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MOMENT

 きっかけはオスカー様が持ってきた、極上のワインだった。
 ヴィクトールと三人で飲むうちに、突然オスカー様が呟いた。
『アンジェリークは俺がもらう』
 僕の聞いた話では、確か薔薇の似合う気丈な女性が好みだったはず。
 あの女王候補は正反対のおとなしい女の子だ。
 しかし正直言って、僕はあせった。
 誰かがアンジェリークに近づくことを予測していなかったからだった。
『突然何を言い出すんです』
 平静を装い、僕はオスカー様に聞いてみた。
『何だ、セイラン。お前もあのお嬢ちゃんに惚れているのか?』
『しかしですね、オスカー様。あの子は女王候補で、あなたは宇宙を担う守護聖の一人……』
 ワイングラスを置きながら、ヴィクトールがそう言いかけると、彼はフッと笑って言った。
『そんなことは関係ない。好きになれば、地位や名誉など投げ捨ててでも愛しぬくさ』
『それが、アンジェリークだと?』
 ヴィクトールの問いかけに、オスカー様が天井を仰いだ。
『あのお嬢ちゃんには、さすがの俺もかたなしだ。あの柔らかな微笑の中に、どれほど強い意志があるのかと驚かされる』
 それだけでオスカー様があの子の事をちゃんと見ているのが分かる。
 単に興味だけで言っているわけではない。
 僕だけが知っている彼女もあれば、オスカーさまだけが知っている彼女もいるのだ。
 そして僕らは、少女の同じところに魅かれているらしい。
 ちょうどその時、最後の一口を飲み干したオスカー様が立ち上がったところで、飲み会は終了した。

 それがついさっきの出来事。
 オスカー様が帰られ、僕たちも各々の自室に引き上げた。
 確かに酔っているはずなのに、妙に頭がさえて眠れない。
 彼の一言が、こんなに僕の心を揺さぶるとは驚きだ。
 もう少し酔いを醒ましたほうがいいのかもしれない。
 これ以上のことを考えると、自分が何をしでかすか分かったもんじゃない。
 仕方ない。森の湖まで散歩するとしよう。

         ◇          ◇

 十六夜と呼ばれる月が、道を照らしてくれていた。
 昨夜の満月より明るく放つ月光。少し痛く感じるのはなぜだろう。
 そう思索に耽りながら僕は目的地に辿り着き、その入り口で立ち止まった。
 誰かがいることに気付いたが、そこから動くことは許されなかった。
 月の光に浮かび上がるのは、先程まで話題の中心人物だった少女。
 思い詰めた表情を浮かべ、湖の水面を見つめていた。
 そこだけ時が止まったような錯覚を覚えたが、月の映った水面だけが揺れていて、夢を見ているのではないと教えてくれていた。
 どれくらいの時間が経っただろう。
 突然少女がしゃがみこむと右手で水面を跳ね上げ、立ち上がってゆっくりと踊り始めた。
 それは一度だけ見たことのある、クラシック・バレエだった。
 この踊りは確か『白鳥の湖』。
 魔女に呪いをかけられたどこかの国の姫が、夜の間だけ人間の姿に戻ることが出来る。その場面を思い出させる舞だった。
 いつも柔らかく微笑む少女とは思えないほど真剣な眼差し。
 水で濡れている右手を月に翳し、ゆったりと顔をもたげて視線を指先に向けた。
 もうすぐ夜が明ける。それを嘆く王女。
 たった一人なのに、物語が作られていく。
 それに僕は感心して、賞賛の拍手を少女に送った。
 拍手の音に驚きの表情を見せ、彼女は顔を赤らめた。
「上手いものだね。こんな時間にこれ程美しいものを見られるなんて思わなかったよ」
 月明かりの下でも少女の顔が赤いと分かることに、僕はおかしくて笑った。
「顔が真っ赤だけど、僕に見られたことが恥ずかしいのかい?」
「あ……あの…….」
 うまく言葉にならないらしく、しどろもどろになる少女を心底可愛いと思う。
「一応褒めているんだからさ、嬉しそうな顔でもしたらどうだい?真夜中に出歩くことを注意されている訳じゃないんだし」
 僕はようやく歩きだし、固まって突っ立ったままの少女の隣で止まった。
 何も言えずに僕を見上げる少女の顔は、戸惑いに満ちていた。
「見たことのない絵画を目の前に突き付けられた気分だよ。それがあまりにも美しいものだか
ら、恨めしくも思う。悔しい気持ちが胸の中をざわつかせているんだ」
 その言葉に彼女は目を丸くして、茫然と見つめ返す。
 それを見て、僕はクスッと笑った。
「僕は君を知ったつもりでいたけど、全く知らなかったんだってことさ」
 そうして僕は少女を抱きしめた。
 驚いて身を捩る彼女を離すまいと、腕に力を込める。
「痛……痛いです、セイラン様……」
 訴える声に耳を貸さず、少女の温もりを味わっていた。
 離したらどこかへ行ってしまう気がして、離したくなかったのだ。
「セイラン様、お酒を飲まれたんですか?」
 今気が付いたように、彼女が言った。
「それがどうかした?」
「だったら、離してください」
 いつもと違う調子で、きっぱりと呟いた。
 それに驚いたのは僕の方だった。反射的に腕の力をゆるめ、少女の顔を覗き込む。
 どこか哀しそうな瞳を僕に向け、そして俯いた。
「アンジェリーク?」
「酔った勢いで、あんなことおっしゃったんでしょう?」
 彼女の声が涙でくぐもって、僕の耳に届いた。
 何故泣く必要がある?
 いつもなら意図的に傷つくことを言う僕だけど、今だけは分からない。
 思考回路も酔っているのだろうか。
 その時、僕はあることに気がついた。
 彼女から感じる、微かな甘い匂い。
「アンジェリーク、君……もしかして」
 肩を震わせて泣く少女の顔を無理矢理僕に向けさせる。
 そして迷わず唇を塞いだ。
 彼女は少し低抗したが、それもすぐに止んだ。
 おかしい……。
 おかしすぎる!
 唇を離し、まくし立てて僕は言った。
「君、ワインを飲んだだろう?誰に勧められて飲んだの」
「オスカー様ですけど……」
 少女の口から出た予想通りの答えに呆れるばかりだ。
 この香りは、まさしく先程飲んだワインと同じだったからだ。
「ねえ、アンジェリーク。オスカー様はこう言わなかったかい?『眠れないのならこれをお
すそわけしてもいい。アルコール度数はそんなにないから』って」
「な、何で知ってるんですかあ?」
 狼狽する彼女を見て、頭を抱える。
 ……………あんの、色ボケ守護聖!
 全くもって信じられない。これが守護聖のやることか?
 それならもう、僕はオスカー様には遠慮なんてしない。
「アンジェリーク!」
「はっ、はいっ?」
「今ので一気に酔いが醒めた。勢いに乗じて言うわけじゃ決してないからね」
 きっとこれはオスカー様の策略だったんだ。
 最初から、アンジェリークだけが目的でワインを飲ませたとしか考えられない。
 でも残念だったね。そう簡単に事を運ばせるなんて出来るもんか。
 それに、今彼女と一緒にいるのは、貴方ではなくて僕だ。
 こんな絶好のチャンス、生かさない手はない。
「君が初めて僕の前に現れたときからずっと、どういうわけか気になって仕方がなかった」
「セイラン様……?」
「君が好きだよ、アンジェリーク。……愛してるんだ。どうしようもないくらいに」
 僕の言葉に少女の瞳が見開かれ、凝視した。
 そしてまた、涙。
「……嘘」
「嘘じゃない」
「酔っているからでしょう?」
「だから酔った勢いじゃないって言ってるだろう?」
 抱きしめた腕の中で首を横に振り、彼女は泣きじゃくる。
 既に酔いが醒めて至って正気に戻ってしまった僕だったが、アンジェリークは違うようだ。
 アルコールを飲んだ後身体を動かした上、そんなに首振ると酔いも回るだろう。
 案の定、酔いと泣き疲れて、僕に答えを言わずに眠ってしまった。
「……全く、酔い潰れる前に何とか言って欲しかったな」
 僕は彼女を横に抱きかかえ、学芸館へと足を向けた。
 朝、目が覚めた時、アンジェリークはどういった反応を示すだろう。
 それが少し楽しみでもあった。
 何も覚えていない、なんて言わせない。
 答えは翌朝に延期か。
 それも悪くないかもね。

          ◇         ◇

 腕組みをして、僕はひとつ溜め息をついた。
 彼女を僕の部屋に運び込んだはいいけれど、僕は眠る機会を失ってしまった。
 カーテンの透き間からこぼれる朝日が、目に刺さる。
 そんな僕を知らずに、静かな寝息を立ててアンジェリークは眠っていた。
 テープルには紙が散乱し、昨夜の戸惑いを象徴している。
今まではこれ程まで理性を壊すことなどなかったのに、彼女に関してだけは違うらしい。
「それだけ、彼女が好きだってことか」
 ひとりごちてクスッと笑い、紙をまとめてケースにしまう。
 午前6時48分。目覚めるには少し早い。
 まあ、寝てないんだから、別に構わないけど。
 朝食までにはまだ時間がある。しょうがない。紅茶でもいれよう。
 そう思って立ち上がった時だった。
「う……ん」
 小さく呻いて、アンジェリークはゆっくりと目を開けた。
 二・三度瞬きをして起き上がった彼女は、眠い目をこすっている。
「おはよう、アンジェリーク」
 僕が声をかけると、眠そうな目で微笑み返した。
「おはようございます、セイラン様……」
 そう言って、はたと気づき、勢いよく回りを見回した。
 みるみるうちに、アンジェリークの頬が赤く染まる。
「あっ……あのっ……こ、ここってもしかして……!」
「僕の部屋だよ。それがどうかした?」
「えええつ!」
 何故自分が僕の部屋にいるのか、全く分かってないようだ。
 そんなパニックに陥っている彼女に、僕は笑いを隠せない。
「君、昨夜のこと、何も覚えてないのかい?」
「昨夜?」
「森の湖で踊っていたじゃないか。そして僕と話しているうちに、眠っちゃったんだよ」
 顔を赤らめたまま、真剣に考えていた彼女は、恩い出したように目を見開いた。
「思い出した?」
「ご、ごめんなさい、セイラン様っ。わたし途中から記憶がないんですけど……」
 慌てふためいてまくし立てる彼女が可愛くて、笑いを堪えることが出来なくなってしまった。
 ひとしきり笑った後、悲しげな顔をしていた彼女の隣に座って、僕は言った。
「それで、記憶がないってどのあたりから?」
「……ええっと、セイラン様が、その……わたしを……」
「好きだって言った後?」
 そう問いかけた僕に返事をするかわりに軽く頷き、それから俯いたまま、両手で顔を覆う。
「わたし、もう何がなんだか分からなくて、何を言ったのかさえ覚えてないんです」
「その後すぐ、眠っちゃったんだよ。でも」
 アンジェリークは言いかけた言葉が気になるのか、ゆっくりと顔をもたげた。
「君、僕の告白を見事に否定してくれたけど。嘘だって」
「だ……だってそれは…….」
「酔っていたからだって言いたいんだろう?何度も聞いたよ」
 その言葉に声を詰まらせ、僕から目を逸らす。
「大体たった数杯のワインを飲んだくらいで、自分の記憶を無くすほどアルコールに弱くない
よ。何なら、昨夜僕がどういった行動を取ったか再現しようか?.j
「い、いえ、いいです……」
 困った顔で両手を振り、そして恥ずかしそうに微笑んだ。
「ねえ、アンジェリーク」
「はい?」
「そろそろ君の答えを聞かせて欲しいんだけど」
 瞳を覗き込んでそう言った僕に、彼女は顔を赤らめて俯いた。
 僕はそれに言葉をなくす。
 確かに彼女は告白の返事をしれっと言えるタイプではないけれど、言葉に窮するほど難しい
問題ではないはずだ。
 それに期待してなければ、きっとこんな気持ちにもならなかっただろう。
 おとなしくて柔順な、それでいて自分の意見をしっかりと持っている芯の強い少女。
 僕の『一番嫌いな女性像』を、いい意味でぶち壊してくれた女の子。
 想いが傾いていくにつれてそれに抗い続け、否定し、普通に戻ろうと思った。
 だけど、破壊があってこそ創造がある、なんて言っておいて、自分が型に捕らわれていたと
知ったとき、認めざるを得なかった。
 本気で、アンジェリークが好きなのだと。
 そう考えたところで、声を押し殺して泣く彼女の姿が目に入り、驚いてしまった。
「……どうしたんだい?」
 僕の声にアンジェリークは息を短く吸い込んで、頬に流れた涙を拭った。
「アルフォンシアに謝りました。女王になることは出来ないって……ごめんねって……。何度
も繰り返すうち、涙が出てきちゃって……」
 そして僕を見上げ、真剣な眼差しで言った。
「ずっと、セイラン様のことが好きでした。だからわたし、これからもセイラン様のそばにい
たい。セイラン様の隣で、ずっと笑っていたいんです」
 瞳の中にある強き想いは、昨夜湖を見つめていたものと同じだと気づく。
……参った。
 アンジェリークの言葉がこれ程嬉しく感じるなんて、思いもしなかった。
 君は僕を、自由に解放してくれる。
 がんじがらめになっていた僕の心を、いとも簡単に解きほぐす。
「君はすごい人だね」
「え?」
「僕をこんなにも喜ばせることが出来るのは、君だけだよ」
 頬に当てた僕の手に彼女の手が重なり、幸せそうに瞳を閉じて微笑んだ。
「アンジェリーク……」
 僕がそう呟いたとき、勢いよく扉が開いた。
 入ってきたその人は僕たちを見て茫然としてしまった。
「おはようございます、オスカー様。こんな朝早くから、何か用事でも?」
 飄々と言う僕の声に、石化していたオスカー様が勢いよく怒鳴った。
「お、おい!何でお嬢ちゃんが、お前の部屋にいるんだ!?」
「何故って……あなたが飲ませたワインで酔っ払ったところを介抱してあげたんですよ。それ
が何か?」
 僕の言葉にオスカー様は金魚みたいに口をパクパクさせた。
 何故僕が知っているのか分からないらしい。
「女王候補に嘘ついて酒を飲ませるなんて、守護聖の風上にもおけませんね」
 ベッドから立ち上がり、冷笑を浮かべながらオスカー様に近づいた。
 そして耳元でアンジェリークに聞こえないように言った。
「あなたのことだ。何か下心でもあったんじゃないんですか?」
「セイラン!!」
 怒鳴ったオスカー様の頬は赤く紅潮していて、今にも湯気が立ちそうだった。
 図星というのはもう分かり切っていたことだが、呆れてものも言えない。
 と同時に、オスカー様の大声に驚いて、アンジェリークがビクッと肩を震わせた。
 その様子に慌てたのは僕ではなく、オスカー様だった。
「す、すまん、お嬢ちゃん。びっくりさせてしまったな」
「大丈夫だよ、アンジェリーク。別に叱られてるわけじゃないんだからさ」
 脅えた彼女に笑顔でそう言い、オスカー様に向き直る。
「今回のことは彼女にもジュリアス様にも黙っておきますよ。一応、あなたのお陰で僕らの気
持ちはひとっになったんですから」
「ま、まさか……」
「その『まさか』です」
 さらりと僕が言うと、愕然とした表情をして肩を落とした。
 オスカー様の様子がおかしいのが目に入ったらしく、心配そうにアンジェリークが呟いた。
「どうかなさったんですか?オスカー様……」
「あ……いや……だ、大丈夫だ、お嬢ちゃん……。頼むから、そんな目で見ないでくれ……」
「え?」
「これで俺は帰るよ……。じゃあ、また後でな、お嬢ちゃん」
 背中に哀愁を漂わせ、オスカー様はうなだれて僕の私室から出て行った。
 そんなに彼女のことが好きだったのか。
 まあ当然か。あの時、アンジェリークを名前で呼んでいたしさ。
 だけど、彼女は僕を選んだんだ。
 オスカー様ではなく、僕を。
「セイラン様。オスカー様は一体……」
 しばらく扉を見つめていたその瞳を僕に向けて、アンジェリークが言った。
「ん?ああ、自業自得ということさ」
「は……あ……」
 僕は、その答えに首をかしげた彼女の髪を梳いて、耳元で囁いた。
「他の人のことなんて考えないで、君は僕のことだけ考えててくれればいいんだよ。……いい
ね?アンジェリーク……」
 彼女は耳まで真っ赤にしてこっくりと頷くと、柔らかく微笑んだ。
 すると、それにつられて僕も笑っていた。
 意外なことに自分自身驚いて、やっぱり笑った。
 この笑顔が僕に向けられているというだけで、心が満たされるのを感じたからだ。
 嫌いなはずの彼女の笑顔は、僕の心を捕らえて離すことはないだろう。
 そうきっと、永遠に―。

END

あとがき

ご、ごめんね、オスカー様……。
わたしの小説に出てくるオスカー様は、どうしてこう格好悪いんだろう……。
いつも損な役回りで、書いたわたし自身も哀れに思うくらいです。
オスカー様ファンの方、ごめんなさい。
わたしも嫌いじゃないんですよ。ただ、動かしやすくって……(オイオイ・汗)。
今度は「お前、いいとこ取りだな」と思うようなオスカー様を書いてみたいです。
でもわたしだからなー。どうなることやら……。
さて、実はこれ、完成まで7ヵ月もかかりました(爆)。
うわ一……時間かけてこれかー……(沈没)。
途中、3ヵ月ほど書いてなかったのもあるんですけど、これはないだろうと自分自身思いました。
書き初めから終わりが見えてたのになあ。文才ナッシングですからね、わたし。こればっかりはどうしようもなかったです。
ギブミー、文章力&構成力&想像力……。
しかも長いし……。これでも切った方なんですよ、文章。
いっぱいいっぱいですみません。
修行します。いや・マジで。


いやいや、ありがとうございます。m(__)m
いつも素敵なお話を送っていただいて。りおさんにはいつもお世話かけてます。
それにしてもオスカー様がなんだか可愛いわ。(爆)
鳶に油揚げさらわれちゃった感じで…(こんな表現は、だめだめか?)
なんだかオスカー様が憎めません。(笑)
ではでは、もう一作品。『ふたり』を、お楽しみください。(^_^)

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