ある夜のこと、一台のタクシーが峠道を走っておりました。
運転手は常連客を迎えに行く途中だったのですが、まだ時間があったので暇を持て余していました。
すると、うら淋しい峠の暗がりに手を上げる女性があるではありませんか。
気さくな彼は余り何も考えずその女性を乗せてしまいました
、がっ、客の女性は何やらいつもの客とは様子がちがいました。
その客は陽気な運転手が話しかけても青い顔色に表情というものがなく、やっと話した言葉は「村の旅館まで・・」の一言だけ・・。
重苦しいその空気に彼はだんだん不安になって来ました。
「変だな・・何だか寒気がしてきたぞ・・。ああ、まさか俺とんでもない客を拾ってしまったんじゃないだろうなぁ・・。」彼はだんだん最悪のケースを思い浮かべるようになりました。
そして、意を決してチラッと客の足を覗き見をしてしまうと、とうとう震えが止まらなくなっていました。
「や、やっぱり・・この女は・・。」気も狂わんばかりに動転した彼は猛スピードで峠を下って行きました。
そしてタクシーは奇跡の速さで、村で唯一の旅館へと到着したのでした。
そして旅館前、客の若い女は運転手に料金を払いながら思い切ったように言いました。
「わたし・・、本当は自殺したくてあの峠にいたんです。でも・・・、自殺する勇気もなくあそこで一人で泣き出しそうでした。・・そんな時このタクシーの光が見えて・・・、わたし、やっとわかったんです。わたしにはまだこの世にやりたいことが沢山残っていることが・・、わたしにはこのタクシーは希望の光のようでした・・・。もう失恋なんかに負けません。運転手さんありがとうございました・・。」真っ青な唇を震わせて言った彼女の言葉にもドライバーは生きた心地がしませんでした。
そして、料金を受け取るや否や、タクシーはまた猛スピードで峠へ登って行きました。
夜も更けきった頃、タクシーはまたさっきの女性を乗せた地点に来ていました。そして、予約を入れていた常連客を乗せました。
「いやー、今日は本当にひどい目にあったよー。」と運転手は客に言いました。
「さっきここで、女を拾ったんだが、聞いて驚くなよ?そいつが何と生きた人間だったんだぜ。ここは自殺の名所だろ?てっきり、首でも吊った後かと思えば・・。」
「何?自殺もしないでこんな所をうろついてた奴がいるのか
?そりゃ、あんたでなくてもびっくりするわ。ほー、生きた人間ねー。やだやだ。」
運転手はさっきの事を思い出して再び落ちて来る汗を拭うと、今度こそ間違いない人ならぬ客を乗せ、地獄の暗闇を目指しアクセルを強く踏んでいました。
終り。
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