つきのひかり

 

 

 

 

 

 

 

 

波が立つ。

黄金色の、波。

 

 

 

 

 

 

 

 

風が吹く。

秋空色の、風。

 

 

 

 

 

 

 

 

そよ風に揺られ、ススキの穂先が波立つ。

その波音を乗せた風が去り、一枚の風景へと溶け消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

「秋ですね…」

思わず漏れる呟き。

目の前には、黄金色の海。

微かだった秋も、今はもうこうして確かに目の前にある。

「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども―――か」

……古今だったかな? 新古今だったかな?

と、

  『相変わらずおばさんくさいのな』

そんな声を聞いた気がした。

もっとも、その言葉をまっ先に発するであろう人物は、今ここには来ていない。

あまりに普段から言われ慣れている、という事なのだろう。

―――やれやれ、私も随分と毒されちゃったな。

思わず苦笑しながら、深く呼吸。

正直、此処に一人で来るなんて随分久しぶりのことだ。

確かに来ることは来るのだが、いつも相沢さんと連れ立ってのこと。

「…………」

一人でいるのには慣れている―――筈だ。

少なくとも、去年の今頃は間違いなく一人だった。

だが、今はそれが物足りなく感じる。

横に誰もいない空間、誰もいない時間。

そんなものを寂しいものと思うようになったのは、いつからだったか。

「……私、弱くなったのかな」

いや、弱くなったのとはまた違う気がする。

なら、少しずつ昔の自分に戻っているのか。

「……それともまた違いそうだし」

そう。多分違う。

私は、きっと―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と……」

思考に浸っていた意識をかき集め、立ちあがる。

――うっかりここへ来た目的を忘れるところだった。

砂浜のような叢から離れ、目の前に広がるススキの海に足を踏み入れる。

「どれぐらいの大きさのがいいかな……」

月見をするのに丁度良いようなものを選び、ポケットから取り出したカッターで刈っていく。

今夜は、水瀬家でお月見。

招かれたからとて、何もしないのも問題があろう。手頃なススキを調達する役目を買って出た――というわけだ。

水瀬家のお月見。

恐らく、お団子は秋子さんの御手製だろう。

それで、相沢さんはともかくとして名雪さんは寝てしまうのだろうから……

……って、あれ? 相沢さんがこの街に来たのは今年に入ってからだっけか。

「……ま、いいか」

どっちにしても、今年は今年。私の知らない去年を考えるよりは、私の知り得る今年を考える事にしよう。

今年は去年の延長上にあっても、それとは似て非なるものなわけだし。

……いや、それにしても、去年と恐らく同じであろう部分は確固としてあるか。

「名雪さん……月が出るまでに起きていられるのかな……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つきだおー、つきだおー」

「……起きろ」

相沢さんの軽い嘆息と同時、鈍い音がする。

「祐一ぃ〜、なんだか頭が痛い……」

名雪さんが、情けない声を上げて辺りを見まわしながら頭を押さえる。

それを、大袈裟極まりない仕草でいたわる、頭を叩いた張本人。

「だいじょうぶかなゆきだれがこんなひどいことを」

……思いっきり棒読みだ。

「祐一、酷いぃ……」

「傷は浅いぞがっかりしろ!」

「しっかりしろ、だよ……」

案の定というかなんというか。

夜、九時。

丁度月が天上へと上る半ばにあり、まさにこれからが見頃といった時刻。

流石は10時間睡眠の水瀬名雪といったところか。彼女はすっかり入眠モード。

相沢さんはといえば、そんな名雪さんとドツキ漫才を繰り広げていたりする。

「……ふふっ……」

あまりにも予想通りの光景に思わず苦笑を漏らし、そのまま縁側に腰を下ろす。

見上げれば、紺碧の空高く月が昇ろうとしている。

僅かに浮いた雲が、月の光にその姿を朧と顕わしている。

―――こういうのを、月見日和りというのだろう。

 

 

 

ススキの穂をそよがせた風が、私の前髪を揺らす。

その中に溶けた夜の涼けさが、頬に心地良い。

「気持ちいいですね…」

何時の間にか私の横に腰掛けた秋子さんが言う。

傍には手作りの月見団子。

「すみません、お邪魔してしまって」

「いえ、大歓迎ですよ。賑やかな方が楽しいですから」

ちらと名雪さんのほうに視線をやって、続ける。

「去年まではあの子と二人だったんですけど……あの調子だから……」

あの子も毎年起きていようとはするんですけどね……と、苦笑。

成程。結局は毎年一人の月見のようなものだったのだろう。

『こんないい月を一人で見て寝る』

という俳句――これでも俳句なの? と、初めて見た時は思ったものだ――を謳った人がいた。

確か、名月を一人独占する優越感と、ちょっとした孤独感を詠んだものだったようだが――

改めてその光景を考えてみると、確かに少し寂しいものがあるかもしれない。

秋子さんのいつもの調子の中に少し嬉しそうな気配があるのも、無理からぬことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「もう、爆睡ですよアイツは……」

後ろから多分に苦笑を含んだ相沢さんの声。

名雪さんを起こすのを断念したか、それともただ攻撃するのに飽きただけか。

灯りを押さえた居間の中を、縁側へとやって来るところだった。

「あら……今年もなのね」

秋子さんが微笑して、仕方ないわね と立ちあがる。名雪さんを部屋に運ぶのだろう。

それと入れ替わるようにして相沢さんが縁側に立ち、月を眺める。

「…………」

相沢さんは、無言。

只、月を凝と見ている。

……いや、違う。彼の眼に月は映っていない。

彼は、違うものを――月の向こうを――見ている。

そして、彼が何を見ているのか――私には、判る。

その視線の先にあるのは、ひとつの想いだ。

 

「アイツも……毎年、見ていたんだろうな」

 

それは、相沢さんの呟きか、それとも私の心の声か。

恐らく、そのどちらでもあったろうし、その区別は意味がなかった。

 

「たった……一人で…」

 

ススキの穂に金色の軌跡を描かせて、微風が二人の間を吹きぬける。

涼しいはずの、眼が、熱い。

―――涙が出そうだった。

 

それは、月光にも消えてしまうような小さな小さな呟き。

それは、誰に聞かせるでもない、彼の独白。

 

 

でも、私にとってそれは何よりも大きな声。

例え耳を塞いでいても、私のどんな奥までも響く声。

 

 

込められた想いは、私にとって何よりも強い。

どこまでも底知れず深くて、私の心の琴線を鷲掴みにする。

 

 

そして、その呟きは、言霊。

 

悲哀――大切な者を失った――

怒り――無力だった自分への――

 

――――そして、何にもましてあの子への掛け値なしの愛情。

 

そんなものがないまぜになった、声。

やるせなくて、暖かくて。そして切なくて優しくて―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――もし。

もし、人が季節の度に、消えていった者へと想いを馳せられるのならば。

想いを馳せつつ、それでも前へと進んで行けるのならば。

その時、人は、誰かの分まで生きていけるのだろう。

 

 

――例えば。

もし、私が命を落としたとして。

誰でもいい。誰か私の知っている誰かが、私を私として知っていて。

何かの折にでも。そう、何の折にでもいい。

ふと、天野美汐へと想いを馳せてくれるのならば。

そして、その人が前へと進むことができる人だったならば。

その時、私は、その人と生きているのだろう。

 

 

 

相沢さんは、真琴の分まで生きているのだろう。

真琴は、相沢さんと一緒に生きているのだろう。

 

 

私には、そう思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

切り取ったような光景に、月光が差し続ける。

気の遠くなるような大昔からの、変わらぬ光。

 

 

傍観者。

そう、全てに対する傍観者。

 

それが、月だ。

 

 

 

 

月は、見続けて来たのだろう。

この世の全ての悲しみと喜びと―――それを抱く人々を。想いを。

 

 

月は、照らしつづけて来たのだろう。

この世の全ての悲劇と喜劇と奇蹟と―――その渦中に在った人々を。想いを。

 

 

 

月の光には魔力が宿る――とは、誰の言葉か。

その魔力とは、きっと、こうして照らし出されて来た人々の想いの事なのだろう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その月光が、相沢さんを照らし出す。

そう。まるで、なにかの物語の登場人物の様に。

 

天上から差す光、そして主人公。

吹き渡る秋色の微風、身を晒す月下の青年。

 

それは、歌劇かそれとも御伽噺か。

 

 

 

 

 

 

相沢さんの姿が、目の前にあった。

どこか、荘厳だった。

なにか、神聖だった。

とても――物悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んな〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぁ」

 

唐突に、猫の声。

何時の間にか現れたぴろが、相沢さんの足に擦り寄っていた。

「お、どーしたお前。団子食いたいのか?」

お前も花より団子のクチか……と、からかうような口調で相沢さんが笑う。

屈んでひょいと抱き上げて、誰かさんがしていたようにそのまま自分の頭に乗せた。

「おい、天野。ちぃと団子一個取ってくれるか?」

「あ、は……はい」

横にあった皿から団子を一つ。立ちあがって、ぴろの口へと持っていってやる。

「うにゃあ」

団子に齧りつき、ご満悦といった声を漏らすぴろ。

「なあ、天野。俺には?」

「相沢さんは我慢してください」

「……けっちくせ―なぁ」

不満な振りをして笑う相沢さん。

その姿は、もう、物語の中にあるような遠い姿ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

見上げれば、月が。

先刻と変わらぬ光、太古から変わらぬ光を、私達へ向けて投げかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きつねのよめいり

2000-2001 rokumusai