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P A S T E L


『忘れないで』
 彼女は言った。
『思い出にしたいんじゃないんです』
 柔らかく微笑んで。
『いつかきっと逢えるから』
 瞳に涙を浮かべながら。
『今はあえて離れましょう』
 天使は、消えた。

◇          ◇

 この美術館に入ったのは、単なる気まぐれにしか過ぎなかった。
 絵に関心のない私だけれど、本当に吸い寄せられるかのように、あるコーナーへと足が向かった。
 ―天才芸術家 セイランの世界―
 Sei−Lan
 聞き覚えのある名前だと思ったら、当たり前だった。
 音楽の教科書に、彼の作曲したものが載っていたからだ。
 暖かな春の花畑を思わせるその曲は、ある女性のイメージだと書かれていた。タイトルもその女性の名をとったらしい。

『ANGELIQUE』

 母の名前と一緒だと思い、その教科書を見せた途端、母の顔が強ばったのを覚えている。
 未だにその謎は解けないのだが、母が話したがらない。無理に聞き出すほどのことではないと判断し、あの時はそれだけで終わってしまった。
 だが、もう二度とそのことを聞くことが出来なくなった。
 半年前、突然の交通事故で母は死んだ。
 36歳という、早すぎる死だ。
 それでも、母の人生はいろいろなことがあったという。
 その中に、あの宇宙を統べる女王陛下の候補に上がっていたという話があった。
 私が今住んでいる宇宙ではなく、新しく生まれた宇宙の女王になるために、女王試験を受けたというのだ。
 私は温和で儚い母に、そんな大役が務まるのかと思った。だが、女王になっていれば、今頃こうして私が存在する訳がない。
『女王になるより大切な気持ちを知ってしまったの。だからあの人に、女王候補じゃない自分を見てもらいたかった……』
 寂しげな微笑を浮かべながらそう言った母を、私は唖然と見ていた。
『でもそのうちに私の方がどんどん不安になっていって、自分の方からついて行けないことを打ち明けたわ。私は主星へ戻り、彼は別の星へ旅立った。最後の夜、私達は自然とお互いを求め合ったの』
『……それ一回で私がデキちゃったってこと?』
『平たく言えば、そういうことね』
『じゃあ、お父さんは私が産まれたことを知らないって訳?』
 わたしの問いに黙り込んでしまったけれど、それは肯定の黙秘だった。
 旅をしながら何かをやっている父に、母は知らせる術をきっと知らなかった。
 知っていたとしても、そうしなかった。
『困らせるとか、そういう理由で黙っていたんじゃないの』
 その翌日、急に母が言った。
『自由気ままなあの人が、私は好きだったのよ。私の好きなあの人でいて欲しかった。理由はそれだけ』
 一晩中考えた言い訳ではなさそうだった。
 それしか理由が浮かばない。そんな言い方だった。
 それ以来、わたしも母も、父の話をしていなかった。
 わたしは父の名前すら知らない。
 知る必要もない。
 わたしの家族は母だけだ。
 だからといって、父を恨んでいるわけではない。
 父がいたから、わたしが存在している。
 母が大切に思っている男性なのだから、悪い人ではないだろう。
 母は父を捜さなかった。
 だから、わたしも父を捜さない。
 父がいなくても、十分幸せだったから。

◇          ◇

 絵を見ていくうちに、不思議に思い始めていたことがあった。
 色々な風景画の絵に、共通点があるような気がしてならないのだ。
 朝日や星空、一輪の花にさえ、だ。
 何かこう、暖かさを感じる。
 それでいて、どこか寂しげなのは何故だろう。
 そして、ある一枚の絵を見た瞬間、その共通点がわかった。
 栗色の髪を風になびかせ、柔らかく微笑む少女。
 それは紛れも無く―。
「その絵がずいぶんとお気に召したようですねぇ」
 背後からいきなり話しかけられ、とてつもなく驚いてしまった。
「あー、びっくりさせてしまったようで、申し訳ありませんでした。私は考古学をやっていますルヴァというものです」
「はぁ……」
 おっとりしていて優しそうなその人は、にこにことして話を続けた。
「私はセイランと昔なじみでしてね。今日から個展を開くのでよかったら見に来てくれと言ってましたので、こうして足を運んだんですよー。こうして彼の絵を見ていると……まだあの子のことが忘れられないようですねぇ」
 ルヴァさんの言葉に、わたしはドキッとした。
「あの子って、もしかして……この人のことですか?」
 恐る恐るその絵を指さすと、にっこりと笑って言った。
「ええ、そうです。内気なあの子がセイランと付き合うなんて、思いもしませんでした」
 心臓が破裂しそうなほど高鳴っている。
 この絵は間違いなく母を描いたものだ。
 それじゃ、これを描いたセイランさんというのが、わたしの……。
「やあ、ルヴァ様。わざわざありがとうございます」
 突然、また別の男の人の声がして、わたしたちは振り返った。
「いいえー。この間は偶然会って、少ししか話が出来ませんでしたから、今日は楽しみにして来ましたよ」
 笑顔を絶やさずにルヴァさんはその人に挨拶をした。
 その言葉からして、この人がセイランさんだということが分かる。
 そして。
「……ところで君、アンジェリークはどうしたの?」
 わたしを見てそう言ったセイランさんは、回りを見渡した。
 どうしよう。
 こんな再会って、アリ!?
「あ、あの……」
「ああ、やっぱりそうでしたかー。この子の娘なんですねー」
 ルヴァさんは懐かしそうに目を細め、絵を見入った。
「アンジェリークが子供を産んだっていうのは知ってたさ。それが僕の子供だっていうのもね」
 そしてセイランさんも絵に見入る。その横顔は、絵を通り越して、あの頃の母を見ているみたいだった。
「……よく、分かりましたね。わたしがあなたの娘だっていうこと」
 顔はそのまま絵の方を向いて、セイランさんが言う。
「そりゃ、分かるさ。これだけあの子に似てれば。瞳の色は僕みたいだけど」
「性格は違いますよ」
「人間、同じ性格はいないよ」
「そんな身も蓋も無い……」
 わたしたちの会話を聞いて、ルヴァさんが声を殺して笑っていた。
「ルヴァ様、何がおかしいんです?」
「いえね、初対面じゃないように話しているので。セイランのそういうところも変わってないですね」
 確かにそうだ。
 親子とはいえ初対面のはずなのに、どうしてこんなに話せるのだろう。
 一般的に親子だから話せないというのが普通ではないか?
 でも、この人は別なのかもしれない。
 親子じゃなくて、一人の人間として接してくれている……?
「で? 君一人でここに来たの?」
「え?」
 いきなり問われ、わたしは聞き返すことしか出来なかった。それを見て、セイランさんはクスッと笑う。
「性格は違えど、性質は同じってことかな?」
 ……段々とこの人の性格が分かって来た。
 母よ、この人のどこに魅かれたのですか?
「そういえば、アンジェリークの姿が見えませんね。お母様はどうしたのですか?」
 ルヴァさんの優しい問いかけに、わたしは言葉を詰まらせる。
 説明するべきだろうか。
 母はそのことを望んでいるのだろうか。
「どうしたの。言えないことでもあるのかい?」
 ねぇ、いつまでも隠し通せることは出来ないよ。
 わたし一人じゃ、この哀しみを背負いきれない。
「母は……」
 でも、言えない。
 哀しむことが分かっていて、父にまでこんな気持ちを味わせられない。
 わたしは真実の言葉を飲み込み、努めて明るく言った。
「母は今、祖父の看病をしているんです。大変なときだから……」
「そう。じゃあ伝えておいてくれる?」
 セイランさんはわたしに微笑むと、言葉を続けた。
「来世でも、必ず巡り逢おう……って」
 そう言い残すと、セイランさんはその場から立ち去った。
 ルヴァさんは私を見て微笑み、小さな声で言った。
「幸せでしたか?」
 その台詞を聞いて、わたしの嘘はバレていたと分かった。
 けれど、それでも知らない振りしてくれたのだ。
 そして、セイランさんも……。
「……はい。とても」
 わたしはルヴァさんに微笑み返してお辞儀をすると、そのコーナーから出て行った。
 そのとき、テラスの花壇の前で立ちすくむセイランさんを見かけたが、声をかけなかった。
 かけることが出来なかった。
「さよなら……お父さん」
 声には出さずに呟いて、反対方向の入り口へと向かった。
 母が父を捜さなかった理由が今、分かった気がした。
 お母さん。
 お父さんの伝言を、今から伝えに行くよ―。

END

りおさんのあとがき

 一番短く、そしてわけのわからん話です。
 タイトルと内容が合ってないような気さえする……。
 って、まさしく合ってないっつーの。
 しかも、セイラン様と温和ちゃんじゃないし。
 一応この娘さんの名前は『レイチェル』。
 親友の名前を取ったということで。
 温和ちゃんならやりそうだなー、と。
 本当は、この子、アンジェリークの娘ってことを知らせないで帰っちゃうようにしようと思ってたのですが、セイラン様がそれを許さなかった(笑)。
 勝手に暴走しちゃって、止められなかった。
 強引じゃのう……。

りおさん、ありがとうございました!
『レイチェル』ちゃんがセイラン様の娘と分かって、良かったと思います。
離れていても、お互いのことが分かってしまう…セイラン様とアンジェリークは、本当の恋をしていたんでしょうね…
文中には『お父さん』であるセイラン様の現在の描写がありませんが、想像するに、とても素敵なおじ様になってるんだろうなー(^^)と、思いながら読んでました。
本当に、素敵な作品ありがとうございました!!

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