序
この文章は人間精神の深淵を独特の性理論によって説明しようと試みた精神分析学の祖、ジークムント・フロイトの著作に従って『ヴァンデミエールの翼』を読み解こうとするものである。とはいえ、私は精神分析学を専門に学んだものではないだけではなく、その理論が正しいと考えてさえいない。それでは「ど」の付く素人がいったいなにゆえにこのような事を行おうとするのかといえば、それは『ヴァンデミエールの翼』がフロイトの理論を素材として利用していることが明確だからである。この作品にはフロイトが提唱した数々の「象徴」が用いられている。それを理解することが作者の真意をつかむ糸口になると考えて、私は拙いながらこの文章を書くことにした。
精神分析学的な文学読解の方法としては、フロイト自身が『W・イェンゼンの小説「グラディーヴァ」にみられる妄想と夢』(1906年)などにおいて行ったように作品を著者の見た一種の夢や妄想であるかのように捉えて分析する手法が考えられるが、しかし前述の通り『ヴァンデミエールの翼』はフロイトの著作を素材として使用しているのであるからこのような方法では誤った結論を導く恐れがある。したがってこの論考では著者自身の精神状態は一切考慮せず、著者が象徴を用いることによって作品にどのような意味を付与しようとしたのか、その思考の痕跡を辿ることを主眼として各話ごとに読解する。なお、象徴表現は神話や伝説と密接な関連を有しており、この作品は文化人類学的な見地からの読解も可能と思われる。しかし私にはそこまで含めた総合的な読解を行う力量がないのでそれは他に譲り、基本的にこの文章では神話伝説の類には触れないこととする。また、ヴァンデミエールたちは登場順に長女、次女、三女、四女と呼称する。
※以下、新潮文庫版の『夢判断』『精神分析入門』から該当個所を適宜提示する。また、単に1巻、2巻とのみ書いてあるものは『ヴァンデミエールの翼』の単行本を示す。凡例は次のとおり。
(夢下P57)=『夢判断』下巻57ページ
(精上P189)=『精神分析入門』上巻189ページ
(1巻P92-93)=『ヴァンデミエールの翼』1巻92ページから93ページ
※マウスで引用図版を指すと鬼頭莫宏著『ヴァンデミエールの翼』全二巻(講談社)からどの部分を引用したかが表示される。各図版においては左記著者名等は省略する。なお、著作権に関する筆者の見解はこちら。
参考文献
・フロイト『夢判断(上下巻)』(高橋義孝訳)新潮文庫
・フロイト『精神分析入門(上下巻)』(高橋義孝・下坂幸三訳)新潮文庫
・『フロイト著作集3』(高橋義孝他訳)人文書院
・『フロイト著作集5』(懸田克躬・高橋義孝他訳)人文書院
・『フロイト著作集6』(井村恒郎・小此木啓吾他訳)人文書院
・マックス・ミルネール『フロイトと文学解釈』(市村卓彦訳)ユニテ
・N・O・ブラウン『エロスとタナトス』(秋山さと子訳)竹内書店新社
・ラッシェル・ベイカー『フロイト』(宮城音弥訳)講談社現代新書
・『ホフマン短編集』(池内紀編訳)岩波文庫
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