よろこびのうた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wem der goße Wurf gelungen, Einse Freund zu sein,

(心の通じ合える真の友を持つという難しい望みのかなったものも)

 

Wer ein holdes Weib errungen,Mische Jubel ein !

(気立ての優しい妻を娶ることができたものも、喜びの気持ちを声に出して合わせよ)

 

 

 

 

 

 

 

交響曲第九番ニ短調作品125《合唱》――“第九”が街に流れる。

その旋律に乗りしは、喜びと、そして祈り

今年という一年を無事に過ごした喜びと、来年の息災への祈り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相沢さん、知ってます? 年末の第九って、日本独特の習慣なんですよ」

ふと思い出された豆知識、知っているだろうか? と思い、横を歩く祐一さんに言ってみた。

 

 

 

今日は、大晦日。

明日からの正月休み、基本的にそれは退屈との勝負。

今日、この日を逃すと、負け。 しばらくは退屈三昧を味わう羽目になる。

暇つぶしのネタを探そう。そう思って商店街に出たところ、同じことを考えていたらしい祐一さんと出会った。

 

―――年末の商店街は、一人で歩くにはいささか賑わいが過ぎる。

それはきっと私達の共通見解だったのだろう。

かくして、私と祐一さんは並んで歩いている、というわけだ。

 

 

 

「知らなかった……第九って、日本の曲だったんだな」

「……そうじゃなくて」

まったく、いつもの事とはいえ祐一さんの言動は読めそうで読めない。

しかも、なおタチが――読めないという点で――悪い事に、この人はいつも真顔で冗談を言う。

「じゃあ、外国では一体何をやるんだ?」

私がリアクションに困っている間に、祐一さんはさっさといつものペースに戻ってしまった。

こうやっていつも主導権を握られているのだが、なかなか私の勝ちは訪れない。

今回も今回とて、私は急なペース転換に戸惑い気味の返事を返してしまう。

「あ……えっと……ハレルヤを歌うらしいですよ」

「ヘえ…そうなのか」

そう言ってしばし沈黙。 私のペースも、どうにか戻る。

 

祐一さんは、そのまま何かを考えこんでいる様子だ。

多分、街に流れるハレルヤ・コーラスあたりを想像しているのだろう。

「悪くないな」

―――ほら、やっぱり。

確かに祐一さんの言動には翻弄されっぱなしではあるけれど、それは言動だけ。

祐一さんが何を考えているのか、何を見ているのか――少しずつだけど、判るようになってきた。

もっとも、私の周りでは彼への評価は相変わらずだ。

『あの人って、何考えてるのかいまいちわかんないよねー』

と、つかみ所のない人物と思われている。

 

でも、そんなことはない――と、私は思うのだ。

祐一さんは何も自分を偽ったり隠したりなんかしていない。いつも、そのままの自分でいる。

ただ、祐一さんを知ろうと思わなければ、その核が見えて来ない――

彼は、そういう人なのだ、と。

 

彼に限らず誰にでもそう言った面はあるだろう。

人を知ろうとするとは、本来そういうものなんじゃないだろうか。

私は、祐一さんが好きだ。だから、彼を知りたいと思った。

―――つまりは、そういう事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ」

突然、祐一さんが切り出した。

「はい?」

「第九の歌詞って、覚えてるか?」

「ええ。たしか……」

確か、中学の頃か高校に入ってからか――教科書に載っていたのを、覚えた気がする。

「心を分かち合える真の友を得るという……」

―――難しい望みの叶った者も……

「――――」

歌詞を唱える私の横、祐一さんが口笛で旋律を奏で始める。

私も、続ける。

「……気立ての優しい……」

……いや、違う。こうじゃない。こうじゃないよね。

この旋律には、ドイツ語の響きがよく似合う。

意味なんてわからない、けれど音として覚えた知らない言葉。

きっと、こっちの方がこの曲には相応しい。

「……Wer ein holdes Weib errungen, Mische Jubel ein ……」

時々かすれるような祐一さんの口笛と、さして巧いわけでもない私の歌と。

私達だけの、小さな音楽が流れていく。

 

 

 

 

 

商店街の喧騒に掻き消される様に、いつしかその調べも終わっていた。

そのまま当初の目的であった、時間を潰せる物を探して二人で見て廻る。

それぞれがそれぞれ意に沿う物をみつける頃には、もう日も落ちていた。

商店街の喧騒は相変わらずだが、その空気はもう全てを終えた後のような雰囲気。

―――ああ、今年ももう終わるんだな。

そんな実感が湧いてきて、今年一年が頭の中にリフレインされる。

春、夏、秋―――冬。

わかっていた事だが、祐一さんと一緒にいた記憶がやたらと多い。

―――そうか。今年一年かけて私は祐一さんを知ってきたんだ。

そう思うと、なにか満ち足りたような気分になってくる。

いつの間に。私はいつの間にこんなにもこの人に惹かれていたのだろうか。

 

 

 

「なあ、天野……」

祐一さんが、ゆっくりと口を開いた。

「なんですか?」

「心を分かち合うって、どういう事だと思う?」

唐突なような、そうでないような問い。

「………よく…判りません」

「…………」

「でも……相沢さんといると、少しは……判る気がします」

普段なら、恥ずかしくて絶対に言えない台詞。

なぜか、すんなりと出てきた。

 

「そうか……」

一呼吸分の沈黙。祐一さんが言葉を発する。

「俺も……判るな……」

……え?

「相沢さん……?」

「…………」

 

 

 

 

 

  街の音が、止んだ様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ja, wer auch nur eine Seele Sein nennt auf dem Erdenrund!

(そうだ、この広い世の中でたった一人でも心を分かち合える相手がいると言える者も和すのだ)

 

Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund.

(だが、それさえできぬものは喜びの仲間から人知れず惨めに去ってゆくがよい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――― さあ ―――

 

 

 

 

 

―――謳おう                             .

 

                             和そう―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分達には、きっとその資格があるのだろうから。

 

 

 

 

 

もし 歌に資格が要るのなら

 

資格が要るというのなら

 

 

―――俺には                                  .

                                 私には―――

 

“喜びの歌”を和する資格が

 

きっと、ある

 

 

 

―――美汐は                                   .

                                    祐一さんは―――

 

 

 

 

 

 

―――きっと、この心を分かち合える相手だから―――

.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの冬の

 

あの丘

 

 

 

 

 

 

それは、二人にとって

 

最も辛く、最も悲しく

 

 

 

そして、一番大切な思い出

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを共有する二人の心

 

 

 

それは、分かち合う、心

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は美汐の過去を知らない                                 .

 

                         私は祐一さんと真琴の絆の深さを知らない

 

けれど、それが何だ?                                    .

 

                                        でも、それが何?

 

 

 

少なくとも

 

 

俺は、美汐がどんな思いをしたのか                            .

 

                    私は、祐一さんがどんな想いで真琴と別れたのか

 

 

 

それが、どんなに美汐を傷つけてきたか                           .

 

               それが、祐一さんにとってどれほど大きな苦しみだったか

 

 

 

 

 

 

それだけは、知っている

 

 

 

 

 

 

だからこそ、思うのだ。

 

.

 

―――癒してやりたい                                  .

 

                                  支えになりたい―――

 

 

 

そしてなにより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ともに歩いてゆきたい――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分、それが

 

「心を分かち合う」という事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと、喜びの歌とは

 

そのような相手を見出せた

 

そのような相手と巡り会えた

 

その、喜びを

 

神の御前にて和するものなのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、思う                                      .

 

                                       私は、思う

 

俺が、前へと進んでゆくためには                   .

 

                  私が、前へと進んでゆくためには

 

今、俺の横にいるこいつこそが              .

 

        今、わたしの横にいるこの人こそが

 

 

 

 

 

 

 

 

―――絶対に必要なのだと―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Küsse gab sie uns und Reben, Einen Freund, geprüft im Tod;

(自然は私達に口付けと葡萄と死の試練をくぐり抜けた友を与えてくれた)

 

Wollust ward dem Wurm gegeber, Und der Cherub steht vor Gott!

(快楽などは蛆虫に投げ与えてしまうと、智天使が目の前に姿を顕す)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは喧騒のエアポケットか。

未だ途切れたままの、街の音。

それはあたかも、交響曲の中。 唐突に訪れた休息部のような。

 

祐一が、ゆっくりと言葉を紡ぐ.

 

「天野……」

「なんですか、相沢さん……」

 

ゆっくりと、後ろから美汐を抱きすくめる。

突然の事に少し驚きつつも、

背中越しの祐一のぬくもりが心地よくて

それ以上に、その温度に安らぐ自分がいて

美汐は、ただ次の言葉を待つ。

 

「好きだ」

「………」

「美汐さえよければ…俺はずっと美汐と一緒にいたい…」

 

それは、祐一が、美汐が、

そして、二人が

前へ進む次の一歩を―――共に踏み出す為の、言葉。

 

「祐一さん……」

「嫌か?」

 

美汐の手が、祐一の腕に触れる

 

「まさか…逆ですよ…絶対に離しませんから…」

 

街が音を取り戻す。

再び響き出した喧騒をBGMに、

腕の中でゆっくりと美汐が祐一に向き直る。

その唇が声もなく何事かを呟き――

祐一の顔がゆっくりと近づく。

美汐はそのまま身体の力を抜いて祐一の腕に身をゆだね、ゆっくりと目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Seid umschlungen, Millionen. Disen Kuß der ganzen Welt!

(互いに抱き合うのだ、諸人よ。全世界の人達と口付けを交し合うのだ)

 

Brüder! Über'm Sternenzelt Muß ein lieber Vater wohnen.

(同胞よ!満天の星空の彼方には父なる神は必ずやおわしますのだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の街

商店街を歩く二人の影が、街灯に照らし出される。

寄り添って歩くその影は、一つ。

一軒の家の前で、一つの影が二つに分かれた。

 

「じゃあ、また来年」

「はい、よいお年を……もっとも、受験でそれどころじゃないでしょうが」

「ぐあ……嫌なことを思い出させてくれる」

「ふふ……頑張ってくださいね」

「ああ、心配するな」

「はい、心配しません」

 

そう言って美汐は家の中へ

そして祐一も帰途に着く。

後に残るは、ただ夜の街並み。

夜の帳が下りた、家々の光が浮かび上がる街並み。

 

今夜は、一年最後の夜

そして、次の一年の最初の瞬間

 

 

 

やがて日付が変わり―――年が、変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     世界中の、想いに―――

            世界中の、 想い抱きし、全ての心に―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――― A HAPPY NEW YEAR ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きつねのよめいり

2000-2001 rokumusai