| 紫苑 −SHION− |
Chap.2 REFUSAL
君をずっと 忘れない
残酷な 紫苑の花言葉
「……では、このまま女王試験を行なうというのですか?」
女王謁見の間に守護聖と教官、そして占い師に王立研究員と、なぜか商人までが集められ、アンジェリークが記憶喪失になったことについての話し合いが行われた。
女王試験を一時中断したらいいのではとの声もあがったが、女王陛下が頑として聞こうとしなかった。
「生まれたままの宇宙を放っておく訳にはいきません。ロザリア」
「はい」
「アンジェリークをアルフォンシアに会わせてやって」
その言葉に、その場にいた全員が驚きの声を上げた。
僕は女王陛下の考えが分からない。
何を考えているのだろう。
「それと……セイラン」
突然名前を呼ばれ、僕は女王陛下の顔を見るしかなかった。
「あなたは、アンジェリークを支えてあげて」
優しい口調でそう言うと、女王陛下はにっこりと微笑む。
茫然と立ちすくむ僕に、何もかもお見通しな笑顔で頷いた女王陛下は、ロザリア様に何か言って、この話はもうおしまいだった。
「女王試験は続行致します。女王候補アンジェリークの記憶はいつ戻るか分かりませんが、彼女をサポートしてあげてください」
ロザリア様がそう言ったのを最後に、守護聖様方をはじめ、その場にいた人達が謁見の間から続々と出ていった。
僕はどうしていいのか分からず、ただ流れに身を任せて扉へと向かっていた時だった。
「セイラン」
僕を呼ぶ声がしてその方向を向くと、リュミエール様が立っていた。
「リュミエール様。どうなさったんです?」
「ええ。これを貴方に渡しておかなければと思って」
「……?」
リュミエール様から渡されたものは、薔薇の細工が施してある髪止めだった。
以前僕が彼女にあげたものだ。
「これは……」
「あの場所に落ちていたのです。そしてあの時、アンジェリークは悲鳴を上げて滝壷に落ちました。これは私の推測なのですが、誰かと言い争った末に誤って滝壷に落ちたのではないかと……」
「その時にこれを落とした、と。そう言いたいのですね」
そしてその人はアンジェリークが僕のところに来なくなった原因を作った。
彼女を傷つけた誰かに、行き場のない怒りが込み上げる。
だけど、今は犯人を見つけ出すことよりも大切なことがある。
今、僕がやるべきことは……。
◇ ◇
「おはようございます、セイラン様!」
朝から元気よく扉を開けたレイチェルの後ろに隠れて、アンジェリークが顔を覗かせる。
「ちょっと、何やってるのよ、アンジェ」
「えっ……だって、昨日レイチェルが変なこと言うから……」
「変なことじゃなくて、事実なの! 全く……」
事実って、僕とアンジェリークが付き合っているってこと……なんだろうね。二人の会話からして。
顔を赤らめて、アンジェリークが困惑した表情で僕を見る。
僕と目が合うと、慌てて顔を背けた。
それに少し傷つき、僕は軽く溜め息をついて言った。
「別に君をとって食おうなんて考えてないから、そんなに脅えた顔をしないでくれる?」
「もう食っちゃったアトだったりして☆」
「レイチェルッ!!」
真っ赤になって叫ぶ彼女に、頭を抱える僕。
「……アンジェリーク。君も真に受けるんじゃないよ」
「え?」
キョトンとして僕を見つめる。その横でレイチェルが笑いを堪えていた。
「ジョーダンよ〜。そんなの、アナタに出来るわけないじゃない」
レイチェルの言葉にほっとしたのか、表情が和らいだ。でも、何故か複雑な顔をしている。
「何か期待していたみたいだね、アンジェリーク」
僕がいつもの調子で言うと、また顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
傷つけたと分かるのに、1秒も要らない。
そして、何も言わないというのは図星のときが多いのだ。
確かに人並みの知識は持っているようだけど……あからさまに分かり過ぎる。
「言っておくけど、アンジェリーク。僕はこんな人間なんだ。偽る気はないよ」
僕の台詞に彼女はためらいがちに頷いた。
それを見て、僕は言葉を付け加える。
「こんな僕を好きになってくれたのも、紛れも無く君自身だ。言ってる意味が分かるね?」
「はい」
それだけは分かる、と言わんばかりの返答に、正直僕は嬉しくなった。
少しは僕に対する想いが残っているのかと思わせてくれたから。
「ところで、用件はなんだい? 二人とも」
この言葉を待ってましたというように、レイチェルがポンと手を叩く。
「セイラン様だけが知っているアンジェリークを話してやってくれませんか?」
ついさっきの茶化すような口調から一変して、真面目な顔でそう言った。
「僕だけが知ってる、ねぇ……」
僕は少し考えてしまった。
言葉ではいくらでも説明がつくけれど、アンジェリーク自身が分からないことにはどうしようもない。
記憶を呼び起こすのではなくて、彼女の性格を教えてあげることなら出来そうだ。
「分かった。じゃあ行こうか」
「えっ?」
執務室から出ようとする僕を茫然と見る瞳が、やっぱりアンジェリークだということを確信させていた。
「あの……どこへ?」
瞳をぱちくりさせて軽く首を傾げる彼女を可愛く思う。
クスッと笑うと、僕は彼女に向かって告げた。
「さすがに聖地から出ることは、厳格な首座の守護聖様が許してくれそうもないからね。とりあえず静かな場所だよ」
『厳格な首座の守護聖様』のところで、レイチェルはおかしそうに口元を歪ませた。
それだけで誰かと分かるということは、レイチェルもそう思っている訳だ。
「ほらアンジェ、行っておいでよ。アナタが言い出したことなんだからね」
「う、うん……」
それを聞いて、僕は驚いてしまった。
「君から言い出したのかい? 僕しか知らない君を教えて欲しいって」
コクリと頷き、また頬を赤らめて小さな声で言った。
「よろしくお願いします、セイラン様」
「分かってるよ。でも、無理はしないように。いいね?」
「はい」
彼女の返事を待って、僕達は執務室から出ていく。
「いってらっしゃ〜い!!」
にこにこしながら手を振るレイチェルに、僕は妙な悪寒を感じた。
……レイチェルが僕たちの後をついてこないことを祈ろう。
◇ ◇
聖地の中で一番静かな場所といったら、森の湖しかないだろう。
でも、その場所に行く前にあることを思い出して、聖殿へと方向を変えた。
不思議そうに瞳を瞬かせたが、何も言わずに彼女は僕の後をついてくる。
いつもなら、そんな行動をとる子に対して嫌悪感さえ感じるのだが、彼女は別だ。
僕はある守護聖様の執務室の扉をノックした。
「おはようございます、マルセル様」
「あれ? セイランさん、どうしたんですか? 僕にご用?」
菫色の瞳を輝かせて、最年少の守護聖様は僕を見た。
用があって来てるのに、それがわからない年齢でもないだろう。
しかし、彼は僕の後ろにいたアンジェリークを見ると、満面の笑顔で言った。
「あっ! アンジェリーク!! おはよう!」
「おはようございます、マルセル様」
挨拶は人生の基本と言うものの、彼女の瞳が僕以外の誰かに向けられることに我慢がならない。
「……マルセル様、よろしいでしょうか?」
「は、はい! ごめんなさい、セイランさん」
びっくりした様子で、マルセル様は僕に謝る。
「何故謝るんです? おかしな人ですね」
「え、えっと……」
彼の言葉を聞かずに、僕は言い続けた。
「今日はお願いがあってきました。マルセル様、紫苑の花はありますか?」
マルセル様はキョトンとした表情をして、それから嬉しそうに頷いた。
「紫苑の花……ですか?」
「あれば、数本いただけないでしょうか? 必要なんです」
「あ、はい。ちょっと待っててくださいね」
パタバタとテラスの方へ駆け出すと、近くの花壇で花を摘んで戻ってきた。
「そういえばこの花、アンジェリークも貰いに来たことあるんだよ。はい、どうぞ」
そしてアンジェリークに笑いかけながら、僕に花を渡す。
「わたしが……?」
「うん。誰かへのプレゼントだってすぐ分かった。後は、セイランさんから聞いてね」
意味深に微笑むと、僕に近づいてきて、耳打ちした。
「セイランさん、その花束の中に一本だけ黄色い薔薇を入れておいたんだ。それ、アンジェリークに渡して。花言葉、調べてみてね」
ちゃんと棘は取ってあるよ、と付け加えて、マルセル様は僕たちを見送った。
やれやれ……お節介というか、なんというか……。
粋なことをしてくれる。
堪え切れずに笑い出すと、アンジェリークは不思議そうに僕の顔を覗きこんだ。
「セイラン様?」
「……ごめんごめん。さ、森の湖に行こうか」
今度こそ本当に、僕たちは森の湖に向かった。
花言葉なんて調べることはない。炎の守護聖様から、耳にタコが出来るくらい聞かされている。
黄色の薔薇の花言葉は ―― 愛の告白。
◇ ◇
湖の近くを歩きながら、僕は彼女に質問した。
「森の湖に行くのに、抵抗はない?」
彼女に何が起きたのかは知らないけれど、そこはアンジェリークが滝壷に落ちた場所だ。
普通なら行きたがらない。
だけど、アンジェリークは少し考えた後、微笑んで首を横に振った。
「怖くないと言ったら嘘になりますけど、セイラン様が私にとってキーワードとなることを教えてくださるんですもの。大丈夫です」
彼女の言葉に驚かされるのは、これで何度目になるだろう。
何故、こんなにも強くなれるのか。
「君は……」
「え?」
アンジェリークは言いかけた僕を覗きこんで、次の言葉を待った。
でも、その続きを僕は言えなかった。
言ってしまったら、逆にアンジェリークを傷つけてしまいそうな気がして……。
「あの……?」
「……何でもないよ。君がそう言うなら、きっと大丈夫だね」
彼女に微笑みかけ、僕は森の湖に入って行った。
そこは相変わらず静かで、誰一人としていなかった。
別名『恋人達の湖』とも呼ばれているのにもかかわらず、だ。
僕はもたれるのに丁度いい木の下に行って、彼女に手招きした。
隣に座ろうとするアンジェリークを、無理やり僕の前に座らせて、後ろから抱き締めた。
「……えっ? きゃっ」
「黙って」
身を硬くした彼女に言って、僕はその背中に額を押し付ける。
「セイ……」
「少しの間だけ、こうしていてくれないか……?」
アンジェリークは少し考えた様子だったけど、ゆっくりと頷いた。
どうしてだろう。
泣きたいのは彼女の方だろうに、笑っていられるのだろうか。
そして、僕は何故泣いているのか……。
彼女の代わり?
違う。こんな時でも僕は君のために何も出来ない。
それが、悔しくて……。
「……セイラン様」
突然、アンジェリークが口を開いた。
「ん……?」
涙声を悟られないように、なるべく言葉を発しないように答える。
「わたし、記憶を無くす前の自分がセイラン様を好きになった気持ち、分かる気がします」
「どういうこと?」
アンジェリークは真っすぐに湖を見たまま、僕に言った。
「一日も欠かしたことのない日記を見つけたんです。それには、あるきっかけでセイラン様のことが気になって仕方がないって書かれてました。……って、自分が書いたんですけど」
自分で言っておかしかったというように笑って、言葉を続けた。
「そして、その紫苑をセイラン様に差し上げたら、口では皮肉っておられたけど瞳は優しかった、とも。それから……花言葉も」
彼女の言葉に僕は顔を上げた。
でも、アンジェリークは振り向かずに、一方的に喋り続ける。
「約束、破っちゃ……」
アンジェリークの肩が震えて、泣き出したことを告げた。
僕はそっとアンジェリークから離れると、前に回って、彼女を包むように抱き寄せた。
「何故僕がここに君を連れて来たか、分かるかい?」
泣きながら首を横に振る。
彼女の癖のない髪を梳きながら、僕は言った。
「ここには、君の思い出がたくさんあるからなんだ。僕もあることがきっかけで、君のことが気になって仕方なかったんだよ」
僕がまだアンジェリークを単なる女王候補だと思っていた頃、森の湖へと散歩に出掛けた。
足を踏み入れようとしたその時、水の撥ねる音に気が付いた。
それは一定のリズムを刻んでいて、誰がいるのかという興味に駆られて覗いてみた。
そこにはおとなしい女王候補の姿。
湖に両足を浸して、片足だけを思いきり蹴り上げる。
すると水飛沫が空に舞って、太陽の光を浴びて煌いた。
それを眩しそうに目を細めて見入る少女は、柔らかく微笑んでいた。
いきなりだった。
欠けていたピースが一気にはまった、と思うくらい、ストンと僕の心の中に彼女が入り込んだ。
僕が求めていたのは、彼女だ。
確信するのに、そう長くはかからなかった。
「そんなこと……」
「違うと言いたい?」
その問いかけに、アンジェリークは言葉を詰まらせる。
僕はアンジェリークから少し身体を離し、瞳を覗き込んだ。
いくらか戸惑いがちの瞳は、僕を見ようとしない。
「どうしたの。僕が怖い?」
アンジェリークは口をつぐんだまま、首だけを横に振った。
「じゃあ、何故……」
「だって!」
少しだけ声を荒げて、彼女は言った。
「だって、それは今のわたしじゃないから……」
悔しさと哀しさの混ざった表情。
以前の彼女だったら言わないような台詞に、僕は正直驚いた。
「ふぅん。君はそう思うんだね。でも、僕は違う」
「セイラン様?」
不思議そうな顔をする彼女に、僕は花束の中から黄色の薔薇を取り出して渡す。
「君が好きだよ。……愛してる」
そして、今度は紫苑の花束を差し出す。
「君も知ってる通り、この花言葉は『追憶』。言い換えれば『君をずっと忘れない』。そんなとこかな」
改めて口にした花言葉を聞いて、アンジェリークは唇を噛んだ。
「記憶を失って一番辛いのは君だって分かってる。でも、少なくとも僕にとっては、目の前にいる君も今までの君も、同一人物でしかないんだ」
「……どういう、ことですか?」
「君は君だということさ。記憶がなくなったからと言って、君じゃなくなった訳ではないだろう? 僕はね、アンジェリーク。君だから好きになったんだ」
彼女は紫苑の花束を抱き締め、花に顔を埋めた。
その光景を見て何も言えなくなって、アンジェリークを見つめていた。
どれくらいの時が経っただろう。
ずっと同じ態勢で身動きひとつしない彼女を不思議に思った僕は、意を決して名前を呼んだ。
「アンジェリーク……?」
顔を上げようとしない彼女の肩に触れた時、アンジェリークは異常なまでの反応を見せたのだ。
「アンジェ……」
ようやく花から顔を上げたアンジェリークの瞳が、脅えていた。
そしてその場に花束を落とし、首を激しく横に振りながら後ずさりを始めた。
「アンジェリーク!?」
「こ……来ないでください!」
近づこうと一歩踏み出した時、彼女は声を震わせて言った。
瞳から真珠の涙がとめどなく流れていた。
「ごめんなさい、セイラン様!!」
そう叫ぶと、弾けるようにしてここから走り去った。
僕は茫然と入り口を見つめた。
違和感。
― だって、それは今のわたしじゃないから ―
不安?
― ごめんなさい、セイラン様!! ―
この気持ちは、何なんだ……!?
この物語はChap.3に続きます。こちらからどうぞm(__)m