(この戦いは、正しかったのだろうか)

サレムへの、道とも呼べない道をたどりながら、アムナーは何度も同じ問いを繰り返していた。
帝国のやりかたも、法王のやりかたも、義の道を踏み外している。それは明らかだ。サレムとして、信仰者として、踏み外した者たちに従うことなどできない。それも間違ってはいない。

(しかし、死ぬための戦争という選択は、本当に間違っていなかったのだろうか。神はサレムの滅びを望んでおられるのだろうか)
(あるいは、神はサレムの兵が、帝国の兵を殺すことを望んでおられるのだろうか。罪あるのは皇帝と法王であって、兵卒ではない)

頭では、誤った者たちに対する正義の戦いだと理解していたつもりだった。しかし二の砦救出に加わって戦場に出、生々しい殺し合いの場を目撃し、面相もわからぬほど”破壊”されたおびただしい死体の間を逃亡してきた今、アムナーの”理解”は揺らいでいた。

(そもそも、聖戦などというものが本当にありえるのだろうか)
(師よ。これが、あなたの言っていた”現場”なのですか)
サレムに到着した日、司祭ベニヤミンの言葉を思い出す。


アムナーたちが山中を大きく迂回していた頃、帝国軍はサレムの城壁前に迫ろうとしていた。
最初は三の砦を攻略しようとしていたが、あまりにも堅固であるのを見、しかも砦には討って出るほどの戦力がすでにないと看破すると、包囲だけして三の砦を素通りしはじめたのである。四の砦もその規模から脅威度は低いと判断し、ここも包囲だけして、都市国家サレムの城壁前まで進み、陣を構築しはじめたのである。

サレムが滅びても戦い続けられるはずだった最強拠点を、しかし敵は今や歯牙にもかけずに無視していく。隊長ユダ以下、三の砦の守備隊は、敵の攻城兵器が通過していくのを、なすすべなく見送っていた。

(二の砦の救出に兵を裂いたのは、やはり失敗だったのか)
しかしそれは結果論というものだ。
(そう。仮に失敗だったとしても、間違いではなかったはずだ)


戦意からしてサレム側を圧倒している三の砦包囲陣にくらべ、四の砦を包囲している帝国軍は徐々に平静を失いつつあった。砦の勢いにくらべて、包囲陣の消耗が妙に早いのである。包囲陣の指揮官はやむをえず、サレムの城壁前に戦力を結集しつつある本陣に、戦力の補充を要請。敵本丸の攻略に気を取られている本陣は「よきに計らえ」とばかりに部隊を回してくれるが、それをもじわじわと損耗するわりには、砦はいつまでたっても消耗の気配さえなく、敵兵は元気に飛び出しては引いていく。

もしやサレム側が空間転移の魔法を使っているのではとにらんだ指揮官は、砦の周囲に魔法使いを配置してみた。それほど高位の魔法が使われれば、周囲のマナに影響がでるはずだ。しかし魔法使いたちはそのような気配はないと口をそろえ、しかたなく指揮官はまた本陣に要請を繰り返すのだった。

(まいったな。ちんけでも砦を攻略したとなれば、出世できると思ったのによ)
すでに北の蛮族や周辺の小国は平定し、近隣の大国との関係は安定している。このサレム征伐が終われば、戦功で出世できる機会はおそらく当分、ないだろう。
(それがこの有り様じゃあ、かえって責任を問われちまうじゃねえか)

戦力の漸次投入は愚である。たとえ敵に倍する戦力だったとしても、小部隊に分割して当たれば各個撃破され優位を失う。では、百戦錬磨の帝国軍がこのような愚を侵しているのはなぜか。サレムの策にはまっているのである。

四の砦は地下深くで、ドワーフトンネルによってサレムとつながっていたのだ。帝国の指揮官が頭を抱えているその下を通って、負傷兵はサレムに送られ、補充兵と物資が砦に送られているのである。もちろん、そんな工事を敵が迫ってからやっても間に合わない。四の砦は、敵がみくびるように小さく作られ、敵を少しずつ呼び寄せては削っていくために設計されていたのである。

まさかそんな、こどもが考えるような仕掛けになっているとは気づかないまま、指揮官はさらに部隊派遣を要請するのだった。


ユダは、三の砦の城壁に立ち、砦を見回していた。
あまりに堅固にしすぎたため、残った兵力では、一の砦や二の砦のように自爆することさえできない。どうせサレムが陥落すれば、砦だけで継戦可能といっても意味はない。惜しいが、この砦は敵にくれてやろう。

今ユダは、残った守備隊の全戦士とともに、城壁上に身を潜めていた。魔法使いたちは例によって、思い思いの場所に身を置いている。物見やぐらの合図を待って飛び出し、この砦のかたわらを通過せんとする敵本陣に特攻をかけるのだ。
それで戦況がどうにかなるとは思えない。おそらく敵本陣にたどりつくまえに全滅するだろう。しかし何もせずに生き恥を晒すことなど、耐えられるわけもなかった。

敵の軍楽の音が近づくにつれ、ロープを持つ手に力が入る。砦の門は破壊しない限り開かず、ゲリラ戦用の穴は救出隊が出陣する前にすべてふさいだ。討って出るにも城壁を超える以外にないのである。

やがて物見やぐらから旗が突き出された。城壁上に緊張が走る。誰かが「神よ」とつぶやく。
旗がやぐらから投げ落とされた瞬間、全員が立ち上がりロープを投げ下ろした。眼前にはまさに、敵の将軍直掩部隊が通過せんとするところだ。鬨の声を上げ、戦士がつぎつぎとロープをつたいおりる。舐めて気がゆるんでいたのか、包囲側の対応は一瞬遅れたが、しかしすぐに飛びはじめた矢は嵐のように、城壁にはりついたようなサレム兵に殺到する。

ユダがロープを下りきったとき、すでに周囲は、おりる途中で狙撃された味方の死体が積み重なっていた。無事に地面を踏んだ味方は、数えるほどしかいないだろう。自分も数本の矢を受けていたが、かまわず背負っていた槍を構え、包囲する帝国軍に向かって駆け出していく。

 

矢が雨とふる中、ただ一人だけ包囲陣までたどりついた者があった。両の目にまで矢がつきささっていたその戦士は、しかしすでに剣をふりあげる力もなかった。おそらく雄たけびを上げようとしたのだろうか、大きく口を開いたが、首を射抜かれていたために空気の漏れるような音を発しただけで、やがて崩れ落ち絶命した。
三の砦が特攻を始めた時にはその蛮勇をあざけった包囲軍だったが、この光景を見た全員が、この戦士のために黙祷をささげた。遺品を調べたが身元を明かすものはなかったという。

三の砦はのちに、サレムの一切の痕跡を消し去れとの皇帝の命により、莫大な費用と手間をかけて破壊されたが、その跡は今日も”名もなき勇者の砦”と呼ばれている。
この戦士のことは帝国の歴史家ベン・オミも、その著「サレム戦記」で数行だけふれている。しかしむしろ、吟遊詩人たちが好む題材のひとつとして歌い継いだことで、今も巷間に記憶されているのである。


つづく。。。