サレムの実質的な総司令部は、広場に面して教会のとなりにある政庁舎だが、お国柄のためかこの戦争の原因のためか、教会も最重要拠点となっていた。司令部は、教会に篭城することも視野に入れて補強や備蓄をおこなっている。
アムナーが入っていくと、ちょうど祈祷会が終わったところだった。ひざまずいていた人々が立ち上がる向こう、祭壇の前にいた司祭服の長身が、アムナーを見つけ声をかける。
「おお、シェマーの子よ」
声の主は司祭ベニヤミン。僧院でのアムナーの恩師であり、かず少ない“本物”の司祭である。司祭ヨハナンが帝国に捕らえられた後は市民の精神的支柱として頼りにされていた。
ベニヤミンは、政庁舎での軍議にアムナーをともなった。軍議はふたつの部会に別れ、議事堂では作戦計画が練られている。
一方、講堂では、講和派と開戦派が激しく論を戦わせていた。正義に殉ずべしと強硬論を展開する開戦派に対し、講和派は、金山がほしければくれてやればいい、我らはサレム=平和の民として生きるべきだ、主張している。
これが利にもとづいての議論なら、一方が説得に成功するかもしれない。しかしどちらもおのれの信仰にもとづいていて、しかも神の意志を確かめることができない以上、この論戦に決着はつくまい。
であれば、結論は大勢に流されよう。と考えていたアムナーの思考を、強硬派の「臆病者めらが」という野次が破った。講堂に目を戻すと、講和派が顔を真っ赤にして開戦派をにらみ返している。それをきっかけに、開戦派は論を脇において、講和派をなじりはじめていた。
次の瞬間、アムナーは立ち上がっていた。
「今『臆病者』と言った者は、発言を取り消していただきたい」
決して大音声ではないがよく通るその声は、強硬派の誹謗をぴたりと止めていた。あの若造は何者だという目でアムナーを見る者は、ベニヤミンがそばにいるのを見ると彼への敬意のゆえに、アムナーの次の発言を待った。
「講和を主張するのがなぜ臆病なのですか。戦いを目前に血気はやる大勢をおしとどめようとするのは、むしろ勇気として賞賛されるべきです。
そもそもあなたたちは、このサレムの行く末を知恵の限りに考えるためにここにいるのではないですか。『おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう』と(経典に)書かれているのを読んだことがあるでしょう。
ことが困難であればこそ、ののしりと敵対ではなく誠意と一致の中で答えを祈り求めるほかに道はないということを、わかっているはずです」
いつのまにか、講堂は静まり返っていた。アムナーの言は正論でしかない。しかし自分の利益や党派心からではなく、全員が「サレムのため」という共通項の下で議論していたのは確かだった。何人かの、立ち上がって激論を飛ばしていた開戦派の者たちが腰を下ろす中、一人が立ち上がり「発言を取り消す」と言って講和派に頭を下げた。
その時、ベニヤミンが立ち上がった。
「御一同に、新しい仲間を紹介しよう。ベテルの司祭シェマー・エイワンの子、アムナーだ。彼には“三の砦”のチャペルをまかせようと思っている」
「なぜ、按手も受けていない私にこんな大役を?」
軍議の後、師の執務室に呼ばれたアムナーは尋ねた。按手(あんしゅ)とは、正式に司祭に任命されることである。アムナーは僧院を卒業したばかりであり、まだ司祭見習いにすぎない。砦の小さなチャペルとはいえ、役者不足というものだ。
しかしベニヤミンは、経歴よりも力量を見るタイプだった。
「そなたの信仰、学識とも、若さのわりには申し分ない。資質については、先程のそなたの演説を聞いた全員が認めた。
そして、これからのそなたのことを考えたときに、そなたに足りないものを学ぶ機会が最前線にある」
「足りないもの?」
「現場での神学よ。そなたは学問としての神学はよく修めたが、そのせいか先に頭で考えるな。たとえば死を目前にした伝染病患者がいたとしよう。そなたは彼の救いのために懸命に、悔い改めれば神の国へ入れると説くであろう。
が、シェマーであれば黙ったまま、感染をいとわず最後の瞬間まで彼を抱きしめるに相違ない」
黙ってうなずくアムナー。たしかに義父はそういうタイプだから市民に愛されているし、自分が義父に及ばないのもまさにその点であることは自覚している。
「それで、私は何をすれば」
「行って、すべてをその目で見よ。見たこと感じたことを、一つ残らずおぼえておけ。そしてこれが肝心だが、必ず生き延びよ」
執務室を辞し用意された部屋にさがったアムナーは、ベニヤミンのことばを反芻していた。まもなく戦場となるこの地で、自分は何を見ることになるのだろうか。
アムナーを見送ったベニヤミンは、彼のための祈りをささげていた。人の死に触れたことはあっても戦争での死に触れたことのないアムナーが、神の御心を、いや神の存在そのものをさえ疑いたくもなるであろう“現場”で、何を見、何を思うのか。
「神があの若い修道者を守り導かれるように。。。」
しかし激情にかられ、あるいは義憤に燃えて命を落とさないとも限らない。念のため、下男のヨセフをつけることにした。
帝国がサレムに攻め入るには、南からの広い谷を来る以外にない。
谷の入り口に“一の砦”。谷が急な上り坂となるその中腹に、地の利を活かして“二の砦”。谷を登りきったところに“三の砦”。“四の砦”はサレムの出丸程度のものであり、“一の砦”は物見やぐら程度で、実際には城外での拠点は“二の砦”“三の砦”が中心となる。
西の山を越えてくる可能性はあるが、帝国自慢の巨大な攻城器をサレムの城壁まで入れるには険しいから、陽動部隊程度だろう。ここには見張り小屋がいくつか置かれ、森の中には狙撃手が身を隠す。その多くは、物好きにもサレム陣営に加わったエルフの弓兵たちだ。
「よう、あんたが新しく来た司祭さまか。ベニヤミンさまから聞いちゃいたが、いやしかし若いな」
翌日、ヨセフをともなって“三の砦”の礼拝堂に着任したアムナーを、砦の副長シモンが出迎えた。アムナーに向かって「若い」を連発するが、決してあなどる風ではない。自分より若い司祭にどうやって敬意を表したらいいか、とまどっているというように頭をかいている。
砦の隊長ユダは軍議に行っているからと、みずから案内に立ったシモンについて、アムナーは砦を見て回った。建築はほぼ収束しており、各所でさらに補強が進められているところだ。
「とまあ、こんなところだ。なにしろ頑丈なもんだぜ、土台はドワーフたちが念を入れてやってくれたしよ」
「ドワーフが?」
意外な気がした。人間同士のおろかな戦争に、あの愉快な連中がなぜからんでくるのだろう。
「ここだけじゃねぇ。西の山にも、連中がしかけたトラップが五万とあらぁ。連中にとっちゃ、俺たち人間とは違う意味であの金山が大事らしい。よくわからねぇが、連中にとっちゃ聖域みたいなもんらしいぜ」
「そういうことよ」
いつのまにか、威風堂々としたドワーフが二人と一緒に立っていた。
「よう、棟梁。いい仕事してくれたじゃねぇか。」
「いい仕事だと?当たり前じゃわい。あんたら人間は玉砕するつもりらしいが、わしらはなんとしてもシャロムの山を守るでな。あんたらこそ、つまらねえいくさしやがったら承知せんぞ」
厳しいことばを吐きながら、その目はまるで楽しくてしょうがないというように、いたずらっぽく笑っていた。
「シャロムとは?」
ドワーフの棟梁とわかれてから、さらにシモンはアムナーを案内して回った。誰かに会うたびにアムナーを紹介してくれたので(「司祭さまだ」というのが少々照れくさくもあったが)、日が暮れる頃には砦のほとんどの者と顔なじみになることができていた。
「ドワーフたちのことばでサレムをそう発音するんだとよ。と言うよりゃ、シャロムが訛ってサレムになったってのが正解だな。なにしろこの土地じゃあ、人間より連中の方が古株でよ」
サレム=平和を意味する名を持つこの町を戦火に包むべく、帝国軍が陣容もきらびやかに前進してくると知らせが入ったのは、翌日のことであった。