フォーマル

著作権に関する個人的見解

異論、反論、抗議、訂正等は筆者にメールしてくださるようお願いします。
「ヴァンデミエールの肉欲(ネット版)」に関して
 「ヴァンデミエールの肉欲(ネット版)」においては多数の図版を引用しているが、これらは著作権法32条(※1)に則り、公正な慣行に合致し、かつ批評の目的上正当な範囲で行ったものであり、著作者、著作権者、出版者等の許諾がなくとも適法な行為である。引用元の情報も各図版毎に明示されている。
 漫画の引用に関しては東京高裁平成12年4月25日判決(「脱ゴーマニズム宣言事件」、判時1724号124頁、百選[第3版]166頁、※2)が引用基準を明らかにしておりこれを参考にした。
 なお、各図版は批評の目的が存するために適法に利用できたのであり、私的利用の目的等であれば格別、通常は転載することにより著作権者の権利を侵害するものであることから、転載等、流用はしないことをお勧めする。私自身は各図版を引用するに際してスキャニング、トリミング等に多大な労力を費やしたが、そのことによって著作権法上なんらの権利も取得するものではないため、各図版を流用したいと望むものは著作権者の許諾を得ることを必要とするものである。
もちろん、批評文自体の著作権は筆者に帰属する。

※1
著作権法32条
1項
公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。
2項
(省略)

※2
東京高裁平成12年4月25日判決要旨
「Y書籍中におけるXカットの採録は、いずれもY論説の対象を明示し、その例証、資料を提示するなどして、Y論説の理解を助けるものであり、他方、各Xカットがそれ自体完結した独立の読み物となるといった事情も存しないから、引用著作物であるY論説と被引用著作物であるXカットの間には、Y論説が主、Xカットが従という関係が成立しているものと認められる。」
「漫画は、絵と文が不可分一体となった著作物であるところ、Xは、そのような漫画によって自己の主張を展開しているのであるから、絵自体を批評の対象する場合はもとより、Xの主張を批評の対象とする場合であっても、批評の対象を正確に示すには、文のみならず、絵についても引用する必要がある。」
「Xカットに独立した鑑賞性があることは認められるけれども、X書籍とY書籍の右関係に照らせば、そのことによって、Y論説とXカットとの右主従関係が失われるということはできないのである。」



「なるたる調査委員会」に関して
 「なるたる調査委員会」では単行本に収録されていない、雑誌掲載時の作者近況欄のコメントを掲載しているが、これは作者コメントが著作権法2条1項1号(※1)の規定する文芸・学術の範囲に属するものとは言えず著作物に当たらないものと解されるため、無断で転載しようとも作者に対する著作権侵害は成立しないものと判断したからである。
 すなわち、文章の著作物性の判断基準については東京地裁平成9年12月22日判決(「PC−VAN OLT名誉毀損事件」、判時1637号66頁、判タ1011号186頁、百選[第3版]16頁、※2)が、会話文の通信記録は文芸・学術の範囲に属さず著作物に当たらない旨判示しており、本件作者コメントも作者の近況を伝える砕けた調子の会話文調の短文に過ぎないため会話文に類似するものとして文芸・学術の範囲に属しないと解したものである。
 しかし一方で、手紙の著作物性につき東京高裁平成12年5月23日判決(「三島由紀夫手紙事件」、判時1725号165頁、百選[第3版]106頁、※3)が、非公開を予定した手紙であっても内容によっては「創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)と認められ著作物になると判示している点に鑑みれば、もとより公開を予定して綴られた作者近況のごとき文章については創作性のある文章と認められる場合が多いことからこれを著作物に当たると解する余地もあるものと思われる。
 とはいえこれら両者の判決は著作物性を認定する基準を異にしているものと思われ、必ずしも矛盾するものではない。すなわち、たとえ創作性のある文章であったとしても文芸・学術の範囲に属しない文章であればやはり著作物性は認められないのであり、思想又は感情を表現したものであることを前提に、それに加え創作性および文芸・学術の範囲に属することの両者を兼ね備えて初めて著作物と認められるものと解するのが相当である。この点、上記東京高裁平成12年判決は創作性の認定に止まり、さらに文芸・学術の範囲に属するか否かの判断を為さずに(あるいは文芸作品ではないことを認めながら)著作物性を認めている点で不当である。
 もっとも、通説・判例は「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する」という要件を幅広く捉え、およそ知的・文化的精神活動の所産たるものすべからく著作物に当たるべしと解している(※4)が、このように著作物の定義を拡張することは人間の日常生活に伴う知的活動はおよそ著作物に当たると言うに等しく、これを厳密に適用するならば表現活動のみならず日常生活さえも大幅に制約を課されることになりかねず妥当ではない。思うに、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する」という要件はここに列挙されたものおよびこれらに類似する文化的活動に限定されるものと理解すべきであり、具体的には一般人から見て日常生活上の知的活動から明瞭に区別されるような知的・文化的精神活動であることを要すると解すべきである。すなわち私見としては通説に反対しここに明瞭区別性説を唱えるものである。
 これを本件作者近況欄のコメントについて見るに、各話のコメントは概ね作者ならではの言葉づかい等が為されていることを感得することができ、創作性を具備するコメントが多いものと解されるものの、その内容は日常の雑記を中心にしたまさに「近況」に止まるのであって日常生活上の知的活動から明瞭に区別することはできずこれを文芸・学術の範囲に属するものと解することはできないため、やはり著作物ではないものと解するのが相当である。


※1
著作権法2条
1項
この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号の定めるところによる。
1号
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
(2号以下省略)

※2
東京地裁平成9年12月22日判決要旨
「著作権の侵害について
本件通信記録は、OLTを利用して交わされた会話文であって、その内容は日常の会話と特段異なると認められる点がなく、文芸、学術の範囲に属するものとは到底認められない。したがって本件通信記録は著作物に当たらないので、Yの本件掲示行為は、何らXの著作権を侵害するものではない。」

※3
東京高裁平成12年5月23日判決要旨
「本件各手紙は(中略)、不特定多数の読者を想定した文芸作品とは性格を異にする。しかし本件各手紙には、単に時候の挨拶、返事、謝礼、依頼、指示などの事務的な内容のみが記載されているのではなく、三島由紀夫の自己の作品に対する感慨、抱負、Yの作品に対する感想、意見、折々の心情、人生観、世界観等が、文芸作品とは異なり、飾らない言葉を用いて述べられている。」
「本件各手紙(中略)を読めば、これが、単なる時候のあいさつ等の日常の通信文の範囲にとどまるものではなく、三島由紀夫の思想又は感情を創作的に表現した文章であることを認識することは、通常人にとって容易であることが明らかである。」

※4
「『文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する』というのも、知的、文化的精神活動の所産全般を指すものと解するのが相当である」(東京高裁昭和62年2月19日判決(「当落予想表示件」、無体例集19巻1号30頁、判時1225号111頁、百選[第3版]14頁))
「思想・感情の創作的な表現ではあっても、著作権制度に「なじまない」成果物を画する際の説明材料的な役割を果たしているものと言える。」(作花文雄『詳解著作権法』(ぎょうせい、1999年)80頁)

2003.1.14追記
 「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法2条1項1号)という文言の解釈に関する上記の自説についてその正当性を疑うものではないが、このようなウェブサイト上で判例・通説と異なる論理を展開することは、閲覧する者の著作権法に対する理解を混乱させることになりかねず妥当ではなく、また個人的にも判例・通説と異なる自説を展開してまで作者近況欄を掲載する意義に乏しいと考えることから上記自説の公開を自主的に一応停止することとする。
 なお、判例・通説は上記※4に掲記したごとく、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という文言を極めて広く捉えており、実際に訴訟になった場合には裁判所は、当該近況欄記載文章が日常会話等と異なり雑誌上に掲載されて発表されたという態様および漫画家という言葉に関する仕事を生業とする者が主体であるという点とに鑑みて、その文章が「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という認定をする可能性が極めて高いものと考えられることを付記しておく。




トップページへ


フォーマル