オリン:オカミサン、あのお店は?
コマチ:マタ別の地で、新しい店を建てればいいんだヨ。それに、いつかはあの店に帰ってこよウ。ヨリトモの眠る、この地に……。
ヨリトモ:まだ死んでないヨー! でも画面には登場してまセーン。
ヒデタダ:それじゃ、オレはここで失礼するネ。お前らと一緒にいると、危なくて仕方がないゼ。
オリン:それはこっちのセリフネ!
コマチ:忘れてんじゃないヨ、アンタタチ、まだこんなにツケが残ってるんだからネ!
ヒデタダ&ヨシタダ:NOOOOOOO!
GM:そんな風に、みんなで川を下っていく先には、マウント・フジが映っている。そして国歌斉唱だ(注186)。これこそ、日本映画のラスト・シーンだね。それではみんな、これで今回のセッションは終了だ! コングラッチレーション!
こうしてトヨトミの陰謀は、また一つ費えた。
だが、まだまだ世の中、悪事の影の尽きることはない。
日本が本当の平和を迎えるその日まで、彼らは戦い続けるだろう。
ありがとう、正義の流れ者たちよ。
そして、この次も頼むぞ!
サムライ・ファイター!
爆発! サムライ道(エクスプロージョン・サムライロード)
〜閉幕〜
(ヨリトモの大空に笑顔でキメ)
〜訳者あとがき〜
何も、筆者がこのような日本の誤解を目の当たりにするのは、一度や二度ではない。
訳注にも挙げられたゲイシャガール・ウィズ・カタナのような日本誤解ゲームやリプレイはいくらでもあるし、筆者の都合上、そういったものに接触する機会も、いくらでもある。
だからといって、それらに抵抗がないわけではない。むしろ、一度、二度と体験していくごとに、未だに日本はこのような誤解を受けているのか、と苦痛と苦悩の目眩の度合いを激しくしていくのである。
今回のリプレイもまた、その例に漏れず、誤解度こそ通例のものであるが、その内容はもはや悲痛なまでの域に入っている。これを訳さねばならなかった筆者の苦悩、いかほどのものか、お察しいただけるだろうか?
予想通り翻訳作業は難航を極め、その完成までには果てしなき徒労と脱力を禁じ得なかった。
「今回、君たちの国を舞台にしたリプレイをやったから、日本語訳してくれよ」
マスター・アレックスの人格が破綻しているか、また筆者の友人ではなく、赤の他人だったらどんなに良かったことか? 何度リプレイの収録されたテープを抹消してやろうか、こんな翻訳投げ出してやろうか、と思ったか数知れない。とは言え、あのアレックスの暑苦しいながらも、「自分は親日家である」と心から訴え、また筆者もそう思っているであろう、と信じ切った冬空のような煤けた笑顔で見つめられた時から、筆者の運命は決まっていたと言えるだろう。
先ほども言った通り、筆者がこのようなリプレイに触れるのは稀ではない。
そして、今回のリプレイからも感じ取ったのは、日本は国際的な国家である、などともてはやされながらも、外国人の日本人観は戦中のチビでこすずるい黄色人種、というイメージから全く変わっていないのだなあ、ということである。
世界が一つになることを求められている新世紀、アメリカはこのようなリプレイを発表し、「モータルコンバットがなぜ日本で大ヒットしないのか、不思議でならない」と首をひねり、日本は日本で未だにアメリカ人は
ペプシコーラとハンバーガーだけで生活しているなどと口言する中、未来を覆う漆黒の闇が晴れるのは、まだまだ遠いことのようである。