その日の夕暮れの、一の砦からの光景は、ある意味感動的でさえあった。

地平線上にあらわれた帝国軍は、太鼓やドラにあわせて一糸乱れぬ隊伍で前進してくる。そのさまは、まるで巨大な四角い絨毯が地を覆いながら近寄ってくるようであった。

その絨毯は、一の砦から近からず遠からずの距離で停止した。サレム側が息を呑んで見守る中、騎士が一騎、供も連れずに砦に近づき、大音声に呼ばわった。

「サレムの市民、ならびに戦士のかたがた。あたら命を粗末になさるな。今降伏するなら、安全と財産は保証し、帝国の市民権を与えることを皇帝の名において約束する」

騎士は一呼吸入れた。砦からの怒号や、あるいは矢の襲い掛かるのを警戒し、手綱を握る手に緊張感をみなぎらせたままだ。しかし騎士の予想は外された。砦は静まり返り、矢どころか小石ひとつ飛んでこない。

かわりに門が開き、一人の長老が現れて答えた。
「サレムの議会の名においてお答えする。我々は一人の人間(皇帝)に従うよりは、神に従うことを選んだ。あとは皇帝が、悔い改めるか欲に支配されるかを選ぶだけじゃ」

「しかしご老人、」
騎士は馬首をめぐらしながら応じた。長老の答えは騎士の(そして帝国の)予想の範囲だった。
「女、子供も道連れにされるおつもりか。我らは明日の日の出とともに、法王の印可のもと、汝らを征伐する。それまでにサレムを退去するものには一切危害を加えないことを約束する」

 

騎馬が帰っていくより早く、一の砦からサレムへ伝令が走った。帝国軍接近の時点ですでに講和派も覚悟を決めていたが、あらためて緊急に会議が開かれる。

開戦派は、講和派全員の退去を勧めた。「本当は戦いたくなかった」という者を城内に残しては最後の最後で士気にかかわる、というわけではなく、愛する同胞に一人でも多く生き残ってほしいという願いからであった。
しかし講和派は応じなかった。講和派は愛する同胞の一人も死なせないために、帝国に降ってでも戦争を回避しようとしたのであって、自分が死にたくないというのは二の次だったのだ。

時間はない。議会は次の通りの結論を出し、全市民に布告した。12歳未満の男女は全員退去しなければならない。妊婦および幼な子を持つ母は全員退去しなければならない。それ以外の者は去就を自分で決める。ただし、子を持つ父については、妻の同意がない限り残ってはならない。

しかし母親たちのうちに、残ろうとする夫を止める者はいなかった。やむをえず議会は再招集され、講和派、開戦派を問わず父親たちにクジを引かせ、退去者を率いる男たちをえらばなければならなかったのである。

避難者たちは教会に集まって最後の食事を摂ると、司祭ベニヤミンの祝祷を受けて城門を出ていった。途中、各砦を過ぎるたびに、礼が交わされたことは言うまでもない。やがて一の砦も過ぎた一団は、武装を解いて出てきた帝国軍に保護された。

彼らは将軍アケラオの庇護のもと、帝国領内にサレム人街を築いて生き延びていくことになる。しかしその苦難の道のりと、その後に訪れた栄光については、別の機会にゆずろう。


翌朝。空が白むにつれ、両陣営の緊張が高まる。やがて太陽の端が地平線上に現れた瞬間、帝国の陣営で太鼓と銅鑼が打ち鳴らされ、ラッパが響き渡った。同時に軍は鬨を上げて突撃を開始、砦までの距離が一気に詰まる。砦も日の出とともに、鬨を上げた。射程距離に敵が入るや否や、矢の雨を降らせる。もちろん帝国軍も、歩兵の突撃を弓兵が援護する。

その周囲の空間では、両陣営の魔法が炸裂する。火の玉が走り、雷撃が飛び、突風が吹きぬける。それらは防護魔法に受け止められ、はじき返され、逸らされたが、残りが砦の城壁や突撃する帝国軍に襲い掛かる。

ここに、サレム最後の日々がはじまったのである。

 

開けた土地に面する一の砦は、前面に敵の猛攻を受ける。投石器が前進しつつ、エンチャントをかけられ破壊力をました岩を砦内に投げ込む。その下では歩兵が、すでに城壁にとりつき、よじ上りはじめている。

「たあいないものですな、将軍閣下」

まだ太陽は地平線から離れきっていない。陣から戦況を眺める将軍アケラオに、味方が瞬時といってもよい手際で砦に殺到するさまを副官が報告する。

しかし。その瞬間、望遠鏡を覗いていたアケラオの目が険しくなった。
「まずい…」

 

同じ瞬間、帝国軍最前線の指揮官も、アケラオと同じことに気づいた。城壁の上から油をかけられ、よじ登っていた味方がすべり落ちては登ってを繰り返していたが、油が合図だったかのように砦からの攻撃がぴたりと止まったのだ。同時に門が破れ、味方がなだれ込んでいく。

指揮官の経験と勘が激しく警鐘を鳴らしていた。

「止まれ。全軍待避!伝令、各隊に知らせろ、これは罠だ」

しかし遅かった。砦の守備隊は順次脱出しており、最後の者たちも敵に油をぶっかけると脱出、最後に残っていた、一の砦と二の砦の隊長を兼務するアクラが導火線に火をつけたのである。

喧騒の中、指揮官の声が行き渡るより早く、轟音とともに一の砦が丸ごと炎上、いや爆発した。

砦内の各所、城壁の建材のあいだにまで、油と瀝青(アスファルト)がしかけられていた。それらは炎を上げて帝国軍兵士のあいだに飛び散り、鎧や肌の上にねばりついて燃えた。

魔術師らはカスケイドを使ったが、谷はこの時期枯れ川となっていて、あやつるべき水がない。砦に突入した兵はむろん全滅。城壁近くにいたものははじけとんだ建材に襲われ、周囲に群がっていた兵たちも無事であったものは少ない。

しかしアケラオは、冷静に第二波に突撃を命じた。第一波の残存兵が負傷者を収容するかたわらを、山岳戦にそなえ軽量タイプの鎧を主体にした軍団が駆け抜ける。いまだ燃え続ける一の砦には目もくれず、脱出した敵兵に追いつこうとするように谷をかけあがっていった。


一の砦の爆発は、二の砦までもゆさぶった。森の向こうに黒煙があがるのを見ていたアムナーは、急いで門におり、脱出してきた兵たちの無事を神に感謝しながら迎えた。

やがて最後に、ススだらけのアクラが戻ってきた。未生還者なしというみごとな手際である。

途中の道には、味方の魔術師が無数のトラップをしかけてある。これで一息ついて、と思ったが敵の先陣にディテクトマジックの使い手がいたらしい。すでに追手の声が間近に迫っている。

 

アクラが飛び込むと、砦の建設以来開かれたままだった門がはじめて、そして永久に閉じられた。閉じられたと同時に仕掛けに大量の砂が流れ込むようになっており、二度と開くことはない。

攻城戦では、どんなに城壁を頑丈にしても門が弱点となる。門は開けられるためにあるからだ。しかしこの砦の門は一度閉じたなら再度開けることは考えずに、ただ堅固さを発揮するように設計されていたのである。もはや、敵兵が砦内に侵入できたとしても、内部から門を開けることも不可能。すでに壁の一部なのである。

さらに二の砦の直前はせまい急坂であり、帝国の攻城器も投石器も巨大すぎて近づくことはできない。この、砦がくずされる以外には二度と開かない門は、守備隊の不退転の決意そのものであった。

 

「隊長殿、よくご無事で」

アムナーの慰労に、アクラは「戦いはこれからだ」と答えながら指揮やぐらに登った。

「この戦争に勝利はない。そして勝利のない篭城戦ほど難しいものはない。今は緒戦の作戦成功で昂揚しているからいいが、」

やぐらから大声で各所に指示を送りながら話しを続ける。

「今を耐えれば勝てる。苦しいのは今だけだ。今に援軍が来る。そういう希望がなければ篭城など続けられるものではない。しかしこの篭城にはそういう希望がない。あるのは予定された死だけだ」

「隊長殿。。。」

「だから無理をいって、あなたに三の砦から来ていただいたのだ。信仰を貫くための戦いなのに、この二の砦には礼拝堂も作れなかった。希望を保ち士気を保つためには、神のことばを取り次ぐ神官がどうしても必要だった」

「わかりました。微力ながら」

これ以上アクラの邪魔をするまいとやぐらを降りたアムナーは、下男のヨセフに、ペンキとできるだけ大きいハケを探してくるように頼み、やぐらの前の広場に立った。広場のむこうは城壁であり、その外では早くも小競り合いが始まっている。

やがてヨセフが戻ってくると、アムナーは城壁の内側に赤ペンキで経典の一節を大書した。

Now hope does not disappoint.

(そして、希望は失望に終わることはない)


つづく。。。