学校にて。
友人である北川の言葉。
「そりゃもちろん。美坂だろ。水瀬だろ。隣のクラスの…」
「ああ、もうおまえは黙ってろ…」
何故か早朝一番で来ていた北川はやけにハイだった。
…某月某日。
つまり2/14日の話である。
そう。
バレンタインデー。
砂糖菓子の販売を促進するための会社の陰謀が結集された日だ。
「どうせ義理だろ」
「義理だろうがなんだろうが嬉しいもんは嬉しい」
…ちなみに眠り姫、名雪はまだ登校して来てない。
「だいたい相沢。おまえだって期待してこんなに早く来たんだろう?」
「たまたま目が早く覚めただけだ」
昨日からやけに秋子さんや名雪がそわそわしていると思ったら、こういうことだったのである。
すっかり忘れていたので、朝いきなり秋子さんにチョコを貰って驚いた。
ちなみに秋子さんから貰ったのはあんまり甘くないビターチョコである。
「俺は甘いのは苦手なんだよ」
「おー、嫌だ。もてる男のよく言うセリフだよ」
北川はやれやれと首を振る。
「おまえなんかにもてない男の気持ちなんざ永久に分からないんだ」
「そうかぁ…?」
俺は果たしてそんなにもててるんだろうか。
「…あら、今日は早いのね」
「ああ…おは」
「おはよう美坂っ! 今日はいい天気だなっ!」
…教室に入って来た香里に、北川が元気に挨拶をしていた。
「はいはい、元気で宜しい」
それに笑顔で返す香里。
なかなかの手だれである。
「…いやあ、今日はなんだか何かを貰えそうな気がするなあ」
「そう? そういえば早起きは三文の特って言うしね」
「そうだろうそうだろう?」
うんうんと頷く北川。
魂胆が見え見えである。
「ふーん…いいことあるといいわね」
それもさらりとかわす香里。
「…美坂〜」
期待した反応をしてくれない香里に音を上げたのか、北川が情けない声をあげる。
いくらなんでも根性無さ過ぎだろう。
「…はぁ。わかってるわよ」
それでも香里は見かねたのか、ごそごそと鞄を探ると、
「はい、チョコレート」
見るからに義理といった感じのチョコレートを差し出した。
「おおっ! ありがとう美坂!」
北川はものすごく嬉しそうにそれを受け取る。
「…ちなみに相沢君と半分こね」
「それでも構わん! うおお! やったぜ相沢っ!」
北川は高らかに右腕を掲げガッツポーズを取っていた。
「う、わーい…」
俺もとても嬉しそうに両手でばんざいをした。
「…相沢君。もう少し嬉しそうにしたら?」
しかし香里は不満げである。
「何を言う。こんなにも体全体で喜びを表現しているのに」
何が不満と言うのだろうか。
「全然やる気が感じられないわ」
「まあ嬉しいことは嬉しいが。半分は酷いぞ」
「経費削減よ」
…日本経済の不況はこんなところまで浸透していた。
「それに、あたしはこの程度だけど、どうせ栞がとんでもないことになってると思うから」
俺の不幸を予知しているかのように香里は溜息をつく。
「…それも、そうか」
今日は別の意味で地獄を見そうである。
俺も深く溜息をついたのだった…
美汐ちゃんのメリー(?)バレンタイン
中編
「某月某日の祐一君の動向」
昼休み。
『祐一(さん)、食べて(ください)っ』
…舞と佐祐理さんと栞の複合攻撃が俺を襲って来ていた。
「あ、ありがとう」
とりあえず全員から受け取る。
佐祐理さんはシンプルなハート型のチョコ。
透明なケースが綺麗なリボンで装飾されていた。
シンプルではあるがおそらくは佐祐理さんの手作りであり、味も相当なものなのだろう。
…舞のものは板チョコ。
しかもお徳用のでかいやつだった。
普通、こういうものは一旦溶かして形にした後で渡すんじゃないんだろうか。
…というか、下手したら舞はバレンタインが何なのかよくわかってないような気がする。
「舞、その袋は?」
何故か両手の紙袋一杯にチョコをぶら下げている舞。
「…貰った」
「そ、そうか」
どうも、何らかの属性の一部の女子から貰ったようだ。
…敢えて深くは聞くまい。
そして栞は…
「栞…これは何だ?」
「チョコです♪」
「そうじゃなくて、この形はなんだ」
栞のチョコも、透明なケースに詰められたものだった。
中のチョコレートが見える、心憎い演出。
サイズも予想していた特大サイズではなく、ごく普通のサイズである。
…問題は、そのチョコレートがとても食欲を促進しなさそうな形をしていることであって。
「これは私と祐一さんの愛を表現して見ました」
「…愛、か?」
「愛です。気付きましたか、祐一さん」
「…そうか、これが愛か…」
例えて言うならば、超高名な芸術家の、さらに言うならピカソに近い作者が『愛』を題材にしたら、あるいはこんな形になるのかもしれない。
「…いいものを、ありがとう」
「えへへ、気にしないでくださいっ♪」
俺に出来ることは、目の前の少女を傷つけないような言葉を選ぶことだけだった…
「ゆういち」
「ん?」
そして三人からワンテンポ遅れて、ここぞとばかりに名雪が何かを差し出してくる。
「わたしの気持ちだよっ」
と、ダイレクトにとんでもない言葉を言ってきた。
…のだが。
「ほほう」
そのチョコレートには、よくありがちな文字が刻まれていた。
『義理』
「えっ? わっ! これは北川君用だよっ! えっと、祐一用のは他にっ…」
それを見てわたわたと慌てだす名雪。
「いや、これでいいぞ」
「うー、駄目だよ」
受け取ろうとすると、ぶんぶんと首を振った。
「アレだぞ。肝心なのは結果じゃなくて経過なんだ。こっちのチョコだって手作りなんだろ?」
「うー。それはそうだけど」
「なら一緒だろう。しかもこんな字を見えるようにするなんて相当の苦労があったろうしな」
「…うん。祐一用のより時間かかったかも」
「じゃあこっちのほうが中身としては上だな」
「そう…なのかな」
「俺はそっちのほうが嬉しいぞ」
「………うん、祐一がそう言うなら、これでいいよ」
ようやく名雪は手を離してくれた。
…そして、北川は、何故かこなごなに砕かれた、元は特大サイズであろうチョコを名雪に貰って喜んでいた。
俺用のチョコには結局何が書かれていたのかは謎のままである。
そしてあっという間に帰路。
「ゆーういーちく〜」
「来たな妖怪うぐぅめ!」
「うぐぅ、誰が妖怪なんだよっ!」
うぐぅは不服そうだった。
「見よ! 北川レーダーがびんびん反応してるだろう!」
俺は何故か今日帰路を共にしている北川を指差した。
「え? いやこれは…」
「う、うぐぅ、ホントだ…髪の毛が立ってる…」
北川のぴんと逆立った髪の毛を見て、あゆは驚いていた。
「あゆ、ひょっとしたらこの近辺に妖怪がいて悪い子はいねえがぁ〜と狙っているのかもしれないぞ」
「う、うぐぅ…ボクはいい子だから平気だもん」
「食い逃げ犯を対象に狙ってくるのかもなあ」
「う、う、うぐぅ…」
あっという間に表情の暗くなるあゆ。
「おい、何の話だ?」
「…あ、いや、悪い北川。冗談だ冗談。あゆ。そんな顔すんな」
「うぐ、本当?」
まだ怯えた様子である。
「本当だ。北川は元々こういう髪型のやつだしな」
「そ、そうなんだ…」
あゆは何か言いたげに北川を見ていた。
「…あ、そうだ、はい、祐一君っ」
が、そんなことはどうでもいいかのように(本当にどうでもいいが)俺に向き直ってチョコを差し出してきた。
「おお、市販品だな、偉いぞあゆ」
「…どういう意味かな?」
「いや、深い意味は無いぞ。大変ありがたく頂戴しよう」
「…うぐぅ!」
憤慨するあゆあゆ。
「あ! あんなところにたい焼き屋の親父がっ!」
「えっ? わっ…じゃ、じゃあね祐一君っ!」
それを聞くとあゆは慌てたように遠くへと走り去っていった。
「…このチョコ、大丈夫だよな…」
やたらと不安だった。
「ただいまー」
「おかえりなさい。祐一さん。戦果はどうでしたか?」
秋子さんが笑顔でとんでもないことを言って出迎えてくれる。
「いや、その」
「教えてくれないんですか? 意地悪ですね」
くすんと泣きべそをかく真似をする秋子さん。
「…はぁ…ええとですね」
俺はかいつまんで今日の成果を話したのだった。
「…7つですか。じゃあこれを入れて8つですね」
秋子さんはにっこりと笑いながら小さいチョコレートを差し出した。
「これは?」
「真琴からだそうです」
「へえ…」
なんとも言えない気分でそれを受け取る。
「らしいといえばらしいですが」
「ふふ、そうですね」
とりあえずそれはポケットに入れ、二階へと上がることにする。
「昨日天野さんと会ったんですけどね。その時にお話をしたんですよ…」
「へえ…」
秋子さんの言葉を聞きながら階段を。
「…天野?」
「どうしました?」
急に足を止めた俺を不思議そうに見ている秋子さん。
「いや、別に…」
適当に言葉を濁し、階段を再び昇りだした。
…まあ。
貰えない可能性もあったわけだよな。
………。
というか普通それが当たり前なんだろう。
うん。
………。
「…なんだかなあ」
複雑な心境で、俺は自分の部屋のドアを開けたのだった。
そして。
部屋のドアを開けた俺の心境は、さらに複雑なものとなった。
「おかえりなさい、相沢さん」
…ここは間違いなく俺の部屋のはずだった。
「…あまの?」
俺はそいつの名前を呼んだ。
いや、正確に言うと、「天野に近いもの」の名前だ。
俺の知っている天野は。
本人曰く、物腰が丁寧で。
奥ゆかしい性格で。
俺から言わせてみればおばさんくさい性格なのだが。
今、俺の目の前にいる天野は。
肌を露にした。
…というと誤解を招きそうなので一応言っておくが。
普段よりも露出度の高い服を着た。
着ただけで顔を真っ赤にしてしまいそうな。
…わかりやすく言うと…それでもわかりにくいだろうが、イケイケギャル(死語)のような。
そんな服装の天野がいた。
「はい、天野です」
そいつは笑った。
微笑み、ではなく。
普段の天野のような淡い微笑ではなく。
正真正銘。
笑顔だった。
「お、おまえは誰だ」
俺は後ずさりしそうになった。
だが、ここは俺の部屋のはずだ。
正当な持ち主である俺が、逃げるわけにはいかないのだ。
「ですから、天野だって言ってるじゃないですか」
変わらずの笑顔。
いや、どちらかというと香里が悪戯を考えたときのような、不敵な笑顔を浮かべていた。
「じゃ、じゃあ、天野。その格好は何なんだ?」
「天野でなく美汐と呼んでくださっても結構ですよ」
…まったく俺の言葉に耳を貸さないかのように、天野(仮名)は言葉を続けている。
「ですから私も祐一さんと呼ばせていただきます。いいですね? いいですとも。悪いわけがありません」
…他人を尊重してくれる天野さんが、自己主張の塊になってしまっていた。
「落ち着け天野。い、一体何があった?」
「美汐と呼んでください」
「み、美汐…」
そう呼んでやると、天野はほぅ…と幸せそうな表情をした。
「素敵な響きです…」
「そ、そうか…」
真琴にはいつもそう呼ばれていた気がするのだが。
「美汐。一体どうしてそんな格好をしているんだ。お父さんは許しませんよ」
とにかくここは一喝せねばなるまい。
天野はおばさんらしくなければならないのだ。
「…それはもちろん〜」
すっと天野が立ち上がる。
「いわゆる、こういうことです」
それは不意打ちだった。
気付くと、俺は地面に押し倒されていたのだ。
「…捕まえましたよ、祐一さん」
そして天野の目が据わっていた。
「お、おち、落ち着け天野。いや美汐っ。話せばわかるっ!」
そして次の行動は予想がつかなかった。
「…!?」
口が塞がれていた。
俺の唇は。
天野の唇によって。
それはいわゆるキスと言うものだった。
「………はぁっ………」
長い長い間の後、唇を離した天野は、一言こう言ったのだ。

「私からのプレゼントです…私を…食べてください」
意識が遠のいた。
理解したのは。
俺の布団の傍に食べかけのチョコレートらしきものが転がっていたことと。
他に。
唇に僅かに残っていた、ブランデーの味だった。