人として不出来なこと

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9. エピローグ

 生暖かい風がものみの丘を吹き抜けていった。
 祐一が足を止めると、その後ろにいた美汐も立ち止まった。
 ようやく春らしくなってきたこの丘には、ぽつぽつと緑が顔を出し始めている。もうすぐ本格的な花咲く春が到来するだろう。
「ここらへんでいいか?」
 特に質問するわけでもなく祐一はそう言うと、両手に抱えていたダンボール箱を地面に降ろした。
「重かったですか? 腰、痛くなりませんでした?」
 美汐が尋ねる。
「そういうこと言うからおばさんくさいって言われるんだぞ。」
 責めるような口調で言う祐一。だが美汐の言うとおり、少しだが腰が痛くなってきていた。
「失礼ですね。せっかく心配してあげているのに。」
 にっこりと笑って言う美汐。その笑みは心のうちの不安を隠しているようには見えなかった。
「じゃ、いよいよお別れだ。」
 祐一はそう言うと、ダンボールの蓋をあけ、中に手を差し込む。そしてゆっくりと中身を取り出した。
 その様子をじっと見つめる美汐。
 それは小さくて、茶色で、暖くて、ふさふさの……
 子狐だった。


「本当に、これで良かったのでしょうか?」
「さぁな。」
 ころころとものみの丘を走り回る子狐。
 その様子を見ながら、祐一はゆっくりとダンボール箱をたたんでいる。
「こればっかりは奇跡が起きるまではわからないからな。」
 祐一はダンボールを小脇に抱えると、美汐を振り返った。
「行くか?」
「はい。」
 子狐が遊んでいるうちに、こっそりと立ち去る二人。
 ここが正念場だった。
 子狐がただの狐なのか、それとも妖狐なのかを判別する方法はわからない。だからこの子狐が奇跡を起こし、人間となって祐一や美汐の前に姿をあらわすかどうかはわからなかった。
 ただ一つ言えることは、このまま子狐が仲間たちのところへ帰ることができたならば、おそらく祐一のことなど忘れ去って、狐としての平和な生涯を遂げるだろうと言うことだ。
 だから祐一と美汐はこっそりと去るのだ。
 シューッ!
 祐一は物凄い匂いのするスプレーを、自分が立ち去る後ろに撒いている。子狐が自分の匂いを追跡してこないようにするためだ。
「相沢さんっ!」
 美汐が小声で叫ぶ。
 祐一が顔を上げると、美汐が指差す方向に、ぽつんと子狐の姿があった。
 子狐は祐一たちが歩き去ってきた方向から、とことことこちらに近づいてきている。
「来るなっ!」
 祐一はそう言いながら、液体の入った小瓶を子狐に向かって投げる。
 ガチャン!
 上手い具合に子狐の手前の木に当たって小瓶が割れると、子狐は慌てて後づさった。小瓶に入っている液体は、スプレーと同じように悪臭を放つ物質でできている。その匂いをかげば大抵の人間は逃げ出すだろう。ましてや嗅覚の敏感な動物ならなおさらだ。
「帰れっ!」
 祐一がさらにもう一本の小瓶を投げる。
 今度の小瓶は草むらに転がり込んで割れなかった。しかし威嚇の効果は十分にあったのか、子狐はゆっくりと向こうを向くと、とぼとぼとものみの丘に向かって戻りはじめた。
「そうだ、それでいい。」
 ほっとしたように言う祐一。
 途中、子狐はちらりと祐一をふりかえったが、やがて決心したのか、ものみの丘へと走り去っていった。
「ふ〜っ。」
 大きくため息をつく祐一。ようやく一仕事終えたと言う感じである。
 そんな祐一に、美汐は思わず抱きついた。
「お、おい?」
 驚く祐一。どうすればいいのかわからずに、呆然と立ち尽くしている。
 わなわなと全身を震わせている美汐。祐一の胸に顔をうずめたまま言う。
「どうして相沢さんはそんなにお強いのですか?」
 今にも泣き出しそうな美汐の声。
「本当に後悔しないのですか?」
「後悔だって? 後悔するに決まってるじゃないか。」
 困ったように祐一が言う。
「もしまた真琴みたいなのが俺の前に現れちまったら、のた打ち回って後悔するに決まってるさ。」
 祐一に抱きついたまま聞いている美汐。祐一はゆっくりと美汐の髪を撫ぜはじめた。
「でもな、もし俺があのまま子狐を助けないで放置してたら、お前何て言う?」
「……………」
「だから、さ。選択の余地なんて無かったんだよ。」
 自嘲気味に言う祐一。
 今日、この場に立ち会うことを許されたのは美汐だけだった。それは事情を知る美汐ならば、きちんと子狐と別れることができるからだった。他の女の子では、まかり間違って子狐を飼いたいと言い出す可能性があった。そして、それは絶対に避けなければならないことだった。
 祐一は子狐を偶然見つけたのだと言う。それは以前、美汐や祐一自身が体験した時と同様だった。そして今回もまた、子狐は怪我を負っていた。
 そこで祐一は、またしても子狐を獣医に連れて行き、そして子狐が回復するまで面倒見ることにしたのだった。たった一人で。
「さぁ、行こうぜ。腹が減ったよ。」
 いつか再び現れて、祐一を苦しめるかもしれない奇跡のことなど気にもとめないかのように、祐一が言う。
「はい。」
 だが、もちろん美汐にはわかっていた。もし奇跡が起きれば、そのとき祐一は、かつての美汐以上に苦しむだろうと言うことを。
 もし、そんなことが起きたなら、こんどこそ美汐が祐一を助ける番だった。
『一生ついてきいます、祐一さん。』
 歩き出す祐一の背中に向かって、美汐はそうつぶやいた。そしてパッと祐一に走り寄ると、しっかりと祐一と腕を組む。
「肉まん食べませんか、相沢さん?」
「おっ? ちょうど俺もそう思っていたところだ。おごるよ。」
「はい!」
 にっこりと微笑む美汐の表情の奥には、何かしっかりとした決意のようなものが芽生えていた。
(完)


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