜんぜんわからんやってん。」
 嫌悪といったものとは異なるようであるが、けして歓迎するという風でもない微妙な光がすみれの両目にちらついた。多少の沈黙の後に、重い口を開く。
「あれは・・・わたくしの見間違いでなければ、羽鳥の父ですわ。」
「ああ、あの元神崎家の使用人ちゅうおひとやな。」
 すみれはゆっくりと顔を横に振った。そのこめかみにちからがはいっていた。
「少し考えてみれば気づくことではなくて?あの羽鳥の父親ですもの、ただの使用人ということはないと思いません?」
 考えてみて、そしてすぐに答に到着した。
「なるほど。わかったわ。そやけどすみれはんが嫌な顔しなはる理由はなんなんや?よく知った人なんやろうに。」
「知っているからこそ嫌だということは、世の中見渡せばいくらでもあるものですわ。」
「そらそうやね。」
「まあ、紅蘭もあの父親と一度でも会ってみればきっとわかりますことよ。」
 そこで開演のベルが耳障りな音をたてた。
 千秋楽、終わりの始まりである。

「あー!また雪が降ってきたよ。せっかく根性出して雪かきしようと思ってたところだったのに。 」
 窓から外を覗く羽鳥演じるジョーがおおげさに嘆いた。
「あらあら、それは困ったわね。」
 優雅に落ち着いた雰囲気の美女がのんきに応えた。口で言うほどには困った様子には見えない。四姉妹の長女メグに扮するのは長身のファルナである。
「あーあ、つまんない!明日はクリスマスだっていうのに雪だなんて。」
「でも今夜はホワイトクリスマスになるのです。ロマンチックでしょう。」
「それよそれ!イブだっていうのにプレゼントも無いのよ。」
 内気な三女ベスは風央、はねっかえりの四女エミーは陽花の役であった。
 ジョーがエミーの頭をなでて、なぐさめた。
「そのうち私がすごいクリスマスをやってあげるから。私の小説をお金持ちになって、そしたらなんでも買ってあげるよ。」
「なんでもって、なに?」
「メグには羽飾りの帽子、ベスにはグランドピアノ、エミーにはとびっきり上等な絵の具を!」
「すごいのです、楽しみなのです。」
「いつのことやら・・・」
「あ、かわいくないぞエミー。」
 頭をなでる手でそのまま軽くエミーをこづいた。
「でもわたしたちは幸せよ。お父様もお母様もいるんですから。」
「そのお父さんは今戦場じゃない!」
 メグにエミーがかみついた。
「お父様はお祈りしているの。兵隊さんたちにはお父様が必要なのよ。」
 物語の舞台は一八六一年アメリカ、南北戦争時代。
 演目は若草物語である。
 戦争のまっただなか、貧しい中にあっても周囲の人々と愛を分かち合い、明るくのびやかに育っていく四姉妹が主人公のホームコメディだ。一八六八年にルイザ・メイ・オルコットによって書かれたこの物語はたちまち世界中でベストセラーとなった。
 ファルナの祖母も実際に戦列に参加したという南北戦争は、実のところ花組と多少の関わりが存在する。
 中盤から魔術戦争の様相を帯びたこの戦争は、ブードゥー教徒による呪殺部隊が圧倒的な戦果を挙げた南軍が北軍を追い詰め始めていた。彼らが通った跡には、文字どおりの意味で死体の山が積み上げられていったのである。
 ところが「ゲティスバーグの奇跡」と呼ばれるささいな事件が戦局を一変させることになる。
 事件そのものは至極単純であった。いつものようにブードゥーの呪殺が通過していったあと、死体が連なる中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたというものである。生物にとっての生存不可能圏を作り出す呪殺から生存した例は、それまで一つの報告も確認されていなかった。皮肉にも本来死ぬはずだった赤ん坊が生きていたこのことに、北軍は熱く視線を注いだ。すぐに派遣された調査団は、滑稽ともいえる結論にたどり着いた。農業用のトラクターの中にいたために助かったというのである。その後、これと同じ種類のトラクターの軍団が戦場に姿を現し多大な戦果をあげた。考えてもみて欲しい。銃弾飛び交う中をトラクターが集団で走っているという光景を。しかしトラクターはその後人型に改良され、これが北軍勝利の立て役者となった。これが花組が誇る霊子兵器光武の祖になったのであった。
 トラクターが何故ブードゥーの妖力を防いだのかは終戦直前まで不明のままだったが、トラクターを構成していた金属に原因があった。鉛と鉄を混ぜた粗悪品が偶然結晶化したものであったのだ。「シルスウス鋼」と名付けられたこの金属は、降魔と戦う定刻華撃団の所有するほとんどの施設、装備品に用いられている。
 花組の復活公演に若草物語が選ばれたのは、このことが由来している・・・という事実はまったく無くあくまで人手不足であっただけである。
 物語はマーチ家の隣のセルジオ・ロレンス(ローリー)とジョーの出会いや、ローリーの家庭教師ブルック先生とメグのロマンスを挿入して進んでいく。
「ジョー!」
「ローリー?どうしてここに・・・つけてきたのね。」
 背の高い羽鳥のジョーの相手役は二役のファルナがつとめていた。逆転している立場にファルナは大層反対したのだが、他にまかせるよりはましだということでしぶしぶ引き受けたのだった。
「歯、大丈夫?」
「はあ?」
「だって歯医者にきたんだろ。」
「違うわよ。」
 ジョーはかきわりのセットの上方を指さした。
「私が用があったのは四階の新聞社よ。小説を買ってもらったの。」
「本当かい。すごいじゃないか。おめでとう。」
「ありがとう。1ドルもらったのよ。」
「1ドルかい。少ないね。」
「今は1ドルでもいつかは10ドルもらうわ!」
 舞台は変わってマーチ家の中。
「メグ姉さん、ブルック不良教師とキスしているのを見たわ!」
「不良とはなによ。わたしだって家庭教師よ。」
「あのひとにあげるくらいなら、私が姉さんと結婚するわよ!あのひと、そんなしっかりしてるようじゃないもの。」
「わかったわ。」
「メグ!!」
「わたし結婚する、彼と。」

「いやあ、羽鳥ってば名演やね・・・ほんまに男なんかあれ。」
 大先輩である紅蘭がしきりにため息をついてしまうほど、少年はいきいきとしたジョーを見事に演じて見せていた。ジョーは作者であるルイザ・オルコット自身がモデルとして投影されているという話は有名である。
「羽鳥は小さい頃から綺麗な子でしたわね。」
 すみれは七年前に見合いの話が持ち上がった時、神崎の家の中でたった一人幼い羽鳥が結婚に反対してくれたことを思い出していた。あのころの羽鳥はもっと素直な少年だったと記憶しているが、今のようにひょうひょうとしてしまったのはいつからだっただろうか。どうしてもそれが思い出せない。

明るいコメディ調に展開してきた物語が一通の電報の到着で一変する。それは従軍神父の父が重体に陥ったという凶報であった。
 ジョーはさくら演じる母がワシントンに向かうためのお金を借りに、苦手な叔母のところへ向かった。
「急な話で申し訳ありませんが、貸してもらえないでしょうか、10ドル。」
「ふん、そうやってすぐに人をあてにする。忠告なんか聞きやしないくせに、こういうときばかり!」
「・・・お願いしているんです。あてにしているのではありません。」
「おやまあ、なんてくちをきくんだろうね。わたしが貸さなきゃ仕方がないだろ、これにこりたら少しはおとなしくおしよ。」
 先ほどまで愉快な舞台に笑いも混じっていた観客席は雪国の夜の静寂にも似た静けさに包まれていた。緊迫した展開と羽鳥の演技がすべての観客を飲み込んでいるのだ。皆一様に手に汗握り、息を飲んでいる。
「まったく生意気なところは父親そっくりだよ。そのくせ人のふところ!を狙って!」
「・・・いくら叔母様でも言っていいことと悪いことがあると思いますL。」
 ジョーは悔しそうにぎゅっと拳を握り締めた。
「ものを人に頼む時は下手に出るもんだよ。」
「頼みませんもの!」
 くるりときびすを返し叔母に背を向けると、舞台の背景がそれにあわせて早変わりしていく。
「ジョー、お待ち!どうする気なんだい。」
「なんとかなるわ!」
 舞台はマーチ家に戻る。遅いジョーの帰りを夫人と姉妹が心配していた。そこへジョーよりも先に叔母が姿を見せる。
「お邪魔するよ。じゃじゃ馬は帰っているかい?」
「ジョーですか?」
「そうだよ、まったくあの娘は人の話を最後まで聞きゃしないんだから。ほら、金だよ。10ドルだったね。」
「ありがとうございます、お姉様!」
 叔母は用を済ませるとすぐに帰っていき、それと入れ違いでジョーが戻った。
「ただいま、遅くなってごめん。」
ジョーは手にしていた財布から10ドルを取り出し、夫人に手渡した。
「ど、どうしたのこれ!」
「作ったのわたしが、髪を売って。」
 頭にかけていたスカーフを取り払うと、あざやかだった黒髪はその姿を消し去っていた。観客席からも悲鳴が聞こえてくる。
「ありがとうジョー。この10ドルで買っていいものは、世界中を探しても見つかりはしないわ。」
 こうしてマーチ夫人は急いでワシントンへ向かった。
その夜、泣き声に導かれてベスがジョーの部屋にやってきた。
「ジョー、泣いているのですか。」
「馬鹿でしょ泣くなんて、自分で髪を切っておいて・・・お父様のたた<大変な時だっていうのに。」
 ジョーは枕に顔を埋めてベスから隠した。
「か、髪の毛のことくらいで。」
「ちっとも、おかしくなんかないのです。」
 翌日父の重体の知らせに続いて、更なる不幸がマーチ家を襲う。
 マーチ夫人のかわりに近所の赤ん坊の世話に出ていたベスが目に見えて暗然とした表情で帰ってきた。
「ベス、どうしたの?」
 近寄るメグとジョーをベスが振り払った。
「あのこが、死んだのです。抱いていたら急に重くなって。お医者さんを呼んだ時にはもう・・・」
 姉たちは声もでなかった。
「お医者さんが私を見てすぐ帰れって、赤ちゃん・・・しょうこう熱なの・・・」
 しょうこう熱は法定伝染病のひとつで、子供に多く感染する。ひどい時はこの赤ん坊のように死の危険すらある恐ろしい病であった。
「ベス!」
「近寄らないで!染るのです・・・」
 それでもジョーはやさしく妹を抱き寄せる。
「大丈夫よ、わたしとメグはもうやっちゃったから。」
 はしかと同じでしょうこう熱は一度しか発病しない。しかしエミーはまだ感染していなかった。
「エミーは叔母様のところに行くのよ。」
「いやよ!あんなとこ嫌い、うちにいる!」
「染ったら困るでしょ!」
「なんで?どうしてよ!神様に仕えるお父様の家にこんな不幸が起きるのよ。」
 メグもジョーも泣き崩れるエミーにかける言葉も見つからなかった。
 診察にやってきた医者が姉妹に告げる。
「確かにしょうこう熱ですが・・・重いですね。」
 舞台がジョーらを照らすスポットを残して沈黙した。
「助けてやってください!」
「それはなんとも、本人の体力次第ですので。」
 ベスの看護を続けるジョーのところにメグがやってきた。
「ジョーあなた疲れているわ。わたしと代わりなさい。」
「・・・あの日ベスは調子が悪いって言ってたのよ。代わってあげていたらこんなことにはならなかったのに。」
「自分だけを責めてはいけないわ。わたしだって同じよ。」
「・・・ベスが死んじゃったらどうしよう。」
「そんなこと言ってはいけないわ。」

第二話(6)へ続く

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