桜  「龍一君…」

 龍一 「桜…」

  みつめあう龍一と桜。しかし、桜の表情が徐々に曇り始め、

 桜  「龍一君、私…」

  今にも途切れそうな声だった。いつしか桜の目から涙がポロポロと落ちていた。

 龍一 「桜?」

  戸惑う龍一。今まで見せたことのない桜の姿がそこにはあった。

 桜  「ごめんなさい、私、私…」

  その場に泣き崩れる桜。涙の理由を知らない龍一はただ、立ち尽くすだけだった。

 龍一 (俺は、どうすればいいんだ?)

  そう思い始めたその時、桜が龍一から遠ざかっていった。龍一の手の届かないところへと…

 龍一 「待って桜!俺は、俺は…」

 

龍一  「!!……夢か…」

 窓の外からスズメのさえずりが聞こえてくる。龍一はベッドから降りてカーテンを開けてみた。夜明けの風が龍一の顔に吹きつける。雨上がりなので少し湿った風だったが、その分涼しかった。

龍一  「俺は、今まで気付いていなかったかもしれないな」

最終・第37

 7月17日、晴れ。雨は昨日の昼過ぎに止み、カラッとしたいい天気に恵まれた。

桜   「いってきます」

 桜が家を出る。いつもより早い時間だ。とはいえ、この1週間は信二に逢いたいがために早めに家を出ていたが、今日は更に早い時間に出ていった。自分の抑えきれない気持ちが、桜の足を動かした。この桜の行動にはもう1つ、理由があった。

桜   (昨日の夜、電話したのに誰も出なかった。出かけていたなら良いけど…)

 桜は昨日の夜、信二とのデートの約束を取り付けようと電話をしたが、電話に出たものはいなかった。そこで今日の朝、一緒に登校し、そこで約束をしようとあの場所へ向かっていた。

桜   (ここなら信二君、来てくれるよね)

 そこは、中間テスト前に桜の前から信二が逃げ出した場所。そしてつい先日の木曜日、今度は桜が逃げ出したあの場所であった。桜はまだ登校する人もまばらなこの場所で、信二が来るのを待った。

 

桜   (信二君、まだかなぁ)

 小学生の登校班が目の前を過ぎて、徐々に同じ制服を着た学生が見え始めてきた。しかし、信二の姿はまだ現れていなかった。道路の片隅に1人たたずむ桜。その前を気にすることなく、人々が通りすぎていった。その頃…

龍一  「いってきます」

 龍一が家を出ていく。こちらはいつもとほぼ同じ時間だった。

龍一  (結局あまり眠れなかった。こんな事、はじめてだ)

 あの後龍一は眠ろうとしたが、結局眠ることが出来なかった。ベッドに入っても寝付くことが出来ず、結局そのまま朝を迎えたのであった。しかし、龍一の表情からは眠たそうな様子はなかった。

龍一  (桜は来てくれるかな?)

 龍一はいつもの待ち合わせ場所にやってきた。しかしここ3週間近くここで桜とは逢っていない。通りすぎる人々、その中に桜がいることを龍一は願った。

龍一  (俺は間違えなく、桜のことが好きなのかもしれない。でも、なんか気持ちがまとまんないな)

 

龍一  (やっぱ、来てくれないかな…)

 数分待ってみたものの、桜は来る様子がない。仕方なく龍一は学校に足を向けた。その頃桜は、

桜    (信二君、どうしちゃったのかな)

 桜の前に信二はまだ、現れなかった。さすがにもうそろそろ学校に向かわないと、遅刻する時間だった。そこに、

真矢  (ん?あれは…)

 真矢が、桜が道端にいるのを見つけた。

真矢  (この場所…。桜は信二を待っているのか?)

 すかさず木曜日のことが頭の中を駆け巡る。とりあえず真矢は、桜に話し掛けることにした。

真矢  「おはよう」

桜   「あっ!…な、なんだ、真矢くんか…おはよう」

真矢  「おいおい、なんだはないだろう」(やっぱ、信二を待ってるな)

 桜の表情からは、明らかに焦りの色が見えていた。

真矢  「ところで、そろそろ行かないと遅刻するよ」

桜   「う、うん。そうだね。それじゃあ」

 そう言って桜は、駆け足で学校へ向かっていった。

真矢  「あっ…」

 真矢から逃げるかのように、桜は人ごみの中へと消えていった。

真矢  (こんな時間まで待っていたなんて…、でもちょっと遅いよな)

 人ごみの中、1人取り残される真矢。ふと我に帰り、

真矢  (おっと、こんな事考えてる場合じゃない。俺が遅刻する)

 桜の後を追うように、学校へ向かって走っていった。

桜   (信二君、見逃しちゃったかな?でも、学校にいるよね)

龍一  (とにかく、桜にありのままを伝えよう。桜に、桜に逢いたい…)

 

 真矢が学校の玄関に駈けこんだとき、教室へ向かおうとしていた一郎に出会った。

真矢  「おはよう」

一郎  「やあ、おはよう」

 2人は一緒に教室に向かっていったがその途中、一郎が封筒を持っていることに気が付く。

真矢  「ところで、その封筒は何?」

一郎  「うん、これはね…」

 

 桜は学校に着いた後、すぐに1組の教室を見に行った。しかし、信二の姿はなかった。

あやめ 「あら、桜さん。おはよう」

桜   「あっ…おはよう、あやめさん」

 あやめは教室の前にいた桜を見て、すかさず声をかけた。そして、信二がいないことを気にしていたことは、あやめから見れば明白だった。

あやめ 「信二君でしょ。昨日早退したけど、いったいどうしたのでしょうね」

桜   「うん、今日の朝も見かけなかったし…、昨日帰るとき、体調悪かった?」

あやめ 「そういう様子は見られなかったけど…」

桜   「そう…」

 そう言って、桜は教室へ向かっていった。その途中、真矢と一郎の2人とすれ違う。

真矢  (桜…、どうすりゃいいんだよ。今は時間がないし…、そうだ!)

 桜は2人を気にすることなく通りすぎていった。このときすでに真矢は、現実を一郎から聞かされていたのであった。2人は別れてそれぞれの教室へ向かう。一郎が教室に入って、

あやめ 「長沢君、おはよう」

一郎  「ああ、おはよう」

あやめ 「信二君は?」

一郎  「それが…」

   (♪キーンコーンカーンコーン)

 

杉蔵  「それでは体育館に行きますので、廊下に並んでください」

 

校長  「…これから長い夏休みに入るわけですが……」

 静かな体育館に校長の声だけがこだまする。

校長  「…さてもう1つお話したいことがありまして……」

 終業式の長い校長の話が続いているさなか、真矢が動いた。

真矢  「これを6組の大神君のところへ」

 となりにいる4組の女の子へ、1枚の紙切れを渡した。真矢はこの紙を、バケツリレーのようにして龍一に渡すことを考え付いた。

真矢  (届いてくれよ)

 しかし、道のりは長い。横に6列、幸いにして真矢と龍一は身長差が少なく前後の動きは少ないが、途中で先生に見つかってしまえば、それまでである。真矢はなんとか龍一の元へ届くことを願った。

    (クイックイッ)

龍一  (なんだ?)

 龍一の袖をとなりの女の子が軽く引っ張った。その後女の子は、真矢から送られた紙を龍一に差し出した。

龍一  「俺に?」

加奈子 (コクン)

 加奈子は軽くうなずいた。龍一はその紙を開き、内容を見た。

    後ろへ来い  真矢

 

龍一  「先生。ちょっとトイレ」

 龍一が動いたのを確認した真矢は、

真矢  「わりぃ、ちょっとトイレ」

 二人はいったん終業式の場から抜け、トイレへ向かった。ここなら、誰も邪魔されずに話が出来ると、真矢は思ったからだ。校長の後に話している教頭の声も、ここならあまり聞こえない。

龍一  「お前もすごいこと、考えるな」

真矢  「まあな、なりふりかまっていられないことになったからな」

龍一  「何かあったのか?」

真矢  「ああ。実はな…」

 真矢が突然複雑な表情になる。龍一もおのずと真剣な眼差しに変わる。

真矢  「桜は…、あの転校生のこと、好きになっているみたいだ」

龍一  (!!)「う、嘘…」

 龍一は現実を目の当たりにした。しかしこの後、更に厳しい現実が待ち構えていた。

真矢  「でも…」

 

   (♪キーンコーンカーンコーン)

 終業式が終わり、これからホームルームが始まろうとしていた。各組の担任が教室に入り、終業式の話の繰り返しになる。その後に配られる通信簿、現実を付きつけられるとは言え、これが夏休みへのパスポートとなる。

 杉蔵が教室に入る。そこへ、

桜   「すいません、ちょっとトイレいいですか?」

杉蔵  「いいよ」

 しかし桜は解答を聞くまでもなく、トイレとは逆の方向へ駆け出していった。

杉蔵  (ちょっと、現実にしては厳しすぎるかな)

 走っていく桜の後姿を見ながら、杉蔵はこう思い、教室の中へ入っていった。

 

桜   「ふぅ」

 桜は6組の教室から1組の教室の前まで、このフロアの端から端までを走りぬいた。桜の息があがる、そして緊張。1組を覗いてみると、1つだけポッカリ席が空いていた。

桜   (信二君、やっぱり来てない。どうしたんだろう)

 そのとき、教室から春恵の声が聞こえた。

春恵  「皆さんにお話する前に1つ残念なことがありました。4月にこの学校に転校してきた金本 信二君が、父親の仕事の都合上、広島に引っ越すことになりまして、今日、出雲をあとにしたそうです」

桜   (う、嘘…)

 桜は脆くも崩れ去ってしまった。今の言葉を疑うが、それが桜の出来る最後の抵抗だった。

桜   (う、うそでしょ…)

 教室内のあやめがふと横を見たとき、廊下にいる桜と目が合ってしまった。その桜の表情は、すでに放心状態だった。

あやめ (さ、桜…。今の話を、聞いていたの…)

 桜の表情が、「嘘でしょ」と、あやめに問いかける。しかし、あやめは桜に向かって首を振った。もはや変わりようの無い現実、虚しさだけがあとに残った。

 

 ホームルームが始まってどれくらい時間が経っただろう、6組の教室にいつまで経っても桜が帰ってくるけはいが無かった。

杉蔵  「それじゃ、通信簿を渡しますので、もらった人から帰って結構です。あと通信簿の順番はバラバラにしてあるんで、後の人は運が悪いと思ってください」

龍一  (俺がもし転校したら、桜は同じように悲しむのかな?)

杉蔵  「大神君」

龍一  (もし俺が、桜と同じ心境で、桜がいなくなったら、俺は、俺は…)

杉蔵  「大神君」

順一  「おい、呼ばれてるぞ」

龍一  「えっ!」

 順一が一声かけて前を指差した。杉蔵は龍一の通信簿を見せびらかす。

杉蔵  「中身見せちゃうぞ」

龍一  「あー、ちょっと、それだけは」

 急いで杉蔵の元へ行く。何も聞いていなかったせいか相当慌てている。

杉蔵  「なんでお前を1番目に呼んだかわかるか?」

 杉蔵は小声でこう言った。龍一は冷静になるまで少し時間がかかったが、その言葉の意味を理解した。

龍一  「えっ…、それはひょっとして…」

杉蔵  「そういうことだ。成績に関しては2学期のときにゆっくり話そう」

 そう言って通信簿を手渡した。

順一  「ほら龍一、忘れ物」

 そう言って順一は、桜のかばんを差し出した。

龍一  「ありがとう」

 龍一は桜のかばんを大事に受け取った。そして急いで教室をあとにした。

達也  「おい順一、おいしいところを持っていくなよ」

 達也の一言が教室内を笑いに包ませた。今までの暗い空気がいっぺんに吹き飛んだ。一方、階段を駆け下りる龍一。しかし、彼にはまだ拭いきれない部分があった。

龍一  (桜…、今どこにいるんだ?)