「もういい!」
窓際でウィンドウごしに窓の外に視線を投じながら話を聞いていたシルエットが、苛立たしげにデスクの上の紙を払い除ける。
「・・・そんな戯れ言は聞きたくない。」
凍りつくような棘を持った言葉に伴なって、カサリカサリと紙が静かに床に舞い降りる。
暫く、沈黙が重く報告者の身に圧し掛かる。
数秒数分の後「下がれ」の意を示されると、ようやく重責から逃れた男は、これ以上の責務から逃げるように素早く部屋を辞した。
静寂の覆う広い空間。
デスクの横の人影は動かない。ただ苛立ちの波動が空気を伝って部屋中に充満していく。
ときどき、曇った暗い空を引き裂く閃光が、暗闇んだ部屋に明暗を落とす。
なんという失態か!―――
誰彼何も構わず当り散らしたい衝動に駆られる。
『まさかあのような所で飛び出してくるとは予想もつかず・・・』
在ってはならない報告。これ以上無い間抜けな報告だろう。想像力のない者は救い様が無い。
そして・・・、
『いまだ昏睡状態で・・・』
デスクについた右手が震えるのを抑えられない。
なによりも許し難い。失態という言葉では片付けられるものではない愚挙。一時はもう駄目かと思われたほどであった。
彼がいなくては、すべては意味を成さなくなる。
自分のいま持ち得る「力」を総力させてやっと、ここまで持ち直した。
だが状況に変わりはない。
予定と大幅に狂ってしまった舞台。
何が間違っていたのか、彼の性格を読み損ねた自分の浅はかさが敗因なのか。とにかくは、これ以上余計な障害の種を放っておくわけにはいかない。
面倒なことにならないうちに早く手を回しておかなければ。―――
ランドカーはいいとして、あの女は・・・。―――
腕を組み、考えを巡らせつつ窓の外を見やる。
おそらくは、今頃この雨の下を、仕留め損ねた鼡がコソコソとあちこちを嗅ぎまわっているに違いない。どこまでも・・・
「目障りな・・・!」
虚空を睨み据えて、舌打ち混じりに吐き捨てる。
一度口に出してしまうと、すべての元凶がその鼡にあるような気がしてきて、腹立たしさとともに更なる憎しみが募った。
しかし、そんならしくない自分に気付いて軽く嘲笑を洩らす。
何をそんなに焦っているのか?―――
狂ってしまった舞台なら、そのまま狂って踊るのもいい。全部終わりにして一からやり直せばいい。邪魔はさせない。
彼はもう自分の手の中に墜ちているのだから。
板引きに敷かれたラッグの廊下をすすみ階段をあがる。階段を上りきった突き当たりの部屋。
医師以外は誰も近付かない。否、近付けないようにしてある。
ドアのノブに手を掛ける。万全の医療設備を持ちこんだ部屋が開けた。
カツンッ
寝台の上にいる人物に視線を据わせると、板柾のフロアの上を歩いていく。
ベッドの主は相変わらずその瞳を開けようとはしない。時々苦悩するかのようにほんのわずか、眉皺を刻むだけだ。
自分の中の狂気が頭を擡げはじめる。ふつふつと涌き上がるものを奥底で感じる。
異常なまでの執着心。独占欲。真面ではない。
しかし、そんなことはどうでもいい。
とうにその線を越えてしまった。自分が狂っていることは元より承知だ。
ベッドサイドに静かに腰をもたせ掛ける。キシッと寝台が沈み込む。
彼女はするすると手をのばすと、その手をぴたりと寝台に横たわる青年の首もとに添わせた。
わずかな笑みを目元に湛え、己が指の冷たさをその肌に浸透させるように
微弱な力を込めた。