ある はるのひ
―― 祐一 ――
ある、日曜日。
「よう、天野。買い物か?」
する事がなくてぶらついていた、昼下がりの商店街。
静かに歩いている天野の姿を見つけた俺は、そう言って呼びとめていた。
「あ、相沢さん」
片手を上げた俺に対して、小さく礼を返す天野。短めの髪が僅かに揺れる。
「どうしました?」
と、少し首を傾げて俺の次の言葉を待つ。
「いや、何。暇つぶしにこの辺りをうろうろしてたらお前を見つけた」
俺の台詞に、そのまま考えこんでしまう天野。
「……」
……その表情から、何を考えているかは読めない。
時間にして数秒。なにかまずい事でも言ったかと思案しようとした所で、天野が口を開く。
「と、いうことは……相沢さん、今は暇なんですね?」
「まあ、そうだな」
答えてはみたものの、何となく嫌な予感がする。
「じゃあ、私の買い物に付き合いませんか?」
「天野の?」
「ええ、そうですが」
「………」
ますます嫌な予感。
「じゃ、またな」
俺はそのまま踵を返―――
「待ってください」
がっしりと俺の袖をつかむ天野。…これは、逃げられそうに無い。
「なにしろ、量が多くて…」
……つまり、先ほどの沈黙は買い物のリストを復唱していたわけか。
……で、今俺が望まれていることは ……
「要は、荷物持ちをやってくれ……と」
「はい」
天野は、俺が断ることを考慮に入れていないようだ。
というか、断りにくい空気を思いっきり発している。少なくとも、俺は抗えなかった。
……俺も用事のある身ではなし。これも人助けか。
まあ構わんぞ、と、頷いてやる。
「ほんとに、いい所で会いました」
「ほんとに、ヤな所で会ったよ……で、何を買うんだ?」
天野は、今度はポケットからメモを取り出して確認する。
……はっきりいって、ちょっと見だけでもかなりの量が羅列されている。
「えっと、まず…」
……逃げておけばよかったかもしれない。
それから約一時間後の今。俺は『後悔』という言葉の意味をゆっくりと噛み締めながら、道を歩いている。
「天野」
「はい?」
「この貸しはでかいぞ……」
はっきり言って……とんでもないを通り越して愉快にさえなってくる量。
ちなみに、俺と天野の持つ量は、おおむね 3:1 といったところか。
「助かります」
鰹節にトイレットペーパー、詰め替え様の洗剤やら漂白剤。
「んで、卵に豆腐に大根に……んでもって……」
1,5リットルのペットボトルが5本、挙句の果てには10キロの米袋が2つ。
「助かります」
……シヌ。
「今日はあちこちで特売が重なっていまして……何度かに分ける覚悟でいたんですけど」
……分けろよ。
「やっぱり、男手があると違いますね」
……男手にも限界はあるってば。
天野の声を遠くに聞きつつ、自分の持つ重量を概算しようとして――くじけそうなのでやめにした。
まず、米2袋にペットボトルの時点で、28キロ弱あるのだ。
遠くなりそうな意識を掌に食い込む買い物袋の痛みが繋ぎとめているというのも皮肉な話だ。
天野も、10キロ近い荷物を抱えてなかなかに辛そうだ。
なんでこんな事になってるんだろう。そんな詮無い思考を足跡代わりに、俺は天野の横を歩いて行った。
「んぬおぉぉ……っ」
大量の荷物を天野の家の玄関に運び込む。いや、担ぎ込む。
ちなみに、掌から指にかけての感覚はほぼ消え失せて久しい。
「……助かり……ました……」
天野も、コイツなりの限界に近い量を運んだためか、かなり披露困憊といった様子。
「さて……これを今度は中に運ばにゃならんのだな……」
山と積まれた物品を見やり、嘆息。
ここで逃げてしまうのも中途半端だ。せめて中まで運ぶぐらいはやってやる事にする。
靴を脱ぎ、荷物を抱えてリビングへ。今度は勿論小分けにしてだ。
運ぶ。運ぶ。ひたすら運ぶ。
あらためて、自分達がとんでもない量の買い物をしていた事に気付く。
膨大な量の品を今まで入った事もない家庭の中に運びこむという構図。なかなかにシュールだ。
――そういえば俺、今まで天野の家に来た事なかったのな。
年頃の女の子の家。しかも見たところ他には誰もいない模様。いわゆる二人きりだ。
しかし、なんだ。卵に醤油に味醂と一緒のご招待。色気もなにもあったもんじゃない。
手に、その原因である味醂をひっ掴み、苦笑。
――とりあえず、さっさと終わらせようか。
その味醂と、脇にあった砂糖を手にしてまた立ちあがる。
これで大体終わりか。天野も収納をほぼ終えたようだ。
残るは、大した重さもない物ばかり。次の一往復で最後だろう。
味醂を片付け、最後の運搬。
天野が受け取ったのを確認し、じゃあなと一声かけて再び玄関へ。
「あ、待って下さい」
コキコキと関節を鳴らし、帰ろうとした所で呼び止められた。
「せっかくですから……お茶でも飲んでいきませんか?」
―― 美汐 ――
「んじゃ、またな」
そう言って帰っていった相沢さんを見送って、家の中へ。
使ったカップを片付けていると、腕が重い。
――明日は筋肉痛かもしれないな。
そこまで考えたところで、今日の買い物の量を連想。瞬間、苦笑。
何を考えていたんだろう、私。それに、予定の何倍の買い物をしたんだろう。
しかも、誰かを自分の家に入れるなんて……何年振り?
あらためて、今日の自分の行動に少し驚く。
――いや、相沢さんだったからこそなんだろう。
考えてみれば、不思議な人だ。
私が完全に心を閉ざしてしまったのと同じ出来事。奇蹟にも似た悲劇、悲劇にも似た奇蹟。
そこからしっかりと日常に帰ってきて、二本の足でしっかりと立っている。
その相沢さんと、真琴。
奇蹟の中にいた人と、その奇蹟の終わりに消えてしまった少女――私の、親友。
二人のお陰で私も日常に戻って来れたのだろう。
ここまで自分から誰かと積極的に関わっていくなんてこと、考えてもみなかった。
冬までの自分。心凍らせ、全てを閉ざしていた自分の姿からは予想もつかないことだ。
「ちょっと、はしゃいじゃってたかな?」
予定を遥かに越える買い物をして、それを相沢さんと一緒に運んで。
なにか、とても楽しんでいる自分が、どこかにいた。
「誰かと一緒に買い物なんて久しぶりだったからだろうな……」
ふと、外の空気が欲しくなって、窓を開けた。
空が、細い月を浮かべている。
下弦を過ぎて、ゆっくりと新月へと向かう月灯りが、夜空に光をもたらしている。
この時間になっても灯っている街灯りが、風に色をもたらしている。
遥かなどこかで光る星が、暗闇をそっと照らしている。
そして――微かな風に乗って流れる桜の香り。
遠く、近くから薫る草木そして土。
そう。夜はこんなにも優しい色に満ちている。
そう。春はこんなにも優しい光が舞っている。
……そう。今は、春。
真琴が望み、待ち――見ることのなかった季節。
次の季節へ向けて生命が蓄えられていく、そんな季節。
あの子が消えた、あの丘にも。この色は、光は、届いているだろうか?
見えないかもしれない。見ることはできないかもしれない。
けれど、この季節を。感じて、いるのだろうか…?
窓を閉め、寝床へと戻る。
ある、春の日。いろいろとあったけれど、とても穏やかな日。
今日という一日が思い出へと還っていく。
全ての季節、限りある風景。そして、うつろう刻。
季節はゆくもの。先へ先へと進むもの。
流転し、留まる事なく、流れ続ける時間とともに往く。それが、今生きる私たちの務めなのかもしれない。
「ふふ……こんなこと考えるなんて、おばさんくさいんでしょうか……?」
そんなこと無いよね。
誰にともなく、そう呟いてみる。
―――さて、もう寝よう。
目を閉じると、誰かの顔が浮かんで来た。
誰の顔なのかは、判らない。
でも、笑っている――それだけは、なぜかはっきりと判った。
そのまま ゆっくりと―――眠りの中へ…………
きつねのよめいり
2000-2001 rokumusai