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オレンジポケット・コルネット
画像劣化移植明るい田舎系恋愛アドベンチャー
 「オレンジポケット・コルネット」は2004年にピオーネソフトがドリームキャストで移植発売したタイトルで、元はPCでの18禁作品。同時に発売されたPS2版では追加ヒロインと特典CDの内容が異なっており、差別化が計られている。
 ゲームの基本はこの手のタイプとして一般化しているノベル形式のアドベンチャーで、時折発生する選択肢と、点在する各ヒロインのいる場所へ主人公が出向くことによって、シナリオを分岐させていく。
 ただしこのゲームには「時間制限選択肢」というものがある。選択肢の内容を把握した後、複数ないし単独の選択肢から行動を選ぶ、もしくは選ばない(傍観する)ことによってシナリオの内容が変化するギミックなのだが、いかんせん与えられた時間が短く効果的に機能しているとは言い難い。選択肢背景の色で通常の選択肢と時限式の選択肢の区別をつけることは出来る。が、初プレイでこれに対応するのはほとんど無理といっていい。しかも説明書には「時間制限選択肢」についての記載が一切無く、こうした選択肢が存在することを自分で学習しなければならない。不親切であるという他ない。

 「オレンジポケット」はとある山間?の田舎町を舞台として高校生の心の揺れ動きを描いた作品で、さほど奇異な設定は存在していない。だれかが命を落としたりする鬱な展開もないので、比較的気楽にプレイ出来る作品になっている。
 主人公である江田秀晃は中学時代にこの地へやってきた転校生ではあるが、田舎ゆえに一学年2クラスしかない学校に通っているため、たいていのクラスメイトは顔馴染みという状態。攻略ヒロインのうち小見川円、藤木咲乃、下級生の黒崎恵留の三人も転校以来のつきあいになる。この三人に江田の親友である奥村崋山、その彼女(婚約者)の立花柊を加えた6人が崋山の祖父に様々な教えを受けたグループ。
 そこへ秀晃が元住んでいた地での幼馴染みだった綾瀬なずなが転校してきて、それぞれの関係が少しずつ変化しいく……といった内容。前述のグループになずなを加えたメンバーがこの作品の主な登場人物である。旧来の関係+異邦人という構図はプレイヤーにも分かりやすい。

 秀樹には不登校児であった崋山を更正させた過去があり、その縁から彼の祖父の教えを受けることになった。教えは古武道に類する格闘術や囲碁、人生観など多岐に渡っており、現在の江田秀晃という人格を形成する上で大きな役割を果たしていることは疑いようがない。
 じっさい崋山は秀晃のことを親友であると同時に恩人として見ているし(良い意味でライバル視もしている)、周囲も彼に対して一目置いているフシがある。こういった主人公のバックボーンを希薄にするあまり無味乾燥なキャラとなってしまっている作品も多いことを考えると、しっかりとした設定で固めることは悪いことではない。むしろ積極的に取り組むべき部分であるとさえいえる。
 ところがどっこい、いざ主人公視点でゲームを進めてみると、彼の人格は凡百のギャルゲー主人公と大差ない。主人公周囲の見方とプレイヤーの見方にギャップが生まれてしまっており、それがいまいちシナリオに没入しきれない一因になっている。前述したような設定もある程度プレイして初めて分かることであり、情報的にまっさらな状態から始めるプレイヤーにとって、主人公を知ることはむしろギャップを深める要因だ。部活もやらずこれといって目標も打ち込んでいるものもない主人公を妙に持ち上げるキャラたちに、違和感を感じずにはいられない。
 それに結局のところ、この秀樹にまつわる設定はシナリオ中で上手く生かされているとはいえない。空転してしまっている。人生の師父の教訓など、活かせないならあるだけ無駄だ。プレイヤーを困惑させるゴミにしかならないのだから。あまりにもったいないやり方だというしかない。

 DC版の新ヒロイン川波ころねのシナリオがもっとも象徴的であるように、この作品のシナリオはよくあるもので独創的であるとはいえない。いや、よくあるというだけならネタを使い尽くされたという作劇分野の状況を考えれば、上手い見せ方さえ出来ていれば問題にはならない。が、「オレンジポケット」の各シナリオはお世辞にも優れた内容とはいえないだろう。
 むしろ伏線の張り方などから稚拙と判断するのが自然だ。中でも致命的なのが、シナリオ中一番盛り上がる場面に限ってばっさりとカットしてしまうやり方である。
 この欠点による被害をモロに受けてしまったのがクラスメイト三人娘のひとり、小見川円のシナリオだ。一見すると馬鹿、実はお嬢様という彼女は、田舎故に大きな権勢を誇る旧家の家風に馴染めずにいる。自由な自分でいられる学校内では元気だが、帰宅すると途端にエネルギーを失ってしまう。それでもなお、彼女は自分の望みをかなえるべく持ち前のバイタリティを発揮し、家に隠れて看護士のバイトを始める。主人公はそんな彼女を応援する立場にまわり、ふたりの距離は近づいていく。
 ところが小見川家は病院に圧力をかけ、円の仕事を奪ってしまう。希望の芽を摘まれた円は絶望的な心境に陥った……かなり重要なこのシーン、ゲーム中ではほとんど描かれていない。病院側の人間がひとりも姿を見せず、「彼らも仕方のない立場なのだ」という話はほとんどない。また圧力をかけた小見川家の人間さえ出てこない。プレイヤーはただ状況の変化を情報として知らされるのみなのだ。
 クライマックスの「とうとう頭に来てしまった秀晃が小見川家に直談判に赴く」という最高のシーンも躊躇無くカット。お馬鹿な自分のために学生の身で熱く訴えかける秀晃の姿は、円の心を強く打つだろう。そのシーンを無くしてしまって何を見せるというのか。
 円シナリオと同じような欠点は神沼桐子シナリオにも見られる。このシナリオでは、ただのクラスメイトから友人関係になれたばかりの桐子が親の再婚で引っ越してしまうという展開になるのだが、ここでも再婚する親を説得するという流れになる。ここでの「転校は嫌だ。残らせてくれ」という話は完全に子供のわがままなわけで、これをクリアするためには相当に質の高いシーンを用意しなければならない。そこを全面的にカット。プレイヤーはスタッフロールの後に「なんだかわからんけどすべてが解決してめでたしめでたし」という三文芝居を見せられるだけだ。
 なぜこんな中途半端なやりかたをするのか? 「仕事量を増やすようなサブキャラを出したくない」からだとしか思えない。
 メインヒロインである綾瀬なずなシナリオでも主人公の父親と同じ職場にやってきたという彼女の親は姿を見せない。なずなシナリオは彼女の突然の奇行に周囲が驚くというシーンがあるのだが、父親はその動機を知っているはずである。秀晃の知らない中学時代のなずなを表現するには、本人に語らせるよりも父親に話させた方がより説得力を増すはずだ。
 事実、なずなの説明を聞いても釈然とはしない。なぜ大事な試験を放置してまで主人公を待たないといけないのだろう? 彼女自身、秀晃の成績をあげるために試験勉強に付きあったのだから、秀晃は試験を受けるに決まっている。彼女がサボタージュした理由を推測し、なおかつどこに消えてしまったのかまで悟れというのは無茶苦茶な話だ。ここでも大事な展開を断ち切られている。メインのなずなと、それに近い位置にいる円シナリオでこれなのだからたまらない。
 また、江田家のとなりに住み、秀晃を「おにいちゃん」と慕う黒崎恵留シナリオも酷いものだ。ネタバレに過ぎるので隠すが、恵留はテレパシストである。この作品において超能力の実在をほのめかすような描写はない。ごくごくふつうの舞台設定による物語の中に、唐突にテレパシーなんぞが出てきてもプレイヤーは到底受け入れられない。恵留のをにおわせる伏線はあるにはあるのだが、伏線自体の出来がよろしくない。トランプのシーンを伏線だと考えると、彼女はにこやかに笑いながらイカサマをしていたことになるのだ。むしろここは心を読めていても、意図とは異なり負けるカードを選んでしまうような苦悩を描くべきシーンだった。後でテレパシーを持つことに悩んでいるような話をされたところで納得出来るはずがない。
 必要な描写の思い切りのよいカットぶりはいっそすがすがしいほどだが、もちろん褒めてよいことではない。実際にカットしたシーンの見受けられない前原羽弥、七緒美典シナリオの方が上記のものよりも出来が良いのだ。

 比較的好シナリオの前原羽弥シナリオだが、これも問題を含んだ厄介なシナリオだったりする。
 彼女は高校二年である主人公の先輩、つまり受験生だ。その彼女がシナリオ上で見せた行動は、夢を捨て(後で拾い直すのだが)助けてくれる主人公に寄りかかり、迷惑をかけ続ける短慮なものばかりである。年上の彼女が結婚出来る年齢に至っていない秀晃の家へ同棲という形で無理矢理押し掛け、彼氏を困惑させる子供じみた行為はとうていプレイヤーの共感を得られるものではない。高校生である秀晃は学校をやめ就職することさえ考えた。これは秀晃の自主的な行動のようであってそうではない。羽弥が無理強いしているのも同然である。結果、同棲のバレたふたりは退学寸前に追い込まれてしまう。彼女はその責任を取っていない。
 とはいえそれだけなら考え無しの年上女に翻弄される男の物語として破綻はしていないので許容範囲内といえなくもない。が、羽弥シナリオには同棲する前のふたつのステップが存在する。主人公と出会っては噛みつき合う時期と、羽弥が親友の源あかりと泥沼の喧嘩状態に陥る時期である。個人的には秀晃が親身になって喧嘩を終わらせた時点でシナリオを終了していても問題無かったように思う。同棲期が出来の善し悪しと関係なくうざったいのは、ほとんど蛇足のエピソードを延々と見せられるからだ。
 彼女のシナリオはメインキャラでもないのに長すぎる。少なくとも彼女は崋山の祖父の教えを受けたグループの人間ではないのだから、ここまで力を入れる必要性がどこにあるのか理解できない。
 一方で綾瀬ユーキシナリオは驚くほど短い。スタッフのバランス感覚はいったいどうなっているのだろうか。

 更に困ったことに、数少ないサブキャラは個性も際だっていて好キャラに仕上がっている。奥村崋山は和服を普段着とし、書道や武道、将棋をたしなみ、テレビなどもみないという時代錯誤な熱血漢。その彼女(婚約者)である立花柊も彼同様時代感覚を超越した良妻。源あかりはPS2版で攻略ヒロインへ昇格した。朋香先生も攻略出来ないのが不思議なほど存在感がある。神沼祖父&妹は……まあ、それなりに。
 どのヒロインのシナリオよりも崋山と柊のなれそめの方が絶対に面白いだろうと思うのだが……。

 正直、DC新規のころねを含めて9人というヒロインの数が多すぎるのだと思う。ここは崋山祖父の教えを受けたグループを中心に再編するべきだ。
 ほとんど無関係な前原羽弥と神沼桐子、綾瀬ユーキのシナリオは全部カットしよう。七緒美典シナリオはグループに入ってないキャラのくせに崋山祖父の墓前で終わるラストシナリオにふさわしいものなので、いまいち位置づけの不明な黒崎恵留シナリオと合体させる。だいいち藤木咲乃、七緒美典と、読書家ヒロインをふたりも出す必要はない。
 必要なサブキャラはきちんと出す。それにともない、綾瀬なずな、小見川円シナリオをボリュームアップする。崋山の祖父の教えももっとクローズアップしなくてはならない。設定だけで終わらせるのはもったいなさ過ぎる。
 シェイプアップでヒロインは4人に減ってしまうが、それで足りないというのなら良い味を出しているサブキャラのうち、先生か柊を攻略ヒロインへ昇格させればいい(源あかりは羽弥シナリオを消滅させた時点で一緒にいなくなっている)。柊シナリオなら親友である崋山との直接対決という構図になる。ひそかにキャラとして面白いだけでシナリオ的にあまり貢献していない崋山の役割もはっきりとするし、良いことづくめだ。

 おっと、そういえば藤木咲乃シナリオについてなにも書いてないので触れておくことにする。めりはりに欠け単調な面が見られるものの、さほど悪くない出来だといえるだろう。ヘタに極端に盛り上がるシーンがあって、カットされたりしてないのが幸いしたのかもしれない。
 ただこのシナリオだけ、ヒロインのいる場所を忠実に追っかけてもクリア出来ないと言う不思議な仕様になっているので注意が必要だ。トラップに引っかかってもおかしな展開にならないままさらっとバッドエンドへ直行するので、実際にやってみないと気付かないと思われる。原因も分かりにくい。なんでこんな風になってるんだろう?

 結局、「オレンジポケット」は雰囲気だけ体裁良くに整えた凡作という結論に落ち着く。人に薦められるほど際だったものを備えてはいない。
 ここまで書き連ねて来たのは主にシナリオ構成上の欠点だが、ゲーム的な欠点も少なくなかったりする。今時オートのメッセージ送り機能もつけてないということもそのひとつだが、もっとあからさまな欠点がある。
 まず、ボイスの音量が異常なほど小さい。オプションでBGMを消えないレベルで最小に、ボイスを最大にしてようやくバランスが取れるというほどだ。キャラによってはこれでもまだボイスが小さく聞き取りづらい。他のゲームをやってから「オレンジポケット」を起動させるとあまりのギャップに驚くくらいである。そもそも最小と最大に合わせるしかないのなら、オプション設定など無いも同じ。というか、テストプレイでおかしいことには気付くはずだ。
 加えて画像が汚い。これがドリームキャスト作品の画面なのかと疑ってしまうほどの汚さで、これも他作品と比べるとアラが際だってくる。推測するに、画像をDCに落とし込む際になにか不手際があったとしかおもえない。無理矢理圧縮をかけてつたない解凍で表示させてるような画面なのだ。PS2版は問題無いようなので、単純にスタッフの手落ちである。これもテストプレイの段階で気づけるはず。ゲームエンジンにあまり関係のない画像の差し替えくらい、納期が近くても出来ると思うのだが……。
 シナリオ構成面はオリジナルスタッフの力不足、DC版の欠陥は移植スタッフの手抜き。そういった感じである。なにしろDC版の特典ドラマCDがまたつまらんのだ(笑)。

 ここまで書いて来たのは悪いところばかりだが、一応全キャラでクリアしているので、駄目すぎて嫌になるというレベルではないのかもしれない。そこだけが救いだろうか。一応DC版とPS2版どちらかをお勧めするなら、PS2版と言っておくことにする。画像が綺麗なだけ、確実にDC版より上なはずだ。

月は東に日は西に
東奔西走スクールライフ系アドベンチャー
 ドリームキャスト版「月は東に日は西に」は、同ハードの終焉も近い2004年6月に発売された作品。元はオーガストの開発した18禁PC作品で、移植を担当したのはアルケミスト&ヒューネックスの定番コンビ。オーガスト・アルケミスト・ヒューネックスというトリニティは「プリンセスホリデー」とまったく同じ構成なので、どうしてもそれと比べざるをえない環境にある(「プリンセスホリデー」はオーガストの第二作、「はにはに(以下こう略す)」は第三作。第一作の「バイナリィポット」は移植されていない)。
 基本的なゲーム内容は「プリンセスホリデー」とほぼ同じで、ノベル形式&選択肢によってシナリオ分岐する一般的なタイプ。「プリンセスホリデー」にあった場所選択は無くなった。
 物語は主人公の久住直樹が二年生に進級した時点から始まり、4〜5月を共通ルートとして各ヒロインとの距離の選択に費やしている。6月、衣替えと共に最初の分岐。ここでシナリオが4種に分かれ、その後2種のシナリオで更にそれぞれ2つずつ分岐していく。が、シナリオの方向性を決定づけるのはおおよそ4〜5月の共通ルートで、一度各ヒロインのルートへ分岐してしまえばバッドエンドはない。後は物語を見せられるだけになる。
 どのシナリオを選ぶにしても、特に意味を持つとは思えないだらだらした話が続くためプレイがだらけがちになるが、このタイトルはジャンルを「東奔西走スクールライフアドベンチャー」としている。よくよく考えると学園生活なんてのは同じような日常の繰り返しでだらけがちなものだから、それを忠実に再現していると思えばあながち欠点と言い切れないのかもしれない。

 この「はにはに」という作品は一見するとごくごくふつうの学園ラブコメディーに見えるが、舞台設定にかなり特殊な背景を用意している。作品上重要なポイントはふたつある。
 ひとつは登場人物の一部は物語の舞台から100年後の世界からやってきた未来人であること。100年後の世界「マルバス」と呼ばれる致死率の非常に高いウィルスによって壊滅状態に陥っいる。そのため生き残ったわずかな人々はかろうじて完成させた時空転移装置によって100年前の世界に避難することにした。彼らの使命は「マルバス」の治療法を確立することにある。
 もうひとつは主人公の久住直樹に関する問題。彼は五年前に事故にあい、両親とそれ以前の記憶を根こそぎ失っている。なぜ記憶を失ったのか? 事故の内容は? それらは一部のシナリオで解明されることになる。

 この作品のシナリオはスクールライフという外観と、そこに隠された「オペレーションサンクチュアリ」という計画の二重構造になっている。序盤、共通ルート付近では「オペレーションサンクチュアリ」はほぼ完全に覆い隠され、気配すら感じることは出来ない。その後の展開のための伏線といった要素もあまり見られない。
 しかし未来人のヒロインたちは見えない場所で様々な活動をしているはずだ。これは共通ルートに限ったことではなく、他のヒロインのシナリオへ向かった場合も同じである。「マルバス」にほとんど関連しない保奈美シナリオでも、恭子は治療法の確立に励んでいるはずだし、ちひろはフォステリアナの栽培に没頭しているはず。そのはずなのだが、この作品ではその辺の整合性を欠いていて、シナリオ毎にほとんどパラレル化した世界になってしまっている。ここは大きな問題だ。
 ノベル系アドベンチャーゲームの本質は「行動の選択によってその後の展開が変化する」という点にある。つまりスタート地点を同じくしながら様々な分岐を経て、数多くの結末、未来の可能性を見いだすというもの。ところがこの作品の場合、ある選択によって未来どころか過去にあったはずの出来事さえ改変されてしまう。しかもそれがシナリオ上重要なポイントであればともかく、そういうわけでもない。ようするに単純にシナリオ間での整合性が取れていないということだ。
 これが一カ所や二カ所ではないため、二周目以降のプレイで面食らうことが多くなる。例を挙げると、茉理シナリオでは同居している彼女の両親が仕事の都合で揃って中東へ転勤するが、それ以外のシナリオでは転勤しない。転勤については直樹の力量の及ぶところではないので、シナリオの都合だけでそうなったというしかない。また、美琴シナリオと保奈美シナリオはそれぞれ独立した存在ではあるものの、内容的に対になっているのに、終盤発生する共通したある問題への対処がまるで異なっている。これが到底納得出来ないもので、とりわけ美琴シナリオのレベルを落とす結果につながっている。
 シナリオ毎でのパラレル化の行きすぎは、作品上の謎のリアリティを大きくそぎ落とすことになってしまった。スクールライフに変化をつけるためのせっかくの大仕掛けをハリボテ化してしまったような形だ。勿体ない。

 攻略ヒロインとなる面々は以下の通り。直樹が居候している渋柿家のお嬢さんで従妹にあたる渋柿茉理。直樹の幼馴染みで、記憶を失う五年前以前からのつきあいの藤枝保奈美。茉理の親友の橘ちひろ。養護教諭の仁科恭子。担任のちっちゃい先生野乃原結。そして物語冒頭で転校してきた天ヶ崎美琴。彼女がメイン扱いのヒロインになる。コンシューマ移植で追加されたふたりについては後述。
 先述したように美琴と保奈美は対になっている。で、茉理とちひろ、恭子と結先生もそれぞれ対の存在になっている。対になってるヒロイン同士のシナリオで整合性が取れてないので、対になってることもさほどの意味を持たないかもしれないが、一応対になってるシナリオ毎に解説していく。

 まずメインヒロインの美琴と保奈美シナリオから。
 美琴というヒロインは明るく元気でポジティブでありながらもお茶目という、メインにしてはやや珍しいタイプ。集中しようとしても授業は寝てしまうし、その他失敗ネタには事欠かない。「チョキの神様」や「青春のメロンパン」など、妙な会話センスを持つのも特徴。美琴がフランクな性格のせいか、美琴シナリオでの告白シーンは恐ろしく盛り上がらない淡泊なシーンになっている。が、個人的にはそこを高く評価したい。告白シーンだから盛り上げなければいけないという理屈はない。直樹の方から告白したというのもポイント。
 保奈美は直樹曰く「スーパー幼馴染み」である。かなりの美人でナイスバディで成績抜群、スポーツもこなし料理部のエースで、毎朝あの手この手で起こしてくれて、浴衣あり花火ありフォークダンスあり自転車の二人乗りあり。呼び方は「なおくん」。もうどうにでもしてくれというほど完璧な幼馴染みヒロインである。無条件にかまってくれてラブラブになっていく過程は麻薬のような甘美な誘惑だ。まさにギャルゲーのヒロインのあるべき姿という感じ。男の理想と欲望の終着点のひとつといえる。あまりに完璧すぎるためご都合的な面も併せ持っているのが逆に欠点。朝起こしに来るのが同居している茉理ではなく保奈美だということからして、周囲からの直樹&保奈美への見方はある一定の方向へと向けられることだろう。というかほとんど公認のカップル。なのに保奈美以外のシナリオへ向かうと彼女はあっさりと身を退いてしまう。設定からしてそんなキャラとは思えないのだが……。
 このふたりのシナリオは終盤である共通した問題に突き当たることになる。先述した通り、同じ問題だというのにそれに対する設定の違いが出てくる不整合の見られる事件だ。が、設定以外にもシナリオ上の違いがある。それは問題の発生源の話で、美琴シナリオでは「なぜこんな事態に陥ったのか」という説明はなされない。保奈美は事件の発端に居合わせた人物であるため、シナリオで説明されることになる。これじゃなんのために美琴がメインを張ってるのかわからない。美琴シナリオはわけのわからないうちにわけのわからない解決に至ってしまう……。
 保奈美シナリオの方にも問題はある。作品上の2つのポイントのうち、「マルバス」に関する解決がまったくなされないのだ。よくよく考えると保奈美シナリオでも無視出来る状況ではないはずなのだが。それにこちらの方でも美琴の扱いがひどい。美琴はなし崩しに五年の時を共にした弟を失ってしまう上に、なんのフォローもない。かわいそう。

 続いて茉理、ちひろシナリオ。
 茉理は直樹と同居している従妹キャラだというだけで、6人のヒロインの中で作品上もっとも重要性の低い位置にいる。彼女は未来人ではないし、保奈美のように直樹の過去の事件に関わっているわけでもない。はっきりいってしまえば蚊帳の外、ほとんど部外者である。それだけにシナリオ内容は叔父叔母の中東転勤以降、同棲状態カップルの甘甘展開を素直に楽しむものになっている。その点でいえばこれといって大きな問題はない。「スーパー幼馴染み」保奈美シナリオでも味わえないお風呂イベントで悶絶すべし。
 ただこれは保奈美シナリオにも言えることなのだが、終盤への展開がかなり唐突で驚く。それ以前の展開との有機的な結合をややミスっているという印象が強い。後でも解説するが、序盤で振りまくべき伏線の欠如が尾を引いている。ただし駄目駄目ではなく、そこそこの融和は果たしてはいる。
 最大の問題はオチ。説明不足過ぎてこれで納得するのは難しすぎる。
 ちひろは茉理の親友という位置づけだが、未来人のひとりなので作品内でのポジションは茉理と大きく異なっている。周囲の人間がばったばったと感染して倒れていく中で生き残った彼女は、なぜ自分だけが生き残ったのかを考え、結果としてフォステリアナという植物に行き着く。ちひろの現代での使命は栽培の極めて難しいフォステリアナを育て上げ、「マルバス」打開への突破口を開くこと。同じく「マルバス」と闘っている恭子シナリオとの整合性に難を持つものの、ちひろシナリオの主眼は最初から最後までブレることがないので、ひとつのシナリオとしての一貫性を保つことに成功している。そのためシナリオそのものの完成度は最も高い部類に入る。
 が、いかんせんちひろは低人気キャラ。保奈美、茉理に匹敵する魅力を欠いてしまったところだけが泣き所。この「はにはに」という作品はオーガストの人気投票で下位だったヒロインのシナリオほど良くできてるというおかしな逆転現象が起きている。
 おそらく茉理シナリオのオチにはちひろが大きく関わっているはずなのだが、描写がさりげなさ過ぎるせいではっきりとしない。ちひろよりも茉理を先にクリアすると本当に訳の分からない思いをすることになるだろう。

 最後に恭子&結の先生コンビ。ふたりとも未来人で、それぞれ対「マルバス」、時空転移装置の責任者である。そのため作品内での重要度はかなり高い。
 結先生はほとんど小学生並みの外見の女教師というキャラクターで、外見だけではなくプリン中毒など精神的にも幼い部分を残した性格。「プリンセスホリデー」でも年齢数百才外見幼女というヒロインが登場したが、その系譜を受け継いでいるらしい。おそらくガチで幼女年齢に設定するといろいろと問題が出てくるので、高年齢の外見幼女を作りだしたという事情なのだと思われる。
 「はにはに」のシナリオはなんだかんだで「オペレーションサンクチュアリ」に巻き込まれた直樹とヒロインのゴタゴタを描いたものがほとんどなのだが、結先生シナリオはちょっと体裁を異にしていて、直樹本人にはほとんど問題が起きない。一方的に問題を抱え込むのは結先生の方。で、その問題というのがかなり問題。
 実は結先生は「時空転移装置の管理責任に押しつぶされそうになったストレスから、自分を機械・プログラムに過ぎない存在だと自己暗示をかけた、ふつうの人間」というややこしい設定を持っている。そのため「自分は機械なのに久住君を好きになってしまいました」という葛藤からプログラムが壊れ→自己暗示にぶれが生じ、フォーマットしなおして好きだという感情をリセットするという展開になる。でも最後には自分が人間であったことを思い出し、ストレスと共に愛情を背負うことにした……というもの。
 これは単純にシナリオライターの技量の問題で「人間の外見を持ってるけど実はロボット。ところがどっこいほんとは人間」というややこしさをシナリオに上手く反映する力が無かった。いや、私が考えてもこんな話で上手く伏線を張るのは難しいと思う。解決する手段はいくつか思いつくものの、それは作品を見て後から考えるからであって、難易度の高さに変わりはない。ちょっと無謀なシナリオだった。
 恭子は対「マルバス」研究を継続している唯一の人物であるため、形は違えども「マルバス」に関連するシナリオにことごとく顔を出すことになる。作品的な重要度の極めて高いキャラで、美琴や保奈美がいなくても作品は成立するかもしれないが、恭子がいないとまずいことになってしまう。いわゆる狂言回しのためのキャラだ。
 シナリオはなかなか進まない研究に押しつぶされそうになる恭子を直樹が助けるというもの。といっても直樹は現代人で薬学のスキルもないため、精神的な支えになることしか出きない。が、あれこれあって直樹まで「マルバス」に感染してしまい、それによって恭子が奮起する……という話。このラインにおいてシナリオ上の破綻は小さい。
 ただ、シナリオはまあまあとしても、仁科恭子というキャラクターを魅力的に描き出すことにはやや失敗しているのではないかと思う。年上の彼女のパターンで、強さの中にも弱さを秘めるという展開にするのはいいが、もっと強さと弱さははっきりと提示するべきだった。たとえば恭子と結先生は親友の間柄というように描かれている。ともに重責を背負った辛い立場だ。が、結先生はプレッシャーに負け「自分は機械」という暗示をかけることになった。恭子はそんな結先生に対して友誼以上に思うところがあったはず。その辺を描いていれば物語の深みが増したと思う。この作品はそういったもったいない見落としが多い。
 恭子関連で問題なのは言うまでもなく、夢遊病のようにふらふらとうろつきまわる彼の話。隔離されているはずの彼が出歩く事実に対する恭子の責任は重いが、なぜそんな状況になっているのかという説明は最後までされなかった。

 以上にHシーンを加えたものがPC版ということになる。このコンシューマ版「はにはに」という作品は、直裁的なシーンこそ隠しているものの「Hした」という事実はまったく隠していない。やってしまったことになっている。こういう処理のされた作品はサターン時代ならいざしらず、DCでは結構珍しい。
 はっきりいってこの内容では、わけわからないままという印象を禁じ得ない。様々な謎を提示し、6つのシナリオで紐解くという、作品としてのトータルの組み立てに失敗している。シナリオ毎の整合性の無さもそれを大きく後押しして作品性を下落させた。
 ここであえて名作「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」を例に挙げるが、この作品は分岐によるシナリオ上の整合性に非常に優れた作品だった。あるシナリオで発生させてしまった雷が、別にシナリオでは演出上の効果になってたりする。主人公がどんなルートを通ろうとも他の登場人物はかれらなりの目的意識をもってきちんと行動している。この辺をきっちり描いてこそ、謎は謎として効果を持つようになる。保奈美シナリオのようにご都合主義を持ち出すと途端に胡散臭くなってしまうのだ。「はにはに」でも整合性に気を使うべきだった。
 更に重ねてDCで発売されている「エリュシオン〜永遠のサンクチュアリ〜」という作品も取り上げてみる。奇しくも似たようなキーワードをタイトルに持つこの作品は、数多くのヒロインに階層を設けている。後半にクリア出来るようになるヒロインのシナリオほど重要な謎を孕んでいるという形だ。「はにはに」も同じように階層を設けるべきではなかっただろうか。
 第一階層に重要度の低い茉理、それに美琴を配置する。このふたりをクリアするとちひろと結先生を攻略可能に、そこを経過して恭子と保奈美。最後に美琴のトゥルーシナリオで締めという形になる。「オペレーションサンクチュアリ」を少しずつ紐解くにはこの形が一番だと思われる。もちろん保奈美シナリオは改変が必要だ。
 その上で共通ルートの内容を大きく塗り替える。この段階で恭子の抱える葛藤や、結先生の曖昧な設定の伏線を張っておく。終盤にしか登場しない理事長先生も早々に登場させてミステリアスな雰囲気を醸し出すスパイスにしておくべき。保奈美も五年前の事件を匂わす描写を増やし、美琴関連では夢遊病の描写を早めに振りまいておくべし。茉理は現状のままで問題ないが、五年前に直樹を引き取った時の描写くらいは入れておいた方がいい。形として「YU-NO」のプロローグ編を思わせる感じになるが、正直言ってそれそのものをやれと言っていると思ってもらっていい。「スクールライフアドベンチャー」の形態を損なうことにはなるが、謎をはっきりと提示できる分魅力は増すだろう。

 おそらく「はにはに」がこうした形で生まれたのは、作り手の意識レベルの問題なのだと思われる。私は「オペレーションサンクチュリ」及び直樹の謎を主体とするミステリアスな作品にしあげるべきだったと書いた。が、実際に発売「はにはに」はごく平凡なギャルゲーの形態でしかない。これはどういうことか?
 「はにはに」は保奈美、茉理シナリオに見られるように、見ていて赤面しそうな展開には事欠かない。個人的に期待した三角関係絡みの修羅場こそ無かったものの、いわゆる「萌えゲー」としては水準以上のレベルを保っていると思う。で、オーガストが狙った作品性は謎絡みではなく、こちら。「萌え」の描写に重点を置いていたということなのだろう。「オペレーションサンクチュアリ」は作品の主体ではなく、それぞれのシナリオを彩る……もしくは平凡な学校を舞台にしたギャルゲーと差違をつけるための動機付けでしかないのだ。この世界設定に仕掛けをほどこして独自性を演出するというやり方は「プリンセスホリデー」にも見られる。こっちも主体は謎よりもヒロインの描写にある作品だった。
 結局ギャルゲーの演出効果としては風呂敷が広すぎたのだと思われる。オーガストスタッフは設定にシナリオをかぶせるという「YU-NO」の手法ではなく、萌えシナリオに設定を隠すという手法を取った。それ自体は作品構築時の選択のひとつに過ぎない。間違いとは言い切れない部分がある。実際にやってみたら「はにはに」とは微妙にそぐわなかったということだ。そういう点では「プリンセスホリデー」の方がすっきりしていて作品としては上かもしれない。
 謎を重視しなかったというのは主人公の直樹の人格設定からも見て取れる。「プリンセスホリデー」では主人公の印象がいまいちはっきりしなかった。が、直樹は典型的なギャルゲー主人公タイプのようでいて発言に18禁独特のダサさがなく、むしろ逆にキレがある。人の気持ちを理解でき、それを行動に移せる点は立派だ。ヒロインたちの愛情を受け止める資格を充分に持っているといえる(この点でミスってる作品は結構多い……)。
 が、直樹は先述しているように事故にあった五年前以前の記憶が無い。両親も同じ事故によって失った。ゲーム中の直樹はそういった影のほとんど見受けられない人格だ。作品が謎を提示するのならば、直樹も心のどこかで事故に対する疑惑を抱えていなくてはならない。疑惑は謎に対する希求となって自発的な行動を促すだろう。それはラストで謎の解明と主人公の選択というカタルシスを引き起こす。「はにはに」ではそれをしなかった。なによりもヒロインとの触れあいを重視したということだろう。

 さて、コンシューマ版「はにはに」では、サブキャラだった秋山文緒のヒロイン昇格と、直樹の親友広瀬弘司の妹広瀬柚香の新規登場、美琴のラストシナリオが追加されている。これまでの「はにはに」評価はPC準拠でこれらの内容を不可していない。というのは、追加シナリオそのものを構築したのがアルケミストだからである。オーガストは監修という形で参加しているにすぎない。
 文緒シナリオはおそらく彼女のヒロイン昇格を喜んだファンの期待を裏切るものとなっている。というのは、文緒がギャルゲー独特の都合の良いヒロイン像を構築していないからだ。眼鏡の委員長は実は嫉妬深く、独占欲の強い我が儘な少女だった。個人的にはそれをとやかく言うことはしない。直樹の恵まれた環境へのアンチテーゼとして本来あるべきだった内容を文緒シナリオでやったというだけのことだと捉えている。直樹が誰かとくっつけば保奈美は思うところがあるはずだし、逆にその誰かは直樹と仲の良すぎる保奈美に対して良い感情を持たないだろう。というか、そういうもんでしょ。あえて言うなら直樹を信じ切れなかった文緒の負の葛藤はもっときっちりと描いて欲しかった。
 そにしても「Wind」といい「プリンセスホリデー」といい、アルケミストによる追加シナリオはまったくもって強腕である。打倒「マルバス」のプロセスはこのシナリオが一番優れている。
 柚香シナリオは……見たまんまだ(笑)。作品的なボリュームアップのためのおまけの域を出ないので、特に言うことはない。ラストにさりげなくフォステリアナを咲かせたような描写があるのがミソ。
 美琴のラストシナリオは前述したように、メインとしての立場のまるっきりない彼女のためには必要だった。文緒や柚香のシナリオはなくてもよかったが、これだけはどうしても必要だったと思う。これによってバラバラだった各シナリオの整合性を出来るだけ確保し、メインとしての美琴との物語を終えることが出来た。ちなみにどう考えても文緒シナリオとは矛盾しない。「マルバス」蔓延による世界滅亡の危機の可能性を残す歴史を作っておけば問題ないはずだ。文緒シナリオではこれを否定していない。
 それでもこの作品は大きなひとつの欠点を残すことになってしまった。「マルバス」関連、「オペレーションサンクチュアリ」に関する物語のケリはおおよそつけることが出来たが、直樹自身の謎を物語に有機的に組み込むことはとうとう出来なかった。ぶっちゃけ直樹絡みの設定がなくても「はにはに」は成立してしまう。保奈美シナリオの構築が出来なくなるだけだ。直樹絡みの謎は「はにはに」という作品から乖離したものになってしまった。残念な点である。
 ……ラストシナリオのあのご都合主義全開のオチには疑問が残りまくるところ。ラストシナリオそのものを蛇足だとはちっとも思わないが、あのシーンだけは蛇足だったかも知れない。

 最後にDC版「はにはに」のゲーム的な欠点について。「プリホリ」よりもシステム面で劣化している点がひとつ。「プリホリ」および同じヒューネックス移植の「魔女のお茶会」等では前回のプレイで選んだ選択肢の履歴が残るのだが、それが無くなっている。
 誤字が多い。脱字も多い。誤用もある。ボイスが途中で途切れるシーンがあったり、まるっきりボイスの収録をミスってエンプティなシーンもある。また次の台詞まで収録してしまった台詞まで存在する。作り込みが甘すぎて製品レベルに達しているとは言えない。特に恭子絡みで失策が多い。テキストとボイスで進めるタイプのゲームなんだから、この辺の手落ちは許されない。
 今までは出来てたんだから、しっかりして欲しい。

マビノ×スタイル
魔法学園寮生活堪能型一本道アドベンチャー
 コンシューマで意欲的にギャルゲーを開発し続けているKIDは2004年夏以降いまいち閉塞的な状況にあった。その後発売された「モノクローム」もいまいち中途半端な印象を拭い切れない内容で、「メモリーズオフAfter Rain」はこのサイトでもレビューした通り酷い内容だった。この会社はもともとギャルゲーメーカーとしては珍しく多産の傾向があり常時玉石混交の状態だったのが、ここに来て崩れてしまったような印象を受ける。
 「マビノ×スタイル」は2005年4月、そういった状況の中で発売された。「マビノ」はこれまで築いて来たKIDの路線に加え、育成シミュレーション要素、カードギミックの導入、魔法学園というファンタジー世界の舞台設定と、意欲的な試みを数多く持ち込んでいる。アニメ製作のJ.C.STAFFとも手を組み、演出面も抜かりは無い。
 そんな「マビノ×スタイル」はKIDが低迷から脱出する起点と成りえたのだろうか。

 ゲームの基本となるのはKIDの通常フォーマットであるノベル系アドベンチャーゲームのスタイル。システムもクイックセーブが無くなってしまったことを除いてはいわゆるKIDシステムなので、説明書を熟読する必要は無い。いつも通りプレイ環境はとても軽快で使いやすい。文章の既読量、プレイ時間、シーンタイトル毎の読破%、選択肢消化率などの詳細なデータを提供してくれるところもいつもと同じ。この辺はどうして他社が真似しようとしないのか常々不思議に思っているところだ。
 育成シミュレーション部分は同社の「てんたま2wins」の基本部分を踏襲したもので、飛行系・召喚系・物質系などの魔法カテゴリーを選択し、それを順次こなしていく。「てんたま」と異なるのはパートナーとなるヒロインも同じパラメータが設定されていて、彼女達も主人公同様に成長するという点。同時にヒロインの好感度を上げていく仕組になっている点も共通している。各カテゴリーのレベルがあがるとカードがゲット出来る。カードは全部で44枚。ただしカードはヒロインからプレゼントされることもある。
 育成部分でゲットしたカードはシナリオの特定のシーンで使用する。主人公やヒロインが勝手に使用する時もあるが、基本的に戦闘シーン等危急の展開で咄嗟の判断を必要とする時にカード選択とコマンド操作で発動させることになる。またシナリオの過去の場面に戻る「デスティニー」やシミュレーション部分の演出を飛ばし正否判定のみを表示する「スキップ」、サブイベントの選択肢を一度だけ選びなおせる「リワインド」など、ほぼ常時使用出来るようなカードも例外的に存在する。
 シナリオは普通のノベル系作品と違い、バッドエンドへ直行するものを除き分岐しないという特徴を持っている。「サクラ大戦」のように各ヒロインのシナリオを順番にクリアしていく方式だ。この方式はヒロイン分岐すると他のヒロインが出なくなりがちな作品群にくらべ、キャラクターの横のつながりを描き出しやすいという特徴を持っている。欠点はシナリオの縦の長さがそのままプレイ時間の長さにつながるという点。

 舞台は現代から数百年後、人類は妖精事件の夜と呼ばれる世界をゆるがす破滅を三人の魔道士の出現によって乗り越え魔法と言う新たな力を手に入れ復興を始める。三人の魔道士はトリスメトギスの魔道士と呼ばれるようになり、彼らを中心となって次元の狭間に魔法を学ぶ学院を作った。そこが物語の舞台となる。
 魔法を学ぶには多くの時間が必要ということで、この学院の中にいる間、生徒は16才のまま年を取らない。そのせいか随分のんびりとした世界観になっている。6人のヒロインのうちトモミとアキラは実は20代後半。ノゾミ、ミズキ、ヒナノは外見通りの16才という設定のようだ。ことりは人造人間ホムンクルスで、年令は不明だがメンバーの中では最古参。
 物語はトリスメトギスの魔道士のひとり「光の魔道士」の娘であるノゾミが姿を消した父親の行方を求め実行した儀式魔法の結果、主人公である御神楽圭を召喚してしまうことから始まる。圭は破滅以前の旧世界から来たらしいということと、御神楽圭という名前以外の記憶を失っていた。元の世界へ戻る方法がわからないので、圭もヒロインたちと同じギバウス寮に住み込み学院で魔法を学ぶことになる。圭はカードをゲットしつつヒロイン達と交流を深め、事件の影に潜む謎の男と対決するクライマックスへと突き進んで行く。

 いきなり結論から入るが、この「マビノ×スタイル」という作品はかなりの欠点を抱えた問題作であると言わざるをえない。この欠点はカードを用いたゲームシステム、シナリオの両面に渡っている。シナリオの話をするととても長くなるので先にシステムの問題点から拾い上げて行くことにしよう。
 この作品の大きな目玉である育成シミュレーション要素だが、見事なまでのシナリオとの噛み合わせの不一致を見せている。「てんたま2」の時は毎週一度、日替わりでバイトシフトを選択していき、毎日のシナリオパートの後でバイトの結果を表示する構成となっている。一方の「マビノ」では月に一回週替わりの学習プラグラムを組んで行く形だ。
 問題点はプログラムを組み消化する過程を一気に描いてしまうことにある。シナリオ→育成パート全部消化→シナリオ→育成パート……といった具合で、プレイしているとどうしてもシナリオとシナリオの間に一ヶ月の開きがあるように感じてしまう。ところがシナリオをプレイしてみると普通に連続ドラマで間に一ヶ月もの期間を挟んでいるようには見えない。そこに大きなギャップがある。
 プレイするとすぐにわかると思うが、シミュレーションパートは本編進行のフラグとしての役目を持っている。魔法カテゴリの育成を一定まで進めたり、ヒロインとの好感度を上げたりするとメインのストーリーが進んでいくという仕掛けだ。逆にいうとフラグを立てなければいつまでたってもシナリオは進行しない。その代わりに200本もの数があるイベントシナリオ(以降サブイベントと表記)が挿入されるが、そればっかりやっているとゲーム内では数年経過しているのに物語としては数分も進まないというおかしな現象が発生してしまう。どうやら学院にいる限り16才のまま加齢しないというのはこのギャップを無理矢理うめるために存在しているようだ。だが、それで問題を解消出来ているわけではない。連続しているはずのドラマがぶつ切りになっているという点はなにも変わらない。ちなみに私はエンディングを迎えるまで25年ほどかかった。が、ミズキが自分の実年齢を16才と明言するシーンがあるので、ゲームシステムとしてのプレイ期間がいくらかかろうとも、物語上の時間は進んでいないということになっているらしい。もちろん、そんなことを言われても納得いくはずはない。
 先にも触れたように主人公同様に魔法の修練でパートナーを務めるヒロインにもほぼ同じような成長要素がある。しかしこれはそういう要素があるというだけでゲームにはまったく反映されていない。主人公との好感度の他にヒロインを成長させることで得られるメリットはまったく無かったりする。わざわざ彼女たちにもパラメータを設定した意味などあったのだろうか?
 魔法カテゴリをレベルアップさせることでカードをゲット出来るというギミックも、実はあまり効果を発揮していない。というのは主人公がカードを持っていなくてもシナリオ中でヒロインがカードを使ってしまうことで話が進んでしまうからだ。カードをゲットしてから「デスティニー」のカードで過去に戻ってやりなおしても主人公がカードを使いました、というテキスト上の変化が起こるだけでそれ以上のことはない。加えて、44枚のカードの中には作中でまったく使われないものも少なくない。ただレベルアップの証としてだけ存在するカードもたくさんあるのである。せめて「デスティニー」「スキップ」「リワインド」のようなゲームのプレイに直接関わるようなカードをもっと増やせば、カードをゲットすることに対する意欲の向上にもつながると思うのだが、結果的に非常に空虚なものとなってしまっている。
 主に戦闘中など緊迫した場面で魔法を使う時は、画面に表示されたコマンド入力を忠実に再現することで発動のプロセスとしている。このコマンドは十字ボタンの方向と4つのボタンの組み合わせで、ランダムで変わるようだ。これに失敗すると即バッドエンド→「デスティニー」で章の頭からやり直しとなる。また使用カードの選択をミスっても同じようにバッドエンドとなる。確かに緊張感を増す材料になってはいるのだが、プレイヤーが能動的な判断を加える要素が皆無なのでやらされている感がものすごく強い。これはしょせんノベルゲームなのだし、こういう要素が必要だったかどうかは大いに疑問の残るところだ。これなら「サクラ大戦」の時間制限付き選択肢の方がずっとわかりやすい。

 シナリオの問題点に入る前に世界観の描き出しに対する疑問に触れておかなければならない。個人的に「マビノ」の背景となる基本設定はそれなりに考えられたものだと思っている。ここはどうやら現代の科学とエネルギーによって支えられた文明の完全に崩壊した世界であるようだ。実際電気仕掛けの道具などが出てくるシーンは一切存在しない。アキラが銃を常備しているので火薬は存在しているらしい。電気が無いのだから人々が日常生活で魔法に依存する傾向はとても強いはずである。何をするにしても魔法は必要だ……が、そんな描写はほとんど存在しない。
 なるほど、携帯電話の代わりに「メール」等のカードを使うのは良しとしよう。ところがこのゲームでは道具という道具がほとんど顔を見せて来ない。料理に使う熱源だとか、教室の明かりだとか、魔法使いではない一般人の足についてだとか、そういう描写がまったく無い。不自然なくらい描かれていない。というか、物語のレギュラーメンバー以外の登場人物が少な過ぎて一般人の生活の実体がほとんどわからないのだ。ことり編に登場する保育所の子供の親達もどういった仕事についているのかさっぱりわからない。いや、そもそも閉鎖空間に築かれた学院以外の世界を描いてすらいない。街? あるのか、そんなもの。このゲームでは学院が世界の中心で、そして全てになってしまっている。
 これは複数のライターを起用していることから起きているのかもしれないが、魔法世界の物語であるわりには登場人物のメンタリティが現代人と変わらない点も大きな問題だろう。記憶喪失のはずの主人公がバレンタインやサッカーなど余計なことばかり覚えているのも違和感が有る。この世界は崩壊してから既に数百年が経過しており、圭のいた元の時代の伝承などほとんど無いはずだ。魔法世界を描いておきながら現代文化に引きずられ過ぎというのも問題だが、魔法文化独自の要素というのもほとんど見当たらない。プレイヤーが圭の視点を通しても異世界だという雰囲気がほとんど伝わって来ないのである。
 たとえばヒロインのひとり、アキラ・大柴は父親の後を継いで探偵を志しているハードボイルド(カチカチたまご)気取りの少女だが、魔法世界の探偵と現代と探偵では随分と様相が異なるはずだろう。魔法世界での事件なら魔法に精通せずして解決することなど出来るはずがない。なにしろ「シミュラクラ」のカードで分身を作り「メタモルファス」のカードで姿を変えることなど当たり前の世界なのだ。こんな世界ではアリバイ工作など造作もないし、それへの対策だって培われているはずだろう。ところがアキラの捜査方法はほとんどが足を使っての聞き込みだけなのである。結果アキラは古風な19世紀止まりの探偵でしかなく、魔法探偵まで昇華出来ていない残念なキャラになってしまった。
 このゲームを語る時、全編アニメで語られるラストシーンの突拍子の無さがついてまわることになると思う。しかしあのアニメの本当の問題点はこの辺りに根付いている。いまいちピンと来ない世界観しか描いていない上に現代とのつながりも曖昧な中であんなものを提出されても誰も納得出来るはずがないということだ。

 ノゾミ、トモミ、アキラ、ことり、ミズキの各エピソードについては細かい解説を省くことにする。個人的にノゾミとトモミ編は描写がかなり不安定で物語としてのバランスも欠いているように思う。アキラ以降は恋愛要素がほぼ皆無な点に非難の声もあろうが、それを除けば話としてのまとまりはそれほど悪く無い。起承転結のつながりもはっきりしている。ただたいして盛り上がる話でもないというだけだ。
 ノゾミ編は世界観の提示という物語の出だしの役目をあまり果たしていないように思えるし、トモミ編もそれに引きずられたような側面がある。アキラ編以降がそこそこなのはその辺でプレイヤーの世界観への印象もある程度固まって来るからだろうか、とも思えた。トモミ編はどうしてああいうラストシーンになるのかプレイしていて訳が分からないだろう。それとも誰か分かる人はいるだろうか?
 おそらくことり編に対して文句のある人も多いだろう。確かにこのシナリオは他の部分と比べて描写のノリが無駄に吹き飛びすぎていて、とても浮いてしまっている。それにキャラの人格にも少なからぬ違和感が有る。しかしその点を排除してみればアキラやミズキのシナリオとレベル的に大差ないことが分かるはずだ。胸に大穴が開いているのに服がそのまんまとか、群集に囲まれているシーンでその場にいるはずなのにCGに主人公の姿が無いとかすっとこどっこいなミスに関してはシナリオライターの責任ではないだろう。
 それよりも問題なのは各ヒロインのシナリオを提示し、ヒロイン毎に好感度を設定しているにも関わらず、次のヒナノ編で物語が終わってしまう点だろう。これじゃ何のためにノゾミ以外のヒロインが存在するのかわけがわからない。私はトモミとアキラがお気に入りで最終章辺りでは珍獣としてみればミズキも可愛いかなーと思っていたので、彼女達が華麗にスルーされた最後の展開にはとてもがっかりだった。ことりは普通に駄目キャラだと思う。

 さて、超問題の最終章。あのアニメでの超展開に怒り沸騰という人が多かろうということは良く分かる。「新世紀エヴァンゲリオン」のTV最終回を見た人には、あれがどういう意図の元で描かれたものなのか理解出来るだろう。つまり、単に超有名作品をパクってみたかっただけだ……と。あれはリアルタイムで製作と発表を繰り返すTVアニメでの展開だったから投げっぱなされたのだが、それを確信犯的に行うことになにか意味があるのだろうか。激しく疑問である。最初から投げる予定の物語に金を取る視角は無いと思うのだが……。他で言うと「破邪大星Gダンガイオー」とかがそんな作品だった。TVアニメは視聴料を取られるわけでもないし無駄にするのが時間だけだからまだいいが、ゲームは相応の金を払うのである。そこをもっと考えて欲しい。
 しかしこの最終章ヒナノ編の真の問題点はそんなところには無い。よくよく考えてみるとアニメシーンに至るまでのヒナノ編の展開は無茶苦茶で話にならない。ここではあえてそこを中心にして叩いてみたい。

 この作品はKIDとアニメ製作のJ.C.STAFFの共同開発だ。世界観を作り作品内容の大筋を固めたのも外部スタッフのようで、ラストシナリオを描いたのもそちら側の人員らしい。そこまでの過程では「てんたま」を描いた高瀬氏や秋タカシ氏らの姿も見受けられるのだが、とにかく最終章は世界観を作った人間によって描かれたようだ。面倒な部分を全部KID側にやらせて(音楽製作やスクリプト製作なども含む)、美味しいところだけ自分でやるという姿勢はどんなもんだろうか。
 しかもこの最終章、それまで登場していなかったヒナノが突然姿をあらわしてギバウス寮に溶け込むまでと、クライマックス部分のライターが明らかに異なっている。おそらくヒナノ登場編は秋タカシ氏の執筆だろう。そこだけ書けと指示される方もテンションは上がらないと思うが……(実は各ヒロインのシナリオからも微妙なやる気の無さを感じている)。
 それも面白かったら良いのだろうが、とにかく最終章は酷い有り様である。大バレになってしまうが説明しないと叩けないので書いてしまうことにする。

 ヒナノが仲間になってからしばらくして、トモミ〜ミズキ編でぶち壊し続けた地霊の間の封印が機能不全に陥る。それが影響して学院でも魔力の供給が滞ることになり、発動中の魔法が突然かき消えてしまうなどの問題が起きるようになった。
 担当教師のマリィとトモミはそんな折に発見されたタブレットを調査し、封印の再構築法を発見する。それは万歴祭で舞台劇を奉納することだった。マリィはその配役にギバウス寮の面々を指定。メインとなる姫と王子にそれぞれノゾミとヒナノをあてる。しかしノゾミが王子役として舞台上でファーストキスをするのは無理だとだだをこね、配役は逆になった。
 その頃街の子供の間では「オルノライマオウ」なる世紀末破壊神が近々出現して世界を滅ぼすという噂が流れていた。それを気にしたアキラは「オルノライマオウ」に関する調査を開始する。その結果、「オルノライマオウ」は最初のノゾミ編の頃から暗躍を続けていた久遠だということが分かった。前々から久遠を怪んでいたアキラと圭は舞台の本番直前ではあったが彼を拘束すべく探してまわる。
 しかし圭は久遠の姿を見つけることが出来ず、舞台へ赴く自分を迎えに来て欲しいというノゾミとの約束を果たしに寮へ戻る。ところがそこにノゾミの姿は無かった。居合わせたヒナノによると、圭自身が現れノゾミを連れ去ったという。それは圭の姿を魔法で真似した久遠に違い無い……舞台開演直前の出来事に衝撃を受ける面々だったが、マリィは更に配役を変え王子役として圭を指名した。
 かくして舞台は始まる。しかし、しばらく順調に進んでいた舞台に剣を携えた乱入者が現れた。それは何者かに意識をコントロールされたノゾミだった。ノゾミは剣の切っ先をヒナノへ向ける。圭もそれをかばうように体当たりするが、結局刃の犠牲になったのは圭をかばったヒナノだった。ヒナノは激しい出血で、致命傷を受けていることは明らかだ。正気に戻ったノゾミにも、圭にもなすすべがない。しかし、ヒナノの持っていたロケットが突然輝きだし、それが収束するころにはヒナノは全開していた。ロケットにつけられた赤い宝石は生命の源たる賢者の石だったのだ。
 ヒナノは自分がこの世界にやってきた役割を悟り、賢者の石を圭に託そうとする。記憶喪失の圭の正体はヒナノの義兄だった……。圭はそれを受け取るが、マリィは「闇の魔道士かもしれない男が賢者の石を手に入れたら、闇の魔道士として覚醒してしまうかもしれない。だからそれをこちらによこせ」と言い出す。なぜか言われるままに石を差し出す圭。そこでマリィは正体を見せる。実はマリィなどという人物は最初から存在しなかった。彼女は久遠の変身した姿だったのである。
 目的である賢者の石を入手した久遠は闇の魔道士としての力を発揮、一撃で学院を吹き飛ばしてしまう。ノゾミ、トモミ、アキラ、ことり、ミズキ、ヒナノの6人もクリスタルの中に拘束し、巨大な鍵で圭の内なる力をも解放した。
 その結果なにがどうなったのやら舞台は21世紀初頭(つまり現代)になり、妹のヒナノがねぼすけの兄を起こしに来て、彼女のノゾミが迎えに来るのだった。

 一見すると王道のシチュエーションで意外な展開続きの燃える内容のように思えるが、突っ込みどころが多過ぎて困ってしまうくらいだ。本当に多過ぎて困っている状況なので、ひとつずつピックアップして解説してみる。

☆これまで主人公たちを指導して来たマリィが実は久遠の変装だった。
 なるほど、確かにマリィと久遠が同時に姿をあらわしたことはこれまでに無かった。しかし、そもそも分身も変装も自由自在の世界観である。なんでもアリだ。こんなことがあっても良いかもしれない。ただ彼らが同一人物だというのはことり編の展開から首をかしげざるをえない。
 マリィはアキラの曾祖母であるババァと数百年来の仲で、過去にはある少女の死を巡って対立したこともあった。それをきっかけにマリィはことりというホムンクルスを作り、少女の魂を使って本来自我のない存在に意識を吹き込む。マリィはことりを偏愛しており、その体内に流れる万能薬パナケアを使うことも固く禁じていた。
 じゃあなにか。久遠は数百年前からマリィに化けていたというのか。ことりを造り出したのも将来の計画のためだったのか。それはちょっと無理が有り過ぎないか? ババァはカード魔法の生まれる前の古典魔法の時代から生きていて、マリィもその時代の人間である。なのに久遠はカードを使って変身を解いた。これは矛盾しないのか?
 というかマリィ=久遠という構図に対する伏線などそれまでまったく無かったわけだが、作劇の手法としてこんな御都合展開が許されるのかという話だ。そりゃ予想も出来んわな。個人的には非常に問題のある設定だと思う。

☆約束を果たせなかった圭
 圭はノゾミに対して「舞台へ向かう時、迎えに行くよ」という約束をしていた。しかし圭に姿を変えた久遠が一足先に寮へ乗り込み、ノゾミをさらってしまう。この展開に問題は無いだろうか。はっきりいって大有りである。大問題だ。
 そもそもこの約束自体が「約束を破ってしまう展開」のために必要としたものであり、悲愴感を過剰に煽るだけの無駄な演出でしかないのだが、展開そのものもとてもおかしいのだ。なぜ圭は久遠の先行を許したのかといえば、それはアキラと共に「オルノライマオウ」である久遠を探すためだった。圭はある程度のタイミングで捜索を諦めて寮に戻っている。その時期がわずかに早くなるだけでふたりの圭が寮で鉢合わせる可能性が生まれてしまう。「そりゃ久遠だって圭の動向くらい確認してるさ」とライターは言うかもしれない。しかし圭が最初から久遠捜索に加わらないという可能性だってあるのだ。待機しているノゾミに最初から圭が張り付いてたらどうする?
 なぜ圭は久遠の捜索に加わったのか。それはアキラが「オルノライマオウ」を久遠と特定したからだった。アキラがそんな報告をしなかったら、もしくは特定出来ていなかったら、それだけで久遠がノゾミをさらうことは出来なくなる。ではアキラはどうやって「オルノライマオウ」を久遠と特定出来たのかというと、噂を吹き込んでいたのが過去にも謎の人物の手足として暗躍していた双児の話を聞き付けたからだった。そこから得意の似顔絵を使い成果をあげる。つまりこれは久遠が自分から情報を流し、アキラにそれと悟らせたということになる。これは久遠の策だろうか? いや違う。久遠側としてはそんなことをする必要は無いのだ。この「オルノライマオウ」の噂は子供の間に流布した戯言でしかない。気にしたのはアキラひとりだけである。これを圭を寮から誘い出すための策とするのはあまりに無謀だ。ほとんど風が吹いたら桶屋が儲かるという世界の話、確実性が乏しすぎる。だいいち正体をバラさなくても久遠的にデメリットなどなにもないじゃないか。むしろ計画遂行のためには隠しておいた方がいい。
 ではなぜこんな展開が描かれているのだろうか。それはノゾミをさらった人物が久遠であると断定されなければ悲劇性を煽れないからである。正体を伏せたままノゾミをさらうことは簡単だろうが、そうすると約束してたのにノゾミだけどっかに行ってしまってみんなが困ったよ、という話にしかならない。これだと圭が約束を守れず悔やむという展開にも出来ない。これはまず結果ありきの展開なのだ。約束という要素の重さだけを重視した中身の無いはったりである。

☆舞台上での悲劇
 ノゾミが操られた! ヒナノが犠牲になった! これは悲劇だ!
 これも悲劇的な展開を煽るためだけの材料集めでしかない。本当に材料集めの領域から出ておらず、まっとうな悲劇としては成立していないのだが。
 圭やトモミ、アキラから見れば万歴祭の重大な儀式である舞台をぶち壊された上に取りかえしのつかないことになった……というところだろう。しかし思い返してみて欲しい。突然タブレットなるアイテムが浮上し、それをトモミに解読させたのはマリィなのである。マリィ=久遠。この舞台はそもそも最初から久遠が演出したものなのだ。そりゃ配役だってぴったり当てはまるわけさ。久遠がそういう風に持って行ったんだから。
 こうなると舞台を行うことで封印を再構築し魔力を回復させる
話もリアリティを失って来る。久遠としてはせっかく壊した封印を元に戻す必要等無い。万が一儀式が成功して封印が復活するなんてことがあったら馬鹿みたいではないか。
 結局これも作品として悲劇性を盛り上げる都合から久遠を適当に動かした、という話でしかない。ためしに久遠の立場に立ってやってることを振りかえって見るといい。いかにアホったらしいことの連続なのかがわかるだろう。例えば……魔力が高いからノゾミとヒナノをメインに据えたということになっているが、ノゾミは極楽風琴鳥のワンドを作るために体内の魔力をすべて失っているじゃないか。ワンドを持ちながら演技をするにしても、姫役でそれをやったらどう考えてもおかしいだろう。他のメンバーならワンド+自分の魔力で確実にノゾミの魔力を超える。アキラがワンド持って王子役の方がハマるんじゃないの?
 さて、舞台上では圭とヒナノが互いをかばいあい、最後にはヒナノが凶刃に倒れることになった。しかし賢者の石の効果でヒナノは復活する。この展開も実はまずい。誰かが自己犠牲になって死に瀕するという展開は、ノゾミ編ことり編ヒナノ編でなんと作中三度目になる。これを安易と言わずしてなんと言おうか。なんせプレイ中はニ度目のことり編の時点で「安易だな」と思ったくらいだ。
 そして三度目のこの舞台での出来事がほとんどことり編の焼き直しであることに気付く。つまり今回もことりが出しゃばってパナケアをヒナノに与え復活させてしまう可能性がある。斬られたのがヒナノではなく圭であればそうなっていた可能性は非常に高い。そしたら賢者の石の発動もなく、舞台上でヒナノが圭に石を送る展開も無くなってしまうだろう。当然久遠が石を奪い取ることも出来ず、その後の展開は全て無くなる。久遠が本当に総てを計算して行動しているのなら、この場からことりを遠ざけておくべきだ。
 結果的に久遠は賢者の石を手に入れ暴走した。が、それなら最初からノゾミではなくヒナノを狙えば良かったんじゃないだろうか。催眠術まがいの技で人を操れるほどの男なんだから、才能はあっても魔法使いとしてのキャリアの無いヒナノを拉致することは簡単だったろう。もしかしてヒナノの持っているロケットの石が賢者の石だと知らなかったのかもしれないが、この石はバカ圭が見ただけで地下で見たアレと同じものと察したくらいのものだ。ロケットそのものも柱顔の時に見ているはずで、久遠ほどの男が気づけないとは思えない。
 ヒナノを拉致すれば簡単に事を終えられるものをこんな描き方をしたというのは、シナリオライターがこんな展開をやりたかったからだというのが最大の理由だろう。それで久遠が無能という描写になってしまっても全然平気だ(苦笑)。

☆学院すべてを吹っ飛ばす
 石を手に入れた久遠は情け容赦なく学院のすべてを強大な衝撃波で吹き飛ばしてしまう。助かったのは咄嗟にシールドを張った圭たちだけだった。
 そうか、学院の他の連中はそんなに無能ですか、というシーン。でもまあ、真の問題はそんなところには無い。学院の他の連中が根こそぎ吹っ飛ぶようなことをすればどうなるか、久遠には分からなかったのだろうか。「なんたら・ミスティカ」への道を開くには圭の他にギバウス寮の面々6人の「奏者」が必要なのではなかったのか。こいつらまで死んでたらどうするつもりだったのか。
 というかこのシーン、ワンドが無ければ魔法を使えないノゾミが堂々とシールド使ってるんだが(笑)。いや、舞台中で自分達も役者のひとりだというのにヒナノ以外全員舞台衣装を着ていないトモミたちもどう説明する? もっともこれは実際に舞台にあがっていた王子役の圭がいつもの制服じゃねーかという突っ込みもあるからどうしようもないな。
 この作品、大事なところは全部描写不足(というか描写していない)で、最後の最後に圭が「すべてのピースが揃おうとしていた」などと言っているものの、プレイしてる方はちんぷんかんぷんやねん。
 6人の「奏者」というのも、何をもって「奏者」の資格を持つのかが明らかになっていない。一応ヒロイン達はそれぞれのシナリオで専用のマジックアイテムを入手するということになっている。しかし最後の場面でそのマジックアイテムを持っていたヒロインはひとりもいない。それにヒナノはマジックアイテムに相当するものをゲットしていない。最初から持っていたロケットがそれにあたるのかもしれないが、それは最後に久遠に取られてしまった。それにことりもマジックアイテム「聖杯」をゲットしたような描写を見た覚えが無い。いつのまにかに持っていたような。
 いずれにせよあの場面は「圭たちを除いた学院総て」をふっとばすという描写で無ければいけない。それまで散々無軌道な行動を取って来た久遠の行動に整合性を求めても仕方ないんだろうけどね。

☆そして最後のアニメ
 あの酷い最後のアニメ部分の最大の問題点は、結局この物語を「計算通りとか言ってたいしてなんも考えて無いアホに散々翻弄された挙げ句、最後までいいようにされてヒロインたちまでクリスタルに封じ込まれて助けることも出来ず悪に屈する」というカタルシスもなんも無いものにしてしまったということだろう。
 一番最後のアレ? アレは夢じゃないのかな。アレがハッピーエンドのひとつの形というのなら、これほど後味の悪いハッピーエンドを私は初めて見たということになる。そのシーンにヒナノとノゾミは出てくるが、他のヒロインたちは姿を見せない。ヒナノ、ノゾミよりも他のヒロインの方が好きだったというプレイヤーにとっては酷くフラストレーションの溜まるものであっただろう。

 最後になるが、アニメ製作会社とタッグを組んだわりにはこのゲームのビジュアル面は酷く悪い。汎用CGは頭の位置を固定して身体だけ書き換えた手抜きだし、妙に主線が太くてヒロインたちも可愛くない。イベントCGもいつものKIDスタッフの方が綺麗なものを描いている。アニメシーンの出来映えもけして誉められたものじゃない。デッサンは狂ってるし見せ方も良く無い。
 どうもこの「マビノ×スタイル」という作品からはKIDらしさを感じることが出来ない。確かにKIDスタッフも数多く関わってはいるものの、製作の主導はJ.C.STAFFの方だったんじゃないかと思える。変な企画を持ち込まれてKIDも気の毒だったななどと思ってしまったが、これは私の勘ぐり過ぎだろうか。私はしょせんしがないKID信者だし。
 この作品の一番良かったところは少しだけ触れたサブイベントだろう。ひとつひとつを見ればさほどナイスなシチュエーションというわけでもないが、約200本という物凄い量を用意されるとさすがに圧倒される。そしてこれがいまいち説明不足だったキャラクター間の隙間を大いに埋める役割を果たした。ヘタをすると本編よりも面白いくらいだ。
 このサブイベント、技量不足で効果的にヒロインを描写出来ないライターにとってはすごく良いシステムだと思う。数を用意することで収集的な要素も出てくるし、本編で描くには他愛の無さ過ぎる話をいくらでも盛り込むことが出来る。酷い作品だったが、これには大きな可能性を感じている。ぜひ他の作品にも取り入れて欲しい。
 これは普通に選択肢で分岐するだけのいつものKID作品ではやりにくい。シミュレーションパートでフラグを立てないと本編の進まないこの作品でこそ本領を発揮するものなのも確かだ。とはいえ、「Ever17」に仕込まれたランダムイベントのようにやって出来ないこともないだろう。200本とは言わずとも、50本も用意出来れば充分だと思う。
 結局この作品はライターのエゴ丸出し(最後の良いところだけ自分で描いたという辺りからもそう感じられる)のバカ展開よりも、もっとミニマムなサブイベントの方が数段高く評価出来るという変に本末転倒な作品になってしまった。スクリプトのにょ氏、サウンドの阿保氏はいつも通りに安定した力を発揮していただけに、下手に人に迷惑かけるようなものを作るなよ、と言いたい。

メモリーズオフ After Rain
「折鶴」「想演」「卒業」
人気作完結三部作アドベンチャー
 「メモリーズオフ・After Rain」シリーズは2005年1月から3月にかけてKIDが発売した連作形式のノベル形式アドベンチャーゲームである。これはKIDの看板作品である「メモリーズオフ」シリーズの第一作、第二作にあたる「メモリーズオフ(コンプリート)」「メモリーズオフ2nd」に登場した主人公とヒロインを再起用し、新たな物語を通して彼らのその後までを描いたある意味壮大なスケールを持った作品だ。双方合わせて数多くの登場人物が存在するためその規模もそれなりに大きくなり、それぞれにファンのついているヒロインを活躍させる都合上出演陣の多くなるシナリオを構築する必要があった。
 このシリーズは現時点で第三弾「想い出にかわる君」第四弾「それから」まで発売されており、2005年内にも第五弾となる作品の発売が予定されているらしい。パソコンのエロゲー移植ではないコンシューマオリジナル作品ギャルゲーといえば、「シスタープリンセス」や「双恋」のようなキャラ主導タイトルを除くと「メモオフ」ありきといってもいいだろう。それだけの歴史とファンの支持を受けている作品であることは確かだ。
 正直「1st」も「2nd」もギャルゲー史上に残る傑作かどうかというとかなり疑わしい作品と言わざるを得ない。どちらの作品もメインヒロインシナリオのライターに槻潮鋼氏(当時の打越鋼太郎氏)を起用しているが、どちらの作品もヒロイン毎にライターが全員異なるというかなり珍しい特徴を持っている。そのため世界観に妙な奥行きが出ている反面、シナリオ毎の設定の齟齬も数多く見られる。ただ、KIDのその後を決めた作品であることも確かで、参加したライターの多くがその後にピンで別の作品をモノにしている事実を軽視出来ない。個性的なシナリオライターの競作体勢が良い方向に働いたといえるだろう。少なくとも競作させることでシナリオのパターン化を避けることには成功している。
 「メモリーズオフ・After Rain」シリーズは「メモリーズオフ五周年記念作品」と位置付けられていて、その売りのひとつにオールスター共演というものがある。一部の優遇されているヒロイン以外では「想い出にかわる君」「それから」でまったくフォローされてない人物も非常に多いため、お気に入りのヒロインの久しぶりの活躍が見られるという点は大きな訴求力となった。また三部作という構成を取ることから前作のプレイデータを次作に反映させられるリンクシステムを導入した。
 ファンの支持の裏打ちを持って開発された「メモリーズオフ・After Rain」という作品はいかなる出来に仕上がったのだろうか?
 
 

 このシリーズ最大の特徴はなんといっても三部作構成による3ヶ月連続発売という点にある。そこになんらかの意図を含んでいることは明らかだ。が、とりあえずゲームの基本的な部分の評価を先に済ませておきたい。
 「折鶴」「想演」「卒業」いずれを数分でもプレイすればわかることだが、この作品は可能な限り簡略化された作りになっている。KIDお得意の汎用CG(立ち絵)を豊富に使った小気味良い演出は各員ひとつ・服装に因る違いのみという思いきりの良すぎる割り切りによって完璧になりをひそめてしまった。表情の変化もメッセージウインドウ左の「今台詞を話しているキャラ」を表示する部分のみ。複数の登場人物を一画面に表示するギミックも消失している。手抜きというしかない。
 また背景画も既存シリーズからの流用が非常に多く、新規に描かれたものの質もあまり良く無い。全体的にゲームボリュームも小さく10時間もあれば1タイトルをコンプリート可能。シリーズ3本合わせてもボリュームでは「2nd」に劣っているだろう。BGMも過去作品の使い回しだが、全曲アレンジされているしシリーズの性格上手抜きとは言えないかもしれない。
 その他の基本システムは優秀なKIDシステムを搭載しているため非常に良好だ。特にバックログから一点を任意に選択し過去へ戻ることが可能な点は大きい。これによって更にプレイしやすくなった。
 全体的に見てチープな印象を拭い切れない。ぶっちゃけ開発費が安いんだろうな、としか言い様が無い。一応各作品ともエンディングを見て行くことでシナリオに自分で突っ込む「エクストラコメント」が表示されるようになる。これはボリュームが少ないのを何周もプレイさせるようにする配慮だろうか。なかなか笑えるツッコミが多いため面白い要素だ。もっとも苦笑することも多々あるのは確かだが。
 このチープ感が災いして一作目である「折鶴」をプレイしただけでシリーズを駄作と決めつけるプレイヤーも少なくなかった。しかしそれは早計というものだろう。繰り返すが三部作という形態と取ったことにはなんらかの意図があるはずであり、当然のことながらシリーズの結論は三作目で提出されるものだからである。個人的には「終わりよければ総て良し」というフレーズは勝てばオッケーというスポーツの世界での用語であると考えているので「折鶴」「想演」それぞれの評価もなされなくてはならないだろうが、プレイヤーも「卒業」までプレイしない限り最終的な評価を下せはしない。そのためこのレビューも基本的に三作品を通した結果を踏まえている。
 
 
 

 言うまでもなくシリーズ最重要となるポイントは最終作「卒業」で描かれる「卒業」それそのもののテーマだ。少し意外に感じるかもしれないが、この手のノベル系ギャルゲーにおいて「卒業」を主眼に置いた作品はあまり数多く無い。その理由は簡単で「卒業」というテーマは単体では機能しないものだからである。「卒業」……簡単に考えると学校を卒業するという意味でしかない。しかしこれを物語に据えると自然と寓意的な面が顔をあらわす。行事としての卒業を描いたところで面白くもなんともない。主人公や他の登場人物たちが何から卒業していくのか、それが大きな問題になるのだから。そのため「卒業」を描くためにはそれまでの経過をしっかり描くことが重要になってくる。シリーズを三部作としたことにはそんな理由もあるはずだ。「折鶴」「想演」の2タイトルは仮定の提示に過ぎない。
 本来ならば入学時から卒業までの三年間をきっちり描ければそれが一番ではあるが、「1st」は主人公が二年時の秋の物語で、「2nd」は三年時の夏の物語となっている。ふたつの作品のその後を描くこのシリーズは必然的にニ年秋以降〜卒業までを描くしかないわけだ。結果的に「1st」のその後を描く「折鶴」は三年春の修学旅行、「2nd」のその後を描く「想演」は文化祭を舞台とすることになった。時系列的に「1stその後」>「2ndその後」>「卒業」という流れになることを考えれば当然の帰結ではある。体育祭をチョイスしなかったのは多くの登場人物を絡ませ難いからではないかと想像する。
 春の修学旅行、秋の文化祭を経て卒業へとつながっていく流れはやや強引かもしれない。春から春へつなぐ中間が秋しかないというのは少し寂しい。しかし三部作で印象的な学校行事をフォローするとどうしてもこうならざるをえない。基本的に「卒業」までの流れの構築にミスは無いと思っている。後は内容だ。
 
 
 

 まず第一作である修学旅行編「折鶴」から見て行くことにしよう。「折鶴」は主に「1st」の登場人物で物語を固めているため、出てくるキャラの大半は主人公となる三上智也の在籍する澄空高校の生徒たちだ。実は同時に「2nd」のキャラが在籍する浜咲学園も同時に同じ京都へ修学旅行を行っている都合から、そちらのキャラクターも一部登場してくる。これは相当に無理のある話なのだが、作中で旅行業者と学校側の利権の話が出てくる。浜咲側の校長にはそうした裏事情に汚い人物だという設定があるため、妙な説得力を持っていて面白い。
 三上智也は中学時代、当時交際していた幼馴染みの桧月彩花を事故で失っている。彼は事故の遠因が自分にあると己を苛み続け、新たな一歩を踏み出すことに臆病になっていた。そんな彼の前に現れた少女たちとの物語が「1st」という作品である。事故当日強い雨が降っていたことから智也の精神的な復活=「雨はあがる」というキーワードを用い「メモリーズオフ」という作品の核とした。以降の作品でも思いを寄せていた女性が絡む精神的葛藤を物語の主軸としている。
 「1st」のヒロインはもうひとりの幼馴染みで傷付いた智也をそばで見守って来た今坂唯笑、転校生そのいち双海詩音、転校生そのに音羽かおる、彩花の従妹にあたる伊吹みなも、購買部のおばちゃんの娘で女子大生の霧島小夜美の五人。「折鶴」はその中の今坂唯笑と結ばれた後を受けた内容だ。「1st」にはふたつの唯笑エンドが存在するが、そのどちらの後の物語になるのかはわからない。どっちでも同じといえば同じ。
 智也は唯笑の献身的な庇護の元でかろうじて自我を守っていて、なにかが起こればふたたび精神の均衡を失ってしまうような状態だった。それが修学旅行を前にして少しずつほころびを見せて行く。京都への修学旅行、それは事故さえなければ彩花と新たな想い出を作る行事のはずだったから。京都の地で彩花を欠いた想い出を作ることに無意識の拒否反応を起こす智也。その姿は今の彼女の唯笑を傷つけていく。
 智也を心配する唯笑は彼の親友で高校を中退して一人暮らしをしている稲穂信を旅行に同行させるがそれも大きな効果を発揮しなかった。勝手に落ち込んで行く智也に絶望した唯笑は旅行の中、ひとり姿を消してしまう。今自分が一番大事にすべきなのは誰か。それを思い出した智也は周囲の協力を得て失踪した唯笑を探し求めるのだった。
 ことあるごとに彩花の影を追い求める智也の姿、それを見ているしかない唯笑の様子はとても痛々しくシナリオをしっかりと引き締めている。信やかおるもほどよい活躍を見せてくれるし、それなりにまとまったシナリオではある。しかしその内容そのものが問題だ。彩花の想い出を強く喚起する場所でふたりが共に傷付き、やがて唯笑がその重さに耐えられなくなってしまう。それを信の言葉で迷いを振り切った智也が追い掛ける。この構図、「1st」での唯笑シナリオと全く同じものなのだ。そのため数多くのプレイヤーから「こりゃ1stの焼き直しじゃないか」という文句を受けることとなった。同じことを繰り返してどういうつもりだというプレイヤーの指摘は正鵠を射たものと言わざるを得ない。
 シナリオボリュームは「1st」の唯笑シナリオよりもだいぶ短くなっているが、これは他のヒロインの描写をカットしていることを考えると実質ほぼ同等かやや少ないといったあたりだろう。それだけに焼き直しの感は更に強くなる。後半になって登場する寿々奈鷹乃や白河ほたるの存在が多少の彩りを添えてはいるものの、やはり強引な登板のさせかたであるように感じる。彼女達になんらかの役割があったとすれば、多くの協力者の存在によって智也に重い責任感を呼び起こす演出上のものだろう。助けになるキャラなら誰でも良かったはずである。それが彼女たちである必然性はこれっぽっちもない。
 焼き直し+チープな盛り上げ方という構図がこのシナリオの本質をぼかす原因となっている。なぜならこんなシナリオが許されるのなら「このふたりは今後また同じことを繰り返すんだろうねえ。で、いつか唯笑の方が愛想をつかすんじゃないか」ということになり、このシナリオにまったく実がないことを露呈してしまうからだ。確かに彩花の死を背負った智也の葛藤を描くシナリオを構築しようとすると、自然にこんな形になってしまうのかもしれない。基本的なシナリオの骨子をそこに持って行くのも仕方ないだろう。が、なにも展開まで同じにしなくてもいいではないか。
 信が智也を一喝する役目を担うキャラだとしても、他にやりようはあるように思える。たとえば智也が過去と今のふたりの少女の間で心を揺り動かすキャラだというのなら、唯笑の方にも同じ質量を持つ重みをかけてやればいい。智也のことを忘れて他の男に走るという展開へ持って行き、それを目の当たりにした智也が今の苦悩を新たに抱え込む、というのはどうか。そもそも修学旅行という行事自体に男女の急接近させる性質があるのだから、オリジナルのライバルキャラのひとりでも出してやればシナリオの向く方向は大分変わったはずだ。オリキャラがダメなら狂言かました信であってもいい。これなら信に微妙な気配を見せる音羽かおるの存在もクローズアップできるし、現状の陳腐なものよりは違った評価を受けることにはなっただろう。
 結果「折鶴」の唯笑シナリオはまとまった内容のわりには評価しにくいものとなってしまった。その歯がゆさを「卒業」で解消出来ればこれでもいいのかもしれないが、さてどうだろう。

 「折鶴」もうひとりのヒロインは予想外にも「2nd」から飛世巴が出張してくるという形になっている。これはおそらく修学旅行を物語の舞台に設定したためで、
★女子大生の小夜美は同行させられない
★学年の異なるみなもも同行させられない
★詩音は声優の都合上ボイスを吹き込むことすらできない
★かおるは班行動という要素のためか友人ポジションに入った
以上のことから「1st」勢から唯笑の対抗馬を持ち出すことが出来なかったせいだろう。幸いにして「2nd」のヒロインといっても巴は智也達と同じ学校、同学年である。抜擢するにはもってこいのキャラだった。
 巴は同じ学校の生徒ではあっても智也達と特別面識を持っていないという設定になっている。そのため「折鶴」の中で初めて出会うシーンが用意された。智也がぼけーっとしていて車に轢かれそうになっていた巴を助けるというのがそれである。これはなかなか絶妙な演出だった。交通事故=彩花の死を智也の中で結びつけつつ、助けてあげたのに暴言吐いてしまったせいで引っ叩かれたという展開も巴のキャラクターを端的に示す要素になった。
 巴シナリオは唯笑や信、かおると別行動を取った智也がひょんなことから巴と一緒に京都を回るという展開になる。その内容はまさに巴ファンのためのサービスシーンの連続という感じで、実にたまらない。浴衣の裾をはだけてみせたり、映画村で街娘のコスプレをしてみたり、ちょっとやりすぎの感さえあるほどだ。旅行前に最悪の出合いを果たしたふたりが、旅行本番で急接近していく。きちんと先触れを用意して盛り上げる手法はこの手のシナリオの王道だろう。
 これは偶然だと思うが巴も弟を交通事故で無くしているという過去がある。この設定を掘り起こして使ったのも見事だった(もっとも、小夜美も同じ設定があったりするが……)。同じ心の傷を持つ者同士が惹かれ合うのはさほど無理のある展開ではない。加えて巴はもともとメインヒロイン(白河ほたる)から彼氏を奪う役柄のキャラである。この役目は登場の機会を持てたとしても「1st」のヒロイン達には荷が重かったかもしれない。
 なんだか誉めすぎているような気がするが、露骨に目につくような大きな欠点の見当たらないシナリオであることは確かだ。「2nd」本編でほたると修羅場を繰り広げた巴が唯笑とは直接対決しなかったという物足りなさはあるが、唯笑が智也のしあわせのためなら身をひけるという立ち位置にいるため、かえって対決してしまう方が不自然だともいえる。「智也と巴というカップリングが気に入らない」という指摘は多分に生理的であり、わざわざあげつらうほどの欠点とは言えないだろう。
 この「折鶴」巴シナリオは完全な「if」の物語で、非常に刹那的な性質を持っている。というのはこの巴エンドからは「2nd」にすら物語がつながっていかないからだ。先にも書いたように「2nd」で登場する巴は智也達と面識がない。当たり前だが智也とくっついておきながら健にもちょっかいをかけるようなキャラでもない。巴シナリオは三年春という時期にのみ限定して存在出来る特殊なシナリオなのだ。広義の意味でのSSであるとも言える。個人的にそんな刹那的な面にもこのシナリオの魅力があると想っているがどうだろうか。

 「折鶴」はふたつのメインシナリオそれぞれがそれなりの良さを持った佳作であると思う。10時間ほどでコンプリート出来るシナリオボリュームの薄さはシリーズにわたって存在するものなので「折鶴」単体の欠点としては挙げることが出来ない。シリーズの出足としてはなかなかの好発進を見せた。この時点では今後に期待をかけても良かったはずなのだが……。
 
 
 

 続いて第二弾となる文化祭編「想演」を見てみることにする。こちらは「2nd」の舞台となる浜咲側のキャラクターをメインにした物語だが、「折鶴」という前提を踏まえているため一作目での「2nd」キャラよりは「1st」キャラの出番も増えている。しかし「2nd」という作品はもともとヒロイン間の人間関係のつながりが弱いという特徴がありほとんど面識を持たない組み合わせも数多い、オールスター出演にはあまり向いていない作品だった。
 「折鶴」が素直に(どちらかの)唯笑エンド後の物語となっている一方で、「想演」はなんと「2nd」以降の作品でフォローされたことのない巴の、しかもノーマルエンド後の物語に設定されている。正直最初はこの事実にかなり驚いたが、よくよく考えてみると他に選択肢が無いことがわかる。オールスター出演にするためにはメインのほたるエンド後では不都合があるのだ。問題点はふたつ。
★ほたるエンド直前にヒロインのひとり南つばめが引っ越してしまう
★巴と主人公である健の接点がほとんど無い
6人(7人)いるヒロインのふたりも出られないということでは話にならない。ほたるエンド以外ではつばめが引っ越すことはない(引っ越しているとしてもその描写がない)ため、他から道を探すことになる。
 問題は巴の方。ほたるエンド以外でも巴当人以外のシナリオで健と接点を持たないことに違いは無い。それに他のヒロインのエンディングを採用してしまうと健とほたるが別れてしまう。ここから巴トゥルーエンドも採用することが出来なくなる。結局ほたると巴を両天秤にかけてそのまんまという巴ノーマルエンドを選ぶ以外に術が無いのだ。この時点で「折鶴」に続いて「想演」でも巴のプッシュが続くことが決定する。巴ファンにはたまらない展開だが、他のヒロインのファンにとってもたまらないだろう。特に台詞さえない詩音ファンには目も当てられない話だ。
 巴をプッシュする一方で今作でもほたるに対抗するヒロインには寿々奈鷹乃が抜擢された。これは「折鶴」の時程ややこしく考える必要はない。文化祭でどんなクラスの出し物を選ぶにしろ、接点の多くなる人物はクラスメイト以外にない。よってクラスメイトの鷹乃が選ばれたということだろう。実のところ「2nd」において鷹乃のクラスメイトというギミックが活用されたふしがほとんど見当たらなかったりする。有効活用されるべき要素が活用されるのはとても良いことだ。へたに放置されると気持ち悪くなる。

 「想演」でも「折鶴」と同様にふたつのルートへシナリオ分岐する。「折鶴」ではギャルゲーで普通に見られる唯笑ルート、巴ルートとヒロインに絡むルート分岐だったが、「想演」ではほたるルート、鷹乃ルートという具合の分岐はしない。ホームルームでの健の出方によって文化祭の出し物の種別という分岐を辿る。ひとつは演劇、もうひとつはルサック(主人公伊波健のバイトしているファミレス)。文化祭の出し物の王道を行く選択である。ここで奇をてらってカキコオロギ屋とかを選ぶ必要性は感じられないので問題はないだろう。
 ヒロインをふたり設定してルートがふたつ存在するなら、それは事実上のヒロイン分岐と同じことなのではないかという指摘もあるかもしれない。しかしそれは双方のシナリオをしっかり読んで行くことで理解してもらえると思う。
 まず先に伊波健とヒロインたちの周辺事情について少し書いておこう。伊波健は親元を離れ朝凪荘というアパートで一人暮らしをしている高校生で、サッカー部に所属している。彼は高2のクリスマスに同級生の白河ほたるの告白を受け交際を始めた。交際はおおむね順調だったが、3年の夏県大会に敗退し部活を引退。やり場のない気持ちを抱え込んだ健は落ち込んだ気持ちをほたるとの交際にも持ち込んでしまい、関係を微妙なものにしてしまう。
 そんな健の周囲に数人の魅力的な女性が姿を見せた。学校の夏期講習で臨時講師を勤める南つばめ、ほたるの実姉白河静流、別の高校に通っているが中学時代からの親友飛世巴、アルバイト先で同期になった相摩希と望の姉妹、クラスメイトの寿々奈鷹乃。以上の6人である。
 つばめは新設定が導入され夏休み後も浜咲で教鞭を取ることにされた。静姉はほたるの良き姉としてのポジションのまま。巴については先述の通りだ。一番大きな問題を抱えた形になった相摩姉妹については後で別に解説することにする。

 健がホームルームでまわりに流され挙手した場合、演劇ルートへ進むことになる。これは親友の中森翔太やほたるに歩調を合わせた結果で、健自身が演劇をやりたかったわけではない。巴ノーマルエンド後の健の調子を考えるとこうなってもおかしくない流れだ。
 演劇は翔太がリーダーとなって進められる。さっそく鷹乃をメンバーに取り込むと国語の教師であるつばめに台本を発注する。なぜか舞台経験者の巴と、映画製作に興味を持つかおるまで巻き込み事態はハイペースで進んでいくが、健の役割は主役として台本を受け取り、こなしていくだけ。
 問題は台本にあった。ヤマトタケルを題材にしたその内容はつばめ曰く「ふたりの女性の間で揺れ動き、結局結論を出せなかった男」の物語となっていた。物語を自分の現況と重ね合わせた健は本番を目指す稽古の中で自分の微妙な立場に悩むことになる。
 台本と健の状況を重ね合わせたシナリオの内容はある意味寓意的なものだといえる。台本の中に自分を重ねた健は、現状に対する決意を舞台に持ち込むことでよりはっきりさせようとしていく。
 この演劇シナリオは、作劇の手法としてはわかりやすい方に入るだろう。ややこしいのは健の心理描写だけでそれ以外は比較的素直に進んでいく。裏を返すと健の心理描写がモロに内容の中心に来ているシナリオで、そこが特徴であると同時に短所にもなっている。結論に至るまでのアプローチが信の助言しかなく積み重ねに欠けるため健の心情に納得いかない面が出るのは確かだが、舞台で主演女優をつとめるほたると演劇指導をしてくれる巴の間でふらふらと気持ちを揺れ動かす健の描写はなかなか秀逸だ。どっちつかずの馬鹿野郎として立派に立ち回っている。それにいらだちを覚えるプレイヤーもいるとは思うが、このシナリオならこうでなくてはいけないので問題ではない。
 ラストはふたりとの関係に結論を出した健が決意通りに行動出来るか出来ないかでグッドとバッドの両エンドへ分岐する。健の決意そのものを最終選択としていないため、多少わかりにくいかもしれない。しかし優柔不断な主人公が決意を貫き通せるかというのは最終選択にふさわしいものだろうと思う。ようするに男になれるか、それともヘタレるか、だ。
 わりと起承転結の流れが綺麗に収まったそこそこのシナリオなのだが、私はプレイ後になんだか物足りない気分になった。健が彼女としてほたるを選び、巴とは友人としての関係にとどめる……この選択にいまいち納得出来なかったのだ。なぜかといえば答は明解で、健がなにをもって巴ではなくほたるを選んだかがはっきりとされていないために他ならない。演劇シナリオはほとんど全編に渡って健が葛藤するだけの物語で、彼以外のキャラの見せ場に欠けている。特に肝心のほたるに印象的なシーンがない。逆に巴は健にアプローチをかけているのかほたるを援護しているのか、真意のよくわからない行動で振り回してくれる。演劇シナリオに限っていえばメインのはずのほたるよりも巴の描写の方が優れていた。ここが問題だ。この流れなら俺は巴を選ぶぜ、というプレイヤーも少なく無かっただろう。ただこの展開だと舞台でもほたるを選ばないという行動を取ることになり、鷹乃演じる敦子を選ぶことになるが……。
 このシナリオが「健の演劇」シナリオであって「ほたる」シナリオではないという理由がわかってもらえたと思う。そこが最大の問題点だ。ほたるをもっと魅力的に描いたシーンがあったらここまで中途半端な印象を受けなかったに違い無い。それと共に巴と鷹乃の絡みをもう少し増やすことで、舞台上の鷹乃を巴の代行者と見立てることが出来たら巴エンドを効果的に設定することさえ出来ただろう。更に鷹乃エンドまで絡められたらダイナミックでとても面白いシナリオになっていたかもしれない。ヒロインの魅力を引き出せていない点を考慮すると、「2nd」本編の後日談として失格である。誰もこのゲームで健のその後を見たいとは思わないだろう。無難にまとめたことで実の無いシナリオとなってしまったという結論だ。

 ホームルームで翔太やほたるをわずらわしく思い離れる選択をするとルサック編へと進む。本来なら演劇推進派の翔太に対する出店推進派の生徒がいたはずなのだが、誰も本番へ向けて責任を持とうとしなかったため、同数意見だったものが健の挙手で決まったことを受けて教師が勝手に健を責任者へ指名してしまう。健もまったく予想しない急展開はなかなか見ていて笑えるものがある。
 仕方なく健はバイトをしているルサックの出張店を出すという形で構想を進め、ほたるや翔太、鷹乃の協力を取り付ける。演劇編と違い健自身が責任者として総てを仕切らないといけなくなったため、ほぼ全編に渡って「悩むよりもとりあえず実行だ」という展開が続く。それがサッカー部引退からこっちテンションの低かった健を活性化していく。
 その一方で健や翔太の周囲に妙な人物がうろつくようになりはじめた。どうやら彼は鷹乃の関係者であるらしいのだが……。
 ルサック編は演劇編と違いまとまった物語になっていない。ルサック出店に尽力する健自身の精神的な再起と、鷹乃の男嫌いの原因となる親とのエピソードがまったく分離している。もっともこれをあからさまな欠点だと指摘しているわけではない。精神的に復調した健が鷹乃にも気を配れるほど余裕を持った、と解釈する方が適切だろう。
 健の再起を描いた物語としてルサック編をプレイするとなかなか面白い。積極性も出て来て仲間ともうまくやるし、文化祭当日も次々と襲い掛かる難題をズバズバと切り捨てていく様はなかなか痛快だ。演劇編と違い健が責任者になることで「なにかをみなで作り上げていく」という文化祭独特の一体感も強く表現出来るようになった。青春の1ページを描く……という意味でいえば、「折鶴」「想演」両方を合わせてもこのシナリオがもっとも優れている。巴がほとんど姿を見せないため、ふたりの少女の間で揺れ動く健の葛藤はほとんど描かれていないのだが、内容が「そんなこと考えている暇もねえ」というものなのでさほど違和感も感じられない。最後の最後で思い出したように巴を出してくるのはちょっとどうかとも思うが。
 問題は鷹乃パートに方にある。もともと「2nd」での鷹乃シナリオはダメシナリオとして酷評されていた。ルサック編はダメだった鷹乃シナリオを改めてやりなおすという性格を請け負っていたはずである。が、今回もいまいちといういわざるをえない。
 「2nd」での鷹乃シナリオは欠点が多過ぎてひとつをあげつらうのも難しいものだった。が、あえていうなら父親絡みで男嫌いになった鷹乃が、母親絡みの話を通して健と接近していく……という点だろうか。ちぐはぐで噛み合っていないのだ。鷹乃は設定からすると男嫌いではなく人間嫌いのキャラでなければいけないんじゃないか、という指摘もある。
 今回母親はサブの役回りになり、鷹乃と強く絡むのは父親の方になった。その点はまあいいのだが、問題はシナリオ上で鷹乃と父親の因縁に関してまったく説明がなされないことだ。まさか今回始めて「メモオフ」をプレイするという奇特な人間はいないと思う。だが「鷹乃と親には確執がある」という知識を前提としたシナリオ作りはいかがなものか。「2nd」をプレイしていないと母親とのシーンも意味不明だ。
 一番の問題点は鷹乃と父親の確執の解消にあたって、健がなにも役に立っていないということにある。ただ見ていただけ。見守っているなどというほどのこともない。それを頭に入れて考えると鷹乃パートのおかしさが浮き彫りになってくる。ルサックに父親が来店してショックを受けた鷹乃を健が介抱するシーンも、その場にいたのが翔太だったらそれでまったく問題が無い。それに鷹乃は父親が健の周囲をうろついていたという事実さえ知らない。ラスト近くの不良との対決シーンも象徴的だ。父親は健と鷹乃が良い関係にあると勘違いしていて、健もそれに気付いている。なんとこの勘違いを鷹乃もやっているフシがある。鷹乃は健がいてくれたから気が楽になったとか、父親との関係も修復出来たと思っているかも知れない。しかしそんな事実は無い。はっきりいえば、鷹乃が彼女持ちである健に気持ちを動かす程の恩などなにもないのだ。
 以上の理由からルサック編で健の物語と鷹乃の物語が分離している点は欠点だと結論づける他にない。なまじ片方がそれなりに描かれてしまっているため、鷹乃パートのダメっぷりが余計に目に付くシナリオになってしまっている。せめて鷹乃の父親の自己完結っぷりをなんとかしておかなければいけなかった。健が鷹乃を介さずに父親と直接対決し、腹を割った話し合いをしていれば全体的な内容もひきしまっていただろう。
 わからないのは「折鶴」の巴シナリオと違い、ルサック編は明確なifの物語となっていないことだ。どういうわけかルサック編は鷹乃の気の迷いだったというオチで終わり、巴シナリオのようなハッピーエンドになっていない。健は文化祭を通じてほたるとの距離も縮めているため、ルサック編からも「卒業」へと話がつながっていく形だ。ぶっちゃけ「なにをやりたかったの?」という感じである。「2nd」の鷹乃シナリオリベンジも失敗しているし、もう目も当てられない内容だ。
 「想演」は「2nd」がメインテーマにあげていながら描けてなかった「大事な人との想い出を振り切って新しい想いに生きることができるか」という点に関しても巴ノーマルエンド後を採用することでリベンジ可能な状況にあったはずだが、これも失敗している。酷すぎる。健とヒロインの関係に主眼を置かなかっただけでここまで「折鶴」と落差のあるものに仕上がってしまうとは残念だ。

 では相摩姉妹の扱いについて。
 もともと姉の希の身体に問題があり、妹の望から移植手術を受けた過去がある。手術は成功し希は元気になった。しかし今度は手術の影響で望の方が体調を崩してしまい入院生活を余儀無くされてしまった。妹を不憫に思った希は引け目もあって、望に入れ代わりを提案する。外へ出たい望はそれを受け、ルサックのバイトを始めた。ところが希には親が望にばかり気持ちを傾けることに嫉妬する面があった。希には望と入れ代わることで親の愛情を受けるという目的があったのである。また望ももともと元気だったのは自分なのに、という気持ちがどこかにあった。
 ごらんの通り相摩姉妹の設定というのは非常に複雑だ。そしてこのシリーズには基本的に姉妹の両方が登場するシーンがなく、台詞の名前が出てくるのも希だけに限定されている。ふたりはルサックでの健の同期であるためとりわけルサック編の出番が多いのだが、はっきりいって希と望のどちらが登場しているのかさっぱりわからない。いったいどうなっているのだろう?
 「2nd」での希と望にはいろいろと違いがあった。BGMが違う、服装が異なる、髪型が異なる、DC版に限ってVM画面での表示が異なる、など。そのためどちらが出ているのか一目瞭然だった。しかし今回のふたりはBGMも髪型も共通なのだ。これは困った。
 これを読み解く鍵は「1st」のヒロインで相摩姉妹と同じ美術部所属の伊吹みなもの台詞にある。彼女はルサック編で顔を見せてはっきりと「希ちゃん、ひさしぶり」と言った。体調に関しても心配している。ちょっと待て、入院しているのは望の方だ! 澄空でも同じ日に文化祭を開催しているのだから、数少ない美術部員のみなもと姉妹は忙しいはずである。なのに久しぶりということは、少なくとも学校へ通って来ているのは希だけで望は入院したままだということか。
 ここから推測されるのは、ルサック編に登場しているのは望の方だということ。そしてみなもは姉妹の入れ代わりの事実を知っているようだということ……なのだがいまいち判然としないんだよな。
 そういうわけで「After Rain」での姉妹の扱いがどうなっているのかよくわからない。入れ代わりをしている姉妹の周囲では希のことを二重人格という者さえいるので、ふたりの性格は全然違うはずなのに(「2nd」本編でも性格は異なっている)、性格で見分けることが出来ないというのは……。どうも希と望を足して2で割った性格になっているような気がする。本来の望はもっと大人しい子だったように思うし。
 とりあえず「想演」での姉妹は全て望が希として登場しているようだ。そうでなかったとしても見分けなんかつかない。
 
 
 

 佳作だった「折鶴」と問題作だった「想演」を受けて発売された「卒業」はどうだったのだろうか。「想演」の出来がどうであれ、修学旅行と文化祭というイベントを経過するという当初の目的は達成している。「卒業」の出来次第で「想演」の評価も変わってくるはずだ。
 「卒業」は三部作のラストを飾る作品で、「1st」「2nd」のキャラクター総登場で派手に締めくくる内容である。今回は「折鶴」「想演」と違い、分岐するシナリオ構成にはなっていない。プレイヤーはまず最初に智也シナリオを読み進めることになる。これを終えると健シナリオが出現。健シナリオを終えると「After Rain」シナリオという総決算となる最終シナリオが出現し、シリーズを終えることになる。
 智也シナリオと健シナリオは並列して存在している。従って分岐による作品性などが介在する余地はないが、同時進行するふたつの物語のシンクロ性から内容を深めることは可能だ。というか、「卒業」がこういう形態を取ることを知った私はてっきりそんな内容になるんだろうと考えていた。前二作でキャラを絡め並列させたシナリオを無関係なものする意味など無い。いつもとは異なるダイナミックなシナリオが見られる……という期待があった。
 結論から先に言うと、「卒業」は「想演」など問題にならない超劣悪作品であった。まさかこれほど中身の無いものを見せつけられることになるとは。
 智也シナリオと健シナリオ、本来ならば別個に評価すべきではあるが、抱え込んでいる欠点がほぼ同一なので分けて解説する必要は無いかも知れない。が、話の流れというものがあるのであえて片方ずつ説明していく。

 卒業を間近に控えた智也は受験に挑むものの片っ端から落ちまくった。落ちて落ちて挙げ句の果てに唯笑とかおるの協力を受けた二次募集にも落ちてしまった。しかし智也の内心は穏やかだ。彼は将来と真面目に向き合うことを恐れ臆病になるあまり、未来を不確定とすることにためらいを覚えなかったのである。とはいっても智也を取り残して周囲の友人達は未来へ向けて進路を決めていく。ひとりぼっちの疎外感を感じた智也は情緒不安定になり唯笑とも距離を置くようになった。

 一方健の方は第一志望の大学にあっさり余裕をもって合格していた。しかし彼はなんとなく大学を受験し合格したというだけで、将来の展望を持っていなかった。彼のまわりはピアニストのほたるやトップスイマーの鷹乃、役者を目指す巴など才能に溢れる者が揃っている。自分には何もない。そう思い込んだ健は卒業までの期間を怠惰に過ごしていく。

 短いあらすじになったが、実際うすっぺらい内容なのだから仕方が無い。とにかく智也も健も大学の合否の差があるだけで悩んでいる内容はほとんど同じであることがわかるだろう。将来への強い不安感は卒業を控えた高校生にとって重要なテーマとなる。けして無為なものではない。が、そんなテーマも空洞化し意味のないものとすることは簡単だ。

 智也は伊吹みなも、相摩希と出会い、病弱な身体を抱えながらも夢を持って生きている彼女達の姿に自分を恥じ、予備校に通って大学を目指すことをきめる。

 健は鷹乃の住んでいる書店で宇宙に関する3冊の本と出会い、サッカーに宇宙に夢を抱いていたころの気持ちを思い出す。

 智也シナリオの方がまだマシだろうか。健シナリオは酷い。本を読んでやる気になっただけで総ての悩みを解消してしまった。たしかに一冊の本との出会いが人生を変える、そういうことは現実にいくらでもあることだろう。でもそんなもんをゲームのシナリオでやられても困る。こっちはその本を読めるわけじゃない。共感もなにもあったもんじゃない。
 「卒業」というからには、何かから抜け出さなくてはならない。物語とはそういうものだ。ただ単純に高校を出ましたばんざーいというだけじゃ話になりゃしない。だから私は「After Rain」シリーズのラストを「卒業」で終えることを知った時、彼らが自分の境遇になんらかの決着をつけるものだろうと予測した。智也なら彩花との想い出から抜け出すことだろうし、健なら巴との関係を清算するとかそんなあたりだろうか。しかし裏切られた。そのどちらもありはしなかった。
 特に健。あれだけ巴をプッシュしておきながら「卒業」開始時には微妙な関係に終止符を打ったことになっている。彼女との決着は「想演」での演劇編でもう終わっていたのだ。あの盛り上がりもなにもないシーンだけで……。これまで「実の無い」という表現を何度も使って来たが、結局巴のプッシュもプッシュしているだけで実の無いものだった。これは微妙である。巴ファンも喜んでいいのか悲しむべきかわからない。
 このシリーズではオリジナルにはない信&かおるのカップリングが存在する。それに対応するように(こちらはオリジナルにも存在する)翔太&つばめというカップリングがあった。当初かれらは物語において「すべてが上手くいくとは限らない。でも強く生きるんだ」という智也と健の物語の布石に使われるのだと思っていた。ずばりいってどちらの関係も破局するものだとばかり思っていたのだ。これもそんな役割には使われなかった。信&かおるにいたってはどうなったのか触れてさえいない。なんだこりゃー。

 智也も健も悩みは中盤ほどであっさり解消し、物語はルサックでの稲穂信帰国パーティーへとなだれこむ。インドへ行っていた彼と周囲の卒業祝いを兼ねたパーティーだ。ここから先の内容は絶望的に酷い。もう解説したくないほどである。だがあえて解説する。

 パーティーには多くの仲間が集まった。
 「1st」から智也、信、唯笑、かおる、みなも、小夜美。
 「2nd」から健、ほたる、静流、巴、鷹乃、相摩希(たぶん希の方)、翔太が参加。
 最初はわいわいがやがやと和んでいたが、健は次第に智也の態度にいらだちを感じていく。智也もほたると巴を両天秤にかけていたという健に面白く無いものを感じていた。そして智也が注文した花火付きのパフェでついに事態は決壊(ほたるは花火が苦手なのだ)。とっくみあいの喧嘩直前まで進んでしまう。
 そこへ信が割り込み喧嘩は三本勝負で決着をつけることになった。クイズ、レースゲーム、砂浜でのかけっこの3つである。
 ところが最後の勝負かけっこのスタート直前に「折鶴」「想演」にも登場した不良ふたり組が出現。智也と健はひとりずつ相手をすることに。危な気無く勝ちを収めたふたりは……

「おめえ、なかなかやるな」
「あんたもな」
 
 
 

 やはり解説不能ッッ!!!!!
 
 
 

 なんだこりゃ。今どき商業ベースの作品でこんな馬鹿話を描く作品があったとは。ありえない。夢でも見ているのだと信じたいくらいだ。まあいいや。百歩譲ってこういう展開を許容するとしよう。しかしふたりの遺恨が「折鶴」から連綿と描かれていたというならまだし(カキコオロギ程度の伏線はあるが)、パーティーの席で突然浮上したものではいかんともしがたい。
 第一クイズってなんだよ、クイズって。

 そんなアホ丸出しシナリオを2本終え出現する「After Rain」シナリオだが、いつもKIDが仕掛けるとっておきのトゥルーシナリオとは様相が異なる。実際にはほんのわずかばかりにつばめ視点のエピソードを加えただけの智也&健シナリオのつぎはぎにすぎない。つなげたからといってなんだというのか。しかもパーティー直前に視点を選択することになる。これじゃなにもかわらんではないか。
 ただ、「After Rain」シナリオでは最後の最後に各登場人物のその後を彩花が解説していくというおまけがくっつく。智也の一浪して大学合格というオチに対し、健のプロサッカー選手になる夢実現or宇宙飛行士になれましたというオチは落差がありすぎてあまりに智也が不憫だ。この健が「卒業」において才能の無さに落ち込むことを考えるとアホかと言いたくなる。

 「卒業」はとんでもない超駄作だった。ふたりの主人公が悩みを振り切るプロセスが酷ければ、最後の対決もあんまりなものだ。KIDが「メモリーズオフ1st」以来だし続けて来たノベル系ギャルゲーの中でも最悪のものだと断言出来る。「卒業」がこんな出来になったことで「折鶴」「想演」の位置付けもかなり微妙になった。
 正直言ってシナリオライターを責める気持ちは自分の中には無い。今どきこんなアホ全開シナリオを描く人間がいるとは思いたく無い。ではなにが問題だったのだろうか。私はおそらくプロデューサーの指示があったのではないかと思う。つまり誰かしらKID企画側の人間の「ラストは全員登場でわーっと行こう!」というような指示が。それがあの目を覆いたくなるクイズ合戦&フリーザvs悟空のような展開になって出現してしまったということなのだろう。
 繰り返すことになってしまうが、結局「After Rain」全体が体裁だけをファン向けに整えた実の無い光円盤に過ぎなかった。ノンテーマ、ビジュアル面の手抜き、短いシナリオ、総てに哀れみすら感じる。これは「After Rain」なんてもんじゃない。ファンが見たのは雨上がりの虹などではなく、止むことの無い土砂降り雨だけだった。

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