29

 7月8日、雨。期末テスト終了。これで夏休みまで主だったイベントはない。

真矢 「よう龍一、終わったな」

龍一 「ああ」

 うれしそうな顔をした真矢が、廊下から龍一に声をかけた。

真矢 「一緒に帰るか?」

龍一 「そうだな」

真矢 (?)

 龍一はいつも通り真矢に返事を返した。しかし真矢は、龍一の表情がいつもよりよくないことに気づいた。

 その帰り道。7月に入ったとはいえまだまだ雨の日は多い。しかもこの時期は気温が高く、蒸し暑い日々が続く。2人はアスファルトに出来た水溜りを踏みしめ家路へと向かう。

真矢 「ところで桜は?」

龍一 「?」

 真矢の質問に龍一は一瞬動きが止まった。そしてワンテンポ遅れて、

龍一 「あ、ああ。桜はこれから部活だって。俺は3時からだから…」

真矢 「龍一?」

 なにかがおかしい。さっき見せたあの表情。そして今のワンテンポ遅れた答え。真矢がそう感じ始め、龍一にそのことを聞こうとしたが、先に口を開いたのは龍一のほうであった。

龍一 「なあ、真矢」

真矢 「ん?」

龍一 「最近さ、桜、元気ないよね」

真矢 「うん、実は俺も今、それを聞きたかったんだよ」

龍一 「どうしちゃったんだろうね」

 しばらく無言の状態が続く。2人の間には傘に落ちる雨の音しか聞こえなかった。しばらくして真矢が、

真矢 「そうだ。今度の日曜日にさ、デートに誘ったら?」

龍一 「えっ?」

真矢 「こう言うときはさ、おもいっきり遊んで日ごろの憂さを晴らしてやるのさ。幸い日曜日、天気良さそうだし、いいと思うけど?」

龍一 「そうだな。日曜日部活休みだし、桜に聞いてみるかな」

真矢 「よっしゃ、『善は急げ』だ」

 そう言って2人は分かれた。そしてその日の夕方、龍一は桜に電話を入れた。

龍一 「もしもし桜?」

桜  「あっ、龍一君。どうしたの?」

龍一 「今度の日曜日さ、部活休みだよね」

桜  「うん、そうだけど」

龍一 「じゃあさ、『湖遊館』に行かない?」

桜  「えっ、りゅ、龍一君と?」

龍一 「うん、せっかくテストも終わったことだしさ。どう?一緒に」

桜  「うん、わかった」

龍一 「じゃあ、1時にいつものところでいい?」

桜  「いいよ」

龍一 「じゃあ、楽しみにしているから。じゃあね」

 そう言って2人は受話器を置いた。

桜  (せっかく、龍一君からのデートの約束なのに…、うれしくない。どうして?)

龍一 (桜…、俺が力になれればいいけど)

 桜と龍一との関係は、果たしてどうなってしまうのか。

30

 7月10日。あやめとその親友である新谷 仁美との会話。

仁美  「ねえ、あやめさん。最近信二君、変わったよね」

あやめ 「そうよね。最近元気良さそうだしね」

仁美  「いったい、何があったんでしょうね」

あやめ 「さ、さあ…」

 あの日以来、クラス内の信二の評判もよくなってきている。一方その頃、龍一のクラスの前では、

真矢  「よう、どうだった」

龍一  「バッチシ」

真矢  「そうか。よかったな」

 今日は土曜日ということもあり、授業は午前中で終わる。天気は回復の兆しがあるものの、今日も雨。桜は今日、部活が後半ということもあり、あやめと一緒にいったん帰ることになった。

あやめ 「…どうしたの?桜」

 桜の表情は一向に冴えない。あやめもつい心配してしまう。

桜   「うん、実はね…」

あやめ 「なに?」

桜   「明日、龍一君とデートすることになったの」

あやめ 「そうなの、よかったじゃない」

 笑顔を見せるあやめ。しかし桜は、

桜   「でも…」

あやめ 「でも?」

桜   「でも、なんだろう。ワクワクしないの。せっかく龍一君とのデートなのに…」

あやめ 「桜…」

 桜はそのままうつむいてしまう。2人の間には通りすぎる小学生の無邪気な声など聞こえず、ただ雨が降りしきる音が無情にも響いていた。

あやめ 「ねえ…」

 あやめが静かに語り始める。

あやめ 「桜は、龍一君のこと、どう思っているの?」

桜   「えっ!」

 桜は驚いた。あやめがこんなことを聞いてくるとは思っていなかったからだ。

桜   「わ、私…」  

 桜はしばらく黙り込んだ。そして、

桜   「私…、龍一君のこと、好きだよ。だけど、だけど…」

 桜の顔は苦悩に満ちていた。それを見たあやめは、

あやめ 「信二君の事、好きになっちゃったのね」

桜   「で、でも…、私…、龍一君のこと…」

あやめ 「桜、この際はっきりした方がいいんじゃない」

桜   「えっ」

あやめ 「龍一君との関係を、幼なじみで終わらせるか。それともそれ以上にするか。この際はっきりした方がいいんじゃないかな」

桜   「……」

 桜はうつむいたままだった。

あやめ 「別に、明日すぐに決めろってわけじゃないけど、考えておいたほうがいいんじゃない」

桜   「うん…」

 桜は浮かない顔をしながら二つ返事をした。そして2人は別れた。

桜   (龍一君…、私、私…)

 このあと桜は、再び学校に行き部活動をこなしてきた。夕方になって、学校をあとにするときには、西の方に雲の切れ間が見えた。そして、7月11日…。

31

 7月11日、晴れ。この時期にしては気温はそれほど高くはなく、にわか雨の心配もない。ただ、昨日まで降っていた雨の影響で湿度は高くなっている。

龍一 「いってきまーす」

 この日の部活は、3年生が最後の大会のために練習をするため、それに関係のない1年生は休みとなった。そこで龍一は、最近元気のなさそうに見える桜を元気付けるため、デートに誘ったのだ。

 待ち合わせの10分前に龍一はいつものところで桜を待っていた。ここで2人が出会うのは10日振りである。

龍一 「おーい、さくらー」

桜  「あっ…」

 龍一が来て間もなく、桜もやってきた。今日の桜は、お気に入りの桜色のワンピースである。

桜  「や、やあ…」

 今日も桜は元気がなさそうだ。そこで龍一は桜を見て、

龍一 「『や、やあ…』って、桜。本当にどうしちゃったの?」

桜  「ど、どうしちゃったのって?」

龍一 「最近、元気がないなぁ、って」

桜  「私が?」

 桜は不思議そうな表情を浮かべる。

龍一 「そうだよ。他に誰がいるの」

桜  「そ、そうなの…」

 桜はまた、暗い表情を浮かべた。自分でもそうは思っていなかったみたいだ。

龍一 「だからさ、こういうときは思いっきり遊んで、日ごろの憂さを晴らすのがいいと思うんだ」

桜  「そ、そう。ありがとう」

龍一 「えっ?」

桜  「私を誘ってくれて…」

龍一 「いいっていいって」

 その時、桜の顔からちょっと笑みがこぼれたような気がした。ただそれは、単に開き直ったようにも見えた。

 それから2人は、『湖遊館』へと向かい、7月ながら過ごしやすい昼下がりをゆっくり楽しんだ。しかし、なにか今日の2人はぎこちない。龍一がそう思い始めたその時、

桜  「ねえ」

龍一 「ん?」

桜  「ちょっと、行きたいところがあるんだけど…いい?」

龍一 「いいよ」

 もちろん龍一には断る理由もなく即、二つ返事を返した。その移動途中のバスの中で、

桜  「ねえ、龍一君」

龍一 「どうしたの?」

 桜は真剣な面持ちでなにか言いかけようとした。しかし、

桜  「いや…なんでもない」

 桜は自分の気持ちを決めかねていた。あの時のあやめの言葉、

(「龍一君との関係を、幼なじみで終わらせるか。それともそれ以上にするか。この際はっきりした方がいいんじゃないかな」)

 この答えを、桜はまだ導き出していなかった。やがて2人を乗せたバスからは、まだ人影もまばらな日本海が見えてきた。

   (ピンポーン)

 バスが海岸線を走り始めて間もなく桜が、バスの停車ボタンを押した。次のバス停の近くでバスが減速し始め、

桜  「龍一君、ここよ」

 そう言って桜は席を立った。つられるがままに龍一も桜についていく。

龍一 「こ、ここは…」

 2人が降り立った場所は、2基の巨大なプロペラが回りつづける風力発電所の近くだった。

龍一 「ここは確か桜が…」

桜  「そう、私がはじめて海水浴に来たところ。そして私が、はじめて夕陽が沈んでいくところを見たところよ」

 そう言って、道路を横切り砂浜に足を踏み入れる桜。

桜  「何度きても、ここは変わらないね」

龍一 「うん」

 龍一は1度だけここにきたことがある。2年前の夏、2人で海水浴に来たのがここだった。龍一もちょっと遅れて砂浜に入っていった。

桜  「ねえ…」

龍一 「ん?」

 龍一がふと前を見ると、桜が靴を脱いで素足で砂浜の上を歩いていた。

桜  「今日は、陽が暮れるまで、ここでゆっくりしていこう」

龍一 「えっ、でも…」

 それではさすがに帰りが遅くなってしまう。龍一はつい、口にだしてしまったが、

桜  「お願い…」

 このまま日が暮れるまでここにいたら帰りが遅くなる事ぐらいはわかっていた。でも、今を大切にしたかった。龍一と、ここにいるこの時を。

龍一 「わかったよ」

 龍一は桜の気持ちを素直に受けとめた。もちろん、断る理由もないし、今日はなるべく桜の言うことを聞こうとしていたからだ。

 そのあと2人は、まるで2人だけに開放されたかのようなビーチで思いっきりはしゃいだ。幼かった日のように、時間が止まったかのごとく。そして、

桜  「わぁ、夕陽がきれい」

 きらきらと輝く日本海に沈みゆく夕陽が2人の目に入った。2人はすっかり時間を忘れ目の前にいる人と同じ時間を過ごしていた。

龍一 「本当、きれいだよね」

 龍一が桜に近づき、2人より沿いあって夕陽を見た。龍一には、この日の夕陽が今まで生きてきた中で一番よく見えた。

桜  「ねぇ、龍一くん…」

龍一 「なに?」

 龍一は桜のほうに顔を向けた。気のせいだろうか。なにか今の桜は輝いて見えた。龍一は一瞬『ドキッ』っとした。一方桜は、不安そうな面持ちを見せたが、龍一にはそれがわからなかった。

桜  「ねぇ…」

 一瞬、桜が笑いかけた。ただ、桜にとってその微笑はあまりにも無理をした微笑だった。そして桜は、

桜  「これからも、ずっと、友達でいるよね?」

 その言葉は、あまりにも細く、小さかった。不安そうな表情がはっきりわかった龍一は、

龍一 「うん、約束するよ」

 龍一は、桜の言った言葉の意味もわからずすぐに答えた。龍一の答えを聞いた桜は、

桜  「よかった」

 そう言って安堵の表情を浮かべた。ゆっくり沈む夕陽を眺めたあと、2人はこの砂浜をあとにした。

 2人が自宅の近くに帰ってきた頃には、すっかり辺りも暗くなっていた。

桜  「今日は、ありがとう。こんな遅くまでつき合わせちゃって」

龍一 「いいよ。桜、どうやら元気になったようだし」

 帰りの時、桜の表情は行きの時に比べたら明らかに違っていた。しかしその本当の意味を、龍一は知らなかった。

桜  「そ、そう。ありがとう」

龍一 「じゃあ、また明日」

桜  「うん」

 そう言って2人は別れた。しかし、

龍一 (!)

 龍一はなにかを感づいた。すぐ後ろを振り向いて桜の後姿が消えていくまで見続けた。

龍一 (桜…)  つづく