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| 紫苑 −SHION− |
Chap.3 TRUTH
避ける君 追いかける僕
涙の意味は 哀しい真実
『セイラン様』
優しく微笑むアンジェリークを瞳で追いながら、僕はクレパスを紙の上に走らせる。
『何?』
スケッチブックに目を落としたまま、彼女に返事した。
『紫苑の花言葉って、知ってますか?』
『紫苑っていうと、キク科の花だね。よくは知らないけど。ねぇ、アンジェリーク、この僕が花言葉なんて知ってると思うかい?』
溜め息交じりに言った僕に、微笑んだままで彼女は呟いた。
『セイラン様に似てるんです。その花』
『はぁ? 何言ってるの、君は』
花に似ているなんて言われたことは、生まれてこの方なかった。
さすが、僕が見込んだ女の子だ。
妙に感心して、彼女を見つめる。
いや、逆に呆れてしまって何も言えなかったという方が正しいのかもしれない。
『その花を見てると、なんだか哀しくなるけど……でも、優しいんです。それは、花言葉のせいなのかも知れません』
『……さっきからそんなこと言ってるけど、紫苑の花言葉って、何なの?』
森の湖に太陽の光が反射して、彼女を包む。
目を細めて見た僕を、暖かい春を思わせる微笑で見つめて、彼女は言った。
『あなたを、忘れない ― 』
◇ ◇
明くる日、乱暴に執務室の扉をあけてレイチェルが入ってきた。
「セイラン様ッ!!」
「どうしたの、そんなに怖い顔をして」
「なっ……! 何言ってるんですかッ!!」
こんなに怒りをあらわにしているレイチェルを見たことがなかった。
それですべてが把握出来る。
「……分かってるよ。アンジェリークのことだろう?」
「分かってるなら、どうして」
「そんなの、僕が聞きたいくらいだよ」
レイチェルの言葉を遮って、僕は言った。
怪訝そうな顔をして、レイチェルは首を傾げた。
「レイチェル、聞きたいことがあるんだけど」
逆に今度は、僕がレイチェルに質問する。
「何ですか?」
「アンジェリークが記憶をなくす前、あの子はどんな様子だった?」
僕のところに、毎日のように訪れていたアンジェリークがぱったりと来なくなったのには、何か理由がある。
でも、何故?
記憶をなくした『アンジェリーク』は、きっと何か知っている。
だから僕を拒絶した。
その訳を、僕は知りたい。
「う〜ん……特に何も。あ」
暫く考えた後、レイチェルは何か思いついたように呟いた。
「何か思い当たることがあるのかい?」
「……記憶を失う五日ぐらい前に、泣きながら帰ってきたことがあった」
「泣きながら?」
「何があったのって聞いても、何も言わないし。セイラン様に何かされたのって言ったら、それだけは絶対違うって。でも」
妙に言いよどんで、しかし言わないといけないような口調で、レイチェルは言葉を続けた。
「……セイラン様には逢えないって、そう言ってた」
「僕には、逢えない……!?」
原因は僕じゃない。
だけど、僕には言うことの出来ない理由が存在する。
何が君を遮る?
僕を拒絶するくらいの理由は、何?
真実を誰か、教えてくれ ― 。
◇ ◇
アンジェリークのことが思考回路を占拠したまま、突然女王陛下から、守護聖様たちと僕ら協力者に緊急徴集がかけられた。
しかしその中に、炎の守護聖様がいないのに気が付いた。
「女王候補アンジェリークが記憶を失った件で、女王陛下よりお言葉がある」
主座の守護聖様が僕らを見渡してそう言った後、女王陛下が一呼吸おいて口を開いた。
「とても残念なのだけど……自分の理性を失って、罪を犯してしまった守護聖がいるの。今は謹慎中で、自分の館にいるわ」
「どうしてそれが、アンジェリークと関係が……」
言いかけたマルセル様の言葉に、女王陛下は瞳を閉じてゆっくりと首を横に振った。
「あるのよ……。それがきっかけで、女王候補アンジェリークは記憶を失ってしまったと言っても、過言ではないの」
陛下の言葉に、その場にいた全員が驚きの声を上げた。
もちろん僕も例外じゃない。
だけど、僕はどこかでそれを知っていたような気がする。
確証はない。
でも、彼女が僕の前に現れなくなった理由も、記憶を失ったアンジェリークが僕を拒否するのも、全てそれが原因だったら……?
そう言えば、毎日つけている日記があると言っていた。
細かくはないけれど、似たようなニュアンスで書き留めてあるとしたら……。
意外と洞察力があるあの子のことだ。
それでことの本筋が理解できたのなら、今までの行動もわかる。
だけど、あの時感じだ違和感は、それとは違う。
それだけは間違いないことなんだ。
……まさか。
「セイラン? おい、セイラン!」
ヴィクトールに肩を揺さぶられ、僕は思考の迷路から現実へと呼び戻された。
「どうしたの? セイラン」
女王陛下が僕に声をかける。
顔を見た瞬間、陛下は全て知っているような感じを受けた。
「……知ってるんですね、何もかも」
僕の台詞に、女王陛下の顔色が微かに変わる。
「行ってあげて。アンジェリークのところへ」
陛下の言葉で、推測が確信に変わった。
全てのピースが一気にはまる。
いてもたってもいられなくて、思わず僕は走り出した。
「セイラン!?」
「いいの。行かせてあげなさい」
僕の後ろでジュリアス様の声と、女王陛下の声が聞こえたが、僕を引き留めるだけの力はない。
何故、そこまでされてまでおとなしく自分の中に閉じ込めたんだ!
何もかも忘れたいと願ったの、君は!
アンジェリーク!
◇ ◇
何が僕をここまでかき立てるのだろう。
答えは分かっている。分かっていても、否定したくなる気持ちがあった。
彼女に翻弄されているなんて、自分自身認めたくなかったのだ。
たった一人の女性に心を奪われ、埋め尽くされていることが信じられなかった。
でも、何度否定しても、想いは彼女に走る。
そして、それはもう、止める術をなくした永久運動へと入っていった。
僕はきっと、彼女を忘れることが出来ないだろう。
記憶喪失になっても、彼女の全てを忘れてしまっても、気持ちだけは彼女に還る。
僕は紫苑の花言葉を、本当に解ったような気がした。
「……見つけたよ、アンジェリーク」
特別寮へと向かう途中寄ってみた庭園にも姿はなく、寮の部屋にもいなかった。ということは、行き先はひとつしかない。
僕の声を聞いて、彼女は肩をビクリと震わせて怯えた表情で僕を凝視した。
「セイラン様……」
「懲りないな、君も。ここに来るなんてさ」
口から出る言葉は皮肉でも厭味でも何でもよかった。
アンジェリークがそこにいることが分かれば、それだけでよかった。
「どれだけ探したと思ってるんだい? 人騒がせな子だね、全く」
「どうしてここに……」
言葉を交わしていても、僕は森の湖の入り口から動けなかった。
彼女に駆け寄ることも、きびすを返してそこから立ち去ることも出来なかった。
近づいていけば、彼女は逃げるだろう。
彼女の表情は僕を酷く警戒していた。そのくらい、僕に逢いたくなかったらしい。
「何故って、寮にも庭園にもいないんだ。消去法でいくと、ここしかないじゃないか」
黙りこんでしまったアンジェリークを見つめ、一つだけ息を吐いた。
こんなとき、どうしたらいいのだろう。
伝えたい言葉はひとつなのに、僕としたことが台詞が出てこない。
厭味さえ、頭の中から出ていってしまったようだった。
動揺してる。
感情が総動員して、僕を焦らせる。
「……君に聞きたいことがある」
僕はもう自分の心に観念してしまった。
言わなければならない。今からの僕らがかかっているのだ。
相変わらず僕を見ないアンジェリークは、見を固くして僕の言葉を待っているみたいだった。
息を軽く吸いこんで、僕は言った。
「いつ、思い出した?」
「……!」
勢いよく顔を上げて、アンジェリークは僕を見た。
明かに動揺が見られる。
さっきまでの僕と同じだった。唇は動くけれど声にならない。
「君が記憶をなくす前の事を知りたいといってきたときは、まだ記憶は戻っていなかった。だけど、ここで僕が君に二度目の告白をした時に、僕は違和感を感じたんだ。おかしい、とね。あれは確実に拒絶だった。何故拒絶する必要がある? それは、君がなくした記憶を思い出したからなんじゃないのかい?」
僕の言葉を聞きながら、彼女は涙を流していた。
胸の辺りを掴んで、必死に泣くのを堪えている。
そして、ポツリと言った。
「……違います」
僕がいるところまで、聞こえるか聞こえないか位の声で呟いていた。
「何が違う?」
責めるような僕の声に唇を噛んで、大きく息を吐くと潤んだ瞳で僕を見た。
「違うんです、セイラン様。私は……わたしは初めから記憶なんてなくしてなかった!」
「!?」
鈍器で頭を殴られたようなショックが僕を襲う。
「何……だって?」
記憶喪失だというのは、全部嘘だったと……そういうことなのか?
そうまでしてあのことを隠しておきたかったのか!?
「いつも思っていました。記憶なんてなくなればいいって。あのことを思い出すくらいなら、死んでしまいたかった!」
そう叫ぶと、堰を切ったように涙が溢れ出し、その場にうずくまった。
「逢うのが怖くて、でもセイラン様に逢いたくて、ドアのノブを回すけど、外に出る勇気がなくて……」
「アンジェ……」
「あの時のことが頭をよぎると、そこからもう動けなくなってどうしようもなかった。苦しくて、苦しくて、胸が痛くて……! 現実にあったことだと認めたくなかった。夢だと何度も思った! けど、そう思うたび現実なんだと知らされるだけ」
いつも一歩引いていて滅多に感情的にならない彼女が、ここまで気持ちをさらけ出して僕にぶつけてきた。
そのためだろう、言葉も敬語じゃなくなっていた。
それが僕たちの壁を破った。
彼女はどこかまだ、教官と女王候補という線を引いていたに違いない。
そして、きっと僕も。
「眠っても寝た気持ちがしなくて、夢を見てまた起きるの。一人でいたくなかった。でも、誰とも逢いたくなかった……」
嗚咽を漏らして泣くアンジェリークに、僕は何も言うことが出来なかった。
追いつめられて、自分で感情のコントロールが利かない。
誰かに言いたくて、でも口に出すのも、考えるのさえ嫌になったのだ。
「そんな時だった。オスカー様に呼び出されて……体に触れられて、嫌だって手を振り払った拍子に足を滑らせて滝壷に落ちたわ。その時思った。もう思い出さなくてもいいんだって。もうこんな思いをしなくていいんだって!!」
それからもう、彼女は声を上げて泣き崩れた。
僕は彼女の言葉を聞きながら、次第に腹が立ってきた。
同情なんてすることが出来ない。する必要もない。
アンジェリークから聞きたいことは、一つだけだ。
「君の演技力には、さすがの僕もはっきり言って騙されたよ。だけど、自分の気持ちを追いつめるだけ追いつめて、君は悲劇のヒロインを演じているつもりなの?」
僕の台詞に、彼女が顔を上げてこっちを見上げた。
瞳が『酷いことを言うのね』と言っている。
自分でも分かっているさ。けれど、こうでもしなければ彼女は本当のことを言ってくれそうもない。
「何故僕に言わなかった? 軽蔑される、そう思った? 君にとって僕は何? 本当に君は僕のことが好きなの?」
「セイラン……様?」
「言っている意味が分からないほど、君が子供じゃないということを願ってるよ。さあ、真実を聞かせてくれ。僕のことをどう思っているのか」
黙り込む彼女を、僕は目を逸らさずに見つめていた。
表情が困惑に揺れ、また涙が流れ出す。
そして、その目で僕を真っすぐ見た。
「……だから」
掠れる声が風に溶けて、僕の耳に届いた。
唇が動く。アンジェリークの心が痛いくらいに叫んでいた。
「好きだから、言えないことだってある……」
訪れる静寂。風に揺れる木の葉の音が、僕らを包んだ。
僕は溜め息をつくと、彼女に歩み寄った。
自然と身体を預けるアンジェリークを、当然のように抱き締める。
「もう一度聞くよ。君は僕のことが好き?」
「好きです……」
「僕は違うね」
「えっ?」
戸惑いに満ちた声。あの時と同じように耳元で軽く笑って、僕は言った。
「僕は君を愛してる。アンジェリーク」
「あっ……」
顔を覗き込むと、やられたという表情をしている。
二人同時に吹き出すと、どちらからともなくキスをした。
「もう僕と一緒にいられないなんて思わないことだね。そんなことしたって無駄だよ。僕が君を愛しつづける限りは」
「セイラン様……」
瞳を閉じて、もう一度僕の身体に顔を埋めた。
僕の背中に回された彼女の腕に力がこもる。
言葉はもう必要ない。
彼女の体温を感じながら、僕は空を仰ぎ、回りの音に耳を澄ました。
滝が奏でる水の音楽。
葉音が紡ぐ風の言葉。
太陽が彩る空の絵画。
天使の声が聴こえる。
― あなたを、愛してる ―
◇ ◇
1週間後、女王陛下からのお計らいで、僕たちは結婚式を挙げた。
来賓はもちろん、守護聖様方に教官、王立研究員主任と占い師、そして商人。
ただ、オスカー様の姿だけがなかった。
結婚式は滞りなく進められた。あの方の存在を気にかけながらも。
終わりに近づいてきた頃、結婚式の会場になっていた謁見の間の扉が開いた。
複数の監視役に囲まれて現れたのは、ただ一人。
突然の出来事にその場は騒然となったが、女王陛下だけはにこやかに微笑んだ。
アンジェリークの顔が強ばって、僕の後ろに隠れる。
その時、彼が口を開いた。
― シアワセニ ―
たった一言それだけを言うと、踵を返して立ち去ろうとした。
それを思わず僕は呼び止めてしまった。
だが何も言えず、ただ深々と頭を下げることしか出来なかった。
オスカー様は寂しそうな、それでいてどこかすっきりしたような表情をして頷くと、その場を出ていった。
心の傷は、そう簡単に癒えるものではない。
彼女はもちろん、あの方も傷ついていた。
その中であの方は、祝福の言葉をかけてくださったのだ。
僕がこんな優しい気持ちに、相手を思える気持ちになったのも、今回のことがあったからだろう。
「幸せにならなくちゃいけないね。君のためにも、オスカー様のためにも」
オスカー様の気持ちが通じたのか、アンジェリークは慈愛に満ちた微笑を浮かべ、僕の言葉に頷いた。
聖地の花が風に乗って舞い散る。
僕の傍らには、優しい微笑みの天使。
さあ行こう。
僕たちの新しい物語を紡ぎに ― 。
END
りおさんありがとうございましたm(__)m
りおさん曰く、『セイランらしくない』と、こちらを書いた後に思われたそうですが、いえいえそんなことないです。
それにしても今回も真面目なテーマで長編に挑戦していただいて、凄いなーと関心しきりです。
私も精進しなけりゃねー(^_^;)
(とか言いながら下手な創作ばっかりしてますが。進歩がない・爆)
ちなみに各章のタイトルの意味は、
FORGET−忘れる
REFUSAL−拒絶(拒絶する)
TRUTH−真実
だそうです。私も英和辞典にはお世話になってます(爆)
別館のタイトルなんていまだにコピー&ペーストですわ(爆死)>辞書で調べたはいいが、スペルが覚えられない……
てな訳で(汗)皆さん、楽しんでいただけましたでしょうか。感想あればメール、ゲストブックにカキコしてください。りおさんに必ず伝えます!